ボランティア・地域医療・その11(令和6年)

 このブログ(英語:blog)に御訪問頂き、誠にありがとうございます。

 リンクを らせて頂いております。紫色のブログタイトルをクリック(英語:click)(もしくはタップ[英語:tap])して頂きますと、過去のブログ記事に移行します。(^O^)

 

 さて、去る 一昨年おととしの7月9日(土)の「ボランティア・地域医療・その8(令和4年)赤とんぼ」のブログの上段に、

「(前略)去る 昨年の8月8日(日)の『ボランティア・地域医療・その7(令和3年)』のブログの上段に、

『(前略)去る 4年前の8月28日(月)の【ボランティア・地域医療・その6(両親の食事)】のブログの上段から、

【(前略)去る 一昨年おととしの8月8日(土)の〖ボランティア・地域医療・その4〗のブログの上段から、

〖(前略)去る11月17日(月)の〔黒胡麻ごま〕のブログ の中段に、

〔(前略)去る10月7日(火)の〘ボランティア・地域医療〙のブログ で記させて頂きました地域医療研究会で、学部生の頃から、埼玉県神泉村(当時・無医村)(ここのフィールド[英語:field]は約四半世紀続きました)に伺っておりまして、医師になってからは、9年間伺っておりました。夏の健康診断は3日間ありますので、4泊5日になることがあり、その間の食事となる玄米を酢でしめて持って行きます。夏でありますが、冷蔵庫に入れられませんので、あと梅干しで補います。古来、中国では、梅は薬用として用いられ、三毒(食物の毒、身体の毒、そして、水の毒)を消すとされています。ちなみに、大乗仏典・維摩経によりますと、三毒とはとんじんとされています。

 この無医村のフィールド(英語:field)へは、ディーゼル・エンジン(英語:diesel engine)であるJ.R.八高線、バス、そして、村営バスを乗りいで行くのですが、村営バスの運行が一日2本であり、バスから村営バスに乗り換えるときに、約1時間40分の待ち時間がありました。(後略)〕と記させて頂きました。すなわち、一日 2本である 村営バスの運行が、化学反応にたとえると 律速段階であると 学生たちには説明しました。ちなみに、その約1時間40分の待ち時間で、バス停前の喫茶店に入りました。なお、男性が 一人ひとりで 経営していました。ついながら、毎年 8月の第2週に 来るので、その経営者の、男性は どう思ったでしょうね。ちなみに、御承知のように 菜食でありますので、まず 喫茶店には入りません。なお、真夏でありますのに、毎回 ホット ココアを注文しました。

 毎年、夏の今頃、すなわち、8月の第2週で御座ございました。健康診断の場所は、村の地域センターや体育館でした。季節が今頃になりますと、毎年、このことを思い出します。前述の、去る10月7日(火)の〔ボランティア・地域医療〕のブログ で記させて頂きました、母校の医学部と某・看護の大学が主催しています地域医療研究会の学部生の方々かたがたには話したことですが、バスを待ってフィールドに向かうとき、愈々いよいよこれから無医村に赴任ふにんするような気持ちになりました。

 健康診断3日目、すなわち、最終日の健康診断が夕方に終わりますと、その日のうちに失礼致しました。健康診断では、内科を担当致しました。去る1月29日(木)の〔ボランティア・地域医療・その3〕のブログ の上段に、

〔(前略)地域医療研究会の夏の健康診断の4泊5日が終了した、(今日の日付と同じ)平成15年8月8日(金)のことで御座ございます。十二支じゅうにしで一周して、今年と同じひつじ年のことです。学部生の方々かたがたはもう一泊して、この日の夜、肝試きもだめしとかレクリエーションをして夏期合宿をめるのが例年のことでした。母校の男子学部生のかたから、肝試きもだめしを勧められましたが、学部生の方々かたがたで楽しんで下さいと丁重に話して、これまで失礼致して参りました。その後、肝試きもだめしで問題があったということは聞いておりません。

