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さて、去る 5年前の1月19日(火)の「本の進呈・続報33・後編(シンクロニシティ)」のブログの中段やや下に、
「(前略)去る 昨年の11月27日(金)の【大祓の形身代・続報9】のブログの下段やや上に、
【(前略)本日の午前10時に 上記の 産土の神社の地域の氏子会役員が来る予定になっていました。それで、渡された 大祓の申込書を 奉納金 千円を添えて 手渡そうと用意していました。ところが、食事もしないで 待っていましたが、来ませんでした。それで、このようなときには 得てして このようなことがあると 家政婦に話したことであります。すなわち、去る 一昨々年の11月30日(木)の〖庭木の剪定・2(両親の食事)〗のブログの中段やや下に、
〖(前略)昨日 いきなり 母親の知人が来ました。因みに、この方の義理の息子(娘の婿)が 大宮にある 埼玉栄中学校・高等学校で働いている とのことでした。なお、この方(義理の息子)とは、小学校3・4年生のときに 同級生でした。この方(義理の息子)は、小学校 そして 中学校の同窓の女性と 20歳のときに 再開して 結婚したとのことでした。勿論、同窓ですので、この女性のことも 知っています。序で乍ら、この母親の知人によりますと、その方(義理の息子)の母親が ボケてしまっている とのことでした。ならびに、この後 見舞い品を持たずに 一橋Hp.(hospital[ホスピタル]の略です。日本語では、病院のことです。以下、Hp.と示させて頂きます)に お見舞いに行く とのことでした。(後略)〗と記させて頂きました。つまり、上記の 産土の神社の地域の氏子会役員の代わりに、久しぶりに その 母親の知人である 近所の人が、歯医者帰りとのことで 当家に立ち寄りました。この人によりますと、檀那が 8年前に 亡くなったとのことでした。また、嫁が 若いのに D.M.(拉語/独語/英語:diabetes mellitus)(ネガティブ[英語:negative]で 御座いますし、お読み下さっている 方々に影響を お与えすることの無いように、日本語で 綴ることを控えさせて頂きましたが、以前、それではわからない、と指摘を頂きましたので、日本語も併記させて頂きます。小さく記させて頂きます。 糖尿病 のことで御座います)とのことでした。しかも、上記の義理の息子が、小平第15小学校の前に、家を建てたとのことでした。そのうえ、その 母親の知人である 近所の人によりますと、父親は 母親に 自分よりも 先に逝かないで と言っていた とのことでした。それで、感謝の印として 上記の 自然の甘さの 人参が含まれた りんご🍎の100%ジュースなどを それぞれ 三人分 あげました。それで、その 母親の知人である 近所の人によりますと、寒いから帰るとのことでした。

感謝の印として 袋に詰めて あげた りんご🍎の100%ジュース そして 飲み物(乳酸菌飲料)など それぞれ 三人分
(後略)】と記させて頂きました。その 母親の知人である 近所の人にも、上記と同様に 書状を添えて 本を進呈しました。 因みに、いつものように 速達で 郵送しました。なお、この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 朝になりました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)』と記させて頂きました。そして、昨日の午後2時28分に、その 母親の知人である 近所の人に、上記の成書が届きました。すると、本日の午後2時42分 と 同・3時11分に、この方から 留守番電話に 電話が入りました。それで、誠に有り難いことに、素晴らしいとのことでありました。しかも、誠に有り難いことに、振り仮名が付けられていて、とても いいとのことでした。なお、この振り仮名も 全てに付けた訳では なくて、しっかり 考えて 振りました。そして、その 母親の知人である 近所の人によりますと、途中迄 読んだ とのことでした。それから、誠に有り難いことに、息子も 読みたいと言っているとのことでした。因みに、本日 すなわち 1月19日(火)の『訪問看護(父親)・67・中編・1』のブログの下段に、
『(前略)去る 7年前の10月16日(木) の【身土不二(今日のおかず)】のブログの中段やや上に、
