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さて、去る 4年前の4月7日(火)の「訪問看護(父親)・49・中編・1」のブログの上段に、
「(前略)去る3月17日(火)の『訪問看護(父親)・48・中編・1』のブログの上段に、
『(前略)去る3月3日(火)の【訪問看護(父親)・47・中編・1】のブログの上段に、
【(前略)去る2月18日(火)の〖訪問看護(父親)・46・中編・1〗のブログの上段に、
〖(前略)去る2月12日(水)の〔笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤ 小乗から 大乗へ〕のブログの上段に、
〔(前略)R.A.(英語:rheumatoid arthritis)(文章記載当時の名称は慢性関節リウマチですが、平成18年4月から 関節リウマチと呼称が変更されました。以下、R.A.と示させて頂きます)を患っている方々の一助になれば幸いと存じまして 、去る 6年前の10月9日(木)の〘笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤ 小乗から 大乗へ〙のブログ そして 去る 4年前の1月12日(火)の〘笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤ 小乗から 大乗へ ・続報〙のブログを記させて頂きました。なお、自らも 約30年間 菜食を実践致し、安全性を 試しました。そして、父親の介護として来ている 訪問看護師の方 や 家政婦たち そして 姉など複数の方々から 本にしたらいいと勧められました。そこで、去る1月24日(金)の〘製本・委託〙のブログに記させて頂きましたように、今回、自費で 製本を委託させて頂きました。(後略)〕と記させて頂きました。そして、この製本の 最初の1号を その訪問看護師の方に進呈しました。なお、下の画像のように 本の見返しに 一筆入れました。すると、この訪問看護師の方によりますと、誠に有り難いことに、〔凄い 嬉しい。迷ったら 読みます。〕とのことでありました。序で乍ら、この訪問看護師の方によりますと、普段 自分は 何も言えないとのことでした。因みに、R.A.に罹患する 高齢の女性たちは このように 何も言えない方々が 多いので、この本を差し上げて よかった と思われました。

一筆入れて 進呈した 成書
(後略)〗と記させて頂きました。そして、本日は 別の訪問看護師の方(所長)が 来ましたが、上記と同様に 本を進呈しました。上記と同様に、下の画像のように 本の見返しに 一筆入れました。因みに、当初 この訪問看護師の方(所長)は なかなか受け取ってくれませんでしたが、誠に有り難いことに 終いには 受け取ってくれました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈した 成書
(後略)】と記させて頂きました。そして、今回も、この訪問看護師の方(所長)が見えました。それで、誠に有り難いことに、上記のように 進呈した 成書を 在籍する訪問看護ステーションに置かせてもらうとのことでした。そこで、上記のように 相手の氏名を入れて 進呈したので、個人的に 受け取って頂けましたら と伝えました。しかし乍ら、この訪問看護ステーションに置かせてもらうとのことでした。(後略)』と記させて頂きました。今回も、別の訪問看護師の方に進呈しました。すると、誠に有り難いことに、本の色がいい とのことでした。また、本の最後の印がいい とのことでした。(後略)」と記させて頂きました。
また、去る 4年前の4月14日(火)の「訪問医師・続報5(後編)」のブログの下段に、
「(前略)去る4月6日(月)の『リハビリテーション(父親)・82・後編』のブログの下段に、
『(前略)今回も、二人の理学療法士の方々に 上記の本を それぞれ進呈しました。(後略)』と記させて頂きました。それで、今回も、訪問医師の方 そして 作業療法士の科長の方(運転手)に、上記の本を それぞれ進呈しました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈した 成書
(後略)」と記させて頂きました。
ならびに、去る 4年前の6月9日(火)の「本の進呈・続報4」のブログ
の中段やや上に、
「(前略)去る5月8日(金)の『本の進呈・続報3』のブログの下段に、
『(前略)昨日 すなわち 5月7日(木)の【本の進呈・続報2】のブログの下段に、
【(前略)去る4月30日(木)の〖本の進呈・続報〗のブログの下段に、
〖(前略)去る4月15日(水)の〔本の進呈〕のブログの下段に、
〔(前略)去る 6年前の10月8日(水)の〘親の受診に付き添っていること・1〙のブログ そして 去る 6年前の11月9日(日)の〘親の受診に付き添っていること ・2〙のブログのそれぞれ共に中段やや上、更に、去る 5年前の2月23日(月)の〘天皇陛下行幸の君恩に浴して〙のブログの中段に記させて頂きました 某・ボランティア(英語:volunteer)のサークル(英語:circle)の 二人の後輩に、上記と同様に 本を進呈しました。 因 みに、速達で 郵送しました。すると、誠に有り難いことに、その内の一人 の後輩から このアメーバー・ブログのメッセージで、
〘ご無沙汰しております。
ご著書をお送りいただき、本日拝領いたしました。
ありがとうございます。
○○さんのこれまでの人生、見識をうかがい知れる内容を一冊の書籍にまとめられたこと、敬服いたします。
取り急ぎ、ご出版のお祝いと、御礼を申し上げます。(原文通り)〙と頂きました。それで、直ぐに 返信しました。(後略)〕と記させて頂きました。そして、本日、もう一人 の後輩からも、誠に有り難いことに このアメーバー・ブログのメッセージで、
〔大変ご無沙汰しております。○○です。
自宅よりご尊書を頂戴したとの報を受けました。
愚妻に細事を聞くと○○様の御著書と併せての丁寧な御手紙などを頂戴したとのことでした。
新型コロナウイルスの対策に伴う緊急事態宣言を受けて此度は帰省することを見合わせ、未だ拝読させていただくに至らない状態となってしまっており 大変申し訳ございません。本来であれば拝読させていただいてからとは思いますが 取り急ぎ御礼をさせて頂ければと思いました。
本ブログの掲載を聞くところとなりメッセージを記入させて頂きました。
新型コロナで大変な世の中になり、また介護の日々とのことでより大変かと存じますが、是非ともご自愛下さいます様お願い申し上げます。(原文通り)〕と頂きました。それで、直ぐに 返信しました。(後略)〗と記させて頂きました。そして、去る 4年前の2月11日(木)の〖数学教師〗のブログの上段に、
〖(前略)去る10月23日(金)の〔レクイエム〕のブログ の上段 そして 去る10月5日(月)の〔 硫黄島〕のブログ の下段などに、母校の某・都立高校のことを言及させて頂きました。(後略)〗と記させて頂きました。また、去る 4年前の3月27日(日)の〖文学について〗のブログ、去る 一昨々年の1月4日(水)の〖不登校のその後(ゲシュタルト崩壊)〗のブログ と 去る 一昨々年の3月6日(月)の〖父親の薬(両親の食事)・2〗のブログのそれぞれ上段、去る 一昨々年の9月27日(水)の〖切断(両親の食事・鰻の蒲焼・9)〗のブログ、去る 一昨年の3月27日(火)の〖鰻の蒲焼・88(チェロの弦・父親の食事)〗のブログ と 去る 一昨年の11月12日(月)の〖リハビリテーション(父親)・29・前編〗のブログのそれぞれ中段やや下、そして、去る 昨年の12月23日(月)の〖リハビリテーション(父親)・75・中編・1〗のブログ や 去る2月10日(月)の〖リハビリテーション(父親)・79・中編・1〗のブログのそれぞれ中段やや上にも、母校の某・都立高校のことを記させて頂きました。なお、この母校の某・都立高校の 二人の同級生にも、上記と同様に 本を進呈しました。 因 みに、速達で 郵送しました。(後略)】と記させて頂きました。すると、誠に有り難いことに、その内の一人 から 葉書が届きました。すなわち、
【目上でも 医者でもないので、○○に敬語は・・・
すばらしい本をありがとうございました。
菜食療法が体に良い事が証明される事を 自ら実行され ブログで発信されるバイタリティに敬意です。
お体に気(ここに 〖を〗が入るのであろうと思われます)付け がんばって下さい(原文通り)】と頂きました。それで、直ぐに、特定記録の郵便で 返信しようとしました。ところが、午後3時10分に、郵便局に到着しました。御承知のように、新型コロナ・ウイルスの為に 郵便窓口の営業は 午後3時迄 でありますので、 間に合いませんでした。(後略)』と記させて頂きました。
および、去る5月11日(月)の『鰻の蒲焼・621(煮物・カレーうどん・父親の食事)』のブログの中段やや上に、
『(前略)去る2月21日(金)の【新型コロナ・ウイルス】のブログ そして 去る5月6日(水)の【新型コロナ・ウイルス・続報】のブログなどに、新型コロナ・ウイルスのことを記させて頂きました。なお、家政婦によりますと、営業中であり 窓口が 二つあるにもかかわらず 郵便局で 66番目であり、25分以上も待たされたとのことでした。その為に、¥2,000円以上の余分な手当てを あげなければなりませんでした。序で乍ら、この家政婦との話で、上記の新型コロナ・ウイルスの為に、郵便局でも 通常と 全く 状況が変わっているとの内容になりました。(後略)』と記させて頂きました。
そして、去る5月26日(火)の『ドア クローザ・続報』のブログの下段に、
『(前略)その返信は 上記のように 翌日 そして 翌々日に、送ることが出来ました。
なお、その建具屋の社長にも、上記と同様に 本を進呈しました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈した 成書
(後略)』と記させて頂きました。
しかも、去る4月22日(水)の『父親の薬(神経科)・29・後編』のブログの下段やや上に、
『(前略)去る4月21日(火)の【訪問看護(父親)・50・中編・1】のブログの上段に、
【(前略)今回も、別の訪問看護師の方の分を含めて 訪問看護ステーション用と共に 二冊 進呈しました。なお、新たに来た この訪問看護師の方によりますと、誠に有り難いことに 勉強になるとのことでした。(後略)】と記させて頂きました。そして、その神経科医にも、進呈しました。因みに、今度も、下の画像のように 本の見返しに 一筆入れました。なお、去る 5年前の12月1日(火)の【姪の来訪】のブログ と 去る 4年前の7月14日(木)の【仏革命】のブログのそれぞれ上段、去る 5年前の10月2日(金)の【 金木犀の花(心の眼を開いて)】のブログ の下段、去る 5年前の4月12日(日)の【ピサ(イタリア)】のブログ の中段やや上 そして 前述の 去る 6年前の10月9日(木)の【笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤ 小乗から 大乗へ】のブログ と 去る2月17日(月)の【笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤ 小乗から 大乗へ】のブログのそれぞれ中段やや下などに言及させて頂きました カント( 独語:Immanuel Kant)( 独の哲学者 そして 思想家)は、【純粋理性批判】、【実践理性批判】、そして、【判断力批判】という【批判】と名付けられている著書を 三冊 書いています。この【批判】という言葉は 現在では、著作 や 言動の弱点 そして 欠点を指摘し 非難するといった 否定的な意味で よく使われていると言われています。ところが、【批判】の本義は そうでなく、【あるものを分かち、それぞれの分枝の意義と制約(あるいは、限界)を見定めること】とされています。ここから カントは、【批判】とは 人間の認識能力の吟味により 認識や経験を可能にさせる条件・限界などを明きらかにすることであり、人間理性の能力を画定することであるとした とされています。すなわち、吟味して 明きらかにすることですね。このことを 二人の家政婦に話しましたら、誠に有り難いことに 納得してくれました。序で乍ら、上記の三冊の著書を 一言で お伝えしますと、最初の【純粋理性批判】は、基礎であり 理論(純粋)理性についてです。次に、二番目の【実践理性批判】は、道徳についてであります。そして、最後の【判断力批判】は、美的判断力と目的判断力の吟味という形式で語られていますが 美学についてであります。このことも、家政婦に話しましたら、誠に有り難いことに 納得してくれました。

本の見返しに 一筆入れて 進呈した 成書

本の見返しに 一筆入れて 進呈した 成書
そして、去る 6年前の10月8日(水)の【親の受診に付き添っていること・1】のブログ そして 去る 6年前の11月9日(日)の【親の受診に付き添っていること ・2】のブログのそれぞれ共に中段やや上、更に、去る 5年前の2月23日(月)の【天皇陛下行幸の君恩に浴して】のブログの中段に記させて頂きました 某・ボランティア(英語:volunteer)のサークルの先輩(上記の神経科医と同じ苗字)に、上記と同様に 同時に 郵送して 本を進呈しました。

本の見返しに 一筆入れて 進呈した 成書
ところで、上記のように 昭和天皇陛下が 即位されたときに行われた 大禮の儀式に因んで作られた 和紙である 大禮紙を 用いた手紙を添えて 香奠 と 成書を手渡しました。(後略)』と記させて頂きました。
そのうえ、本日 すなわち 6月9日(火)の『鰻の蒲焼・646(カレーうどん・父親の食事)』のブログの下段などに、
『(前略)去る2月24日(土)の【三回忌・前編】のブログなどに、母親の三回忌のことを記させて頂きました。母親の この三回忌を迎え、菜食に理解を得た 母親に 感謝の気持ちを捧げさせて頂きたい と思い 【笑いと菜食療法】を 製本させて頂きました。すると、誠に有り難いことに 家政婦によりますと、今は亡き母親が 喜んでいるとのことでした。(後略)』と記させて頂きました。すなわち、この三回忌のときに、参加してくれた親戚 や 僧侶には、書状を添えて この成書を手渡しました。また、参加することが適わなかった 18ヶ所以上の親戚には、やはり 書状を添えて この成書を郵送しました。その郵送日が 去る2月27日(木)大安でした。そして、それから 約3ヶ月半が経過して 昨日、ある親戚から 誠に有り難いことに 返事がありました。
すなわち、
【(前略)○○様の 永年の ご探求の成果を たまわりながら お返事も差し上げず失礼しました。当地に於いても コロナの影響が甚大となり 都会の名古屋から 鄙の地 伊勢に ウイルスを運ぶことを怖れ 母の身を守るために 暫く ヘルパーさんに 母のケアを託しておりました。御父上様も お健やかに おすごしの ご様子 うれしいことでございます。
ご母堂様も 三回忌の ご供養をなさいましたとのこと、ありし日の お姿を思い浮かべ あらためて ご生前に お世話になったことなどを回顧し、当地から ご冥福を お祈り申し上げました。
お贈り頂きました “小乗と大乗”の御冊子、何度も拝読させていただき、とくに“患者さんの訴えが 自らの身體に投影する”、“医療は 神の祈り”“小乗的な菜食が 菜食療法として 大乗的なものになること”等の部分、深に迫る お言葉として 心に刻まさせて(五段活用動詞「刻む」の未然形には 使役の「せる」が付きます。すなわち、「刻ませる」ですので、この個所は、正しくは 「刻ませて」でありますね)いただきました。
自らの身をもって健康への途を示される お姿、ご両親への孝養の ご様子、まさに 菩薩行 そのものと 心から敬意を表します。
昨今のコロナ禍、人類に対する 天からの叱責と思わざるを得ません。
飽食、肉食を慎み、地球環境を大切に、天地万物と和解する大調和の心を 人類が とりもどすまで この神の愛の鞭は 大地を打ち続けるに違いありません。尊い教えの凝縮された冊子 大切にさせていただきます。(送り仮名も 含めまして、原文通り)(後略)』以上であります。それで、直ぐに 返信すべく、書状の作成を始めました。そして、漸く 返信が 完成したときに パソコンが 『フリーズ(英語:frieze)』しました。因みに、御承知のように、『フリーズ』とは 『凍る』や『固まる』という意味がある言葉です。それで、打ち込んだ データが 回収出来れば いいがと 祈り乍ら 作業(対処)しましたが、結局 回収出来ませんでした。そこで、最初から 作成し直さなければならなくなりました。従いまして、この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、徹夜になりました。(後略)」と記させて頂きました。
また、去る 4年前の7月12日(日)の「本の進呈・続報7・前編(シンクロニシティ)」のブログの中段やや下に、
「(前略)去る7月2日(木)の『本の進呈・続報6』のブログの下段に、
『(前略)去る6月27日(土)の【本の進呈・続報5】のブログ
の下段に、
【(前略)去る6月23日(火)の〖父親の内科受診の付き添い・続報9・後編〗のブログ
の上段に、
〖(前略)去る6月14日(日)の〔家庭用ヒート・ポンプ給湯機の故障・続報5〕のブログ
の中段やや上に、
〔(前略)去る6月9日(火)の〘本の進呈・続報4〙のブログに、母親の 三回忌を迎えるにあたり 上梓させて頂きました 成書を進呈したことを記させて頂きました。そして、そのリフォーム担当者にも、本の見返しに 一筆入れて この成書を進呈しました。(後略)〕と記させて頂きました。その内科医にも、本の見返しに 一筆入れて この成書を進呈しました。(後略)〗と記させて頂きました。すると、本日、この内科医の奥方から 葉書が届きました。
すなわち、
〖(前略)先日は、大切な ご本を賜り 誠に有り難く、感激いたしております。改めて 御礼を申し上げます。早速 拝読させていただきまして、更に 感動です。様々な分野の ご本を読まれ、研究され、そして “仙人”と お父上から言われたところでは、おもわず 〔くすっ〕と いたしました。三十年は 凄いですね。私共、先生には 及びもつきませんが 〔食〕には、気をつけてまいりたいと考えております。(送り仮名も 含めまして、原文通り)(後略)〗以上であります。
それから、一昨日 すなわち 6月25日(木)の〖鰻の蒲焼・660(天ぷら・カレーうどん・父親の食事)〗のブログのコメント1で、誠に有り難いことに、
〖(前略)30年以上 菜食を続けていらっしゃるとのこと、全て詳しく書かれていらっしゃり 大変参考になりました。(送り仮名も 含めまして、原文通り)(後略)〗と伺いました。それで、このブログ記事のコメント2で、
〖(前略)去る2月12日(水)の〔笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤ 小乗から 大乗へ・前編〕のブログの上段に、
〔(前略)自らも 約30年間 菜食を実践致し、安全性を 試しました。(後略)〕と記させて頂きました。(後略)〗と記させて頂きました。
更に、去る2月12日(水)の〖笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤小乗から大乗へ・後編〗のブログの中段やや下に、
〖(前略)誠に有り難いことに、某・ボランティアのサークルの年輩スタッフからも、高齢者が 二十年間 生きられれば、充分、ということで御座いました。
但し、前述致しましたように、最近では、若い方々にもみられるようになって来たとのことで御座いますので、二十年間でも、三十年間でも、生きている限りは、それ以上の期間、菜食にして 大丈夫ということを証明する必要が御座います。これからも、その期間を伸ばしていこうと思います。(後略)〗と記させて頂きました。
なお、飽くまでも、菜食療法は R.A.の患者さんの為の食事療法であります。
次に、芥川龍之介の作品〖杜子春〗の最後に、〖(仙人に)なれません。なれませんが、しかし わたしは なれなかったことも、かえって うれしい気がするのです。(送り仮名も 含めまして、原文通り)〗と書かれてあります。なお、去る2月12日(水)の〖笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤ 小乗から 大乗へ・前編〗のブログの下段やや上に、
〖(前略)誠に有り難いことに、新教連(新教育者連盟)(文部科学大臣認可財団法人)支部長(当時)や、同居している父親からは、〔仙人〕と言われます。(後略)〗と記させて頂きました。そして、この箇所に関しまして、上記のように 〖“仙人”と お父上から言われたところでは、おもわず 〔くすっ〕と いたしました。〗と伺いました。すなわち、上記の〖杜子春〗の言葉が、これらのことに関します回答であります。
序で乍ら、去る3月24日(火)の〖福祉用具の点検・続報5・後編〗のブログの下段に、
〖(前略)その福祉用具の貸与 と 販売の業者の方にも、この製本を進呈しました。なお、下の画像のように 本の見返しに 一筆入れました。すると、この福祉用具の貸与 と 販売の業者の方によりますと、誠に有り難いことに 自費出版は たいへんですね とのことでした。因みに、去る1月24日(金)の〔製本・委託〕のブログ の上段に、
〔(前略)誠に有り難いことに、当ブログに 度々〘いいね〙をくれる出版所の方が居ます。それで、その方に 当ブログの一話分の製本を委託しました。すると、当ブログの原稿データが ありますので、30冊で 28万円程度とのことでした。因みに、1冊 約1萬円位になりますね。(後略)〕と記させて頂きました。確かに 最初の編集ということもありますが、上記のように 1冊 約1萬円位になりますね。(後略)〗と記させて頂きました。更に 上記のように 自費出版で 追加することにしました。なお、その出版所の方によりますと、今度は 100部単位にして欲しいとのことでした。(後略)】と記させて頂きました。
しかして、本日、先方から 年賀状が送られてくるので 返事を投函していた男性から 【退職の挨拶】として 葉書が来ました。すなわち、
【(前略)この度 私は、5月31日をもちまして、退職しました。26年間の長きに亘り、皆様からのご指導とご愛念を賜りましたことを深く感謝申し上げます。これからは、初心にかえって、伝道と愛行に邁進して行きたいと思っておりますので、何卒よろしくお願い申し上げます。(送り仮名も 含めまして、原文通り)(後略)】以上であります。それで、直ぐに 返信すべく、書状の作成を始めました。因みに、上記と同様に 郵送して 本を進呈しました。なお、この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、今回も、徹夜になりました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈した 成書
(後略)』と記させて頂きました。そして、本日 御中元が届きましたので、父親の許可を得て、お返しに その成書を進呈すべく 書状の作成を始めました。(後略)」と記させて頂きました。因みに、去る 一昨々年の3月12日(木)の「アナウンサー」のブログ
の上段 そして 去る 6年前の10月30日(火)の「突然の僧侶の来訪」のブログの下段やや上などに、
「(前略)ときに、去る7月31日(火)の『アナウンサー(体温計・父親の食事)』のブログの上段に、
『(前略)去る3月17日(土)の【鰻の蒲焼・80(生花・父親の食事)】のブログの中段やや上に、
【(前略)去る 昨年の3月12日(日)の〖アナウンサー・続報(両親の食事)〗のブログの上段に、
〖(前略)去る 一昨年の9月2日(水)の〔アナウンサー〕のブログ の冒頭などに、
〔(前略)去る10月12日(日)の〘ダリアの花〙のブログ の中段に記させて頂きましたように、親戚に、N.H.K.放送センター(J.O.A.K.)の三輪秀香アナウンサーが居ます。(後略)〕と記させて頂きました。因みに、この4月から、このアナウンサーが 三年間の予定で 名古屋放送局(J.O.C.K.)へ異動することが決まりました。なお、N.H.K.放送センター(J.O.A.K.)では、誠に御苦労様でした。
ときに、去る 昨年の3月14日(月)の〔親への買い物・8〕のブログの下段 そして 去る4月13日(水)の〔ノート・パソコンの購入 ・続報 4(言葉の意味するところの違い)〕のブログの中段やや上などに、
〔(前略)親によりますと、去る9月2日(水)の〘アナウンサー〙のブログ の冒頭に記させて頂きました 親戚のアナウンサーの結婚が決まったと聞いた とのことでした。誠に おめでとう 御座います。(後略)〕と記させて頂きました。因みに、このアナウンサーは、実家が 三重にあり 長女です。父親によりますと、将来 実家に戻り 家を継ぐ為に、相手の男性が 養子になることを前提にして 結婚が許されたのだそうです。このことにつきまして、母親によりますと 〔そうなの。〕とのことでありました。なお、異動先が 実家に近い名古屋放送局で よかったのかもしれません。(後略)〗と記させて頂きました。このアナウンサーの祖母から 生花が送られて来ました。それで、お返しをしました。(中略)
送られて来た 生花(三輪家と書かれてあります)(後略)】と記させて頂きました。この祖母によりますと、【孫(このアナウンサーのこと)は、子供が出来た。】とのことでした。誠に おめでとうございます。(後略)』と記させて頂きました。上記の僧侶によりますと、このアナウンサーの 朝の番組(あさイチ)を見ていた とのことでした。(後略)」と記させて頂きました。
そして、前述の 去る 4年前の7月12日(日)の「本の進呈・続報7・前編(シンクロニシティ)」のブログの下段に、
「(前略)上記の 三輪秀香アナウンサーの芳名の『秀』の漢字を、前述致しましたように 成書を進呈すべく 書状の作成を始めた 宛名の方が、名前に持っているのであります。
更に、本日 すなわち 7月12日(日)の『家政婦への贈り物・136・中編・10』のブログ
の下段やや上に、
『(前略)父親の名前で 靖国神社・崇敬奉賛会の会員になっています。(後略)』と記させて頂きました。この靖国神社・崇敬奉賛会から 毎月、『靖国』という雑誌が 送られてきます。この『靖国』という雑誌に掲載されている 『英霊の言の葉』の今月の英霊の芳名が、その『秀』の漢字を 有しているのであります。
そのうえ、本日 すなわち 7月12日(日)の『家庭用ヒート・ポンプ給湯機の故障・続報10・前編』のブログ
に記させて頂きました、本日 来た リフォーム担当者の名前も、その『秀』の漢字を 有しているのであります。なお、本日、上記の『英霊の言の葉』を、名前に 同じ『秀』の漢字を 有しているということで このリフォーム担当者に手渡しました。
さて、去る 一昨年の9月18日(火)の『訪問看護(父親)・12・前編』のブログの中段やや下に、
『(前略)去る4月23日(土)の【親への買い物・10・続報】のブログの中段やや上に、セレンディピティ(英語:serendipity)のことを記させて頂きました。また、去る5月28日(月)の【リハビリテーション(父親)・8】のブログの中段やや上に、
【(前略)この理学療法士の方と シンクロニシティ(英語:synchronicity)(日本語訳では【共時性】)の話になりました。それで、東洋 すなわち 仏教では、因果律という 更に 深い言葉がありますね と話しました。すると、誠に有り難いことに 頷いてくれました。因みに、シンクロニシティに関しましては、去る4月28日(土)の〖姉からの連絡(シンクロニシティ)〗のブログの下段やや下に、
〖(前略)去る2月16日(金)の〔母親の入院〕のブログの上段に、
〔(前略)去る9月11日(金)の〘親への買い物・15・前編〙のブログの下段に、
〘(前略)上記の知床のことを記しましたら、このスーパー・マーケットで ⁅知床旅情⁆の曲が流れていました。それで、去る11月5日(水)の⁅くもの糸(シンクロニシティ)⁆のブログ そして 去る 昨年の7月17日(金)の⁅プチ・トマト⁆のブログ のそれぞれ上段などに記させて頂きました シンクロニシティ(英語:synchronicity)(日本語訳では⁅ 共時性⁆)のことが思い出されました。(後略)〙と記させて頂きました。この救急車を呼んだということも、このシンクロニシティのように思われました。(後略)〕と記させて頂きました。なお、不思議と 前述致しましたのは、同じ日に おば(高祖の孫)も 姉も 同じ 某・東京医科歯科大学に受診することを聞かされたからであります。正しく、上記と同様に シンクロニシティであるように思われました。(後略)〗と記させて頂きました。(後略)】と記させて頂きました。このセレンディピティ と シンクロニシティが 両方 起きたような気がしました。(後略)』と記させて頂きました。
ならびに、去る6月21日(日)の『追体験・続報(シンクロニシティ)』のブログ
の下段に、
『(前略)去る 昨年の10月17日(水)の【5年目の感謝(迷惑メール[シンクロニシティ])(父親の食事)】のブログの上段に、
【(前略)すなわち、1日違いで 両者の金3,000円という金額が同じでしたので、このシンクロニシティが起きたような気がしました。(後略)】と記させて頂きました。上記の【黒猫】につきましても、このシンクロニシティが起きたような気がしました。(後略)』と記させて頂きました。上記のように、名前に 『秀』の漢字を 持っているということが 1日に 4件 重なりました。これは、前述致しましたように、そのシンクロニシティが起きたような気がしました。しかも、この翌日、家政婦に 父親の買い物を委託しました。すると、この家政婦が 初めて 購入した店の主人の名前も、やはり その『秀』の漢字を 有しているのであります。因みに、家政婦も同意してくれましたが、『秀』の漢字を 名前に 持っている人は、そう 多くはないと思われるのでありますがね。
ときに、前述致しましたように 成書を進呈すべく 書状の作成を始めた 宛名の方に 進呈しました。因みに、上記と同様に 書状を添えて 郵送して 本を進呈しました。なお、下の画像のように 本の見返しに 一筆入れました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈した 成書
(後略)」と記させて頂きました。
また、去る 4年前の8月17日(月)の「本の進呈・続報12・後編(シンクロニシティ)」のブログの上段やや下に、
「(前略)去る8月13日(木)の『本の進呈・続報11・後編(シンクロニシティ)』のブログの中段に、
『(前略)一昨日 すなわち 8月11日(火)の【従兄弟からの突然の電話連絡】のブログの下段に、
【(前略)出席することが 適わなかった 親戚には、同様に 下の挨拶文を添えて 上記の成書を進呈すべく 郵送しました。
(中略)
本日の午後9時15分に 〖夜分に・・・〗とのことで、前述致しましたように 挨拶文を添えて 上記の成書を進呈すべく 令和二年二月二十七日(木)の消印で郵送した 親戚(従兄弟)から 初めての 電話が入りました。 因みに、母親が 亡くなったときには こちらから 電話しましたので、電話で話すのは 二年五ヶ月ぶりであります。(後略)】と記させて頂きました。この電話のときには、お送り頂きますことは お気になされませぬように と伝えました。ところが、上記のように 約半年前 すなわち 令和二年二月二十七日(木)の消印で 成書を進呈した 親戚(従兄弟)から、本日 返信がありました。
すなわち、
【先日は、執筆なさった〖笑いと菜食療法〗の御本を お送りいただき、ありがとうございました。
医学の大切さや内容については 少々難しいところもございましたが、食事の大切さ や いろいろな示唆に満ちたエピソードなど、大変おもしろく勉強になりました。また、私も 時折 料理などをすることがありますので、日頃 使っている食材等についても新たな発見がありました。今後も、参考にさせていただければと存じます。
ところで、現在、新型コロナウィルス感染症が猛威をふるっています。私は 今年度より 仙台市立○○特別支援学校の校長を拝命いたしまして、4月より勤務しておりますが、気管切開や経管栄養などの医療的ケアを有する児童生徒も在籍しており、感染予防に心を砕いているところです。日々、東京の感染者数を見て、医療に携わる皆様の ご苦労を思っております。くれぐれも ご無理なさらないように ご自愛ください。
心ばかりですが、仙台の お菓子を お送りいたしますので、どうぞ、お仏壇に お供えください。本来であれば、直接 お仏壇に お線香をあげさせていただきたいところではございますが、コロナ禍の現在、教員という職業上、県外に お伺いすることが難しい状況ですので、代わりのものを送らせていただきます。どうかご容赦ください。
この暑さで、体調を保つのも大変かと思います。おじさまにも くれぐれもよろしくお伝えくださいませ。(送り仮名も 含めまして、原文通り)】以上であります。それで、直ぐに 返信すべく、書状の作成を始めました。因みに、上記と同様に 郵送して 今度は ハード・カバーの本を進呈しました。なお、この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、今回も、徹夜になりました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈した 成書
なお、去る4月23日(木)の【上梓(笑いと菜食療法)】のブログの上段やや下に、
【(前略)30年以上前のことですが、この地域医療研究会のO.G.(保健師)が、自分の書いたものは 自分の子供のようと話していました。 因 みに、受精卵が 大事に育てられて 胎児が出産されます。なお、上記のように 今回 上梓に至った成書につきましても、同様に 受精卵のような 小さな種から 大事に育てられて 一冊の本になったという思いであり 感慨無量であります。

