ある日本人医師の話(両親の食事)

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  さて、過日 ドイツ人を救った日本人医師のことが放送されていました。この日本人医師と 高校(当時は、旧制中学) そして 大学が同窓であり、当方の先輩です。当方が 学部生のときには まだ ベルリンの壁が崩壊していませんでした。大学・学部生のときに 学内で 高校同窓の会を開こうと思って 調べましたら、母校に残っている医師が 約10人いました。しかしながら、このときは、この日本人医師のことは 日本で 知られていませんでした。

 この肥沼信次医師の活動場所は、ヴリーツェン(ドイツ語:Wriezen)でした。ヴリーツェンは、ドイツ東部のポーランド国境近くにあるまちです。敗戦後、御承知のように ドイツは東西に分断され、ヴリーツェンは ソ連統治下の東ドイツとなりました。ちなみに、去る 一昨々年さきおととしの10月30日(木)の「東・西ベルリン(東・西 ドイツ)」のブログで 「ベルリンの壁・崩壊」のことを記させて頂きました。

 ときに、去る 一昨年おととしの4月5日(日)の「歴史のごう」のブログ の中段やや下 そして 去る 一昨年おととしの12月4日(金)の「占守島しゅむしゅとう」のブログ の上段などに、

「(前略)大東亜戦争・末期の昭和20年8月8日、その共産化したソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄し、日本におそかって来ました。(後略)」と記させて頂きました。御承知のことであらせられますように、日本 と ロシア(当時のソ連)の間では、いまだ 平和条約を締結せず の異常事態であります。したがって、ソ連統治下の東ドイツでは、この日本人医師の情報は まったく 伝わって来ませんでした。それで、前述致しましたように、当方が 大学・学部生のときには この日本人医師のことは 日本で 知られていませんでした。仮に 知っていれば、学内の同窓の集まりのときに 話そうと思ったことでありましょう。それが、今日に至りました。

 ところが、上記のように ベルリンの壁が崩壊して 東西ドイツが 統一致しましたので、この日本人医師のことが 日本に届くようになりました。東西冷戦が 終結した頃のことです。但し、ソ連統治下の東ドイツであっても、ヴリーツェンの人々は この日本人医師の墓を建てました。それは 墓というよりは 記念碑のように立派なものであったのです。そして、ヴリーツェン市民は 恩人を慕い、墓を大切に守った とのことであります。ならびに、去る3月11日(金)の「東日本〇〇〇・ 黙禱もくとう」のブログ去る 一昨々年さきおととしの10月18日(土)の「心身医学会」のブログ そして 、去る 一昨々年さきおととしの10月7日(火)の「ボランティア・地域医療」のブログのそれぞれ中段やや上などに、東日本〇〇〇(お読み下さいます方々かたがたに影響を お与えすることの無いように、御賢明であらせられます お読みの方々かたがたは すぐに おわかりになられる、と存じ上げますので、えて〇〇〇とつづらせて頂きました)のことを記させて頂きました。このときに、日本とは 馴染なじみの薄い ヴリーツェン市からも、義捐金ぎえんきんが届いたとのことです。ちなみに、学生たちから出た 自発的な アイデア(英語:idea)であった とのことです。なお、肥沼信次医師が生まれた場所は、東京都八王子です。そのためなのかどうかは 知らされていませんが、このヴリーツェンの学校と 八王子高校は、交流があるそうです。推測致しますに、生誕地に関わっているから かもしれませんね。

 

 この日本人医師が ドイツ人を救ったことを知って、同じく 感染症で亡くなり、しかも、同じく 大学の先輩である 野口英世医師のことを思い出しました。ちなみに、ヘルパー(英語:helper)(日本語:家政婦)にも、この話をしました。すると、同様の日本人が いましたね とのことでした。同じ時代で 欧州おうしゅう(ヨーロッパ)で 外国人のために 活躍した日本人と申しますと、御承知のことであらせられますように リトアニアのカウナス領事館に赴任していた杉原千畝氏のことを言っているのである と思われました。そして、そう話しましたら、やはり そうでした。なお、杉原千畝氏のことは、去る 一昨年おととしの5月1日(金)の「アムステルダム・2(オランダ)」のブログの下段やや上にも記させて頂きました。

