母親の知人である 近所の人

 このブログ(英語:blog)に御訪問頂き、誠にありがとうございます。

 リンクを らせて頂いております。紫色のブログ・タイトルをクリック(英語:click)(もしくは タップ[英語:tap])して頂きますと、過去のブログ記事に移行します。(^O^)

 

 さて、去る 5年前の1月19日(火)の「本の進呈・続報33・後編(シンクロニシティ)」のブログの中段やや下に、

「(前略)去る 昨年の11月27日(金)の【大祓おおはらい形身代かたみしろ・続報9】のブログの下段やや上に、

【(前略)本日の午前10時に 上記の 産土うぶすなの神社の地域の氏子会役員が来る予定になっていました。それで、渡された 大祓おおはらいの申込書を 奉納金 千円を添えて 手渡そうと用意していました。ところが、食事もしないで 待っていましたが、来ませんでした。それで、このようなときには てして このようなことがあると 家政婦に話したことであります。すなわち、去る 一昨々年さきおととしの11月30日(木)の〖庭木の剪定せんてい・2(両親の食事)〗のブログの中段やや下に、

〖(前略)昨日 いきなり 母親の知人が来ました。ちなみに、このかたの義理の息子(娘の婿)が 大宮にある 埼玉栄中学校・高等学校で働いている とのことでした。なお、このかた(義理の息子)とは、小学校3・4年生のときに 同級生でした。このかた(義理の息子)は、小学校 そして 中学校の同窓の女性と 20歳のときに 再開して 結婚したとのことでした。勿論もちろん、同窓ですので、この女性のことも 知っています。ついながら、この母親の知人によりますと、そのかた(義理の息子)の母親が ボケてしまっている とのことでした。ならびに、このあと 見舞い品を持たずに 一橋Hp.(hospital[ホスピタル]の略です。日本語では、病院のことです。以下、Hp.と示させて頂きます)に お見舞いに行く とのことでした。(後略)〗と記させて頂きました。つまり、上記の 産土うぶすなの神社の地域の氏子会役員の代わりに、ひさしぶりに その 母親の知人である 近所の人が、歯医者帰りとのことで 当家に立ち寄りました。この人によりますと、檀那が 8年前に 亡くなったとのことでした。また、嫁が 若いのに D.M.(ラテン語/ドイツ語/英語:diabetes mellitus)(ネガティブ[英語:negative]で 御座ございますし、お読み下さっている 方々かたがたに影響を お与えすることの無いように、日本語で つづることを控えさせて頂きましたが、以前、それではわからない、と指摘を頂きましたので、日本語も併記させて頂きます。小さく記させて頂きます。 糖尿病 のことで御座ございます)とのことでした。しかも、上記の義理の息子が、小平第15小学校の前に、家を建てたとのことでした。そのうえ、その 母親の知人である 近所の人によりますと、父親は 母親に 自分よりも さきかないで と言っていた とのことでした。それで、感謝の印として 上記の 自然の甘さの 人参にんじんが含まれた りんご🍎の100%ジュースなどを それぞれ 三人さんにん分 あげました。それで、その 母親の知人である 近所の人によりますと、寒いから帰るとのことでした。

 

感謝の印として 袋に詰めて あげた りんご🍎の100%ジュース そして 飲み物(乳酸菌飲料)など それぞれ 三人さんにん

 

 

(後略)】と記させて頂きました。その 母親の知人である 近所の人にも、上記と同様に 書状を添えて 本を進呈しました。 ちなみに、いつものように 速達で 郵送しました。なお、この作業が 朝まで かりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 朝になりました。

 

上記と同様に 一筆いっぴつ入れて 進呈すべく 用意した 成書

 

上記と同様に 一筆いっぴつ入れて 進呈すべく 用意した 成書

 

 

