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さて、去る 6年前の11月4日(日)の「お墓参り・2」のブログの冒頭に、
「(前略)去る10月25日(木)の『お墓参り』のブログの上段に、
『(前略)去る3月3日(土)の【母親の入院・続報6(お見舞い)】のブログの下段に、
【(前略)去る 一昨年の6月29日(水)の〖歯科受診・続報5〗のブログの上段に、
〖(前略)去る6月9日(木)の〔歯科受診・続報4(義捐金)〕のブログの上段に、
〔(前略)いつもは この受診の帰りに 回り道をして、去る3月18日(金)の〘彼岸(墓参)〙のブログ、去る9月21日(月)の〘墓参〙のブログ そして 去る3月28日(土)の〘お墓参り〙のブログ に記させて頂きました お墓に お参りするのですが、今回は 前述のように 雨が降っていましたので、控えました。 次の機会に と思いました。(後略)〕と記させて頂きました。なお、今回は、お墓に お参りしました。そして、 一昨々日 すなわち 6月26日(日)の〔父親の米寿祝い〕のブログに記させて頂きましたように、父親の米寿の お祝いをしたことを報告致しました。(後略)〗と記させて頂きました。上記のお見舞いの帰りに 回り道をして、お墓に お参りしました。それから、帰宅しました。因みに、本日も 父親のことがあるので、お墓参り以外は 真っ直ぐに帰宅しました。なお、自宅に到着したのは、午後4時35分頃でした。(後略)】と記させて頂きました。
ならびに、去る4月19日(木)の【納骨(七七日・満中陰法要)】のブログに、墓前での納骨のことを記させて頂きました。
および、去る9月2日(日)の【榊・墓参(同級生・父親の薬と食事)・6】のブログの下段やや上に、
【(前略)母親が亡くなって 半年になります。なお、一昨々日は、墓参に行きました。(後略)】と記させて頂きました。そして、本日も、墓参に行きました。 因 みに、午後4時前に 墓参を終えました。(後略)』と記させて頂きました。因 みに、去る3月6日(火)の『母親の転帰』のブログに記させて頂きましたように、去る3月5日に 母親が 亡くなりました。すなわち、明日 つまり 11月5日は 母親の月命日です。亡くなって、丁度 8ヶ月になります。なお、この月命日に関しましては、去る7月5日(木)の『物語に基づいた医療(父親の食事)』のブログの上段に、
『(前略)本日は、母親の月命日(祥月命日[御承知のように、また、去る 一昨年の4月25日(月)の【祖母の三十三回忌】のブログ そして 去る 4年前の12月4日(木)の【神社参拝】のブログのそれぞれ上段に記させて頂きましたように、一周忌以後の当月の命日のことです]を 除き 1年に 11回ある日のこと)です。(後略)』と記させて頂きました。(後略)」と記させて頂きました。
また、去る 4年前の7月23日(火)の「お墓参り・6」のブログの上段に、
「(前略)去る6月11日(火)の『お墓参り・5』のブログの上段に、
『(前略)去る3月24日(日)の【お墓参り・4(お彼岸)】のブログの上段に、
【(前略)去る 昨年の11月29日(木)の〖お墓参り・3〗のブログの下段に、
〖(前略)本日も、墓参に行きました。(後略)〗と記させて頂きました。(中略)
そして、本日も、いつものように 一人で 自転車を用いて 墓参に行きました。そのうえ、本日は、お彼岸明けです。(中略)
ところで、前述致しましたように、また、去る 昨年の3月6日(火)の〖母親の転帰〗のブログに記させて頂きましたように、母親が 亡くなりました。生前の母親と 誠に有り難いことに お墓参りに行っていたときのことは、去る 一昨年の7月6日(木)の〖墓参(両親の食事)〗のブログの上段に、
〖(前略)去る 一昨年の3月28日(土)の〔お墓参り〕のブログ の上段に、
〔(前略)お彼岸で御座いますので、母親の希望もあり、過日の休日、父方の墓参に行きました。昨年迄は、毎月、墓参致しました。個人的に毎日のように墓参していた時期もあります。霊園は最寄りの駅から離れていますので、自転車で駆け付けました。母親は自宅からタクシーで来ますので、前日に打ち合わせをしていました。(後略)〕と記させて頂きました。今回は、特に お墓参りしたい という 母親の強い希望がありました。初めは 先週 参るとのことでありましたが、天気の関係で 一昨日 墓参する とのことでした。上記と同様に 途中で 生花を購入致しますので、自転車で駆け付けました。(母親は自宅からタクシーで来ますので、その前日に打ち合わせをしていました)自宅から、一昨日は 特に ヘルパー(日本語:家政婦)に付き添ってもらい、母親は タクシー(英語:taxi)で来ることになっていました。それで、予め ヘルパー(日本語:家政婦)とも 打ち合わせをしていました。因みに、ヘルパー(日本語:家政婦)によりますと 一人での介護は 不安であり 手助けが必要とのことでありましたので、往復のタクシーに 乗り降りするときには、母親の付き添いを 二人掛かりで行いました。
お墓の前で 待ち合わせる為 に、当方は、母親 と ヘルパー(日本語:家政婦)が乗るタクシーよりも 約5分前に到着しました。なお、ヘルパー(日本語:家政婦)によりますと、タクシーは 踏切で 時間が掛 かった とのことでした。因みに、女性運転手であったそうです。それから、裏道を通ったが 人の飛び出しが多くて 怖かった とのことでした。それでも、運転を飛ばしていたそうです。運転は 度胸だけでは 困る との旨でした。
そして、去る 一昨年の9月21日(月)の〔墓参〕のブログの中段やや上に、
〔(前略)誠に有り難いことに、お墓の前で合流することが出来ました。前述の、去る3月28日(土)の〘お墓参り〙のブログ の中段やや上に、
〘(前略)母親と合流致しましたら、母親は帽子を被っていませんでした。天気予報によりますと、紫外線が強いので、帽子を被って対策をするようにとのことでした。そこで、当方の帽子を被らせました。(後略)〙と記させて頂きまして、その文章以降に、母親にとりまして帽子が必要な理由を述べさせて頂きました。そこで、今回は、事前に母親に必ず帽子を持参するように伝えました。それで、帽子を被って来てくれました。母親はタクシーで来るということもあり、うっかりし易いのであるかと思われました。(中略)
ところで、近所の花屋で、生花を購入して持って行きます。以前は霊園の近くの石材店で買っていました。(中略)
また、供物、線香、ライター(英語:lighter)、バケツ(英語:bucket)、柄杓、鋏、軍手、箒、そして、墓石を磨くブラシ(英語:brush)などを、自宅から持って行きます。(後略)〕と記させて頂きました。因みに、ヘルパー(日本語:家政婦)によりますと タクシーには 車椅子を載せるだけで 一杯とのことでありましたので、自宅から持って行きました 上記の備品につきましては、当方が 自転車に載せて 運びました。

