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さて、去る2月27日(月)の「小学校1年生のときのこと」のブログを記させて頂きました。
また、去る1月9日(月)の「小学校1年生のとき」のブログの上段に、
「(前略)去る 5年前の8月3日(金)の『父親の食事、洗濯 そして 入浴・71』のブログの中段に、
『(前略)51年前の8月初旬 つまり 今頃の季節に、上記のように 東京都新宿区から 東京都下に 引っ越しました。このとき、朝 起きて 母親 と 姉と話したことですが、東京都新宿区に比べて 涼しかったです。それで、この話を 上記の介護福祉士の方に話しましたら、東京でも 三鷹を超えて 西側に来ますと、都心に比べて 涼しいと感じられるのだそうです。(後略)』と記させて頂きました。すなわち、夏休み中に 引っ越して、小学校1年生の2学期から 転校しました。(後略)」と記させて頂きました。 因 みに、家政婦から 小学校時代の何時 引っ越したのですかと尋ねられましたので、上記のように 小学校1年生の2学期から 転校したことを伝えました。なお、二人机の隣の席は 女子でありました。なお、この女子は 子役で 芸能活動をしていました。序で乍ら、その女子は、当時 ウルトラマン シリーズで 1回 出演の子役として 登場したことがありました。
ときに、去る4月2日(日)の「小学校1年生の担任教師のこと」のブログの下段に、
「(前略)その担任教師は、当方が 小学校6年生のときに、他校に転任しました。 因みに、そのときに、全校生徒参加の 朝礼で、その担任教師が挨拶をしました。なお、その挨拶を聞いて、個人に接する言葉遣いと 全校生徒 そして 教師を前にして 話す言葉遣いが 全く違うので 驚きました。(後略)」と記させて頂きました。
ところで、小学校1年生のときの遠足は 西武園遊園地でありましたが、下の画像のように 隣に座っている 女子であります。 因 みに、この遠足のときは 生徒 一人 に 60円分の遊園券が渡されました。それで、生徒たちは 遣り繰りをして 20円 や 30円のアトラクションを利用していました。例えば、料金 20円で、鏡と透明な板で仕切られた 迷路のアトラクションがありました。なお、調べましたら 現在 このアトラクションがある遊園地が存在しますが、料金は 400円でありました。序で乍ら、上記の担任教師は、生徒が利用しない 1回で 60円の 上空を回転する 目立つ アトラクションを 一人 で利用していました。因 みに、今 思いますと、人目を引く パフォーマンスのようでありますね。

小学校1年生のときの遠足(今 思うと、この前年から 特撮テレビ番組として 放送されていた 「忍者ハットリくん」に似た 同級生が 最前列に 居ますね。 因 みに、彼は 父兄参観日のときに、普段は 手を挙げないにもかかわらず 何度も 手を挙げていました。なお、この父兄参観日の帰宅後 参加した 母親から、よく 手を挙げていた 同級生が 居たね と言われました。序で乍ら、彼の実家は 現在でも 存在していて、古着屋の商売をしています。 因 みに、左上に 近藤君 そして 大木 智子さん、それから、右上に 中村 博一君、佐藤君、島田 斉史君 そして 倉科 登君が居ます)
ならびに、去る 8年前の10月8日(木)の「ノーベル賞 」のブログの下段に、
「(前略)前述の 仁科芳雄博士は、以前、栄光なき天才として取り上げられたこともあり、ノーベル物理学賞は受賞していません。しかし乍ら、前述の 去る8月9日(日)の『長崎原爆の日』のブログ に記させて頂きましたように、理化学研究所(理研)の仁科研究室の一員でありました朝永振一郎氏、そして、書簡によって励ましたとされる 湯川秀樹氏は、御承知のように、ノーベル物理学賞を受賞しました。前述した恩師と同様に、『賞を貰ってよかった。』と思われたことで御座いましょう。因みに、去る平成11年(1999年)、今回のノーベル物理学賞・受賞者は、この仁科記念賞も受賞しています。なお、前述の 去る8月9日(日)の『長崎原爆の日』のブログの最後に、