 帰宅するために、毎年のように、一人で路線バスを待っているときのことです。バス停の前で、住職のようなかたの運転する自動車が停まりました。誠に有り難いことに、最寄りの駅まで送ってくれるとのことで御座ございました。但し、前述の去る11月17日(月)の〘黒胡麻ごま〙のブログ で記しましたように、荷物が多いので、誠に申し分けないと思い、車で送って頂くのでは無く、お布施ふせをさせて頂きました。(後略)〕と記させて頂きました。学部生の方々かたがたは、この最終日の健康診断が終わった後、上記のように打ち上げをして、もう一泊して帰ることが例年のことであるようでした。ちなみに、肝試きもだめしは小学校6年生のときの林間学校以来、経験致しておりません。

 

 前述のように、医師になってからは、9年間伺っておりました。そして、10年目に、村の方針で健康診断を地域の医師会にゆだねることになりまして、ここのフィールドは終わりになりました。その医師になってからの健康診断9年目(最後の年)の3日目(最終日)、すなわち、平成16年8月6日(金)、健診会場である某・体育館前で、健康診断終了後に撮影されました写真を、下に掲載させて頂きます。画像をクリック(英語:click)(もしくはタップ[英語:tap])して頂きますと、拡大致します。

 誠に有り難いことに、周囲はすべて学部生の方々かたがたです。最後列でスーツ(英語:suit)を着ていますのが、当方です。

 

 

神泉

健診会場である某・体育館前

 

 

神泉

学部生の方々かたがたと共に

 

 

 

 ここに続くフィールドは千葉県の南房総でした。ここも連続して3年間伺いました。宿泊所は、3年間とも違う民宿でした。学部生の主将によりますと、平成23年3月11日〔金〕の東日本〇〇〇(お読み下さいます方々かたがたに影響を お与えすることの無いように、御賢明であらせられます お読みの方々かたがたはすぐにお分かりになられる、と存じ上げますので、敢えて〇〇〇とつづらせて頂きました)がありまして、ここのフィールドは終わりになったとのことでした。

 そして、その後のフィールドは、長野県の南相木村です。

 ちなみに、埼玉県神泉村の前のフィールドは、茨城県神栖かみすです。先輩によりますと、このフィールドは人口が増加したために、フィールドとしては離れなければならなくなったとのむねでした。お気付きのことであらせられますように、前述の神泉村と同様に、地名に〔神〕が付きますね。

(後略)〗と記させて頂きました。上記のように、季節が今頃になりますと、毎年 このことを思い出します。そして、去る 昨年の7月8日(金)の〖ボランティア・地域医療・その5(新入生歓迎会)〗のブログに、地域医療研究会の新入生歓迎会に呼ばれまして、話すことを依頼されると、申していることの話の さわりを記させて頂きました。(後略)】と記させて頂きました。今年も、8月の第2週になりました。 ちな みに、前述致しましたように、夏の今頃、すなわち、季節が今頃になりますと、毎年、上記のことを思い出します。(後略)』と記させて頂きました。今年も、7月の第2週が終わろうとしています。 ちな みに、前述致しましたように、夏の今頃、すなわち、季節が今頃になりますと、毎年、上記の 8月の第2週のことを思い出します。なお、その埼玉県神泉村(神川町と合併し 新しい神川町の一部となったために 現在では 消滅しました。 ちな みに、埼玉県唯一の無医村でありました)では 標高が高いので、今頃の季節になると 秋を思わせる 赤とんぼが飛んでいました。なお、当市域の最高地点の標高は 九八・二メートルでありますが、誠に有り難いことに、本日 当家の庭に 赤とんぼが来ました。ついながら、 『ちいさい秋みつけた』という 日本の童謡がありますが、その歌詞を思い出しました。すなわち、その赤とんぼも 『ちいさい秋みつけた』ですね。

 

 

誠に有り難いことに、当家の庭に 来た 赤とんぼ

 

 

 

