永代神楽祭(令和6年)・続報3

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 さて、去る 7年前の1月31日(火)の「永代神楽祭えいたいかぐらさい・3」のブログの上段に、

「(前略)去る 昨年の1月31日(日)の『永代神楽祭 えいたいかぐらさい・2』のブログの上段に、

『(前略)去る 昨年の1月30日(金)の【永代神楽祭 えいたいかぐらさい 】のブログ そして去る 一昨年 おととし の12月4日(木)の【神社参拝】のブログ で記しましたように、1月29日で 靖国神社に まつ られている伯父の 祥月 しょうつき 命日(御承知のように、一周忌以後の当月の命日のことです)であり、 永代神楽祭 えいたいかぐらさい に参りました。最近では、母親は この日は寒いから行けない とのことで 御座 ござ いました。以前から 父親は、この日は家に ます。近年では 家族で 一人ひとりになりましたが、参ります。午後の比較的 あと の時間から始まるのです。万障 ばんしょう り合わせて、毎年 参拝致しております。誠に有り難いことに 親によりますと、cold(英語)(ネガティブ[英語:negative]で 御座 ござ いますし、お読み下さっている 方々 かたがた に影響を お与えすることの無いように、日本語で つづ ることを控えさせて頂きましたが、以前 それではわからない と指摘を頂きましたので、日本語も併記させて頂きます。小さく記させて頂きます。感冒[俗に、風邪]のことで 御座 ござ います)を ひいているのなら 行かなくていい とのことでありましたが、この日は 特別で 御座 ござ います。(後略)』と記させて頂きました。一昨日おととい すなわち 1月29日は、例年のこと なが ら 寒い日でした。

 

 ときに、前述の 去る 昨年の1月31日(日)の『永代神楽祭 えいたいかぐらさい・2』のブログの上段に、

『(前略)去る 昨年の1月30日(金)の【永代神楽祭 えいたいかぐらさい 】のブログ の上段に、

【(前略)伯父は くらいど丸に乗船していて、昭和20年1月29日午前6時30分、台湾海峡でアメリカ海軍潜水艦ピクーダ SS-382 の魚雷攻撃により撃沈されました。(後略)】と記させて頂きました。調べましたら、この数日前の1月25日は 九州では雪が降っています。英霊の 方々 かたがた の御苦労は 計り知れないものがありますが、 みぞれ が降って 少しでも 寒さを共感させて頂けたかと存じました。誠に有り難いことで 御座 ござ います。明治神宮外苑の国立競技場で 出陣学生の【壮行会】がありましたときも、雨でした。 ちな みに、去る 一昨年 おととし の10月8日(水)の【親の受診に付き添っていること・1】のブログ また 去る 一昨年 おととし の11月9日(日)の【親の受診に付き添っていること ・2】のブログ のそれぞれ共に中段やや上 そして 去る2月23日(月)の【天皇陛下行幸の君恩に よく して】のブログ の中段やや下に記させて頂きました 某・ボランティア(英語:volunteer)のサークル(英語:circle)で、高校一年生の春のときに バス(英語:bus)の隣の席に すわった 先輩(このあと、この先輩によりますと、東京大学法学部に入学して 3回 天狗の鼻を折られた とのことでありました)から 自分が 最も好きな曲は 【学徒出陣の歌】であると聞かされました。靖国神社に行きますと、必ず この【学徒出陣の歌】の歌詞が脳裏に浮かんで来て 口ずさみます。英霊の方々 かたがた と共に 歌っているような気持になります。しかも、前述の 去る 昨年の1月30日(金)の【永代神楽祭 えいたいかぐらさい 】のブログ の中段やや上に、

【(前略)学徒出陣の歌が御座 ござ いますが、学徒出陣した戦没学生の 方々 かたがた の手記が記されている感動的な本です。この かた は、この本を読んだが、学徒出陣はしたくないとのことでした。現在の日本人の学部生の 方々 かたがた が共通して思っておられることであるか、と思われました。

 日本国民にとりまして、まも るべきものがある場合の価値観が関わって参ります。日本国民が、国家を愛して国家を まも るために戦いました。その戦いという行為は、相手があり 相対的なものであるから、 各々 おのおの の立場の異なる人々によって、その価値 もしくは 不価値をいろいろに評価されるけれども、その戦いという相対的行為の奥にあるところの、日本国民が 天皇を愛し大日本帝国を愛したという、その純忠なる愛の価値は 相対的価値を超えた絶対的なものでありますから、肉体という相対的存在が滅びても、永遠にその愛の価値が滅びることは無いので 御座 ござ います。(後略)】と記させて頂きました。なお、去る 3月16日(月)の【納豆】のブログ の冒頭に、
【(前略)母校の、某・理事長に勧められた内科学教室に入局・・・(後略)】と記させて頂きました。この内科学教室の研修医のとき、徒歩で15分 くらい の所に位置していた この靖国神社に 通勤の つい でに、誠に有り難いことに 毎日のように 参拝致しました。(後略)』と記させて頂きました。(後略)」と記させて頂きました。

 

 ところで、去る 一昨々年さきおととしの1月29日(金)の「永代神楽祭えいたいかぐらさい(令和3年)」のブログの上段に、

「(前略)去る 6年前の1月30日(金)の『永代神楽祭 えいたいかぐらさい 』のブログの上段に、

『(前略)昭和20年(1945年)1月20日、九州の門司もじから第12師団隷下れいかの歩兵46連隊は 明秀丸、くらいど丸、馬来丸まれーまるの3隻の輸送船に乗って 台湾を目指めざしました。ときさかのぼって 昭和19年(1944年)11月、満州にあった 陸軍 第12師団に対して台湾派遣はけんが決定されたからです。これにより転進が開始されました。伯父は満州まんしゅうしばらたと、以前 父親が話していたことを思い出しました。ちなみに、満州国まんしゅうこくの首都は新京しんきょう長春ちょうしゅん)でした。

 伯父はくらいど丸に乗船していて、昭和20年1月29日午前6時30分、台湾海峡でアメリカ海軍潜水艦ピクーダ SS-382 の魚雷攻撃により撃沈されました。祖母が帰還兵きかんへいから聴いた話によりますと、一旦、伯父は船の甲板に上がったものの、部下が下にるので、戻ったとのことでありました。

 冷たい1月の海に投げ出された生存者は、多数が海中に没したとのことです。少なくても、数日前の同・1月25日に 鹿児島県では 雪が降っています。しかも、魚雷命中から沈没まで わずか 3分以内とのことでした。御承知のように 大型船が沈みますと、周囲にうずを巻きます。近くの海岸には多数の水死体が流れ着いたそうです。なお、くらいど丸の戦没者は、船員を含めて1107名でした。父親によりますと、生存者は17名だったとのことで御座ございます。

 

 去る10月11日(土)の【海外のこと】のブログ の中段やや下に、カラチ(パキスタンの都市)から成田への国際線に搭乗したとぉ伝え致しました。その際、途中、バンコク(英語: Bangkok)(タイ王国の首都)、そして、台湾で、機内待機のトランジット (transit)(一時寄港)がありました。その際、台湾上空から黙禱もくとう致しました。ちなみに、当時、台湾上空では、軍事上のために撮影禁止とのことでした。

 また、これまで、偶然も含めて西側が海になっている海岸線に立ったときには、台湾方向に向かって、黙禱もくとうしております。

 

 伯父はパン屋で修行していました。パンを調理するレシピ(英語: recipe)のノートが残されています。ちなみに、新婚3ヶ月で、赤紙が来ました。相手の女性は 伯父との間の子供が 欲しかった と話していたそうであります。なお、父親が 電話をして 分かったことですが、伯父が 戦死したあと 相手の女性は 再婚した とのことです。ついながら、当初 伯父は二等兵で御座ございましたが、戦死して二階級特進で曹長そうちょうになったと聞かされています。

 母親は、日本の官僚でもあり、実業家でもあった白洲次郎しらすじろうのことが好き(当然のことながら 隠された事実でありましたため 母親は 知らなかったのですが、国際金融資本家[左翼系ユダヤ人 そして その影響を受けた資本家たち]系列の人物であります。ちな みに、母親は この人物のことを 素敵と言っていましたから、多分に 日本人離れした 外見 と マス メディアによる 持ち上げのためと 思われます。なお、御承知のように、あのN.H.K.でさえも この人物の特集を 数回に分けて 放送していましたからね)です。その言葉に、徴兵されるよりも、農家は農業のことを行うことが一番いいとのむねのことが御座ございます。家族は、伯父がパン屋で進んでいたら・・・と話します。父親によりますと、伯父は犬死だったとのことでした。

 

 生まれたときに、伯父の生まれかわりとのことで、伯父と同じ名前を命名されました。伯父とはえんが深いので、前述のように、近年では家族で 一人ひとりになりましたが、参拝しているので御座ございましょう。(後略)』と記させて頂きました。なお、本日 父親によりますと、兄(伯父のこと)は 厳しかった とのことでした。(後略)」と記させて頂きました。