【(前略)小松菜は、東京都江戸川区小松川周辺が原産地です。(後略)】と記させて頂きました。その訪問看護師の方に、この身土不二の話をしました。すると、この訪問看護師の方によりますと、小松菜は 【江戸菜と言いますからね。】とのことでした。正しく その通りなのであります。(後略)』と記させて頂きました。その 母親の知人である 近所の人によりますと、上記のように その訪問看護師の方と話したばかりの 江戸川区小松川の住所の方に、その成書を あげたいとのことでした。それで、住所を知らされて 無償で この成書を進呈することになりました。その 母親の知人である 近所の人によりますと、この江戸川区東小松川 在住の方は 84歳であり、昭和54年10月6日に 知り合ったとのことでした。そして、大工の棟梁をしていたが、保証人で 引っ掛かって、現在は 月々 5万5千円の年金生活とのことでした。すなわち、お金が ない人のことでした。更に、携帯電話を持っていない人とのことでした。しかも、前立腺がんとのことでした。そのうえ、この江戸川区東小松川 在住の方は、某・宗教団体の練成会に 45日間 参加したとのことでした。おまけに、肉を食べない人とのことでした。なお、その 母親の知人である 近所の人によりますと、自分は 鶏肉を食べるとのことでした。
ならびに、その 母親の知人である 近所の人によりますと、自分は 中学校迄 しか 卒業していないとのことでした。そして、夫は亡くなったとのことでした。それから、今日は、風が強いので 外出 出来ないとのことでした。
および、この方が、昭和63年頃 姉が 悪性リンパ腫になったときのことを言及しました。このときは、当方が 母校の助教授を通して 紹介状を用意致し、姉は 東京女子医大に入院しました。因みにその 母親の知人である 近所の人によりますと、このときに その江戸川区東小松川 在住の方から 姉の祖母 と 息子が 障っていると伝えられたとのことでした。
また、その 母親の知人である 近所の人によりますと、父親と 当家の事務所で 約1時間 話したことがあるとのことでした。
しかも、上記のように、その 母親の知人である 近所の人の義理の息子(娘の婿)とは 小学校3・4年生のときに 同級生でした。因みに、上記のように、その 母親の知人である 近所の人の娘は、20歳のときに 再開して この方の義理の息子(娘の婿)となる 同級生と結婚します。その結婚式のときに、小学校3・4年生のときの担任が スピーチをしたとのことなのであります。なお、この担任は 生涯 独身でした。
そのうえ、その 母親の知人である 近所の人によりますと、現在は 廃業した 近所のスーパーマーケットで 商売をしていたとのことでした。因みに、この方の知り合いは、このスーパーマーケットで 魚屋を営んでいたとのことでした。
しかして、その 母親の知人である 近所の人によりますと、自分は 暇とのことでした。
加うるに、その 母親の知人である 近所の人によりますと、母親は 受験で 祈願して、神社に鳥居を贈ると言っていたとのことでした。それから、調理が たいへんとのことでした。
のみならず、その 母親の知人である 近所の人によりますと、孫娘は 出版関係に勤務しているとのことでした。因みに、この孫娘は 自分の本を出したかったが、まだ 出していないとのことでした。
おまけに、去る 昨年の2月21日(金)の『新型コロナ・ウイルス』のブログ と 去る 昨年の5月6日(水)の『新型コロナ・ウイルス・続報』のブログなどに、武漢ウイルスのことを記させて頂きました。そして、その 母親の知人である 近所の人が、この武漢ウイルスのことを言及していました。
そうして、去る 7年前の11月10日(月)の『らっきょう(昨日のおかず)』のブログの冒頭に、
『(前略)昨日一日のおかず(菜食)は、
まず、らっきょうです。(^O^)
去る10月9日(木)の【笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤小乗から大乗へ】のブログ と 去る10月28日(火)の【スイス(海外のこと)】のブログ で言及した、母校(大学)の菜食の生前の後輩と、らっきょうの話しをしました。約29年前の話しで御座います。
すなわち、
らっきょうは精神文明を発展させる為に、神が東洋人に与えた食べ物であり、一方、このらっきょう と形態が似ている ニンニクは物質文化を発達させる為に、西洋人に与えられた食べ物であるとのことで御座います。(後略)』と記させて頂きました。その 母親の知人である 近所の人によりますと、兄は 94歳5ヶ月であり、玄米食であり ニンニクを食べているとのことでした。それで、上記のように 当方は ニンニクではなく らっきょうであることを伝えました。
そして、通話で 45分以上の時間が 掛かりました。(後略)」と記させて頂きました。
また、5年前の2月23日(火)の「本の進呈・続報39・後編(シンクロニシティ)」のブログの中段やや下に、