笑い と 菜食療法
(後略)】と記させて頂きました。(後略)』と記させて頂きました。前述致しましたように、出席することが 適わなかった 親戚には、同様に 上記の挨拶文を添えて 上記の成書を進呈すべく 郵送しました。そして、令和二年二月二十七日(木)の消印で郵送した もう一人の親戚(従兄弟)の奥方から 初めての便りがありました。
すなわち、
『謹啓
○○○○儀 去る○月○日53歳の生涯を閉じました。
いつも元気なのが 自慢の一つでしたが、本人も自覚のないまま体の負担が重なり 普段と同じような1日を過ごしたあと 静かに眠ように息をひきとりました。
葬儀、納骨は 昨今の状況を鑑みて 親族のみで滞りなく相済ませました。
謹んでお知らせ申し上げますとともに 時を共に過ごさせていただけたことを本人に代わり心より御礼申し上げます。(送り仮名も 含めまして、原文通り)』以上であります。(後略)」と記させて頂きました。
次に、去る 5年前の2月5日(木)の「お見舞いの手紙・続報・3」のブログの冒頭に、
「(前略)去る10月8日(火)の『お見舞いの手紙・続報・2』のブログの上段に、
『(前略)去る9月17日(火)の【お見舞いの手紙・続報】のブログの上段に、
【(前略)昨日 すなわち 9月16日(月)の〖お見舞いの手紙〗のブログの上段に、
〖(前略)本日 すなわち 9月16日(月)の〔一周忌のお悔やみの手紙(鰻の蒲焼・418[カレーうどん・父親の食事])〕のブログの冒頭に、
〔(前略)姉から、姉の義理の兄の一周忌のことを聞かされました。それで、読者の方々におかれましては 御承知のことであらせられますように 父親の在宅介護のことで 自宅に張り付いていなければなりませんので 参列出来ず、代わりに お悔やみの手紙を書いて 御仏前に お供えしてもらうべく 御香典を 現金書留に同封して 送りました。すなわち、このお悔やみの手紙の内容ですが、一般的な手紙にある〘頭語(書き出し)〙や〘時候の挨拶〙は不要です。お悔やみの言葉から書き始めます。そして、法要に伺えない お詫び と 理由を、出来るだけ簡潔に 短い言葉で書きます。それから、故人の お人柄 や 思い出などを書きます。次に、故人の冥福を祈る言葉を述べ、お供え や お花を 御仏前に お供え頂きたい との旨を書き添えます。ならびに、〘御自愛下さい〙、〘お身体を お大事になさって下さい〙 そして 〘御身体 お厭い下さい〙などの御遺族を気遣う言葉を書きます。および、結びの言葉 つまり 仏式の一周忌法要の場合は 結びの言葉は〘合掌〙となります。また、後付けとして 最後に、手紙を書いた日付、左下に自分の名前を記し そして 宛名を書きます。因みに、金2萬円を同封しました。なお、2は 偶数で 割り切れる数字であることから、故人 と 御遺族との縁が切れることに繋がるとされてきました。この為に、香典で 偶数の金額を包むことは、あまりよくないこととされてきました。ところが、最近では 香典に 2萬円を包むことは 特に問題ないとのことであります。序で乍ら、縦書きで 金額を書く場合は 大字と呼ばれる漢数字の旧字体を使って書くようにするとのことであります。(後略)〕と記させて頂きました。
また、このブログの中段やや下に、
〔(前略)父親によりますと、親戚に 電話をしたら、具合が悪くて 肺のKrebs( 独語)(ネガティブ[英語:negative]で御座いますし、お読み下さっている 方々に影響を お与えすることの無いように、日本語で 綴ることを控えさせて頂きましたが、以前 それではわからない と指摘を頂きましたので、日本語も併記させて頂きます。小さく記させて頂きます。がん[ 敢えて、平仮名で記させて頂きました]のことです。以下、Krebsと示させて頂きます。英語では cancerといい、独語と同様に、蟹[英語では、crabも 蟹の意味です]という意味も 御座います。この組織が 蟹の形態に似ているというところから、命名されたとのことです。よって、イメージ療法が 御座いますが、免疫担当細胞が この蟹の形態をした組織を食べる様子をイメージしたら、よいのではないか、と思われます)で 東京医科歯科大学に入院していると聞いた とのことでした。(後略)〕と記させて頂きました。それで、父親によりますと、昨日に続き 連日になりますが、お見舞いの手紙を書いて欲しい とのことでした。そこで、父親の介護のことがある中で 朝迄 掛かって、この手紙を書きました。 因みに、今回は 父親から、金3萬円を包むように言われました。なお、金3萬円であれば、上記のように 偶数では ないので、全く 問題ない と思われました。それで、上記と同様に 現金書留に同封して 速達で送りました。

上記のように 送付した お見舞い
(後略)〗と記させて頂きました。そして、本日の午後7時8分に、この親戚の お方の長女から 電話が入りました。 因みに、携帯電話に登録していない電話番号でありましたし 日没後でありましたので、誰かと思い 慌てました。なお、この長女の お方は、去る 昨年の5月6日(日)の〖弔問客の来訪・続報6〗のブログを記させて頂きました際に、誠に有り難いことに 見えた お方でした。それで、この長女の お方によりますと、この来訪以降の 昨年の6月から 診療 そして 検査が重なるようになり、上記のように 肺のKrebsで ope.(オペ・英語:operation)(手術のことです。以下、ope.と示させて頂きます)をした とのことでした。そして、高齢ということもあり 抗がん剤治療のような 積極的な治療は施さずに、緩和ケア病棟に入院している とのことでした。そこで、御承知のように 抗がん剤は 正常な細胞も 叩くので、宜しかったですね と回答しました。また、その長女の お方によりますと、両親とは 離れて暮らしている とのことでした。序で乍ら、その親戚の夫婦の方々の婚姻を 祖母が 世話をしているのです。(後略)】と記させて頂きました。
ならびに、去る 9月22日(日)の【義理の兄 と 姉の来訪・32・中編・4】のブログの中段に、
【(前略)姉によりますと、叔母(三女)が 圧迫骨折をして 7時間のope.(オペ・英語:operation)(手術のことです)をした とのことでした。そして、叔母(四女)が見ている とのことでした。因みに、姉によりますと、tuberculosis,T.B.(英語)(上記の理由で、日本語で 綴ることを控えさせて頂きましたが、日本語も併記させて頂きます。小さく記させて頂きます。結核のことで 御座います。なお、ツベルクリンは御承知のことであらせられますね。ですから、推測して頂ける英語であると存じ上げます)菌が関係しているとのことでした。(後略)】と記させて頂きました。
それで、この叔母(三女)にも、上記のように お見舞いの手紙を書かなければならないと思われました。但し、この叔母(三女)は 未亡人であり、一人住まいをしています。従って、Hp.(hospital[ホスピタル]の略です。日本語では、病院のことです。以下、Hp.と示させて頂きます)に入院していますから 自宅には 誰も居ません。その為、現金書留を用いて お見舞いを送っても、誰も 受け取る人が居ません。そこで、近くに住んでいる 叔母(四女)夫婦に 速達の現金書留で送ることにしました。因みに、今回は 父親との話で、金5萬円を包むことになりました。なお、金5萬円であれば、上記のように 偶数では ないので、全く 問題ない と思われました。

上記のように 送付した お見舞い
(後略)』と記させて頂きました。
ときに、昨日 すなわち 12月4日(水)の『石の上にも 三年』のブログの中段やや上に、
『(前略)本日の午前中 すなわち 午前9時8分に、姉から メールが入りました。(後略)』と記させて頂きました。このメールによりますと、上記の叔母(三女)の世話をしていた 叔母(四女)が、うつ病で 入院したとのことでした。それで、上記の叔母(四女)夫婦に お見舞いとして 速達の現金書留で送ることにしました。因みに、今回も 父親との話で、金5萬円を包むことになりました。

上記のように 送付した お見舞い
(後略)」と記させて頂きました。
さて、去る 4年前の9月18日(金)の「本の進呈・続報18・後編(シンクロニシティ)」のブログの下段に、
「(前略)一昨々日 すなわち 9月15日(火)の『本の進呈・続報17・後編(シンクロニシティ)』のブログの下段に、
『(前略)去る9月7日(月)の【本の進呈・続報16・後編(シンクロニシティ)】のブログの下段に、
【(前略)去る8月25日(火)の〖本の進呈・続報13・後編(シンクロニシティ)〗のブログの下段に、
〖(前略)前述の 去る8月17日(月)の〔本の進呈・続報12・後編(シンクロニシティ)〕のブログの下段に、
〔(前略)去る2月21日(金)の〘新型コロナ・ウイルス〙のブログ そして 去る5月6日(水)の〘新型コロナ・ウイルス・続報〙のブログなどに、武漢ウイルスのことを記させて頂きました。この武漢ウイルスの為や、在宅介護のことがあり、焼香に行くことが 適いませんので、上記の親戚(従兄弟)の奥方には、代わりに お悔やみの手紙を書いて 御仏前に お供えしてもらうべく 御香典を 現金書留に同封して 送りました。因みに、朝迄 掛かって、この手紙を書きました。なお、この親戚(従兄弟)は、上記の 叔母(四女)の長男なのです。序で乍ら、今回は 父親との話で、金5萬円を包むことになりました。なお、金5萬円であれば、上記のように 偶数では ないので、全く 問題ない と思われました。因みに、父親によりますと、この親戚(従兄弟)のことを 冗談を言い 面白い(人物)とのことでした。すなわち、この親戚(従兄弟)は、周囲に言われるように 剽軽だったのです。

御香典
(後略)〕と記させて頂きました。上記のように 丁重に 手紙を添えて 御香典を 現金書留に同封して 送りましたら、本日 返信が来ました。
すなわち、
〔○○(当方の苗字の漢字が、間違っていました)
この度、亡夫 ○○○○の葬儀に際しましては ご暑志(おそらく 厚志のことであると思われます。同じく 〘あつ・い〙と読みますのでね)賜り 有難うございます。心のこもった お手紙までいただき 本当に有難うございます。
周りの方々の支えと 子供たちの協力もあり
四十九日の法要と納骨もお(誤植であると思われます)滞りなく営むことができ ひとつの区切りがついたところです。
カブトムシの お兄ちゃん(当方のこと)の話は楽しかった幾度となく話していたことが思い出されます。少し短い生涯だったかもしれませんが、多くの人に愛され 幸せな一生だったと思います。
空の上からは 私たちのことは よく見えているそうですので、故人が笑って みていられるように、これからも 家族でも 力をあわせて 力強く暮らしていきたいと思っているところです。
時節柄 みなさまにおかれましては 一層のご自愛を心よりお祈り申し上げます。
○○○○家族一同(送り仮名も 含めまして、原文通り)〕以上であります。それで、直ぐに 返信すべく、書状の作成を始めました。因みに、上記と同様に 郵送して 今度は ハード・カバーの本を進呈しました。なお、この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、今回も、徹夜になりました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈した 成書
なお、去る 5年前の12月27日(日)の〔野ねずみの話 〕のブログの上段に、
〔(前略)〘言葉を集めているんだ。話の種が尽きてしまうから。〙
と答えます。(後略)〕と記させて頂きました。
誠に有り難いことに、家政婦によりますと、当方の刺激を受けて 童話を書いてみようと思うとのことでした。但し、絵は 誰かに頼むとのことでした。それで、以前も アドバイスをしたことですが、作家は 普段から 言葉を集めて メモしているとされていると伝えました。 因みに、上記の〔フレデリック―ちょっとかわった野ねずみの話〕の如くですね。(後略)〗と記させて頂きました。
しかも、去る 4年前の9月18日(日)の〖北海道旅行・6( 層雲峡)〗のブログの上段に、
〖(前略)去る1月5日(火)の〔母親の新年会〕のブログ の上段に、
〔(前略)去る11月5日(木)の〘法人マイ・ナンバー〙のブログ の上段に、両親は約8年前に商売を廃業したと記させて頂きました。この商売をしていたときの 住み込みの従業員(後略)〕と記させて頂きました。この親戚の長男が、上記のような住み込みの従業員として 来てくれていました。しかし 乍ら、その8月16日(火)のときは、旭川の実家に帰って 数年後のことでした。この親戚に 挨拶を兼ねて 訪ねました。そして、泊まらせてもらいました。この長男には、今でも、毎月 郵送物を送っています。(後略)〗と記させて頂きました。昨夜 すなわち 午後7時23分に、この親戚の長男から 留守番電話が入りました。それで、直ぐに 返信すべく、書状の作成を始めました。因みに、上記と同様に 郵送して 今度は ハード・カバーの本を進呈しました。なお、この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、今回も、徹夜になりました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈した 成書
(後略)】と記させて頂きました。すると、本日、旭川の親戚の長男から 返信が来ました。
すなわち、
【実は この度 父が 八月二十五日に 亡くなりました事を お伝え申し上げます。葬儀は 家族葬で行い 無事に終了しました。○○さんにも 連絡をさせてもらいましたが、届きませんでした。
お父様も 高齢になられ、介護の お世話になっている様子 大変 心配しています。どうぞ お大事にして下さい。
この夏、北海道に行って見たいと 楽しみにしておられ、私共も お待ちしておりましたが、コロナの影響で、残念でなりません。
お母様の三回忌と伺いましたが、おくやみにも行けず 大変申し訳ございません。心ばかりの御仏前ですが、お納め下さい。旭川に帰郷して 三十年余りが過ぎ 気憶(記憶のことであると思われます)をたどれば 思い出が沢山あります。
○○様の お手紙でも、お世話になっていた頃が なつかしく目にうかびます。
大切な御本を お送り下さり 本当にありがとうございます。
お父様の介護は 大変だとは思いますが、充分 お体を大切にして下さい。
是非 北海道に お越しの際には、旭川に お立ち寄り下さい。お待ちしております。 敬具
(送り仮名も 含めまして、原文通り)】以上であります。
そこで、上記のように 武漢ウイルスの為や、在宅介護のことがあり、焼香に行くことが 適いませんので、上記の旭川の親戚の長男に 代わりに お悔やみの手紙を書いて 御霊前に お供えしてもらうべく 御香奠を 現金書留に同封して 送りました。因みに、朝迄 掛かって、この手紙を書きました。なお、去る 一昨年の4月19日(木)の【納骨(七七日・満中陰法要)】のブログに、【七七日・満中陰法要】のことを記させて頂きました。この【七七日・満中陰法要】の前でありますので、上記のように 御霊前で 御香奠を包みました。序で乍ら、今回は 父親との話で、金5萬円を包むことになりました。因みに、金5萬円であれば、上記のように 偶数では ないので、全く 問題ない と思われました。

御香奠
(後略)』と記させて頂きました。そして、父親が、上記の旭川の親戚の長男に電話したいとのことでした。それで、今朝 電話しようと致しましたら、父親によりますと、自分で 言っておき乍ら、電話は 明日にするとのことでした。もう1度 訊いても、やはり 電話する気にならないとのことでした。そこで、時間をおいて 再度 尋ねましたら、漸く 少し 電話する気になりました、そして、本日の午前10時5分頃 電話を取り次ぎました。 因みに、父親が 三人で はとバスで東京観光したときに、その旭川の親戚の長男 と その父親が 花魁の舞台の上に あがったことを話していました。また、父親によりますと、この旭川の親戚の長男に 結婚するように話していました。なお、電話を切った後 父親によりますと、この旭川の親戚の長男は 来年 来ると言っていたとのことでした。序で乍ら、この後 この旭川の親戚の長男の携帯電話から 本日の午後0時27分頃 電話が入りましたが、7秒で切れてしまいました。 因みに、スマートフォンでは よくあることですが、押し間違えたのであるか と思われました。何故ならば、連絡する気があるのであれば、その後 もう1度 掛かってくる筈であると思われたからであります。ところが、掛かってきませんでした。なお、本日の午後3時頃になって 家政婦に この話をしましたら、相手は 電話を掛けてきたのではないかとのことでした。(後略)」と記させて頂きました。
ところで、去る 4年前の12月15日(火) の「本の進呈・続報24・中編(シンクロニシティ)」のブログの下段に、
「(前略)一昨日 すなわち 12月14日(月)の『本の進呈・続報23・後編(シンクロニシティ)』のブログの下段に、
『(前略)昨日 すなわち 12月13日(日)の【本の進呈・続報22・後編(シンクロニシティ)】のブログの下段に、
【(前略)昨日 すなわち 12月12日(土)の〖本の進呈・続報21・後編(シンクロニシティ)〗のブログの下段に、
〖(前略)去る10月16日(金)の〔本の進呈・続報20・後編(シンクロニシティ)〕のブログの下段に、
〔(前略)本日 すなわち 10月16日(金)の〘父親の食事(カレーうどん)、洗濯 そして 入浴・186〙のブログの中段やや下に、
〘(前略)その 一昨日の清拭後 上記のように 父親は 微熱があるにもかかわらず、急に 隣の家に電話をしたいと言い出しました。しかし乍ら、以前も 父親に伝えたことですが、この隣の家には 固定電話がないので 調べても分からないのです。それで、今回も そのことを伝え、微熱があるので 休んだ方がいいと話しました。ところが、当方が 父親の洗濯をしている間に 父親は 隣の家に 電話が通じないからと 訊きに行ってしまいました。そこで、そのことが 昨日 分かり、早速 すなわち 昨日の午前11時2分に、お詫びの電話を掛けました。(後略)〙と記させて頂きました。そして、その隣の家に、お詫びの書状を添えて 上記と同様に 郵送して 本を進呈しました。 因みに、下の画像のように 本の見返しに 一筆入れました。なお、家政婦によりますと、〘態々〙とのことでした。序で乍ら、この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、今回も、徹夜になりました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈した 成書
(後略)〕と記させて頂きました。そして、昨日、年賀状欠礼の葉書が届きました。 因みに、今年は、4枚目です。既に、年賀状の宛名迄 印刷しまして、12月15日を過ぎたら 投函するところでしたので、誠に勿体ないことに この年賀状は 無駄になってしまいました。なお、この葉書を含めまして 2世帯に それぞれ 書状を添えて 上記と同様に 郵送して 本を進呈しました。序で乍ら、この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 朝になりました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈した 成書(1世帯目)

上記と同様に 一筆入れて 進呈した 成書(1世帯目)

上記と同様に 一筆入れて 進呈した 成書(2世帯目)

上記と同様に 一筆入れて 進呈した 成書(2世帯目)
(後略)〗と記させて頂きました。それから、昨日も、年賀状欠礼の葉書が届きました。 因みに、今年は、これで 5枚目です。既に、年賀状の宛名迄 印刷しまして、やはり 上記と同様に 12月15日を過ぎたら 投函するところでした。それで、誠に勿体ないことに、この年賀状は 無駄になってしまいました。なお、この葉書を送ってきた世帯にも、書状を添えて 上記と同様に 郵送して 本を進呈しました。序で乍ら、この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 朝になりました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈した 成書
(後略)】と記させて頂きました。前述致しましたように 書状を添えて 上記と同様に 郵送して 本を進呈しました 世帯から、昨日の午後6時26分頃 電話が入りました。因みに、この電話によりますと、昨日の午前0時41分に 母親が亡くなったとのことでした。なお、父親によりますと、【死んだの】とのことでした。それで、上記のように お悔やみの手紙を書いて 御霊前に お供えしてもらうべく 御香奠を 現金書留に同封して 速達で 送りました。序で乍ら、今回は 父親との話で、金1萬円を包むことになりました。因みに、金1萬円であれば、上記のように 偶数では ないので、全く 問題ない と思われました。なお、この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 朝になりました。

御香奠
(後略)』と記させて頂きました。
また、昨日も、年賀状欠礼の葉書が届きました。 因みに、今年は、これで 6枚目です。既に、年賀状の宛名迄 印刷しまして、やはり 上記と同様に 12月15日を過ぎたら 投函するところでした。それで、誠に勿体ないことに、この年賀状は 無駄になってしまいました。なお、この葉書を送ってきた世帯にも、父親によりますと 自分の従兄弟だから とのことであり 父親から委託されて、上記のように お悔やみの手紙を書いて 御霊前に お供えしてもらうべく 御香奠を 現金書留に同封して 速達で 送るべく用意しました。序で乍ら、今回は 父親の話で、金1萬円を包むことになりました。因みに、金1萬円であれば、上記のように 偶数では ないので、全く 問題ない と思われました。なお、この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 朝になりました。

