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一昨日 すなわち 10月28日(火)の「スイス(海外のこと)」のブログで、「機会がありまして、宜敷(よろし)ければ、東欧のことを記させて頂きます。」と お伝え申し上げましたので、今回、その続きを記させて頂きます。(^O^)
お伝え申し上げましたように、昭和62年(1987年)8月8日【土】午前8時2分、西独(ドイツ)のハンブルグ発ベルリン行きの直通列車に乗りました。この列車の写真は一昨日のブログに掲載させて頂きました。電化されていなくて、おそらくディーゼル車輌でした。かなり緊張した車掌が来て、まず西独(ドイツ)国内ではパスポート・コントロール(passport control)(出入国審査のこと)のみでした。そして、単に西ベルリンに行くだけの方(かた)でしたら、東独(ドイツ)の入国係官が車内に来て、西ベルリンに行く人のパスポートを見て、トランジット ・ビザ(transit visa)(通過査証)、すなわち、一枚の紙を渡してくれます。東独(ドイツ)では、トランジット ・ビザ(transit visa)(通過査証)を西独(ドイツ)政府が肩代わりしてくれるのです。因(ちな)みに、東独(ドイツ)国内では、検札が来なかったです。某・民放の「世界行ってみたらホントはこんなトコだった!?」という番組で、「改札も無いので、無賃乗車が出来るのではないか!」とのことでしたが、現地の人でしたらまだしも、異国人の旅行者と致しましては、万が一のトラブルも避けたいという心理が働きますよね。また、倫理的な意味も御座います。