生花
(後略)〗と記させて頂きました。
さて、去る 一昨年の5月25日(木)の〖夢(両親の食事)〗のブログの上段に、
〖(前略)去る 昨年の1月9日(土)の〔ターミナル・ケア(終末期医療、終末期看護)〕のブログの上段に、
〔(前略)去る 一昨年の10月9日(木)の〘笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤小乗から大乗へ〙のブログ の上段に、
〘(前略) ターミナル・ケア(英語:terminal care)(終末期介護)の必要な患者さんでありました。(後略)〙と記させて頂きました。
一方、去る 一昨年の11月25日(火)の〘第六感(スピリチュアリティ[spirituality])〙のブログ そして 去る 一昨年の10月6日(月)の〘アゲハ蝶(スピリチュアリティ[spirituality])〙のブログ などで、スピリチュアリティ(英語:spirituality)のことを記させて頂きました。
前述のターミナル・ケアの必要な患者さんを担当させて頂いた頃から、ターミナル・ケアに スピリチュアリティを取り入れることが大切であると思われるようになりました。仏教的には、輪廻(梵語:संसार saṃsāra、英語:reincarnation)があるということであります。すなわち、この世(此岸)の終わりで 全てが終わるのではなくて、あの世(彼岸)があるということで御座います。更に 云えば、生命は 行き通している ということであります。この世(此岸)を去ることは、あの世(彼岸)の誕生ということであります。因みに、幼少の頃に聞かされたことで、天体の寿命は 数十億年以上であるのに、何故 尊厳のある人間の寿命は それに比べて 遥かに短いのであるかということであります。人間も、天体同様に、行き通すことによって それに匹敵する寿命を有しているのではないか ということで御座います。(後略)〕と記させて頂きました。通常 年を重ねますと 睡眠時間が少なくなって来ます。ヘルパー(英語:helper)(日本語:家政婦)も、早朝に目が覚めるようになった と話していました。ところが、両親を見ていますと、寝ている時間が 多くなりました。常に 近くにて 感じることですが、睡眠中に 移行する霊界と往復しているように思われました。すなわち、霊界に移行する準備をしているように感じられました。二人のヘルパー(日本語:家政婦)にも この話を致しましたら、誠に有り難いことに 納得してくれました。両親のことは 暖かく見守っていきたいと思います。(後略)〗と記させて頂きました。因 みに、母親の祥月命日は、3月5日です。そして、亡くなってから最初の月命日のみを立ち日と云います。すなわち、4月5日です。実は、この日は、母親の誕生日なのです。不思議な一致であると思われました。つまり、このことから、上記のように、あの世(彼岸)に誕生していることを教えてくれているような気が致しました。(後略)】と記させて頂きました。そして、本日も、墓参に行きました。(後略)』と記させて頂きました。それから、本日も、墓参に行きました。(後略)」と記させて頂きました。
ならびに、去る 一昨々年の3月25日(木)の「お墓参り・11」のブログの下段に、
「(前略)去る 昨年の7月26日(日)の『お墓参り・10』のブログの下段に、
『(前略)去る 昨年の9月15日(日)の【お墓参り・9】のブログの下段に、
【(前略)去る8月27日(火)の〖お墓参り・8〗のブログの下段に、
〖(前略)去る8月13日(火)の〔お墓参り・7〕のブログの下段に、
〔(前略)去る7月11日(木)の〘盂蘭盆会・前編〙のブログ、去る7月10日(木)の〘盂蘭盆会・中編〙のブログ そして 去る7月11日(木)の〘盂蘭盆会・後編〙のブログなどに、盂蘭盆会のことを記させて頂きました。 因みに、お盆の どこかで お墓参りをするならば、13日がよいと言われています。それで、本日 すなわち 13日も、墓参に行きました。(後略)〕と記させて頂きました。そして、本日も、墓参に行きました。(後略)〗と記させて頂きました。そして、本日も、墓参に行きました。 因みに、お彼岸の入りの前に お墓参りをしました。なお、そうであるにもかかわらず、大勢の交通誘導警備員が配備されていました。(後略)】と記させて頂きました。
の中段に、
【(前略)去る2月21日(金)の〖新型コロナ・ウイルス〗のブログ そして 去る5月6日(水)の〖新型コロナ・ウイルス・続報〗のブログなどに、武漢ウイルスのことを記させて頂きました。この武漢ウイルスの為や、在宅介護のことがあり、誠に申し分けないことに、なかなか 氏神神社に行っている時間を取ることが 適いませんでした。(後略)】と記させて頂きました。この武漢ウイルスの為に なかなか 墓参に行くことが 適いませんでした。そして、誠に有り難いことに、本日 漸と、墓参に行くことが出来ました。 因みに、自転車を用いて 約1時間 掛 かる某・霊園に 墓参に行くということもあり、最終的には 天気の関係もあり、日程を調整しました。上記のように、近所の花屋で、生花を購入して持って行きます。この生花も、墓参に行く前日に 用意しました。更に、上記のように 供物、線香、ライター(英語:lighter)、バケツ(英語:bucket)、柄杓、鋏、軍手、箒、そして、墓石を磨くブラシ(英語:brush)などを 自宅から持って行きますが、これらも 用意しました。

生花
本日 すなわち 墓参の当日になりました。それで、自転車で 出発しましたが、途中で 天気予報に反して 雨が降り出しました。因 みに、上記のように、最終的には 天気のこともあり、天気予報を見て 日程を調整したのでありますがね。そこで、自宅に戻って 雨具を整えました。それでも、ビショビショになりました。なお、神道の修行では、禊行として 水を被ります。当方も、18歳の10月に 某・神社で 朝4時に起きて 7日 禊行を実修しました。序で乍ら、最終日は、一人で行いました。 因 みに、上記のように ビショビショになりましたので、この禊行を実修しているようでした。なお、サイクリング自転車が 道路を飛ばしていました。そして、何か ブツブツ言っていました。
ところで、去る 一昨年の10月30日(火)の【突然の僧侶の来訪】のブログの下段に、
【(前略)去る4月19日(木)の〖納骨(七七日・満中陰法要)〗のブログの中段に、
〖(前略)僧侶に手渡す 御布施は 金5万円とのことでした。そして、御車代が 金1万円とのことでした。なお、誠に有り難いことに、この僧侶によりますと、墓石には 縦に 〔○○家〕と書くのではなくて、下の画像のように 〔南無阿弥陀仏〕と 記すのが 正式 とのことでした。(後略)〗と記させて頂きました。因みに、この〖南無阿弥陀仏〗を 名号(六字名号)と云います。(後略)】と記させて頂きました。
また、去る 一昨年の1月4日(木)の【鰻の蒲焼・37(両親の食事)】のブログの中段やや下に、
【(前略)このヘルパー(日本語:家政婦)によりますと、花瓶の水が腐らないようにする為に キッチンハイターを用いる とのことでした。そこで、これでは 塩素臭がしまして 父親が居ますので、10円玉を入れることにしました。(後略)】と記させて頂きました。すなわち、お墓用 花立ての水から 蚊が発生することを防止する為にも、同様に インターネットで検索して 教えられたように、以前から これれの花立てに それぞれ 4枚の 10円玉を入れています。ところが、これらの10円玉が なくなっていました。なお、事前に 防虫スプレーを使用しました。因みに、この霊園でも 家族連れが、防虫スプレーを用いていました。

