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さて、本日 すなわち 7月31日(月)の「母親から父親への家書」のブログの上段に、
「(前略)去る 一昨々年の6月28日(日)の『母からの手紙』のブログの中段に、
『(前略)去る 一昨年の3月6日(火)の【母親の転帰】のブログに記させて頂きましたように、母親は 亡くなりました。なお、唐代の代表的詩人である杜甫の代表作【春望】の一節に、【家書万金に抵たる】と あります。正しく 上記の手紙は この詩に相応しいと思われました。すなわち、【万金に抵たる】と感じられました。(後略)』と記させて頂きました。
ときに、去る 5年前の3月6日(火)の『母親の転帰』のブログに記させて頂きましたように、母親が 亡くなりました。 また、去る 昨年の3月11日(金)の『父親の転帰』のブログに記させて頂きましたように、父親が 続いて 亡くなりました。
ところで、整理をしていましたら、約32年前に 母親が書いたと思われる ノートが出てきました。(後略)」と記させて頂きました。
すなわち、
「お父さん と 私が 一生懸命 働いて 君を(「が」であると思われます) 医学を入る事が出来たこと 誇りに思います。それには 君の なみたいていな御苦労がありました。私が 昭和35年6月12日午前11時 無痛分娩で出産しました。何億(円) もらうより うれしかった事 今でも 思い出します。可愛いあまり 肥満にしてしまい 私の教育のなさを 痛い程 知りました。
君は お父さんに似て 思いあり(『思い遣り』であると思われます)があり、やさしいです。患者の身になってあげられる医者になると思います。
あまり 思いつめないで 頑張ってください。
卒業 お目出度うございます。
国家試験 合格 お目出度うございます。
君の半身 (結局 未婚でありますので、神様のことであります)素晴らしいです。お目出度うございます。(原文通り。但し、お読み頂き易いように 漢字にして 送り仮名を振った部分もあります)」以上であります。 因 みに、この文章は 一部、家政婦さんにも 見せました。なお、文章を打ち込ませて頂き乍ら、誠に有り難いことに、涙が 零れ続けました。
次 に、誠に有り難いことに、母校の医学部の卒業式に 両親は 二人 で 参加してくれました。しかも、この卒業式に出席した 父兄は 両親だけでありました。因 みに、親は、某・都立高校の卒業式にも 参加してくれました。なお、最後になりますが、誠に有り難いことに、母親は 晩年、当方が 自分の主治医であると言ってくれました。

卒業式

卒業式にて
それで、卒業式後に、他の同期生とは別れました。そして、レンタカーを用意していました。そうして、誠に有り難いことに、上野で 両親に 好物の しかも 天然の 鰻の蒲焼(当時は、天然ものが ありました)を食べてもらいました。なお、昨日は 土用の丑の日でありましたね。
それから、舞浜にある 某・東京ベイホテルで開催された 加山雄三デビュー 25周年記念コンサートに招待しました。なお、このショーの途中で 両親が居なくなりました。そこで、後から そのホテルのレストランに行っていたのであることが分かりました。因 みに、帰りは 車(レンタカー)で 約2時間 掛かりまして、夜になっていました。序で乍ら、中央高速道路を使ったのでありますが、大型ダンプ カーが 近くを 通り過ぎました。なお、大学生の男子アルバイトが留守番でありましたが、こんな時間になるとは とのことでありました。

加山雄三デビュー 25周年記念コンサート(平成2年 夏)

加山雄三デビュー 25周年記念コンサート(平成2年 夏)
(義務教育の方々に 美しい日本語を 正しい読み方で 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名を付けております)
本日も、最後 迄 お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)