御香奠
(後略)」と記させて頂きました。
ときに、去る 4年前の2月16日(水)の「本の進呈・続報25・後編(シンクロニシティ)」のブログの中段やや上に、
「(前略)明後日 すなわち 12月18日(金) の『父親の食事(カレーうどん)、洗濯 そして 入浴・195』のブログの中段に、
『(前略)この介護福祉士の方によりますと、膝のope.(オペ・英語:operation)(手術のことです。以下、ope.と示させて頂きます)をするので、2月から 2ヶ月間 休むとのことでした。 因みに、去る2月21日(金)の【新型コロナ・ウイルス】のブログ と 去る5月6日(水)の【新型コロナ・ウイルス・続報】のブログなどに、武漢ウイルスのことを記させて頂きました。なお、その介護福祉士の方の主任から、電話が入りました。すなわち、武漢ウイルスのことで 大勢が押しかけても いけないので、1名の介護福祉士の方(非常勤)が 引き継ぎ(申し送り)の為に来るとのことでした。(後略)』と記させて頂きます。それで、この介護福祉士の方(非常勤)に 成書を進呈すべく 用意しました。そして、序でに、甥にも 成書を進呈すべく 用意しました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)」と記させて頂きます。
ならびに、去る 一昨々年の1月1日(金)の「本の進呈・続報28・後編(シンクロニシティ)」のブログの中段やや上に、
「(前略)去る 昨年の12月28日(月)の『本の進呈・続報27・後編(シンクロニシティ)』のブログの下段に、
『(前略)一昨日 すなわち 12月26日(土)の【本の進呈・続報26・後編(シンクロニシティ)】のブログの下段に、
【(前略)一昨々日 すなわち 12月23日(水)の〖親戚からの突然の電話連絡・続報11〗のブログの下段に、
〖(前略)昨日の 遅い時間帯 すなわち 午後9時41分頃に、親戚から 固定電話に 突然の電話が入りました。それで、留守番電話に メッセ-ジが残されていました。すなわち、〔叔父さんは・・・〕との 父親の近況を知りたい様子の内容でした。そこで、今朝、父親に電話するかどうかを訊きました。ところが、本日 すなわち 12月23日(水)の〔父親のこと・続報29〕のブログの下段に、
〔(前略)本日の午前中も 父親によりますと、〘身體が えらい。〙とのことでした。それで、本日の午前9時5分頃に 父親の検温をしましたら、誠に有り難いことに 父親の体温は 36.8℃でありました。因みに、平熱ですが、大事にしてもらっています。(後略)〕と記させて頂きましたように、父親によりますと、後にして とのことでした。それから、父親は、食事をしました。そして、父親に電話するかどうかを 3回目に訊きましたときに、渋々 電話するとのことでした。従って、本日の午前10時27分に、電話しました。すると、この親戚によりますと、娘が インドネシアに移住しているとのことでした。しかも、コロナ禍のことがあり 東京へは行けないとのことでした。序で乍ら、誠に有り難いことに、日本 と インドネシアの関係は いいですね。因みに、インドネシアの準国歌は、〔愛国の花〕という 日本の歌であります。そのうえ、誠に有り難いことに、インドネシア語で歌うのではなく、日本語で歌われているのであります。
なお、先方から そろそろとのことでありましたので、当方から 〔どうぞ よい年の瀬を お過ごし下さり、良い お年を お迎えになられて下さい。〕と伝えました。(後略)〗と記させて頂きました。
および、上記のように、直ぐ お悔やみの手紙を書いて 御霊前に お供えしてもらうべく 御香奠を 現金書留に同封して 速達で 送りました。すると、去る12月17日(木)の午前10時48分に、固定電話の留守番電話に メッセ-ジが残されていました。
それで、電話が掛かってきました 2世帯 と 年賀状欠礼の葉書が届きました世帯を含めまして 親戚 3世帯に、それぞれ 書状を添えて 上記と同様に 郵送して 本を進呈しました。 なお、この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 朝になりました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)】と記させて頂きました。本日、上記の 親戚 3世帯に郵送した 本が届きました。すると、本日の 遅い時間帯 すなわち 午後8時34分 そして 同・9時33分頃に、その内の 1世帯の親戚から 固定電話の留守番電話に メッセ-ジが残されていました。それで、父親は 電話をしなくていいのではないか とのことでありまして なかなか 電話をしようとしませんでしたが、折返し 12月28日(火)の午前11時頃に 電話しました。すると、父親の2歳上の甥は、その息子によりますと 寝たきり状態であり 歩くことも出来ないとのことでした。そして、尿を取っている とのことでした。それから、その息子の嫁は 岐阜から嫁いでいるとのことでした。
ところで、昨日も、年賀状欠礼の葉書が届きました。 因みに、今年は、これで 7枚目です。既に、年賀状の宛名迄 印刷しました。そして、年賀郵便特別扱い初めである 12月15日を とうに過ぎていますので、投函してしまいました。しかも、この年賀状欠礼の葉書が来た為に、郵便局に行かなければならなくなりました。それから、書状を添えて 上記と同様に 郵送して 本を進呈しました。 なお、この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 朝になりました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)』と記させて頂きました。それから、去る 7年前の10月5日(日)の『ボランティア・高尾山登山 』のブログ そして 去る 6年前の1月21日(水)の『ボランティア・高尾山登山・その2』のブログなどに記させて頂きましたスタッフたち すなわち 追加で 2世帯に、それぞれ 書状を添えて 上記と同様に 郵送して 本を進呈しました。 なお、この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 朝になりました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)」と記させて頂きました。
および、去る 一昨々年の1月19日(火)の「本の進呈・続報33・後編(シンクロニシティ)」のブログの中段やや下に、
「(前略)一昨日 すなわち 1月17日(日)の『本の進呈・続報32・後編(シンクロニシティ)』のブログの下段に、
『(前略)去る1月5日(火)の【本の進呈・続報31・後編(シンクロニシティ)】のブログの下段に、
【(前略)昨日 すなわち 1月4日(月)の〖本の進呈・続報30・後編(シンクロニシティ)〗のブログの下段に、
〖(前略)昨日 すなわち 1月3日(日)の〔本の進呈・続報29・後編(シンクロニシティ)〕のブログの下段に、
〔(前略)去る 7年前の10月8日(水)の〘親の受診に付き添っていること・1〙のブログ や 去る 7年前の11月9日(日)の〘親の受診に付き添っていること ・2〙のブログのそれぞれ 共に中段やや上、更に、去る 6年前の2月23日(月)の〘天皇陛下行幸の君恩に浴して〙のブログの中段に記させて頂きました 某・ボランティア(英語:volunteer)のサークル(英語:circle)の後輩に、上記と同様に 書状を添えて 本を進呈しました。 因みに、いつものように 速達で 郵送しました。なお、この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 朝になりました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)〕と記させて頂きました。そして、母校の皮膚科学教室の助教授(当時の名称・現在では、准教授と言われますね) そして 去る 7年前の10月8日(水)の〔親の受診に付き添っていること・1〕のブログ や 去る 7年前の11月9日(日)の〔親の受診に付き添っていること ・2〕のブログのそれぞれ 共に中段やや上、更に、去る 6年前の2月23日(月)の〔天皇陛下行幸の君恩に浴して〕のブログの中段に記させて頂きました 某・ボランティア(英語:volunteer)のサークル(英語:circle)の後輩に、上記と同様に 書状を添えて 本を進呈しました。 因みに、いつものように 速達で 郵送しました。なお、この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 朝になりました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)〗と記させて頂きました。本日の午前11時56分に、上記のように 書状を添えて 一筆入れて 成書を進呈した スタッフから 留守番電話に メッセ-ジが残されていました。すなわち、誠に有り難いことに、〖素晴らしい本〗とのことでした。そして、〖手紙を書こうかと思ったが、電話の方が 得意なので 御免なさい。〗のことでした。(後略)】と記させて頂きました。
また、去る 昨年の11月27日(金)の【大祓の形身代・続報9】のブログの下段やや上に、
【(前略)本日の午前10時に 上記の 産土の神社の地域の氏子会役員が来る予定になっていました。それで、渡された 大祓の申込書を 奉納金 千円を添えて 手渡そうと用意していました。ところが、食事もしないで 待っていましたが、来ませんでした。それで、このようなときには 得てして このようなことがあると 家政婦に話したことであります。すなわち、去る 一昨々年の11月30日(木)の〖庭木の剪定・2(両親の食事)〗のブログの中段やや下に、
〖(前略)昨日 いきなり 母親の知人が来ました。因みに、この方の義理の息子(娘の婿)が 大宮にある埼玉栄中学校・高等学校で働いている とのことでした。なお、この方(義理の息子)とは、小学校3・4年生のときに 同級生でした。この方(義理の息子)は、小学校 そして 中学校の同窓の女性と 20歳のときに 再開して 結婚したとのことでした。勿論、同窓ですので、この女性のことも 知っています。序で乍ら、この母親の知人によりますと、その方(義理の息子)の母親が ボケてしまっている とのことでした。ならびに、この後 見舞い品を持たずに 一橋Hp.(hospital[ホスピタル]の略です。日本語では、病院のことです。以下、Hp.と示させて頂きます)に お見舞いに行く とのことでした。(後略)〗と記させて頂きました。つまり、上記の 産土の神社の地域の氏子会役員の代わりに、久しぶりに その 母親の知人である 近所の人が、歯医者帰りとのことで 当家に立ち寄りました。この人によりますと、檀那が 8年前に 亡くなったとのことでした。また、嫁が 若いのに D.M.(拉語/独語/英語:diabetes mellitus)(ネガティブ[英語:negative]で 御座いますし、お読み下さっている 方々に影響を お与えすることの無いように、日本語で 綴ることを控えさせて頂きましたが、以前、それではわからない、と指摘を頂きましたので、日本語も併記させて頂きます。小さく記させて頂きます。糖尿病のことで御座います)とのことでした。しかも、上記の義理の息子が、小平第15小学校の前に、家を建てたとのことでした。そのうえ、その 母親の知人である 近所の人によりますと、父親は 母親に 自分よりも 先に逝かないで と言っていたとのことでした。それで、感謝の印として 上記の 自然の甘さの 人参が含まれた りんごの100%ジュースなどを それぞれ 三人分 あげました。それで、その 母親の知人である 近所の人によりますと、寒いから帰るとのことでした。