(後略)』と記させて頂きました。そして、昨日の午後2時28分に、その 母親の知人である 近所の人に、上記の成書が届きました。すると、本日の午後2時42分 と 同・3時11分に、このかたから 留守番電話に 電話が入りました。それで、誠に有り難いことに、素晴らしいとのことでありました。しかも、誠に有り難いことに、振り仮名がなが付けられていて、とても いいとのことでした。なお、この振り仮名がなすべてに付けたわけでは なくて、しっかり 考えて 振りました。そして、その 母親の知人である 近所の人によりますと、途中まで 読んだ とのことでした。それから、誠に有り難いことに、息子も 読みたいと言っているとのことでした。ちなみに、本日 すなわち 1月19日(火)の『訪問看護(父親)・67・中編・1』のブログの下段に、

『(前略)去る 7年前の10月16日(木) の【身土不二しんどふじ(今日のおかず)】のブログの中段やや上に、

【(前略)小松菜は、東京都江戸川区小松川周辺が原産地です。(後略)】と記させて頂きました。その訪問看護師のかたに、この身土不二しんどふじの話をしました。すると、この訪問看護師のかたによりますと、小松菜は 【江戸菜と言いますからね。】とのことでした。まさしく その通りなのであります。(後略)』と記させて頂きました。その 母親の知人である 近所の人によりますと、上記のように その訪問看護師のかたと話したばかりの 江戸川区小松川の住所のかたに、その成書を あげたいとのことでした。それで、住所を知らされて 無償で この成書を進呈することになりました。その 母親の知人である 近所の人によりますと、この江戸川区東小松川 在住のかたは 84歳であり、昭和54年10月6日に 知り合ったとのことでした。そして、大工の棟梁をしていたが、保証人で 引っかって、現在は 月々 5万5千円の年金生活とのことでした。すなわち、お金が ない人のことでした。さらに、携帯電話を持っていない人とのことでした。しかも、前立腺がんとのことでした。そのうえ、この江戸川区東小松川 在住のかたは、某・宗教団体の練成会に 45日間 参加したとのことでした。おまけに、肉を食べない人とのことでした。なお、その 母親の知人である 近所の人によりますと、自分は 鶏肉とりにくを食べるとのことでした。

 ならびに、その 母親の知人である 近所の人によりますと、自分は 中学校まで しか 卒業していないとのことでした。そして、夫は亡くなったとのことでした。それから、今日は、風が強いので 外出 出来ないとのことでした。

 および、このかたが、昭和63年頃 姉が 悪性リンパ腫になったときのことを言及しました。このときは、当方が 母校の助教授を通して 紹介状を用意致し、姉は 東京女子医大に入院しました。ちなみにその 母親の知人である 近所の人によりますと、このときに その江戸川区東小松川 在住のかたから 姉の祖母 と 息子が さわっていると伝えられたとのことでした。

 また、その 母親の知人である 近所の人によりますと、父親と 当家の事務所で 約1時間 話したことがあるとのことでした。

 しかも、上記のように、その 母親の知人である 近所の人の義理の息子(娘の婿)とは 小学校3・4年生のときに 同級生でした。ちなみに、上記のように、その 母親の知人である 近所の人の娘は、20歳のときに 再開して このかたの義理の息子(娘の婿)となる 同級生と結婚します。その結婚式のときに、小学校3・4年生のときの担任が スピーチをしたとのことなのであります。なお、この担任は 生涯 独身でした。

 そのうえ、その 母親の知人である 近所の人によりますと、現在は 廃業した 近所のスーパーマーケットで 商売をしていたとのことでした。ちなみに、このかたの知り合いは、このスーパーマーケットで 魚屋を営んでいたとのことでした。

 しかして、その 母親の知人である 近所の人によりますと、自分は ひまとのことでした。

 くわうるに、その 母親の知人である 近所の人によりますと、母親は 受験で 祈願して、神社に鳥居を贈ると言っていたとのことでした。それから、調理が たいへんとのことでした。

 のみならず、その 母親の知人である 近所の人によりますと、孫娘は 出版関係に勤務しているとのことでした。ちなみに、この孫娘は 自分の本を出したかったが、まだ 出していないとのことでした。