 なお、この日本人医師の最期の言葉は、「桜が見たい。」とのことであった そうです。それで、日本の寄付金で ヴリーツェンに 100本の桜の苗木が送られたそうです。

 

 ところで、去る 一昨々年さきおととしの11月1日(土) の「東ベルリン(旧・東 ドイツ)」のブログなどに、ベルリン(ドイツ語:Berlin)のことを記させて頂きましたが、当初 この日本人医師は ベルリンのフンボルト大学(ドイツ語:Humboldt-Universität zu Berlin)の放射線科に留学します。ちなみに、去る 一昨々年さきおととしの10月25日(土)の「右脳記憶とインスピレーション(inspiration)」のブログの上段に記させて頂きましたアルベルト・アインシュタイン(ドイツ語:Albert Einstein)も、この大学に関わっています。

 当時のドイツの アーリア人(ドイツ語:Arier)至上主義の時代に、この日本人医師は、ヒトラー(ドイツ語:Adolf Hitler)(アーリア人です)に忠誠を誓うどころか 驚くべき講演を 学内で 行っています。すなわち、日本の自然科学分野における研究業績について述べています。具体的な人物を挙げて 話していますが、話が長くなりますので ここでは それらの人物を紹介することは 割愛させて頂きます。

 我々 日本人は、欧州おうしゅう(ヨーロッパ)が 自然科学を生み出したのと同じ能力を 以前から 日本人も持っていたと考えています。日本人は、自然科学分野の研究において 欧州おうしゅう(ヨーロッパ)と 等しい能力を持ち合わせていることに疑いの余地はないのです。以上のように、当時のナチスドイツ怖気おじけづくことなく 日本人であることを ほこり、ヒトラーの人種差別主義を否定するような 挑戦的な発言をしていた とされています。このことが、現代では ドイツでも 評価されているようです。このほこりにちなませて頂きますと、去る 一昨々年さきおととしの12月26日(金)の「ぶなしめじ(昨日のおかず)」のブログ の中段やや上に、

「(前略)戦後、御先祖様が築いて来た、日本の伝統、文化、ほこり、そして、精神性も、生態系同様に外来のものに圧倒されています。これは、しみてもなお余りあること と思われます。(後略)」と記させて頂きました。

 

 当時、ドイツには 約300人の日本人がたそうです。日本大使館は この約300人の日本人を ドイツ南部から チェコスロバキアを経由して 日本に帰国させる計画を立てていた とのことです。ちなみに、肥沼信次医師にも、帰国命令が届いていました。なお、この日本人医師は 集合の前日に大使館を訪れましたが、避難のための集合日には 大使館に現れなかった とのことであります。

 ドイツの敗戦後、前述の大学も焼けて、この日本人医師は 帰国する日本人たちとは反対方向にある北部のエーベルスヴァルデに向かった とのことです。この日本人医師は 3歳年下のドイツ人女性 と その女性の5歳の娘と行動を 共にしていた とのことであります。何故なぜ そのエーベルスヴァルデに向かったか ということですが、ここには この女性の姉がて、そこを 疎開先としたからのようです。

 一方いっぽう、ヴリーツェンの市街地は 空襲で 無惨にも 破壊され、まちは 黒ずみ、90%の建物が 廃墟となっていました。樹木の太い枝は折れ、下水道は壊れ、衛生環境は極度に悪化していました。そのうえ、ポーランドから追放された ドイツ兵、ドイツ難民 そして 被災民が まちあふれ、ヴリーツェンの人口は 5000人ほどでありましたが、傷つき疲れ切った人々で 数倍にふくれ上がっていました。彼らは 住む家もなく、食糧事情も悪く、そのため 発疹チフスなどの伝染病が流行する条件が十分にそろっていました。ヴリーツェンは 伝染病指定地域に指定されましたが、医師は 発疹チフスを恐れて 誰も行きたがらなかったそうです。ヴリーツェンは 無医村地区となり、発疹チフスの恐怖にさらされ 死のまちになっていた とのことであります。なお、無医村地区にちなませて頂きますと、去る 一昨々年さきおととしの10月7日(火)の「ボランティア・地域医療」のブログ去る 昨年の1月25日(日)の「ボランティア・地域医療・その2」のブログ去る 昨年の1月29日(木)の「ボランティア・地域医療・その3」のブログ去る8月8日(土)の「ボランティア・地域医療・その4」のブログ そして 去る7月8日(金)の「ボランティア・地域医療・その5(新入生歓迎会)」のブログなどに記させて頂きました 無医村のことが思い出されました。

