某・予備校教師のこと

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 さて、去る7月24日(日)の「菜食のおかず・112(買い物)・洗濯物」のブログの中段やや下に、

「(前略)大学受験のときの予備校は、選抜試験を受けて 駿台予備校でありました。 ちなみに、そのときの 同 駿台予備校の英語科に 奥井潔教師がました。この教師によりますと、大学に入ったら 勉強するのではなくて 恋愛をしろ とのことでした。それで、そういうものなのかと思った時期もありました。(後略)」と記させて頂きました。

 ときに、30年くらい前のことになります。すなわち、偶々たまたま 荻窪駅あたりの J.R.中央線車内で その奥井潔教師が 座席にすわっていることに気が付きました。それで、当方は立っていましたが、かがんで その教師に挨拶しました。すると、その教師から年齢を尋ねられました。それで、ぐに 回答しましたら、その教師によりますと 「まだまだ 若いから これからだね。」とのむね でありました。

 なお、予備校の頃、その奥井潔教師から やはり 電車内の話を 教室で 全体の前で 聞かされたことがあります。すなわち、その奥井潔教師によりますと、電車内で 足の小指を 的確にまれたのだそうであります。それで、「痛い!」と 声を挙げたら、足をんだ男性から 「何!」と言われたのだそうであります。そこで、にらみつけてやって ドスのきいた声で 言ってやったのでそうであります。すると、その場は 収まったとのことでありました。

 すなわち、上記のふた つの話しは ともに 同じ電車内のことでありますので、奇遇なことであると思われました。

 ところで、去る 9年前の10月7日(火)の「ボランティア・地域医療」のブログ去る 8年前の1月25日(日)の「ボランティア・地域医療・その2」のブログ 、去る 8年前の1月29日(木)の「ボランティア・地域医療・その3」のブログ去る 8年前の8月8日(土)の「ボランティア・地域医療・その4」のブログ去る 7年前の7月8日(金)の「ボランティア・地域医療・その5(新入生歓迎会)」のブログ去る 6年前の8月28日(月)の「ボランティア・地域医療・その6(両親の食事)」のブログ去る 一昨年おととしの8月8日(日)の「ボランティア・地域医療・その7(令和3年)」のブログ去る 昨年の7月9日(土)の「ボランティア・地域医療・その8(令和4年)赤とんぼ」のブログ そして 去る 昨年の8月7日(日)の「ボランティア・地域医療・その9(令和4年)」のブログなどに、

「(前略)先輩から委託されて学部生であった頃から関わっております、母校の医学部と某・看護の大学が主催しています 地域医療研究会(後略)」と記させて頂きました。 ちな みに、上記の 地域医療研究会の学部生たちの中に、その予備校教師と同じ苗字の男子学部生がました。それで、この男子学部生に会うたびに、その予備校教師のことを思い出しました。なお、その男子学部生は その地域医療研究会の主将を務めていて、約一週間の健診合宿の最初に 当方の挨拶から 合宿を始めると言ってくれました。すなわち、当方の基調挨拶から 合宿が始まりました。

  つぎに、上記のように 荻窪駅あたりの J.R.中央線車内と申しますと、40年くらい前に 黒柳 徹子に会ったことがあります。 ちな みに、付き人のような人と 座席にすわっていることに気が付きました。

 また、営団地下鉄銀座線では 京橋駅あたりで、時代劇「水戸黄門」に登場する 架空の忍者 風車の弥七にふんした 中谷一郎に会いました。 ちな みに、彼は、電車のドアわきに立っていました。なお、家政婦さんにも これらのことを話しました。

 

 (義務教育の方々かたがたに 美しい日本語を 正しい読みかたで 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名ふりがなを付けております)

 本日も、最後 まで  お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)

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