 つぎに、去る 一昨々年さきおととしの12月6日(月)の「永代神楽祭えいたいかぐらさい・欠席(令和3年度)・続報」のブログの中段に、

「(前略)去る11月29日(月)の『永代神楽祭えいたいかぐらさい・欠席(令和3年度)』のブログの下段やや上に、

『(前略)去る 昨年の12月4日(金)の【永代神楽祭えいたいかぐらさい・欠席(令和2年度)続報】のブログの下段やや上に、

【(前略)去る11月30日(月)の〖永代神楽祭えいたいかぐらさい・欠席(令和2年度)〗のブログの下段やや上に、

〖(前略)去る1月29日(水)の〔家政婦への贈り物・115・後編〕のブログの下段やや上に、

〔(前略)上記の 靖国神社の撤下神饌しんせんちなませて頂きます。すなわち、去る 昨年の12月6日(金)の〘永代神楽祭えいたいかぐらさい・欠席・続報2〙のブログに記させて頂きまように、金1万円の玉串たまぐし料を 靖国神社に 郵便振り込みで 奉納致しました。すると、この撤下神饌しんせんが 送られてきました。そして、本日は 大切な 靖国神社の永代神楽祭えいたいかぐらさいの日ですが、父親の在宅介護のことがありますので、3年連続で 参加は 見送ることになりました。(後略)〕と記させて頂きました。

 ところで、今回も、前回、前々回 そして 前々々回に続いて 親の介護のことが この1月29日に当たりますので、上記のように 来る1月29日の 靖国神社の永代神楽祭えいたいかぐらさいの参加は 見送ることになりました。それで、替わりに 本日 すなわち 11月30日に 金1万円の玉串たまぐし料を奉納致しました。

 

 

郵便振り込みで 奉納した 払込票 兼 受領証(本日 すなわち 11月30日【日】の日付が入っております)

 

 

 

(後略)〗と記させて頂きました。そして、本日 すなわち 約一週間が経過して、一昨々年さきおととし一昨年おととし そして 昨年などと同様に 下の画像の純金茶(撤下神饌しんせん)が送られて来ました。それで、これを 一昨々年さきおととし一昨年おととし そして 昨年と同様に、ヘルパーたちに あげました。

 

 

マッサージ師、姉夫婦 や ヘルパー(日本語:家政婦)たちに お裾分すそわけした純金茶(撤下神饌しんせん

 

 

マッサージ師、姉夫婦 や ヘルパー(日本語:家政婦)たちに お裾分すそわけした純金茶(撤下神饌しんせん

 

 

ヘルパー(日本語:家政婦)たちに お裾分すそわけした純金茶

 

 

 

(後略)】と記させて頂きました。

 つぎに、今回も、前回、前々回、前々々回 そして 4回前に続いて 親の介護のことが この1月29日に当たりますので、上記のように 来る1月29日の 靖国神社の永代神楽祭えいたいかぐらさいの参加は 見送ることになりました。それで、替わりに 本日 すなわち 11月29日に 例年 同様に 金1万円の玉串たまぐし料を奉納致しました。なお、しくも、本日は、上記と同様に 伯父の月命日つきめいにちなのです。

 

 

郵便振り込みで 奉納した 払込票 兼 受領証(本日 すなわち 11月29日【月】の日付が入っております)

 

 

 

(後略)』と記させて頂きました。そして、本日 すなわち 約一週間が経過して、4年前、一昨々年さきおととし一昨年おととし そして 昨年などと同様に 下の画像の純金茶(撤下神饌しんせん)が送られて来ました。それで、これを 一昨々年さきおととし一昨年おととし そして 昨年と同様に、ヘルパーたちに あげました。

 

 

受納証(本日 すなわち 12月6日【月】の日付が入っております)

 

 

マッサージ師、姉夫婦 や ヘルパー(日本語:家政婦)たちに お裾分すそわけした純金茶(撤下神饌しんせん

 

 

マッサージ師、姉夫婦 や ヘルパー(日本語:家政婦)たちに お裾分すそわけした純金茶(撤下神饌しんせん

 

 

ヘルパー(日本語:家政婦)たちに お裾分すそわけした純金茶

 

 

 

(後略)」と記させて頂きました。

 そして、去る 昨年の11月30日(木)の「永代神楽祭えいたいかぐらさい(令和5年)・前編・続報」のブログの中段やや上に、

「(前略)去る1月29日(日)の『永代神楽祭えいたいかぐらさい(令和5年)・前編』のブログの中段やや上に、

『(前略)去る 昨年の11月30日(水)の【永代神楽祭えいたいかぐらさい(令和4年)続報2】のブログの下段に、

【(前略)去る2月2日(水)の〖永代神楽祭えいたいかぐらさい(令和4年)続報〗のブログの下段に、

〖(前略)去る1月29日(土)の〔永代神楽祭えいたいかぐらさい(令和4年)〕のブログの下段に、

〔(前略)本日は 大切な 靖国神社の永代神楽祭えいたいかぐらさいの日ですが、父親の在宅介護のことがありますので、5年連続で 参加は 見送ることになりました。 ちな みに、本日が 伯父の 祥月 しょうつき 命日であることは、今年 94歳になる 父親も 覚えてくれていました。(後略)〕と記させて頂きました。

 

 さて、本日、上記と同様に 靖国神社の撤下神饌しんせんのみが届きました。ちなみに、手紙は同封されていませんでした。それで、去る 昨年の1月21日(木)の〔家政婦への贈り物・154・中編・11〕のブログなどにも記させて頂きましたように、その撤下神饌しんせんを 家政婦にあげました。なお、毎回、家政婦にあげています。

 

 

毎回、家政婦にあげている 靖国神社の撤下神饌しんせん

 

 

 

(後略)〗と記させて頂きました。

 ときに、去る 4年前の3月6日(火)の〖母親の転帰〗のブログに記させて頂きましたように、母親が 亡くなりました。また、去る3月11日(金)の〖父親の転帰〗のブログに記させて頂きましたように、父親が 続いて 亡くなりました。

 そして、今年も、上記のように 来る1月29日の 靖国神社の永代神楽祭えいたいかぐらさいの案内が来ました。ちなみに、上記のように 両親の介護のことがありましたが、今年は 5年ぶり すなわち 平成27年以来になりますが、靖国神社の永代神楽祭えいたいかぐらさいに 参加しようと思います。それで、午後1時 までの昼食時が過ぎて 電話連絡しました。すると、最初 女性の受付が出て 説明しましたが、担当者に代わるとのことでありました。それで、〖おくみ〗という男性の人に代わりました。なお、その男性によりますと、普段は 参集殿の受付にるとのことでありました。ついながら、その〖おくみ〗という男性の人によりますと、参列者は 個人で参加しているので、挨拶を振り 案内をすることは しないとのことでありました。(後略)】と記させて頂きました。

 ところで、上記のように 挨拶を振り 案内をすることは しないとのことでありましたので、話を始める 切っけが必要であり 2ヶ月も前から 家政婦に委託しなければなりませんでした。すなわち、待ち合わせの電車の手配もしなければなりませんでした。勿論もちろん、交通費、食費 そして 手当て(給料)も 当家が持ちました。

 そして、誠に有り難いことに、靖国神社の永代神楽祭えいたいかぐらさいの当日になりました。それで、事前に 下の画像のように 金1万円の玉串たまぐし料を用意しました。

 

 

金1万円の玉串たまぐし料奉納

 

 

 

 ところで、当日は、午前11時45分に、その家政婦の最寄もより駅である 西武線萩山駅まで 行くことにして その駅の改札で待ち合わせをしました。ちなみに、万が一まんがいち 電車が動かないと まずいので、西武線、中央線 そして 地下鉄東西線の運行情報を見て 平常運転であることを確認しました。そして、その家政婦からは 午前8時半に電話が入ることになっていて、平常運転であることを伝えました。何故なぜならば、仮に 電車が動かないときには、振替ふりかえ輸送を考えなければならないからであります。なお、西武新宿線(その時間帯、西武池袋線は、飯能・仏子ぶし間で、故障があり まっていました)急行で 高田馬場駅まで 行き、乗り換えました。ついながら、その急行が 10両編成であり、一番 うしろに乗ることを確認していました。なお、その仏子ぶし駅にちなませて頂きます。すなわち、去る1月9日(月)の【小学校中学年の担任のこと】のブログに記させて頂きました 小学校3・4年生を担当した教師に関することであります。つまり、この担任教師が、確か 遠足の下見に行ったのであると思われます。そして、通過した その仏子ぶし駅の情報を仕入れてきて、教室で その駅の名前を質問しました。それで、当方が、仏子ぶし駅であると答えました。そこで、その担任教師が、よく読めたわね と言ってくれました。何故ならば、その直前に 母親と 飯能駅から バスに乗っていく 宮沢湖にっていたのでありました。それで、仏子ぶし駅は通過していましたので、覚えていたのであります。ついながら、その宮沢湖に関して であります。すなわち、以前から 母親に 宮沢湖に行きたいと話していたのであると思います。そして、当方が 平日 小学校から帰って来たとき すなわち 午後4時頃でありますが、母親が これから 宮沢湖に行こうというのであります。ちなみに、宮沢湖までは、2時間以上の時間がかります。それで、到着したときには、日が暮れていました。なお、あと から 考えますと、母親は 外出したかったのであろうと思われました。家政婦が言うことでありますが、元々もともと 母親は 外出したい人なのであります。但し、このブログを記していて つながりましたが、その おかげ仏子ぶし駅の名称を答えることが出来たのでありますね。話を戻しますが、上記のように 高田馬場駅で乗り換えて、地下鉄東西線を利用しました。すると、車椅子に乗った 老女が、新聞をよんでいましたので、家政婦によりますと すごいとのことでありました。そして、地下鉄東西線九段下駅に到着しました。その駅で、上記の家政婦が トイレに行くとのことでありましたので、待っていました。すなわち、遠回りになりました。それから、九段の坂道を上り、靖国神社に向かいました。ついながら、左側に 日本武道館がありましたので、その家政婦に伝えました。なお、この日本武道館にちなませて頂きます。すなわち、去る 7年前の8月10日(水)の【ボランティアについて】のブログに記させて頂きましたことに関係することであります。つまり、9年間 毎年 5月3日(祝)に、この日本武道館を会場にした 某・大会の救護係(医師は、当方のみ)のボランティアを依頼されました。ついながら、8千人以上が 参加する 某・大会であります。それで、その日本武道館の前を通った ついでに そのことを その家政婦に話しましたら、誠に有り難いことに、【たいへんですね。】とのことでありました。