 

 エバースヴェルデに疎開していた肥沼信次医師は、ヴリーツェンに発疹チフスが 蔓延まんえんしていることを知ったようであります。そして、ヴリーツェンの中心部にあるナチス戦車隊訓練学校が ソ連軍によって 「伝染病医療センター」として設立され、肥沼信次医師がその初代所長に任命されました。伝染病医療センターといっても 医師は 東洋人の肥沼信次医師 ただ 一人ひとりでありました。看護婦(当時の名称。現在の看護師ですね)などの職員を含めても10人前後の人数だったそうです。そのうち 5人の看護婦が、間もなく 発疹チフスが原因で 亡くなった とのことでした。ちなみに、「伝染病医療センター」と言っても 同・訓練学校の建物ですから ベッド(英語:bed)は 足らず、毛布の代わりにわらを敷き、通路にまで 患者は寝かされていた とのことであります。薬剤、消毒液 そして ガーゼ(ドイツ語:Gaze)などの医薬品は不足し、満足な医療器具もなく、患者は 次々と死んでいったそうです。なお、当時の肥沼信次医師のことを知る ドイツ人男性によりますと、ストレッサー(英語:stressor)(去る 一昨々年さきおととしの10月29日[水]の『身体の効率』のブログの中段で、この意味を詳細に記させて頂きました)がまって来ると 「クソ!クソ!」と言っていた とのむねでした。そして、神様は あのような時代に 素晴しい医師を与えてくれた とのことでした。

 夜は、一人ひとりで 往診もした とのことでありました。5歳の女子(前述の 5歳の娘と 同じ年齢ですね。この娘のことのように 思ったのかもしれませんね)の往診をしたときには、戦争で荒れ果てた道を通って 危険を承知で 2日けて 野戦Hp.(hospital[ホスピタル]の略です。以下、Hp.と示させて頂きます)まで 薬をもらためった とのことでした。そして、ようやく 少量の薬をもらったそうです。ちなみに、肥沼信次医師は、子供が快復するかどうかを 子供の顔色で判断していた とのことです。そして、食べることが出来れば 大丈夫だと判断したそうです。快復したら、好きなものを食べさせるように と指示をした とのことです。治ると 「よかった。また 一つひとつ生命いのちが救われた。」と言った とのことです。なお、子供の救護にちなませて頂きましたことは、去る8月10日(水)の「ボランティアについて」のブログの中段やや上に記させて頂きましした。

 

 不眠不休であり、睡眠時間は 1日2時間という状態が続いたそうです。なお、ヘルパー(英語:helper)(日本語:家政婦)によりますと、この日本人医師のことを「自分の生命いのちは顧みなかった、見ていて 苦しかった。」とのことでした。 

 結局、この日本人医師は、約半年間で みずからが 発疹チフスに罹患りかんして 亡くなります。ちなみに、37歳という若さでありながら 半年間しか 生きることが出来なかったほど 過酷な境遇であった と言えるかと思われます。なお、ヘルパー(日本語:家政婦)が 「何か出来ることは。」と尋ねると、「必要としている患者たちのところに戻ってあげて。」と話した とのことです。また、「貴重な薬は、ほかの患者に使って欲しい。」と言った とのことです。

 ヴリーツェン市長によりますと、人々に寄り添い、いつくしむ医師であった とのことです。また、戦争のとき 日本人が 医師として 「伝染病医療センター」の所長をやっていた ということ、通常ならば 考えられない、このようなことが出来る人間は ほかに考えられない とのことでした。このことを ヴリーツェン市民は、永遠に忘れないでしょう とのことでした。

 

 心より 御冥福めいふくを お祈り申し上げます。

 

