母校の都立高校の同窓会会報・続報

 このブログ(英語:blog)に御訪問頂き、誠にありがとうございます。

 リンクを らせて頂いております。紫色のブログ・タイトルをクリック(英語:click)(もしくは タップ[英語:tap])して頂きますと、過去のブログ記事に移行します。(^O^)

 

 さて、去る12月4日(月)の「母校の都立高校の同窓会会報」のブログの上段に、

「(前略)去る2月14日(火)の『【高校紛争】に関する アンケート調査』のブログの上段に、

『(前略)去る 8年前の10月23日(金)の【レクイエム】のブログの上段 そして 去る 8年前の10月5日(月)の【硫黄島いおうとう】のブログの下段などに、母校の某・都立高校のことを言及させて頂きました。この某・都立高校から、昭和45年(1970年)の【高校紛争】に関する アンケート調査が来ました。それで、回答しなければなりませんでした。

 ときに、去る 7年前の3月11日(金)の【東日本〇〇〇・黙禱もくとう】のブログの中段やや上に、

【(前略)去る11月16日(月)の〖七五三に思うこと〗のブログ の上段やや下に、

〖(前略)去る9月27日(日)の〔綺麗で奥ゆかしくて誠に素晴らしい日本語〕のブログの上段に、

〔(前略)これ まで  むを ず使わなければならなかった場合を除きまして、 極力きょくりょく 自国語である日本語を用いるように努めて参りました。外来語を使用するときには、日本語と区別するために、 何語なにごであるのか、その言葉の つづりを添えまして注釈を入れました。日本には  如何いかに外来語が多いか、ということを知って頂く意味も 御座ございます。御承知のように、先の大戦後、日本の底力を恐れた連合国軍最高司令官総司令部(G.H.Q.)による〘日本弱体化政策〙が行われました。自国語である日本語ではなく、英語を用いさせようとすることは、米国にとりまして誠に都合のいいことであります。現・日本国憲法は、米国による この〘日本弱体化政策〙の産物とされています。(後略)〕と記させて頂きました。前述致しましたように、戦後 日本人の精神性がやられましたことは、 しみても  なお余りあることと思われます。その原因は、前述の〔日本弱体化政策〕、すなわち、ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(英語:War Guilt Information Program、略称:W.G.I.P.)であります。この〔日本弱体化政策〕は、巧妙に行われました。

 一例を挙げますと、報道におきましては、同じ 日本のマス・コミ(英語:mass media)を利用して行われました。同胞である日本人による報道を行わせることによって、日本人に信じさせるように仕向けました。終戦を境に 報道内容が全く変わりました。報道内容は、G.H.Q.が書いた文章とされています。しかも、新聞などの報道機関を統制する ために G.H.Q.から発せられた規則であるプレス・コード(英語:Press Code for Japan)がありました。これにより検閲が実行されました。日本人は、G.H.Q.にとりまして 不都合なことを書くことが出来ませんでした。日本人は、書くことに 制約を受けました。言論の自由どころではありませんでした。戦後70年 経った今でも、その後遺症が 残っているようであります。

 また、教育におきましては、まず 教科書を書き換えたことであります。さらに、日教組を作ったのは、連合国軍最高司令官総司令部(G.H.Q. ・以下、G.H.Q.と示させて頂きます)とされています。このG.H.Q. と 日教組の 両者の方針は一致しています。(後略)〗と記させて頂きました。大東亜戦争後、この米国による報道 そして 教育の影響を 日本人が受けたからであろうと思われます。唯物的な影響もあります。御承知のように、日本には  勿体もったいないという 特有の言葉があり、元来 日本人は、精神的 そして 霊的に優れた民族であり ものも大切に扱ったと存じます。去る10月28日(水)の〖姪のこと〗のブログ の上段に、

〖(前略)現在の日本では、米国による この〔日本弱体化政策〕がうまくいっているということになりますね。(後略)〗と記させて頂きました。(後略)】と記させて頂きました。