再掲・東独(ドイツ)内の列車
お伝え申し上げましたように、インフラ(インフラストラクチャー[infrastructure]の略)(国民福祉の向上と国民経済の発展に必要な 公共施設のこと)におきましては、西独(ドイツ)の方(ほう)が勝(まさ)っていました。
そして、西ベルリンの中央駅(Zoo Bf)に着きました。
因(ちな)みに、一昨日、お伝え申し上げましたように、動物園があるので、Zooという名称が付いています。調べましたら、1844年に創(つく)られた独(ドイツ)最古の動物園とのことでした。当時、約二千種、一万匹の動物がいて、特に鳥類のコレクションは有名で、欧州(ヨーロッパ)一と言われているとのことでした。パンダもいるとのことでした。一昨日のブログで お伝え申し上げましたように、大都市の駅の近くに動物園があると申しますと、上野動物園のようですね。ときに、昭和62年春休み、エコノミー(economy)に、マレーシア航空で、米国のロサンゼルスに行き、そこから、グレイハウンドのバスを用いて、約4、200kmを横断致し、ニューヨークに行きましたときに、ブロンクス動物園を訪れたことはありましたが、後述致しますように、西ベルリンでは、動物園どころでは御座いませんでした。
第一印象は大きい街(まち)!
西独(ドイツ)の首都であるボンはボン大学、そして、ベートーヴェン(ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン)の生家があるものの、田舎のような街(まち)でしたし、バイエルン州最大の都市で、州都であるミュンヘン(独[ドイツ]語: München)もそれ程大きい街(まち)であるとは思いませんでした。
流石(さすが)、かつての独(ドイツ)帝国の首都だけのことはあると思われました。
西独(ドイツ)製の車・ベンツのマークを見付けようとしますが、近くには無く、歩いていて漸(ようや)く見付けました。姉は洋犬を飼っていますが、欧州に行ったときに、日本で見る程、いい犬がいなかったとのことで御座いました。車・ベンツも、いい洋犬も、日本の方(ほう)がよく見掛けるのかもしれません。
一昨日、お伝え申し上げましたように、ベルリン市制750年祭典(1987年)(昭和62年)の年(大通りに、観覧車が 回っていました)でしたので、宿の需要はexcess(超過)とのことであり、空(あ)いているのは宿泊料50DM(ドイツ・マルク)以上の宿のみでしたので、夏であるということもあり、野宿を決め込みました。しかし乍(なが)ら、これが悲惨でしたので、あまり お勧めしません。
日本人向けの無料のパンフレットよりも、バスの地図は2DM(ドイツ・マルク)の料金で、これは役立ちました。東欧を旅するために、切符を購入するため、代理店・ トランスアルピーノに行きましたが、この日は土曜日で、月曜日迄開きません。土曜日なので、銀行は駅のみが開いています。郵便局もそうです。
身分証明証として持って行きましたI.U.S.(international university student)カード(国際学生証)もわからないとのことでした。
それで、重い荷物を引きずって、また、駅に行き、郵便局で郵送用の箱を買いました。既に旅を始めて2週間が経過していましたので、今後の旅に必要のない荷物を詰めました。そして、駅の郵便局で、自宅に郵送しようとすると、ここではないと言われました。地下鉄で4つ先の郵便局とのことでした。そこで、取り敢(あ)えず、荷物をコインロッカーに、と思いましたら、コインロッカーが一杯でした。遠くのコインロッカーの前で待っている人がいましたが、運良く目の前のコインロッカーが空(あ)きまして、周囲には待っている人がいませんでしたので、用いました。日本のコインロッカーに比べて、操作がなかなか難しかったです。
駅の銀行の両替で、米ドル$を細かく(東欧で使えるのは、米ドル$とのことでしたので、両替しました。)してもらい、5DM(西独[ドイツ]マルク)を25DM(東独[ドイツ]マルク)にしてくれました。後でわかったことですが、西独(ドイツ)の銀行では、1DM(西独[ドイツ]マルク)に対して、5DM(東独[ドイツ]マルク)を換金してくれるとのことでした。一昨日 お伝え申し上げましたように、東・西独(ドイツ)のDM(ドイツ・マルク)のレートは1:1でした。
御承知のことであらせられますように、当時、西欧州(西ヨーロッパ)では、通貨として、西独[ドイツ]マルクの力(ちから)は大きかったです。
そして、地下鉄の5回数券を買い、駅で4つ先の郵便局に行きました。この郵便局に行くと、独(ドイツ)人が親切に教えてくれました。そして、郵送しようとすると、船便では紙がいると言われました。船便は2ヶ月掛かりますが、旅行は夏休み約一ヶ月の予定でしたので、時間が掛かってもいいですし、航空便よりも遥(はる)かに安かったのです。
困っていますと、或る独(ドイツ)人から何日滞在するのか尋ねられました。そこで、約一ヶ月と答えますと、俺の家に来い、と言われました。そして、西ベルリンの中央駅(Zoo Bf)に戻りました。御馳走してくれると言われました。何がいいか、と尋ねられましたので、感謝の気持ちもあり、独(ドイツ)人の方(かた)を喜ばそうと、胡麻(ごま)を摺(す)るような形になりましたが、独(ドイツ)料理を お願いしますと伝えました。すると、独(ドイツ)料理はなかなか無いのだそうでした。それで、レストランに行きました。ポテトのスライス揚げ、トマト、そして、ピーマンの味はおそらく一生忘れられないだろうと思われました。遠い異国に、一人でいて、物質的な料理よりも、この独(ドイツ)人の方(かた)の気持ちに感じ入りました。そこで、その後、日本で、外国人の方(かた)と話していて、お腹がすいたと聞きましたときには、必ず御馳走させて頂くことにしました。過去、2人の韓国人を含む外国人の方々(かたがた)に対しまして、そして、日本人の方々(かたがた)にも、何度も御馳走させて頂きました。
それから、駅に行って、コインロッカーを開(あ)けようとしますが、開かず、漸(ようや)くのことで開きました。ずっと扉を押していて、鍵を回さなければ、開きませんでしたので、コツが必要でした。
それで、60$、細かい お金で用意して、レストランに行きました。前述の紙をわけてもらいました。親切にしてくれました。旅をしている間、度々思ったことですが、もっと英語が出来れば、と思いました。東ベルリンでは英語は使われておらず、独(ドイツ)語だけでしたが、西ベルリンでは英語が通じました。
そこで、どこの国でも感謝の言葉のみは表現出来るように致しました。
そして、郵便局で漸(ようや)く発送することが出来ました。ホッとして、力(ちから)が抜けました。
それから、一昨日のブログで写真を示させて頂きましたように、ベルリンの壁に行きました。チェックポイント・チャーリー(Checkpoint Charlie)はインパクトがありました。西ベルリンから、チェックポイント・チャーリーを通って、東ベルリンに行くことは出来ました。しかし、某・日本人によりますと、東ベルリンから、チェックポイント・チャーリーを通って、西ベルリンに戻ることは出来ないとのことでした。東ベルリンから西ベルリンに行くのはチェックが厳しいのですね。
これは、前述致しましたように、昭和62年春休み、エコノミー(economy)に、マレーシア航空とグレイハウンドのバスを用いて、米国のエル・パソ(英語: 西[スペイン]語: El Paso)(テキサス州)に行ったときも、同様のことがありました。すなわち、米国から、リオ・グランデ川(Rio Grande river)の国境を越えて、メキシコ(シウダー・フアレス[Ciudad Juárez]という都市に行きました。当時、メキシコの国境から50km以内では、ビザ[visa]が必要ありませんでした。)に入国することは簡単でしたが、メキシコから米国に出稼ぎに行きたいメキシコ人は大勢いるとのことでしたので、メキシコから米国に入国することはチェックが厳しかったのです。
西ベルリンの話しに戻りますと、壁の落書きが凄いです。壁際を歩きました。ところどころ、壁の向こうの東ベルリン側に物見やぐらがあります。しっかり監視されています。これでは壁の側(そば)には住みたくないと聞きましたのも頷(うなず)けます。事がおこれば、真っ先にやられてしまうとのことです。
半年に一回位、東ベルリンから西ベルリンに亡命しようと、このチェックポイント・チャーリーを走り抜けようとする独(ドイツ)人がいる、と聞きましたが、途中、長い中立地帯があり、物見やぐらから銃を構えている監視員がいますので、撃たれてしまうとのことでした。