感謝の印として 袋に詰めて あげた りんごの100%ジュース そして 飲み物(乳酸菌飲料)など それぞれ 三人分
(後略)】と記させて頂きました。その 母親の知人である 近所の人にも、上記と同様に 書状を添えて 本を進呈しました。 因みに、いつものように 速達で 郵送しました。なお、この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 朝になりました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)』と記させて頂きました。そして、昨日の午後2時28分に、その 母親の知人である 近所の人に、上記の成書が届きました。すると、本日の午後2時42分 と 同・3時11分に、この方から 留守番電話に 電話が入りました。それで、誠に有り難いことに、素晴らしいとのことでありました。しかも、誠に有り難いことに、振り仮名が付けられていて、とても いいとのことでした。なお、この振り仮名も 全てに付けた訳では なくて、しっかり 考えて 振りました。そして、その 母親の知人である 近所の人によりますと、途中迄 読んだ とのことでした。それから、誠に有り難いことに、息子も 読みたいと言っているとのことでした。因みに、本日 すなわち 1月19日(火)の『訪問看護(父親)・67・中編・1』のブログの下段に、
『(前略)去る 7年前の10月16日(木) の【身土不二】のブログの中段やや上に、
【(前略)小松菜は、東京都江戸川区小松川周辺が原産地です。(後略)】と記させて頂きました。その訪問看護師の方に、この身土不二の話をしました。すると、この訪問看護師の方によりますと、小松菜は 【江戸菜と言いますからね。】とのことでした。正しく その通りなのであります。(後略)』と記させて頂きました。その 母親の知人である 近所の人によりますと、上記のように その訪問看護師の方と話したばかりの 江戸川区小松川の住所の方に、その成書を あげたいとのことでした。それで、住所を知らされて 無償で この成書を進呈することになりました。その 母親の知人である 近所の人によりますと、この江戸川区東小松川 在住の方は 84歳であり、昭和54年10月6日に 知り合ったとのことでした。そして、大工の棟梁をしていたが、保証人で 引っ掛かって、現在は 月々 5万5千円の年金生活とのことでした。すなわち、お金が ない人のことでした。更に、携帯電話を持っていない人とのことでした。しかも、前立腺がんとのことでした。そのうえ、この江戸川区東小松川 在住の方は、某・宗教団体の練成会に 45日間 参加したとのことでした。おまけに、肉を食べない人とのことでした。なお、その 母親の知人である 近所の人によりますと、自分は 鶏肉を食べるとのことでした。
ならびに、その 母親の知人である 近所の人によりますと、自分は 中学校迄 しか 卒業していないとのことでした。そして、夫は亡くなったとのことでした。それから、今日は、風が強いので 外出 出来ないとのことでした。
および、この方が、昭和63年頃 姉が 悪性リンパ腫になったときのことを言及しました。このときは、当方が 母校の助教授を通して 紹介状を用意致し、姉は 東京女子医大に入院しました。因みにその 母親の知人である 近所の人によりますと、このときに その江戸川区東小松川 在住の方から 姉の祖母 と 息子が 障っていると伝えられたとのことでした。
また、その 母親の知人である 近所の人によりますと、父親と 当家の事務所で 約1時間 話したことがあるとのことでした。
しかも、上記のように、その 母親の知人である 近所の人の義理の息子(娘の婿)とは 小学校3・4年生のときに 同級生でした。因みに、上記のように、その 母親の知人である 近所の人の娘は、20歳のときに 再開して この方の義理の息子(娘の婿)となる 同級生と結婚します。その結婚式のときに、小学校3・4年生のときの担任が スピーチをしたとのことなのであります。なお、この担任は 生涯 独身でした。
そのうえ、その 母親の知人である 近所の人によりますと、現在は 廃業した 近所のスーパーマーケットで 商売をしていたとのことでした。因みに、この方の知り合いは、このスーパーマーケットで 魚屋を営んでいたとのことでした。
しかして、その 母親の知人である 近所の人によりますと、自分は 暇とのことでした。
加うるに、その 母親の知人である 近所の人によりますと、母親は 受験で 祈願して、神社に鳥居を贈ると言っていたとのことでした。それから、調理が たいへんとのことでした。
のみならず、その 母親の知人である 近所の人によりますと、孫娘は 出版関係に勤務しているとのことでした。因みに、この孫娘は 自分の本を出したかったが、まだ 出していないとのことでした。
おまけに、去る 昨年の2月21日(金)の『新型コロナ・ウイルス』のブログ と 去る 昨年の5月6日(水)の『新型コロナ・ウイルス・続報』のブログなどに、武漢ウイルスのことを記させて頂きました。そして、その 母親の知人である 近所の人が、この武漢ウイルスのことを言及していました。
そうして、去る 7年前の11月10日(月)の『らっきょう』のブログの冒頭に、
『(前略)昨日一日のおかず(菜食)は、
まず、らっきょうです。(^O^)
去る10月9日(木)の【笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤小乗から大乗へ】のブログ と 去る10月28日(火)の【スイス(海外のこと)】のブログ で言及した、母校(大学)の菜食の生前の後輩と、らっきょうの話しをしました。約29年前の話で御座います。
すなわち、
らっきょうは精神文明を発展させる為に、神が東洋人に与えた食べ物であり、一方、このらっきょう と形態が似ている ニンニクは物質文化を発達させる為に、西洋人に与えられた食べ物であるとのことで御座います。(後略)』と記させて頂きました。その 母親の知人である 近所の人によりますと、兄は 94歳5ヶ月であり、玄米食であり ニンニクを食べているとのことでした。それで、上記のように 当方は ニンニクではなく らっきょうであることを伝えました。
そして、通話で 45分以上の時間が 掛かりました。(後略)」と記させて頂きました。
また、去る 一昨々年の2月23日(火)の「本の進呈・続報39・後編(シンクロニシティ)」のブログの中段やや下に、
「(前略)去る2月3日(水)の『本の進呈・続報38・後編(シンクロニシティ)』のブログの中段やや下に、
『(前略)一昨日 すなわち 2月1日(月)の【本の進呈・続報37・後編(シンクロニシティ)】のブログの下段に、
【(前略)昨日 1月31日(日) 〖本の進呈・続報36・後編(シンクロニシティ)〗のブログの下段に、
〖(前略)去る1月21日(木)の〔本の進呈・続報35・後編(シンクロニシティ)〕のブログの下段に、
〔(前略)昨日 すなわち 1月20日(水)の〘本の進呈・続報34・後編(シンクロニシティ)〙のブログの下段に、
〘(前略)上記のように その 母親の知人である 近所の人から 江戸川区東小松川 在住の方の住所を知らされて、無償で 上記と同様に 書状を添えて その成書を進呈しました。しかも、その 母親の知人である 近所の人から 言われた 他の人も含めて 三人に送りました。因みに、いつものように 速達で 郵送しました。なお、この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 朝になりました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)〙と記させて頂きました。その 母親の知人である 近所の人から 言われた 他の人も含めて 更に 三人に送りました。因みに、いつものように 速達で 郵送しました。なお、この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 朝になりました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)〕と記させて頂きました。更に、前述致しましたように その 母親の知人である 近所の人に関係のある 一人にも、無償で 上記と同様に 書状を添えて その成書を進呈しました。因みに、いつものように 速達で 郵送しました。なお、この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 朝になりました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)〗と記させて頂きました。そして、本日、誠に有り難いことに、上記のように 成書を進呈した方から お礼の葉書が届きました。すなわち、
〖この度は、大変 素晴らしい ご本を お送り頂きまして、誠に ありがとうございます。
これから 改めて 今一度 じっくり 拝見させていただきたいと思っております。ありがとうございました。〗以上であります。それで、早速 特定記録郵便で 感謝の便りを返信しました。(後略)】と記させて頂きました。それから、本日、誠に有り難いことに、上記のように 成書を進呈した 別の方から お礼の葉書が届きました。すなわち、
【令和三年も 早や 一ヶ月 過ぎました。寒い日も 初雪もありましたが、庭の草花 水仙、クロカッス等 芽を出し 春近しの気配で教えてくれています。
先日は 貴重な論文、立派な ご本、お手紙を お送りいただき 誠にありがとうございました。何度も読ませていただきました。とても参考になりますし、勉強させていただきます。
お母様の焼き葱での保温の お話、私も 小さい頃 してもらった事思い出しました。(この〖焼き葱〗の話は、去る 昨年の2月12日(水)の〖笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤小乗から 大乗へ・中編〗のブログの上段に、
〖(前略)同・看護大学生からは、葱を頸に巻くと聞かされました。小学生のとき、母親から 一度だけ試されたことがあります。焼き葱なので、咽喉頭部の保温、更に 葱(アリシン[硫化アリル][英語: allicin]も含まれます)特有の刺激的な香気は このアリシンと云われる 揮発性の硫化物とのことなので、皮膚 そして 気道からも吸収されて 効果があるのかもしれません。(後略)〗と記させて頂きました。因みに、その方は、この個所を読んで 言及しています)
お母様は 平成29年3月まで 自宅での会に出席され お元気でした。お一人旅に よく出かけられて 京都や出雲大社に行かれた時の お話(〖聴〗であると思われます)きした事 ありました。ご姉妹 仲良く 講習会には 皆さん 参加され 会場で よく お目にかかった事 昨日のように 思い出されます。我家での会も コロナの件で 去年の二月の会が 最後で 休会が一年になりました。
ケイタイも スマホにして 始(〖初〗でありますね)めて 聞く言葉や馴れない事ばかりで 皆に聞きながら やっています。
教化部(この方は、某・宗教団体に所属していまして、その施設のことですね)でのライブ配信での講話や練成会等 視聴しています。家に 居て 真理の お話をお聞き出来るのでありがたいです。
暦の上では 立春ですが、まだ まだ寒い日があるでしょう。お父様もお元気の事と思います。どうぞ 呉々も お身体お気をつけて お過ごし下さいませ。
乱筆乱文にて失礼します。】以上であります。それで、早速 速達の特定記録郵便で 感謝の便りを返信しました。(後略)』と記させて頂きました。そして、本日も、誠に有り難いことに、上記のように 成書を進呈した方から お礼の便りが届きました。すなわち、
『先日は、【笑い と 菜食療法、、、】を送って頂きまして 有り難うございます。30年以上も 菜食を続けていらっしゃること、患者様の症状が ご自分にも 現れること、に驚きました。装飾も 綺麗で 品が有り、お洒落です。貴重な御本を 有り難うございました。どうぞ これからも お元気で ご活躍されますように お祈り申し上げます。』以上であります。それで、早速 特定記録郵便で 感謝の便りを返信しました。(後略)」と記させて頂きました。
しかも、去る 一昨々年の6月2日(水)の「本の進呈・続報44・中編・2(シンクロニシティ)」のブログの下段に、
「(前略)去る5月25日(火)の『本の進呈・続報43・後編(シンクロニシティ)』のブログの下段に、
『(前略)去る5月21日(金)の【本の進呈・続報42・中編・2(シンクロニシティ)】のブログの下段に、
【(前略)去る4月6日(火)の〖本の進呈・続報41・後編(シンクロニシティ)〗のブログの下段に、
〖(前略)去る2月25日(木)の〔本の進呈・続報40・後編(シンクロニシティ)〕のブログの下段に、
〔(前略)上記のように その 母親の知人である 近所の人から 江戸川区東小松川 在住の方の住所を知らされて、去る1月22日(金)に 無償で 上記と同様に 書状を添えて その成書を進呈しました。すると、本日 すなわち 1ヶ月以上も 経って、この江戸川区東小松川 在住の方から 電話が入りました。すなわち、
〘お礼 遅くなって 申し訳ありません。迷惑を掛け 申し訳ありません。済みません。〙以上であります。(後略)〕と記させて頂きました。
ならびに、去る 3月27日(土)の〔自転車のこと・続報〕のブログの上段に、
〔(前略)上記のように、その自転車屋に この成書を進呈しました。なお、下の画像のように 本の見返しに 一筆入れました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈した 成書
(後略)〕と記させて頂きました。
および、本日、名古屋市在住の心療内科医から、この度 開院するとの通知がありました。それで、この心療内科医に 成書を進呈すべく 用意しました。そして、書状を添えて 上記と同様に 郵送して 本を進呈しました。 因みに、いつものように 速達で 郵送しました。なお、この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 朝になりました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈した 成書
(後略)〗と記させて頂きました。
また、本日、誠に有り難いことに、上記のように 今年の初めに 成書を進呈した 別の方から お礼の葉書が届きました。すなわち、
〖(前略)年初に貴重なご本と種々資料をレターパックにて頂戴しておりまして、誠に有難うございます。
早くご返信をさせていただきたく思っておりましたが、とても遅くなりまして申し訳ございません。
ご著書の出版おめでとうございます。
有益なご著書・資料や非常に丁寧なお手紙をありがたく拝読させていただきました。
まずご著書の文字のサイズが大変大きく、これに驚きました。
私は五十歳を過ぎまして最近老眼気味になってきましたので、このような大きな文字は目に優しく、快適に読むことができました。
本来であれば文字を小さくすれば、もっとたくさん事柄を記載した本を出版することができますのに、そうされなかったことは○○様の読者へのご配慮を 感じることが出来まして、素晴らしく存じます。
内容は○○様が、かなり以前から貫かれている菜食及び医療に関するご著書でございましたね。
私は医療関係(自動校正機能で知らされて 「は」が続きますが、原文通り)は、まったくの素人でございますので、よくわからない部分もかなりあったのですが、ご著書の中でお医者様は患者の方と親和性により病を共有することがあるとのこと (ご著書の四ページ目) で、これに関しましては大変驚いた次第でございます。
ウイルスのように感染するものでないのであれば、現実では考えられないことなのかなと思っておりましたが、実際に○○様が体験されているのであれば、 誠に自分と他人の生命は繋がっていることは真実であると、そう感じる次第でございます。
菜食主義は、 大変素晴らしいと思いますが、 私共ではなかなか真似のできない事柄と思います。
私は調理・提供いただきました食事は好き嫌いなくいただいている次第でございますが、 私の家庭では子供が中学二年生と小学六年生で、 二人とも男の子ですので、 肉や魚も好んで食しております。
子供はその他にも野菜や穀物も好きですが、 上の子はかなり好き嫌いがございます。
例えばスーパーなどで売られている納豆でも製造メーカーによって好き嫌いがあります。
子供の残したものを私がもったいないと食しておりましたので、 残念ながら中年太りになってしまいました。 (これに関しましては私の健康管理の不備が最も大きな要因ですが)
子供には食事は生命をいただいているのだから、何でも感謝していただきましようと話をしております。
子供も私もまだまだ未熟な点が多々ありますが、これもまた人生と思いますので前向きに共に進んでまいりたく思っております。
さて○○○○を通じて○○様という貴重な人生の先輩を得ることが出来まして感謝しております。
○○○○は私にとって信仰と考え方の基礎となっておりますが、最近では○○○○の活動と疎遠になっておりますので、○○様とお会いする機会がなくて申し訳ございません。
そうにもかかわらず毎年年賀状の交換を続けてさせていただいているのも、二十年以上前の香港旅行のことなどご記憶いただけているのも、誠に感謝しております。
○○様ご自身の信念・情熱をもって、日々信仰を医療や生活に実践されていると拝察してして(「して」が重なってしまったようです)おります。
○○様のその信念・情熱をもってご活躍されていることにつきまして、私は陰ながら尊敬の念を持っておりまして、そのような先輩を持っことは私の誇りとするところでございます。
長々と記載しまして失礼いたしました。
これから暑い夏の季節が始まりますが、 どうぞご自愛くださいますようお願いいたします。
○○様のご多幸をお祈りしております。 再拝 敬具
令和三年五月十九日 ○○ ○○ 拝(送り仮名も 含めまして、原文通り)〗以上であります。それで、直ぐに 返信すべく、書状の作成を始めました。因みに、この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、今回も、徹夜になりました。なお、早速 速達の特定記録郵便で 感謝の便りを返信しました。(後略)】と記させて頂きました。
ときに、本日 すなわち 5月25日(火)の【突然の介護福祉士からの連絡・続報3】のブログに、介護福祉士の主任が来たことを記させて頂きました。そして、この介護福祉士の主任に 成書を進呈すべく 用意致し、手渡しました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)』と記させて頂きました。本日、有料老人ホームに入所している 男性から 便りが来ました。それで、この男性に 成書を進呈すべく 用意しました。そして、書状を添えて 上記と同様に 郵送して 本を進呈しました。 因みに、いつものように 速達で 郵送しました。なお、この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 朝になりました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)」と記させて頂きました。
ならびに、去る 一昨々年の9月4日(土)の「本の進呈・続報48・後編(シンクロニシティ)」のブログの下段に、
「(前略)一昨々日 すなわち 9月1日(水)の『本の進呈・続報47・後編(シンクロニシティ)』のブログの下段に、
『(前略)去る8月12日(木)の【本の進呈・続報46・後編(シンクロニシティ)】のブログの下段に、
【(前略)去る6月14日(月)の〖本の進呈・続報45・後編(シンクロニシティ)〗のブログの下段に、
〖(前略)本日、誠に有り難いことに、上記のように 1月24日(日)の消印の速達で 成書を進呈した方から、約5ヶ月 経って お礼の葉書が届きました。 因みに、この方の返信は、前回も 約半年 経過してから でした。
すなわち、
〔六月にしては 暑い(〘日〙が抜けたものと思われます)が続いています。
〘笑い と 菜食療法〙の ご本を送って頂きましたが、菜食が 神の愛、仏の慈悲に適っていると思いますので、なるべく 野菜中心の食事をしています。〕以上であります。それで、早速 特定記録郵便で 感謝の便りを返信しました。 因みに、いつものように 速達で 郵送しました。なお、この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 朝になりました。(後略)〗と記させて頂きました。
ところで、本日 すなわち 8月12日(木)の〖介護保険認定調査員の来訪(父親・令和3年)続報〗のブログに、介護保険認定調査員の方が来たことを記させて頂きました。そして、この方に 成書を進呈すべく 用意致し、手渡しました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)】と記させて頂きました。
次に、明後日 すなわち 9月3日(金)の【父親の食事(カレーうどん)、洗濯 そして 入浴・231】のブログの中段やや下に、
【(前略)普段 来ている 介護福祉士の方(常勤)が 不安であると言うので、一緒に来るとのことでした。そこで、一昨日は、前回から 一週間が経過して 誠に有り難いことに、引き継いだ 1名の介護福祉士の方(常勤)と別の介護福祉士の方(常勤) すなわち 2名が来ました。(後略)】と記させて頂きました。 因みに、引き継いだ 1名の介護福祉士の方(常勤)には、既に 差し上げました。それで、上記の 別の介護福祉士の方(常勤)に、書状を添えて 成書を進呈すべく 用意致し、手渡しました。すると、誠に有り難いことに、この別の介護福祉士の方(常勤)によりますと、凄いとのことでした。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)』と記させて頂きました。本日、上記の 有料老人ホームに入所している 成書を進呈した 男性の方から 便りが来ました。それで、早速 速達の特定記録郵便で 感謝の便りを返信しました。因みに、いつものように 郵送しました。なお、この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 朝になりました。 序で乍ら、家政婦が 男性の方が書いた 封筒の宛名を見ましたら、認知に問題がある すなわち 認知症ですね とのことでした。そして、その家政婦によりますと、ボケているとのことでした。(後略)」と記させて頂きました。
および、去る 一昨々年の11月4日(木)の「本の進呈・続報52・後編(シンクロニシティ)」のブログの下段に、
「(前略)去る10月27日(水)の『本の進呈・続報51・後編(シンクロニシティ)』のブログの下段に、
『(前略)一昨々日 すなわち 10月24日(日)の【本の進呈・続報50・後編(シンクロニシティ)】のブログの下段に、
【(前略)一昨々日 すなわち 10月21日(木)の〖本の進呈・続報49・後編(シンクロニシティ)〗のブログの下段に、
〖(前略)去る8月8日(日)の〔ボランティア・地域医療・その7(令和3年)〕のブログに、地域医療研究会(旧・農村医学研究会)のことを記させて頂きました。因みに、学部生の頃、母校の先輩から その地域医療研究会(旧・農村医学研究会)を手伝って と言われました。なお、その母校の先輩(後に 教授に就任)が この地域医療研究会(旧・農村医学研究会)の顧問をしておりました。それで、本日、その母校の先輩 と 2名の母校の同期生を含む 3名の医師に、上記のように 書状を添えて 速達扱いで 成書を進呈しました。因みに、この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、今回も、徹夜になりました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)〗と記させて頂きました。
また、去る 5年前の8月14日(金) の〖高天原山の尾根〗のブログの上段に、
〖(前略)去る8月8日(土)の〔ボランティア・地域医療・その4〕のブログ の上段、そして、去る11月17日(月)の〔黒胡麻〕のブログ の中段に、
〔(前略)去る10月7日(火)の〘ボランティア・地域医療〙のブログ で記させて頂きました地域医療研究会で、学部生の頃から、埼玉県神泉村(当時・無医村)(ここのフィールド[英語:field]は約四半世紀続きました)に伺っておりまして、医師になってからは、9年間伺っておりました。(後略)〕と記させて頂きました。
一昨日、すなわち、8月12日は、昭和60年(1985年)の日本航空123便(ジャンボ・ジェット[英語:Jumbo Jet]旅客機[B747])墜落事故発生から30年になりますね。520人が お亡くなりになられました。亡くなられました方々の御冥福を心より お祈り申し上げさせて頂きます。
前述致しましたように、この昭和60年の夏は、学部生として、埼玉県神泉村に伺っておりました。この神泉村を流れています神流川の上流に向かって、すなわち、神流川に沿って平行して走っています国道462号を西に向かいますと、墜落現場である 群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根(通称〔御巣鷹の尾根〕)があります。
毎年、8月12日になりますと、このことを思い出していました。
因みに、神泉村には、城峰神社があります。毎年、神泉村に行きますと、必ずここに参拝していました。社伝によれば、景行天皇の御代、同・天皇の皇子・日本武尊が東征したおり、山頂に矢を納めて東夷平定を祈願し、大山祇命を祀ったことが開創とされています。そこで、矢納という地名もあります。(後略)〗と記させて頂きました。
そして、上記の 地域医療研究会(旧・農村医学研究会)の 2名の母校の先輩を含めて 3名の医師に、前述致しましたように 書状を添えて 速達扱いで 成書を進呈しました。因みに、上記のように 古事記に記されています 大山祇命を祀っていますので、その お蔭で そのフィールド ワーク(地域医療)で 知り合った と思われます 母校の先輩が 居ます。なお、この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、今回も、徹夜になりました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)】と記させて頂きました。上記の 医師たちと同様に 研修医のときに関わった 医師 そして 心療内科の医師たち 7名に、前述致しましたように 書状を添えて 速達扱いで 成書を進呈しました。因みに、この数日間で 13名の医師たちに 成書を進呈しました。すなわち、13冊一括ですね。なお、この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、今回も、徹夜になりました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)』と記させて頂きました。
さて、本日、誠に有り難いことに、上記のように 成書を進呈した 13名の医師たちの 一人から お礼の葉書が届きました。すなわち、
『このたびは 御著書と貴重な文献を お送りいただき まことに ありがとうございました。食療法は 不勉強でしたので、たいへん参考になりました。お母様のエピソードも ありがたく拝見いたしました。まずは御礼まで(送り仮名も 含めまして、原文通り)』以上であります。それで、直ぐに 返信すべく、書状の作成を始めました。因みに、この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、今回も、徹夜になりました。なお、早速 速達の特定記録郵便で 感謝の便りを返信しました。(後略)」と記させて頂きました。
また、去る 一昨年の1月6日(木)の「本の進呈・続報58・後編(シンクロニシティ)」のブログの下段に、
「(前略)一昨々日 すなわち 1月3日(月)の『本の進呈・続報57・後編(シンクロニシティ)』のブログの下段に、
『(前略)去る 昨年の12月20日(月)の【本の進呈・続報56・後編(シンクロニシティ)】のブログの下段に、
【(前略)去る12月6日(月)の〖本の進呈・続報55・後編(シンクロニシティ)〗のブログの下段に、
〖(前略)昨日 すなわち 12月5日(日)の〔本の進呈・続報54・後編(シンクロニシティ)〕のブログの下段に、
〔(前略)去る11月29日(月)の〘本の進呈・続報53・後編(シンクロニシティ)〙のブログの下段に、
〘(前略)年賀状欠礼の葉書が届きました。 因みに、今年、初めての年賀状欠礼の葉書です。なお、この葉書の世帯に 書状を添えて 上記と同様に 郵送して 本を進呈しました。序で乍ら、この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 朝になりました。それで、速達で 送りました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)〙と記させて頂きました。本日 朝、2回 電話が入りました。ところが、留守番電話には 一言の伝言しか録音されていませんでした。それで、こちらから電話を致し、書状を添えて 上記と同様に 郵送して 本を進呈しました。序で乍ら、この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 朝になりました。それで、速達で 送りました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)〕と記させて頂きました。それから、一昨日 すなわち 12月4日(土)の〔親戚からの突然の電話連絡・続報27〕のブログの下段に、
〔(前略)本日 朝、父方の親戚 すなわち 父方の従兄妹から 3回 留守番電話が入りました。それで、父親に伝えましたら、寝てないから 今は 電話を掛けることが 出来ない とのことでした。ところが、午前11時半頃になって、父親によりますと、電話をする とのことでした。それで、電話を取り次ぎました。(後略)〕と記させて頂きました。また、この子息から 葉書が届きました。それで、書状を添えて 上記と同様に 郵送して 本を進呈しました。序で乍ら、この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 朝になりました。それで、速達で 送りました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)〗と記させて頂きました。年賀状欠礼の葉書が届きました。 因みに、今年は、これで 2枚目です。既に、年賀状の宛名迄 印刷しまして、やはり 上記と同様に 12月15日を過ぎたら 投函するところでした。なお、この葉書の世帯に 書状を添えて 上記と同様に 郵送して 本を進呈しました。序で乍ら、この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 朝になりました。それで、速達で 送りました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)】と記させて頂きました。そして、去る 6年前の1月1日(金)の【謹んで新年の御祝詞を申し上げます。(智慧と愛)】のブログの中段やや下、去る 7年前の5月18日(月)の【一大事とは】のブログ の後半、去る 7年前の3月21日(土)の【介護】のブログ の上段 そして 去る 8年前の10月18日(土)の【心身医学会】のブログ の中段やや上などに、
【(前略)元・心理療法内科の学会の理事長に依頼されて、某・日本医療心理学院で、早稲田大学やお茶の水女子大学の心理の大学院生に心身医学の講義を行っていました・・・(後略)】と記させて頂きました。
また、去る 8年前の10月9日(木)の【笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤ 小乗から 大乗へ】のブログの下段に、
【(前略)心療内科の学会の理事長の、2回に渡る依頼により、大学を辞して、同・理事長のもとで、心療内科の診療に携わりました(後略)】と記させて頂きました。 因みに、上記の 元・心理療法内科の学会の理事長は、同一人物です。
なお、上記のように 母校の某・都立高校のことを言及させて頂きましたが、年賀状が送られてきた その某・都立高校の同期生 そして その 元・心理療法内科の学会の理事長に関わる 心療内科の医師たち 2名(この内の 一人は、皮膚科専攻)に 上記と同様に 書状を添えて 本を進呈しました。 因みに、いつものように 速達で 郵送しました。なお、この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 朝になりました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)』と記させて頂きました。上記のように 去る 昨年10月27日(水) そして 去る 昨年の11月4日(木)に、母校の医師 や 心療内科の医師たち 13人に 上記と同様に 書状を添えて 本を進呈しました。そして、13人には、年賀状も送りました。それで、9人から 返事がありました。因みに、人間関係は 6割で合格とされますが、7割近くありますので 誠に 有り難いです。なお、その中の便りを紹介します。すなわち、
『昨年は 御著書を頂き 恐縮しております。先生の お心と お考えが 滲み出てくるような感じを お受けいたしました。今後共 ご指導のほど お願いします。(送り仮名も 含めまして、原文通り)」以上です。
次に、年賀状が送られてきた人を含めて 別の7名に、上記と同様に 書状を添えて 本を進呈しました。 因みに、いつものように 速達で 郵送しました。なお、この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 朝になりました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)」と記させて頂きました。
しかも、去る 一昨年の1月26日(水)の「本の進呈・続報63・後編(シンクロニシティ)」のブログの下段に、
「(前略)昨日 すなわち 1月25日(火)の『本の進呈・続報62・後編(シンクロニシティ)』のブログの下段に、
『(前略)一昨日 すなわち 1月23日(日)の【本の進呈・続報61・後編(シンクロニシティ)】のブログの下段に、
【(前略)去る 1月14日(金)の〖本の進呈・続報60・後編(シンクロニシティ)〗のブログの下段に、
〖(前略)去る 1月13日(木)の〔本の進呈・続報59・後編(シンクロニシティ)〕のブログの下段に、
〔(前略)上記のように、年賀状が送られてきた人を含めて 別の7名に、上記と同様に 書状を添えて 本を進呈しました。それで、本日、誠に有り難いことに、その中の1人から 返事がありました。因みに、その便りを紹介します。すなわち、
〘この度は ご本 ならびに 数々のご資料 お送りいただきまして 誠に ありがとうございます。心から 感謝申し ゆっくり じっくり 読ませていただきます。どうぞ コロナの中 お身体 大切に ご活躍下さいませ。ありがとうございます。(送り仮名も 含めまして、原文通り)〙以上であります。
なお、いつものように 返信を 郵送しました。 序で乍ら、この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 朝になりました。(後略)〕と記させて頂きました。上記のように 本日、母校の医師、心療内科の医師たち や 医療関係者 4人に 上記と同様に 書状を添えて 本を進呈しました。 因みに、いつものように 速達で 郵送しました。なお、この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 朝になりました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)〗と記させて頂きました。
ならびに、本日、上記のように 年賀状が送られてきた人たちを含めて 去る 8年前の10月8日(水)の〖親の受診に付き添っていること・1〗のブログ そして 去る 8年前の11月9日(日)の〖親の受診に付き添っていること ・2〗のブログのそれぞれ 共に中段やや上、更に、去る 7年前の2月23日(月)の〖天皇陛下行幸の君恩に浴して〗のブログの中段に記させて頂きました 某・ボランティア(英語:volunteer)のサークル(英語:circle)の人たち 6人に、上記と同様に 書状を添えて 本を進呈しました。因みに、いつものように 速達で 郵送しました。なお、この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 朝になりました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)】と記させて頂きました。
および、本日、上記のように 年賀状が送られてきた人たちを含めて 母校の医師たち、心療内科の医師たち そして 医療関係者 9人に、上記と同様に 書状を添えて 本を進呈しました。因みに、いつものように 速達で 郵送しました。なお、この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 朝になりました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)』と記させて頂きました。本日 2通の到着を含めまして、誠に有り難いことに、その中の8人から 新たに 返事がありました。因みに、その便りを紹介します。まず 某・市立高校の美術教師の方から頂いた便りであります。すなわち、
『寒さが続きますが、先生には お変わりありませんか。先日は 素晴らしい ご本と資料を お送りいただき、篤く 御礼申し上げます。七年前、妻が 右頭頂葉の静脈より 出血し 左半身マヒになって以来、私が 家事全般を行うようになりました。リハビリの歩行訓練のため 小平中央公園のグランドを訪れていましたが、二年前 コロナの緊急事態宣言の際、駐車場が閉鎖になり 中止。その後 再開されましたが、暫く休んだため、以前のようには 歩けなくなり、今は 家の前で 歩く練習をしています。
私が食事を作るようになって 体質改善にため、肉食をやめ、朝は 豆腐と小松菜、キノコの味噌汁、わかめと春雨、キューリ、山芋の酢の物。糖漬け。夜は レタス、玉ネギ、人参、トマトなどのサラダ。刺身。海藻とゴーヤの酢の物。リンゴ、バナナ等の果物。ヨーグルト。温かい野菜として、カボチャ、ブロッコリー、ナス、芋などを摂っています。そのため、妻の血液の状態も改善しています。
菜食によって 自然免疫力も高まると思います。私達もコロナワクチンは接種していません。毎年 必ず、風邪で寝込んでいた妻も この数年 それがなくなりました。
今は、運動不足にならないよう 気を付けて生活しようと心掛けています。
先生も 御父上の お世話で 大変かと思います。先生の研究の発展とご多幸を心から お祈り申し上げます。(字体 そして 送り仮名も 含めまして、原文通り)』以上であります。つまり、菜食によって 自然免疫力が整うのであると思われます。因みに、去る 8年前の11月4日(火)の『アレルギーの代替医療(食事療法)』のブログ の上段に、
『(前略)アンドルー・ワイル(英語: Andrew Weil)(アリゾナ州ツーソン[Tucson、パパゴ語:Cuk Ṣon][一昨日の【時差ぼけについて】のブログ で書かせて頂きましたように、学部生のときに訪れたことが御座います。因みに、old tucson【オールド・ツーソン】という西部劇の撮影に用いられる舞台があります]にあるアリゾナ大学医学校の診療教授)によりますと、著書“Spontaneous healing(自発的治癒)”P351・L15に、【食事でアレルギーの過剰反応をへらすことができる。もっとも大切なのは低タンパク食を守ることだ。動物性食品一般、とくにミルクおよび乳製品をやめることがいちばん重要である。(原文通り)】とあります。(後略)』と記させて頂きました。要するに、肉食 や 乳製品を摂取ることによって、免疫が 暴走して 過剰反応を起こして アレルギーになってしまうことがあるのですね。なお、免疫とアレルギーは 表裏一体の関係であります。すなわち、人に有益である反応を免疫反応と云い、有益でない反応を アレルギーと呼ぶのであります。これは、丁度 薬と毒の関係と同様ですね。つまり、御承知のように、人に有益であるのを薬と云い、有害であるものを 毒と呼ぶのであります。
また、もう1人の方 つまり 母校の医学部の神経科教授であります。すなわち、
『この度は、貴書【去る 一昨年の2月12日(水)の〖笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤ 小乗から 大乗へ・前編〗のブログ、去る 一昨年の2月12日(水)の〖笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤小乗から 大乗へ・中編〗のブログ そして 去る 一昨年の2月12日(水)の〖笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤小乗から大乗へ・後編〗のブログ】を お送りいただき 誠にありがとうございます。ご自身の実体験を含めて まとめられた実践の書ということで、リウマチに悩まれる 多くの方々にとって、福音になるように思います。近い機会に お目にかかって、貴書について談義できることを楽しみにしています。まずは 取り急ぎ 御礼申し上げますとともに ますますのご発展を お祈り致します。』以上であります。
しかも、もう1人の方 つまり 母校の医学部の 元 内科助教授であります。すなわち、
『昨年は 立派な御本を送っていただき、感謝しています。自分の道に直すぐに(【真っ直ぐ】のことであると思われます)活きて下さい。(字体 そして 送り仮名も 含めまして、原文通り)』以上であります。
そのうえ、もう1人の方 つまり 元 東京大学 心療内科教授であります。すなわち、
『御著書をご恵贈、ありがとうございました。(字体 そして 送り仮名も 含めまして、原文通り)』以上であります。
更に、もう1人の方 つまり 心療内科 医師であり、某・Hp.(hospital[ホスピタル]の略です。日本語では、病院のことです。以下、Hp.と示させて頂きます)の 元 部長であります。すなわち、
『先日は、貴著、【笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤小乗から 大乗へ】をご恵送頂き、有難うございました。(字体 そして 送り仮名も 含めまして、原文通り)』以上であります。
のみならず、もう1人の方 つまり 某・国立大学 心療内科 部長であります。すなわち、
『昨年は ご著書を お送りいただき ありがとうございました。信念を持って 生きておられる姿には たいへん感銘を受けました。(字体 そして 送り仮名も 含めまして、原文通り)』以上であります。
しかして、もう1人の方 つまり 母校の医学部の 元 皮膚科講師であります。すなわち、
『本を送っていただき ありがとうございました。今年も ご活躍を。(字体 そして 送り仮名も 含めまして、原文通り)』以上であります。
それから、もう1人の方 つまり 某・私立大学歯学部の 歯科心身医療科の歯科医であります。すなわち、
『昨年は 御著書を頂き 恐縮しております。
先生の お心と お考えが 滲み出て来るような感じをお受けいたしました。
今後共 ご指導のほど お願いします。(字体 そして 送り仮名も 含めまして、原文通り)』以上であります。
なお、いつものように 返信を 郵送しました。 序で乍ら、この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 朝になりました。(後略)」と記させて頂きました。
ときに、去る 一昨年の2月14日(月)の「本の進呈・続報67・後編(シンクロニシティ)」のブログの下段に、
「(前略)去る2月8日(火)の『本の進呈・続報66・後編(シンクロニシティ)』のブログの下段に、
『(前略)去る2月5日(土)の【本の進呈・続報65・後編(シンクロニシティ)】のブログの下段に、
【(前略)去る2月1日(火)の〖本の進呈・続報64・後編(シンクロニシティ)〗のブログの下段に、
〖(前略)上記のように 年賀状が送られてきた人たちを含めて 母校の医師たち、心療内科の医師たち そして 医療関係者 9人に、上記と同様に 書状を添えて 本を進呈しました。ところが、本日、誠に遺憾なことに、その内の一通が戻ってきました。すなわち、母校の同窓会・会員名簿 と WEB名簿・事務管理システムの両方で ダブルチェックして、相手の自宅住所に送ったのでありますが、戻ってきました。それで、やはり これも チェックして 勤務先に電話連絡したのですが、10年前に 辞めているとのことでした。そこで、最終手段として 約35年前に知った その医師の実家の方に送ることにしました。それで、その実家に電話しましたが、留守番電話になっていて 引っ越していないかどうかを確認することが出来ませんでした。そして、6回目に電話したときに 出てくれまして、固定電話の所有者が変わっていることが分かりました。そこで、実家が歯科医とのことでしたので、新潟県上越市の歯科医に当たりました。ところが、同じ苗字の診療所が 2件 あり 1件は 歯科医(もう1件は 泌尿器科)であるものの、該当しませんでした。それで、インターネットで 検索しまして 〔東京都CCU連絡協議会〕に辿り着きましたが、会長も 連絡が付かないとのことでした。従って、ここに至って もはや 本人に届ける 方法がないように思われました。そこで、母校の同窓会に連絡しました。ここの同窓会 名簿を見て、送付して 届かなかった訳であります。従って、この同窓会でも、本人の個人情報を把握していない訳であります。そして、その同窓会への年会費は 支払われていない筈であります。
すると、事務長に 取れ次がれて、受付(女性)に話したことを 再度 伝えました。すなわち、将来 本人が 同窓会費を支払うようになったら 同窓会で そのことが分かるので、知らせて欲しいということでした。つまり、個人情報保護法のことがあるので、直接 住所は 教えてもらえないだろうが、母校のWEB名簿・事務管理システムがあるので、そこにアクセスして 見るからと伝えました。要するに、本人から連絡があったときに、そのことだけ教えてもらいたいということであります。すると、その事務長によりますと、本人は 雲隠れしているのですね とのことでした。すなわち、消息が 掴めないということであります。そして、その事務長によりますと、本人が了承したらとのことでした。但し、これは 形式的なことであって、まず 本人が了承しないことは ありえないような気が致しました。なお、その同窓会にとりましても 会員から 年会費を集めなければなりませんので、本人の個人情報保護法を知りたがっているのであります。つまり、誠に有り難いことに、目的は一致しているのであります。 序で乍ら、その母校のWEB名簿・事務管理システムがあるので、平成30年以降 同窓会・会員名簿は 配らないことになった とのことでした。
ところで、本日 2通の 新たに 返事がありました。因みに、その便りを紹介します。まず 医学部の同期生であります。
〔拝啓
コロナの喧騒が続いておりますが、お障りなく お過ごしの事と存じます。
この度は、お手紙とともに、著書を お送り頂きまして 感謝申し上げます。
月江寺から 四十年程 経過しましたが、この間の 先生の医師としての 素晴らしい経歴を拝承し また、菜食療法を実践する先生のお姿に感銘致しました。
私は菜食療法ではありませんが、夕食は 毎日 家内が ボール山盛りの野菜を用意してくれるので、まず 十五分から三十分 かけて 野菜を食し、その後 普通の食事(米など 炭水化物)に入ります。
朝は エアロバイク(有酸素運動)、腹筋&ダンベル(無酸素運動)を実践してから出勤します。
平成四年から 昨年まで 毎週 水曜日 群馬県の城山病院まで 赴いておりましたが、四時起きが辛くなり、今は 解放されております。
娘たちが学生の頃は 〇(米偏に 〘つくり〙が読み取れませんでしたので、誠に申し分けないことに、当初 〇で記させて頂きましたが、調べました処 〘糀〙であることがわかりました)谷病院に 年間 100日程 当直しておりましたが(毎週[月]と第一土日、第四土日)現在は 第五土日のみで 老体を労わっております。当院では PCR検査を試行しておりませんので、明らかな発熱患者は来院しませんが、日々、油断できない外来が続いております。
コロナワクチン接種は 二月から始まりますが、予約業務は 心が 折れることも多いです。自分の意のままに 予約が取れないと怒鳴る高齢者がいて 大変です。
最近も 医師が 被害を受ける事件があり、心療内科での患者対応は 内科の比ではないと拝察します。
寒威 まだまだ厳しい毎日ですが、先生も どうぞ お身体大切にお過ごし下さい。敬具。(送り仮名も 含めまして、原文通り)〕以上であります。
また、前述の 某・市立高校の美術教師の方から 再度 頂いた便りであります。
〔寒い日が続いていますが、
早速の お便り
私の拙い文章を読みかえしていただき 恐縮いたしております。
我が家は国分寺の外れで 小平の市境に近く 小平市中央公園へは 歩いて 十五分程です。
この公園と玉川上水の木々や草花、昆虫、鳥、空の変化で季節を感じておりました。妻は、今は 家の前での 歩行練習と 週二回 ディケア施設で リハビリを続けています。妻のため 総本山に 神癒祈願をお出し頂いたそうで 先生の深い ご愛念に篤く感謝し、御礼を申し上げます。
暫くは 厳しい寒さが続きます。先生には くれぐれも ご自愛くださいますよう。御父上を大事になさってください。
先生と御父上のご健康とご多幸を心より お祈り申し上げます。(送り仮名も 含めまして、原文通り)〕以上であります。
なお、いつものように 返信を 郵送しました。因みに、この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 朝になりました。(後略)〗と記させて頂きました。
次に、過日、2通の 新たに 返事がありました。因みに、その便りを紹介します。まず、国立感染症研究所客員研究員から 頂いた便りであります。すなわち、
〖大変 ごぶさた致しております。今度は ご高著〔笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤小乗から 大乗へ〕をご恵与いただき ありがとうございました。お礼が おそくなってしまいましたことを お許しください。医療現場におられる先生は コロナ感染症の流行で 大変 お忙しいのではないかと拝察申し上げます。どうぞ お体を大切に益々のご活躍をお祈り申し上げます。とり急ぎお礼まで。(生物多様性が あなたと地球のいのちをささえている)(送り仮名も 含めまして、原文通り)〗以上であります。因みに、去る1月27日(木)の〖ケア・マネージャー(父親)の来訪・55・中編・3〗のブログの中段に、その〖多様性〗に関する批判を記させて頂きました。
また、もう1通は、母校の同期生の医師の奥方からの返信であります。すなわち、
〖暦の上に春は立ちながら、厳しい寒さが続いております。
このたびは ご丁重な お手紙と ご本を お送りいただき ありがとうございます。
平成28年3月、夫は 肝硬変で 永眠致しました。ご連絡が遅れ 申し訳ございませんでした。急なことで 葬儀は 身内にて執り行いました。
先生のご本は 夫の名前が書いてありますので、いただいて大切に読ませていただきます。
夫が生前に 賜りました ご厚情に深く 感謝いたします。(後略)(送り仮名も 含めまして、原文通り)〗以上であります。
なお、いつものように 返信を 郵送しました。因みに、この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、過日も、寝ないで 作成させて頂き 朝になりました。そして、その遺族(妻)に断って、同窓会に伝えました。(高校と大学の両方の同窓会に伝えなければと思われました。因みに、勤務開始は 午前9時であると思われ この時間になるのを待って 電話しましたら、伝言で 午後1時からとのことでした。それで、この時間になるのを待って 電話しました。すると、事務局長の野口あき子さんという人が出ました。それで、高校の方は 小山君という人から 平成29年に 連絡があった とのことでした。なお、平成29年発行の 同窓会・名簿には、物故者として 書かれてありませんでした。それから、大学の方は、誠に有り難いことに 初めて知らされたとのことでした)
しかも、本日、上記のように 年賀状が送られてきた人たちを含めて 母校の医師たち そして 心療内科の医師たち 4人に、上記と同様に 書状を添えて 本を進呈しました。因みに、いつものように 速達で 郵送しました。なお、この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 朝になりました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)】と記させて頂きました。
そのうえ、先日 医学部の同期生に贈りました 便り と 成書が、戻ってきました。それで、再度 送りましたが、またしても 受取拒絶で 戻されました。因みに、家政婦によりますと、住所 氏名だけでは 先方は 誰か分からないのではないか とのことでした。なお、約39年(thank you[サンキュー]ありがとうの数ですね。失禮しました)ぶりの便りでありますからね。それで、更に もう1度、送りました。しかも、本日の午前10時に、電話も入れました。すなわち、その家政婦にも 話しましたが、【三度目の正直】であります。
更に、過日 2通の 新たに 返事がありました。因みに、その便りを紹介します。まず、母親の信仰している 宗教団体の主婦からです。すなわち、
【昨年は 先生の素晴らしい 御本を送って下さり、ありがとうございました。感想や御礼が遅くなり、申し訳ありません。(送り仮名も 含めまして、原文通り)】以上であります。
のみならず、もう1通は、母親の信仰している 宗教団体の男性から です。その便りを紹介します。
【“御本”と“資料”御送付のお礼。先日は〖笑いと菜食療法“菜食に導かれた過程”小乗から大乗へ〗と題された〖御本〗と数多くの〖資料〗を御送付頂きましてありがとうございました。
早速素晴らしい〖御本〗を拝読させて頂きましたが、字が大きく〖ふりがな〗がなされている上に注釈もあり 医学の知識に乏しい者として内容が分かり易く学ばせて頂きました。ありがとうございます。
また〖資料〗も興味深く読ませて頂き大変参考になりました。ありがとうこざいます。
〖生長の家〗では地球温暖化に繋がる“肉食”ではなく“菜食”を推奨しているところから〖生長の家〗の信徒として 毎日積極的に“菜食”を取り入れる事を心掛けています。
〖新型コロナウイルス〗が蔓延して社会や生活に様々な影響が出ているご時世ですが、“テレワーク”で実施している〖相愛会長会議〗では毎回〖コロナウイルス収束の祈り〗を行なっています。
いずれ蔓延は収束すると思いますが、〖手洗い〗〖うがい〗を励行し〖密閉〗〖密集〗〖密接〗を避けるなどして〖コロナ禍〗を乗り越えて行きましよう。(送り仮名も 含めまして、原文通り)】以上であります。なお、いつものように 返信を 郵送しました。因みに、この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 朝になりました。(後略)』と記させて頂きました。
そして、上記の『三度目の正直』のことであります。すなわち、本日の午前10時に、電話も入れました。そうして、誠に有り難いことに、本日の午前10時23分に 届きました。
のみならず、本日 1通の 新たに 返事がありました。因みに、その便りを紹介します。なお、再度 国立感染症研究所客員研究員から 頂いた便りであります。すなわち、
『(前略)ご高著【笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤小乗から 大乗へ】を ご恵送いただき ありがとうございました。とても わかりやすく、読みやすい本です。よく存じ上げている先生の体験的菜食療法の本ですので、伝わって来ます。体験談ですから 説得力があります。私も実践して、今後の健康管理と人生に役立てたいと思います。今 一番 関心があるのは 健康です。コロナ対策も大事ですが、体力、免疫力、生命力、氣力(旧字体であり、本来の漢字である 【氣】が好ましいです。後述致します)など おとろえないように 日々、実践しています。meditation、ahamation、interpretation、presentationの4つに しぼって実践しています。ahamationは 私の造語で アハハと笑う 体操のことです。練成会でやっている アハ体操のことです。まずは お礼まで(送り仮名も 含めまして、原文通り)』以上であります。因みに、上記の『氣』という漢字につきましては、去る 昨年の11月26日(金)の『家政婦への贈り物・176・後編』のブログの下段に、
『(前略)戦前は 上記の【氣】という漢字には 【米】が入っていて 米は力の源であり、好ましかったのであります。すなわち、【米】という漢字は その見た目からも分かるように エネルギーが四方八方に広がるという意味合いがあります。ところが、現在 使われている 【気】の漢字の【〆】には、閉じ込める 遮断するという意味があります。つまり、戦後は 連合国軍最高司令官総司令部(G.H.Q.)の【日本弱体化政策】により 漢字も変えられてしまいました。(後略)』と記させて頂きました。なお、いつものように 返信を 郵送しました。 序で乍ら、この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 朝になりました。(後略)」と記させて頂きました。
加うるに、去る 一昨年の3月7日(月)の「本の進呈・続報71・後編(シンクロニシティ)」のブログの上段に、
「(前略)去る2月21日(月)の『本の進呈・続報70・後編(シンクロニシティ)』のブログの上段に、
『(前略)去る 2月17日(木)の【本の進呈・続報69・後編(シンクロニシティ)】のブログの上段に、
【(前略)一昨日 すなわち 2月15日(火)の〖本の進呈・続報68・後編(シンクロニシティ)〗のブログの上段に、
〖(前略)本日 新たに 1通の 返事がありました。因みに、その便りを紹介します。すなわち、母親の信仰している 宗教団体の男性から です。
〔(前略)如月の候 お元気で ご活躍の御事と 心より およろこび申し上げます。
先日は 数十年にわたる ○○さんの ご研究ご研修の賜の集大成とも いえる 書籍 始め 文献を お送り戴き ただただ真摯に取り組まれて来られた お姿に 感銘を受けました。
ご両親様を大切になされ 親孝行される姿を尊く、礼拝させて戴いております。
私の事を沢山に お誉め戴き 感謝申し上げます。ただ 私は ただの一信徒です。
さて、早くから お送り戴いた 御文章でしたが、一月から 四月は 出張が多く、明日から 又 出発する所です。拝読してからと思い ついつい遅くなってしまいました。まだ 全てでは ございませんが 読ませていただき、○○さんは 素晴らしい御両親の元に生まれられ お父様 お母さまのご愛念、真心に導かれ〘医療の道〙に進まれ 貴い お役目を歩まれていらっしゃる 人類光明化運動の高級霊の 御一人なのだなあと思いました。コピーを読ませて戴き、○○さんの歩みを初めて 知りました。私には 出来ない素晴らしい気遣いと 気の遠くなる位の実践の積み重ねを感じ取り 感動致しました。
日本舞踊をもって 人類光明化運動のお役に立つ事を 十代から 私の生涯の旗印だと思い ただ歩んでいる私。人間は 神の子 仏の子である。それを信じる者は 神仏と同じき 力を顕す事が出来るのだと信仰している一人です。
神様の世界の〘真善美〙を美の世界に於いて 担当する お姿を戴いていると精進努力させて戴いております。
〘真理の道は ただ一つ 人間は 神の子である〙と 谷口雅春先生は 解説下さった(人間の歯の姿から 実証される)神の子 人間の食生活の あり方を 実践検証されている ○○さんの体験を通しての書籍は 体験談として 実証された 貴い発表と拝見させて戴きました。
私は 完全な 菜食主義ではありません。魚介類は 頂戴させていただいており 家族も同じ生活です。子供達は 少しは 肉食を戴いております。
又 私事ではございますが、十八歳(昭和四十六年頃)から 先生の〘心と食物と人相と〙を拝読実践。現在も 無病息災での毎日です。素晴らしい事だと思って 感謝致しております。
平成十九年六月末~七月始め(〘初め〙ですね)迄の八日間 ブラジル 生長の家栄える会セミナーがあり、サンパウロ伝道本部に 神奈川県栄える会 三十人で 神谷光徳会長を中心に御一緒しました。国際本部の許可で 二日間 日本舞踊奉納を依頼され 奉納させて戴きました。その折(向井総長 始め[これも、〘初め〙ですね]大勢の皆様の中)日系二世の方々から 日本が来た。と涙ぐまれ 感動いたしました。文化の持つ力の偉大さを 実感した瞬間でした。
又 私は 谷口雅春先生の お書き下さった 聖歌が大好きです。特に 〘実相を観ずる歌〙〘堅信歌〙が好きです。常に 口ずさんでいます。
毎日の渋谷代々木八幡ネットフォーラムでは 開会前に 必ず 皆で(堅信歌)を歌います。
御礼状が遅くなって 申し訳なく思っていましたので 取りとめもなく、思った事を書かせて戴いてしまいました。右 よろしくお願いします。
何より 自分が神様。
なにも かにも〘唯神実相〙だ。歓び悦び ただただ生かされている 今が、今 今 今 のみに生かされている私達。感謝、ここにも 感謝、ここにも 感謝、感謝、感謝の連続。有難い。
毎日 この道を歩ませて戴いている 実践者〇〇です。ただただ この道を実践している自分。
先祖を尊び 家族制度を大切にして 親孝行を家族で生き、夫婦の御縁を思いやり。愛行を楽しんで出来て。こんなに素晴らしい 毎日は有りませんね。
谷口雅春先生 輝子奥様を御手本に戴いている事を感謝です。
生長の家に 又 〘天皇国日本〙の この国に 私の様な日本人が 一人位 いても良いのだと信仰している日本舞踏家です。
宜しくお願い致します。
時節柄 どうぞ お父様始め(これも、〘初め〙ですね)○○さん呉々も 御身 ご自愛下さいませ。○○さんの親孝行を お父様は 心の目から ご覧になっていられ 感謝していらっしゃいます。神様に 誉められる生活の実践に、祝福申し上げております。合掌。(字体 そして 送り仮名も 含めまして、原文通り)〕以上であります。
なお、いつものように 返信を 郵送しました。因みに、この返信の一部であります。すなわち、
〔(前略)十八歳(昭和四十六年頃)から 〘心と食物と人相と〙を 拝読実践なされておられると お伺い致し 謹んで お伝えさせて頂きます。すなわち、昭和五十三年十月(御顕齋の約一ヶ月前・進路を決める、奇遇なことに ○○ ○○様と同じく十八歳のとき)の九州総本山・神性開発一般練成会に参加しました。そのときに、後日 退職した 総本山 本部講師に 聞かされたことであります。つまり、二代目 谷口清超氏の長男である〘雅教さん〙のことであります。生まれたときには、周囲の お付きの人たちによりますと 輝くような 胎児であったとのことであります。そして、幼児のときに 緑色のウンチをします。この症状を聴きますと 消化器内科の専門医でないような 当方でも、腸チフスであると分かります。それで、当時 谷口清超氏は 医者に受診させたかったのでありますが、養子であり まだ 谷口雅春氏に頭が上がらず 指示に従うしかなかったのだそうであります。その指示とは、その幼児に 焼きおにぎりを食べさせることであります。因みに、〘胃弱の弱い方の食生活〙の資料を同封させて戴きました。これにも 〘慢性胃炎の食事療法では 正反対の食事をとらなければならぬこともある〙と書かれてあります。すなわち、谷口雅春氏は 若いときからの 御自身の体験で 自分の胃弱の治療のために 牛蒡とか 焼きおにぎりを食べたのであります。俗に云いますと、逆療法でありますね。それを 幼児の〘雅教さん〙に実践させたのであります。ところが、成人 と 幼児は 一般内科 と 小児科が分かれているように、全く違うと言っても いい位なのであります。つまり、例えば 母校の医学部の先輩医師によりますと、ブドウ球菌性肺炎などでは 幼児は 一晩で 急変して、肺に穴が開いて 亡くなってしまうとのことなのであります。要するに、焼きおにぎりを食べさせたことにより、腸チフスにより 弱っていた 腸壁が 穿孔(線香ならいいのでありますがね。失禮しました)してしまったのでそうであります。
なお、去る 8年前の10月5日(日)の〘ボランティア・高尾山登山 〙のブログ そして 去る 7年前の1月21日(水)の〘ボランティア・高尾山登山・その2〙のブログで、
〘(前略)18年間、月二回、日曜日に、・・・ボランティアを、このトップの方々二人に委託されて、行って参りました。(後略)〙と記させて頂きました。この生命学園の行事で 毎年 多磨霊園の谷口家の お墓参りに行きました。その墓石に、〘雅教さん〙の命日が刻まれています。すなわち、昭和二十四年十一月二十三日であります。戦後 直ぐの頃でありますね。序で乍ら、霊牌は書かせて頂いております。因みに、谷口雅春氏は、一晩 お泣きになったそうであります。従いまして、谷口清超氏は 医者に受診してもいいと伝えています。しかも、〘心と食物と人相と〙には、この経験から 挿入されている文があります。すなわち、胃弱の逆療法(正反対の食事療法)はあるが、腸チフス患者は この限りにあらずとの旨の文であります。なお、〘心と食物と人相と〙には、〘新版 心と食物と人相と〙がありますので、何頁であるかを記載させて頂きますことは割愛させて頂きました。長年 お読みになられておられると お伺いさせて頂きましたので、該当ページは お分かり頂けると存じます。序で乍ら、〘雅教さん〙が生きていたら どうなっていただろうかと思われます。但し、上記のように 小児医学を無視したところに〘雅教さん〙の死があるとも言えます。因みに、当時、信徒の母親でも 同様に 自分の子を対応して 医者に受診させずに 亡くしている事例があると思われます。
なお、現在は 次男の雅宜氏が、生長の家の総裁ということになっています。但し、白鳩会員も言うことでありますが、グローバリスト すなわち 共産主義者でありますからね。序で乍ら、去る 昨年の12月13日(月)の〘リハビリテーション(父親)・162・中編・6〙のブログの下段に、
〘(前略)その理学療法士の方が、鳩山由紀夫を言及しました。それで、祖父である 鳩山一郎は 愛国者であったと伝えました。しかし乍ら、民主党は 左翼 リベラルであり 国益に適わなかった との話になりました。(後略)〙と記させて頂きました。すなわち、祖父である 鳩山一郎 や 西園寺公望は 愛国者であっても、御承知のように 孫の 鳩山由紀夫 や 西園寺公一(共産主義者)も そうであるかというと 必ずしも そうではないということであります。すなわち、祖父が立派であって その孫であっても、気を付けなければならないという教訓であります。
ときに、〘文化〙につきましては、去る 8年前の12月26日(金)の〘ぶなしめじ〙のブログ の中段やや上に、
〘(前略)戦後、御先祖様が築いて来た、日本の伝統、文化、誇り、そして、精神性も、生態系同様に外来のものに圧倒されています。これは、惜しみても尚余りあることと思われます。(後略)〙と記させて頂きました。
また、家族制度のことは、去る 4年前の10月31日(水)の〘日本国憲法・第24条について〙のブログ、去る 一昨年の1月12日(日)の〘日本国憲法・第24条について・続報(日本民族の結婚の伝統)〙のブログ 、去る 一昨年の4月19日(日)の〘日本国憲法・第24条について・続報2(日本民族の結婚の伝統)(姪の出産)〙のブログ そして 去る 一昨年の5月21日(木)の〘日本国憲法・第24条について・続報3(日本民族の結婚の伝統)〙のブログなどを記させて頂きました。(後略)〕以上であります。序で乍ら、この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 朝になりました。(後略)〗以上であります。
しかも、本日 新たに 1通の 返事がありました。因みに、その便りを紹介します。すなわち、母校の同期生の医師からの返信であります。
〖この度は、大変 ご立派な本を出版されまして誠におめでとうございます。
心や体を痛めている患者さんのために日々 ご活躍のご様子が拝見出来ました。
どうぞこれからも お体を大切にしながら、講演診察に勤しんでくださいませ。(字体 そして 送り仮名も 含めまして、原文通り)〗以上であります。
なお、いつものように 返信を 郵送しました。序で乍ら、この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 朝になりました。(後略)】と記させて頂きました。本日 新たに 1通の 返事がありました。因みに、その便りを紹介します。すなわち、心身医学関係の教授(この子息が、母校の医学部の後輩)からの返信であります。
【拝啓 春寒の候、いよいよご健勝のことと お慶び申し上げます。
さて、この度は 詳細な 資料とともに お手紙を頂き、有難うございました。
就中、〖心身医学を学ぶ人のために〗のご著書の分担執筆者に 河野 友信、玉井 一、渡辺 克己といった そうそうたる先生方の お名前が並んでいるのをみて、懐かしい気持ちで一杯でした。有難うございました。
先生の今後 ますますの発展を記念致しております。
先ずは、御礼まで。(字体 そして 送り仮名も 含めまして、原文通り)】以上であります。
なお、いつものように 返信を 郵送しました。序で乍ら、この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 朝になりました。(後略)』と記させて頂きました。
ならびに、本日 新たに 1通の 返事がありました。因みに、去る一月二十五日(火)の消印で 成書を贈りましたので、約六週間 経過しての返信であります。なお、その便りを紹介します。すなわち、かつて 倫理の高校教師であり、臨床心理士の お年寄の女性から です。
『(前略)先月来 大変な ご労作 集大成のご著書や参考資料を お送り賜りましたこと 御礼のことばが 遅くなりまして 申しわけございませんでした。
お詫び申し上げますとともに、お返事を配慮なくと おっしゃられます おやさしい おことばに甘えました。
実は、丁度 届きました 1/25は 入院手術の日でありまして その後 すぐ 退院はいたしましたが、ねたり おきたり・・・気ままにして リハビリ状態、(右うでのひじ関節でした・・・)
こうして ペンで 右手で書けますが、まだ 自分としては 十二分に できないような気がします。
しかし、一切 痛みもなく 朝のつどい(オンライン)は 欠かさず 実行しつづけています。
何か お心を頂きながら、ただただ もったいなく感謝でありますが、いずれ ゆっくり拝読させて頂ける 折も あるかと思います。
この数年は 私も 地元野菜を 主にして ほぼ菜食しています。すすめられない 年齢層もあるようですね・・・。
こまかくは 読めておりませんので お許し下さいませ。
あなた様の幼い日からの ご精進・・・やはり 特別な ご使命の お方と存じます。
お互いに別々の場において ますます光となられますように・・・御多幸を お祈り申し上げます。再拝。 ○○○○ 3/2
こちらへも ご返信の お心づかいは どうぞ ご無用になさって下さいませ。
ブログを拝見するのが よいかと思ってはいますが、仲々(中学3年生のときも 女性担任が 当方への通知に この字を書いてきましたので、返事を書く序でに 指摘したことがありました。勿論 現代でも、漢字で書くのでしたら 【中々】と記するようですね)新たに 加えにくくております。すみません。(字体 そして 送り仮名も 含めまして、原文通り)』以上であります。
なお、いつものように 返信を 郵送しました。序で乍ら、この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 朝になりました。(後略)」と記させて頂きました。
ならびに、去る 一昨年の4月9日(土)の「本の進呈・続報76・後編(シンクロニシティ)」のブログの上段やや下に、
「(前略)去る4月5日(火)の『本の進呈・続報75・後編(シンクロニシティ)』のブログの上段やや下に、
『(前略)去る3月26日(土)の【本の進呈・続報74・後編(シンクロニシティ)】のブログの下段に、
【(前略)去る3月13日(日)の〖本の進呈・続報73・後編(シンクロニシティ)〗のブログの下段に、
〖(前略)一昨日 すなわち 3月11日(金)の〔本の進呈・続報72・後編(シンクロニシティ)〕のブログの下段に、
〔(前略)本日 新たに 1通の 返事がありました。因みに、その便りを紹介します。すなわち、母校の医科大学の元 皮膚科主任教授(男性)から です。
〘前略。長文の お手紙、貴著、ブログ資料を御恵贈いただき 感謝申し上げます。戦中戦後の飢餓から、飽食の中年、DM、心筋梗塞、バイパスop.、胃潰瘍大出血、虚血性大腸炎大量下血、心房粗銅、心臓アブレーション 、慢性うっ血性心不全、昨年8月に 90歳となり 現在も 5か所で皮膚科診療し現役です。先生の御著書を拝見すると、私の生活のいい加減さが反省され、批判どころではありません。酒とタバコとは無縁でしたが。私のチャランポラン振りを示す 別刷を御笑覧下さい。先生の夢に出現するとは 虚像が消え去り、私の本性に うなされないように!!(字体 そして 送り仮名も 含めまして、原文通り)〙以上であります。
なお、いつものように 返信を 郵送しました。序で乍ら、この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 朝になりました。(後略)〕と記させて頂きました。本日 すなわち 3月13日(日)の〔葬儀屋の来訪〕のブログに記させて頂きましたように 某・葬儀屋の担当者が来ましたので、上記と同様に 書状を添えて 本を進呈しました。因みに、この某・葬儀屋の担当者は 昨日も 来ましたので、既に 1冊 進呈していました。なお、本日が 2冊目であります。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)〗と記させて頂きました。
および、昨日 すなわち 3月25日(金)の〖製本・委託・続報8〗のブログに記させて頂きましたように、成書が届きました。それで、早速 家政婦に あげました。また、 昨日 すなわち 3月25日(金)の〖保険外交員・続報6・前編〗のブログなどに記させて頂きました 保険の外交員の方にも あげました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)】と記させて頂きました。去る 4年前の3月6日(火)の【母親の転帰】のブログに記させて頂きましたように、母親が 亡くなりました。また、去る3月11日(金)の【父親の転帰】のブログに記させて頂きましたように、今回 父親が 続いて 亡くなりました。そして、過日、新たに 1通の 叔母(4女)から便りがありました。因みに、その便りを紹介します。
【前略。この度は ご愁傷様でございます。
先日、○○さん(姉のこと)より訃報の お電話を頂きまして 大変、驚きました、 ご冥福をお祈り申し上げます。
○○○姉さん(母親のこと)が亡くなって 数年間、お父様もよく頑張りましたね。今頃は おニ人で 再会している事でしよう。 この度の葬儀には コロナの為、出席できず 申し訳け(〖訳〗で いいですね)ございません。後日、小平へお墓参りさせて頂きます。 又、○○さん(当方のこと)もお父様の介護、ご苦労様でした。 これからは寂しくなりますがお体、ご自愛頂いてお元気でお過ごし下さいませ。 ○○○姉さん(叔母[3女])からも お香典預り(送り仮名は、〖預かり〗ですね)ました、呉々も宜しくとの事でございます、主人も宜しくとの事です。 これからも宜しく」(余分な記号が入ってしまったようです)お願い致します。(字体 そして 送り仮名も 含めまして、原文通り)】以上であります。
ならびに、父親の祖母の関係の親戚から 葉書が来ましたので、その便りを紹介します。
【お父様の訃報に接し、謹んで お悔やみ申し上げます。
皆様の お寂しさ いかばかりかと拝察いたします。
お父様には 伊勢の方へ 何度も お越しいただきましたことを思い出しております。颯爽とした 佇まいと やさしい お言葉をかけて頂いたことが思い起こされます。
ご冥福を 心よりお祈り申し上げます。
ご意向に従い ご香典等失礼させていただきます。(字体 そして 送り仮名も 含めまして、原文通り)】以上であります。
および、父親の告別式に参加してくれた 僧侶の寺から、
【桜も満開となり、春らしい気候となっております。
先日の○○○○様の御葬儀では お世話になりました。その際 お預り(送り仮名は、〖預かり〗ですね)致しました御布施の領収書を同封させて頂きます。ご不明な点などございましたら ご連絡下さい。
お体 どうぞ お大事に おすごし下さい。今後とも どうぞよろしく お願いいたします。合掌。(字体 そして 送り仮名も 含めまして、原文通り)】以上であります。そして、まだ、桜を見ていないことに気が付きました。
なお、いつものように 書状を添えて それらの3名の方々を含めまして 10名に 本を進呈しました。序で乍ら、この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 朝になりました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

