このブログ(英語:blog)に御訪問頂き、誠にありがとうございます。
リンクを 貼 らせて頂いております。紫色のブログ・タイトルをクリック(英語:click)(もしくは タップ[英語:tap])して頂きますと、過去のブログ記事に移行します。(^O^)
さて、去る 11年前の10月28日(火)の「スイス(海外のこと)」のブログの上段やや下に、
「(前略)西ベルリンから 東ベルリンに入る方法は 3通り(私達のような遠距離からの旅行者は 2通り)あり、一つは電車で、フリードリッヒ・シュトラーセ(Friedrich str.)駅から入る方法(この方法で入りました)と、もう一つはチェックポイント・チャーリー(Checkpoint Charlie)から歩いて入る方法、そして、更に もう一つは ブランデンブルク門から入る方法です。最後のブランデンブルク門から入る方法は、主に、車で用いられていたと思います。
チェックポイント・チャーリー(Checkpoint Charlie)の西ベルリン側には、下のパンフレットの壁博物館がありました。

壁博物館のパンフレット

実際のチェックポイント・チャーリー

ブランデンブルク門
1961年8月13日に 独民主共和国(東独)政府によって 建設された、西ベルリンを包囲する壁で御座います。
当然のこと乍ら、当初、直ぐに下のような壁が出来た訳では御座いません。初めはソ連兵も加わって、人間でバリケートを設けたと伺っています。

西ベルリンから見たベルリンの壁

西ベルリンから見たベルリンの壁

西ベルリンから見たベルリンの壁
壁博物館で観覧すると、東ベルリンから 西ベルリンへ脱出する遣り方は いろいろありました。例えば、発電機の箱の中に 何人も詰め込んで 運ぼうとしたりとか、双子の姉妹で、東・西ベルリンに分かれたケースで、西ベルリンの一方が、ビザ(Visa)で東ベルリンに入って、そのビザ(Visa)で 東ベルリンに残された もう一方を西ベルリンに入国させ、自らはビザ(Visa)を紛失したとして、再発行してもらい、そのビザ(Visa)で西ベルリンに戻ったりとか、バスで乗り越えて、強硬突破しようとして、最後は通路に太いバー(鉄棒)を置かれて、遮られて 最終的に突破が叶わなくて、窓ガラスが 粉々であったりとか等で御座います。壁博物館に展示されていますが、下の写真も脱出しようとしている様子です。

これらの写真の二年後に、御承知のように、ベルリンの壁が崩壊する訳で御座いますが、当時、西独の首相は自分の存命中に、このベルリンの壁が崩壊すること(東・西独が 統一すること)はないだろう と思っていた と話していたように記憶しています。(後略)」と記させていただきました。
ならびに、去る 11年前の10月30日(木)の「東・西ベルリン(東・西独)」のブログの中段やや上に、
「(前略)一昨日 すなわち 10月28日(火)の『スイス(海外のこと)』のブログで写真を示させて頂きましたように、ベルリンの壁に行きました。チェックポイント・チャーリー(Checkpoint Charlie)は インパクトがありました。西ベルリンから、チェックポイント・チャーリーを通って、東ベルリンに行くことは出来ました。しかし、某・日本人によりますと、東ベルリンから、チェックポイント・チャーリーを通って、西ベルリンに戻ることは出来ないとのことでした。東ベルリンから 西ベルリンに行くのは チェックが厳しいのですね。
これは、前述致しましたように、昭和62年春休み、エコノミー(economy)に、マレーシア航空とグレイハウンドのバスを用いて、米国のエル・パソ(英語: 西語: El Paso)(テキサス州)に行ったときも、同様のことがありました。すなわち、米国から、リオ・グランデ川(Rio Grande river)の国境を越えて、メキシコ(シウダー・フアレス[Ciudad Juárez]という都市に行きました。当時、メキシコの国境から50km以内では、ビザ[visa]が必要ありませんでした。)に入国することは簡単でしたが、メキシコから米国に出稼ぎに行きたいメキシコ人は 大勢 居るとのことでしたので、メキシコから米国に入国することは チェックが厳しかったのです。
西ベルリンの話しに戻りますと、壁の落書きが凄いです。壁際を歩きました。ところどころ、壁の向こうの東ベルリン側に 物見やぐらがあります。しっかり監視されています。これでは 壁の側には住みたくないと聞きましたのも頷けます。事がおこれば、真っ先にやられてしまうとのことです。
半年に一回位、東ベルリンから西ベルリンに亡命しようと、このチェックポイント・チャーリーを走り抜けようとする独人がいる、と聞きましたが、途中、長い中立地帯があり、物見やぐらから銃を構えている監視員がいますので、撃たれてしまうとのことでした。

再掲・壁博物館のパンフレット

再掲・実際のチェックポイント・チャーリー(Checkpoint Charlie)

再掲・チェックポイント・チャーリー近くの、西ベルリンから見たベルリンの壁

再掲・ブランデンブルク門
ブランデンブルク門では、日本から来ている単身赴任の方に会い、家族が来ているとのことでした。先方から車に乗せてくれるとのことで、途中ベルリン・フィルも見えました。この お返しに、日本では、車を求められましたら、乗って頂くように心掛けさせて頂いて参りました。
チェックポイント・チャーリーに戻りました。ここで、この傍にある、一昨日 すなわち 10月28日(火)の『スイス(海外のこと)』のブログに記させて頂きました壁博物館(Haus am Checkpoint Charlie)の展示がなかなかの迫力でした。
壁博物館で観覧すると、記させて頂きました発電機、双子の姉妹、そして、バスの他に、更に、建物を超えてとか、自動車の後ろに隠れてとか等で脱出しようとしています。
この壁が崩壊して、今年で、25年になりますこともあり、言及させて頂きました。因みに、当時、西独の首相は 自分が生きている間に このベルリンの壁が 崩壊すること(東・西独が 統一すること)はないだろう と思っていた と話していたように記憶しています。(後略)」と記させていただきました。すなわち、本日は、そのベルリンの壁が 崩壊した日でありますね。因みに、丁度 36年になりますね
(義務教育の方々に 美しい日本語を 正しい読み方で 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名を付けております)
本日も、最後 迄 お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)