 すなわち、米国のニュー ヨーク・ウォール街に巣作すづくって 米国を支配する 国際金融資本家たち(左翼系ユダヤ人 そして その影響を受けた資本家たち・共産主義者)により、戦後は 上記のウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(英語:War Guilt Information Program、略称:W.G.I.P.)により 【日本弱体化政策】がほどこされています。したがって、誠に遺憾ながら 上記のように その政策が うまくいき、戦後は 必要悪である 日米安保条約なしでは 日本を守れなくなっております。

 ときに、去る 一昨年おととしの7月31日(土)の【マッサージ(父親)・174・中編・3】のブログの中段やや下に、

【(前略)国際金融資本家(左翼系ユダヤ人 そして その影響を受けた資本家たち・共産主義者) は、離間の計を用いて 社会を分断して、内部紛争を引き起こします。すなわち、分断統治法であります。つまり、お互いに争わせている間は、国際金融資本家(左翼系ユダヤ人 そして その影響を受けた資本家たち)は 攻撃されないのであります。ようするに、争わせて、自分たちに矛先ほこさきが向かうのをけることが出来るのであります。(後略)】と記させて頂きました。

 ところで、【高校紛争】は、国際金融資本家たち(左翼系ユダヤ人 そして その影響を受けた資本家たち・共産主義者)に そそのかされたのでありますね。 ちな みに、反面教師であります。なお、上記の分断統治法は、国際金融資本家(左翼系ユダヤ人 そして その影響を受けた資本家たち・共産主義者)の常套手段であります。ついながら、一般的に 左翼のほうが 保守よりも 暴力的であるとされております。

 しかも、去る 昨年の5月3日(火)の【憲法改正(令和4年・憲法記念日)】のブログ そして 去る 一昨年おととしの5月3日(月)の【憲法改正(令和3年・憲法記念日)】のブログの中段やや上などに、

【(前略)憲法記念日にあたり、今年も 引き続き、長年の悲願である 憲法改正の年にしたいとの思いを 新たに致しました。(後略)】と記させて頂きました。

 そのうえ、去る2月3日(金)の【税理士・続報40・中編・7】のブログの中段やや上などに、現・日本国憲法が 諸悪の根源であることを記させて頂きました。すなわち、一刻も早く 諸悪の根源である 現・日本国憲法を改正しなければなりません。ちな みに、このアンケート調査を行なっていますのは 左翼でありますから、かなり挑発的なことを書いてしまいました。なお、そのアンケート調査は、郵送しました。ついながら、去る 昨年の12月12日に そのアンケート調査が 母校の 某・都立高校事務局から届き、2ヶ月以上 考えて 回答しました。ちな みに、メールも添えて 実名で答えました。なお、実名で回答すると、記事中に 名前を掲載することを 承諾したことになりますとのことでありました。ついながら、覚悟の上であります。(後略)』と記させて頂きました。

 ときに、本日、その某・都立高校の同窓会会報が届きました。ちな みに、この会報は、年に 1回 年末に 届けられます。ついながら、去る平成23年に ¥5萬円の会費を納めて 終身会員になっております。

 なお、今回の会報に、上記の 昭和45年(1970年)の『高校紛争』に関する アンケート調査の特集が、12頁から25頁 すなわち 14頁分 組まれていました。ちな みに、104人からの回答があったとのことであり、当方の学年では 自分を含めて2名が答えていました。但し、上記のように アンケート調査を行なっていますのは 左翼でありますから、かなり挑発的なことを書きましたが、集計の数に加えられただけであり 文章は掲載してもらえませんでした。ついながら、左翼的な意見が 掲載されていました。なお、当方の文章は、掲載することは まずいと思われたのでありましょうね。

 

 

本日 届いた、紫芳会会報・No.62(令和5年[2023年])

 

 

 

 ところで、母校の某・都立高校の同窓会会報のバック ナンバーの表紙の画像を 以下に掲載します。

 

 

紫芳会会報・No.61(令和4年[2022年])

 

 

紫芳会会報・No.60(令和3年[2021年])