墓前(雨が降っています)

墓前(雨が降っています)
(後略)』と記させて頂きました。
次に、去る 3月20日(土)の『お彼岸の中日(春分の日)(令和3年)』のブログを記させて頂きました。すなわち、お彼岸なのですが、なかなか 墓参に行くことが 適いませんでした。そして、誠に有り難いことに、本日 漸と、墓参に行くことが出来ました。 因みに、自転車を用いて 約1時間 掛 かる某・霊園に 墓参に行くということもあり、最終的には 天気の関係もあり、日程を調整しました。なお、去る3月21日(日)は 雨であり 家政婦も 強く降ってきたとのことでありましたので、前回 すなわち 昨年の7月26日(日)の教訓もあり、墓参に行くことが 適いませんでした。但し、今回も 当初 天気予報では 晴れだったのですが、今朝になると 曇りになっていました。そして、本日の昼過ぎには 何と 雨の予報に変わりました。それで、雨が止むのを待って 午後3時25分に 出発しました。お墓参りですから 遅くても 午後4時迄 に 到着したいと思っていましたが、何とか なりました。すなわち、誠に有り難いことに 午後4時 数分前に到着しました。序で乍ら、上記のように、近所の花屋で、生花を購入して持って行きます。この生花も、墓参に行く前日に 用意しました。当初、この花屋が、配達のことを言及しました。それで、余裕を持って 2日間の日程を伝えました。ところが、この花屋によりますと 小学校に 花を納めるので 2日間 共 に 忙しいとのことでした。それならば、家政婦とも 話に挙がったのですが、先方は 配達のことを言い出さなければいいのに と思われました。
そこで、花を 買いに行くことになりました。 因みに、¥500円を 4束で ¥2,000円でした。更に、上記のように 供物、線香、ライター(英語:lighter)、バケツ(英語:bucket)、柄杓、鋏、軍手、箒、そして、墓石を磨くブラシ(英語:brush)などを 自宅から持って行きますが、これらも 用意しました。

前日 すなわち 昨日 用意した 生花

上記の お墓参りの為 の道具

上記の お墓参りの為 の道具の一部

墓前
さて、一昨日 すなわち 3月23日(火)の『父親の内科受診の付き添い・続報11・後編』のブログの下段に、
『(前略)本日は、上記の検査結果を受け取る為に、受診しました。(後略)』と記させて頂きました。誠に有り難いことに、墓前で この検査結果を 報告しました。
そらから、中学生の遠足のときに、この霊園の最寄り駅で 解散後 お墓参りに来たことを思い出しました。 因みに、このときには 男子同級生と 共に行きました。彼の お墓は 共同墓地でした。そして、当方が墓参を終えますと、既に 彼は帰った後でした。なお、彼とは 中学2年生の音楽会のときに、共に 指揮者を担当しました。序で乍ら、彼が 自由曲で、当方が 課題曲の担当でした。 因みに、曲は 冬季札幌オリンピックのテーマ・ソングである『虹と雪のバラード』でした。そして、中学2学年 8クラスの中で、誠に有り難いことに 優勝しました。なお、何と 同級生の中には、当時 歌手で デビューしていた女子も居ました。序で乍ら、後日 英語の教師が、自由曲の指揮者の指揮は 滑らかだったとのことでした。(後略)」と記させて頂きました。
ときに、去る 昨年の9月14日(木)の「お墓参り・15(前編)」のブログの中段に、
「(前略)去る3月21日(火)の『お墓参り・14(前編)』のブログの中段に、
『(前略)去る 昨年の8月12日(金)の【お墓参り・13(前編)】のブログの中段に、
【(前略)去る 昨年の8月9日(月)の〖お墓参り・12〗のブログの下段に、
〖(前略)去る7月9日(金)の〔盂蘭盆会・奉納3・続報(令和3年)〕のブログを記させて頂きました。なお、なかなか 墓参に行くことが 適いませんでした。そして、誠に有り難いことに、本日 漸と、墓参に行くことが出来ました。すなわち、誠に有り難いことに、お盆の前に行くことが出来ました。 因みに、自転車を用いて 約1時間 掛 かる某・霊園に 墓参に行くということもあり、最終的には 天気の関係もあり、日程を調整しました。上記のように、近所の花屋で、生花を購入して持って行きます。この生花も、墓参に行く 当日に 用意しました。序で乍ら、去る8月1日(日)の〔仏花・49・後編〕のブログなどに記させて頂きました 近所の花屋であります。まず 電話をしましたら、この花屋の奥さんが出て 今度の水曜日に入るが 菊はないとのことでした。それで、有り合わせの花になることになりました。なお、家政婦によりますと、いい花とのことでした。 因みに、¥500円を 4束で ¥2,000円でした。
更に、上記のように 供物、線香、ライター(英語:lighter)、バケツ(英語:bucket)、柄杓、鋏、軍手、箒、そして、墓石を磨くブラシ(英語:brush)などを 自宅から持って行きますが、これらも 用意しました。

当日 すなわち 本日 用意した 生花
なお、上記のように 自転車を用いましたが、本日は、台風の影響で 風が 強かったです。それで、途中で 荷台に積んでいた 生花が、風で 飛ばされました。 因みに、事前に、父親に 一緒に行くかどうかを訊きました。すると、父親によりますと、暑いから 行けないとのことでした。序で乍ら、上記のように 風が 強かったので、行かなくて よかったのかもしれませんね。

墓前
(後略)〗と記させて頂きました。浄土真宗の お墓は お墓に あらず なのであります。すなわち、浄土真宗の お墓は 阿弥陀仏なのであります。
ところで、去る 4年前の3月6日(火)の〖母親の転帰〗のブログに記させて頂きましたように、母親が 亡くなりました。また、去る3月11日(金)の〖父親の転帰〗のブログに記させて頂きましたように、父親が 続いて 亡くなりました。因みに、去る 7月10日(日)の〖盂蘭盆会(父親の初盆[新盆])・前編〗のブログ、去る 7月10日(日)の〖盂蘭盆会(父親の初盆[新盆])・中編・1〗のブログ、去る 7月10日(日)の〖盂蘭盆会(父親の初盆[新盆])・中編・2〗のブログ、去る7月10日(日)の〖盂蘭盆会(父親の初盆[新盆])・後編〗のブログ そして 去る7月11日(月)の〖父親の 初盆(新盆)での 挨拶〗のブログなどに、父親の初盆(新盆)のことを記させて頂きました。なお、盂蘭盆会(旧盆)の期間に入りましたので、今回は お墓参りに行くことにしました。
次に、去る8月1日(月)の〖榊・52・後編〗のブログの中段やや下に、
〖(前略)今回も その花屋の方に、上記の 自然の甘さの 人参が含まれた りんごの100%ジュースを 感謝の印として 下の画像のように それぞれ 三人分を用意しました。
(中略)