 おまけに、去る 昨年の2月21日(金)の『新型コロナ・ウイルス』のブログ と 去る 昨年の5月6日(水)の『新型コロナ・ウイルス・続報』のブログなどに、武漢ぶかんウイルスのことを記させて頂きました。そして、その 母親の知人である 近所の人が、この武漢ぶかんウイルスのことを言及していました。

 そうして、去る 7年前の11月10日(月)の『らっきょう(昨日のおかず)』のブログの冒頭に、

『(前略)昨日一日のおかず(菜食)は、

 まず、らっきょうです。(^O^)

 去る10月9日(木)の【笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤小乗しょうじょうから大乗だいじょうへ】のブログ と 去る10月28日(火)の【スイス(海外のこと)】のブログ で言及した、母校(大学)の菜食の生前の後輩と、らっきょうの話しをしました。約29年前の話しで御座ございます。

 すなわち、

 らっきょうは精神文明を発展させるために、神が東洋人に与えた食べ物であり、一方、このらっきょう と形態が似ている ニンニクは物質文化を発達させるために、西洋人に与えられた食べ物であるとのことで御座ございます。(後略)』と記させて頂きました。その 母親の知人である 近所の人によりますと、兄は 94歳5ヶ月であり、玄米食であり ニンニクを食べているとのことでした。それで、上記のように 当方は ニンニクではなく らっきょうであることを伝えました。

 そして、通話で 45分以上の時間が かりました。(後略)」と記させて頂きました。

 また、5年前の2月23日(火)の「本の進呈・続報39・後編(シンクロニシティ)」のブログの中段やや下に、

「(前略)去る2月3日(水)の『本の進呈・続報38・後編(シンクロニシティ)』のブログの中段やや下に、

『(前略)一昨日(おととい) すなわち 2月1日(月)の【本の進呈・続報37・後編(シンクロニシティ)】のブログの下段に、

【(前略)昨日 1月31日(日) 〖本の進呈・続報36・後編(シンクロニシティ)〗のブログの下段に、

〖(前略)去る1月21日(木)の〔本の進呈・続報35・後編(シンクロニシティ)〕のブログの下段に、

〔(前略)昨日 すなわち 1月20日(水)の〘本の進呈・続報34・後編(シンクロニシティ)〙のブログの下段に、

〘(前略)上記のように その 母親の知人である 近所の人から 江戸川区東小松川 在住の(かた)の住所を知らされて、無償で 上記と同様に 書状を添えて その成書を進呈しました。しかも、その 母親の知人である 近所の人から 言われた (ほか)の人も含めて 三人(さんにん)に送りました。(ちな)みに、いつものように 速達で 郵送しました。なお、この作業が 朝(まで) ()かりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 朝になりました。

 

上記と同様に 一筆(いっぴつ)入れて 進呈すべく 用意した 成書

 

上記と同様に 一筆(いっぴつ)入れて 進呈すべく 用意した 成書

 

上記と同様に 一筆(いっぴつ)入れて 進呈すべく 用意した 成書

 

上記と同様に 一筆(いっぴつ)入れて 進呈すべく 用意した 成書

 

上記と同様に 一筆(いっぴつ)入れて 進呈すべく 用意した 成書

 

上記と同様に 一筆(いっぴつ)入れて 進呈すべく 用意した 成書

 

 

(後略)〙と記させて頂きました。その 母親の知人である 近所の人から 言われた (ほか)の人も含めて (さら)に 三人(さんにん)に送りました。(ちな)みに、いつものように 速達で 郵送しました。なお、この作業が 朝(まで) ()かりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 朝になりました。 

 

上記と同様に 一筆(いっぴつ)入れて 進呈すべく 用意した 成書

 

上記と同様に 一筆(いっぴつ)入れて 進呈すべく 用意した 成書

 

上記と同様に 一筆(いっぴつ)入れて 進呈すべく 用意した 成書

 

上記と同様に 一筆(いっぴつ)入れて 進呈すべく 用意した 成書

 

上記と同様に 一筆(いっぴつ)入れて 進呈すべく 用意した 成書

 

