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さて、昨日 すなわち 2月16日(金)の「母親の入院」のブログに記させて頂きましたように、母親が 入院しました。それで、本日は 土曜日なので、面会時間は 午後1時からでした。そこで、お見舞いの為 に 午後0時半よりも 前に到着しました。そして、救急入院棟の入り口の前で 待ちました。

提出した 面会者受付用紙(上記のように、来院時間は 午後1時と記載されています)
それから、救急入院棟に入り 二人 の看護師に 挨拶しました。 因 みに、去る2月13日(火)の「在宅診療・10」のブログの上段に、
「(前略)去る1月30日(火)の『在宅診療・9』のブログに、
『(前略)去る1月16日(火)の【在宅診療・8】のブログの上段やや下に、
【(前略)去る12月26日(火)の〖在宅診療・7〗のブログの中段やや上に、
〖(前略)去る12月20日(水)の〔母親のこと・6(両親の食事)〕のブログの中段やや上に、
〔(前略)去る12月14日(木)の〘鰻の蒲焼・27(両親の食事)〙のブログの中段やや下に、
〘(前略)昨日の午後2時40分に 母親の検温をしましたら、誠に有り難いことに 母親の体温は 36.6℃でした。および、パルス・オキシメーター(英語:pulse oximeter)で測定した 母親の動脈血に含まれる酸素(O2)の飽和度(英語:saturation)は、98%でした。(後略)〙と記させて頂きました。そして、昨日の やはり 午後2時40分頃の母親の体温は 36.9℃でした。また、母親の動脈血に含まれる酸素(O2)の飽和度(英語:saturation)は、98~99%でした。(後略)〕と記させて頂きました。そして、本日の この酸素(O2)の飽和度(英語:saturation)は、95%とのことでした。但し、測定者によりますと、測定部位である 指が冷えているから 正確ではないかもしれない とのことでした。(後略)〗と記させて頂きました。それから、本日の この酸素(O2)の飽和度(英語:saturation)は、94%とのことでした。そして、誠に有り難いことに 母親の体温は 36.8℃でした。(後略)】と記させて頂きました。そして、本日の午前11時25分頃の 母親の最高血圧(収縮期血圧)は 178mmHg(水銀柱ミリメートル)、最低血圧(拡張期血圧)は 80mmHg そして 心拍数が 90でした。(後略)』と記させて頂きました。それから、本日の この酸素(O2)の飽和度(英語:saturation)は、96%とのことでした。そして、誠に有り難いことに 母親の体温は 36.3℃でした。本日の午前11時10分頃の 母親の最高血圧(収縮期血圧)は 138mmHg(水銀柱ミリメートル)、最低血圧(拡張期血圧)は 70mmHg そして 心拍数が 83でした。(後略)」と記させて頂きました。そして、本日の午後0時45分頃の 母親の最高血圧(収縮期血圧)は 135mmHg(水銀柱ミリメートル)、最低血圧(拡張期血圧)は 87mmHgでした。それから、本日の この酸素(O2)の飽和度(英語:saturation)は、87%でした。また、呼吸数は、19回/分でした。なお、母親の意識は 戻っていませんでした。序で乍ら、上記の 二人 の看護師により sputum(英語)(ネガティブ[英語:negative]で御座いますし、お読み下さっている 方々に影響を お与えすることの無いように、日本語で 綴ることを控えさせて頂きましたが、以前 それではわからない と指摘を頂きましたので、日本語も併記させて頂きます。小さく記させて頂きます。痰のことで 御座います。以下、英語で sputumと示させて頂きます)の吸引がなされていました。この 二人 の看護師は お互いに 話し乍ら よそ見を し乍ら、吸引するカテーテルが 口から 挿入されましたが、かなり 奥 迄 入っていました。そして、母親は 顔を歪めて 苦しそうでした。そして、カテーテルの先端には 母親の血液が付着していました。母親のことが 可哀想に思われました。しかし乍ら、この看護師は 表情 一つ変えず、淡々と 行っていました。但し、痛みに反応するということは、誠に有り難いことに 生きている と思われました。そして、これらの二人 の看護師は、母親の顔が 小さい と話していました。