 ならびに、去る 一昨年おととしの12月4日(土)の【うなぎ蒲焼かばやき・1110(カレーうどん・父親の食事)】のブログの下段に、

【(前略)去る1月13日(水)の〖うなぎ蒲焼かばやき・832(味噌汁・カレーうどん・父親の食事)〗のブログの中段やや下に、

〖(前略)去る 4年前の7月6日(木)の〔墓参(両親の食事)〕のブログの中段やや上に、

〔(前略)ヘルパー(日本語:家政婦)によりますと、この前日に 立川に行って 帰って来たら 身体が火照ほてって 熱中症になったとのことでした。なお、対処方法と致しまして、腋下えきか(脇の下)、首 そして あしの付け根といった場所は 太い血管が 近くを通っているので、ここを冷やすと 体温を効果的に下げることができます。ちなみに、太い血管とは、脇の下(腋窩えきか動脈)、首(頸動脈) そして あしの付け根(大腿だいたい動脈)のことです。ついながら、この部位で 脈拍を測定することも出来ます。(後略)〕と 記させて頂きました。その家政婦によりますと、首が寒いとのことでした。それで、上記のように 首(頸動脈)の周囲には 脂肪がなく、太い血管が通っているので 熱が逃げ易いと回答しました。なお、そのために、首に マフラーをするわけであります。(後略)〗と 記させて頂きました。

 および、去る 7年前の10月11日(土)の〖海外のこと〗のブログ の中段やや上に、

〖(前略)学部生の頃(昭和62年の夏・菜食を始める前のことです)、エコノミー(英語:economy)(経済的)に、パキスタン航空を用いて、英国に ったとの むねを記させて頂きました。(後略)〗と 記させて頂きました。

 なお、家政婦によりますと、寒いとのことでした。それで、自宅にある 上着を使わせました。また、その家政婦によりますと、薄いマフラーしか 持って来なかったとのことでした。それで、上記のように 英国のスコット ランドの首都である エディンバラ(英語: Edinburgh)に ったときに、カシミヤのマフラーを購入してきました。すなわち、このマフラーを その家政婦に着せました。ついながら、上記のように 首(頸動脈)の周囲には 脂肪がなく、太い血管が通っているので 熱が逃げ易いと説明しました。(後略)】と 記させて頂きました。この家政婦と上記の家政婦は、同一人物です。そして、今回も、上記のマフラーの意義について 話しました。それから、子供のときには 父親が マフラーを身に付けていたのが 分からなかったが、大人になったら マフラーが必要であることが分かったことを伝えました。

 しかして、去る 一昨々年さきおととしの7月6日(月)の【リハビリテーション(父親)・94・中編・2】のブログの下段に、

【(前略)去る2月21日(金)の〖新型コロナ・ウイルス〗のブログ そして 去る5月6日(水)の〖新型コロナ・ウイルス・続報〗のブログなどに、新型コロナ・ウイルスのことを記させて頂きました。日本の第10代天皇である 崇神すじん天皇の御世みよに、疫病が 流行して 人口のなかば(約65%)が失われました。そのときに 崇神すじん天皇がおこなったことのひとつに、全国にあった神社に 格付けをし、最上位にある 天社あまつやしろに 手水舎を置いた とされています。そして、このことで、全国にあるすべての神社が それに ならい 手水舎が設置されることになったとされています。ちなみに、この日本人の手洗いの習慣が、武漢ぶかんウイルスに対して 働いていると思われます。また、食習慣も同様ですね。(後略)】と 記させて頂きました。すなわち、上記のように 崇神すじん天皇の御世みよに 全国の神社に 手水舎が置かれたことを、家政婦に 手水舎の前で 話しました。

 また、第一鳥居(大鳥居) そして 第二鳥居(青銅製の烏居としては、日本一の大きさ)を通って、取りえず、参拝しました。そのときの お賽銭は、¥199円であります。ちなみに、去る 7年前の 1月2日(土)の【初詣はつもうで・お せち料理】のブログの中段に、

【(前略)去る10月12日(月)の〖産土うぶすなの神社の〔例大祭〕〗のブログの上段に、

〖(前略)以前、約10数年位前になりますが、クライエント(英語:client )から、お賽銭さいせんの額は、境内の掃除のことを考えて銀色の硬貨、すなわち、50円、100円 そして 500円以上にしているという話を聞いたことがあります。それで、それ以前も この額以上でありましたのは勿論もちろんのこと、それ以降も、このことを脳裏に浮かべて お賽銭さいせんを入れています。(後略)〗と記させて頂きました。それで、今回は、一番大きい硬貨を 複数枚 お賽銭さいせんとして入れました。(後略)】と 記させて頂きました。

 なお、去る 6年前の1月31日(火)の【永代神楽祭えいたいかぐらさい・3】のブログの上段に、

【(前略)去る 昨年の1月31日(日)〖永代神楽祭えいたいかぐらさい・2〗のブログの中段やや上に、

〖(前略)この中門鳥居の手前・左手に、英霊の手記が掲示されています。毎月、変わります。参拝する度に、これを撮影します。取りえず、今月 そして 4年前の同じ時期 すなわち 去る平成24年2月4日に撮影した 英霊の手記を添付致します。(後略)〗と記させて頂きました。ちなみに、今回も、今月の英霊の手記を掲載致します。(後略)】と記させて頂きました。

 すなわち、拝殿の目の前にある 中門鳥居の手前・左手 すなわち 社頭に、下の画像のように 今月の【英霊の言の葉ことのは】が掲示されています。ちなみに、固有名詞は、謹んで 消させて頂きました。なお、家政婦に尋ねられましたので、上記のように 月毎つきごとに代わることを伝えました。

 

 

今月の【英霊の言の葉ことのは

 

 

 

 そして、靖国神社 参集殿に行きましたら、案内の女性から 声をけられました。それで、上記の 玉串たまぐし料を奉納しました。ちなみに、上記のように【おくみ】という男性の人に話して 前述致しました 許可をていることを伝えました。すると、その案内の女性によりますと、【おくみ】は 不在とのことでありました。それで、当日 その【おくみ】という男性の人に会ったら 挨拶させて頂くと話していたので、何卒 宜敷よろししく お伝え下さいと 伝えました。そして、この案内の女性にも、詳細を話しました。それから、名刺を手渡しました。

 

 

受領證(本日 すなわち 1月29日[日]の日付が記されています)

 

 

 

 そして、あと から 英霊の家の代表者には、下の画像の印が 巫女みこさんから 手渡されました。ちなみに、左胸に るのでありますね。なお、家政婦によりますと、その背が高い 巫女みこさんは 綺麗とのことでありました。それで、その家政婦に 自分の中に 綺麗な原型があるから 綺麗と思うのであることを伝えました。なお、ネガティブなことでありますと、投影(英語:project)(心理学用語)という言葉があります。

 

 

巫女みこさんから 手渡された 印

 

 

 

 それから、午後2時開始のところ 16分前になりましたので、一人ひとりの男性がトイレに立ちましたが、始めました。すなわち、全員で 7名(上記のように、一人ひとりの男性は トイレ)でありました。ちなみに、一人ひとりで 見えている家は、3組でありました。そして、上記の家政婦から、【申し分けないですけれど、参集殿受付で お時間を頂く許可は 取っておりますので、これから 挨拶があります。】と前置きをしました。そして、挨拶を始めました。

 すなわち、

【昭和20年1月29日に 台湾沖で くらいど丸に乗っていた ○○○○の甥で 生まれ変わりとして 同じ名前 名付けられた ○○○○であります。靖国神社崇敬奉賛会終身正会員であります。

 さて、6年前の日曜日までは 毎年 させて頂いておりました。

 ときに、それ以前から 長年 両親の介護に携わり、平日は 介護サービスが入っており、近年は 参加すること かないませんでした。それで、毎年、玉串たまぐし料のみ 奉納致しておりました。

 ところで、5年前に 母親 そして 昨年 父親を看取みとりまして 今年から また 参拝させて頂きますので、何卒 宜敷よろししく お願い申し上げます。

 こちらは、おもに 両親の食事を作ってくれた 家政婦さんです。当方は、お酒を飲みませんので、御神酒おみきのときは 失禮させて頂きます。重ねて 何卒 宜敷よろししく お願い申し上げます。お時間を頂きまして、誠に有り難うございます。】以上であります。有り難うございます。

 

 なお、午後2時開始のところ 約10分前に 神官が説明に来ると聞かされていましたので、その前に 挨拶をさせて頂こうと思いました。ちなみに、神官は 12分前に来ました。

 