上記と同様に 一筆(いっぴつ)入れて 進呈すべく 用意した 成書

 

 

(後略)〕と記させて頂きました。(さら)に、前述致しましたように その 母親の知人である 近所の人に関係のある 一人(ひとり)にも、無償で 上記と同様に 書状を添えて その成書を進呈しました。(ちな)みに、いつものように 速達で 郵送しました。なお、この作業が 朝(まで) ()かりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 朝になりました。 

 

上記と同様に 一筆(いっぴつ)入れて 進呈すべく 用意した 成書

 

上記と同様に 一筆(いっぴつ)入れて 進呈すべく 用意した 成書

 

 

(後略)〗と記させて頂きました。そして、本日、誠に有り難いことに、上記のように 成書を進呈した(かた)から お礼の葉書が届きました。すなわち、

〖この度は、大変 素晴らしい ご本を お送り頂きまして、誠に ありがとうございます。

これから 改めて 今一度 じっくり 拝見させていただきたいと思っております。ありがとうございました。〗以上であります。それで、早速 特定記録郵便で 感謝の便りを返信しました。(後略)】と記させて頂きました。それから、本日、誠に有り難いことに、上記のように 成書を進呈した 別の(かた)から お礼の葉書が届きました。すなわち、

【令和三年も 早や 一ヶ月 過ぎました。寒い日も 初雪もありましたが、庭の草花 水仙、クロカッス等 芽を出し 春近しの気配で教えてくれています。

 先日は 貴重な論文、立派な ご本、お手紙を お送りいただき 誠にありがとうございました。何度も読ませていただきました。とても参考になりますし、勉強させていただきます。

 お母様の焼き(ねぎ)での保温の お話、私も 小さい頃 してもらった事思い出しました。(この〖焼き(ねぎ)〗の話は、去る 昨年の2月12日(水)の〖笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤小乗(しょうじょう)から 大乗(だいじょう)へ・中編〗のブログの上段に、

〖(前略)同・看護大学生からは、(ねぎ)(くび)に巻くと聞かされました。小学生のとき、母親から 一度(いちど)だけ(ため)されたことがあります。焼き(ねぎ)なので、咽喉頭部(いんこうとうぶ)の保温、(さら)に (ねぎ)(アリシン[硫化(りゅうか)アリル][英語: allicin(アリシン)]も含まれます)特有の刺激的な香気は このアリシンと()われる 揮発性(きはつせい)硫化物(りゅうかぶつ)とのことなので、皮膚 そして 気道からも吸収されて 効果があるのかもしれません。(後略)〗と記させて頂きました。(ちな)みに、その(かた)は、この個所を読んで 言及しています) 

 お母様は 平成29年3月まで 自宅での会に出席され お元気でした。お一人(ひとり)旅に よく出かけられて 京都や出雲大社に行かれた時の お話(〖聴〗であると思われます)きした事 ありました。ご姉妹 仲良く 講習会には 皆さん 参加され 会場で よく お目にかかった事 昨日のように 思い出されます。我家での会も コロナの件で 去年の二月の会が 最後で 休会が一年になりました。

 ケイタイも スマホにして 始(〖初〗でありますね)めて 聞く言葉や馴れない事ばかりで 皆に聞きながら やっています。

 教化部(この(かた)は、某・宗教団体に所属していまして、その施設のことですね)でのライブ配信での講話や練成会等 視聴しています。家に ()て 真理の お話をお聞き出来るのでありがたいです。

 暦の上では 立春ですが、まだ まだ寒い日があるでしょう。お父様もお元気の事と思います。どうぞ 呉々も お身体お気をつけて お過ごし下さいませ。

 乱筆乱文にて失礼します。】以上であります。それで、早速 速達の特定記録郵便で 感謝の便りを返信しました。(後略)』と記させて頂きました。そして、本日も、誠に有り難いことに、上記のように 成書を進呈した(かた)から お礼の便りが届きました。すなわち、