感謝の印として 上記の花屋の方に 手渡した、自然の甘さの 人参が含まれた りんごの100%ジュースを それぞれ 三人分

感謝の印として 上記の花屋の方に 持ち帰り易いように 袋に詰めて あげた、自然の甘さの 人参が含まれた りんごの100%ジュースを それぞれ 三人分
(後略)〗と記させて頂きました。今回も その花屋の方に、上記と同様に 自然の甘さの 人参が含まれた りんごの100%ジュースを 感謝の印として 下の画像のように それぞれ 三人分を用意しました。 因みに、去る7月9日(土)の〖元・総理大臣のこと〗のブログの中段に、
〖(前略)上記の ケネディ 米国 元 大統領の暗殺のときも、個人で行われた訳ではなく C.I.A. や ダラス市長などが 関わっていることが分かっています。すなわち、C.I.A. 副長官である チャールズ・キャベルの兄弟である アール・キャベルという ダラス市長によって、最後の土壇場になって 大統領パレードのルートが変更され、狙撃し易いように 教科書倉庫ビル(この六階の窓から 狙撃が行われました)の前を通ることになった とされています。そして、この事例と似ているのは、今回の 安倍晋三 元 総理の奈良での選挙応援演説も、前日 すなわち 7日午後に急遽 決まったことであります。要するに、前日の午後に急遽 決まったのに、何故 数ヶ月前から事件を計画していた 容疑者は その場(奈良)に居合わせることが出来たのでしょうか。しかも、首都圏に比べれば、奈良は 治安が 手薄であると思われます。すなわち、米国議員の暗殺と同様に、背後には 国際金融資本家たち(左翼系ユダヤ人 そして その影響を受けた資本家たち)が存在すると思われます。つまり、政府の要人を暗殺することは 個人では難しいことであり 必ず 背後に 組織が存在するとされているのであります。序で乍ら、総理大臣経験者が銃撃されるのは、高橋是清 元 総理 以来とのことであります。(後略)〗と記させて頂きました。なお、ケネディ 米国 元 大統領の暗殺のときとの類似点を記させて頂きました。更に、類似点が見付かりました。すなわち、ケネディ 米国 元 大統領の暗殺のときのオズワルドと同様に、山上徹也 個人で行われた訳ではないということであります。つまり、元 総理大臣のときには、2発 銃声が鳴っています。要するに、背後からの 1発目は 当たりませんでした。それで、元 総理大臣が 後ろを、左から振り向いたら 左の肩に 2発目が入射して 前方の左鎖骨 辺りから 射出しています。ところが、前方の右首からも 数cm間隔で 上方から 2発 入射して 心臓や大血管に到達しているのであります。これが、致命傷のようであります。すなわち、ビルの上から プロによる 消音銃を使った 狙撃であります。つまり、上記のように、ケネディ 米国 元 大統領の暗殺のときと同様であります。要するに、同じく 前後から撃たれているということであります。すなわち、同様に 背後には 国際金融資本家たち(左翼系ユダヤ人 そして その影響を受けた資本家たち)が存在するということであります。オズワルドのように、山上徹也も 獄中で 暗殺されるかもしれません。因みに、奈良県警の警備も おかしいことばかりですね。つまり、元 総理大臣の背後に配置していたのを 前方に移したり、現場検証を 直ぐに行なわずに 数日後に行なったりすることであります。しかも、去る7月20日 自民党調査会における 警察庁答弁と 全く違う内容であります。要するに、銃弾は 見付かっていないとされていたのが、7月29日(金)の12時15分 配信の某・ニュースによりますと、銃弾 1発は 見付かっているとのことでありました。初めて報道されて 驚いたこととされています。何故 詳細を発表しないのかと言われております。なお、現 総理大臣は 知っていることである とされています。現 総理大臣に対する 見せしめという意味も あるのでありましょう。すなわち、従わなければ、元 総理大臣のようになる とのメッセージであります。
但し、これで、現 総理大臣を止めることが出来る人物が居なくなりました。現 総理大臣は 国際金融資本家たち(左翼系ユダヤ人 そして その影響を受けた資本家たち)の言い成りなのであります。序で乍ら、この現 総理大臣が 去る5月5日に 英国 ロンドンのシティで言ったことは、日本を売ることであります。因みに、国際金融資本家たち(左翼系ユダヤ人 そして その影響を受けた資本家たち)によって 仕掛けられた パンデミックで 日本のホテル、旅館 そして 企業が倒産しています。それで、外国人が 安く 日本の資産を入手しています。そして、誠に情けないことに、日本人は 外国人に使われています。
なお、F.B.I.の強制捜索を受けた トランプ 元 米国大統領が 悲壮感溢れる スピーチを伝えたとされています。序で乍ら、米国大統領選 再出馬に暗雲立ち込める中、それでも 熱い決意を託したのです。因みに、その花屋の方に このスピーチを聞いてもらいたいものと 話しました。
ところで、その花屋の方が 風が強いと言うので、話が途中になりました。すなわち、話が 尻切れ とんぼでした。

感謝の印として 上記の花屋の方に 手渡した、自然の甘さの 人参が含まれた りんごの100%ジュースを それぞれ 三人分

感謝の印として 上記の花屋の方に 持ち帰り易いように 袋に詰めて あげた、自然の甘さの 人参が含まれた りんごの100%ジュースを それぞれ 三人分
因みに、仏花の価格は、¥500円を 4束で ¥2,000円でした。
更に、上記のように 供物、線香、ライター(英語:lighter)、バケツ(英語:bucket)、柄杓、鋏、軍手、箒、そして、墓石を磨くブラシ(英語:brush)などを 自宅から持って行きますが、これらも 用意しました。