「(前略)去る2月3日(水)の『本の進呈・続報38・後編(シンクロニシティ)』のブログの中段やや下に、
『(前略)一昨日 すなわち 2月1日(月)の【本の進呈・続報37・後編(シンクロニシティ)】のブログの下段に、
【(前略)昨日 1月31日(日) 〖本の進呈・続報36・後編(シンクロニシティ)〗のブログの下段に、
〖(前略)去る1月21日(木)の〔本の進呈・続報35・後編(シンクロニシティ)〕のブログの下段に、
〔(前略)昨日 すなわち 1月20日(水)の〘本の進呈・続報34・後編(シンクロニシティ)〙のブログの下段に、
〘(前略)上記のように その 母親の知人である 近所の人から 江戸川区東小松川 在住の方の住所を知らされて、無償で 上記と同様に 書状を添えて その成書を進呈しました。しかも、その 母親の知人である 近所の人から 言われた 他の人も含めて 三人に送りました。因みに、いつものように 速達で 郵送しました。なお、この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 朝になりました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)〙と記させて頂きました。その 母親の知人である 近所の人から 言われた 他の人も含めて 更に 三人に送りました。因みに、いつものように 速達で 郵送しました。なお、この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 朝になりました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)〕と記させて頂きました。更に、前述致しましたように その 母親の知人である 近所の人に関係のある 一人にも、無償で 上記と同様に 書状を添えて その成書を進呈しました。因みに、いつものように 速達で 郵送しました。なお、この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 朝になりました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈すべく 用意した 成書
(後略)〗と記させて頂きました。そして、本日、誠に有り難いことに、上記のように 成書を進呈した方から お礼の葉書が届きました。すなわち、
〖この度は、大変 素晴らしい ご本を お送り頂きまして、誠に ありがとうございます。
これから 改めて 今一度 じっくり 拝見させていただきたいと思っております。ありがとうございました。〗以上であります。それで、早速 特定記録郵便で 感謝の便りを返信しました。(後略)】と記させて頂きました。それから、本日、誠に有り難いことに、上記のように 成書を進呈した 別の方から お礼の葉書が届きました。すなわち、
【令和三年も 早や 一ヶ月 過ぎました。寒い日も 初雪もありましたが、庭の草花 水仙、クロカッス等 芽を出し 春近しの気配で教えてくれています。
先日は 貴重な論文、立派な ご本、お手紙を お送りいただき 誠にありがとうございました。何度も読ませていただきました。とても参考になりますし、勉強させていただきます。
お母様の焼き葱での保温の お話、私も 小さい頃 してもらった事思い出しました。(この〖焼き葱〗の話は、去る 昨年の2月12日(水)の〖笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤小乗から 大乗へ・中編〗のブログの上段に、
〖(前略)同・看護大学生からは、葱を頸に巻くと聞かされました。小学生のとき、母親から 一度だけ試されたことがあります。焼き葱なので、咽喉頭部の保温、更に 葱(アリシン[硫化アリル][英語: allicin]も含まれます)特有の刺激的な香気は このアリシンと云われる 揮発性の硫化物とのことなので、皮膚 そして 気道からも吸収されて 効果があるのかもしれません。(後略)〗と記させて頂きました。因みに、その方は、この個所を読んで 言及しています)
お母様は 平成29年3月まで 自宅での会に出席され お元気でした。お一人旅に よく出かけられて 京都や出雲大社に行かれた時の お話(〖聴〗であると思われます)きした事 ありました。ご姉妹 仲良く 講習会には 皆さん 参加され 会場で よく お目にかかった事 昨日のように 思い出されます。我家での会も コロナの件で 去年の二月の会が 最後で 休会が一年になりました。
ケイタイも スマホにして 始(〖初〗でありますね)めて 聞く言葉や馴れない事ばかりで 皆に聞きながら やっています。