『先日は、【笑い と 菜食療法、、、】を送って頂きまして 有り難うございます。30年以上も 菜食を続けていらっしゃること、患者様の症状が ご自分にも 現れること、に驚きました。装飾も 綺麗で 品が有り、お洒落(しゃれ)です。貴重な御本を 有り難うございました。どうぞ これからも お元気で ご活躍されますように お祈り申し上げます。』以上であります。それで、早速 特定記録郵便で 感謝の便りを返信しました。(後略)」と記させていただきました。

 ときに、前述いたしましたのは、約5年前の冬のことであります。ちなみに、本日の10時半頃 新家から 旧家へ 重たいなべふた つ 持って 移動しているときに、去る 12年前の10月8日(水)の「親の受診に付き添っていること・1(循環器内科医[女医])」のブログ そして 去る 12年前の11月9日(日)の「親の受診に付き添っていること 親の受診に付き添っていること ・2(循環器内科医[女医])」のブログのそれぞれ ともに中段やや上、さらに、去る 11年前の2月23日(月)の「天皇陛下行幸の君恩によくして」のブログの中段などに記させていただきました 某・ボランティア(英語:volunteer)のサークル(英語:circle)の関係の 上記の 母親の知人である 近所の人が、当家の前の歩道を 右から 左に通りました。それで、誠に有り難いことに、「枝久保(まさ子)です。」と 声をけられて 挨拶をなされました。すなわち、前述いたしましたように、約5年ぶりのことであります。おそらく その間 何度も その母親の知人である 近所の人は 当家の前を通ったでありましょうが、本日は 誠に有り難いことに、偶々たまたま 出会ったのであります。そこで、歯科医に行く途中であるとのむねでありました。それで、前述いたしましたように、約5年前に その母親の知人である 近所の人に 速達で 成書を進呈しました。すると、江戸川区小松川の住所のかたにも、その成書を あげたいとのことでした。それで、住所を知らされて 無償で この成書を進呈することになりました。しかも、その江戸川区小松川の住所のかたに 成書を進呈したことを その母親の知人である 近所の人にも 速達で 報告しました。そのことを 今回 初めて 口頭で伝えました。

 ならびに、その母親の知人である 近所の人が、去る 12年前の10月8日(水)の「親の受診に付き添っていること・1(循環器内科医[女医])」のブログ そして 去る 12年前の11月9日(日)の「親の受診に付き添っていること 親の受診に付き添っていること ・2(循環器内科医[女医])」のブログのそれぞれ ともに中段やや上、さらに、去る 11年前の2月23日(月)の「天皇陛下行幸の君恩によくして」のブログの中段などに記させていただきました 某・ボランティア(英語:volunteer)の サークル(英語:circle)に 入ったのは 昭和34年とのことでありました。それで、当家も 昭和34年であります。すなわち、去る 昨年の8月9日(土)の「突然の電話連絡・続報」のブログの下段に、

