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さて、一昨々日 すなわち 2月24日(土)の「三回忌・前編」のブログ、一昨々日 すなわち 2月24日(月)の「三回忌・中編・1」のブログ、一昨々日 すなわち 2月24日(月)の「三回忌・中編・2」のブログ そして 一昨々日 すなわち 2月24日(月)の「三回忌・後編」のブログに記させて頂きました 三回忌で、喪主(父親)の代わりに 挨拶をするように言われましたので、その内容を 下に記させて頂きます。
「(直立して 話しましたので、)高いところから 失禮致します。
御多用であらせられるにもかかわらず、母親の三回忌に 御参列頂きまして 誠に有り難う御座います。喪主(父親)共々 心より 感謝・御禮申し上げます。
晩年の母親は 心臓、肝臓、腎臓、脳の血管、視覚 そして 聴覚が限界迄 きていまして、よく 生きてくれたのだと思われました。また、母親は、旅行が好きで、10年前には 鎌倉に お供させて頂きましたが、一人 旅も していました。
ときに、約3年半前の9月21日(水)に 母親は 尻餅をついて 胸椎の12番目を圧迫骨折しまして 入院し、自宅に 介護ベッドを入れて、当方のことは 整理して 在宅介護に専念しました。やがて、母親は 寝たきり状態になり 満足に話をすることも適わなくなりましたが、生きてくれているだけでも 有り難かったです。どんな状態になっても、生きていて欲しいな と思われました。(去る 一昨年の11月15日(木)の「鰻の蒲焼・190(天ぷら・父親の食事)」のブログのそれぞれ中段やや下に、
「(前略)去る4月29日(日)の『昭和の日(鰻の蒲焼・113[父親の食事])』のブログの中段やや下に、
『(前略)母親には 【生きていて欲しいな。】です。しかも、上記のように 【母親が どんな姿になっても・・・】 です。(後略)』と記させて頂きました。この『母親には 【生きていて欲しいな。】』は、今でも 思われます。しかも、父親も 同様の思いです。(後略)」と記させて頂きました)
「今日は、何が食べたい?」、「少し暖かくなったね」と、誠に有り難いことに、毎日 会話しました。
母親は 蟹、海老、いくら、ウニ、トロの お刺身、鰻 そして 海苔巻が好物であり、これらの何れかを 毎回 沢山 食べてくれました。 因 みに、まぐろのトロの お刺身 や 鰻 を食べることによって、誠に有り難いことに 脳の血管の予防になりました。しかも、すりおろしりんごも食べてくれて 快食 そして 快便であり ヘルパー(英語:helper)(日本語:介護福祉士)による排泄介助も 1日に 2回に増やすところでした。なお、お風呂、東洋医学のマッサージ そして 西洋医学のリハビリテーションも 週に1回ずつ、訪問医師 そして 特に 訪問看護師は 母親が 充分に話せるように 時間を タップリ取って 1時間で 2週間に 1回来ていました。今では、父親が このサービスを受けてくれつつあります。
心ばかりの御恩返しで御座いますが、生前 母親が 自分が亡くなったときには 供えて欲しい と言っていた 海苔巻を初め 母親の好物を揃え、自分が亡くなったときには 流して欲しいと話していた エーデルワイスの曲を流させて頂いております。
ときに、7年前 母親は R.A.(英語:rheumatoid arthritis)(negativeで御座いますし、お読み下さっている方々に 影響を お与えすることの無いように 日本語で綴ることを控えさせて頂きましたが、以前 それではわからない と指摘を頂きましたので、日本語も併記させて頂きます。 関節リウマチのことで御座います。以下、英語で R.A.と示させて頂きます)も 患いまして、膠原内科医に 4年間 付き添いました。不思議な因縁ですが、研修医として 最初の受け持ちが R.A.の患者さんでした。そのことを 今回 三回忌を迎えるにあたり 上梓させて頂きました。(このことは、去る1月24日(金)の「製本・委託」のブログ そして 去る2月12日(水)の「笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤ 小乗から 大乗へ・前編」のブログなどに記させて頂きました)
本にしたら いいということは、誠に有り難いことに、訪問看護師 や 姉から勧められていました。