 さて、父親の朝食 そして 昼食のことであります。その前日と同様に、まず、秋刀魚 サンマ に 大根おろしです。ちな みに、去る 一昨年 おととし の12月28日(月)の「親への買い物・3」のブログ の上段に、

「(前略)母親によりますと、父親は 秋刀魚 サンマ に 大根おろしが好物です。なお、去る(一昨年 おととし の)10月4日(日)の『外付けハード・ディスク』のブログ の中段に、

『(前略)なま の大根には、ジアスターゼ(英語:diastase)という酵素が含まれています。(後略)』と記させて頂きまして、なま の大根のことを言及させて頂きました。しかも、父親は、秋刀魚 サンマ の内臓を好んで食べます。去る(一昨々年 さきおととし )の10月21日(火)の『バランス良くまるごと(今日のおかず)』のブログ の中段に、

『(前略)野菜は、緑色 そして 黄色(緑黄色)さら に 赤い色といった、いろいろな色の野菜を摂取 るといいとされています。

 また、葉、茎 そして 根といったすべての部分、すなわち、まるごと  摂取 るといいとされています。たと えば、大根でしたら、勿論 もちろん 、根 そして 葉も摂取 るということです。

 仮に、小魚でしたら、まるごと 摂取 るといいとされていますね。(後略)』と記させて頂きました。(後略)」と記させて頂きました。ならびに、前述の 去る 一昨年 おととし の12月4日(金)の「占守島 しゅむしゅとう 」のブログ の中段やや上に、

「(前略)話を その 占守島 しゅむしゅとう の戦いのことに戻しますが、当初 ソ連軍は この島を 一日で占領する予定でした。ところが、日本軍の抵抗により 六日間 足止めされました。冒頭に 硫黄島 いおうとう の戦いことを言及させて頂きましたが、この戦いと同様の働きの おかげ で 北海道に侵攻されることがおく れました。スターリンは、北海道を二分割して 北半分を ソ連のものにしようと考えていました。あわよくば、北海道全体以上を考えていたかもしれません。御承知のように、戦後、連合国によって 日本を四分割統治する計画があった訳でありますからね。仮に、千島列島と同様に ソ連軍に上陸されて 実効支配されていましたら、少なくても 北・北海道に 日本民主主義人民共和国が誕生していたかもしれません。実際に、ドイツ 、朝鮮 そして ベトナムでは そうであったのですからね。(後略)」と記させて頂きました。仮に、上記のように 北海道を二分割されていましたら、下の缶詰、 長芋 ナガイモ のおろし そして 納豆の原料となる 北海道産の 秋刀魚 サンマ 長芋 ナガイモ  そして 大豆は、入手しにくかったかもしれません。なお、母親によりますと、二切 ふたき れのみ 食べさせるように、とのことでありました。

 

 また、長芋 ナガイモ を おろします。ちな みに、長芋 ナガイモ も父親の好物なのです。

 

 勿論もちろん  ほかにもありますが、以上などが、父親の朝食 そして 昼食です。朝食も 昼食も、おかずの内容は ほぼ同じです。それから、宅食の おかずの配達が、週7日間コースと致しまして 入って来ます。なお、母親のよりますと、病人食のようである とのことでした。それで、「カロリー や 塩分などの計算がなされているのでありましょう。」と回答しました。

 

 

宅食の おかず

 

 

 

  さら に、夜食には、バナナ(英語:banana) そして パン(ポルトガル 語:pão)などが加わります。ちな みに、バナナも、父親の好物なのです。なお、誠に有り難いことに、美味 おい しく食べられている とのことでありました。なお、一昨日おととい 母親によりますと、その前夜 父親は 沢山たくさんの便をらした とのことでした。このことが続けば 紙おむつにする との話になりました。

 

  つぎ  に、去る10月3日(月)の「同期会・欠席(母親の入院)」のブログの下段に、

「(前略)母親が退院致しましたので、母親の食事のことがあります。まず、パン と ヨーグルト・ドリンクであります。最近は、牛乳から ヨーグルト・ドリンクに切り替えたとのことでありました。(後略)」と記させて頂きました。このパンを半分にして、焼いて欲しいとのことでした。 さら に、牛乳も 飲むとのことでした。なお、母親の面会に行ったときに、午前8時、午後0時 そして 午後6時から 食事とのことでした。よって、母親によりますと、習慣になっているので、この時間に 食事とのことでした。