『(前略)去る2月14日(土)の【絵本の影響】のブログの中段やや上に、
【(前略)子供達の将来の進路の参考になるように、主に、日本の偉人伝の お話です。(後略)】と記させて頂きましたが、仁科 芳雄博士の話を致しました。同・博士は 日本の偉人として尊敬する方の一人です。因みに、同・博士の存在を知ったのは、小学生高学年のときでした。なお、誠に有り難いことに、その仁科 芳雄博士 と 漢字は違いますが、氏名の読みが 自分と同姓同名なのであります。序で乍ら、去る5月15日(金)の【記銘された氏名】のブログの上段に、
【(前略)患者さんも驚いてくれ、周囲の方々に告げてくれ、記銘されましたことは、自分と同姓同名の患者さんが見えたことでした。それ位、珍しい氏名なので御座います。(後略)】と記させて頂きました。(後略)』と記させて頂きました。同・博士の影響もあり、将来の進路を決める高校生のときに、物理学を専攻しようと思ったこともありました。その頃、間接的に同年代の高校生から、東大理科一類に入学するのは現役合格でなければならないと伺いました。数学や理論物理学の分野は、20歳代が勝負と言われています。とても現役合格は適わなかったということも、物理学を諦めた一因で御座います。このことを、医学部に入学したときに、教養課程の数学講師に話しましたら、けっしてそのようなことはないとのことでした。この数学講師のように、教養課程の教育に携わるのであれば、大丈夫のようです。前述致しましたように20歳代が勝負と言われていますのは、研究のことで御座います。そこで、趣味と致しまして物理学を勉強して来ました。(後略)」と記させて頂きました。
および、去る 8年前の8月9日(日)の「長崎原爆の日」のブログの中段やや下に、
「(前略)母校の中学校の門標は、湯川秀樹氏が揮毫したものでした。(後略)」と記させて頂きました。因みに、下の画像の 湯川洋介君の場合は、上記の 湯川秀樹氏と 苗字が同じであります。なお、彼とは 小学校1年生 と 2年生のときに 同級生であり、共に 学校を休むことがありました。それで、2年生の学期末の 終業式の 前日以前に 休んだことがありました。そして、終業式に登校しました。すると、その湯川洋介君から 「終業式だから 成績表をもらわなければならないから 来たのでしょう。」との旨を言われたことがありました。そこで、笑ったことがありました。序で乍ら、休むのは お互い様のことなのであります。

小学校1年生のときの遠足(最前列の 左から 3番目の男子は 上記の 湯川秀樹氏 と 同じ 苗字の 湯川洋介君と言います。また、前から 2列目の 左から 3番目の男子は 渡辺君と言って 同じく 遠足のときに 顔面を打撲してしまい 口から 出血していたのが印象的でありました)
次 に、昨日 すなわち 6月16日(金)の「幼稚園の思い出」のブログの中段やや上に、
「(前略)家政婦によりますと、よく 写真が入手出来ましたね とのことでありました。 因みに、小学校のときが そうでありましたが、遠足の終了後に 写真が 廊下に貼りだされて それを買うのであります。序で乍ら、そう説明致しましたら、その家政婦によりますと そうでしたとのことでありました。(後略)」と記させて頂きました。すなわち、上の画像の 小学校1年生のときの遠足の写真は、その終了後に 写真が 廊下に貼りだされて それを購入したのであります。
さて、その女子のことでありますが、中学校から 成蹊中学校に進学しました。ところが、中学2年生になって 公立2年生に 戻ってきました。 因 みに、教室が 8クラス以上もあり 教室が違いましたし 本人にとりましては そっとしておいて欲しいだろうと思われましたので、会うことはありませんでした。
(義務教育の方々に 美しい日本語を 正しい読み方で 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名を付けております)
本日も、最後 迄 お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)