用意した 生花

上記の お墓参りの為 の道具

上記の お墓参りの為 の道具の一部
なお、今朝 お墓参りをすることにしました。因みに、上記のように 自転車を用いましたが、本日も、上記の 昨年の8月9日(月)と同様に、台風の影響で 風が 強かったです。なお、午後7時頃に到着しました。すると、自動車で お墓参りに来ている 自動車が 2台、霊園の入口の所で 停車していました。すなわち、自動車の入場は 午前7時30分からなので、それ迄 は 入れません。一方、当方は 上記のように 自転車で来ていますので、誠に有り難いことに 入ることが出来ます。勿論、出発時に このことは分かっていて、この時間に来ているのであります。序で乍ら、去る 6年前の3月18日(金)の〖彼岸(墓参)〗のブログの中段上に、
〖(前略)去る1月2日(土)の〔初詣・お節料理〕のブログ の下段に、
〔(前略)父親は、二十歳代に 肺尖カタル(肺尖部の結核性病変)に 罹患しているのです。このときは、某・製薬会社に勤めていた大叔父から、ストレプト・マイシン(抗生物質)を分けてもらって 助かったと聞かされています。(後略)〕と記させて頂きました。このとき関わった医師の お墓が近くにあります。〔個人的に 毎日のように墓参していた時期もあります。〕と前述させて頂きました。これ 迄 一人で参拝するときには 父親の恩人でありますので 必ず 立ち寄っていましたが、今回は母親と 二人ですので 二人のときは 毎回 そうしていますように 母親に 立ち寄って 参拝するかどうかを 訊きました。今 迄 母親は 今日は帰るということがありましたが、今回は 立ち寄るとのことでありました。なお、前回 この お墓に参拝致しましたときに 入れて来ました 感謝の言葉を書きました名刺が、名刺受けから 零れ落ちていました。それで、もう一度 名刺受けに入れました。(後略)〗と記させて頂きました。そして、今回も、その医師の お墓に立ち寄りました。それで、上記と同様に お蔭様で 父親が天壽を全うして 亡くなったことを報告すべく 名刺を書いて 名刺受けに入れました。因みに、上記のように 名刺が 落ちそうになるのは、名刺受けの裏側に 蓋がないからであります。なお、その医師の氏名は 従四位勲四等瑞寶章 山本一朗医学博士であり、昭和大学医学部卒業であります。序で乍ら、命日は 昭和45年4月12日であり、56歳で亡くなりました。因みに、奇しくも 本日は 月命日でありました。なお、御冥福を 心より お祈り申し上げます。序で乍ら、約70年前 23歳頃の父親が 診察室に伺いますと、その医師は 患者用のベッドで 横になっていることが 多かったとのことでした。すなわち、その医師は 多用だったのでありますね。

墓前
さて、去る 一昨々年の10月18日(金)の〖郵便局員との会話・続報2(愛国・国益)〗のブログの中段やや下に、
〖(前略)去る4月10日(水)の〔知っていること と 知らないこと〕のブログの冒頭に、
〔(前略)普通の常識では、〘悪いと知らずに犯した罪は、悪いことだと知っていて犯した罪よりも軽い〙と思われるものです。ところが、以下のような問答があります。
師:〘知って犯す罪と、知らずに犯す罪と、どちらが重いだろうか。〙
弟子:〘当然 知って犯す罪業の方が重いかと…。〙
師:〘一組の焼けた火箸が有ったとする。知って握ると、知らずに握ると、どちらが重い火傷を負うか。〙
弟子:〘知らずに握る方が、重い火傷を負います。〙
師:〘すなわち、知って犯す罪よりも、知らずに犯す罪は重いのである。〙
ときに、昨日 すなわち 4月8日(月)の〘釈尊の御生誕日(鰻の蒲焼・289[スパゲッティ・父親の食事])〙のブログ、去る 昨年の4月8日(日)の〘釈尊の御生誕日(鰻の蒲焼・95[父親の食事])〙のブログ、去る 一昨年の4月8日(土)の〘釈尊の御生誕日・仏花(両親の食事)〙のブログ、去る 一昨々年の4月8日(金)の〘釈尊の御生誕日(「日本万国博覧会」)〙のブログ そして 去る 4年前の4月8日(水)の〘 南瓜〙のブログの冒頭に、〘本日は 釈尊(お釈迦様の尊称)の御生誕日ですね。(後略)〙と記させて頂きました。なお、上記の問答の出典であります。
すなわち、阿難尊者があるとき、釈尊(お釈迦様の尊称)に 〘知って犯す罪と、知らないで犯す罪とどちらが恐ろしいのでしょうか〙と、質問したことが 〘ミリンダ王所問経〙の中に出ております。
そのとき 釈尊は、〘それは知らないで犯した罪の方が 重くて恐ろしい〙と、キッパリと答えられています。阿難尊者が その理由を尋ねると、〘おまえは 焼け火箸を 焼け火箸だ と知って握る人と、焼け火箸だと知らないで握る人と、どちらが重い恐ろしい火傷をすると思うか〙と反問されました。阿難尊者は 即座に、〘それはもちろん、焼け火箸と知らないで握った方が、より酷い火傷を致します〙と答えると、釈尊は、〘その通りである。人は自分のしていることが罪悪だと知らないために、いつもその罪を重ねることになるから、一層 罪が重く 恐ろしいのだ〙とお諭しになっています。つまり、それは 正しく 〘無知〙の為せる〘罪〙のことであったのです。
ところで、ここで、考察してみますと、知って犯すということは 本当には 分かっていなかったとも考えられます。何故ならば、本当に 分かっていれば 犯さないと思われるからです。すなわち、本当には 熱いと 分かっていない 火箸を握れば、やはり 重い火傷を負うと考えられるのです。 因みに、このことは、去る 9年前の10月8日(水)の〘親の受診に付き添っていること・1〙のブログ そして 去る 9年前の11月9日(日)の〘親の受診に付き添っていること ・2〙のブログのそれぞれ 共に中段やや上、更に、去る 8年前の2月23日(月)の〘天皇陛下行幸の君恩に浴して〙のブログの中段やや下に記させて頂きました 某・ボランティア(英語:volunteer)のサークル(英語:circle)の勉強会で、20数年前 発表したことであります。また、本日 ヘルパー(英語:helper)(日本語:家政婦)に話しましたら、誠に有り難いことに 納得してくれました。(後略)〕と記させて頂きました。 上記のように 知って犯すということは 本当には 分かっていなかったとも考えられるのです。(後略)〗と記させて頂きました。
ときに、帰りに 霊園内で 高校生位のカップルが 早朝デートをしていました。なお、上記の 知らずに犯す罪のことが思い浮かびました。(後略)】と記させて頂きました。
ところで、去る 3月5日(日)の【父親の一周忌・前編】のブログ そして 去る 3月5日(日)の【父親の一周忌・中編・4】のブログなどに記させて頂きましたように、3月5日(日)は 父親の一周忌でありました。それで、お彼岸になりましたので、お墓参りに行くことにしました。因みに、今回は、事前に下見をしておいて、スーパー マーケットで 仏花(菊の花)を購入しました。なお、仏花(菊の花)の価格は、¥657.8円(税込)を 2束で ¥1,315円(税込)でした。
更に、上記のように 供物、線香、ライター(英語:lighter)、バケツ(英語:bucket)、柄杓、鋏、軍手、箒、そして、墓石を磨くブラシ(英語:brush)などを 自宅から持って行きますが、これらも 用意しました。