 つぎに、前述の 去る 6年前の1月31日(火)の【永代神楽祭えいたいかぐらさい・3】のブログの中段に、

【(前略)去る 昨年の1月31日(日)の〖永代神楽祭えいたいかぐらさい・2〗のブログの中段に、

〖(前略)それから、参集殿に行きました。前述の 去る 昨年の1月30日(金)の〔永代神楽祭えいたいかぐらさい〕のブログ 下段に、

〔(前略)玉串たまぐし料を奉納致しまして、本殿に昇殿しょうでんしました。永代神楽祭えいたいかぐらさいでは、修祓しゅばつ献饌けんせん祝詞奏上のりとそうじょう、戦没者招霊しょうれい、かずら舞い(神道式の巫女みこさんの舞い)、玉串奉奠たまぐしほうてん撤饌てっせんそして 黙禱もくとう御座ございます。最後、全員に巫女みこさんから 御神酒おみきが振る舞われますが、去る(一昨年おととしの)11月1日(土)の〘東ベルリン(旧・東ドイツ)〙のブログ の下段に記させて頂きましたように、医者(研修医)になってから、お酒を飲んでいませんので、毎年、通路上の神官 そして 巫女みこさんのわきを通り抜けて、失礼します。(後略)〕と記させて頂きました。参集殿に入るときに いつも ビニール(英語:vinyl)袋を持って行って、その中に 靴を入れて 上がります。すると、今回は 受付から 靴箱もありますよ 言われました。西郷隆盛の教訓がありますので、いつも ビニール袋を持参致しております。機会がありまして 宜敷よろしければ、この教訓の詳細を記させて頂きます。そして、前述と同様に 参集殿の受付をませて、本殿に昇殿しょうでんしました。この日の参拝者は、当方を入れて 9名でした。近年、毎年 一人ひとりで来ているのは 当方だけでしたが、今年は もう 一人ひとり 見えました。両親の分も、記帳致しました。

 式次第が進み、戦没者招霊しょうれいが始まりました。(後略)〗と記させて頂きました。ちなみに、日曜日であったためか、今年は 10数名の参拝者が集まりました。なお、参拝者の関係以外の英霊の招霊しょうれいも唱えられますので、長い時間がかります。

 

 なお、去る 一昨年おととしの1月30日(金)の〖永代神楽祭えいたいかぐらさい 〗のブログの上段に、

〖(前略)生まれたときに、伯父の生まれかわりとのことで、伯父と同じ名前を命名されました。伯父とはえんが深いので、前述のように、近年では家族で 一人ひとりになりましたが、参拝しているので御座ございましょう。(後略)〗と記させて頂きました。ならびに、前述の 去る 昨年の1月31日(日)の〖永代神楽祭えいたいかぐらさい・2〗のブログの上段に、

〖(前略)このブログ記事の冒頭に、伯父のことを記させて頂きました。実は、当方が生まれたときに、この伯父の生まれ変わりと思われて、漢字は違いますが 同じ名前を命名されたのです。平仮名では 同じですから、読み上げますと 同様なのです。伯父の芳名を読み上げて 招霊しょうれいがなされますと、自分が 招霊しょうれいされているような気が致しました。(後略)〗と記させて頂きました。

 

 そして、前述の 去る 昨年の1月31日(日)の〖永代神楽祭えいたいかぐらさい・2〗のブログの中段に、

〖(前略)そのつぎに、かずら舞いが始まりました。毎年のことですが、このときは 英霊の方々かたがたのことを思い 拝見しているどころではありません。下を向いて 拝見することは致しません。すると、そのときに ひらめきました。誠に有り難いことに、大東和戦争では 英霊の方々かたがたが犠牲になって、つぎの日本につないで下さった。英霊の方々かたがたの おかげであると思われました。

 本殿をあとにしまして、前述の撤饌てっせんの品物を頂きます。すなわち、下に それらの写真を添付致します。(後略)〗と記させて頂きました。今年も、上記の撤饌てっせんの品物を掲載致します。

 

 

受納證

 

 

永代神楽祭えいたいかぐらさい神饌

 

 

神菓 と お守り

 

 

撤下神饌

 

 

 御神酒おみき

 

 

 

 例年と同様に、以上の品々は、すぐに両親に届けて 報告致しました。(後略)】と記させて頂きました。

 そうして、これまででありましたら 上記のように 両親の分も 記帳しているのでありますが、今年は 当方のみになりました。

 そして、上記のように、式次第が進みました。 ちな みに、誠に有り難いことに、あと から 家政婦にきましたら、戦没者 すなわち 英霊の招霊しょうれいの際に 伯父の芳名が読み上げられて 招霊しょうれいがなされましたことが分かったとのことでありました。

 なお、靖国神社の拝殿は 西から東の方向に向いていますので、東風が吹くと 背中から 風が当たり 寒いのであります。ついながら、御承知のように、通常、神社の拝殿は 北から 南の方向に向いています。一方いっぽう、浄土教では 西方極楽浄土でありますため 仏壇は 西から東の方向に向いていますので、靖国神社は 仏壇のような建てかた であると 家政婦に話しましたら、誠に有り難いことに うなずいてくれました。

 

 さて、調べましたら 靖国神社の資料によると、合祀者の総数は 246万人強となっているとのことであります。 ちな みに、単純に計算しますと、この1月29日の1日に亡くなっている 英霊は 約6,740人ということになります。なお、上記のように 戦没者招霊しょうれいとして 約百名の英霊の招霊しょうれいが行なわれました。ついながら、そのうち 遺族として 参加しているのは、当家(家政婦を含む)を含めて 6家族 9名でありました。 ちな みに、そのことを 家政婦に話しました。

 

 それから、今年も、上記の撤饌てっせんの品物を掲載致しますが、前回と まったく 同じでありますね。なお、今回は、家政婦に あげました。ところが、その撤饌てっせんの品物を あげた 家政婦が、参集殿のトイレに忘れてきてしまいました。それで、誠に有り難いことに、参集殿の下駄箱の所で 当方が 気が付き、指摘をして 大事にならずにみました。

 

 

永代神楽祭えいたいかぐらさい神饌

 

 

神菓 と お守り

 

 

撤下神饌

 

 

御神酒おみき

 

 

 

 なお、上記の御神酒おみきちな ませて頂きます。すなわち、上記のように 6年前でありましたら、最後 全員に巫女みこさんから 御神酒おみきが振る舞われます。ところが、今回は その行事がありませんでした。それで、その家政婦が尋ねました。それで、自粛のせいで その行事が なかったのでしょうと答えました。

 それから、その家政婦によりますと、隣の女性は コートを着ていなかったので 寒そうだったとのことでありました。ちな みに、その家政婦には 事前に コートを着るように 話しておりましたので コートを着ていましたが、当方は 着ませんでした。それで、その家政婦によりますと、誠に有り難いことに、寒かったでしょう とのことでありました。なお、その家政婦によりますと、そのコートは 着古きふるしているとのことでありました。ついながら、その家政婦によりますと、毎日のように 昇殿している 巫女みこさんも 寒そうだったとのことでありました。それで、その家政婦は、前述致しました 投影(英語:project)(心理学用語)をしているのであると思われました。

 また、同じく お酒にちな ませて頂きます。すなわち、帰り道に 奉納されている 酒樽さかだる沢山たくさん まれていました。それで、小学生の頃に 男子の間で 酒蓋さけぶたを集めることが 流行したことを話しました。なお、約4百個 集めました。ついながら、当時は、コルクの付いた 酒蓋さけぶたが ありました。 ちな みに、女子は、酒蓋さけぶたには 興味がない とされていますね。なお、友人と 酒屋で 酒蓋さけぶたを集めていましたら、店主が出てきて 手伝うように言われて お酒を運びました。ついながら、あと から 考えますと、小学生を労働に使って 違法であると思われました。 ちな みに、このことを 家政婦に話しましたら、誠に有り難いことに うなずいてくれました。

 なお、小学生の頃 大叔父さんが 当家に見えますと、【賀茂鶴】の 200㎖の お酒を 何本か 買ってみえました。すなわち、この【賀茂鶴】という お酒は なかなか売られていないのだそうであります。ところが、当家の近くの酒屋が 【賀茂鶴】という お酒を扱っているとのことでありました。そして、母親が、この お酒を おかんにしていました。それから、誠に有り難いことに、大叔父さんが、この熱燗の お酒を 美味おい しそうに お召し上がりになられておられる お姿が 脳裏に焼き付いております。

 ついながら、お酒には 小学生には 難しい漢字が使われていますね。ところが、興味があると、覚えてしまうのでありますね。 ちな みに、大相撲の力士の名称も そうであると言われていますね。なお、この点につきまして、その家政婦も、誠に有り難いことに うなずいてくれました。

 そして、その漢字にちな んだ 話しであります。すなわち、去る 昨年の9月1日(木)の【菜食のおかず・151(買い物)】のブログの中段やや下に、

【(前略)誠に有り難いことに、小学校低学年のときに 母親に お寿司屋に連れてってもらったことがありました。それで、その お寿司屋の 湯呑ゆのみ茶碗には、沢山たくさんの魚編の漢字が書かれてありました。そこで、その湯呑ゆのみ茶碗に書かれてある 魚編の漢字を すべて覚えたいと思ったことがありました。(後略)】と記させて頂きました。

 