ならびに、去る 一昨年の10月2日(日)の「母親の入院・続報9」のブログの上段に、
「(前略)昨日 すなわち 10月1日(土)の『母親の入院・続報8』のブログの上段に、
『(前略)昨日 すなわち 9月30日(金)の【母親の入院・続報7】のブログの上段に、
【(前略) 一昨日 すなわち 9月27日(火)の〖母親の入院・続報4〗のブログの上段やや下に、
〖(前略)母親によりますと、腕が細くなった とのことでした。去る10月22日(木)の〘親の受診に付き添っていること・23(膠原内科医)〙のブログ の中段やや下に記させて頂きました、〘細うで繁盛記〙のことを思い出しました。(後略)〗と記させて頂きました。この母親の細い右腕に サーフロー留置針が なされていました。ここから 点滴が静注されます。痛々そうでしたので、〖痛くは ないか〗と 訊きました。(後略)】と記させて頂きました。このサーフロー留置針は 未だに 確保されたままです。(後略)』と記させて頂きました。すなわち、午前10時に退院と言われて 午前10時20分を過ぎても、サーフロー留置針が なされたままでした。そして、姉が催促してくれて 漸く 午前10時半過ぎに サーフロー留置針が抜かれました。(後略)」と記させて頂きました。そして、今回も、母親の細い右腕に サーフロー留置針が なされていました。

サーフロー留置針が なされた 母親の細い右腕
ときに、去る 一昨年の9月14日(水)の「来訪」のブログの冒頭に、「(前略)過日、母親(次女)によりますと、二人の叔母(3女 と 4女)と 姉が遊びに来る とのことでした。(後略)」と記させて頂きました。この 二人の叔母(3女 と 4女)と 姉が お見舞いに来ました。姉によりますと 当方に 来なくていい(父親 と ヘルパー[英語:helper][日本語:家政婦]によりますと、それは おかしい とのことでありました)とのことでありますが、備品を持って来る必要があり しかも 母親に 声を 掛けて上げなければ と思われました。因 みに、叔母(4女)によりますと、母親が 苦しんでないからいい とのことでした。それで、高齢になりますと 苦しむことが、若いときよりも 少なくなる傾向があるとされています と回答しましたら、誠に有り難いことに 納得して 頷いてくれました。なお、この叔母(4女)から 母親は 寝ている状態であるが、この状態を どう見るか と尋ねられました。序で乍ら、医学的なことではなくて、スピリチュアリティ(spirituality)の視点から 尋ねられているような気が致しました。それで、去る 昨年の5月25日(木)の「夢(両親の食事)」のブログの上段に、
「(前略)去る 昨年の1月9日(土)の『ターミナル・ケア(終末期医療、終末期看護)』のブログの上段に、
『(前略)去る 一昨年の10月9日(木)の【笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤小乗から大乗へ】のブログ の上段に、
【(前略) ターミナル・ケア(英語:terminal care)(終末期介護)の必要な患者さんでありました。(後略)】と記させて頂きました。
一方、去る 一昨年の11月25日(火)の【第六感(スピリチュアリティ[spirituality])】のブログ そして 去る 一昨年の10月6日(月)の【アゲハ蝶(スピリチュアリティ[spirituality])】のブログ などで、スピリチュアリティ(英語:spirituality)のことを記させて頂きました。