用意した 生花

上記の お墓参りの為 の道具

上記の お墓参りの為 の道具の一部
次に、前述致しましたように 一昨年の8月9日(月) そして 昨年の8月12日は、台風の影響で 風が 強かったです。因みに、本日も、上記のように 自転車を用いて 午後1時15分頃 出発しましたが、台風の影響ではないものの 風が 強かったです。
なお、自転車で 車道の端 すなわち 車道外側線(白線)の歩道側(自転車専用レーン)を 左側走行しておりましたら、いきなり 中年男性が 振り返って 後方を確認せずに 歩道から車道に降りました。それで、危うく 接触しそうになりましが、回避しました。そして、自転車を停止して 振り返り 相手が無事であることを確認しました。序で乍ら、仮に 自転車ではなくて エンジン付きの車でありましたら どうなったでありましょうね。ただでは 済みませんね。
また、途中で 独り言を話している 青年男性が 居ました。
ならびに、霊園内で 大声で 言い合いをしている 母親 と その息子らしき 二人が 居ました。
さて、本日 すなわち 3月21日(火)の【神社参拝・続報14】のブログに記させて頂きましたように、本日 神社参拝を致しました。因みに、順番と致しまして まず 神社に参拝してから、霊園に行くようにしております。
ときに、本日 すなわち 3月21日(火)の【親戚からの突然の電話連絡・続報51・後編】のブログの下段に、
【(前略)姉によりますと、(中略)草を取った方が いいのと、お地蔵さんを ちょっと 束子で 擦ってあげて 汚いから とのことでありました。(後略)】と記させて頂きました。
そして、誠に有り難いことに、お墓に到着しました。ところが、下の画像のように 姉が言うような 取るべき 草もありませんでしたし、お地蔵さんも 大丈夫でありました。しかも、先日 参拝した 叔母さんも、綺麗だったとのことでありました。因みに、上記のように 昨年の8月12日にも、参拝致しております。

到着した 直後の 墓前

墓前
ところで、今回も、前述致しました 医師の お墓に立ち寄りました。それで、今回も、名刺に 言葉を書いて 名刺受けに入れました。因みに、上記のように 名刺が 落ちそうになるのは、名刺受けの裏側に 蓋がないからであります。
次に、去る 3月5日(日)の【父親の一周忌・中編・3】のブログの上段に、
【(前略)ほとんどの公立高校で 卒業式に マスクを外して出席する卒業生の姿が見られるとのニュースが入ってきました。(後略)】と記させて頂きました。そして、厚生労働省によりますと、【令和5年3月13日以降、マスクの着用は、個人の主体的な選択を尊重し、個人の判断が基本となりました。】とのことであります。にもかかわらず、しかも、屋外であるにもかかわらず、霊園で 皆 マスクをしていますね。因みに、日本では、マスク着用が習慣化してしまったようでありますね。
ときに、帰り道で 交差点の直前を 上記のように 自転車で 左側通行で 走行していましたら、前方 左の道路から 女性が 右折して 突っ込んできました。それで、危うく 右に回避行動を起こしました。
なお、自宅に到着したのが、誠に有り難いことに 午後3時半頃でありました。(後略)』と記させて頂きました。
ならびに、昨日 すなわち 9月13日(水)の『土地境界線について・続報7・前編』のブログ そして 昨日 すなわち 9月13日(水)の『土地境界線について・続報7・後編』のブログに記させて頂きました 土地家屋調査士の件、それから、去る9月1日(金)の『保険外交員・続報20・前編』のブログ そして 去る9月1日(金)の『保険外交員・続報20・中編・3』のブログなどに記させて頂きました 保険の外交員の方の件などで、8月は 一杯でありました。それで、お彼岸が近付いてきましたので、漸く お墓参りに行くことにしました。因みに、今回は、事前に下見をしておいて、スーパー マーケットで 仏花(菊の花)を購入しました。なお、仏花(菊の花)の価格のことであります。すなわち、¥657.8円(税込)を 2束 買いたかったのでありますが、1束しか ありませんでした。それで、もう1束は ¥547.8円(税込)の仏花(菊の花)にしました。序で乍ら、お墓参りに適当な 仏花(菊の花)は、この2束しかありませんでした。因みに、合計で ¥1,205.6円(税込)でした。
更に、上記のように お供物、線香、ライター(英語:lighter)、バケツ(英語:bucket)、柄杓、鋏、軍手、箒、そして、墓石を磨くブラシ(英語:brush)などを 自宅から持って行きますが、これらも 用意しました。

用意した 生花

上記の お墓参りの為 の道具

上記の お墓参りの為 の道具の一部
および、本日も、上記のように 自転車を用いて 午後0時25分頃 出発しました。 因みに、出発するときの 天気予報では 『厳重警戒・外出は炎天下を避けて』でありましたのに、帰ってきましたら、『危険・屋外での活動はなるべく控えて』になっていました。すなわち、日中の残暑が厳しかったです。なお、帰宅したのは 午後2時20分頃でありました。序で乍ら、去る 昨年の4月24日(日)の『父親の納骨(七七日・満中陰法要)(シンクロニシティ)』のブログの中段やや下に、
『(前略)その 従兄弟(男性)によりますと、ここに来る迄に 踏切が 開かなかったとのことでした。(後略)』と記させて頂きました。
また、去る3月31日(金)の『家政婦さんの入院・続報58・後編』のブログの上段に、
『(前略)その家政婦さんによりますと、まず 歩いて 小平駅迄 行ったとのことでありました。それで、小平駅の踏切は 上下線 4本が通過して 待ち時間が長いとのことでありました。(後略)』と記させて頂きました。すなわち、毎回 待ち時間が長い 踏切を通過しなければならないのでありますが、今回は 誠に 珍しいことに、往復 共に 待たずに済みました。
それから、この霊園では、芝 と 雑草が 一緒に刈られていました。それで、後日 そのことを家政婦に話しましたら、そういうものだとの旨でありました。

到着した 直後の 墓前

墓前

処理した 雑草
また、前述致しましたように、生前の母親を連れて お墓参りに来たことを思い出しました。 因みに、母親は お供物を捧げていました。そして、帰りに 直会として お供物の飲み物を飲んでいました。
しかして、持って行きました 柄杓が 壊れそうになっていました。それで、帰宅してから 修理しました。

壊れそうになった 柄杓

布テープを巻いて 修理した 柄杓
ところで、今回も、前述致しました 医師の お墓に立ち寄りました。それで、今回も、名刺に 言葉を書いて 名刺受けに入れました。因みに、上記のように 名刺が 落ちそうになるのは、名刺受けの裏側に 蓋がないからであります。
なお、帰りに 回り道をして、姉の家に 置き手紙を届けました。(後略)」と記させて頂きました。
さて、去る 昨年の11月10日(日) の「お墓参り・18」のブログの下段に、
「(前略)去る 5月10日(金)の『お墓参り・17』のブログの下段に、
『(前略)去る3月24日(日)の【お墓参り・16】のブログの下段に、
【(前略)去る 3月3日(日)の〖父親の三回忌・母親の七回忌・続報・前編〗のブログ、去る 3月3日(日)の〖父親の三回忌・母親の七回忌・続報・後編〗のブログ そして 去る 3月5日(火)の〖父親の三回忌・母親の七回忌での 挨拶〗のブログなどに記させて頂きましたように、去る3月3日(日)は 父親の三回忌・母親の七回忌でありました。それで、お彼岸になりましたので、お墓参りに行くことにしました。因みに、今回は、事前に下見をしておいて、スーパー マーケットで 仏花(菊の花)を購入しました。なお、仏花(菊の花)の価格は、¥748円(税込)を 2束で ¥1,496円(税込)でした。
更に、上記のように 供物、線香、ライター(英語:lighter)、バケツ(英語:bucket)、柄杓、鋏、軍手、箒、そして、墓石を磨くブラシ(英語:brush)などを 自宅から持って行きますが、これらも 用意しました。しかも、前回 お墓の花立が 壊れていることを見付けましたので、修理する為 の接着剤を持って行きました。