(後略)」と記させて頂きました。

 ときに、去る 昨年の8月7日(月)の「ボランティア・地域医療・その10(令和5年)」のブログの中段に、

「(前略)去る 昨年の8月7日(日)の『ボランティア・地域医療・その9(令和4年)』のブログの中段やや下に、

『(前略)今年も、今日から 8月の第2週になりました。 ちな みに、前述致しましたように、夏の今頃、すなわち、季節が今頃になりますと、毎年、上記のことを思い出します。

 なお、半年ぶりくらいに 再会して 学部生が 異性と 一線を越えていますと、分かりました。すなわち、親も、娘が 一線を越えると 分かることがあるのかもしれないと思われました。ちなみに、このことを家政婦さんにも話しました。

 また、【神山純子】という 学生は、所属大学が 聖公会の関係であるので、divorce(英語)(ネガティブ[英語:negative]で 御座ございますし、お読み下さっている 方々かたがたに影響を お与えすることの無いように、日本語で つづることを控えさせて頂きましたが、以前 それではわからない と指摘を頂きましたので、日本語も併記させて頂きます。小さく記させて頂きます。離婚のことで御座ございます。以下、英語で divorceと示させて頂きます)が出来ると 嬉しそうに話していました。ちなみに、カソリック教会では、divorceをすることが出来ないとされていますからね。なお、その学生は 長野県南相木村のフィールドを見付けてきて 頑張っていましたが、途中で その地域医療研究会をめてしまいました。 

 ならびに、【てつろう】という名前の後輩(関根鉄朗君)がまして、本人によりますと 父親が命名したのであるが、銀河鉄道777の主役の名前から 付けられた とのことでありました。 ちな みに、国立筑波大学附属駒場高等学校 卒業であり、母校の医学部の附属Hp.(hospital[ホスピタル]の略です。日本語では、病院のことです)の放射線科に所属しています。

 および、【吉田直人】という 40歳くらいの学生がました。 ちな みに、東京外語大学を卒業しているとのことでありました。なお、その大学では 演劇部に所属していて、出演する女子学生たちを脱がしてしまったとのことでありました。

 また、去る 4年前の9月13日(金)の【一大事とは・続報】のブログの中段やや上に、

【(前略)この遺書が掲載されている 書籍を お急ぎ便で 注文して、家政婦に進呈しました。 ちなみに、新品の本であり ¥1,620円(税込み)でした。そして、〖残り1点 ご注文は お早めに〗と表示されていた本でした。なお、品薄商法と言われていますね。今回 買ってみて 新品の出品は出なくなりました。但し、1時間以内に 商品在庫が 再び 復活して、〖残り1点 ご注文は お早めに〗の文字が 商品の隣につくようになる とのことでしたが、中古品の出品があるためか いまだ 新品の出品は出ていません。

(中略)

 地域医療研究会の学部生のかたにも、以前 進呈しました。すると、この学部生のかたの父親が 茨城県の某・県立高校の化学教師をしていまして、誠に有り難いことに、この本に書かれているような 戦没学徒のことを知ることは 誠に いいとのむねの連絡を頂きました。 ちなみに、その後 この父親は 肝臓の 重篤な症状が出て 入院しました。そして、その学部生のかたから、相談されました。プロトロンビン時間(略語:P.T.)の値などを聞かされました。なお、プロトロンビン時間(略語:P.T.)に関しましては、去る 一昨年おととしの2月21日(火)の〖親の受診に付き添っていること・43(市内の某・公立Hp.の消化器内科)〗のブログの上段に、

〖(前略)たとえば、肝機能では プロトロンビン時間(略語:P.T.)も大切ですし、腫瘍マーカーの検査もしています。(後略)〗と記させて頂きました。ついながら、このとき、御見舞いを 手渡しました。 