 

  勿論 もちろん  ほか にもありますが、以上などが 母親の食事です。

 

 ときに、昨日の午前10時8分の 母親の最高血圧(収縮期血圧)は 155mmHg(水銀柱ミリメートル)、最低血圧(拡張期血圧)は 87mmHg そして 心拍数が 69でした。 ちな みに、日本高血圧学会による 最新の「高血圧治療ガイドライン2014」の高血圧の治療目標値を見ますと、75歳以上の お年寄りは、取り えず 最高血圧は 150mmHg そして 最低血圧は 90mmHg以下に コントロール(英語:control)出来れば とされています。なお、去る10月6日(木)の「3年目の感謝」のブログの下段に、

「(前略) 一昨日 おととい すなわち 10月2日(日)の『母親の入院・続報9』のブログの上段に、

『(前略)母親によりますと、最後に 看護師に測定された 最高血圧が 168mmHgだったとのことでした。(後略)』と記させて頂きました。帰宅して、誠に有り難いことに 血圧が下がって よかったです。昨日、母親によりますと 腰が痛い とのことでありました。なお、去る9月23日(金)の『資源回収・続報16(母親の血圧)』のブログの上段に、

『(前略)取り えず 打った  臀部 でんぶ のところに 2 箇所 かしょ  【少し やっと するけれど】と伝えて 湿布をして 大事にしてもらっています。(後略)』と記させて頂きました。すなわち、同様に、湿布を致しました。(後略)」と記させて頂きました。また、湿布を交換しました。

 

 ところで、去る10月12日(水)の「両親の食事・5」のブログ去る9月28日(水)の「母親の入院・続報5」のブログのそれぞれ中段 そして 去る9月26日(月)の「母親の入院・続報3(資源回収)」ブログの上段やや下に、

「(前略)去る9月23日(金)の『資源回収・続報16(母親の血圧)』のブログの中段に、『家族の洗濯物のことも致しました。』と記させて頂きました。 ちな みに、毎日 洗濯致しております。なお、昨日は、母親の洗濯物も致しました。(後略)」と記させて頂きました。毎日 家族の洗濯物を洗濯して しています。

 

 また、前述の 去る9月23日(金)の「資源回収・続報16(母親の血圧)」のブログなどに記させて頂きましたように、平日 毎日のごみの回収がありますので、これらに対応しなければなりません。

 

 ならびに、去る11月24日(木)の「両親の食事( 新嘗祭 にいなめさい )」のブログの中段やや下に、

「(前略)去る11月10日(木)の『両親の食事 そして 入浴・2』のブログの中段やや下に、

『(前略)過日から、両親の寝室にて 加湿器の運転を開始致しました。(後略)』と記させて頂きました。それで、去る3月16日(水)の『電気ポットの掃除・資源の回収』のブログの上段で 言及致しました クエン酸(英語:citric acid)を用いて、加湿器の お手入れをしました。(後略)」と記させて頂きました。それから 毎日、両親の寝室の加湿器の水を補給しております。

 

 および、庭の植物への水 き や 外壁塗装など 自宅の維持管理のことがあります。

 

 さて、ヘルパー(英語:helper)(日本語:家政婦)によりますと、誠に有り難いことに、一人 ひとり で  二人 ふたり の親をみることは たいへん とのことでありました。

 

  つぎ に、昨日、一日の食事(菜食)を 感謝の気持ちを めさせて頂いて 記させて頂きます。なお、去る9月25日(日)の「母親の入院・続報2」のブログ去る10月5日(水)の「ノーベル医学・生理学賞(両親の食事)」のブログ去る10月7日(金)の「両親の食事」のブログ そして 去る10月10日(月)の「体育の日(両親の食事)」のブログなどの下段に、

「(前略)昨日も、おかずどころではありませんでした。そして、昨日も やはり 90分 睡眠でした。(後略)」記させて頂きました。昨日は、未明の午前3時40分過ぎまで かりました。そして、誠に有り難いことに、少しだけ まと まった睡眠を取ることが出来ました。なお、去る9月30日(金)の「母親の入院・続報7」のブログの下段やや上に、