用意した 生花

用意した 生花

上記の お墓参りの為 の道具

上記の お墓参りの為 の道具の一部

お墓の花立を修理する為 の接着剤
ならびに、本日も、上記のように 自転車を用いて 午後2時2分頃 出発しました。 因みに、出発するときの 天気予報では 曇りでありましたので、レインコートを着て行きました。すると、雨が 少し パラつきました。なお、日曜日であった為 か、結構 人が 墓参に来ていました。序で乍ら、霊園のトイレに、男子小学生 二人が入ってきました。 因みに、お祖父ちゃん そして お祖母ちゃんと 一緒であり、自家用車で来ていました。なお、帰宅したのは 午後4時頃でありました。序で乍ら、前回と同様に、所要時間は 約2時間でありました。 因みに、本日は、祖母の月命日でありました。なお、上記のように 毎回 待ち時間が長い 踏切を通過しなければならないのでありますが、今回は 誠に 珍しいことに、往路は 待たずに済みました。但し、復路は 待ちました。

墓前
および、往路で 気が付いたことであります。すなわち、道路に 松の木が生えている場合は、下の画像のように 保護をして 生やしているのであります。つまり、お墓の道路 ならではか と思われました。因みに、一般道路でありましたら、こうは いきませんね。

松の木を 保護をして 生やしている様子
また、今回も、前述致しました 医師の お墓に立ち寄りました。それで、今回も、名刺に 言葉を書いて 名刺受けに入れました。因みに、上記のように 名刺が 落ちそうになるのは、名刺受けの裏側に 蓋がないからであります。なお、いつものように、お線香 と 仏花に 水をあげました。序で乍ら、〖(前略)命日は 昭和45年(1970年)4月12日であり、56歳で亡くなりました。(後略)〗と 前述致しました。因みに、墓誌を見ますと、翌年に その母親が 亡くなっています。そして、その翌々年に その父親が 亡くなっています。それから、その奥さんと思われる〖ちか〗という女性が、その21年後 すなわち 平成3年(1991年)1月12日に 78歳で 亡くなっています。なお、その医師が 亡くなったときには、その奥さんと思われる女性は 57歳(夫の1歳年上)であった ということになりますね。
それから、往路で 回り道をして、姉の家に 置き手紙を届けました。因みに、2階に 洗濯物が干されていて、自家用車がありませんでした。なお、外出しているように思われました。(後略)】と記させて頂きました。
しかも、 本日 すなわち 5月10日(金)の【歯科受診・続報19・前編】のブログ そして 本日 すなわち 5月10日(金)の【歯科受診・続報19・後編】のブログに、本日 歯科受診したことを記させて頂きました。それで、その帰りに お墓参りに行きました。 因みに、本日も、上記のように 自転車を用いて 午前9時56分頃 出発しました。なお、日中の暑さが厳しかったです。序で乍ら、下の画像のように 雑草が 一杯 えていました。そこで、その雑草の処理をしました。 因みに、上記のように 歯科受診をして、帰宅したのは 午後1時50分頃でありました。

雑草を処理して 掃除する前の状態(スギナ[土筆]が、沢山 生えていました)

雑草を処理して 掃除後の状態
そのうえ、上記のように 線香、ライター(英語:lighter)などを持って行きました。そして、焼香しました。
更に、今回も、前述致しました 医師の お墓に立ち寄りました。それで、今回も、名刺に 言葉を書いて 名刺受けに入れました。因みに、上記のように 名刺が 落ちそうになるのは、名刺受けの裏側に 蓋がないからであります。なお、いつものように、お線香 と 仏花に 水をあげました。序で乍ら、本日 すなわち 5月10日(金)の【ボールペン(捜し物)・後編】のブログの中段やや下に、
【(前略)その お墓参りのときに、ボールペンを落としてしまいました。それで、誠に有り難いことに、誠に有り難いことに、下の画像のように、そのボールペンが 芝の上に あることに気が付きました。

誠に有り難いことに、見付かった ボールペン
(後略)】と記させて頂きました。すなわち、その医師の お墓に関しまして、急ぎました。しかし乍ら、誠に有り難いことに、上記のように ボールペンが 見付かりました。
しかして、一昨日 すなわち 5月8日(水)の【親戚からの突然の電話連絡・続報60・後編】のブログの下段やや上に、
【(前略)亡くなった 叔母(三女)さんは 二つ ある内の どちらの共同墓地に埋葬されているのかどうかを訊きましたら、新しい方とのことでありました。(後略)】と記させて頂きました。それで、亡くなった 叔母(三女)さんが埋葬されている 共同墓地にも行き お参りしました。
のみならず、本日 すなわち 5月10日(金)の【本の進呈・続報124・後編(シンクロニシティ)】のブログの中段やや下に、
【(前略)その お墓参りの 序でに、上記の お寺に立ち寄りました。それで、名刺に 一筆 書いて 届けました。 因みに、本日、前述致しました 速達の特定記録郵便も、着いている筈であります。(後略)】と記させて頂きました。すなわち、その お寺にも 立ち寄りました。
加うるに、一昨日 すなわち 5月8日(水)の【親戚からの突然の電話連絡・続報60・後編】のブログの下段に、
【(前略)(姉からの)通話時間は 約15分間でありました。(後略)】と記させて頂きました。それで、この電話に対する 置き手紙を 往路で 回り道をして 直接 姉の家の郵便受けに届けました。(後略)』と記させて頂きました。
ならびに、誠に有り難いことに、¥2,000円の お花(仏花)を 供えました。因みに、夏を越したので、少し 雑草が生えていました。それで、草を取りました。誠に有り難いことであります。
および、去る10月8日(火)の『親戚からの突然の電話連絡・続報66』のブログの中段やや下に記させて頂きましたように、叔母(三女)が 共同墓地に埋葬されているのであります。それで、叔母(三女)さんが 埋葬されている 新しい方の共同墓地にも、お線香を あげさせて頂きました。誠に有り難いことであります。(後略)」と記させて頂きました。
また、お彼岸になりましたので、お墓参りに行くことにしました。因みに、今回は、事前に下見をしておいて、スーパー マーケットで 仏花(菊の花)を購入しました。なお、仏花(菊の花)の価格は、¥748円(税込)を 2束で ¥1,496円(税込)でした。
更に、上記のように 供物、線香、ライター(英語:lighter)、バケツ(英語:bucket)、柄杓、鋏、軍手、箒、そして、墓石を磨く ブラシ(英語:brush)などを 自宅から持って行きますが、これらも 用意しました。しかも、前々回 お墓の花立が 壊れていることを見付けましたので、上記のように 前回 修理しました。それで、仮に 修理する為 の接着剤を持って行きました。