前述のターミナル・ケアの必要な患者さんを担当させて頂いた頃から、ターミナル・ケアに スピリチュアリティを取り入れることが大切であると思われるようになりました。仏教的には、輪廻(梵語:संसार saṃsāra、英語:reincarnation)があるということであります。すなわち、この世(此岸)の終わりで 全てが終わるのではなくて、あの世(彼岸)があるということで御座います。更に 云えば、生命は 行き通している ということであります。この世(此岸)を去ることは、あの世(彼岸)の誕生ということであります。因みに、幼少の頃に聞かされたことで、天体の寿命は 数十億年以上であるのに、何故 尊厳のある人間の寿命は それに比べて 遥かに短いのであるかということであります。人間も、天体同様に、行き通すことによって それに匹敵する寿命を有しているのではないか ということで御座います。(後略)』と記させて頂きました。通常 年を重ねますと 睡眠時間が少なくなって来ます。ヘルパー(英語:helper)(日本語:家政婦)も、早朝に目が覚めるようになった と話していました。ところが、両親を見ていますと、寝ている時間が 多くなりました。常に 近くにて 感じることですが、睡眠中に 移行する霊界と往復しているように思われました。すなわち、霊界に移行する準備をしているように感じられました。二人のヘルパー(日本語:家政婦)にも この話を致しましたら、誠に有り難いことに 納得してくれました。両親のことは 暖かく見守っていきたいと思います。(後略)」と記させて頂きました。すなわち、「睡眠中に 移行する霊界と往復しているように思われます。つまり、霊界に移行する準備をしているように感じられました。今度は、霊界に生まれることになるのですね。」との旨を回答しました。その叔母(4女)との話で、霊界に移行することは たいへんとの話にもなりました。
ところで、この叔母(4女)から 胃瘻のことが言及されました。因 みに、去る7月22日(土)の「鰻の蒲焼(両親の食事)」のブログの中段やや下に、
「(前略)胃瘻とは、腹壁を切開して 胃内に管を通し、食物や水分や医薬品を流入させ 投与する為の処置のことであります。序で乍ら、去る 一昨々年の10月8日(水)の『親の受診に付き添っていること・1』のブログ また 去る 一昨々年の11月9日(日)の『親の受診に付き添っていること ・2』のブログ のそれぞれ共に中段やや上 そして 去る 一昨年の2月23日(月)の『天皇陛下行幸の君恩に 浴して』のブログ の中段やや下に記させて頂きました 某・ボランティア(英語:volunteer)のサークル(英語:circle)の先輩によりますと、自分の母親が この胃瘻をしていた とのことでした。(後略)」と記させて頂きました。但し、この年輩の御夫婦の母親は、自宅で 胃瘻処置をされていました。ところが、結局、Hp.(hospital[ホスピタル]の略です。日本語では、病院のことです。以下、Hp.と示させて頂きます)に入院することになりました。すなわち、自宅で 胃瘻処置がなされても 維持することが難しいのであろうと思われました。何故ならば、後になって この男性年輩から 胃瘻に用いる ボトルは 何処で入手するのか 尋ねられたからであります。因 みに、胃瘻処置がなされてから ボトルの入手方法を調べるのでは たいへんであろう と思われました。なお、その後 この男性年輩に会っていましたが このボトルにつきまして訊かれたことはなく、この男性年輩の母親が Hp.に入院することを知ったのです。序で乍ら、御承知のことであらせられますように、通信販売でも 購入することが出来ますね。
ならびに、叔母(4女)によりますと、千葉の施設に 入っていた 伯母(長女)は、脳幹の cerebral infarction(英語)(ネガティブ[negative]で 御座いますし、お読み下さっている 方々に影響を お与えすることの無いように、日本語で 綴ることを控えさせて頂きましたが、以前 それではわからない と指摘を頂きましたので、日本語も併記させて頂きます。小さく記させて頂きます。脳梗塞のことで 御座います。以下、cerebral infarctionと示させて頂きます)になったとのことでした。それで、言葉が話せなくなったそうです。但し、筆談は出来たそうです。そこで、帰るときに、「帰らないで」と訴えられて 可哀想だった とのことでした。因 みに、この伯母(長女)の次男が そうは言っても と 伯母(長女)に話し、帰って来たそうです。なお、この伯母(長女)は、転院するときに 亡くなった とのことでした。序で乍ら、祖父(母親の父親)は cerebral infarctionで、祖母(母親の母親)は 腎不全で亡くなっています。