教化部(この方は、某・宗教団体に所属していまして、その施設のことですね)でのライブ配信での講話や練成会等 視聴しています。家に 居て 真理の お話をお聞き出来るのでありがたいです。
暦の上では 立春ですが、まだ まだ寒い日があるでしょう。お父様もお元気の事と思います。どうぞ 呉々も お身体お気をつけて お過ごし下さいませ。
乱筆乱文にて失礼します。】以上であります。それで、早速 速達の特定記録郵便で 感謝の便りを返信しました。(後略)』と記させて頂きました。そして、本日も、誠に有り難いことに、上記のように 成書を進呈した方から お礼の便りが届きました。すなわち、
『先日は、【笑い と 菜食療法、、、】を送って頂きまして 有り難うございます。30年以上も 菜食を続けていらっしゃること、患者様の症状が ご自分にも 現れること、に驚きました。装飾も 綺麗で 品が有り、お洒落です。貴重な御本を 有り難うございました。どうぞ これからも お元気で ご活躍されますように お祈り申し上げます。』以上であります。それで、早速 特定記録郵便で 感謝の便りを返信しました。(後略)」と記させていただきました。
ときに、前述いたしましたのは、約5年前の冬のことであります。因みに、本日の10時半頃 新家から 旧家へ 重たい鍋を 二 つ 持って 移動しているときに、去る 12年前の10月8日(水)の「親の受診に付き添っていること・1(循環器内科医[女医])」のブログ そして 去る 12年前の11月9日(日)の「親の受診に付き添っていること 親の受診に付き添っていること ・2(循環器内科医[女医])」のブログのそれぞれ 共に中段やや上、更に、去る 11年前の2月23日(月)の「天皇陛下行幸の君恩に浴して」のブログの中段などに記させていただきました 某・ボランティア(英語:volunteer)のサークル(英語:circle)の関係の 上記の 母親の知人である 近所の人が、当家の前の歩道を 右から 左に通りました。それで、誠に有り難いことに、「枝久保(まさ子)です。」と 声を掛けられて 挨拶をなされました。すなわち、前述いたしましたように、約5年ぶりのことであります。恐らく その間 何度も その母親の知人である 近所の人は 当家の前を通ったでありましょうが、本日は 誠に有り難いことに、偶々 出会ったのであります。そこで、歯科医に行く途中であるとの旨でありました。それで、前述いたしましたように、約5年前に その母親の知人である 近所の人に 速達で 成書を進呈しました。すると、江戸川区小松川の住所の方にも、その成書を あげたいとのことでした。それで、住所を知らされて 無償で この成書を進呈することになりました。しかも、その江戸川区小松川の住所の方に 成書を進呈したことを その母親の知人である 近所の人にも 速達で 報告しました。そのことを 今回 初めて 口頭で伝えました。
ならびに、その母親の知人である 近所の人が、去る 12年前の10月8日(水)の「親の受診に付き添っていること・1(循環器内科医[女医])」のブログ そして 去る 12年前の11月9日(日)の「親の受診に付き添っていること 親の受診に付き添っていること ・2(循環器内科医[女医])」のブログのそれぞれ 共に中段やや上、更に、去る 11年前の2月23日(月)の「天皇陛下行幸の君恩に浴して」のブログの中段などに記させていただきました 某・ボランティア(英語:volunteer)の サークル(英語:circle)に 入ったのは 昭和34年とのことでありました。それで、当家も 昭和34年であります。すなわち、去る 昨年の8月9日(土)の「突然の電話連絡・続報」のブログの下段に、
「(前略)簡単に言っちゃうと実はね、うち商売やってましてね、それでね、本部講師の人が 買い物に来たのですよ。で、それでどういうことかっていうと、もともと実はね、日立のね、実はね、栄える会の全国の会頭の阿部洋大という方がいて、そこに母親が誌友会で行ってたのだけれど、その関係で本部講師の人がね、亡くなりましたけど、その人が家に買い物に来て、それでね、結局母親が、その本部講師の人が結局買い物して引っ越しするっていうんでね、母親が注文を受けたものを届けたんですね。そうしたら、本部講師の人は何か悩み事がありませんかって訊くじゃないですか。そういう感じで訊いたんですね。それで母親が姉と僕と八歳 違ってて、結局子供はいないって言うんでね。結局相談して日々読誦三十経章というのを読みなさいって言われて1ヶ月で生まれたのが僕ですよね。それが生まれながらにして実は生長の家になったから。実はね、62歳までずっとね生長の家だったんですけどね。だから、まあ生長の家には本当縁が深かったんだよね。