母からの手紙

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 さて、下の画像は、38年前 すなわち 昭和57年(1982年) つまり 学部一回生のときに、誠に有り難いことに 母親から 速達で送られた手紙です。 ちな みに、お届けの消印が 下の画像のように 昭和57年7月2日ですから 丁度ちょうど 今頃の季節に 投函された手紙です。

 

 

母親からの手紙の封筒(郵便番号が 5桁の頃ですね)

 

 

 

 すなわち、誠に有り難い 手紙の内容は、

「合掌。

 梅雨の晴れ間の青空も さわやかで 大変 しのぎ良いです。お元気の御様子 なによりです。いよいよ期末テストが始まりますね。頑張って下さい。陰ながら お祈りしています。入学式の時 校長先生(亡くなりましたので、この学長にとりましては 最後の入学式になりました)が、1.健康、2.勉学、3.人を愛する人間になる事の お話をなさいました。医学に心ざす者(志す者)は 苦しい道も ありますが、選んだ道です。富士山の下で勉強出来る事は 本当に恵まれたことです。体に気をつけて 精一杯励んで下さい。夏休み 帰られる日を楽しみに待っています。屋上より 富士山の(ほう)を見ては ○○君が 元気で 勉強に クラブに 楽しく やっている姿を思っては 毎日 合掌しています。

 お父さん 始め(初め)おばあちゃんも 家中の者 皆 元気です。

 ○○達(姉のこと)も 八月に入ったら くる様です。賑やかになる事でしょう。○ちゃん(去る2月10日(月)の『リハビリテーション(父親)・79・中編・1』のブログの中段やや上に、

『(前略)去る 4年前の9月18日(日)の【北海道旅行・6( 層雲峡そううんきょう)】のブログの上段に、

【(前略)去る1月5日(火)の〖母親の新年会〗のブログ の上段に、

〖(前略)去る11月5日(木)の〘法人マイ・ナンバー〙のブログの上段に、両親は約8年前に商売を廃業したと記させて頂きました。この商売をしていたときの 住み込みの従業員(後略)〗と記させて頂きました。この親戚の長男が、上記のような住み込みの従業員として 来てくれていました。(後略)】と記させて頂きました。(中略)誠に有り難いことに 当方は この高校の普通科を卒業しましたが、この住み込みの親戚は 某・都立高校・定時制に 4年間 通いました と回答しました。(後略)』と記させて頂きました。この某・都立高校・定時制に通っていた 親戚のことです)も 七月三日より試験です。英語、数学が むずかしく わからないといっておりますが、真面目に いっています。遅刻、欠席してないのは ○ちゃんだけの様です。○○君(一橋大学・学部生のアルバイト[英語:part‐time job:ドイツ語で『労働』を意味する名詞のArbeitに由来しますが、ドイツ語で Arbeit といえば労働全般をします]です)に 学校から帰ってくると 勉強 教えてもらっていましたが、○○君の お父さん ひどい病気で 入院したので 学校を止めて 福岡に帰りました。気の毒です。もう半年で 卒業出来ますのに ○○君が 生活を支えなくてはならなくなりました。

 では、くれぐれも 体を大切にして下さい。(送り仮名がなも 含めまして、原文通り)」以上で御座 ござ います。

 

 ときに、去る 一昨年おととしの3月6日(火)の「母親の転帰」のブログに記させて頂きましたように、母親は 亡くなりました。なお、唐代の代表的詩人である杜甫とほの代表作「春望」の一節に、「家書かしょ万金ばんきんたる」と あります。まさしく 上記の手紙は この詩に相応ふさわしいと思われました。すなわち、「万金ばんきんたる」と感じられました。

 

 (義務教育の方々かたがたに 美しい日本語を 正しい読みかたで 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名ふりがなを付けております)

 本日も、最後 まで  お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)

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