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さて、約28年前 すなわち 平成7年(1995年)の夏(8月21日~)、去る 9年前の10月8日(水)の「親の受診に付き添っていること・1」のブログ そして 去る 9年前の11月9日(日)の「親の受診に付き添っていること ・2」のブログのそれぞれ 共に中段やや上、更に、去る 8年前の2月23日(月)の「天皇陛下行幸の君恩に浴して」のブログの中段に記させて頂きました 某・ボランティア(英語:volunteer)のサークル(英語:circle)の関係の男子 三人で 行事に参加する目的で 香港に行きました。 因 みに、日本との時差は、1時間でありますなお、まだ 香港が 中国に返還される前のことでありました。序で乍ら、映画「慕情」も、香港が舞台でありましたね。

出発当日・成田国際空港にて(平成7年[1995年]8月26日の日付が記されています)

出発当日・成田国際空港にて

香港市内

香港市内

香港市内

香港市内

香港市内

香港市内(現代のデジタル・スチル・カメラで パノラマ サイズの画像を撮影することは 簡単とされていますが、当時は 使いきりカメラを用いて 行ないました)

香港市内(パノラマ サイズの画像)

香港市内(パノラマ サイズの画像)

香港市内(パノラマ サイズの画像)

香港市内

上記の 某・ボランティアのサークルの関係の集会(上の画像のように、奉納金が ¥7,000円以上もしました)
ときに、他の 男子二人は、convention(日本語:会議、集会)の講演の前に 会場を出て 観光に行ってしまいました。それで、当方は 一人 残り、同時通訳の機械も借りずに 講演者の英語のスピーチを聴きました。 因 みに、途中 講演者が 水を飲んで、“water is good.”と話していました。なお、余裕があるものであると思われました。序で乍ら、会場内の飲食店は営業していませんでした。 因 みに、宿泊所迄 は タクシーを用いました。


ところで、去る7月13日(木)の「シンガポール(往路)」のブログの中段に、シンガポールのタイガーバーム公園(英語:Tiger Balm Garden)のことを記させて頂きました。因みに、下の画像は、香港のタイガーバーム公園であります。

タイガーバーム公園


さて、前述の 去る7月13日(木)の「シンガポール(往路)」のブログの中段に、現地オプショナル ツアー担当者と交渉して、オプショナル ツアーに参加したことを記させて頂きました。因みに、このときは、同行の 男子 一人 が、事前に 日本国内で オプショナル ツアーを申し込んでいました。