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上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)』と記させて頂きました。
および、上記のように、去る三月十一日・午後六時十分、父親が 自宅で 逝去致しました。因みに、その約一ヶ月前に 菜食に理解を得た 両親に 感謝の気持ちを捧げさせて頂きたい と思い、その『笑いと菜食療法』を 加筆致し 印刷所に 原稿を送りました。そして、過日 改訂 増刷の上製本(ハード・カバー)の成書が届き ました。
それから、昨日 父親の祖母の関係の親戚から 葉書が来ましたので、その便りを紹介します。
『桜花の散りゆく候。御尊父様 ご逝去の報に接しました。諸行は無常なりと言え、大切な お父上のお姿のない春は、さぞ お淋しいことと存じます。在りし日の お姿を想い浮かべ 謹んで ご冥福を お祈り致します。貴意のままに、供花・お供え等 失礼させていただきます。合掌(字体 そして 送り仮名も 含めまして、原文通り)』以上であります。因みに、『桜花の散りゆく候』と伺いました。なお、去る 昨年の11月25日(木)の『三島由紀夫(憂国忌)(令和3年)』のブログの
『(前略)三島由紀夫は、自決に先立つ 約一ヶ月前の昭和45年(1970年)10月、広島県江田島にある 海上自衛隊第一術科学校の教育参考館を訪れています。その折 偶々 展示されていた、全国から寄せられた 戦没者の遺書の中から 手に取った 一通の遺書を読み終えた 三島由紀夫は、声を出して泣いたといわれています。それは慶應義塾大学経済学部から海軍第13期飛行予備学生に志願し、昭和20年(1945年)5月、神雷部隊(人間爆弾【桜花】による特攻部隊)として特攻出撃し、南西諸島方面で散華した 某・中尉(戦死後少佐に 二階級特進。23歳)の残した遺書でありました。三島由紀夫はこの遺書を読んで、【凄い名文だ。命が掛かっているのだから 叶わない。俺は命を掛けて書いていない。】と語ったと言われています。因みに、この遺書は、現在、靖國神社の遊就館に展示されています。(後略)』と記させて頂きました。序で乍ら、その届いた葉書には 差出人の 氏名のみで、住所が書かれては ありませんでした。因みに、後輩も言うことですが、差出人が 住所を書いてこないのは 誠に失禮なことであります。なお、今年 届いた その父親の祖母の関係の親戚からの年賀状に 書かれてある住所に送るのでは 転送になると、前回 すなわち 3月29日(火)の消印で 送りました 特定記録の死亡通知(葉書)で分かりました。しかし乍ら、新しい御住所が分からず、今回の返信に当たり 転送になると分かり乍ら 同じ住所で 送らなければならなくなりました。それで。転送の為 先方に届けることが 一日 遅れることになります。因みに、誠に遺憾乍ら、返信の便りが欲しくないのかもしれませんね。
なお、いつものように 書状を添えて その1名の方を含めまして 6名に 本を進呈しました。序で乍ら、この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 朝になりました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)」と記させて頂きました。
しかして、去る 一昨年の5月1日(日)の「本の進呈・続報81・後編(シンクロニシティ)」のブログの下段に、
「(前略)去る4月25日(月)の『本の進呈・続報80・後編(シンクロニシティ)』のブログの下段に、
『(前略)去る4月21日(木)の【本の進呈・続報79・後編(シンクロニシティ)】のブログの下段に、
【(前略)一昨々日 すなわち 4月18日(月)の〖本の進呈・続報78・後編(シンクロニシティ)〗のブログの下段に、
〖(前略)一昨々日 すなわち 4月15日(金)の〔本の進呈・続報77・後編(シンクロニシティ)〕のブログの下段に、
〔(前略)昨日 すなわち 4月14日(木)の〘マッサージ(父親)・205・中編・1〙のブログの下段に、
〘(前略)1ヶ月以上が経過しまして 本日の午前11時56分に、そのマッサージ師の方から、誠に有難いことに 電話が入りました。因みに、昨日も 固定電話に連絡を頂きまして ナンバー ディスプレイ機能により 分かりましたが、留守番電話に録音して頂きますことは 叶いませんでした。なお、昨日、携帯電話にも 連絡を頂いていました。そこで、そのマッサージ師の方によりますと、3月の1回分 すなわち 3月5日(土)分の請求が残っているとのことでした。それで、その料金を回収に来るとのことでした。すなわち、今回は 書類ではなく 現金で ¥430円を集金に来るとのことでした。そこで、4月15日(金)の午後1時に来るとのことであり、3分 遅れて 午後1時3分に見えました。(後略)〙と記させて頂きました。それで、そのマッサージ師の方に 上記の成書を進呈しました。序で乍ら、この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 朝になりました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)〕と記させて頂きました。上記のように 成書を進呈した 差出人の 氏名のみで、住所が書かれていない 葉書を出した 親戚から、返信がありました。
すなわち、
〔冠省。御丁重なお手紙とともに 貴著御恵送いただき 有難うございました。
別件乍ら、母・私こと 伊勢の本宅 及び 名古屋市熱田区の寓居を離れ、表記住所に転居致しました。お手数を おかけしますが、住所録データのご修正をお願いします。ご壮健とお父上のご冥福をお祈りします。早々。〕以上であります。
なお、いつものように 返信を 郵送しました。
序で乍ら、この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 朝になりました。(後略)〗と記させて頂きました。
次に、4月19日(火)の〖父親の内科受診の付き添い・続報16・後編〗のブログの下段に、
〖(前略)誠に有り難いことに、本日 偶々、その主治医の奥方に 路上で会いました。このような奇跡は 神仏の働きであると思われ、その奥方にも このことを伝えました。実は、その奥方に出会う直前に、その主治医に連絡しなければならないと思っていたのであります。それで、上記のように 偶々、その主治医の奥方に 路上で会ったのであります。(後略)〗と記させて頂きました。その主治医に、速達で 成書を贈りました。序で乍ら、この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 朝になりました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)】と記させて頂きました。
それから、昨日 すなわち 4月24日(日)の【父親の納骨(七七日・満中陰法要)(シンクロニシティ)】のブログの下段に、
【(前略)1日に 4回 シンクロニシティが起こったことになりますね。(後略)】と記させて頂きました。そして、去る4月7日の消印で 速達で 成書を進呈した 母親の関係の親戚から 葉書が来ました。因みに、この葉書が、星野富弘詩画集絵葉書でした。なお、満中陰の某・葬儀屋の担当者が この詩画集の作者と同じ苗字の人でした。従って、ここでも シンクロニシティが起きたような気が致しました。仮に そうであると致しますと、5回のシンクロニシティが起こったことになりますね。序で乍ら、その便りを紹介します。
すなわち、
【ご無沙汰して 申し訳ございません。
お父上様 ご逝去 遊ばされた由 お悔み申し上げます。又、過日は お手紙 ご本を送って頂き、感謝申し上げます。読ませて頂きます。17日(日)は イースターで 教会墓地で 墓前礼拝があり 行ってきました。その時 お宅様の お墓に お参りさせて頂きました。24日 納骨と伺いましたが、失礼させて頂きます。申し訳ございません。又 後日 お目にかからせて頂きます。かしこ(字体 そして 送り仮名も 含めまして、原文通り)】以上であります。
なお、いつものように 返信を 郵送しました。序で乍ら、この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 朝になりました。(後略)』と記させて頂きました。
しかも、本日 新たに 1通の 便りがありました。因みに、母親の信仰している 宗教団体の女性から です。
なお、いつものように 書状を添えて その1名の宗教団体の女性の お方を含めまして その宗教団体の男性と共に 2名に 速達で 成書を贈りました。序で乍ら、この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 朝になりました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)」と記させて頂きました。
ならびに、去る 一昨年の6月2日(木)の「本の進呈・続報87・後編(シンクロニシティ)」のブログの下段に、
「(前略)一昨日 すなわち 6月2日(木)の『本の進呈・続報86・後編(シンクロニシティ)』のブログの下段に、
『(前略)去る5月24日(火)の【本の進呈・続報85・後編(シンクロニシティ)】のブログの下段に、
【(前略)去る5月16日(月)の〖本の進呈・続報84・後編(シンクロニシティ)〗のブログの下段に、
〖(前略)去る5月12日(木)の〔本の進呈・続報83・後編(シンクロニシティ)〕のブログの下段に、
〔(前略)去る5月5日(木)の〘本の進呈・続報82・後編(シンクロニシティ)〙のブログの下段に、
〘(前略)昨日 そして 本日と 母親の信仰している 宗教団体の女性事務員に 連絡することになりました。因みに、この女性事務員に 速達で 成書を贈りました。なお、この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 朝になりました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)〙と記させて頂きました。
および、本日、上記の成書を進呈した 親戚から、手紙が届きました。因みに、用事があり 外出しようとしたところでした。
すなわち、
〘拝復。過日は お父様の ご逝去にあたり、お供え等は無用との ご案内にもかかわらず お線香など送付し、お取込みの中 お手を煩わせてしまいましたこと、誠に申し分けございませんでした。
先般のお父様 ご逝去の報をいただきました時には、つい昨冬に お電話を頂戴した折には お元気なご様子でしたのに、と 大変 驚きましたところです。謹んで お悔みを申し上げます。
思えば ○○様には、私の東京の大学への入学に際し、関東在住者の身元保証人は必要となった折、これを お願いいたしましたところ 快よく(快くですね)お引受けいただきましたことがございました。そのようなわけで 私にとっては 特別な お方であり、ご逝去は誠に悲しく残念に存じます。
そんなこともあり、本来ならば 参上し、お線香を上げたきところですが、介護などにて思うに任せず、せめてものとの思いで、ご案内の旨は知りつつ あえて、お線香をお送り申し上げてしまった次第です、不躾の段、平に ご容赦いただきますよう お願い申し上げます。
改めまして、手紙にて簡略ではございますが、心より お父様のご冥福をお祈り申し上げます。
合掌。〙以上であります。
なお、いつものように 返信を 速達で 郵送しました。序で乍ら、この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 朝になりました。(後略)〕と記させて頂きました。
また、上記と同様に、心療内科の医師に、上記と同様に 書状を添えて 本を進呈しました。因みに、いつものように 速達で 郵送しました。なお、この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 朝になりました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)〗と記させて頂きました。
ならびに、誠に有り難いことに、本日 偶々、父親の お薬を もらっていた 薬局の管理者(女性)に 路上で会いました。それで、その薬局の管理者(年配女性)に 速達で 成書を贈りました。また、その薬局の管理者の お方を含めまして、携帯電話会社関係の男性、ガスの点検の男性 そして 某・信用金庫関係の営業と共に 4名に 成書を贈りました。序で乍ら、この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 朝になりました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)】と記させて頂きました。去る五月二十八日(土)の午前中 母親の信仰している 宗教団体の女性事務員から 電話連絡が入りました。因みに、この女性事務員に 速達で 成書を贈りました。なお、この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 朝になりました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)』と記させて頂きました。
および、本日 すなわち 6月2日(木)の『郵便局員との会話・続報53(愛国・国益)・後編』のブログの下段に、
『(前略)そのヘルパー(日本語:家政婦)から、父親のことを尋ねられました。それで、上記のように、父親が 亡くなったことを伝えました。しかも、何歳で亡くなったかを訊かれましたので、今月で 94歳になる筈であった と回答しました。すなわち、前述致しました 叔母(4女)の言葉の如く、誠に有り難いことに、極めて 高齢ですね。なお、上記のように、母親が亡くなって、4年になります。序で乍ら、上記のように、そのヘルパー(日本語:家政婦)は、母親が 亡くなったので 辞める とのことでした。そして、それからの4年間 毎年 感謝の年賀状を送りましたが、返事は、1回も くれませんでした。(後略)』と記させて頂きました。すなわち、このヘルパー(日本語:家政婦)に 上記の成書を贈ると伝えましたら、誠に有り難いことに 喜んでくれました。それで、そのヘルパー(日本語:家政婦)に 速達で 成書を贈りました。因みに、この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 朝になりました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)」と記させて頂きました。
また、去る 一昨年の8月15日(月)の「本の進呈・続報93・後編(シンクロニシティ)」のブログの下段に、
「(前略)一昨日 すなわち 8月13日(土)の『本の進呈・続報92・後編(シンクロニシティ)』のブログの下段に、
『(前略)一昨々日 すなわち 8月10日(水)の【本の進呈・続報91・後編(シンクロニシティ)】のブログの下段に、
【(前略)去る7月27日(水)の〖本の進呈・続報90・後編(シンクロニシティ)〗のブログの下段に、
〖(前略)去る6月11日(土)の〔本の進呈・続報89・後編(シンクロニシティ)〕のブログの下段に、
〔(前略)一昨々日 すなわち 6月8日(水)の〘本の進呈・続報88・後編(シンクロニシティ)〙のブログの下段に、
〘(前略)母親の信仰している 宗教団体の女性事務員から 電話連絡が入ったことを前述致しました。因みに、この女性事務員の後継者の男性事務員にも 速達で 成書を贈りました。なお、この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 朝になりました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)〙と記させて頂きました。
および、本日 すなわち 6月11日(土)の〘理容店・続報39〙のブログに、約46年間 利用している理容店のことを記させて頂きました。因みに、この理容店の主人に、その成書を手渡しました。なお、この準備の為の作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 朝になりました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)〕と記させて頂きました。
そして、一昨々日 すなわち 7月24日(日)の〖弔問客の来訪・続報7〗のブログの上段に、
〔(前略)本日の午後5時17分に、誠に異例なことに アポイントメントなく チャイムが鳴りました。(後略)〕と記させて頂きました。それで、その訪問した 夫婦に 上記の成書を進呈しました。序で乍ら、この作業が 一昨々日から連続で 本日の夕方迄 掛かりました。すなわち、今回は 誠に特別に、三晩 寝ないで 作成させて頂き 夕方になりました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)〗と記させて頂きました。
それから、本日 すなわち 8月10日(水)の〖本の進呈・続報91・中編・4(シンクロニシティ)〗のブログの中段やや下に、去る令和四年一月十六日(日)の消印で 母校の医学部の神経科教授に 上記の成書を進呈したことを記させて頂きました。そして、此の度 開業するとの葉書が来ました。それで、開業祝いの代わりに 改訂した 成書を進呈することにしました。因みに、この母校の医学部の 元 神経科教授に 葉書が届いた翌日 速達で 成書を贈りました。なお、この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 朝になりました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)】と記させて頂きました。
しかも、本日 すなわち 8月13日(土)の【親戚からの突然の電話連絡・続報42・後編】のブログの下段に、
【(前略)本日の午前11時46分に、上記のように 現金書留で お見舞いを送った 従兄弟の奥方から 手紙が来ました。
(中略)
それで、取り急ぎ、速達扱いである レターパック・ライトで 返信しました。なお、この作業が 朝迄 掛かり 更に お昼になりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 翌日の お昼になりました。(後略)】と記させて頂きました。すなわち、その従兄弟に 改訂した 成書を進呈することにしました。なお、上記のように この作業が 朝迄 掛かり 更に お昼になりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 翌日の朝になり 更に お昼になりました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)』と記させて頂きました。
そのうえ、本日 すなわち 8月13日(土)の『親戚からの突然の電話連絡・続報42・後編』のブログの下段に、従兄弟の奥方から 届いた 手紙の内容を記させて頂きました。それで。成書を進呈することにしました。なお、上記のように この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 翌々日の朝になり 昼になり 夕方になりました。
更に。家政婦にも 追加して 成書を進呈しました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
すると、8月17日(水)の午前9時3分になって、誠に有難いことに、その従兄弟の氏名で、梨(幸水)が届きました。なお、梨の品種に因ませて頂きます。すなわち、去る 5年前の8月2日(水)の『エアコンのこと(両親の食事)』のブログの中段やや下に、
『(前略)ヘルパー(日本語:家政婦)によりますと、梨は 【幸水】がいいが 【幸水】がなくなると 【豊水】が出て来る とのことでした。それで、調べましたら 8月に入ると 【幸水】が出て来て、8月下旬以降は 【豊水】が出て来る とのことでした。なお、出荷される時期に ズレがあるようですね。序で乍ら、夫々 味わいがあり、どちらがいいと お勧めすることは 難しい とのことでした。(後略)』と記させて頂きました。
また、去る 一昨年の9月27日(日)の『鰻の蒲焼・740(味噌汁・カレーうどん・父親の食事)』のブログの中段に、
『(前略)父親によりますと 梨(二十世紀)が食べたいとのことでありましたので、入手しました。但し、最近では 梨と云うと、幸水 や 豊水ですね。 因みに、調べましたら、豊水には 二十世紀も交配されています。(後略)』と記させて頂きました。すなわち、前述致しましたように 父親が 亡くなりましたので、まず 上記のように 梨(二十世紀)が食べたいとのことでありました 父親に お供えしました。勿論、亡くなった 母親や 家族たちにも お供えをしました。