再掲・壁博物館のパンフレット

再掲・実際のチェックポイント・チャーリー(Checkpoint Charlie)

再掲・チェックポイント・チャーリー近くの、西ベルリンから見たベルリンの壁

再掲・ブランデンブルク門
ブランデンブルク門では、日本から来ている単身赴任の方(かた)に会い、家族が来ているとのことでした。先方から車に乗せてくれるとのことで、途中ベルリン・フィルも見えました。この お返しに、日本では、車を求められましたら、乗って頂くように心掛けさせて頂いて参りました。
チェックポイント・チャーリーに戻りました。ここで、この傍(そば)にある、一昨日のブログに記させて頂きました壁博物館(Haus am Checkpoint Charlie)の展示がなかなかの迫力でした。
壁博物館で観覧すると、記させて頂きました発電機、双子の姉妹、そして、バスの他に、更に、建物を超えてとか、自動車の後ろに隠れてとか等で脱出しようとしています。
この壁が崩壊して、今年で、25年になりますこともあり、言及させて頂きました。
西ベルリンの中央駅(Zoo Bf)の側(そば)のメイン(main)通りで、2DM(西独[ドイツ]マルク)のアイスクリームが売られていて、これが最高に美味(おい)しかったです。心の中で、思わず、「うまい!」と叫びました。伊(イタリア)では、ジェラート(伊[イタリア]:Gelato)といいますが、3つのアイスクリームの盛(も)りを食べてしまいました。蘭(オランダ)では美味(おい)しい牛乳が市販されていましたが、おそらく共通していることは、同様に乳脂肪分が多いということなので御座いましょう。また、旅をしているので、尚更、美味(おい)しいと思われるのかもしれません。空腹は最高の調味料という言葉も御座います。甘いものを身体が求めていたのでしょう。
但し、断食したとき、低血糖発作(血糖値が下がって、頭が真っ白になり、尻餅[しりもち]をついたことが御座います。脳は、全身の体重の約1/50[約2%]ですが、全体の約25%のブドウ糖を消費するとされています。脳の栄養はブドウ糖なのです。)を起こしたことがありますが、そこ迄は至っていません。
メイン・ストリート(main street)は長いです。どこで終わるのかわかりません。
メイン・ストリートを歩いていて、雨が降って来たので、途中で、Uバーン(地下鉄)駅から引き返します。そして、中央駅(Zoo Bf)に午後11時。駅で一杯やっている人に会い、郵便局迄一緒でした。街角で売るのでしたら、花札のイヤリングか電卓がいいとのことでした。露店の話しですね。そして、分かれて午後11時半。ファーストフードの店でうとうとしていると、寝るなと言われます。午前0時半。そして、中央駅(Zoo Bf)に行き、誰もいないので、電話ボックス(日本の公衆電話より、オープンな感じと言われています。)で寝るも、下が冷たくて・・・。それで、また、もう一軒のファーストフードの店で、午前1時から2時迄うとうと、これも起こされてしまいます。更に、もう一軒のファーストフードの店で、午前3時迄、これも午前3時閉店。そして、ホテル、これもget outとのこと。それで、午前4時からショッピング・センター(shopping center)で午前5時迄。ステージで横になると、これもまずいです。
結局、午前5時から、ストリート(street)を見に行きますが、ベルリン市制750年祭典はやっていませんでした。
学部生の頃、海外で、日本人商社マンから、夜間に、その街に着いたら、兎に角(とにかく)駅前のホテルに泊まってしまうことだと言われたことを、今、思い出しています。この前年(昭和62年夏)、独(ドイツ)のフランクフルトに、夜間、着きましたときには、駅前のビジネス・ホテルのシングルに泊まりました。旅に慣れてくると、甘く考えてしまうことは、時として戒(いまし)めなければなりません。日本でしたら、在日外国人から警官によくされていると聞かされるように、職務質問されていたかもしれません。
若いうちに出来る経験であると思われました。
西ベルリンでは、美術館が充実していますのに、美術館巡りどころでは御座いませんでした。帰国後、再度ガイドブックを見て、西ベルリン迄来て、旧・大日本帝国大使館を見ないのは勿体ない、との旨の記述を見付けましたが、その通りであると思いました。
そして、東ベルリンに入りました。機会がありまして、宜敷(よろし)ければ、続きを記させて頂きます。唯々感謝。(^-^)
(義務教育の方々に 美しい日本語を 正しい読み方で 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名を付けております)
本日も、最後 迄 お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)