香港 オプショナル ツアー

香港 オプショナル ツアー

香港 オプショナル ツアー

上記のように、使いきりカメラを用いています









次 に、成田は 空港使用税が 掛かりますが、学部生のときの欧州旅行では 掛からなかったので そのつもりでおりました。
ときに、菜食で 本を進呈しましたので、以下の葉書を頂きました。すなわち、去る 一昨年の5月21日(金)の「本の進呈・続報42・後編(シンクロニシティ)」のブログの上段に、
「(前略)本日、誠に有り難いことに、上記のように 今年の初めに 成書を進呈した 別の方から お礼の葉書が届きました。すなわち、
『(前略)年初に貴重なご本と種々資料をレターパックにて頂戴しておりまして、誠に有難うございます。
早くご返信をさせていただきたく思っておりましたが、とても遅くなりまして申し訳ございません。
ご著書の出版おめでとうございます。
有益なご著書・資料や非常に丁寧なお手紙をありがたく拝読させていただきました。
まずご著書の文字のサイズが大変大きく、これに驚きました。
私は五十歳を過ぎまして最近老眼気味になってきましたので、このような大きな文字は目に優しく、快適に読むことができました。
本来であれば文字を小さくすれば、もっとたくさん事柄を記載した本を出版することができますのに、そうされなかったことは○○様の読者へのご配慮を 感じることが出来まして、素晴らしく存じます。
内容は○○様が、かなり以前から貫かれている菜食及び医療に関するご著書でございましたね。
私は医療関係は、まったくの素人でございますので、よくわからない部分もかなりあったのですが、ご著書の中でお医者様は患者の方と親和性により病を共有することがあるとのこと (ご著書の四ページ目) で、これに関しましては大変驚いた次第でございます。
ウイルスのように感染するものでないのであれば、現実では考えられないことなのかなと思っておりましたが、実際に○○様が体験されているのであれば、 誠に自分と他人の生命は繋がっていることは真実であると、そう感じる次第でございます。
菜食主義は、 大変素晴らしいと思いますが、 私共ではなかなか真似のできない事柄と思います。
私は調理・提供いただきました食事は好き嫌いなくいただいている次第でございますが、 私の家庭では子供が中学二年生と小学六年生で、 二人とも男の子ですので、 肉や魚も好んで食しております。
子供はその他にも野菜や穀物も好きですが、 上の子はかなり好き嫌いがございます。
例えばスーパーなどで売られている納豆でも製造会社(メーカー)によって 好き嫌いがあります。
子供の残したものを私がもったいないと食しておりましたので、 残念ながら中年太りになってしまいました。 (これに関しましては私の健康管理の不備が最も大きな要因ですが)
子供には食事は生命をいただいているのだから、何でも感謝していただきましようと話をしております。
子供も私もまだまだ未熟な点が多々ありますが、これもまた人生と思いますので前向きに共に進んでまいりたく思っております。
さて○○○○を通じて○○様という貴重な人生の先輩を得ることが出来まして感謝しております。
○○○○は私にとって信仰と考え方の基礎となっておりますが、最近では○○○○の活動と疎遠になっておりますので、○○様とお会いする機会がなくて申し訳ございません。
そうにもかかわらず毎年年賀状の交換を続けてさせていただいているのも、二十年以上前の香港旅行のことなどご記憶いただけているのも、誠に感謝しております。
○○様ご自身の信念・情熱をもって、日々信仰を医療や生活に実践されていると拝察してして(「して」が重なってしまったようです)おります。
○○様のその信念・情熱をもってご活躍されていることにつきまして、私は陰ながら尊敬の念を持っておりまして、そのような先輩を持っことは私の誇りとするところでございます。
長々と記載しまして失礼いたしました。
これから暑い夏の季節が始まりますが、 どうぞご自愛くださいますようお願いいたします。
○○様のご多幸をお祈りしております。 再拝 敬具
令和三年五月十九日 ○○ ○○ 拝(送り仮名も 含めまして、原文通り)』以上であります。それで、直ぐに 返信すべく、書状の作成を始めました。因みに、この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、今回も、徹夜になりました。なお、早速 速達の特定記録郵便で 感謝の便りを返信しました。(後略)」と記させて頂きました。すなわち、旅行中、菜食でありました。
ところで、去る 7年前の9月18日(日)の「北海道旅行・6( 層雲峡)」のブログの上段に、
「(前略)去る1月5日(火)の『母親の新年会』のブログ の上段に、
『(前略)去る11月5日(木)の【法人マイ・ナンバー】のブログ の上段に、両親は約8年前に商売を廃業したと記させて頂きました。この商売をしていたときの 住み込みの従業員(後略)』と記させて頂きました。この親戚の長男が、上記のような住み込みの従業員として 来てくれていました。しかし 乍ら、その8月16日(火)のときは、旭川の実家に帰って 数年後のことでした。この親戚に 挨拶を兼ねて 訪ねました。そして、泊まらせてもらいました。この長男には、今でも、毎月 郵送物を送っています。(後略)」と記させて頂きました。その長男が、約10年前 すなわち 平成15年の12月に 数日間 来ました。その際、彼が 100万$の夜景のことを尋ねました。それで、電気代が 100万$ 掛かっていると回答しました。しかも、200万$ 掛かるとも言われていたことを話しました。
さて、香港と云いますと、映画「慕情」が思い出されますね。因みに、学部生のときに 「中野 陽子」という同期生に この映画「慕情」を紹介しましたら、後で 観たらしく、誠に遺憾なことに いい映画ではなかったとのことでありました。なお、この映画を理解するには 幼過ぎたのかもしれないと思われました。
ときに、家政婦に 修行であり苦行であった と伝えましたら、誠に有り難いことに、納得して 頷いて 同意してくれました。
(義務教育の方々に 美しい日本語を 正しい読み方で 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名を付けております)
本日も、最後 迄 お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)