さて、叔母(4女)によりますと、従姉妹が その娘の関係で シンガポールによく行く とのことでした。また、自分も 仙台に行かなければならない とのことでした。
ならびに、この叔母(4女)によりますと、息子(次男)は 電気配線の仕事をしていて、小平市花小金井に住んでいる とのことでした。因みに、この叔母(4女)によりますと、自分 や 娘(長女)が 掃除を しに行くから と話しても、来ないで欲しい と言われる とのことでした。なお、この叔母(4女)によりますと、息子(次男)は 外食ばかり とのことでした。
および、孫(息子[長男]の息子)は 東京理科大学から 受験して、東京工業大学の大学院に入学した とのことでした。因 みに、息子(長男)は いい加減だが、嫁が 富山の人であり 頭がいい とのことでした。なお、富山の人は 勉強する とのことでした。序で乍ら、富山と云えば、薬売りですね。知人が 医学部を卒業しましたが、富山医科薬科大学も あります。このことを話しました。
それから、この叔母(4女)によりますと、臨済宗の檀家とのことでした。それで、鎌倉のことを言及致しましたら、円覚寺の話になりました。
しかも、この叔母(4女)によりますと、兄は 72歳で亡くなったので、若かった とのことでした。
そのうえ、父親が 昔 撮影した写真を手渡しましたら、この叔母(4女)は 受け取っていましたが、叔母(3女)は 要らない様子でした。
おもけに、この叔母(4女)によりますと、自分 と 母親は 色が黒かった とのことでした。
ときに、去る 4年前の10月8日(水)の「親の受診に付き添っていること・1」のブログ に、
「(前略)そして、昨年(4年前のことです)の11月5日から14日 迄、10日間、同・公立Hp.の循環器内科で、心臓ペースメーカー埋め込み手術のため、入院致しました。
女人禁制である高野山で修行する弘法大師のもとに、母親が訪ねて来たとき、弘法大師は、高野山の 麓の家に、母親を滞在させて、毎日会いに行ったとの旨のことが、NHKで放送されていました。
弘法大師は凄い 方で 御座いますが、これに習わせて頂いて、日々の面会は午後8時 迄で 御座いますので、10日間、毎日通いました。勿論、母親への思いの 方が先で 御座います。
去る( 一昨年)の10月8日(水)の『親の受診に付き添っていること・1』のブログ また 去る( 一昨年)の11月9日(日)の『親の受診に付き添っていること ・2』のブログ のそれぞれ共に中段やや上 そして 去る(昨年の)2月23日(月)の『天皇陛下行幸の君恩に 浴して』のブログ の中段やや下に記させて頂きました 某・ボランティアのサークルの年輩の御夫婦に、この話しを致しましたら、10日間、毎日通ったこと、誠に有り難いことに、無言の内に、目で納得してくれました。(後略)」と記させて頂きました。
ところで、去る5月20日(土)の「親の受診に付き添っていること・47(市内の某・公立Hp.の消化器内科)・後編」のブログの下段に、
「(前略)去る3月15日(水)の『親の受診に付き添っていること・45(市内の某・公立Hp.の循環器内科)』のブログの下段に、
『(前略)去る 昨年の3月10日(木)の【親の受診に付き添っていること・31(市内の某・公立Hp.の循環器内科)】のブログの下段に、
【(前略)前述の 去る 昨年の3月18日(水)の〖親の受診に付き添っていること・10(市内の某・公立Hp.の循環器内科)〗のブログ の下段に、
〖(前略)受診の前と 後に、一人で、同・公立Hp.の近くの、猿田毘古大神(「古事記」による表記)・ 猿田彦大神を 祭祀している神社に参拝しました。 因みに、猿田毘古大神・ 猿田彦大神は、〘天孫降臨 〙の際に、天照大御神 に 遣わされた 邇邇芸命を道案内した 国津神です。〘古事記〙と〘日本書紀〙の〘 天孫降臨 〙の語り出しは、去る11月4日(火)の〘アレルギーの代替医療(食事療法)〙のブログ の後半に記させて頂きました。
