このブログ(英語:blog)に御訪問頂き、誠にありがとうございます。
リンクを 貼 らせて頂いております。紫色のブログ・タイトルをクリック(英語:click)(もしくは タップ[英語:tap])して頂きますと、過去のブログ記事に移行します。(^O^)
丁度 一週間前、すなわち、去る11月8日(土)の「プラハ(東欧)」のブログで、「機会がありまして、宜敷ければ、ハンガリーの首都である ブダペスト(ハンガリー語: Budapest)(昭和62年[1987年][菜食を始める前のことです]8月12日【水】の朝、ブダペスト駅に到着しました)のことを記させて頂きます。」と お伝え申し上げまして、誠に有り難いことに、「いいね」を頂きましたので、今回、その続きを記させて頂きます。因みに、当時は 東欧という区分でありましたが、令和7年 現在では 御承知のように、前回のチェコ そして スロバキアと 同様に ハンガリーも 中央欧州という区分でありますね。(^O^)
御承知のように、ハンガリーと云えば、住民はアジア系マジャール人であり、人種島を形成しています。
プラハ(チェコ語・スロヴァキア語: Praha ) から、夜行列車で チェコ・スロバキア(御承知のように、現在はチェコとスロバキアに分かれています)内を通って ハンガリーに行こうと、ハンガリーの滞在ビザ(英語:visa)(他の東欧の国々と同様に、ハンガリー大使館に行って、発給されました)を取得していました。去る10月28日(火)の「スイス(海外のこと)」のブログで掲載しました滞在ビザ(英語:visa)を下に再掲致します。 下の再掲の左下の印が、この日の入国印です。

再掲・ハンガリーの滞在ビザ(英語:visa)と出入国印
去る11月8日(土)の「プラハ(東欧)」のブログで お伝え申し上げましたように、プラハ駅に到着しましたとき、日本人旅行者と一緒になりました。海外旅行中は、その日に会った同性の日本人と共に 二人で行動することがよくありました。この日本人と共に、ハンガリー方面に向かいました。このもう一人の日本人は、夜間、途中のブラチスラヴァ(スロバキア語:Bratislava)(オーストリアの国境迄 近いです)で乗り換えて、ウィーン(標準独語: Wien[ヴィーン]、 日本語表記では主に「ウィーン」が用いられますが、標準独語でのWの発音は [v] であり、「ヴィーン」の表記が近いです)に行くとのことでした。

途中の列車からの風景

途中の列車からの風景
コンパートメント席(数席[欧州では6席でした]ごとに仕切板などで区切った形式の座席のこと。日本では数少ないですが、欧州[ヨーロッパ]等の鉄道車両では 比較的多く見られる形式の座席です)に、日本人 二人で座っていましたら、プラハの小学生高学年か 中学生低学年位の二人(年齢をきくことは出来ません)が同じコンパートメント席に入って来ました。下にその写真を掲載します。
これらの二人は、プラハでは洋服が無いので、ブダペストに買い物に行くとのことでした。
去る11月1日(土)の「東ベルリン(旧・東独)」のブログで お伝え申し上げましたように、社会主義圏では充分な商品が御座いませんが、国際列車を利用して洋服を買いに行く迄になっているとは、誠に驚きました。
明治の文豪で、「武蔵野」の著者である国木田独歩の著書「牛肉(現実を示しています)と馬鈴薯(じゃが芋[いも]のこと)(理想を示しています)」という作品の主人公は「びっくりしたいというのが僕の願いなんです」と答えています。驚くと申しましても、いろいろなニュアンス(仏蘭西語:nuance)(この場合、言葉の微妙な意味の違いのこと)が御座いますが、この作品のニュアンスのような驚きで御座います。
当時、東欧の中では、ハンガリーは、経済的に、欧州(ヨーロッパ)の西側諸国に近いとされていました。それで、洋服を買いに行くのですね。
これらの二人の写真を下に掲載致します。

