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先輩から委託されて、学部生であった頃から関わっております、母校の医学部と某・看護の大学が主催しています地域医療研究会の新入生歓迎会に呼ばれまして、話すことを依頼されると、申していることの冒頭(はじめ)を記させて頂きます。(^O^)
「平静の心」ウィリアム・オスラー著・聖路加国際大学付属Hp.(hospital[ホスピタル]の略です)名誉院長訳監修のp198に,「人間社会の直接の代行者とも言うべき、われわれ医師と看護婦(御承知のように、現代では、看護師で御座いますね)自らの感覚を鈍らせないために、永続的な矯正措置を 一つだけとることができる。それは、孔子の言う人類の黄金律を患者に実践することである。子曰わく『己の欲せざる所、人に施すこと勿かれ』と。…」と記されています。
引用した後、次のように申しました。
すなわち、
「なんだ、自分の欲する処を人に施すわけではないのか、とお思いになられるかもしれません。
原典を見ますと、孔子は、仁、仁愛という言葉がありますが、仁とは何かと弟子から説明を求められたときに、このことを言っている。孔子によると、仁とは相手のことを思いやることだよ、との旨のことが、著書に書かれてあります。日本人の心情で云えば、相手のことを察することだよ、と言いたいようですね。」
と申しました。
数年前、心身医学の某・医療系の学生サークルに委託されて、分科会を開催致しましたとき、この分科会の参加者の方々にも、この話しを致しましたら、参加していた、平成21年の実行委員長から、誠に有り難いことに、 「先生のお話からは終始メッセージをいただいたようで、そのメッセージを“相手を思いやる”という形で私は還元してゆけたらいいなぁ、と思います。」と話してくれました。
このブログを御覧になられておられる お方々は、正(まさ)しく、相手のことを思いやることが お出来になられる、誠に素晴らしい お方々であらせられると存じ上げます。しかも、日本人の心情も大切に考えて下さる お方々であらせられると信じております。(^-^)
また、某・大学看護学部・看護学科の地域医療研究会の1年生(当時)に伝えましたら、本人から、「【仁】,相手を思いやる気持ちは,看護をする上で欠かすことのできないものだと思っています。私も思いやりをもったナースになりたいです。」とのことで御座いました。
そこで、「詳しくは、分科会で話すことで御座いますが、そこにぉ気付きになられたので御座いますから、思った通りになる為には、更に、なりたい姿を思い続けることで御座いますね。」と、伝えました。
更に、某・大学看護学部・看護学科3年生(当時)の、地域医療研究会の教え子によると、
「先週をもちまして無事実習を終えることができました。 実習の間には先生から励ましのメッセージをいただき本当に感謝しております。ありがとうございました。
殊に相手を思いやる、といった基本的姿勢について先生からのメッセージで再認識することができました。
思いやることは実習でも指導していただいた内容です。実際に患者さまから何を考えておられるのか教えていただくことで、より相手のことを思いやることができたのは実習ならではの大きな学びでした。
来年度の実習や臨床においても常に心がけて参ります。」とのことで御座いました。誠に有り難いことで御座います。
新入生歓迎会では、話しをして、早々に帰って来ます。平成23年6月24日【金】の新入生歓迎会の写真を添付させて頂きます。このときの挨拶に際しまして、先の3月11日【金】の東日本〇〇〇(お読み下さいます方々に影響を お与えすることの無いように、御賢明であらせられます お読みの方々はすぐに おわかりになられる、と存じ上げますので、敢えて〇〇〇と綴らせて頂きました)に被災なされました方々の為に、一分間の黙禱を、皆で させて頂ききました。この3月11日【金】は、丁度 追いコンの日でもあり、中止になりましたので、この6月24日【金】は、新歓と追いコンを両方行う 歓送迎会の日で御座いました。唯々感謝。


(義務教育の方々に 美しい日本語を 正しい読み方で 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名を付けております)
本日も、最後 迄 お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)