 さて、去る 8年前の1月30日(金)の【永代神楽祭えいたいかぐらさい】のブログの中段やや下に、

【(前略)一人ひとりで 靖國神社に向かうために、J.R.線に乗りましたら、誠に有り難いことに、男子学部4回生のかたから声をけられました。こんなことは、一生の間に 一人ひとりかたについて一回あるかないかのこと、と話しましたら、うなずいてくれました。そこで、これから 靖國神社の永代神楽祭えいたいかぐらさいに行くむねを話しましたら、吉祥寺の教会にいくつもりであったが、また行けるので、一緒に同行してくれるとのことでした。勿論もちろん、無理はしないように、と伝えました。乗り越し分の交通費は負担させて頂きました。ちなみに、聖書を全部読みたいとのことでした。

 そして、〖きけ わだつみのこえ―日本戦没学生の手記〗の本(岩波文庫)の話しになりました。学徒出陣の歌が御座ございますが、学徒出陣した戦没学生の方々かたがたの手記が記されている感動的な本です。(但し、誠に遺憾なことに、大東亜戦争に対して 否定的な 文章もあります)

 このかたは、この本を読んだが、学徒出陣はしたくないとのことでした。現在の日本人の学部生の方々かたがたが共通して思っておられることであるか、と思われました。

 日本国民にとりまして、まもるべきものがある場合の価値観が関わって参ります。日本国民が、国家を愛して国家をまもるために戦いました。その戦いという行為は、相手があり 相対的なものであるから、各々おのおのの立場の異なる人々によって、その価値 もしくは 不価値をいろいろに評価されるけれども、その戦いという相対的行為の奥にあるところの、日本国民が 天皇を愛し大日本帝国を愛したという、その純忠なる愛の価値は相対的価値を超えた絶対的なものでありますから、肉体という相対的存在が滅びても、永遠にその愛の価値が滅びることは無いので御座ございます。

(中略)

 男子学部4回生のかたの話しに戻りますと、このかたの卒論のことは心より祈らせて頂いておりました。卒論の中間発表が終わり、その後担当教官の指示が変更になったとのことも伺いましたが、卒論提出も み、明日(本日のこと)、10分間の面接があって最後とのことでしたので、安堵致しました。

 昨年夏、卒業前祝いとして、このかたが希望していた仏教辞典・第二版を贈りました。昨日は、お祝いに食事を御馳走致しました。靖國神社境内の遊就館に隣接する茶寮で、このかたは、海軍カレー・サラダ付、たこ焼き、そして、三ツ矢サイダーのセットを注文しました。御承知のように、当方は菜食なので、外出するときには、玄米を持って行きます。勿論もちろん、茶寮内で頂くことは致しません。ちなみに、遊就館は 次回入館したいとのことでしたので、無期限で使える入館券を 2枚渡しました。誠に有り難いことで御座ございます。

 吉祥寺の某・パン屋でアルバイトをしていたが、クビになったとのことでした。それでも、研修中のアルバイト代はもらえたとのことでした。伯父はパン屋で修行していたと前述致しましたが、このことを連想しました。(後略)】と記させて頂きました。なお、上記の家政婦にも、遊就館の無期限で使える入館券(遊就館拝観券)を 2枚渡しました。しかも、その入館券の使いかたの説明もしました。すなわち、遊就館の受付で、自動改札機を通ることが出来る 入館券と交換するのであります。

 ならびに、去る 昨年の5月15日(日)の【収骨(分骨)(父親)続報2・後編】のブログの下段に、

【(前略)帰りに 家政婦が 何か 食べていきたいとのことでした。それで、いろいろ探しましたが、家政婦によりますと、その某・喫茶店でいいとのことでした。それで、上記のように 当方は 外食しないので、家政婦のみ 二人ふたり分 注文しました。すなわち、家政婦によりますと ホット ドックがいいとのことでしたので、¥490円(税抜ぜいぬき)のそれと ¥200円くらいのアイス コーヒーを注文しました。ちなみに、家政婦は D.M.なのに、アイス コーヒーのために ミルク と ガム シロップを 2個も入れていました。(後略)】と記させて頂きました。この家政婦と上記の家政婦は、同一人物であります。ちな みに、この収骨(分骨)のときと同様に、参集殿から出ましたら、その家政婦が 何か 食べていきたいとのことでありました。それで、上記と同様に、家政婦のみ 食べることになりました。すなわち、海軍カレーであります。なお、その家政婦によりますと、あっさりしていて 小麦粉を使っているとのことでありました。勿論もちろん、カレー粉は 使われていますね。それから、その家政婦によりますと、気の抜けた味とのことでありました。しかも、その家政婦によりますと、具が 小さく 切ってあるとのことでありました。それで、当時の作りかたを参考にしているので、海軍軍人の消化の よいように 考えられているのでありましょうと回答しました。なお、山本五十六によりますと、戦艦 長門の料理は 美味おい しいとのことでありました。ついながら、上記の 男子学部4回生のかた そして 母親とも、その海軍カレーを食べることに 付き添いました。ちなみに、当方は、飲み物などの接待をしました。なお、このことが 英霊の方々かたがたの供養につな がると思われました。すなわち、英霊の方々かたがたに 御一緒に 食べてもらっているのでありますね。ついながら、その家政婦が コーヒー フレッシュ(英語: creamer)(コーヒーなどに加える小型のクリームを意味するポーション クリーム[和製英語: potion cream]のこと)を 1個 使いませんでした。それで、勿体もったいないので 返そうと思い 伝えましたら、その家政婦によりますと 食器皿に置いておけば 再利用してくれるだろうとのむねでありました。それで、その言葉にしたがいましたが、見ていましたら 店員は その食器皿の上のあるものを そのまま ごみ箱に捨てていました。ちなみに、食べ終わったあとに その家政婦によりますと、【一人ひとりで 食べて みません。】とのことでありました。

 

 

その家政婦  一人ひとり分の海軍カレーの領収書

 

 

海軍カレーについて

 

 

 

 および、その海軍カレーの話しから、バーモント カレーの話になりました。そして、以前 姉も レトルトは 好ましくないと言っていましたし、レトルト カレーは 好ましくない との話をしました。ちな みに、メニューとしては、その海軍カレー と 【靖國名物】玉子丼がありました。それで、その家政婦によりますと、何でも 【靖國名物】にしているとのことでありました。なお、誠に有り難いことに、雲 ひとつない 快晴であることを その家政婦に伝えました。ついながら、以前は ¥100円を支払って 白鳩に えさを あげることが出来るようになっていたのでありますが、今では 白鳩もませんでした。

 

 なお、故 石原慎太郎氏は 生前 すなわち 一昨々年さきおととし つまり 令和2年8月15日に、【首相は 当たり前だけど、天皇陛下に参拝して頂きたい。何故なぜ 参拝してもらえないのか】と訴えていましたね。

 

 ときに、去る 8年前の11月28日(土)の【神在祭かみありさい】のブログの上段に、

【(前略)ここから、出雲大社まで バス(英語:bus)で通いました。バスの所要時間は 約30分であり、片道の運賃は、510円でした。〖神在祭かみありさい〗のときですので、車内は一杯でした。天気は あいにくの雨でしたが、誠に有り難いことに、季節は11月であるものの それ程 寒くはありませんでした。母親も、そう言っていました。誠に有り難いことに、バスの車内で 母親の手助けをしてくれるかたが見えましたので、感謝の印として このかたの バスの運賃を負担させて頂きました。(後略)】と記させて頂きました。

 なお、往路の電車内のことであります。すなわち、ここまでは、家政婦のみ すわれていました。ちなみに、当方は、いつも 電車内では 立つことにしています。

 ところが、J.R.中央線で 初めて 立たなければならなくなりました。それで、二人ふたりで 立っていますと、誠に有り難いことに、女性のかたが 家政婦に 席をゆずってくれました。それで、おれいの言葉を伝えました。そして、つぎの駅で 席がきましたので、その女性のかたすわってもらいました。しかも、降りるときにも、合掌して 感謝の気持ちを伝えました。

 

 ならびに、去る 7年前の10月7日(火)の【日本人の心情】のブログ の中段やや上に、

【(前略)平成7年と翌8年の2年間、誘われて、精神分析(心理学)セミナーに参加したことがあります。(後略)】と記させて頂きました。この精神分析セミナーのときに、同じ市に住んでいる 盲目の男性心理士の介護をして 電車に乗りました。ちな みに、J.R.信濃町駅から 国分寺駅まででありました。なお、その盲目の男性心理士は、必ず J.R.三鷹駅で 1区間でありますが、国分寺駅まで 中央特快に乗るように 指示しました。それで、今回も、そうしました。

 

 なお、時間がかり、家政婦には 金7,370円という 余分な 手当てを あげなければなりませんでした。

 

 ところで、駅までは 往復 自転車でありました。ちな みに、駐輪利用券は ¥100円でありました。なお、家政婦にも、自転車を駐輪するために ¥100円を手渡しました。

 

 

永代神楽祭(令和5年)

駐輪利用券

 

 

 

(後略)』と記させて頂きました。

 つぎに、去る10月18日(水)の『靖國神社・秋季例大祭(平成5年)・続報』のブログの下段に、

『(前略)去る1月29日(日)の【永代神楽祭えいたいかぐらさい(令和5年)・後編】のブログの中段下に、

【(前略)故 石原慎太郎氏は 生前 すなわち 一昨々年さきおととし つまり 令和2年8月15日に、〖首相は 当たり前だけど、天皇陛下に参拝して頂きたい。何故なぜ 参拝してもらえないのか〗と訴えていましたね。(後略)】と記させて頂きました。