届いて お供えをした 梨(幸水)
(後略)」と記させて頂きました。
しかも、去る 一昨年の11月9日(水)の「本の進呈・続報97・中編・6(シンクロニシティ)」のブログの下段に、
「(前略)昨日 すなわち 11月8日(火)の『本の進呈・続報96・後編(シンクロニシティ)』のブログの下段に、
『(前略)去る11月4日(金)の【本の進呈・続報95・後編(シンクロニシティ)】のブログの下段に、
【(前略)去る8月28日(日)の〖本の進呈・続報94・後編(シンクロニシティ)〗のブログの下段に、
〖(前略)母親の信仰していた 宗教の男性 三人に、上記の成書を 速達で 進呈しました。なお、この作業が 一昨々日から連続で 本日の昼迄 掛かりました。すなわち、今回は 誠に特別に、三晩 寝ないで 作成させて頂き 昼になりました。序で乍ら、110枚以上の便箋を用いましたので、それが切れてしまいました。それで、急遽 通信販売で購入しましたので、更に 1日 余分に 掛かりました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)〗と記させて頂きました。
そのうえ、本日 すなわち 11月4日(金)の〖年賀状欠礼の葉書(父親)〗のブログに記させて頂きましたように、年賀状欠礼の葉書を出し終えました。すると、誠に異例なことに 母親の信仰していた 宗教の男性から 葉書が届きました。なお、その便りを紹介します。
すなわち、
〖岳父(この言葉の意味は 妻の父親のことでありますが、当方の父親であります。しかも、当方は 未婚であります)○○が 93歳にて 大往生されたとのこと、まことに ご愁傷様でした。
私も 谷口雅春大聖師の お志しを 受け継ぎ 天皇国日本の顕現と〘生命の実相〙拡大のため、これからも 全力投球する覚悟でおります。現在は 谷口先生が 始められた 社会事業団の講師として 活動をしております。靖國のため 献ぜられるとのこと、本当にすばらしいことです。又 何ヶ月かしたら、是非 お話をしましょう。御健勝と御活躍をお祈りしております。(字体 そして 送り仮名も 含めまして、原文通り。なお、家政婦も同意しましたが、なかなか 字が 読み取れませんでした。そして、家政婦も間違って読みました。すなわち、上記の〘社会事業団〙の〘業団〙の漢字が〘学園〙であると言うのです。全然 違う字でありますね)〗以上であります。
なお、いつものように 返信を 郵送すべく 準備を始めました。すると、数年前迄 勤務していて 本人の意向で 辞めた 家政婦から、午前10時40分に 当方の携帯電話に 着信しました。すなわち、
〖(年賀状欠礼の)葉書を貰って ビックリした。(繰り返し ビックリしたとのことでした)誠に有難いことに、両親を よく お見送りなさった。(笑で乍ら、自分のことを)腰を痛めて 複雑骨折をして、次から次へと 悪いところが出る。しかも、何件も 医者通いばかりしている。電話を 掛かけて 失礼で 迷惑を 掛けた。お邪魔しようかと思った。たいへん。〗以上であります。序で乍ら、その家政婦は、仕事が終わって 約1時間 両親と話をしている人でした。因みに、両親の介護をしている頃、その家政婦によりますと、誠に有り難いことに、 一人で 二人の親をみることは たいへん とのことでありました。しかも、これからも 長丁場だから とのことでした。
なお、去る4月24日(日)の〖父親の納骨(七七日・満中陰法要)(シンクロニシティ)〗のブログの中段下に、
〖(前略)納骨(七七日・満中陰法要)終了後に、叔母(4女)によりますと、誠に有り難いことに、当方が居たから お兄さん(父親)が 長生き(93歳9ヶ月)したとのことでした。(後略)〗と記させて頂きました。なお、誠に有り難いことに、〖この当方が居たから 〗の話になりました。
それで、その返信の作業が 加わることになってしまいました。序で乍ら、これらの作業が 朝迄 掛かり 更に 翌々々日 すなわち 四日間 掛かり 夕方になりました。つまり、今回も、蒲団に入らず 食事も 後回しにして 作成させて頂き 仕上げさせて頂き 四日後の 夕方になりました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後日 すなわち 11月7日〖月〗の午後4時50分に、上記のように 成書を進呈した 家政婦から 電話がありました。すなわち、届いたとのことでした。因みに、〖お金は〗とのことでしたので、手紙にも 丁重に書きましたし、感謝の印で 進呈したことを伝えました。すると、誠に有難いことに、〖済みません。〗とのことでした。なお、両親の食事ことで 感謝している旨を伝えましたら、誠に有難いことに、その家政婦によりますと、〖反対ですよ。〗とのことでした。序で乍ら、小松菜の煮びたしを 作ってもらったことを話しましたら、誠に有難いことに、その家政婦によりますと、〖それしか出来ない。〗とのことでした。因みに、その家政婦によりますと、相続は たいへんとのことでした。なお、その家政婦によりますと、息子は パソコンを遣っていない とのことでした。序で乍ら、その家政婦によりますと、前は 息子は パソコンを遣っていたとのことでした。そして、その家政婦によりますと、息子が 頭を打ったとのことでした)(後略)】と記させて頂きました。
のみならず、誠に有難いことに、年賀状欠礼の葉書を出した 母校の医学部の 元 第一内科学教室主任教授であり、上記の 母校の某・都立高校の先輩でもある 医師から、返信がありました。
すなわち、
【秋深くなり、朝夕は冷え込みが強くなりま。(句点が入ってしまっていて、訂正されていませんでした。急いだのであると思われます)した。 御元気でお過ごしのこと嬉しく思います。
この度、ご尊父○○○○様の喪中のお知らせを頂きました。心からお悔やみを申し上げます。
すでに、お別れの行事は、 済まされたとのことお疲れのこと と存じます。ご自愛し、ご尊父を心に頑張ってください
ご示唆いただきましたURLを早速拝見しました。 神話にあります万物の根元をなす造化神・三柱神のうち神産巣神の名を冠したものであり、諸氏の意見が書かれていました。 勉強になりました。ありがとうございました。
令和四年十一月五日(字体 そして 送り仮名も 含めまして、原文通り)】以上であります。
それで、取り急ぎ、速達扱いである レターパック・ライトで 返信しました。なお、この作業が 朝迄 掛かり 更に お昼になりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 翌日の お昼になりました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)』と記させて頂きました。
ならびに、今年 年賀状を送って 届いた 母親の信仰している 宗教の夫婦に、年賀状欠礼の葉書を出しました。すると、『あて所に尋ねあたりません』 とのことであり 戻ってきました。それで、再度 送付しました。なお、この作業が 朝迄 掛かり 更に お昼になりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 翌日の お昼になりました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)」と記させて頂きました。
なお、去る 4年前の5月11日(月)の「リハビリテーション(父親)・86・中編・1」のブログの中段やや下に、
「(前略)去る4月10日(金)の『父親の食事(カレーうどん)、洗濯 そして 入浴・159』のブログの中段下に、
『(前略)去る 一昨々年の10月20日(金)の【アンテナに関して(両親の食事)】のブログの中段やや上に、
【(前略)去る 一昨年の3月30日(月)の〖脳の神経細胞の新生〗のブログ の上段やや下に、
〖(前略)Wernicke脳症の後遺症として、Korsakoff症候群(コルサコフしょうこうぐん)(コルサコフはロシアの精神科医の名前)があります。老人性認知症が基礎疾患としてあって、Korsakoff症候群を引き起こす ともされています。Korsakoff症候群は、記銘力障害、失見当識(英語:disorientation)、そして、作話を三徴(三つの徴候)とする疾患です。(後略)〗と記させて頂きました。このように 記銘力障害を引き起こす Korsakoff症候群の基礎疾患として、アルコール(お酒)による 振戦せん妄があるのです。だから、お酒 呑むことは、記憶力(記銘力)に影響を及ぼすのです。忘れたいことがあるときには お酒 呑むと言われますので、御理解頂けることであると存じます。上記の排泄介助の方にも この話を致しまして、誠に有り難いことに 納得して頂けました。序で乍ら、他に Korsakoff症候群の基礎疾患としては、一酸化炭素(化学式:CO)中毒があります。それらの三つの基礎疾患を覚える為に〖酒浸り(振戦せん妄)の ジジイ(老人性認知症)のガス中毒(CO中毒)〗という語呂合わせがあります。(後略)】と記させて頂きました。その介護福祉士の方によりますと、老人は 短期記憶を やられるとの旨でした。それで、上記の記銘力障害のことを言及しました。なお、去る 6年前11月1日(土)の【東ベルリン(旧・東 独)】のブログ 、去る 5年前の1月30日(金)の【 永代神楽祭】のブログ、去る 昨年の6月11日(火)の【歯科受診・続報8(抜歯)】のブログ、去る 昨年の12月4日(水)の【鰻の蒲焼・486(カレーうどん・父親の食事)】のブログのそれぞれ下段、去る 4年前の1月31日(日)の【永代神楽祭・2】のブログ、去る 4年前の5月14日(土)の【デュッセルドルフ( 独)(ハイネの家)】のブログ、去る 一昨年の10月20日(金)の【アンテナに関して(両親の食事)】のブログの中段、そして、去る 一昨々年の4月16日(土)の【数学教師・2】の ブログの上段などに記させて頂きましたように、医者(研修医)になってから、誠に有り難いことに、お酒を 飲んでおりません。序で乍ら、健常人でも、短時間睡眠 や 仮に お酒を 飲んだときには、短期記憶が やられますので、実感して頂けると思います。 因 みに、このことも、その介護福祉士の方に 伝えました。(後略)』と記させて頂きました。
しかも、去る 昨年の12月17日(火)の『訪問看護(父親)・42・中編・1』のブログの中段やや下に、
『(前略)去る 4年前の3月30日(月)の【脳の神経細胞の新生】のブログ、去る 一昨々年の3月1日(火)の【母親の観劇・続々報(父親の付き添い)】のブログ、去る 一昨々年の4月5日(火)の【母親の外出(父親の付き添い)】のブログ、去る 一昨々年の5月30日(月)の【楽しく食べて 無理なくダイエットする7つのコツ】のブログ、去る 一昨年の1月21日(土)の【ビタミンB1(両親の食事)】のブログ そして 去る 一昨年の4月24日(月)の【母親の転倒(両親の食事)・3】のブログのそれぞれ上段に、
【(前略)父親は、キャラメル、クッキー そして ジュースなどの甘い食べ物が好きです。去る3月27日(金)の〖馬鈴薯 〗のブログ の下段やや上に、
〖(前略)玄米の 糠 には、去る11月10日(月)の〘らっきょう〙のブログ で お伝え申し上げましたように、糖質からエネルギーをつくり出すときに役立つとされているビタミンB1(英語: thiamin )が含まれています。(後略)〗と記させて頂きました。糖質を摂取 りますと、ビタミンB1(チアミン)の摂取が必要になります。父親は 玄米 や らっきょうを食べませんので、別の食品でビタミンB1(チアミン)を摂取 ることになります。(中略)話を戻しますが、ビタミンB1(チアミン)には、神経の機能を正常に保つ働きもあります。御承知のように、ビタミンB1(チアミン)が欠乏しますと、脚気 やWernicke脳症(ウェルニッケのうしょう)(ネガティブ[英語:negative]で 御座 いますし、お読み下さっている 方々 に影響を お与えすることの無いように、日本語で 綴 ることを控えさせて頂きました)になるとされています。Wernicke脳症の後遺症として、Korsakoff症候群(コルサコフしょうこうぐん)(コルサコフはロシアの精神科医の名前)があります。老人性認知症が基礎疾患としてあって、Korsakoff症候群を引き起こすとも されています。Korsakoff症候群は、記銘力障害、失見当識(英語:disorientation)、そして、作話を三徴(三つの徴候)とする疾患です。去る1月7日(水)の〖受験のアドバイス〗のブログ に、医師国家試験のことを記させて頂きました。また、このブログ の上段で、
〖(前略) 大学院生の頃、主任教授に依頼されて、最終学年である6回生に医師国家試験特別講義を担当致しておりました・・・(後略)〗と記させて頂きました。Korsakoff症候群は医師国家試験の山の一つなので、機に触れ、学部卒業予定者たちに伝えて来た内容です。すなわち、医師国家試験対策のワン・ポイントで 御座 います。Korsakoff症候群の三徴の覚え 方 です。まず、Korsakoff症候群の中心となるのは、記銘力障害です。これを覚えておけば、三徴すべてを覚えなくても、正統的に導き出すことが出来ます。去る10月25日(土)の〖右脳記憶とインスピレーション(inspiration)〗のブログ の中段やや下にも、
〖(前略)この一つの光景を 想起 しただけで、(中略)お花の三大流派を覚えることが出来ます。(後略)〗と記させて頂き、一つを覚えれば、三つを導き出すことが出来ることを示させて頂きました。但し、この お花の三大流派の覚え方 は、記させて頂きましたように、右脳で、イメージとして覚える方法で御座 います。
記銘力障害とは、ものが覚えられないということです。因 みに、簡潔に記しますと、ものを覚えることを記銘と言い、ものを思い出すことを追想と言います。前述の 去る10月25日(土)の〖右脳記憶とインスピレーション(inspiration)〗のブログ の下段やや上に、
〖(前略) 記憶機能は、〘記銘 〙、〘保持〙、〘追想(あるいは 想起 )〙の3段階から成り立つとされています。(後略)〗と記させて頂きました。
記銘力障害の例と致しまして、外出したが、道順を覚えられないのです。すると、今、自分がどこにいるのかわからなくなります。これを orientation(オリエンテーション)の消失、つまり disorientation(失見当識)といいます。子供だったら、素直に、迷子になったと言って、交番に駆け込めばいいのですが、迷子になったことも忘れているので、あたかも見て来たようなことを言う、すなわち、作話であります。以上が三徴で御座 います。
因 みに、脚気 につきましては、鈴木 梅太郎、高木 兼寛、そして、明治時代の文豪・森 鴎外の話があります。かつては、脚気 の原因が 解 らない時代がありました。鈴木 梅太郎は、米糠 (前述のように、ビタミンB1[チアミン]が含まれています)を 脚気 の予防に使えるということを発見したことで有名です。一方、森 鴎外は、脚気 の原因を細菌だと思っていました。母校の近くに、森 鴎外記念本郷図書館(現・森 鴎外記念館)がありました。(後略)】と記させて頂きました。
また、去る 一昨年の8月23日(水)の【鰻の蒲焼・3(両親の食事)】のブログの中段から、
【(前略)去る4月24日(月)の〖母親の転倒(両親の食事)・3〗のブログの上段やや下に、(中略)
両親は コレステロール値が高いのです。それで、ビタミンB1(チアミン)は 含まれていますが、コレステロール値が高い豚肉を控えております。そして、替わりに、ビタミンB1(チアミン)が含まれています 鰻の蒲焼にしているのです。(後略)】と記させて頂きました。その訪問看護師の方に これらの話も しましたら、誠に有り難いことに、自分も ビタミンB1(チアミン)を摂取 らなきゃ とのことでした。なお、去る 4年前の7月19日(日)の【固定電話 ・続報】のブログ の上段に、
【(前略)一昨日 すなわち 7月17日(金)の〖プチ・トマト〗のブログ の上段に、
〖(前略)昨日、母親から、〘(父親が)鰻を食べたい、と言っているので、買って来て!〙と伝えられましたため、スーパー・マーケットに行き、父親の為に奮発して国産の鰻の蒲焼を購入して来ました。(後略)〗と記させて頂きました。昨日、母親の方から、〖(父親が)鰻が美味しかった、と言っていた。〗と伺いました。誠に有り難いことに、美味しく食べられるのでしたらいいですね。(後略)】と記させて頂きました。すなわち、国産の鰻の蒲焼は 高いですが、父親の記銘力の為に お薬と思って 購入しています。(後略)』と記させて頂きました。前述致しましたように その新しい理学療法士の方が エコノミー症候群のことを言及しましたので、父親の食事を理解してもらう為に、Korsakoff症候群のことを伝えました。すなわち、上記のように 国産の鰻の蒲焼は 高いですが、父親の記銘力の為に お薬と思って 購入しているのであります。(後略)」と記させて頂きました。
すなわち、去る 一昨年の11月24日(木)の「本の進呈・続報101・後編(シンクロニシティ)」のブログの下段に、
「(前略)去る11月16日(水)の『本の進呈・続報100・後編(シンクロニシティ)』のブログの下段に、
『(前略)昨日 すなわち 11月15日(火)の【本の進呈・続報99・後編(シンクロニシティ)】のブログの下段に、
【(前略)昨日 すなわち 11月14日(月)の〖本の進呈・続報98・後編(シンクロニシティ)〗のブログの下段に、
〖(前略)去る11月9日(水)の〔本の進呈・続報97・後編(シンクロニシティ)〕のブログの下段に、
〔(前略)短時間睡眠ですと、短期記憶が やられます。因 みに、このことを 家政婦に話しましたら、誠に有難いことに、納得してくれました。
また、上記のように 朝迄 寝ませんで 翌日を迎えますと、体力が落ちますので 相対的に 精神的 そして 霊的な面が 上昇してきます。因 みに、これは 断食をしたり 滝行をしたりするのと 同様でありますね。すなわち、体力を落として 相対的に 精神的 そして 霊的な面を上げるのであります。但し、大事なことは、精神的 そして 霊的な面 そのものを上昇させることであります。なお、このことも これ迄 の 家政婦への話しの蓄積がありまして 更に 家政婦に話しましたら、誠に有難いことに、納得して頷いてくれました。(後略)〕と記させて頂きました。
さて、上記のように 年賀状欠礼の葉書を出し終えました。すると、前述致しましたように、誠に異例なことに 母親の信仰していた 宗教の男性から 葉書が届きました。それで、去る十一月四日(金)の午前から 七日(月)の夕方迄 すなわち 四日間、蒲団に入らず 食事も 後回しにして 仕上げさせて頂きました。 因 みに、上記と同様に 一筆入れて 成書を進呈しました。ところが、先方に届いて よく 読みもしないうちに 再度 誠に異例なことに 葉書が届きました。なお、その便りを紹介します。 すなわち、
〔(前略)先日は 素晴らしい たくさんの資料 ありがとうございました。
ゆっくりと 拝見して、又 お便りをさしあげます。
貴方様の中心が 靖国神社、すばらしいですね。きっと 亡き お父様が悦んで おられ(〘る〙が抜けているようであります)ことでしょう。
お会いして ゆっくり お話をいたしましょう。(後略)〕以上であります。
それで、再度 送付しました。なお、この作業が 朝迄 掛かり 更に お昼になりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 翌日の お昼になりました。
ときに、去る11月4日(金)の〔年賀状欠礼の葉書(父親)〕のブログを記させて頂きました。このように 年賀状欠礼の葉書を 1週間以上も 前に お届けしている 家政婦の長女から、年賀状欠礼の葉書が来ました。 因 みに、年賀状欠礼の葉書は とうの昔に届けていますので、分かっている筈なのでありますがね。なお、それでも、送ってくるのでありますね。
すなわち、
〔喪中につき新年のご挨拶を失礼させていただきます
母、笹邊千代子が六月 九十八歳にて
義兄、斎藤敬信が三月 七十九歳にて永眠いたしました
生前賜りましたご厚情に深く感謝致しますとともに皆様には良き年を迎えられますようお祈り申し上げます
令和四年十一月(後略)〕以上であります。
それで、返信しました。なお、この作業が 更に その翌日の朝迄 掛かり 更に お昼になりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き その翌日の お昼になりました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)〗と記させて頂きました。
ときに、本日 すなわち 11月15日(火)の〖信用金庫の営業・続報15・前編〗のブログ そして 本日 すなわち 11月15日(火)の〖信用金庫の営業・続報15・後編〗のブログに、某・信用金庫の営業の方が 引き継ぎの為に 二人で 来ることを記させて頂きました。それで、今回も、寝ないで 作成させて頂き 翌日の 朝になりました。そして、その某・信用金庫の営業の方に、上記と同様に 一筆入れて 下の画像の成書を進呈しました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)】と記させて頂きました。
ところで、上記のように 年賀状欠礼の葉書を出し終えました。すると、前述致しましたように、誠に異例なことに 母親の信仰していた 宗教の 二名の女性から 葉書が届きました。
すなわち、
【お父様 御立派な御生涯でしたね。でも、先生にとっては 寂しくなられた事と思います。これから 寒くなります。どうぞ ご自愛下さいませ。】以上であります。