 ところで、その書籍を 下に掲載します。 ちなみに、靖国神社御創立百五十年記念事業があります。そして、この秋 すなわち 10月19日(土)に、靖国神社御創立百五十年・記念大祭が開催されます。なお、去る 一昨年おととしの1月31日(火)の〖永代神楽祭えいたいかぐらさい・3〗のブログ去る 一昨々年さきおととしの1月31日(日)の〖永代神楽祭えいたいかぐらさい・2〗のブログ そして 去る 4年前の1月30日(金)の〖永代神楽祭えいたいかぐらさい〗のブログなどに、靖国神社の永代神楽祭えいたいかぐらさいに 参加させて頂きましたときのことを記させて頂きました。

 

 

家政婦に進呈した本

 

 

丁重に 熨斗のし紙をけて、家政婦に あげた 本

 

 

 

(後略)】と記させて頂きました。すなわち、上記の【靖國のこえに 耳を澄ませて】の本を 進呈した 学部生のかた(玉造吉樹君)は、6年生のときに 高価な 医学予備校に 授業料を支払っていました。それで、彼によりますと、自分にとっては 勉強は 本よりも 授業のほうが いいとのことでありました。ちなみに、彼は、上記の【学部生の方々かたがたと共に】の写真の中に うつっています。

 しかも、今は亡き 大久保哲行先輩が、学部生の頃に 夏季合宿で、このようなことをしていれば わるい死にかたは しないと話していました。なお、御冥福を 心より お祈り申し上げます。(後略)』と記させて頂きました。

 つぎに、今年も、休日がけ 今日から 本格的に 8月の第2週になりました。 ちな みに、前述致しましたように、夏の今頃、すなわち、季節が今頃になりますと、毎年、上記のことを思い出します。なお、城峯神社に隣接する 宿泊場所である城峯山荘の お風呂に入ることが、何よりも 御馳走ごちそうでありました。ついながら、城峯山荘では、相部屋あいべや雑魚寝ざこねでありました。

 さて、去る 8年前の11月14日(土)の『満州のこと』のブログの中段やや下に、

『(前略)女子学部生たちは 宿泊が続きますと ストレッサー(英語:stressor)(去る 昨年の10月29日(水)の【身体の効率】のブログで、この意味を詳細に記させて頂きました)を感じるのであります。(後略)』と記させて頂きました。すなわち、前述致しましたように、主将経験者なら 分かることでありますが、レクリエーションを行なう理由があるのであります。つまり、上記のように 女子学部生たちは 宿泊が続きますと ストレッサー(英語:stressor)(去る 9年前の10月29日(水)の『身体の効率』のブログで、この意味を詳細に記させて頂きました)を感じるのであります。しかも、昼間は 健康診断がありますからね。

 ときに、20数年前のことでありますが、上記のように 医師として、夏季合宿で 千葉県の南房総のフィールドに訪れたときのことであります。すなわち、そのときの『上野真由美』という 学生のことであります。 ちな みに、この学生は、『でんこ』という渾名あだなでありました。なお、電力が関係している 渾名あだななのだそうでありました。つまり、その学生は、シフトにしたがって 居酒屋のアルバイト(英語:part‐time job:ドイツ語で 『労働』を意味する名詞のArbeitに由来しますが、ドイツ語で Arbeit といえば労働全般をします)をしていました。それで、そのアルバイトの男性と キスをしてしまったとのことでありました。ついながら、本人によりますと、若気のいたりであったとのことでありました。

 また、上記の夏季合宿中に 女子学生が 自分の手に メモを書いていましたので、『綺麗な手なのに、勿体もったいないね。』とさとしたこともありました。

 さらに、東京理科大学を卒業している 『須崎 真』という男子から、医師への伝言を書くときに 下書きをしていてもいいかと質問されました。それで、医師になって 患者さんの情報を カルテ(ドイツ語:Karte)(英語のcardカードのこと)を書くときには 下書きをする余裕は ないことを伝えました。但し、誠に有り難いことに 学生である 今であれば、練習しておく時間は取れるはずであることを話しました。