 また、昨年の靖國神社・秋季例大祭のときに、【みんなで 靖國神社に参拝する国会議員の会】副会長(衆議院議員)によりますと、【国民の代表である 内閣総理大臣が あらゆる環境が整い また 国民の皆様の理解が頂けるなかで 靖國神社に参拝して頂ける そういった環境と言いますか 状況と言いますか そのことを 心ある国民の皆様の御理解 御協力も頂くなかで しっかりと作り上げていく そのことも 私たち 国会議員の会の役割、努めであろうかと存じます。しっかりと 努力を重ねて参りたいと思います。(御本人の話した通り)】とのことでありました。本日は、超党派の国会議員96人が 参拝した とのことであります。

 ならびに、本日が、靖國神社・秋季例大祭の当日であります。ちなみに、天皇陛下の勅使参向があります。なお、その勅使の車は、神門を 唯一 通行しても構わない車であると言っても過言ではないとのことであります。ついながら、【皇族下乗】の札が掲げられています。ちなみに、家政婦に この話を致しましたら、勅使の持ってきた 箱(菊の紋章入り)のなかには 何が入っているのでしょう とのことでありました。それで、昨年 すなわち 令和4年の【勅使参向】の動画を見ましたら、靖國神社の賽銭さいせん箱の前で けていました。すなわち、直方体の箱でありました。そこで、家政婦との話しで お土産みやげとのことでありました。つまり、奉納品であると思われました。

 および、上記のように 【首相は 当たり前だけど、天皇陛下に参拝して頂きたい。】とのことであります。ちなみに、天皇陛下に 御参拝して頂けるような 環境作りを、靖國神社崇敬奉賛会が整えていかなければならないのであると思われます。なお、去る3月5日(日)の【父親の 一周忌での 挨拶】のブログの中段やや上に、

【(前略)おのれ いまわたらざるさきに、(後略)】と記させて頂きました。すなわち、天皇陛下が 御参拝なされるようになったら、靖國神社・秋季例大祭に参拝させて頂こうと思います。ついながら、全国から 参拝する人がることを考えましたら、東京都下の田舎いなかであるとはいえ 東京に住んでいることは 誠に有り難いことであると その家政婦さんに話しました。そして、誠に有り難いことに、その家政婦さんと 一緒に、今年の靖國神社・秋季例大祭の動画を見ました。(後略)』と記させて頂きました。

 さて、今年も、上記のように 来る1月29日の 靖國神社の永代神楽祭えいたいかぐらさいの案内が来ました。ちなみに、上記のように 両親の介護のことがありましたが、昨年は 6年ぶり すなわち 平成29年以来になりますが、靖國神社の永代神楽祭えいたいかぐらさいに 参加しました。そして、今回も、参加する予定でおります。(後略)」と記させて頂きました。

 ときに、去る6月30日(日)の「永代神楽祭えいたいかぐらさい(令和6年)・続報2」のブログの中段に、

「(前略)去る1月29日(月)の『永代神楽祭えいたいかぐらさい(令和6年)・中編・続報』のブログの中段やや上に、

『(前略)靖國神社の永代神楽祭えいたいかぐらさいは、午後2時からであります。ちなみに、前述致しましたように、昨年は 事前に 許可をもらって 6年ぶりでありましたので 挨拶をしました。なお、神官の説明が 約10分前に始まると聞かされていましたので、その前に 挨拶をさせて頂こうと思いました。ついながら、挨拶は、約16分前に行ないました。

 すなわち、

【昭和20年1月29日に、台湾沖で くらいど丸に乗っていた ○○○○の甥で 生まれ変わりとして 同じ名前を名付けられた ○○○○であります。靖國神社 崇敬奉賛会の終身正会員をしています。

 6年前の日曜日までは、毎年 参加させて頂いておりました。

 ときに、それ以前から 長年 両親の介護に携わり、平日は 介護サービスが入っており、近年は 参加することがかないませんでした。それで、毎年 玉串料のみ 奉納させて頂いておりました。

 ところで、5年前(今からでありますと、6年前)に 母親、そして、昨年(今からでありますと、一昨年おととし) 父親を看取みとりました。そして、今年から また 参加させて頂きますので、何卒なにとぞ 宜敷よろしくお願い申し上げます。こちらは、おもに 両親の食事を作ってくれた 家政婦さんであります。当方は、お酒を飲みませんので、御神酒おみきのときは 失禮させて頂きます。重ねて 何卒 宜敷よろししく お願い申し上げます。お時間を頂きまして、誠に有り難うございます。】以上であります。有り難うございます。

 

 そして、誠に有り難いことに、靖國神社の永代神楽祭えいたいかぐらさいの当日になりました。それで、事前に 下の画像のように 金1万円の玉串たまぐし料を用意しました。

 

 

金1万円の玉串たまぐし料奉納

 

 

 

 おまけに、靖國神社までは 自転車 と 電車を利用しました。ちな みに、父親は、事故を避けるために 電車の1両目には乗らずに 2両目に乗るという人でありました。なお、当方は 今回、電車の一番前のドアは 混むので、二番前のドアに並びました。

 ならびに、本日 すなわち 1月29日(月)の【ある神社のこと】のブログの下段に、

【(前略)本日の午後0時過ぎに、誠に有り難いことに、参拝しました。ちな みに、順番と致しましては、まず 〖東京大神宮〗に参拝してから、〖靖國神社〗に参拝するべきであると思われましたので、そう致しました。

(中略)

 および、J.R.飯田橋駅を下車して 歩いて、上記のように 午後0時過ぎに 〖東京大神宮〗に参拝しました。ちな みに、〖(前略)以前、約10数年位前になりますが、クライエント(英語:client )から、お賽銭さいせんの額は、境内の掃除のことを考えて銀色の硬貨、すなわち、50円、100円 そして 500円以上にしているという話を聞いたことがあります。それで、それ以前も この額以上でありましたのは勿論もちろんのこと、それ以降も、このことを脳裏に浮かべて お賽銭さいせんを入れています。(後略)〗と前述致しました。なお、前述致しましたように、お賽銭さいせんの額は、境内の掃除のことを考えて銀色の硬貨を入れています。すなわち、¥775円を入れました。ついながら、5円硬貨でありますと 155枚分でありますので、1回に 5円硬貨で参拝したとして 換算しますと、誠に有り難いことに 155回 参拝したことになりますね。(後略)】と記させて頂きました。

 

 また、【東京大神宮】を参拝してから、【靖國神社】まで 歩きました。すなわち、去る 9年前の3月16日(月)の【納豆】のブログの冒頭に、

【(前略)母校の、某・理事長に勧められた内科学教室に入局・・・(後略)】と記させて頂きました。しかも、去る 昨年の7月6日(木)の【夢について・続報76・シンクロニシティ・後編】のブログの中段やや下に、【(前略)上記の内科学教室の研修中に通った 飯田橋の母校の附属第一Hp.(hospital[ホスピタル]の略です。日本語では、病院のことです。以下、Hp.と示させて頂きます)(後略)】と記させて頂きました。つまり、上記の内科学教室の研修中に通った 母校の附属第一Hp.は、J.R.飯田橋駅が 最寄もより駅なのであります。したがいまして、下の画像の暁星高等学校も、J.R.飯田橋駅が 最寄もより駅であります。ちな みに、母校の医学部の同期生で 暁星高等学校がますが、二人ふたりが 母校の附属第一Hp.で研修をしました。するに、この二人ふたりは、母校の暁星高等学校が近くにあり なじみがあるので、J.R.飯田橋駅が 最寄もより駅である 母校の附属第一Hp.で研修したのであると思われました。

 

 

暁星小学校の正門

 

 

暁星高等学校の正門

 

 

 

 それから、富士見坂(靖國神社の北側に沿って西に下る坂)を のぼっていきました。ちな みに、途中で 年配男性と交差しましたので、手を合わせました。なお、フィリピン大使館を通り過ぎました。なお、とげとげしい 境界でありました。

 

 

フィリピン大使館

 

 

 

 さらに、前述致しました 日本武道館の屋根が見えました。

 

 

日本武道館の屋根

 

 

 しかして、途中に 和洋九段女子高等学校がありました。

 

 

和洋九段女子高等学校

 

 

 のみならず、普段 一般非公開の九段ハウスが、下の画像のように 1月27日(土)~2月4日(日)の会期で開催されていました。

 

 

普段 一般非公開の九段ハウス

 

 

 

 のみならず、途中に 九段中等教育学校(以前は、都立九段高等学校)がありました。

 

 

九段中等教育学校(以前は、都立九段高等学校)

 

 

 

 くわうるに、富士見坂(靖國神社の北側に沿って西に下る坂)を のぼっていきますと、左手 すなわち 靖國神社内に 山茶花さざんかの花(11月 そして 12月に花を咲かせる数少ない植物)か、椿つばきの花(冬咲きは、今頃。つまり、12~3月)が 咲いていました。ちなみに、山茶花さざんかの花は 花弁はなびらが 一枚一枚バラバラに落ちるのに対し、椿つばきの花は1つの花が そのまま 丸ごと 下に落ちます。すなわち、これが、山茶花さざんか と 椿つばきの違いであります。なお、このことから、椿つばきの花は、御見舞いの花としてはけられていますね。ついながら、家政婦によりますと、山茶花さざんか花弁はなびらが落ちると 絨毯じゅうたんのようになるとのむねでありました。また、山茶花さざんかほうは 葉が小さいとのことでありました。

 