 

 

紫芳会会報・No.59(令和2年[2020年])

 

 

紫芳会会報・No.58(令和元年[2019年])

 

 

紫芳会会報・No.57(平成30年[2018年])

 

 

紫芳会会報・No.56(平成29年[2017年])

 

 

紫芳会会報・No.55(平成28年[2016年])

 

 

紫芳会通信(平成元年[1990年])

 

 

紫芳会通信(平成元年[1990年])

 

 

 

  つぎ に、去る4月5日(水)の『【清明】の日(令和5年)』のブログの中段やや上に、

『(前略)去る 2月27日(月)の【高校1年生の担任のこと】のブログの上段に、

【(前略)去る 昨年の5月1日(日)の〖菜食のおかず・42(人参の煮物)〗のブログの上段に、

〖(前略)去る10月23日(金)の〔レクイエム〕のブログ の上段 そして 去る10月5日(月)の〔硫黄島いおうとう〕のブログの下段などに、母校の某・都立高校のことを言及させて頂きました。なお、その某・都立高校の入学式のときに、校長先生が 〖夏休みは、諸君に 千葉県館山で 2kmの遠泳を行なってもらう。〗と話しました。すると、会場から 一斉に 〔エー!〕という声が上がりました。すなわち、男子は、赤ふんどしで泳ぐのであります。(後略)〗と記させて頂きました。すなわち、臨海学校のことであります。 ちなみに、今では、同窓会から送られてくる 同窓会誌の写真を見ますと、男子は 赤ふんどしでは なくなったようであります。(後略)】と記させて頂きました。なお、臨海学校の宿泊所が、誠に有り難いことに 【清明寮】という名称なのであります。 ちなみに、この【清明寮】の維持のための募金を集めていました。それで、2回以上 募金に参加しました。ついながら、去る 9年前の10月8日(水)の【親の受診に付き添っていること・1】のブログ そして 去る 9年前の11月9日(日)の【親の受診に付き添っていること ・2】のブログのそれぞれ ともに中段やや上、さらに、去る 8年前の2月23日(月)の【天皇陛下行幸の君恩によくして】のブログの中段に記させて頂きました 某・ボランティア(英語:volunteer)のサークル(英語:circle)の関係の先輩であり、その母校の某・都立高校の先輩でもある 男性によりますと、その【清明寮】で オナニーをして 皆に見せたとのことでありました。 ちなみに、当家に来たとき 二人ふたりだけのときに、その話を聞かされました。なお、その先輩は、上記の募金に 参加していませんでした。(後略)』と記させて頂きました。すなわち、上記の同窓会会報に その『清明寮』の写真が添付されていましたので、下に掲載します。

 

 

『清明寮』

 

 

『清明寮』

 

 

 

 さて、上の画像の『清明寮』は、千葉県館山にあります。 ちな みに、誠に奇遇なことでありますが、当家では、当方が小学校二年生のときに その千葉県館山に 海水浴のために 訪れているのであります。なお、去る 昨年の8月19日(金)の『菜食のおかず・138(買い物)』のブログの中段やや下に、

『(前略)父親は、いつものように 留守番でした。(後略)』と記させて頂きました。すなわち、父親は、いつも 祖母と一緒に 留守番でした。ついながら、母親 と 姉と 三人さんにんでありました。(後略)」と記させて頂きました。

 ならびに、誠に有り難いことに 本日、その某・都立高校の同窓会会報が届きました。ちな みに、前述致しましたように、この会報は、年に 1回 年末に 届けられます。ついながら、上記のように 去る平成23年に ¥5萬円の会費を納めて 終身会員になっております。

 

本日 届いた、紫芳会会報・No.63(令和6年[2024年])

 

 

同封されていた 案内

 

 

 および、去る 一昨年おととしの11月25日(金)の「三島由紀夫(憂国忌)(令和4年)」のブログの上段に、

「(前略)去る 8年前の10月23日(金)の『レクイエム』のブログ の上段 そして 去る 8年前の10月5日(月)の『硫黄島いおうとう』のブログ の下段などに、母校の某・都立高校のことを言及させて頂きました。