本当ね梨木さんと一緒で梨木さんも生まれた時からずっとでしょ。同じなんですよ。梨木さんと同じ、同じくずっと生まれた時から生長の家になって(後略)」記させていただきました。つまり、去る 11年前の11月5日(木)の「法人マイ・ナンバー」のブログの上段に、両親は 約8年前(現在からですと、19年前)に 商売を廃業した と記させていただきました。因みに、その昭和34年当時 両親は 商売を営んでいました。それで、某・ボランティア(英語:volunteer)の サークル(英語:circle)の「萩野 互山」という 本部講師が 当家に買い物に来ました。そこで、母親が 誌友会に通っていた「阿部 洋大」という 日立製作所の重役の奥方から 今度 その本部講師が 近くに 引っ越してきて いろいろ 揃えるから 割引してやってと言われていたのであります。それで、母親は 買い物をした その本部講師の家に配達に伺ったのであります。すると、その本部講師から 悩み事は 何か ないですかという 特有の質問を受けたのであります。そこで、当方は 姉と8歳 違いますが、母親は 子供が 欲しいのですと 答えるのであります。それで、その本部講師から 「日々読誦三十経章」と「幸せの結婚」という本を読むように言われたのであります。そこで、「日々読誦三十経章」を 読んで 1ヶ月で生まれたのが 当方なのであります。だから、生まれ乍らにして 関わりがあることを伝えました。それで、去る 12年前の10月8日(水)の「親の受診に付き添っていること・1(循環器内科医[女医])」のブログ そして 去る 12年前の11月9日(日)の「親の受診に付き添っていること 親の受診に付き添っていること ・2(循環器内科医[女医])」のブログのそれぞれ 共に中段やや上、更に、去る 11年前の2月23日(月)の「天皇陛下行幸の君恩に浴して」のブログの中段などに記させていただきました 某・ボランティア(英語:volunteer)の サークル(英語:circle)の関係の 前述いたしました 河口湖練成道場に 参加するように 母親から言われました。それで、当初の 2会は 独りで 参加しましたが、3回目からは 友人 2名を連れて 参加しました。すると、その母親の知人である 近所の人の「枝久保 静江」という娘も、友人を連れて 参加していました。因みに、去る 一昨年の12月9日(月)の「夢について・続報587・シンクロニシティ」のブログの中段に、
「(前略)その河口湖の道場で、誠に有り難いことに 『楠本 加美野』という長老が 居ました。因みに、父親と同様に 2年前の春に 亡くなっているのであります。それで、その道場に居て、2年前の春に 亡くなった 長老のことを思い出すのであります。(後略)」記させていただきました。すなわち、「谷口 雅春」という創始者が 四名を挙げていました。つまり、その「楠本 加美野」、「徳久 克己」、「鹿沼 景揚」 そして 「吉田 武利」という 四氏であります。要するに、4年前のことになります。取りも直さず、その河口湖練成道場を建設することに 尽力したのは、 「磯村 得弥」という 新宿で 自動車教習所を経営していて 倒産して 奉職した 本部講師であります。その後、「鹿沼 景揚」という 東京学芸大学の教授が その河口湖練成道場の総務になりました。なお、平成3年の冬 すなわち 2月の 一番 寒いときに、その河口湖練成道場の練成会に 10日間 参加しました。序で乍ら、その参加証も持っております。

河口湖練成道場の練成会の参加証

河口湖練成道場の練成会の参加証(非連続になっていますが、日付は続いていて 確かに 丸 10日間 参加しています。因 みに、河口湖の湖畔近くの洋品店で 靴下を買いに行ったのと、大学の第2生化学教室の主任教授から 委託されて 東京大学の颯田医学会に参加する目的でありました。なお、上記の 「鹿沼景揚」の「鹿沼」という 印鑑が 捺印されております
および、その「楠本 加美野」という練成部長は、その後 宇治別格本山の総務に昇格します。因みに、親孝行の話が十八番であります。すると、その 母親の知人である 近所の人によりますと、「徳久 克己」氏のテープを入手したいとのことでありました。それで、そのテープは 本部が 普及しないようにしていると答えました。なお、愛知県の「しろた」という中年女性によりますと、今のトップは 祖父の 創始者である「谷口 雅春」氏の著書である 「古事記と現代の預言」も絶版にしたとのことであります。すなわち、自分の祖父の約400冊の著書ですらも 絶版にするくらいでありますから、まして 他人の著書やテープは絶版にするだろうとの話になりました。序で乍ら、その「徳久 克己」氏の話でありましたら インターネットで 視聴できますので、娘さんか 義理の息子さんに 見せてもらったらいいと アドバイスをしました。因みに、本日 すなわち 5月27日の「菜食のおかず・1682(トマト煮)」のブログの下段に、