プラハ在住の二人
前述致しましたように、昭和62年(1987年)(菜食を始める前のことです)8月12日【水】の朝、ブダペスト駅に到着し、市街地を通って、ゲッレールトの丘(ハンガリー語: Gellért-hegy )に向かいました。 市街地 と ゲッレールトの丘(標高235 m)の写真を下に掲載致します。


防衛の目的の 大砲が 備わっています。因みに、歴史を感じさせられます

市街地

市街地

ゲッレールトの丘

ゲッレールトの丘

ゲッレールトの丘
御承知のように、ブダペストは、ドナウ川(ラテン語:Danubius)を境にして、西岸(手前側)のブダ と オーブダ、東岸(向こう側)のペストに分かれています。ゲッレールトの丘から見たブダペストの写真を下に掲載致します。前述致しましたように、標高235 mでありますから、ブダペストの中心地を一望出来ます。

ブダペスト

ブダペスト

ブダペスト

ブダペスト

ブダペスト
ドナウ川の向こう岸、すなわち、東岸のペストには、某・5つ星ホテルがあって、参りませんでしたが、某・ガイドブックによりますと、カジノがあるとのことでした。モナコ公国のように、カジノがあるなんて、前述致しましたように、欧州(ヨーロッパ)の西側諸国に近いですね。
ときに、某・ガイドブックによりますと、ブダペストでは、フォークダンス(英語:folk dance)(民族[民俗]舞踊)を見るといいとのことでしたので、” folklor centrum”という劇場に行きました。スペル(英語:spell)(単語の綴りのこと)を見ましても、正しくフォークダンスに関係していそうな綴りですね。この” folklor centrum”の入り口の写真を下に添付致します。

” folklor centrum”の入り口
そして、フォークダンスの写真を下に掲載致します。因みに、撮影・可とのことでした。

フォークダンス

フォークダンス

フォークダンス

フォークダンス

フォークダンス

フォークダンス

フォークダンス

フォークダンス

フォークダンス

フォークダンス

フォークダンス

フォークダンス

フォークダンス

フォークダンス

バイオリン演奏

バイオリン演奏

フォークダンス

フォークダンス

フォークダンス

フォークダンス

フォークダンス

フォークダンス

フォークダンス

フォークダンス

フォークダンス

フォークダンス

フォークダンス

フォークダンス
フォークダンスは以上で御座いました。これでも写真を間引いて、いい写真のみを添付させて頂きました。
ハンガリー語はわかりませんが、フォークダンスといっても、ミュージカル(英語:musical)のように、物語になっているようですね。洗練されたミュージカルに比べますと、素朴で御座います。こちらの方がいいと言われる お方も おられるかもしれません。母親は宝塚歌劇団が好きで、何もわからず、幼い頃、小学校入学前に 一度連れて行かれて、子供のことですから ほとんど 会場内に居なくて、ロビーに居たことを記憶していますが、宝塚歌劇のように、エネルギーが伝わって来ます。
ところで、ブダペスト市内の写真を下に掲載致します。時計が午後6時20分を指しています。雑踏で御座いますが、ブダペストでは、日本人に 一人も会いませんでした。

ブダペスト市内
ブダペストには 一日 居て、夜行列車で、ユーゴスラビア(当時の国名)(御承知のように、現在では、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の六つの構成共和国はそれぞれ独立し、スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、そして、マケドニアになっています)方面に向かいました。因みに、ハンガリーの出国係官が車内に来て、パス ポート と ハンガリーの滞在ビザ(英語:visa)を見せました。それで、出国印が押されました。また、ユーゴスラビアに入りますと 入国係官が車内に来て、やはり パス ポートを見せました。そうして、入国印が押されました。なお、ユーゴスラビアでは、滞在ビザ(英語:visa)は必要ありませんでした。序で乍ら、機会がありまして、宜敷ければ、続きを記させて頂きます。唯々感謝。(^-^)
(義務教育の方々に 美しい日本語を 正しい読み方で 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名を付けております)
本日も、最後 迄 お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)