用意した 生花

用意した 生花

上記の お墓参りの為 の道具

上記の お墓参りの為 の道具の一部

お墓の花立を修理する為 の接着剤
しかも、本日も、上記のように 自転車を用いて 午後12時2分頃 出発しました。 因みに、出発するときの 天気予報では 晴れで 風が強いとのことでありましたが、雨が 少し パラつきました。なお、上空に 雲がなく 晴天なのに、雨が降ってきました。序で乍ら、この季節にしては 珍しいと思われました。因みに、上記のように 強風のせいで、離れた 雨雲からの雨が降ってくるのであろうと思われました。なお、往路で、「菓子屋が 開いていない。」と 独り言を 話し乍ら、自転車に乗っている 中年女性が居ました。それで、本日 すなわち 3月17日(月)の「神社参拝・続報18」のブログに記させて頂きましたように、まず 神社参拝を行ないました。それから、お墓参りに向かいました。序で乍ら、逆は 失禮であるとされております。すなわち、昔から そうしていますが、まず 神社参拝を行ない、次に お墓参りを行ないます。因みに、幼少の頃 お正月に 両親と 行動するときにも、同様に まず 神社参拝を行ない 次に お墓参りを行なっておりました。なお、月曜日でありましたが お彼岸の入りであった為 か、結構 人が 墓参に来ていました。序で乍ら、上記のように 持って来た 墓石を磨くブラシ(英語:brush)を用いて、汚れを落としました。ならびに、上記のように 持って来た お線香 そして ライター(英語:lighter)を使用しましたが、上記のように 風が強いので なかなか お線香に火が点きませんでした。因みに、上記のように 幼少の頃 家族で お墓参りに来たときに、誠に有り難いことに、父親と 一緒に お墓の隅の風除けになるところで お線香に 火を点けたことを思い出しました。なお、お花を供える前に、誠に遺憾なことに 上記の神社のところで カーネーションの花が取れてしまいましたので、その花を持って来て 一緒に 墓前に供えました。序で乍ら、誠に有り難いことに、家族の人たちが 皆で よく来てくれたと言っているのが 分かりました。因みに、帰宅したのは 午後2時頃でありました。なお、前回 そして 前々回と同様に、所要時間は 約2時間でありました。序で乍ら、上記のように 毎回 待ち時間が長い 踏切を通過しなければならないのでありますが、今回は 誠に 珍しいことに、往路・復路 共に ほとんど 待たずに済みました。誠に有り難いことであります。

誠に遺憾なことに、花が取れてしまった カーネーション

墓前(上記のように 取れてしまった カーネーションの花を 一番右の花立に生けました)
そのうえ、今回も、前述致しました 医師の お墓に立ち寄りました。それで、今回も、名刺に 言葉を書いて 名刺受けに入れました。因みに、上記のように 名刺が 落ちそうになるのは、名刺受けの裏側に 蓋がないからであります。そこで、今回は 自宅から 天然の素材の セロハン テープを持って行き、名刺受けの裏側に 貼 り付けました。なお、いつものように、お線香 と お水をあげました。序で乍ら、その医師の氏名は 前述致しましたように 従四位勲四等瑞寶章 山本一朗医学博士であり、昭和大学医学部卒業であります。それで、墓碑を見ましたら その医学博士が亡くなった 翌年 すなわち 昭和46年12月に その母親と思われる女性が亡くなっていました。因みに、去る 一昨年の12月6日(水)の「母校の教師を偲んで」のブログの下段に、
「(前略)誠に奇遇なことに、今は亡き 母親の幼少のときの名前が、同じ『智子』でありました。序で乍ら、当時は、戸籍を変えることが出来たのでありますね。 因 みに、御冥福を 心より お祈り申し上げます。(後略)」と記させて頂きました。そうして、去る 10年前の2月23日(月)の「天皇陛下行幸の君恩に浴して」のブログの中段などに記させて頂きました 某・ボランティア(英語:volunteer)のサークル(英語:circle)の関係で 同じ 朗という名前の男性が見えます。なお、父親の幼少のときの名前が、漢字は違いますが 読みが同じである 昭でありました。しかも、誠に奇遇なことに、上記の医学博士の出身大学である昭和大学の「昭」の漢字でありました。序で乍ら、前述致しましたように、昔は 現在よりも 容易に 戸籍上 名前を変えることが出来たのでありますね。因みに、霊園の水道の水が出っ放しでありましたので、蛇口を しっかり締めました。なお、「済みません。花が 落ちましたよ。」と 老夫婦を追っている 中年女性が 居ました。それで、誠に有り難いことに、前述致しました カーネーションのことを思い出しました。但し、この場合は その老夫婦が 一束の お花を落としたのでありました。そこで、その中年女性が、走って 手渡しに行ったのでありました。序で乍ら、誠に微笑ましい光景でありました。因みに、当方は 自転車の荷台から 仏花が落ちないように、下の画像の用具を使って その荷台に固定しました。

仏花が落ちないように 自転車の荷台に固定する為の用具
それから、上記のように 叔母(三女)が 合葬式墓地(共同墓地)に埋葬されているのであります。それで、叔母(三女)さんが 埋葬されている 新しい方の共同墓地にも、お線香を あげさせて頂きました。誠に有り難いことであります。因みに、お線香に 火を点けるときに、隣に居た 中年女性が、「風が強いので、点かないですね。」と 突然 話し掛けてきました。それで、「点かないですね。」と答えました。なお、いきなり 話し掛けられると、ビックリしますね。但し、一禮をして、その場を 後にしました。序で乍ら、後日 家政婦さんに尋ねられて、上記のことを話しました。すると、誠に有り難いことに、急に 話し掛けられると ビックリすることについては、同意してくれました。そして、その家政婦さんによりますと、マッチでは 直ぐ消えてしまうとのことでありました。そこで、下の画像のライターであることを伝えました。すると、ガスが 直ぐ なくなってしまう との旨でありました。それで、下の画像のライターは 直ぐに ガスが なくなることは ないが、以前 使用していた ターボ機能が付いているような ライターであると、風に強いと答えました。

今回 使用した ライター(但し、このライターは 100円ショップの製品であるが、ガスの残量が見えないので、何時 何時 使用することが 出来なくなるか分からないことが 欠点であると その家政婦さんに 伝えました)

以前 使用していた ターボ機能が付いている ライター
しかして、前述の 本日 すなわち 3月17日(月)の「神社参拝・続報18」のブログの下段に、
「(前略)今回も、上記のように 置き手紙を その神社の参拝後 直接 姉の家の郵便受けに届けました。因みに、丁度 郵便配達員も 郵便を届けに来ました。それで、当方の後に 姉の家の郵便受けに入れていました。(後略)」と記させて頂きました。すなわち、往路で 回り道をして、姉の家に 置き手紙を届けました。因みに、上記のように 叔母(三女)が 埋葬されている 合葬式墓地(共同墓地)に 参拝することを伝えました。なお、姉の家には 自家用車がありました。
(義務教育の方々に 美しい日本語を 正しい読み方で 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名を付けております)
本日も、最後 迄 お読み頂き、誠にありがとうございました。唯々感謝。(^-^)