受診後、母親に 一緒に参拝しようかと話しましたら、疲れて眠いとのことでありましたので、母親は 一人で タクシーに乗って 帰宅しました。タクシーを見送って、前述のように、その後神社に参拝致しました。(後略)〗と記させて頂きました。今回は、誠に有り難いことに 共に参拝することが出来ました。(後略)】と記させて頂きました。そして、受診後、今回も 母親に 一緒に参拝しようかと話しましたら、洋服を 一枚着忘れて来てしまったとのことでした。これでは、外気に当たると 寒いですね。また、疲れた とのことでありましたので、母親は 一人で タクシーに乗って 帰宅しました。因みに、タクシーの運転手には、自宅の位置を伝えて、母親が 降りるときに 荷物を忘れないように 気にしてやってもらいたい との旨を話しました。そして、タクシーを見送って、前述のように、その後 神社に参拝致しました。(後略)』と記させて頂きました。今回は、前回のブログの上段に記させて頂きましたように、ヘルパー(日本語:家政婦)に付き添ってもらいました。そして、ヘルパー(日本語:家政婦)に 尋ねられましたので、タクシーの運転手に伝える 帰宅の目印を教えました。それから、タクシーを見送りました。それで、やはり 一人になりましたが、神社に参拝致しました。(後略)」と記させて頂きました。本日は、お見舞いする前に、まず この 神社に参拝致しました。
さて、去る3月15日(水)の「親の受診に付き添っていること・45(市内の某・公立Hp.の循環器内科)」のブログの上段に、
「(前略)去る 昨年の3月10日(木)の『親の受診に付き添っていること・31(市内の某・公立Hp.の循環器内科)』のブログの上段に、
『(前略)受診は午後からであり、同・公立Hp. 迄は、最寄りの駅から離れているので、自転車で 駆け付けました。去る 昨年の3月18日(水)の【親の受診に付き添っていること・10(市内の某・公立Hp.の循環器内科)】のブログ の上段に、【(前略)途中、自転車の後輪がパンクしましたが、時間的なことを考慮致しますと歩いて自転車を押す訳にもいかず、後輪に負担が 掛かると思い乍らも、そのまま ゆっくりのスピードで進みました。ギリギリ受診予約時間の35分前に到着しました。(後略)】と記させて頂きました。前述の 昨年の3月17日(火)の この教訓もあり、去る3月6日(日)の【自転車修理】のブログに記させて頂きましたように、自転車の前輪を交換しました。それで、今回は 受診予約時間の50分前に到着致しました。母親は自宅から タクシーで来ますので、前日に打ち合わせをしていて、誠に有り難いことに、同・公立Hp.で合流することが出来ました。(後略)』と記させて頂きました。それで、この教訓もあり、前日に 自転車の点検をしました。(後略)」と記させて頂きました。本日も、入院先である この同・公立Hp. 迄は、約40分 掛けて 自転車で 駆け付けました。
ならびに、二人の叔母(3女 と 4女)が 自宅に来る とのことでした。それで、先に 自転車で戻って 待っていることになりました。 因 みに、二人の叔母(3女 と 4女) と 姉は、初めから 喫茶店に行く予定でした。そして、その後 姉は 帰宅して、二人の叔母(3女 と 4女)が 1時間後に タクシーで見えました。なお、叔母(3女)によりますと、遅 くなった とのことでした。
ときに、急なことでしたので、取り 敢 えず 自宅にあるものを用意しました。 因 みに、フルーツ・チョコレート、乳酸菌飲料 そして 蜜柑などを召し上がって頂きました。なお、足代と致しまして、二人の叔母(3女 と 4女)に 金1万円ずつを 手渡しました。序で乍ら、叔母(4女)から タクシーを呼ぶように言われまして、電話連絡致しました。

りんごの100%ジュース、フルーツ・チョコレート、カステラ、乳酸菌飲料 そして 蜜柑など
(義務教育の方々に 美しい日本語を 正しい読み方で 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名ふりがなを付けております)
本日も、最後 迄 お読み頂き、誠にありがとうございました。唯々感謝。(^-^)