 

山茶花さざんかの花か 椿つばきの花

 

 

山茶花さざんかの花か 椿つばきの花

 

 

 

 おまけに、30年以上前に 入ったことがある 靖國神社の前の うつわ すなわち 和食器の専門店が、今でも ありました。

 ならびに、去る 8年前の1月31日(日)の【永代神楽祭えいたいかぐらさい・2】のブログの中段やや上に、

【(前略)まず、第一鳥居(大鳥居)をくぐります。すると、大村益次郎銅像が見えて来ます。この写真 と 〖説明〗を 下に掲載致します。画像を クリック(click)(もしくはタップ)して頂きますと、拡大致します。なお、去る10月24日(土)の〖歴史小説〗のブログ の上段に、司馬 遼太郎を言及致しました。同氏の歴史観によりますと、革命期には 思想家、戦略家・行動家 そして 技術者の系譜が存在するとのことであります。幕末の長州藩において、思想家=吉田 松陰、戦略家・行動家=高杉 晋作 そして 技術者=村田 蔵六(大村 益次郎)ということであります。ちなみに、吉田 松陰のことは、去る5月18日(月)の〖一大事とは〗のブログ去る5月23日(土)の〖親の言葉〗のブログ そして 去る5月30日(土)の〖寝床に植物を置く・2〗のブログのそれぞれ上段に記させて頂きました。

 

 

靖国神社

大村益次郎銅像

 

 

靖国神社

〖説明〗

 

 

 大村益次郎 そして 木戸孝允は、東京招魂社(靖國神社の前身)の建立に尽力しました。(後略)】と記させて頂きました。そして、本日、再度 撮影しました画像であります。

 

 

大村益次郎銅像

 

 

【説明】

 

 

【説明】

 

 

 

 および、【(前略)この中門鳥居の手前・左手に、英霊の手記が掲示されています。毎月、変わります。参拝する度に、これを撮影します。(後略)】と記させて頂きました。すなわち、下の画像は、本日の【英霊の言の葉ことのは】の掲示であります。

 

 

今月の【英霊の言の葉ことのは

 

 

 

 また、まず お賽銭さいせん箱のところに行き、お賽銭さいせんを入れました。ちなみに、お賽銭さいせん箱のふちのところで お賽銭さいせん箱のなかに入っていない お賽銭さいせんも 一緒に なかに入れました。なお、去る 8年前の1月31日(日)の【永代神楽祭えいたいかぐらさい・2】のブログの中段に、

【(前略)前述のように 警備員に挨拶して、警備員の前で 撮影致しました。この掲示の写真を 下に掲載致します。

 

 

靖国神社

明治天皇陛下の御製

 

 

 

(後略)】と記させて頂きました。ちなみに、本殿の手前の拝殿の右手に、上の画像の天皇陛下の御製が掲示されています。それで、このときは 撮影させてもらえたのでありますが、その後 事情が変わったのか 撮影しようとすると 警備員に注意されるようになりました。すなわち、本殿を撮影すると勘違かんちがいされるようなのであります。そこで、今回も、昭和天皇陛下の御製が掲示されていましたが、誠に遺憾なことに 撮影することを遠慮致しました。

 

 なお、去る 昨年の12月3日(日)の【靖國神社(平成5年12月)】のブログの中段やや下に、

【(前略)

 

 

誠に有り難いことに、届いた 御神札おふだ

 

 

 

(後略)】と記させて頂きました。ちなみに、当家には、みっつの神棚があります。それで、上記のように 一体いったい御神札おふだは ありますので、二体にたい御神札おふだを入手しました。ついながら、社務所で順番を待っていましたら、職員 と 思われる 巫女みこさん と 見習いの女性の 二人ふたりが ました。そこで、職員 と 思われる 巫女みこさんのほうから 【お決まりでしたら。】と言われました。それで、①の一番大きい 御神札おふだを 二体にたい 頂きたい とのむねを伝えました。なお、奉納金は、 一体いったいの 御神札おふだ(大)につき ¥千五百円以上とのことでした。ちなみに、ついでに 黒ネクタイを身につけていましたので、永代神楽祭えいたいかぐらさいために 来ていることを話しました。そして、伯父の祥月命日であることを伝えました。

 

 

靖國神社の 御神札おふだ(大) 二体にたい

 

 

靖國神社の 御神札おふだ(大) 二体にたいの領収証

 

 

 

 しかも、参集殿には、執行開始時間の約1時間15分前 すなわち 午後0時45分頃に 到着しました。ちなみに、参集殿の入口のところに、昇殿参拝の奉納金は ¥五千円以上からになった とのむねが書かれてありました。

 なお、参集殿に入るときに いつも ビニール(英語:vinyl)袋を持って行って、そのなかくつを入れて 上がります。ついながら、受付に 人がませんでしたので、上記のように ビニール袋に くつを入れて 上がろうとしました。すると、そのときに、巫女みこさんが来て 声をけられましたので、上記の玉串たまぐし料を手渡しました。すると、英霊の家の代表者には、下の画像の印が 巫女みこさんから 手渡されることになっているようでありました。ちなみに、その 巫女みこさんから 胸にるように言われましたので、左胸にりました。なお、その交換に 名刺を手渡しました。

 

 

巫女みこさんから 手渡された 印

 

 

言われたように 左胸にった 印

 

 

 ついながら、前述致しました 【おくみ】という男性は、受付に 見当たりませんでした。

 そのうえ、いつもの永代神楽祭えいたいかぐらさい控室に案内されました。ちなみに、日本遺族会の人たちが来ていました。なお、下の画像の【永代神楽祭えいたいかぐらさい控室】の看板の背後にる人たちのことであります。

 

 

 

 

 

 さらに、去る 一昨年おととしの12月23日(金)の【家政婦さんの入院・続報42・後編】のブログの下段やや上に、

【(前略)去る 一昨年おととしの2月12日(水)の〖笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤小乗しょうじょうから 大乗だいじょうへ・中編〗のブログの中段やや上に、

〖(前略)原則として 外食しません。例外として 完全穀物菜食さいしょく(ヴィーガン・ヴェジタリアン)の店にくことはありました。当然 禁酒・禁煙で、飲み物は、刺激が強いカフェイン(通常 ヴィーガン・ヴェジタリアンは カフェイン飲料を摂取らない、と本に書かれてありました。親友しんゆうは カフェイン飲料を摂取るのは 午後三時までと言っています)の含まれた飲料ではなくて 水 か 白湯さゆです。(後略)〗と記させて頂きました。なお、その家政婦さんが、今回も 普段は 何を飲んでいるのですかと尋ねました。それで、上記のように カフェイン飲料は摂取らず 水を飲んでいると回答しました。(後略)】と記させて頂きました。なお、女給さんが 来ましたので、挨拶をして 名刺を手渡しました。ちなみに、【寒いなか】とのことでありましたので、昨日よりは 寒さがなごんだことを伝えました。ついながら、その女給さんが お茶を持ってきましたが、上記のように カフェイン飲料を摂取りませんので、そのままにしました。

 

 それから、前述致しましたように、これまででありましたら 上記のように 両親の分も 記帳しているのでありますが、昨年から 当方のみになりました。但し、祖父母、父母 そして 兄弟姉妹など 家族と一緒に 参拝している気持ちであります。なお、その記帳が終わるか終わらないうちに 上記の女給さんが 来て、記帳のページを めくるとのことでありました。すなわち、つぎの おかたが 記帳をするためでありましょう。

 

 

記帳

 

 

 

 しかして、午後1時45分頃に、親子連れの女性 二人ふたりが来ました。それで、その参加者に 事前に用意した このブログ紹介を手渡しました。但し、そのブログ紹介は 七人分 用意致しましたが、結局 参加者は この1家族 二人ふたり と 当方のみでありました。

 のみならず、その親子連れの娘のほうが、記帳を始めました。すると、その娘によりますと、【書いたことがない。書ける気がしない。】とのことでありました。

 くわうるに、今回は、神官の説明が 約10分前に始まりました。 ちな みに、最後に その若い神官に 名刺を手渡しました。

 

 ならびに、執行開始時間 すなわち 午後2時になりまして、上記のように、式次第が進みました。 ちな みに、その若い神官によりますと、献饌は 海のさち そして 山のさちとのことでありました。なお、大根 そして かぶ、それから、グレープ フルーツのような果実などは 確認致しました。ついながら、いつものように  巫女みこさん 二人ふたりによる 【みたまなごみのまい】の行事が ありました。 ちな みに、帰宅してから調べましたら、その【御霊みたま なごみのまい】という お神楽かぐらは、昭和12年に 香淳皇后より 戦歿者に賜わった御歌を 昭和26年12月に 靖國神社の依頼によって 多忠朝氏が 作曲・振付し 御神楽おかぐらとなったもの とのことであります。

 

 なお、前述致しましたように、靖國神社の拝殿は 西から東の方向に向いていますので、東風が吹くと 背中から 風が当たり 寒いのであります。 ちな みに、本日は 東風 2mでありました。

 

 および、調べましたら 靖國神社の資料によると、合祀者の総数は 246万人強となっているとのことであります。 ちな みに、単純に計算しますと、この1月29日の1日に亡くなっている 英霊は 約6,740人ということになります。なお、上記のように 戦没者招霊しょうれいとして 約百名の英霊の招霊しょうれいが行なわれました。ついながら、そのうち 遺族として 参加しているのは、当家を含めて 2家族 3名でありました。