 しかも、去る 9年前の10月23日(金)の『レクイエム』のブログの上段に、

『(前略)去る 約37年前 すなわち 昭和53年(1978年)11月19日(日) 三鷹公会堂、母校の某・都立高校で、入部していた室内楽部から、都立高校参加の合唱発表会に出席しました。室内楽部と音楽部(合唱部)合同の参加であり、さらに、吹奏楽部からホルン(英語:horn)の2人が加わりました。曲は、フォーレ(フランス語:Gabriel Urbain Fauré)作曲の【死者のためのミサ(レクイエム[(英語: requiem])】より 【アニュス・デイ(ラテン語:Agnus Dei)】(ミサ典礼文)で御座ございます。ちなみに、アニュス・デイとは、神の子羊こひつじのことであり、イエス・キリストのことをす表現のひとつです。そして、十二支じゅうにしで 三周して 今年と同じひつじ年をむかえる 約6週間前に、このアニュス・デイ(神の子羊こひつじ)の曲が選ばれたことになりますね。なお、去る12月13日(土)の【トルコ・1】のブログの上段やや下、そして、去る2月14日(土)の【絵本の影響】のブログの中段やや上に記させて頂きましたように、以前、親戚のクリスチャン(英語:Christian)のかたに確認致しましたら、キリスト(ギリシャ語)(メシア[ヘブライ語]・ヘブライ語では、キリストに対応する言葉としてメシアと呼ばれる、という意味です)という称号が尊称となっているとのことで同意されましたので、イエス・キリストと記させて頂きました。

 演奏する楽器はチェロ(英語:violoncello)でした。チェロの写真を、下に掲載させて頂きます。画像をクリック(click)(もしくはタップ)して頂きますと、拡大致します。

 

 

レクイエム

チェロ

 

 

 

(後略)』と記させて頂きました。すなわち、上記の『須崎 真』という男子は、母校のハルモニア・オーケストラ という 倶楽部クラブに入部していて、ホルンを演奏していました。それで、上記のように 都立高校参加の合唱発表会に出席したときに演奏した フォーレ作曲の『死者のためのミサ(レクイエム[(英語: requiem])』より 『アニュス・デイ(ラテン語:Agnus Dei)』(ミサ典礼文)を テープに録音して ラジオ・カセット・テープ・レコーダーと 一緒に 持って行き、聞いてもらいました。

 ところで、20数年前のことでありますが、上記の埼玉県神泉村(当時・無医村)(ここのフィールド[英語:field]は約四半世紀続きました)での夏季合宿で、後輩たちに しばしば 下の画像の りんごりんごジュース 1箱を贈りました。勿論もちろん 当方も そのフィールドに行くのでありますが、すべて 後輩たちに あげました。ちなみに、そのうちの1回 お寺に届いてしまったことがありました。それで、その お寺に電話をして、誠に有り難いことに、その お寺で飲んで頂くことになりました。なお、そのようなことも ありました。

 

 

お寺に届いてしまって、誠に有り難いことに、その お寺で飲んで頂いた りんごりんごジュース 1箱

 

 

 

(後略)」と記させて頂きました。

 つぎに、去る 昨年の11月18日(土)の「ボランティア・地域医療・その10(令和5年)・続報」のブログの上段に、

「(前略)去る 一昨年おととしの3月20日(土)の『うなぎ蒲焼かばやき・888(野菜スープ・父親の食事)』のブログの中段やや下に、

『(前略)去る 昨年の3月3日(火)の【英語という言語(日本人の危機)・前編】のブログの中段やや下に、

【(前略)英語の単語の終わりかたについてであります。すなわち、英語の単語は “k”、“s”、“t”、“n”、“m”、“ch”、などのように 〖クゥ〗、〖チィ〗、〖シュ〗などと発音して 母音が付かずに 子音で終わることが 多いです。ところが、日本語では、〖ん〗の例外を除いて 母音で終わります。すなわち、某・宗教団体の創始者によりますと、このことから 英語は 不完全な言語とのことでありました。ちなみに、去る 6年前の10月7日(火)の〖ボランティア・地域医療〗のブログなどに、