 また、去る 昨年の11月22日(火)の『高校1年生のときのこと』のブログの上段に、

『(前略)当方は ホームルーム長でした(後略)』と記させて頂きました。

 ならびに、去る 9年前の10月8日(水)の『親の受診に付き添っていること・1』のブログ そして 去る 9年前の11月9日(日)の『親の受診に付き添っていること ・2』のブログのそれぞれ ともに中段やや上、さらに、去る 8年前の2月23日(月)の『天皇陛下行幸の君恩によくして』のブログの中段に記させて頂きました 某・ボランティア(英語:volunteer)のサークル(英語:circle)の 『石川雅弘』という 上記の母校の某・都立高校の同窓の先輩男性にも、伝えたことであります。すなわち、高校二年生のとき 母校の某・都立高校の左翼の宿谷しゅくや晃司・国語教師が 授業中 『三島由紀夫は 頭がおかしい』と話したことに対して くやしかったことがありました。 因 ちな みに、立ち上がって 意見しようかと思われたことがありました。但し、上記のように、ホームルーム長でありました。しかしながら、今 思えば、ホームルーム長であったとしても、あのときに もっと 勇気があったら、『意義あり』と言えたのであろうと思われました。(後略)」と記させて頂きました。なお、以下も、上記の母校の某・都立高校の同窓の先輩男性にも、伝えたことであります。すなわち、その前の高校一年生の際 ホーム・ルーム長をしているときに、クラスの男子が 立高名物の『地震』をしようと言い出して みなが 扇動されて、この宿谷晃司・国語教師の授業中 一人ひとりのぞいて クラス全員が 『地震』だと叫んで 教室から抜け出したことがありました。その際 先輩からは これほど 全員が抜け出して 成功したことはない と言って頂きましたが、ホーム・ルーム長でしたので、国語教員室にあやまりに行ったことがありました。ついながら、今回 届いた 上記の同窓会会報のなかに、恩師訪問の記事がありました。因 ちな みに、当方も 高校一年生のときに その恩師に 「水」の動態(性質)について 同級生の前で 質問して、誠に有り難いことに 感心してもらったことがありました。なお、上記の 某・ボランティア(英語:volunteer)のサークル(英語:circle)の本を かばんに入れていて 偶々たまたま 見付かり、誠に有り難いことに、もっと 広く 本を読むようにとのむねの示唆を与えてくれました。ついながら、卒後も ときどき 思い出していた 教師でありました。因 ちな みに、下の記事を見ますと 当方の 一年後に入学してきた 学年が、その恩師に 上記の「地震」を仕掛しかけたとのことでありました。

 および、去る 9年前の10月23日(金)の「レクイエム」のブログ の上段に、母校の某・都立高校で 室内楽部に入部していた と記させて頂きました。なお、誠に有り難いことに、その室内楽部の顧問でもありました。

 

今回 掲載された教師(顧問)をかこんで 室内楽部の卒業生たち(卒業アルバムから)

 

 

 

 

上記の「地震」のことが書かれてある ページであります。ちなみに、上記の「ブランク ジャック」でも 有名でありました。なお、理科の科目では 物理、化学 そして 生物は 週に 3単位ありましたが、その教師が担当する 地学は 週に 2単位だけでありました。それで、「ブランク ジャック」を行なって 補おうとしたのであるということが、当時の みなの通説でありました。ついながら、誠に 真面目な先生であります

 

 

 

研究者になりたかったとのことでありますが、上記のように 「ブランク ジャック」を行なってまで 自分の授業を補おうとしたのでありますから、教育熱心であったとも言えますね。なお、大学教授以上であると思われます

 

 

 

 

 (義務教育の方々かたがたに 美しい日本語を 正しい読みかたで 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名ふりがなを付けております)

 本日も、最後 まで  お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)

You cannot copy content of this page

タイトルとURLをコピーしました