 

 また、今年も、上記の撤饌てっせんの品物を掲載致しますが、前回と まったく 同じでありますね。なお、今回も、帰宅して 後日 家政婦に あげました。

 

 

受納證

 

 

 

 

永代神楽祭えいたいかぐらさい神饌

 

 

神菓 と お守り

 

 

撤下神饌

 

 

御神酒おみき(成分表を見ますと、水飴みずあめが入っていない お酒でありました。したがいまして、家政婦に あげるときに ベタベタしていないと思う と伝えて 手渡しました)

 

 

 なお、上記の御神酒おみきちな ませて頂きます。すなわち、上記のように 7年前でありましたら、最後 全員に巫女みこさんから 御神酒おみきが振る舞われます。ところが、前回は その行事がありませんでした。しかしながら、今回は、ありました。それで、上記の 若い神官に、【当方は、お酒を飲みませんので、御神酒おみき失禮しつれいさせて頂きます。】と伝えました。すると、【そのようなことは、なんでもない。】とのむねでありました。但し、 御神酒おみきを飲む人は 神殿に向かって 一禮いちれいをして下さい とのことでありましたので、当方は 飲みませんが、一禮いちれいのみ致しました。

 それから、当方は 式次第の行事のあいだ コートを着ませんでした。ちな みに、正味しょうみ 30分間でありました。なお、誠に有り難いことに、伯父が 【よく来てくれた。】と言ってくれているようでありました。しかも、誠に有り難いことに、英霊の方々かたがたも、答えてくれたような気が致しました。そのうえ、今は亡き 家族たちが、誠に有り難いことに、喜んでくれていることが分かりました。

 しかも、前述致しましたように 平日とはいえ 当家を含めて 2家族 3名のみの参加でありました。それで、危機感を抱いているようでありまして、誠に異例なことに 最後に 上司の神官と思われる 年配男性が来て 挨拶をしました。ちな みに、いつものことでありますが、永代神楽祭えいたいかぐらさいが終了しますと 上記の【永代神楽祭えいたいかぐらさい控室】に残ることなく ぐに帰宅します。なお、帰るときに もう 1家族である 二人ふたりに 会釈しました。

 その際に その神官から お供物(お菓子)を持ち帰るように言われましたが、帰宅してから 家政婦に あげる までに 数日 かると思われ それまで 日持ちがしないと考えられました。それで、丁重に お気持ちのみ ませて頂きますと伝えました。そして、丁重に つぎの おかたに あげて下さいと話しました。ついながら、顔が分からないので なんとも 言えませんが、もしかしたら その神官が 【おくみ】という男性であったのかもしれません。

 但し、その代わりに 上記と同様に 遊就館の無期限で使える入館券(遊就館拝観券)を 1枚 家政婦に 後日 手渡しました。 

 

 

家政婦に あげた 遊就館の無期限で使える入館券(遊就館拝観券)

 

 

 

 そのうえ、前述致しましたように、参集殿に入るときに いつも ビニール袋を持って行って、そのなかくつを入れて 上がります。それで、くつべらを使って くついていましたら、前述致しました若い神官が来ました。そこで、誠に有り難いことに、そのくつべらを受け取ってくれて 見送ってくれました。

 くわうるに、駅までは 往復 自転車でありました。ちな みに、駐輪利用券は ¥100円であります。それで、事前に 100円玉を ズボンのポケットに入れて、用意致しておりました。ところが、ズボンをろして 着替えたときに その100円玉を落としてしまいました。そこで、新たに 100円玉を用意致しました。なお、誠に有り難いことに、あとになって 家のなかに 100円玉が落ちているのを見付けました。そして、駐輪場で 男性老人に、【いつも ありがとうございます。】と言って、100円玉を手渡しました。すると、その男性老人によりますと、誠に有り難いことに、【みません。いってらっしゃい。】とのことでありました。

 それから、帰りのことであります。すなわち、今回は、自転車を受け取るときに、前述致しました ホッチキスで られてある 領収書を持って行かれてしまいました。

 しかして、自宅に到着したのは、午後4時頃でありました。ちな みに、誠に有り難いことに、日没前でありました。なお、前日に にぎって 冷蔵庫で 保存しておいた 【玄米おむすび】を 4個 持ってって、途中 すなわち 永代神楽祭えいたいかぐらさい終了後に 靖國神社の外の飲食用のベンチなどで食べました。

 

 つぎに、約60年前にも、誠に有り難いことに、下の画像のように 家族で 靖國神社に参拝しているのであります。ちな みに、今回も、前述致しましたように、祖父母、父母 そして 兄弟姉妹など 家族と一緒に 参拝している気持ちであります。なお、40年以上前(菜食を始める前のことであります)に 靖國神社の前の寿司屋に入ったことがありますが、その店は ありませんでした。

 

 

祖母、母親 そして 姉と 一緒に(約60年前)

 

 

今でも ある 靖國神社の石のへい(家政婦と確認致しました)(約60年前)

 

 

父親 そして 姉と 一緒に(約60年前)

 

 

 

(後略)』と記させて頂きました。

 ならびに、去る6月27日(木)の『冷蔵庫の購入・続報7・後編』のブログの上段に、

『(前略)

 

 

誠に有り難いことに、別のきり箪笥だんすの左奥に 突っ張り耐震ポールを取り付けた様子(高さ 27~35cm突っ張り耐震ポール)

 

 

誠に有り難いことに、別のきり箪笥だんすの右奥に 突っ張り耐震ポールを取り付けた様子(高さ 27~35cm突っ張り耐震ポール)

 

 

 

(後略)』と記させて頂きました。すなわち、上記の祖母のきり箪笥だんすであります。ちな みに、このきり箪笥だんすの引き出しのなかから、誠に有り難いことに、大東亜戦争中の 上記の伯父の出勤簿 と 工賃明細票が見付かりました。なお、伯父はパン屋で修行していたと前述致しました。そして、赤紙により 徴兵されて、昭和18年6月から 昭和19年6月頃 まで 大垣市の日本鐵工所で働いていたことがあるか と思われました。ついながら、下の画像は、伯父の出勤簿 と 工賃明細票の一部であります。ちな みに、実際には、昭和18年6月から 昭和19年6月頃 までの 伯父の出勤簿 と 工賃明細票が 見付かりました。

 

 

伯父の出勤簿(昭和18年12月)

 

 

伯父の出勤簿(昭和18年12月)

 

 

伯父の工賃明細票(昭和19年4月)

 

 

 

 (後略)」と記させて頂きました。

 および、今年も、上記のように 来る1月29日の 靖國神社の永代神楽祭えいたいかぐらさいの案内が来ました。ちなみに、上記のように 両親の介護のことがありました。しかしながら、一昨年おととしは 6年ぶり すなわち 平成29年以来になりますが、靖國神社の永代神楽祭えいたいかぐらさいに 参加しました。なお、昨年も、参加しました。そして、今回も、参加する予定でおります。しかしながら、御承知のように、また、去る 10年前の11月23日(日)の「アロマ・テラピー」のブログ そして 去る 10年前の12月1日(月)の「日本心療内科学会」のブログでも お伝え申し上げましたように、菜食で お酒を飲みません。それで、上記の撤下神饌 そして かつおぶしは頂きません。しかも、お酒も頂きません。そこで、家政婦さんに 頭を下げて もらってもらっています。そこで、撤饌の品物をもらわなくて 受けるのは 受納書だけでいいものかどうかを 丁重に尋ねることにしました。すると、誠に有り難いことに、いいとのことでありました。それで、電話を差し上げるのを躊躇ためらっていたのですが、電話させて頂いて よかったことを伝えました。ついながら、恐縮ですとのことでありました。ちなみに、上記のように 四歳くらいから 参拝しているのであります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 また、靖国神社(正式名称は靖國神社)は、江戸時代の幕末 長州藩(山口県)で 1863年に結成された奇兵隊士の霊をとむらために、高杉晋作(1839~1867年)によって行なわれた 招魂社しょうこんしゃ(現在は、桜山神社・招魂場しょうこんじょう)造営に始まるだろうと思っていましたが、調べましたら やはり 高杉晋作が その招魂社しょうこんしゃ造営を発議したことにより始まるとのことであります。ちなみに、招魂碑しょうこんひは 全部で 396柱であります。なお、高杉晋作は、ここに 同志をとむらうとき つぎのような漢詩をささげています。

 すなわち、

 猛烈奇兵何所志

 要将一死報邦家

 尤欣名遂功成後

 共作弔魂場上花

 

 弔む羅和留 人尓入るべき 身なり志尓

 弔む羅宇人となるそ は津か志

 

 謹弔

 霊魂

 

 故 奇兵隊士 東行狂生

 慶応元年八月 招魂場祭事

 

 (読み下し文)

 猛烈の奇兵 なんこころざところ

 一死をって 邦家(国のこと)にむくいんとよう

 もっとよろこぶ 名を遂げ 功 りてのち

 ともに 弔魂場上の 花とらんを

 

 とむらわる人に 入るべき身なりしに

 とむらう人となるぞ はずかし

 

 さらに、靖國神社は、明治2年(1869年)6月29日、明治天皇の思し召しによって 建てられた 招魂社しょうこんしゃが始まりです。

 

 (義務教育の方々かたがたに 美しい日本語を 正しい読みかたで 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名ふりがなを付けております)

 本日も、最後 まで お読み頂き、誠にありがとうございました。唯々感謝。(^-^)

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