〖(前略) 先輩から委託されて学部生であった頃から関わっております、母校の医学部と某・看護の大学が主催しています地域医療研究会(後略)〗と記させて頂きました地域医療研究会の学部生の方々かたがたから 依頼されて、母校の学園祭のときに 商店街で 医師として 無料検診をおこなったときのことであります。すなわち、被検診者として 英語が専門である 年配の教授が 受診するために 来ました。その年配の教授によりますと、英語を母国語とする 英国は 寒いので 口が開かないから 上記のような 発音になる とのことでした。なお、確かに 英国が位置する緯度を見ますと、高いですね。ついながら、この話を 上記のケア・マネージャー(男性)のかたに話しましたら、東北地方の方言のようですね とのことでした。

 一方いっぽう、英語の発音に関して であります。すなわち、ラテン語、ドイツ語 そして フランスなどは、spellスペル(単語のつづりのこと)を見れば 発音が 決まります。勿論もちろん、日本語も、つづりを見れば 発音が決まりますね。ところが、英語の発音は、例外が多過ぎるのです。たとえば、英語の“ea ”の発音には、以下の 2通りの読みかたがあります。すなわち、前の“e”を [i:]とアルファベット読みして、うしろの“a”を発音しない方法 そして 前の“e”を [e]と発音して、うしろの“a”を発音しない方法です。すなわち、英語は 不完全な言語であると言えます。

(中略)

 他方たほう、英語の関係詞のことを言及している 某・予備校の教師がいましたが、関係詞程度の表現は 日本語でも 記号を用いて 十二分に 言い表すことが出来ます。

 しかも、文章とは、〖いいたいこと〗と その例が 交互に 表現されて 成り立っています。なお、日本語は、〖いいたいこと〗と その例を述べる分量が多いのに対して、英語は その分量が きわめて少ないのです。すなわち、英語を用いる民族は、頭の構造上 日本語の分量になりますと、理解出来ないのです。(後略)】と記させて頂きました。英語の話では 以上の話もしました。(後略)』と記させて頂きました。

 ところで、医学部1年生のときであります。すなわち、英語の主任教授から、個人的に 書籍の冒頭の翻訳を依頼されたのであります。それで、翻訳して 提出致しました。すると、その主任教授は その翻訳を 本にして 出版してしまったのであります。

  つぎ に、上記のように、地域医療研究会の学部生の方々かたがたから 依頼されて、母校の学園祭のときに 商店街で 医師として 無料検診をおこなったときのことであります。すなわち、その母校の学部生の方々かたがたに その本を進呈しました。

 また、英国のロンドンのマダム・タッソー館の「セパレート・ルーム」である『恐怖の部屋』の写真集もあげました。 ちな みに、英国人のグロテスクな趣味が 分かります。なお、平成28年(2016年)4月に完全閉鎖されたとのことであります。

 さて、30数年以上前の学部生のときのことでありますが、上記の地域医療研究会(旧・農村医学研究会)のプロモーション ビデオを 母校の学園祭で 流したことがありました。すなわち、当方と もう一人ひとりの男子、すなわち、二人ふたりが出演して その研究会の説明をする内容でありました。(後略)」と記させて頂きました。

 ならびに、今年も、休日がけ 今日から 本格的に 8月の第2週になりました。 ちな みに、前述致しましたように、夏の今頃、すなわち、季節が今頃になりますと、毎年、上記のことを思い出します。なお、去る 昨年の8月6日(土)の「広島原爆の日(令和4年)」のブログに記させて頂きましたように 明日あすは 広島原爆の日でありますが、平成18年のときには この日に、千葉県の南房総のフィールドで 講義を行ないました。

 および、学部生のときに、先輩たちが 浅草で 花火を買ってくると言っていました。 ちな みに、このことは、あとになって 浅草橋の花火の問屋街のことであることが分かりました。