「(前略)レム睡眠(英語: rapid eye movement sleep, REM sleep) と ノンレム睡眠の1周期が 約90分とされています。但し、個人差があり、この1周期が 80分の人もいれば 110分の人もいるようです。 ちな みに、去る( 一昨年 おととし の)12月21日(月)の『催眠に効果的な言葉』のブログ の上段に、

『(前略)一般的に、顕在意識が5%位 また 潜在意識が95%位と  われますが、個人差があります。顕在意識が2~3%位の場合もあります。(後略)』と記させて頂きました。こちらも、同様に 個人差があります。(後略)」と記させて頂きました。

 

 話を戻しますが、取り えず 納豆であります。ちな みに、前述の 去る9月30日(金)の「母親の入院・続報7」のブログの上段に、

「(前略)去る 一昨々年 さきおととし の10月9日(木)の『笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤小乗 しょうじょう から大乗 だいじょう へ』のブログ の下段やや上に、

『(前略)医科学の大事典に、【穀物に大豆食品をとれば、蛋白質の量 及び 質共に、完全ではないが、大きな欠陥は無いようになる。なお、植物性食品では、カルシウム(Ca)、鉄(Fe)、ビタミンB1(チアミン) 及び B2(リボフラビン)の少ないものが多く、また、ビタミンB12(シアノコバラミン)は全く含まれていない。従って、菜食では、いろいろ多種の食品を 摂取 ることが大切で、・・・食事の量が多くなるので、子供や老人には適当でない】との むね が書かれてあります。(後略)』と記させて頂きました。上記のように、最低限 穀物に大豆食品と思われました。(後略)」と記させて頂きました。なお、納豆の食べ かた ですが、たれも付けずに 納豆の味を そのまま頂きます。去る 一昨々年 さきおととし の10月5日(日)の「ボランティア・高尾山登山 」のブログ そして 去る 一昨年 おととし の1月21日(水)の「ボランティア・高尾山登山・その2」のブログなどに記させて頂きましたスタッフから食べ  かた かれましたので、上記のように 納豆を そのまま味わうと回答致しましたら 「ええ!」とのことでありました。

 

 去る7月17日(日)の「歯科受診・続報6(父親への贈り物)」のブログなどに、部分入れ歯をすることを勧められた と記させて頂きました。この 4ヶ月半以上、この部分入れ歯を める時間の余裕もありませんでした。

 

 

納豆

 

 

 

 同居している両親は、と以前  かれましたので、お伝え申し上げましたが、両親は何でも食べます。

 

 前述の 去る 一昨々年 さきおととし の10月9日(木)の「笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤小乗 しょうじょう から大乗 だいじょう へ」のブログ そして 去る1月12日(火)の「笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤小乗 しょうじょう から大乗 だいじょう へ ・続報」のブログ に記させて頂きました過程があり、誠に有り難いことに、母親の理解を得て、菜食にさせて頂いております。

 

 玄米御飯で 御座 ござ います。玄米も、庶民 しょみん 的にスーパー・マーケットで購入して来ます。

 御承知のように、玄米のぬか には、去る 一昨々年 さきおととし の11月10日(月)の「らっきょう(昨日のおかず)」のブログ で お伝え申し上げましたように、糖質からエネルギーをつくり出すときに役立つとされているビタミンB1(英語: thiamin チアミン )が含まれています。ビタミンB1(チアミン)のことは、去る 一昨年 おととし の3月30日(月)の「脳の神経細胞の新生」のブログの上段から中段に けてでも記させて頂きました。

 また、らっきょうには、キャベツの約50倍の、前述の「水溶性食物繊維」が含まれています。さら に、らっきょうには、ビタミンB1の吸収を助ける、「アリシン( 硫化 りゅうか アリル)(英語: allicin アリシン )」という成分が多く含まれています。 ちな みに、「アリシン(硫化 りゅうか アリル)」は、 ねぎ 類に共通して含まれています。 玉葱 たまねぎ に含まれている、血液をサラサラにする効能があるとされる「アリシン(硫化 りゅうか アリル)」を効果的に摂取 るための調理法は、去る 一昨年 おととし の3月25日(水)の「玉葱 たまねぎ 」のブログ に記させて頂きました。