「(前略)去る 6年前の2月12日(水)の『笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤ 小乗から 大乗へ・前編』のブログ、去る 6年前の2月12日(水)の『笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤小乗から 大乗へ・中編』のブログ そして 去る 6年前の2月12日(水)の『笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤小乗から大乗へ・後編』のブログ、それから、当初の 前述の 去る 12年前の10月9日(木)の『笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤ 小乗 から 大乗 へ』のブログ そして 去る 10年前の1月12日(火)の『笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤ 小乗 から 大乗 へ ・続報』のブログ に記させて頂きました過程があり、誠に有り難いことに、母親の理解を得て、菜食にさせて頂いております。(後略)」記させていただきました。なお、前述いたしましたように、孫娘は 出版関係に勤務しているとのことでありました。それで、約5年前でありますが、誠に有り難いことに、前述いたしました 「笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤ 小乗から 大乗へ」の本を出版してくれるとのことでありました。
話を戻しましが、その「谷口 雅春」氏は、信徒から 信徒数が減少しますと言われても、皇国史観を守りました。ところが、今のトップは 天皇陛下のことを 全然 言及しません。因みに、去る 4年前の7月2日(土)の「靖國神社崇敬奉賛会・続報3(英霊の『祭神之記』)」のブログを記させていただきました。すなわち、約 39年間 地方講師を拝命していましたが、皇国史観を守る目的で 宗教では 靖國神社崇敬奉賛会を第一に考えることにしたことを話しました。なお、同じ市に住んでいる 安藤さんも 靖國神社崇敬奉賛会に移ったことを話しました。序で乍ら、去る 11年前の11月14日(土)の「満州のこと」のブログの中段やや上に、
「(前略)去る1月30日(金)の『永代神楽祭』のブログ の上段に、
『(前略)伯父は満州に暫く居た・・・(後略)』と記させて頂きました。伯父に導かれて、満州である ここ 瀋陽に行くことになったのかもしれません。満州に来たことは 使命であると思われましたので、前述のように、『親から日本語を教えられたとのことでした。日本人からでなく、親からであります。満州で 日本人が 中国人から言われている それ相当なことをしているのであれば、そのような民族の言語は、親が子供に教えないと思われました。』と記させて頂きました。(後略)」と記させていただきました。つまり、伯父が 靖國神社に 祀 られていて 祥月 命日(御承知のように、一周忌以後の当月の命日のことです)が 1月29日なので、毎年 この 祥月 命日の日には 謹んで に参加していると話しました。すると、その 母親の知人である 近所の人によりますと、自分の兄も 靖國神社に 祀 られているとのことでありました。但し、その兄は 赤紙で招集されたのではなくて、自ら 志願したとのことでありました。それで、満州に居たとのことでありました。そこで、満州に居たのは 伯父と同じであると話しました。それで、日本人にとって 満州は 過酷な場所であるとの話になりました。
また、前述いたしましたように この方の「坂井 信博」という義理の息子(娘の婿)が 大宮にある 埼玉栄中学校・高等学校で働いている とのことでしたが、退職して 家で ぶらぶら しているとのことでありました。
加うるに、去る 一昨々日の1月9日(月)の「小学校中学年の担任のこと」のブログの下段に、
「(前略)その担任の苗字は、『䁀(【鼎】の異体字)』でありました。因 みに、小学校の卒業アルバムには、何故か 教師の苗字のみであり 名前は記載されていませんでした。なお、上記から 更 に 約39年が 経過していますので、生きておられますかどうか 分かりませんね。序で乍ら、その小学校の卒業写真を見ましたら、その担任は笑っていました。(後略)」と記させていただきました。要するに、その小学校3・4年生の 担任の「䁀」という教師が、4月の1学期の始業式のときに、その「坂井 信博」という生徒が入ってきてくれて 本当に嬉しいと話していたことを伝えました。すると、その 母親の知人である 近所の人によりますと、よく覚えているね とのことでありました。それで、その「坂井 信博」という義理の息子は 自宅の近くで 放課後 皆を集めて 野球をしたことを話しました。