 また、農村医学を行なっていることで、その先輩に連れられて、竹橋駅前にある 某・新聞社に 数万円の寄付金をもらいにったことがあります。

 (さら)に、福島県飯塚の某・Hp.(hospital[ホスピタル]の略です。日本語では、病院のことです。以下、Hp.と示させて頂きます)でも、見学をして 数万円をもらったことがあります。

 しかも、学部生のときには 女子のことを (みな)first name(ファースト・ネーム) で 呼んでいました。

 そのうえ、去る 9年前の1月16日(金)の「一枚の絵画(ブルージュ[ベルギー])」のブログ の冒頭に、

「学部生の頃(昭和63年の夏・菜食を始める前のことです)、エコノミー(英語:economy)(経済的)に、大韓航空で、欧州(おうしゅう)(ヨーロッパ)に参りました。(後略)」と記させて頂きました。それで、オーストリアの首都・ウィーン(標準 (ドイツ)語:Wien[ヴィーン]、日本語表記では (おも)に「ウィーン」が用いられますが、標準 (ドイツ)語でのWの発音は [v] であり、「ヴィーン」の表記が近いです)のフロイト博物館(Sigmund Freud Museum)に行きました。 (ちな )みに、このジークムント・フロイト((ドイツ)語: Sigmund Freud)(オーストリアの精神分析学者 そして 精神科医)のことは、去る 10年前の12月9日(火)の「阿闍世太子(あじゃせたいし)」のブログ の中段やや上、去る 9年前の1月14日(水)の「『三つ子の魂百まで』の教育」のブログ の上段、去る 9年前の9月10日(木)の「蝶(物語に基づいた医療)」のブログ の中段 そして 去る10月4日(日)の「外付けハード・ディスク」のブログの上段にも記させて頂きました。なお、ジークムント・フロイトは、精神分析の元祖ではあります。(つい)(なが)ら、そのフロイト博物館で 原文の本を購入しました。そこで、一度だけ 上記の地域医療研究会の夏の健康診断の夏期合宿に参加した同期生に、その原文の本を進呈したことがありました。

 それから、前述致しました 「玉造 吉樹」という男子学生がました。ちなみに、B.S.T.(英語:bedside teachingベッドサイド・ティーチング)(日本語:臨床実習)(現在 母校では B.S.L.[bedside learningベッドサイド・ラーニング]とい、学部生との話しによると、教えるというよりは 習うという意味が強くなったとのむね御座ございます)のときに、彼は、夜間 一人ひとりで 病棟に行くのであります。それで、女性看護師と トラブルを起こしてしまい 問題になります。そこで、結局 彼は、卒後 琉球大学救急医療で 研修を行うことになるのであります。なお、上記の地域医療研究会の「田野崎 栄」という同級生と 偶々たまたま 営団地下鉄南北線で 一緒になりました。ついながら、その医師は 第三内科に入局していて、その男子学生の指導に当たっていたとのことでありました。それで、その医師によりますと、その男子学生は 臨床には 不適格とのことでありました。ちなみに、その医師は、学部生のときに サッカー部でありました。それで、新入生歓迎会で 飲まされて、急性アルコール中毒になり 救急車で 搬送されました。なお、本人によりますと、胃の組織の繊維を くちから戻した(すなわち、嘔吐した)とのことでありました。

 しかして、ope(オペ)室勤務の「渡辺恵子」という 看護師が()ました。ちなみに、この看護師は、当方が 医学部 二学年のときに 郷里の新潟に帰りました。それで (みな)で 六本木に繰り出して 送別会を開いたことがありました。なお、このときは、何軒も 梯子はしごしました。

 

 (義務教育の方々かたがたに 美しい日本語を 正しい読みかたで 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名ふりがなを付けております)

 本日も、最後 まで  お読み頂き、誠にありがとうございました。唯々感謝。(^-^)

You cannot copy content of this page

タイトルとURLをコピーしました