古今東西の医者を 見ても、最初は まず 自ら 安全性を試す医者が 居ます。それで、自ら 菜食を始めました。母親に理解を得まして 約30年間 試し 安全性を確認しました。家族 3人4脚で 成し得たことであると思わせて頂いております。誠に有り難いことに、約2週間前に 姉から 大勢 見えることになった と伺いましたので、急遽 不眠不休で こちらに 会場設営(当初の場所を 変更しました)をすると共に 本を急いで 間に合わせるように努めました。菜食に御理解を頂いた家族 そして 皆々様に この機会に 心より 感謝・御禮申し上げます。
ところで、父親から 「ママ。何で 死んじゃったの」と 毎日のように 言われます。この医学面での答えの一つを 半年前 すなわち 昨年の9月に、誠に有り難いことに、姉が 教えてくれました。循環器内科医から 処方された 降圧剤の副作用が認められて 有無を言わさず 母親は 心臓ペースメーカーを導入されましたので、母親の最期は 心臓と思っていました。(この経緯につきましては、去る 6年前の10月8日(水)の「親の受診に付き添っていること・1(循環器内科医[女医])」のブログなどに記させて頂きました)母親は 愛のある人でしたから、心臓とは とても思えませんでした。母親の名誉の為に 敢えて申します。すなわち、姉によりますと、担当医から 院内での誤嚥性肺炎と言われたとのことでした。
ならびに、スピリチュアルな面での答えの一つとして、母親は 当家の誰よりも 先に 現世の修行が終わったのであると思われました。および、(介護福祉士の方[非常勤] や 産土の神社の地域の氏子会役員から) 母親が 亡くなったときの年齢を訊かれて 数えで 88歳と答えますと、まだ 若いと言われます。但し、母親は この世の勉強を 早く 卒業したのでありましょう。ここに 生前 母親が書いた 膨大な般若心経の一部があります。(このことは 一昨々日 すなわち 2月24日(月)の「三回忌・後編」のブログの中段に記させて頂きました)更に、生前 母親が描いた 仏画を置かせて頂きました。 因 みに、母親から委託されて、毎回 仏画教室には、車で 送りました。
最期の頃、母親は、お母さん と言っていました。前述致しましたように 身體は ボロボロになっていましたが、その肉體を脱いで 霊魂 そして 仏になられて 肉體の苦しみから脱して お浄土 すなわち お祖母ちゃん(母親の 実の お母さん)のところに往ってくれていると信じています。母親の夢を よく 見るのですが、夢の中では 必ず 母親は、生きているのですね。今日 お越し下さった 御縁の深い 皆々様の心の中にも、生きていると思います。
因 みに、昨年の一周忌の前年の12月22日は お祖母ちゃん(母親の 実の お母さん)の43回忌の祥月命日であり、今年の4月24日は お祖母ちゃん(母親の 義理の お母さん。すなわち、父親の 実の お母さん)の37回忌の祥月命日でもあります。生前の母親と 二人で 永代供養を申し込んでいて、先日 お布施を送らせて頂きました。なお、母親のことも お祖母ちゃんたちと同じところで 永代供養致しております。御冥福を 心より お祈り申し上げます。本日は、誠に有り難う御座いました。」
以上で御座います。なお、誠に有り難いことに、父親によりますと とても 素晴らしい話だった、とのことを繰り返し 言ってくれました。
ときに、一昨々日 すなわち 2月24日(月)の「三回忌・後編」のブログの中段に、
「(前略)今回の 三回忌でも、上記のように 母親の遺言通り、下の画像のように 母親の好物の海苔巻を 初め 母親の好物を揃え、お供え致しました。更に、上記のように エーデルワイスの曲を流す準備をしました。

母親の遺言通り 九度 お供えした 好物の海苔巻
(後略)」と記させて頂きました。

エーデルワイスの曲が収録されているC.D.
ところで、去る 昨年の2月24日(日)の「母親の一周忌の挨拶」のブログの下段に、
「(前略)姉によりますと、以前 某・寺院の住職の告別式に参列したが、参列したことに対する 感謝の一言の言葉も なかった とのことでした。なお、このことを伺いまして、感謝の挨拶の重要性を痛感しました。(後略)」と記させて頂きました。
(義務教育の方々に 美しい日本語を 正しい読み方で 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名を付けております)
本日も、最後 迄 お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)