誠に有難いことに、大国主命の絵葉書
また、もう一通であります。
すなわち、【先日は 突然のお知らせ いただきながら 遅くなり 申し訳ありません。お伺いする事も出来ず 生前 おやさしい お姿を思い 心から おくやみ申し上げます。実は 十一月十二日、引っ越しました。今は、ダンボールに囲まれた生活です。お知らせまで。】以上であります。
それで、三日間、蒲団に入らず 食事も 後回しにして 仕上げさせて頂きました。 因 みに、上記と同様に 一筆入れて 成書を進呈しました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)』と記させて頂きました。
次に、『年賀状欠礼の葉書を 1週間以上も 前に お届けしている 家政婦の長女から、年賀状欠礼の葉書が来ました。 因 みに、年賀状欠礼の葉書は とうの昔に届けていますので、分かっている筈なのでありますがね。なお、それでも、送ってくるのでありますね。』と前述致しました 家政婦の長女から、また 便りが入りました。
すなわち、
『喪中お見舞い申し上げます。
年賀欠礼のお知らせをいただき、大変驚いております。
お父上様ご逝去のこと、少しも存じませず、お悔やみも申し上げず失礼いたしました。
遅ればせながら、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
また この度は、ご著作を頂きまして、誠にありがとうございました。
菜食療法のことはよくわかりませんが
○○様のまじめな人柄がよく表れているように感じました。
これから寒い季節に向かいます。お身体充分おいといください。 敬具。
令和四年十一月十九日(日付から 5日間も 経過して、本日 届きました)(字体 そして 送り仮名も 含めまして、原文通り)(後略)』以上であります。
ならびに、年賀状欠礼の葉書を 2週間半以上も 前に お届けして その間に 手紙も送っている 姉夫婦からも、年賀状欠礼の葉書が届きました。
すなわち、
『喪中のため 新年のご挨拶は 失礼させていただきます
父 ○○○○が三月十一日に九十三歳で永眠いたしました
ここに 本年中のご芳情を厚くお礼申し上げますとともに みなさまには良い年が訪れますようお祈りいたします
令和四年十一月(字体 そして 送り仮名も 含めまして、原文通り)(後略)』以上であります。
それで、それらの返信の作業が 加わることになってしまいました。これらの作業が 朝迄 掛かり 更に お昼になりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 翌日の お昼になりました。(後略)」と記させて頂きました。
さて、去る 昨年の1月6日(金)の「本の進呈・続報106・中編・7(シンクロニシティ)」のブログの下段に、
「(前略)去る 昨年の12月14日(水)の『本の進呈・続報105・後編(シンクロニシティ)』のブログの下段に、
『(前略)昨日 すなわち 12月13日(火)の【本の進呈・続報104・後編(シンクロニシティ)】のブログの下段に、
【(前略)去る11月29日(火)の〖本の進呈・続報103・後編(シンクロニシティ)〗のブログの下段に、
〖(前略)去る11月25日(金)の〔本の進呈・続報102・後編(シンクロニシティ)〕のブログの下段に、
〔(前略)上記のように 3週間以上前に、年賀状欠礼の葉書を出し終えました。すると、本日、年賀状欠礼の葉書を出した 母校の医学部の 元 皮膚科学教室講師であった 開業医(池袋) と 父親の関係の 近所の建設会社・工事業(建具屋)の社長から、年賀状欠礼の葉書が来ました。 因 みに、上記のように 年賀状欠礼の葉書は とうの昔に届けていますので、分かっている筈なのでありますがね。なお、それでも、送ってくるのでありますね。
すなわち、
〘喪中につき新年のご挨拶を 失礼させていただきます
母、○○○○が十月ニ十ニ日に九十六歳で永眠いたしました
ここに本年中に賜りました ご厚情 を深謝いたしますと共に 明年も変わらぬ ご厚誼のほどお願い申し上げます
令和四年十一月(字体 そして 送り仮名も 含めまして、原文通り)(後略)〙以上であります。
また、もう 1通であります。
すなわち、
〘喪中につき年頭のご挨拶は失礼させていただきます
本年八月に母 ○○○○が八十八歳にて永眠いたしました。
本年中に賜りましたご厚情に深謝いたしますと共に 明年もかわらぬご指導とご交誼をお願い申し上げます
令和四年十一月(字体 そして 送り仮名も 含めまして、原文通り)(後略)〙以上であります。
そこで、それらの返信の作業が 加わることになってしまいました。これらの作業が 朝迄 掛かり 更に お昼になりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 翌々日の 夕方になりました。なお、下の画像のように 本の見返しに 一筆入れました。序で乍ら、亡き父親の歯科医にも、追加で 成書を用意しました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)〕と記させて頂きました。
ときに、 本日 すなわち 11月29日(火)の〔本の進呈・続報103・中編・1(シンクロニシティ)〕のブログの中段に、両親は約8年前に商売を廃業したと記させて頂きました。
なお、上記のように 3週間半以上前に、年賀状欠礼の葉書を出し終えました。すると、前述致しましたように、誠に異例なことに 上記のように 両親が商売を廃業する前に来ていた アルバイト(英語:part
すなわち、
〔お手紙(実際には、年賀状欠礼の葉書)をいただきまして 誠にありがとうございます。社長が亡くなられたことを お聞きし、驚きとともに 本当に寂しく思います。
上京し 知り合いも少なく 心細い中で 社長と奥様には 本当に 良くしていただきました。あさやさんには 4年 お世話になり、多くの経験をさせていただきました。大学卒業後も 社長には 時折 お電話いただきました。いつも 電話ごしに申し訳ないほど 私事を褒めてくださり、前職を辞めて 会計士試験に トライする時、仕事が多忙な時など、社長の言葉が 本当に励みになりました。一 アルバイトの学生であった 私を、ここまでかわいがって頂き、感謝してもしきれません。あさやさんを卒業する際に 社長と奥様と一緒に撮った写真を大事にしております。社長と奥様には お会いすることはできませんが、頂いた言葉を大事にしながら、お二人の期待に応えるよう がんばっていきたいと思います。今後とも よろしくお願いします。(字体 そして 送り仮名も 含めまして、原文通り)〕以上であります。
また、もう一通であります。
すなわち、
〔御父君様 天寿を全うなされ 他界なされました由
心より 御冥福を お祈り申し上げます。(○○さんは 親孝行なされました!)
又 私も同じく〘天皇国日本〙 実相顕現を柱に 日本文化を伝承していく聖使命で 世界人類光明化運動に邁進させて戴きます。宜しく お願い致します。
〘生長の家は 一つ〙で 精進
ただよえる 雲のかなたに まん丸に 澄みきる月ぞ わが姿なる
感謝 合掌
十一月二十四日(6日も経過しています)(字体 そして 送り仮名も 含めまして、原文通り)〕以上であります。
しかも、去る11月29日(火)の〔歳末助け合い運動(令和4年)〕のブログの下段に、
〔(前略)今年の年末も、上記のように 歳末助け合い運動の時期になりました。それで、歳末助け合い運動の募金袋の付いた回覧板が来ました。それで、歳末助け合い運動の準備を開始しました。 因みに、上記の 歯科医が 町内の幹事をしています。それで、歯科の受付迄 お持ち頂いても 結構です とのことでありました。(後略)〕と記させて頂きました。すなわち、この歯科医にも、2冊目でありますが 改訂して増刷した 成書を 進呈すべく 用意しました。
それで、それらの返信の作業が 加わることになってしまいました。これらの作業が 朝迄 掛かり 更に お昼になりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 翌日の 夕方になりました。なお、下の画像のように 本の見返しに 一筆入れました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)〗と記させて頂きました。
ところで、上記のように 1ヶ月1週間以上前に、年賀状欠礼の葉書を出し終えました。すると、本日、年賀状欠礼の葉書を出した 親戚から、年賀状欠礼の葉書が来ました。 因 みに、上記のように 年賀状欠礼の葉書は とうの昔に届けていますので、分かっている筈なのでありますがね。なお、それでも、送ってくるのでありますね。
すなわち、
〖喪中につき年末年始の ご挨拶は失礼させていただきます
本年八月十六日に 父○○が 九十七歳にて 天寿を全ういたしました
生前皆様より賜りましたご厚情をいただきましたことに深く感謝いたしますとともに 明年も変わらぬご交誼のほどお願い申し上げます
令和四年十二月
寒さ増します折 ご自愛くださいませ(後略)〗以上であります。
そこで、その返信の作業が 加わることになってしまいました。これらの作業が 朝迄 掛かり 更に お昼になりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 翌日の 夕方になりました。 因 みに、買い物に行くことも 出来ませんでした。なお、下の画像のように 本の見返しに 一筆入れました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)】と記させて頂きました。
さて、去る 4年前の2月19日(月)の【家政婦紹介所の代表者の欠席(父親の食事)】のブログの上段などに、家政婦紹介所の 代表者のことを記させて頂きました。この代表者に、昨年 すなわち 令和三年十一月二十八日(金)の消印の速達(レターパック・プラス)で 上記の成書を贈りました。すると、本日、返信がありました。
すなわち、
【いつも、家政婦サ-ビスをご利用くださいまして、誠にありがとうございます。
先日、貴重な資料を含め、他の情報もご提供頂き、ありがとうございました。
参考にさせて頂きます。
昨今のコロナ禍で、規制の判断基準がハッキリとせず、今だに(〖未だに〗でありますね)多くの施設等では困惑の状況です。もう左程の危機はないのですが、行政では責任回避のために改善もみられません。このままではいつまでたっても収拾つかず、規制レベルを至急に緩和できないかと願っています。 国の課題も山積しています。 国益を第一として、天皇の尊厳・国防・経済・エネルギーなど、代議士の責任は重く、重大な責務があります。特に神武天皇から続いた、世界に類をみない日本の天皇の尊厳を守らなくてはなりません。終戦時にGTQによって、日本人の尊厳と高質な精神をすべて崩壊してしまいました。それは日本人の質・良心・文化を恐れ、崩壊する策を強引に進めて、二度と米国に歯向かわない様にする策略でした。一説には天皇を残している方が得策だから残すようにした言われていますが、これは事実ではない様です。皇室の廃止案もあったのですが当時の内閣の強烈な反対で実施しませんでした。その代わりに宮家は廃家してしまいました。 世界の王族王家は全て、革命・反乱など転覆により、一部はありますが王家は今は殆ど残っていません。もともと、菊の御紋は世界の王家の象徴として使われていました。今、世界で〖菊〗の御紋が残っているのは日本の天皇家のみとなっています。天皇は神武天皇から国民の〖幸せと冨(〔富める〕でありますね)めること〗のみを願い祈ってきました。その願いは継承し、いまも天皇は毎晩祈っています。世界の王は自分の利益の事しか考えなく、恐怖のため堅固な城を築き、周りを堀で覆い、民衆からの攻撃に備えました。しかし、日本の皇居は堀もなく、高い壁もなく、攻撃しやすい構造になっています。それでも民・大名は攻めることは一切しません。それは他の王にはできない、民の〖幸せ・富める〗を願い、只管〖祈る〗特別な存在であったからです。このような存在を知っていたG H Qは皇廃を日本に突き付けたが日本国民は占領下であってもそれを認めることはしませんでした。それは 天皇の尊厳を守る日本人のこころでもあったといえます。
米国人は元々、イギリスからのはぐれ者の衆民で皇帝朝廷には強いコンプレックスを持っている人種でもあり、米国に渡り、インデアンを殺し国を作った民族です。民主主義下の名のもとでマルクス共産主義に加担し、ロシア帝国を倒しました。民主主義は共産党思想と共鳴しています。然るに当時、米国人は元々は隠れ共産党だったのです。その隠れ共産党員がGHQのスタッフに加わり、戦後の日本憲法を作り、日本の精神的崩壊を推進してきました。目的は日本を共産化することに主眼とし、それに協力したのがマスコミ・知識人・特に朝日新聞が筆頭に他の新聞社でもありました。その路線を現在も継続しています。〖国家・国益〗を教育から抹消してしまい、知識人・マスコミ・新聞社を扇動して日本の弱体化を推進してきました。実はいまでも米国・中国は日本を潜在的に 一番恐れています。
そういうことで本当の敵は中国・朝鮮ではなく、米国が一番の敵になります。いつまでも日本を米国の属国にしておきたいのが本音で貧弱な日本を望んでいます。もう、そろそろ日本も米国の属国ではなく、独立国家になるべきでしよう。近い内に米国に立ち向かい、日本を救済解決できる人物が登場するのではないかと待ち望んでいます。米国から脱皮し、対等に付き合うことができる人物が出てくると信じています。
エネルギー資源も日本は世界第6位の海洋国であり、現在日本海底から、エネルギーを採掘できる環境も整ない(正しくは、〖整い〗でありますね)つつあるといわれています。今、世界は海底5000 Mまで潜る海底Alロボットも開発できています。因みに 中国は11000Mの海底ロボットを保有しているといわれてますが実態は不明だそうです。 石油・レアアース・メタンハイドレート・その他の鉱物資源が日本海に大量に眠っています。いままでは海底ロボットがなく開発できなかったが、ロボット開発のお陰で5000~6000M海底から採掘できるようになれは、日本は資源大国になります。 存じの通リ、尖閣諸島周辺は油田の埋蔵量は世界第二になるほどの量があるといわれています。その為に過去に見向きもしなかった尖閣諸島に中国が介入してきました。すでにこの近海では数年前から中国は石油を採掘しています。 そのことを分かっている日本政府は今まで何も抗議も行動もせず、現在に至っています。国益を守る為にも尖閣諸島の海上自衛隊の監視出動が急務であると思います。資源と漁民を中国から守らなくてはならないでしよう。
いままで資源のない日本と言われ続けてきましたが、将来は子供たちには〖資源国日本〗になると云うことで、子供も国民も夢と希望を持っことができます。 いま、佐渡ヶ島と新潟の間にメタンハイドレートがあることが判明しています。 令和2 7年には商業化の方向で国の先導で動き始めているとのことです。 メタンからは水素ができ、天然ガスの代わりになるそうです。いま、天然ガスはオーストラリアの粗質石炭から精製し、液体にして、8000はなれた場所から高い輸送料を払い輸入しています。その為、市場では高価な天然ガスになり、生活に影を及ばしています。それが日本海の近海で水素となるメタンハイドレートが採掘できれは、私たちの光熱費が5 ~ 7割安くなります。 独裁者ロシア・中国・北朝鮮に囲われた日本が生き残れるには、資源を保有し、経済的と抑止力を備えた防衛を強固にすることであり、ウクライナ情勢、近隣諸国のエネルギーは独裁者の国がカードを持っています。エネルギーを確かなものにするには自国での保有が必須になってきます。その点、日本海底にある豊富な資源開発は急務であり、そのためには開発費を惜しまず未来に計上して、各海底地域の資源開発を活発にしてもらいたいものです。経済的にも安定させ、米国の呪縛から解き放ち、真の独立国日本になるべき環境を充実し、未来に備えなくてならないでしよう。可能性は十分にあります。そして漸く、未来に希望が持てる事になります。 話しが余計な方向になりました。ご容赦ください。
どうぞ、よい年をお迎えください。】以上であります。
すなわち、
一般的には 国際金融資本たち(左翼系ユダヤ人 そして その影響を受けた資本家たち・共産主義者)が 天皇陛下を残している方が得策だから残すようにした言われています。ところが、ソ連共産党は、皇室の廃止・天皇陛下の処刑でありましたからね。
ならびに、日本も米国の属国ではなく、独立国家になるべきであります。
および、尖閣諸島は 急務でありますね。
また、上記のように 【メタンからは水素ができ、天然ガスの代わりになる】と 書かれてありましたが、水素 と 一酸化炭素や二酸化炭素から 天然ガスの主成分であるメタンを合成する技術もあるとのことでありますので、メタンを そのまま 都市ガスにしてもいいですね。
それで、その返信の作業が 加わることになってしまいました。これらの作業が 朝迄 掛かり 更に お昼になりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 翌日の 夕方になりました。(後略)』と記させて頂きました。
更に、上記のように 2ヶ月以上前に、年賀状欠礼の葉書を出し終えました。すると、昨日 すなわち 1月5日になって 年賀状が来ました。 因 みに、上記のように 年賀状欠礼の葉書は とうの昔に届けていますので、分かっている筈なのでありますがね。なお、それでも、送ってくるのでありますね。
すなわち、
『(前略)旧年中は 色々と お世話様になりました。本年も どうぞ よろしく お願い申し上げます。(後略)』以上であります。
しかも、1月1日も 1月3日も、年賀状欠礼の葉書を出したにもかかわらず、12通以上 年賀状が来ました。
すなわち、
『(前略)今年も 元気で ご活躍ください。よろしく お願いします。(後略)』以上であります。
そのうえ、『(前略)その節は、御本をいただきまして、誠に ありがとうございます。(後略)』以上であります。
そこで、その返信の作業が 加わることになってしまいました。これらの作業が 朝迄 掛かり 更に お昼になりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 翌々日の 夕方になりました。 因 みに、買い物に行くことも 出来ませんでした。なお、下の画像のように 本の見返しに 一筆入れました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)」と記させて頂きました。
ときに、去る 昨年の5月1日(月)の「本の進呈・続報111・後編(シンクロニシティ)」のブログの中段やや上に、
「(前略)去る4月11日(火)の『本の進呈・続報110・後編(シンクロニシティ)』のブログの中段やや上に、
『(前略)昨日 すなわち 4月10日(月)の【本の進呈・続報109・後編(シンクロニシティ)】のブログの中段やや上に、
【(前略)去る1月16日(月)の〖本の進呈・続報108・後編(シンクロニシティ)〗のブログの中段やや下に、
〖(前略)去る1月10日(火)の〔本の進呈・続報107・後編(シンクロニシティ)〕のブログの中段やや下に、
〔(前略)上記のように 2ヶ月と1週間以上前に、年賀状欠礼の葉書を出し終えました。すると、昨日 すなわち 1月10日になって 年賀状が来ました。 因 みに、上記のように 年賀状欠礼の葉書は とうの昔に届けていますので、分かっている筈なのでありますがね。なお、それでも、送ってくるのでありますね。
すなわち、
〘(前略)旧年中は お世話になりになりました。本年もよろしくお願い申し上げます。(後略)〙以上であります。
また、もう 一通あります。
すなわち、下の画像のように、
〘(前略)本日は 長い文章をいただき ありがとうございました。(後略)〙以上であります。

もう 一通の返信
それで、その返信の作業が 加わることになってしまいました。これらの作業が 朝迄 掛かり 更に お昼になりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 翌々々日の 夕方になりました。 因 みに、買い物に行くことも 出来ませんでした。なお、下の画像のように 本の見返しに 一筆入れました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)〕と記させて頂きました。
ところで、上記のように 2ヶ月と1週間以上前に、年賀状欠礼の葉書を出し終えました。すると、本日 すなわち 1月16日になって 寒中お見舞いが来ました。
すなわち、
〔(前略)寒中お見舞い申し上げます
昨年中は色々とありがとうございました
寒さ厳しき折柄ご自愛のほどお祈り申し上げます本年もよろしくお願いいたします
令和五年一月(後略)〕以上であります。
そこで、その返信の作業が 加わることになってしまいました。この作業が 朝迄 掛かり 更に お昼になりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 翌日の 夕方になりました。 因 みに、買い物に行くことも 出来ませんでした。なお、下の画像のように 本の見返しに 一筆入れました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)〗と記させて頂きました。
次に、本日 すなわち 4月10日(月)の〖ガス設備保守点検・続報15(令和5年)・シンクロニシティ・後編〗のブログの下段に、
〖(前略)上記のように 無償で 使わせて欲しいとのことでありますので、そう致しております。
次に、その宇井(うい)博之という担当者によりますと、先週のガス工事は 試し堀りであり これからが 本当の作業であるとのことでありました。それで、これから 約1ヶ月が 掛かるとのことでありました。そこで、〔気を付けて下さい。〕と伝えました。(後略)〗と記させて頂きました。それで、その担当者が、午後5時半頃 無償で 使わせている 当家の駐車場に戻って来ました。そこで、上記と同様に 成書を進呈しました。 因みに、下の画像のように 本の見返しに 一筆入れました。しかも、〖御多用でありましょうから、この成書に関する説明は 手紙に書きました。〗と伝えて、書状を手渡しました。なお、誠に有り難いことに、凄いと言ってくれましたので、担当者になることも 凄いと伝えました。そして、〖御縁でありますから。〗と話しましたら、誠に有り難いことに、3回 〖嬉しい。〗と言ってくれました。それで、当方も、3回〖御縁でありますから。〗と伝えることになりました。そうして、帰る時間と思われましたので、〖車を誘導します。〗と伝えました。すると、〖いい。〗とのことでありました。それで、〖気を付けて下さい。〗と話しました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)】と記させて頂きました。
さて、去る 8年前の10月23日(金)の【レクイエム】のブログ の上段 そして 去る 8年前の10月5日(月)の【硫黄島】のブログ の下段などに、母校の某・都立高校のことを言及させて頂きました。 因 みに、約十三年前 すなわち 平成二十二年の元旦に、その某・都立高校の同級生で 米国のオハイオ州に転勤した 男子に 年賀状を送りました。ところが、【『転送期間経過との理由で、返送されてきました。成田国際空港支店】とのスタンプが押されて、戻ってきました。それで、日本の住所に、再度 送りました。しかし乍ら、【あて所に 尋ねあたりません。】とのことであり、返送されてきました。それで、 何とか 届けたいと思いまして 平成二十四年 そして 平成二十九年の その某・都立高校 名簿を購入しましたが、住所は 消息不明会員とのことであり 分かりませんでした。そして、今回 すなわち 令和五年の その某・都立高校 名簿の事前の申し込みでは 【住所不明者調査のお願い】に 当人の氏名がありませんでしたので、今度こそ 住所が分かると思い 勇んで 入手しました。そうして、本日 その名簿が届き 誠に有り難いことに 住所を確認致しまして、速達で 送りました。なお、今回も、寝ないで 作成させて頂き 翌日の 夕方になりました。 序で乍ら、買い物に行くことも 出来ませんでした。因 みに、下の画像のように 本の見返しに 一筆入れました。(届くことを 心より祈っておりましたが、誠に有り難いことに、翌日の午後3時37分に お届けになりました)
なお、上記の 某・都立高校 名簿を購入して、同期生の物故会員が掲載されていました。すなわち、久保紀重君、田川憲治(入学式の頃に その某・都立高校内の公衆電話で、代々木ゼミナールに電話していました。因 みに、当方は 電話待ちをしていて 通話の内容が聞こえてきました。なお、貰える 懸賞品のことで電話していました。序で乍ら、彼は、教室の教壇の上に立って、ピンク レディーの振り付けを行なっていました。しかも、彼の卒業写真は、上半身が裸であり 頭に 亀を掲げていました)、松井潤二君(手紙を送ったことがあります)、坂井智美さん、斎藤雅子さん(本日 すなわち 4月11日(火)の【高校2年生のときのこと】のブログに記させて頂きました、【同じ教室の女子】のことであります) そして 前述致しました 篠田欣也君の6名であります。御冥福を 心より お祈り申し上げます。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)』と記させて頂きました。
ときに、前述致しましたように、去る 一昨々年の4月23日(木)の『上梓(笑いと菜食療法)』のブログの上段やや下に、
『(前略)30年以上前のことですが、この地域医療研究会のO.G.(保健師)が、自分の書いたものは 自分の子供のようと話していました。 因みに、受精卵が 大事に育てられて 胎児が出産されます。なお、上記のように 今回 上梓に至った成書につきましても、同様に 受精卵のような 小さな種から 大事に育てられて 一冊の本になったという思いであり 感慨無量であります。