更に、去る 一昨々年の6月12日(月)の「誕生日(令和5年)」のブログの上段に、
「(前略)本日は、誠に有り難いことに 当方の誕生日であります。因 みに、小学校4年生 すなわち 10歳になったときの誕生日のことであります。なお、教室には 坂井 信博ボスが居て そのボスを中心にして、放課後に 男子たちは そのボスの自宅の近くの空き地で 草野球をしました。序で乍ら、ユニフォームがあった訳ではありませんが、当方の背番号は 25番でありました。因 みに、プロ野球のジャイアンツの背番号 25番(当時)は、相羽 欣厚外野手でありました。
その教室の男子たち 約10数名を 誕生日に招待しました。なお、男子 2名 すなわち 新井俊也君 と 古田康平君を 招待することが出来なかったことは 誠に申し分けなかったと思われました。
すると、誠に有り難いことに、母親が スパゲッティを作ってくれました。但し、後で 母親によりますと、全員に お代わりをされると 足りなくなるので、お代わりして下さいとは 言い出せなかったとのことでありました。序で乍ら、この内容は 家政婦に話しました。
ところで、そのボスからは、誠に有り難いことに、上記のように 緑色のバットを頂きました。因 みに、当時、青バットの大下弘、赤バットの川上哲治として 終戦直後の日本球界を代表する存在であったとの伝説が残っていました。なお、御承知のように、その後、色バットの使用が全面的に禁止になった時期もありました。序で乍ら、誕生日の翌日が 草野球の練習日でありました。因 みに、二 つのチームに分かれて 草野球を行なうのであります。なお、誠に有り難いことに、前日 貰った 緑色のバットを使いました。すると、誠に不思議なことに、初めて ホーム ランを打つことが出来ました。しかも、次の打席では、二塁打でありました。序で乍ら、実力以上の力を発揮出来ることがあるのでありますね。
次に、そのボスから、学級委員を勧められました。しかし乍ら、当時は 学級委員の遣り方が分からず、誠に遺憾なことに 受けることが 適いませんでした。(後略)」と記させて頂きました。取りも直さず、当家にきて 母親が 作った スパゲッティを食べてくれたことを伝えました。因 みに、去る 8年前の3月6日(火)の「母親の転帰」のブログに記させて頂きましたように、母親は 8年前に 亡くなりました。それで、七回忌を終えたことを報告しました。
しかも、その 「枝久保 まさ子」という 母親の知人である 近所の人によりますと、その「枝久保 静江」という娘は 「中村 久子」という老年女性の第3木曜日の誌友会に参加しているとのことでありました。因 みに、5~6人で 行なっているとのことでありました。なお、府中の東京第二教化部から 講師が来るとのことでありました。序で乍ら、その老年女性は 道路拡張で 引っ越しして 老人ホームではなく マンションに住んでいるとのことでありました。
そのうえ、その母親の知人である 近所の人によりますと、歯科医に行くとのことでありました。それで、合掌して 見送りました。
それから、思いついて 自転車で 追いかけて、いつものように 説明を しっかりして いつもの 下の画像のりんご
の100%ジュースを 資料を添えて 説明して あげました。すると、誠に有り難いことに、その 母親の知人である 近所の人によりますと、追っかけてきてくれたのね とのことでありました。それで、生前の母親も 好んで 飲んでいたことを話しました。

感謝の印として 上記のように 直接 青森から取り寄せた りんご
の100%ジュースを それぞれ 三人分

感謝の印として 持ち帰り易いように 袋に詰めて その母親の知人である 近所の人に 手渡した お土産 それぞれ 三人分
しかして、母親の知人である 近所の人と 別れて 直ぐに このブログの作成に取り掛からせていただきまして、10時間以上を必要としました。
(義務教育の方々に 美しい日本語を 正しい読み方で 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名を付けております。因みに、美しい日本語の平仮名を大事にしたい という思いもあります)
本日も、最後 迄 お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)