 それから、玄米には、ビタミンE、食物繊維、そして、K(カリウム)が含まれています。 ちな みに、K(カリウム)のことは、去る 一昨年 おととし の1月9日(金)の「茄子 なす 」のブログ に記させて頂きました。また、玄米のような穀類に含まれている食物繊維は、「不溶性食物繊維」です。前述の「水溶性食物繊維」と「不溶性食物繊維」のことにつきましては、去る 一昨年 おととし の3月22日(日)の「わかめ」のブログ の中段に記させて頂きました。

 そのうえ、玄米には、免疫において マクロファージ(英語:macrophage)を活性化させるとされるリポ・ポリ・サッカライド(英語:lipopolysaccharide・略語:L.P.S.・和名:リポ多糖)が 食品の中で一番多く含まれている と われています。

 

 なお、去る 一昨年 おととし の11月20日(金)の「仏花 ぶっか (菊の花)」のブログ の下段に、「古事記」と「日本書紀」を引用させて頂いて、日本人の主食である お米は 誠に有り難い という話を記させて頂きました。

 

 

玄米御飯

 

 

 

 玄米の食べ かた につきましては、去る 一昨々年 さきおととし の11月17日(月)の「黒 胡麻 ごま 」のブログで記させて頂きました。また、玄米の かた につきましては、去る 一昨々年 さきおととし の11月26日(水)の「ふき 」のブログに記させて頂きました。なお、玄米を ため の前処理につきましては、去る11月27日(日)の「両親の食事(玄米の前処理)」のブログの下段に記させて頂きました。

 

 しかも、去る 一昨年 おととし の12月31日(木)の「大晦日 おおみそか (火星か金星か)」のブログ の下段に、

「(前略)御飯を食べましたら 当然のことなが ら 以前から 茶碗 その他の食器を洗っております。(中略)高校生のころ に触れた 趙州 じょうしゅう 和尚の『御飯を食べたら茶碗を洗え』の言葉を思い出しました。この『趙州洗鉢 じょうしゅうせんぱつ 』の公案は、『 無門関 むもんかん 』(中国宋代に 門慧開 むもんえかい によって編集された公案集)の第七則にある話です。(後略)」と記させて頂きました。なお、学部生のときに 安い学食を用いると 食器を洗うどころか 食器を下げることすらも嫌とのことで、一般の食堂を利用している お坊ちゃんのような同期生がいました。このときは、当方は 自炊することもありました。それで、食器を どうしているのか と かれました。そこで、食事をし なが ら 食事中でも 片づけられる食器は片づけなが ら 食事をしている と回答しましたら、納得してくれました。今では、食後に まと めて食器を洗っていますが、このときは 食器洗いの練習として 前述のように おこな っていました。

 そのうえ、別の同期生から この お坊ちゃんのような同期生は、 放浪癖 ほうろうへき があると言われていました。おまけに、 放浪癖 ほうろうへき があると言っていた この別の同期生は、自分のことを 投影(心理学用語)しているのだということが  あと になって 分かりました。某・出版会社を退職して 入学して来ている 学士(四年生の大学を卒業していること)の かた でした。入学時に 30歳代の なか ばでした。この某・出版会社で  放浪癖 ほうろうへき があると言われていたので、同期生にも そう言ったのかもしれません 。ちな みに、この 放浪癖 ほうろうへき は、去る12月19日(月)の「男性看護師・続報12(両親の食事)」のブログの中段やや上に記させて頂きました A.D.H.D.(英語: attention deficit hyperactivity disorder)(ネガティブ[英語:negative]で 御座 ござ いますし、お読み下さっている 方々 かたがた に影響を お与えすることの無いように、日本語でつづ ることを控えさせて頂きましたが、以前 それではわからない と指摘を頂きましたので、日本語も併記させて頂きます。小さく記させて頂きます。注意欠陥・多動性障害 のことで 御座 ござ います)と関係していたのかもしれません。

 

 (義務教育の方々かたがたに 美しい日本語を 正しい読みかたで 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名ふりがなを付けております)

 本日も、最後 まで  お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)

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