笑い と 菜食療法
(後略)』と記させて頂きました。因みに、この『笑い と 菜食療法』の成書を進呈させて頂いております。
ところで、上記のように 3週間以上前に、母校の某・都立高校の同級生に 速達で その成書を進呈しました。すると、本日 普通郵便で 返信がありました。因みに、本日 すなわち 5月1日(月)の『夢について・続報39・シンクロニシティ・後編』のブログの下段に、
『(前略)本日の未明に、その母校の某・都立高校のときの数学の授業の夢を見ました。すると、上記のように、本日、その母校の某・都立高校の同級生から 返信がありました。なお、その同級生にも伝えましたが、便りが届くことを暗示しているような夢でありました。(後略)』と記させて頂きました。なお、本日は 一日でありますので、神様の日でありますね。
すなわち、
『前略
貴著の本と資料を受け取りました。わざわざ 送付頂き、恐縮です。頂いた本を読ませて頂きました。
菜食を徹底されているのですね。仙人の様だと評されている方も いらっしゃるとのこと驚きました。
私は 肉も魚も好きなので、菜食主義には なれそうもありません。
そうは言っても、段々、年を取るごとに 野菜の割合が自然と増えていると思います。
貴著の批判など 出来るはずもないですが、貴方が患者に向き合うことで、その患者のことが判るという境地に 達するということは、すごいことだと思いました。
あまり参考になりそうな意見ではありませんが、以上が 短いですが、私の正直な感想です。
貴方の今後の益々の ご活躍を期待しています。早々
二〇二三年四月二五日(送り仮名も 含めまして、原文通り)』以上であります。
それで、直ぐに 返信すべく、書状の作成を始めました。因みに、この作業が 午前11時頃から 翌日の お昼迄 掛かりました。そして、速達で 送りました。
なお、前述致しましたように、芥川龍之介の作品『杜子春』の最後に、『(仙人に)なれません。なれませんが、しかし わたしは なれなかったことも、かえって うれしい気がするのです。(送り仮名も 含めまして、原文通り)』と書かれてあります。因みに、去る 一昨々年の2月12日(水)の『笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤ 小乗から 大乗へ・前編』のブログの下段やや上に、
『(前略)誠に有り難いことに、新教連(新教育者連盟)(文部科学大臣認可財団法人)支部長(当時)や、同居している父親からは、【仙人】と言われます。(後略)』と書かれてあります。そして、この箇所に関しまして、上記のように 『仙人の様だと評されている方も いらっしゃるとのこと驚きました。」と伺いました。すなわち、上記の『杜子春』の言葉が、そのことに関します回答であります。
しかも、前述の 去る 一昨々年の2月12日(水)の『笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤ 小乗から 大乗へ・前編』のブログの下段やや上に、
『(前略)菜食主義と言われることがあります。主義(英語:principle)ではなく、以上のような過程で、菜食に導かれたようで御座います。(後略)』と書かれてあります。但し、一般的な 普通の生活が 誠に有り難いことであると思わせて頂いております。
そのうえ、前述の 去る 一昨々年の2月12日(水)の『笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤ 小乗から 大乗へ・前編』のブログの下段やや上に、
『(前略)元・日本医科大学精神神経科助教授(当時の名称。現代では 准教授ですね)によりますと、待合室に居る患者さんのことが分かったと その助教授の書に記されていました。
東洋医学に望診がありますが、最近では、誠に有り難いことに、client(英語)(日本語:来談者)が入って来ると わかるようになりました。元・看護婦(当時の名称。現代では 看護師ですね)でも、現役のときは、患者さんが部屋に入って来ただけで わかったとのことです。(後略)』と書かれてあります。そして、この箇所に関しまして、上記のように 「患者に向き合うことで、その患者のことが判るという境地に 達するということは、すごいことだと思いました。」と伺いました。すなわち、前述の 去る 一昨々年の2月12日(水)の『笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤ 小乗から 大乗へ・前編』のブログの上段に、
『(前略)親和性(最近では、このことを エンパス[英語:empath]体質という言葉で 示す人も 居ます)により、自らの身體に 患者さんの症状が反映し 現われました。(後略)』と書かれてあります。すなわち、そのことに関します回答であります。(後略)」と記させて頂きました。
更に、去る 昨年の10月5日(木)の「本の進呈・続報115・後編(シンクロニシティ)」のブログの下段に、
「(前略)去る8月4日(金)の『本の進呈・続報114・後編(シンクロニシティ)』のブログの下段に、
『(前略)去る7月17日(月)の【本の進呈・続報113・後編(シンクロニシティ)】のブログの下段に、
【(前略)去る5月8日(月)の〖本の進呈・続報112・後編(シンクロニシティ)〗のブログの下段に、
〖(前略)明日 すなわち 5月9日(火)の〔〘日本赤十字社〙への寄付(令和5年)〕のブログの中段やや上に、
〔(前略)昨日(本日のこと) すなわち 5月8日(月)、昨年とは 別の秋月幸子幹事になったことを知らせる回覧板が来ました。 因みに、この回覧板には、連休明けに来るとのことでした。それから、本日(明日のこと)の午後3時7分に、上記の 町内会の 別の幹事が、町内会費 と 〘日本赤十字社〙の募金とのことで来ました。(後略)〕と記させて頂きます。すなわち、本日 回覧板が来て 上記のように 幹事が見えるとのことでありましたので、万障を繰り合わせて 書状と成書の準備をしました。なお、長時間 掛かりました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)〗と記させて頂きました。
しかして、一昨日 すなわち 7月15日(土)の〖土地境界線について〗のブログの上段に、
〖(前略)その土地家屋調査士によりますと、下の画像の〔土地境界線について、立合お願い書〕に記されていますように、土地境界線について 立合をしてもらいたいとのことでありました。(後略)〗と記させて頂きました。それで、立合に関わる 4名に、成書を進呈すべく 用意しました。なお、これらの作業が 朝迄 掛かりました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
そして、来る7月24日(月)の〖土地境界線について・続報〗のブログに、
〖(前略)その土地家屋調査士によりますと、隣は 貸家であり 家主は その土地家屋調査士の近くに住んでいるとのことでありました。それで、誠に有り難いことに、明日 来る とのことでありました。
しかも、誠に有り難いことに、土地所有者のところへは 印鑑を貰いに行かなければならない とのことでありました。(後略)〗と記させて頂きます。すなわち、誠に有り難いことに、来る7月24日(月)に、その土地家屋調査士 と 隣人を含めた 2名に 上記のように 進呈すべく 用意した 成書を手渡すことが出来ました。それから、上記のように 土地所有者 と もう1名の隣人は 来ませんでした。それで、誠に有り難いことに、その土地家屋調査士によりますと、上記のように その2名に会うとのことでありました。それで、誠に有り難いことに、その土地家屋調査士によりますと、そのときに渡してくれるとのことでありました。それで、委託させて頂きました。 因みに、その土地家屋調査士は 境界確認書(筆界確認書)を作成する為に 上記のように 来てもらったり 訪ねたりして 隣人に印鑑を貰わなければならないので、誠に有り難いことに 引き受けてくれたものと思われます。(後略)】と記させて頂きました。
そのうえ、本日 すなわち 8月4日(金)の【保険外交員・続報17・後編】のブログの下段に記させて頂きましたように 今度 来ることになった 新担当者(保険外交員)の為に、成書を進呈すべく 用意しました。なお、下の画像のように 本の見返しに 一筆入れました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)』と記させて頂きました。
のみならず、本日 すなわち 10月5日(木)の『照明器具の交換・続報3』のブログの中段やや上に、
『(前略)本日の午後1時頃、急に 約12年前に工事をした 事務所のL.E.D.照明器具が切れました。 因みに、常夜灯は点灯しますが、本体が点灯しません。なお、下の画像のリモコンで操作しても、点灯しませんでした。
(中略)
それで、約12年前に工事をした 電気屋に 電話しました。(後略)』と記させて頂きました。すなわち、その電気屋の外交作業員の為に、成書を進呈すべく 用意しました。 因みに、下の画像のように 本の見返しに 一筆入れました。なお、書状も作成しました。 序で乍ら、これらの作業が 朝迄 掛かりました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)」と記させて頂きました。
加うるに、去る1月13日(土)の「本の進呈・続報120・後編(シンクロニシティ)」のブログの下段にやや上に、
「(前略)一昨々日 すなわち 1月10日(水)の『本の進呈・続報119・後編(シンクロニシティ)』のブログの下段にやや上に、
『(前略)去る 昨年の12月6日(水)の【本の進呈・続報118・後編(シンクロニシティ)】のブログの下段にやや上に、
【(前略)去る11月14日(火)の〖本の進呈・続報117・後編(シンクロニシティ)〗のブログの下段に、
〖(前略)去る11月9日(木)の〔本の進呈・続報116・後編(シンクロニシティ)〕のブログの下段に、
〔(前略)本日 すなわち 11月9日(木)の〘庭木の剪定・29・後編〙のブログの中段やや上に、
〘(前略)本日の午前9時51分に トイレに入っているときに、誠に異例なことに その庭師(作業員)の方から 電話が入りました。すなわち、誠に異例なことに、明日は 雨が降りそうなので、1名ではなく 同僚を連れて 2名で 作業の為に来るとのことでありました。序で乍ら、年下で 60歳位の津田町に住んでいる 陽気な お友だちとのことでありました。ところが、天気予報では、明日 雨が降るのは 夕方からであります。つまり、誠に異例なことに、直前の変更であります。因みに、事前の和菓子の購入も 1名分でありますし、家政婦にも 1名と伝えてあります。しかも、もう1名分の手紙 と 前述致しましたように 成書を用意しなければならなくなりました。それで、その用意の作業が 加わることになってしまいました。なお、これらの作業が 朝迄 掛かることになります。(後略)〙と記させて頂きました。すなわち、その庭師(作業員)の方の お友だちの為に、成書を進呈すべく 用意しました。 因みに、下の画像のように 本の見返しに 一筆入れました。なお、書状も作成しました。 序で乍ら、これらの作業が 朝迄 掛かりました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)〕と記させて頂きました。
おまけに、本日 すなわち 11月14日(火)の〖エアコンの購入・続報6〗のブログの下段に、
〔(前略)今回は、前日の今日の午後7時20分に、〘遅くに・・・〙とのことで 電話が入りました。但し、日没後でありましたし、誰からか分かりませんでしたので、やはり 慌てました。(後略)〕と記させて頂きました。すなわち、その作業員の為に、成書を進呈すべく 用意しました。 因みに、下の画像のように 本の見返しに 一筆入れました。なお、書状も作成しました。 序で乍ら、これらの作業が 朝迄 掛かりました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)〗と記させて頂きました。
ならびに、本日 すなわち 12月6日(水)の〖年賀状欠礼の葉書(令和5年)続報4〗のブログの下段に、
〖(前略)去る 9年前の10月8日(水)の〔親の受診に付き添っていること・1〕のブログ そして 去る 9年前の11月9日(日)の〔親の受診に付き添っていること ・2〕のブログのそれぞれ 共に中段やや上、更に、去る 8年前の2月23日(月)の〔天皇陛下行幸の君恩に浴して〕のブログの中段に記させて頂きました 某・ボランティア(英語:volunteer)のサークル(英語:circle)の関係の 男性後輩から、本日、下の画像のように、年賀状欠礼の葉書が届きました。

本日、届いた 年賀状欠礼の葉書
(後略)〗と記させて頂きました。
そこで、その葉書につきまして 喪中 お見舞いの返信の作業が 加わることになってしまいました。これらの作業が 朝迄 掛かり 更に お昼になりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 翌日の 夕方になりました。 因 みに、下の画像のように 本の見返しに 一筆入れました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
なお、本日 すなわち 12月6日(水)の〖年賀状欠礼の葉書(令和5年)続報4〗のブログの下段に、
〖(前略)翌日、レターパック・プラス(速達扱い)を用いて 投函致しました。(後略)〗と記させて頂きました。(後略)】と記させて頂きました。
および、本日 すなわち 1月10日(水)の【年賀状のこと・続報2】のブログに記させて頂きましたように、本日になって 元旦に届いた 年賀状の返信が、親戚から 手紙で 届きました。それで、その便りに対する 返信の作業が、加わることになってしまいました。 因 みに、これらの作業が 朝迄 掛かり 更に お昼になりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 翌日の 夕方になりました。なお、下の画像のように 本の見返しに 一筆入れました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)』と記させて頂きました。
また、上記と同様に、年賀状の返信が、届きました。それで、その便りに対する 返信の作業が、加わることになってしまいました。 因 みに、これらの作業が 朝迄 掛かり 更に お昼になりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 翌々々日の 夕方になりました。なお、下の画像のように 本の見返しに 一筆入れました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)」と記させて頂きました。
しかも、去る7月12日(金)の「本の進呈・続報125・中編・8(シンクロニシティ)」のブログの下段に、
「(前略)去る5月10日(金)の『本の進呈・続報124・中編・8(シンクロニシティ)』のブログの下段に、
『(前略)去る5月3日(金)の【本の進呈・続報123・中編・8(シンクロニシティ)】のブログの下段に、
【(前略)一昨々日 すなわち 4月30日(火)の〖本の進呈・続報122・中編・8(シンクロニシティ)〗のブログの下段に、
〖(前略)去る4月25日(木)の〔本の進呈・続報121・後編(シンクロニシティ)〕のブログの下段に、
〔(前略)本日 すなわち 4月25日(木)の〘突然の訪問・後編〙のブログの下段に、
〘(前略)(その家政婦さんの)母親は リウマチとのことでありました。
(中略)
母親が リウマチであると聞かされて、(中略)成書を進呈しました。(後略)〙と記させて頂きました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)〕と記させて頂きました。
そのうえ、唐突に 照恩寺から 便りが届きました。



それで、その便りに対する 返信の作業が、加わることになってしまいました。 因 みに、これらの作業が 朝迄 掛かり 更に お昼になりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 翌々日の 夕方になりました。なお、下の画像のように 本の見返しに 一筆入れました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)〗と記させて頂きました。
ならびに、去る4月20日(土)の〖歯科受診・続報17・後編〗のブログの下段に、
〖(前略)誠に有り難いことに、午前11時6分に、折り返し 〔お待たせ致しました。〕とのことで 電話が入りました。〔先生と連絡が取れました。〕とのことでありました。そして、誠に有り難いことに、〔このまま、今迄 通り 先生が拝見する。〕とのことでありました。(後略)〗と記させて頂きました。それで、当日 渡すべく 書状と成書の準備をしました。 因 みに、長時間 掛かりました。なお、多用でありましょうから、この成書に関する説明は 手紙に書きました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)】と記させて頂きました。
および、一昨々日になって 下の画像のような 葉書が届きました。すなわち、【(前略)このたびは 御丁寧なる 御返信、また 貴重な御著作並びに 資料を 態々 御恵贈下さり 恐縮至極・・・卓越した知識、見識、経歴に感服・・・これまで通り、その情熱的、実践的医術の御発展、御活躍あられますよう心より念じ・・・(後略)】とのことでありました。

一昨々日になって 届いた 葉書
それで、その返信の手紙を書きました。その便りの作業が、加わることになってしまいました。 因みに、この作業が 朝迄 掛かり 更に お昼になりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 翌日 つまり 昨日の 夕方になりました。なお、速達料金以外に 特定記録も付けようと思いました。何故ならば、近年 すなわち 一昨々年の10月2日から 普通郵便では お届け日時の繰り下げとのことであり 二日 掛かります。更に、特定記録郵便も含めまして 郵便は 土曜日も配達しなくなりました。つまり、土曜日配達の休止とのことであります。しかも、普通便でありますと 平日で 市内でも 三日 掛かることがあるのであります。なお、普通郵便でありますと、週明けの13日(月)の お届けになるのではないか と思われたからであります。

返信の封筒
また、本日 すなわち 5月10日(金)の【お墓参り・17(前編)】のブログ そして 本日 すなわち 5月10日(金)の【お墓参り・17(後編)】のブログを記させて頂きました。すなわち、その お墓参りの 序でに、上記の お寺に立ち寄りました。それで、名刺に 一筆 書いて 届けました。 因みに、本日、前述致しました 速達の特定記録郵便も、着いている筈であります。なお、地元で 評判が とても 悪い Hp.(hospital[ホスピタル]の略です。日本語では、病院のことです。以下、Hp.と示させて頂きます)の隣なのであります。

お寺の前

お寺の前(向かって 右隣の家は、前 住職の住まいであります)
(後略)』と記させて頂きました。
更に、去る6月19日(水)の『突然の連絡』のブログの上段に、
『(前略)上記のように 小学校 そして 中学校のときに 同級生であった 弁護士が 所属する 弁護士事務所から、本日 便りが届きました。 因みに、弁護士登録を抹消して、公証実務に携わることになった とのことでありました。(後略)』と記させて頂きました。その 小学校 そして 中学校のときに 同級生であった 弁護士であった 彼から、下の画像のような 暑中お見舞いの葉書が届きました。すなわち、
『(前略)さて 私こと、平成元年4月に弁護士登録以来 35年余に亘り、弁護士活動を続けて参りましたが、高齢化社会における紛争を予防し、本年 7月8日より、弁護士登録を抹消し、東京法務局所属(立川公証役場)公証人として 執務しております。弁護士出身者として、異例の就任とはなりますか、弁護士として培った精神を忘れずに 嘱託者の皆様のために 粉骨砕身の努力をする所存てす。今までのご厚情に心から感謝申し上げるとともに、今後一層のご交誼を切にお願い申し上げます。和6年 (2024 )年7月(後略)』とのことでありました。 因みに、彼とは 中学1年生頃のときに、そのとき ブームであった ボウリング場に 男子 三人で行ったことがありました。それで、そのボウリング場で、私たち以外の もう一人の男子の勧めで オロナミンC ドリンクを 自動販売機で 購入したことがありました。但し、そのとき 彼は 『これは 駄目』と言って 口に 合わないようでありました。そこで、もう一人の男子に そのドリンクを買ってもらっていました。 因みに、そのようなことがありましたので、当方は 少しずつ飲みました。すると、その もう一人の男子から、1㎖ずつ 飲んでいると揶揄われたことがありました。

届いた 暑中お見舞いの 葉書
それで、その返信の手紙を書きました。その便りの作業が、加わることになってしまいました。 因みに、この作業が 朝迄 掛かり 更に お昼になりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 翌日 つまり 明日の 夕方になりました。なお、速達料金も付けようと思いました。何故ならば、近年 すなわち 一昨々年の10月2日から 普通郵便では お届け日時の繰り下げとのことであり 二日 掛かります。更に、特定記録郵便も含めまして 郵便は 土曜日も配達しなくなりました。つまり、土曜日配達の休止とのことであります。なお、普通郵便でありますと、週明けの16日(火)の お届けになるのではないか と思われたからであります。序で乍ら、上記の返信の便りを投函する為に 郵便局に行った 復路で、去る 8月1日(木)の『榊・76・前編』のブログ そして 去る 7月1日(月)の『榊・75・後編』のブログなどに記させて頂きました 花屋の方の父親が 店の外に出て 作業をしていました。それで、こちらを向きましたら、奥さんが回復して よかったですね と伝えようと思いました。(後略)」と記させて頂きました。
しかも、去る 11月6日(水)の「本の進呈・続報128」のブログの下段に、
「(前略)去る10月8日(火)の『本の進呈・続報127』のブログの下段に、
『(前略)去る8月9日(金)の【本の進呈・続報126・後編(シンクロニシティ)】のブログの下段に、
【(前略)一昨日 すなわち 8月7日(水)の〖保険外交員・続報24・中編・4〗のブログの中段やや上に、
〖(前略)本日の午後1時18分に、電話帳に登録されていない “070”の携帯電話番号から、着信がありました。因みに、元々 “070”の携帯電話番号と云えば、P.H.S.に割り当てられていた 番号でありました。それで、その電話を受けることを 躊躇いましたが、虫の知らせで 取ることにしました。すると、新しい 担当者からでありました。なお、前回も 上記のように 1回目の担当者でありましたが、退職したとのことでありました。(後略)〗と記させて頂きました。それで、手紙を書きました。その便りの作業が、加わることになってしまいました。 因みに、この作業が 朝迄 掛かり 更に お昼になりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 翌日の 夕方になりました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)】と記させて頂きました。
そのうえ、本日 すなわち 10月8日(火)の【親戚からの突然の電話連絡・続報66・中篇・6】のブログの中段やや下に、
【(前略)本日の午前11時30分に、携帯電話から 当方の携帯電話に、唐突に 姉から 着信がありました。
(中略)
すると、姉によりますと、昨日 ちょっと 祥子ちゃん(叔母さん[四女]のこと)から メールで あの 義浩君のお母さんが亡くなったとのことでありました。それで、まず 御愁傷様でと答えました。(後略)】と記させて頂きました。それで、手紙を書きました。その便りの作業が、加わることになってしまいました。 因みに、この作業が 朝迄 掛かり 更に お昼になりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 翌々日の 夕方になりました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)』と記させて頂きました。
それから、前回 すなわち 約1ヶ月前に 手紙を書いて 成書を進呈した 上記の 従兄弟である義浩君から 約1ヶ月が経過して 返信の手紙が届きました。
つまり、
『落ち葉が舞い散る季節となりました。
さて、先日の母の葬儀に際しましては、丁寧なお悔やみを頂きありがとうございました。おかげさまで、つつがなく葬儀を終えることができました。
母は認知症を発症してからグループホームで生活しておりました。施設に恵まれ、職員の方々には大変よくしていただき、笑顔の多い毎日を送っておりました。 ここ数年はだいぶ認知機能が低下し、眠っていることが多くありましたが、病気にも罹らず元気でした。
しかし、今年9月の末から発熱とともに水分や食事が摂れなくなり、 1 0月7日(月)の明け方に、グループホームで眠るように息を引き取りました。9 8歳でした。グループホームには長いもので1 3年間お世話になりました。
母は若いころに大病をしたそうで、亡き父もいつも母の健康を心配しておりましたが、老後は病気に罹ることもなく、天寿を全うすることができました。
今回の葬儀は家族のみで行いましたが、いつか東京を訪れた時にはお目にかかりたいと存じます。
ところで、立派な本をいただき恐縮しております。今は何かと慌ただしくしておりますが、時間ができたらじっくり読ませていただきたいと思います。
これから厳しい冬に向かいます。どうぞ健康にご留意ください。
お返事(自分が返信する 便りにつきまして、【お】という 丁寧語は、本来 付けないと お考えになるかもしれません。すなわち、【お】【ご】は、相手の行為を高めることで敬意を表す【尊敬表現】として使うべきと考えている お方は、自分の行為に対して【ご返事】と言うのは間違いだと感じるかもしれません。しかし乍ら、自分の行為に対しても 【ご返事】を使えるとのことであります。この場合の【ご】は、自分を 謙って使われる 謙譲語になるのです。なお、【お】も謙譲語として使えますので【お返事】も 大丈夫であるとのことであります)が大変遅くなり、失礼いたしました。
令和6年1 1月3日(後略)』以上であります。因みに、彼は 一人っ子であります。なお、去る 昨年の11月3日(金)の『ボランティアで カウンセリング・続報10』のブログの中段やや上に記させて頂きました 一人っ子のクライエント(男子)にも、以前 伝えたことであります。すなわち、一人っ子は 人間関係が オールマイティになる可能性があるということであります。それで、そのことを 手紙を書きました。序で乍ら、その便りの作業が、加わることになってしまいました。因みに、この作業が 朝迄 掛かり 更に お昼になりました。要するに、今回も、寝ないで 作成させて頂き 翌々日の 夕方になりました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)」と記させて頂きました。
しかして、去る 12月2日(月)の「永代神楽祭(令和6年)・続報3」のブログの下段に、
「(前略)今年も、上記のように 来る1月29日の 靖國神社の永代神楽祭の案内が来ました。因みに、上記のように 両親の介護のことがありました。しかし乍ら、一昨年は 6年ぶり すなわち 平成29年以来になりますが、靖國神社の永代神楽祭に 参加しました。なお、昨年も、参加しました。そして、今回も、参加する予定でおります。しかし乍ら、御承知のように、また、去る 10年前の11月23日(日)の『アロマ・テラピー』のブログ そして 去る 10年前の12月1日(月)の『日本心療内科学会』のブログでも お伝え申し上げましたように、菜食で お酒を飲みません。それで、上記の撤下神饌 そして かつおぶしは頂きません。しかも、お酒も頂きません。そこで、家政婦さんに 頭を下げて もらってもらっています。そこで、撤饌の品物をもらわなくて 受けるのは 受納書だけでいいものかどうかを 丁重に尋ねることにしました。すると、誠に有り難いことに、いいとのことでありました。それで、電話を差し上げるのを躊躇っていたのですが、電話させて頂いて よかったことを伝えました。序で乍ら、恐縮ですとのことでありました。因みに、上記のように 四歳位から 参拝しているのであります。(後略)」と記させて頂きました。それで、上記の 菜食療法の本を進呈させて頂くことに致しました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(義務教育の方々に 美しい日本語を 正しい読み方で 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名を付けております)
本日も、最後 迄 お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)