「(前略)簡単に言っちゃうと実はね、うち商売やってましてね、それでね、本部講師の人が 買い物に来たのですよ。で、それでどういうことかっていうと、もともと実はね、日立のね、実はね、栄える会の全国の会頭の阿部洋大という方がいて、そこに母親が誌友会で行ってたのだけれど、その関係で本部講師の人がね、亡くなりましたけど、その人が家に買い物に来て、それでね、結局母親が、その本部講師の人が結局買い物して引っ越しするっていうんでね、母親が注文を受けたものを届けたんですね。そうしたら、本部講師の人は何か悩み事がありませんかって訊くじゃないですか。そういう感じで訊いたんですね。それで母親が姉と僕と八歳 違ってて、結局子供はいないって言うんでね。結局相談して日々読誦三十経章というのを読みなさいって言われて1ヶ月で生まれたのが僕ですよね。それが生まれながらにして実は生長の家になったから。実はね、62歳までずっとね生長の家だったんですけどね。だから、まあ生長の家には本当縁が深かったんだよね。本当ね梨木さんと一緒で梨木さんも生まれた時からずっとでしょ。同じなんですよ。梨木さんと同じ、同じくずっと生まれた時から生長の家になって(後略)」記させていただきました。つまり、去る 11年前の11月5日(木)の「法人マイ・ナンバー」のブログの上段に、両親は 約8年前(現在からですと、19年前)に 商売を廃業した と記させていただきました。ちなみに、その昭和34年当時 両親は 商売を営んでいました。それで、某・ボランティア(英語:volunteer)の サークル(英語:circle)の「萩野 互山」という 本部講師が 当家に買い物に来ました。そこで、母親が 誌友会に通っていた「阿部 洋大」という 日立製作所の重役の奥方から 今度 その本部講師が 近くに 引っ越してきて いろいろ そろえるから 割引してやってと言われていたのであります。それで、母親は 買い物をした その本部講師の家に配達に伺ったのであります。すると、その本部講師から 悩み事は 何か ないですかという 特有の質問を受けたのであります。そこで、当方は 姉と8歳 違いますが、母親は 子供が 欲しいのですと 答えるのであります。それで、その本部講師から 「日々読誦三十経章」と「幸せの結婚」という本を読むように言われたのであります。そこで、「日々読誦三十経章」を 読んで 1ヶ月で生まれたのが 当方なのであります。だから、生まれながらにして 関わりがあることを伝えました。それで、去る 12年前の10月8日(水)の「親の受診に付き添っていること・1(循環器内科医[女医])」のブログ そして 去る 12年前の11月9日(日)の「親の受診に付き添っていること 親の受診に付き添っていること ・2(循環器内科医[女医])」のブログのそれぞれ ともに中段やや上、さらに、去る 11年前の2月23日(月)の「天皇陛下行幸の君恩によくして」のブログの中段などに記させていただきました 某・ボランティア(英語:volunteer)の サークル(英語:circle)の関係の  前述いたしました 河口湖練成道場に 参加するように 母親から言われました。それで、当初の 2会は ひとりで 参加しましたが、3回目からは 友人 2名を連れて 参加しました。すると、その母親の知人である 近所の人の「枝久保 静江」という娘も、友人を連れて 参加していました。(ちな)みに、去る 一昨年おととしの12月9日(月)の「夢について・続報587・シンクロニシティ」のブログの中段に、

「(前略)その河口湖の道場で、誠に有り難いことに 『楠本 加美野』という長老が ました。ちなみに、父親と同様に 2年前の春に 亡くなっているのであります。それで、その道場にて、2年前の春に 亡くなった 長老のことを思い出すのであります。(後略)」記させていただきました。すなわち、「谷口 雅春」という創始者が 四名を挙げていました。つまり、その「楠本 加美野」、「徳久 克己」、「鹿沼 景揚」 そして 「吉田 武利」という 四氏であります。ようするに、4年前のことになります。取りも直さず、その河口湖練成道場を建設することに 尽力したのは、 「磯村 得弥」という 新宿で 自動車教習所を経営していて 倒産して 奉職した 本部講師であります。その後、「鹿沼 景揚」という 東京学芸大学の教授が その河口湖練成道場の総務になりました。なお、平成3年の冬 すなわち 2月の 一番 寒いときに、その河口湖練成道場の練成会に 10日間 参加しました。ついながら、その参加証も持っております。

 

河口湖練成道場の練成会の参加証

 

河口湖練成道場の練成会の参加証(非連続になっていますが、日付は続いていて 確かに 丸 10日間 参加しています。ちな みに、河口湖の湖畔近くの洋品店で 靴下くつしたを買いにったのと、大学の第2生化学教室の主任教授から 委託されて 東京大学の颯田医学会に参加する目的でありました。なお、上記の 「鹿沼景揚」の「鹿沼」という 印鑑が 捺印されております

 

 

 および、その「楠本 加美野」という練成部長は、その後 宇治別格本山の総務に昇格します。ちなみに、親孝行の話が十八番おはこであります。すると、その 母親の知人である 近所の人によりますと、「徳久 克己」氏のテープを入手したいとのことでありました。それで、そのテープは 本部が 普及しないようにしていると答えました。なお、愛知県の「しろた」という中年女性によりますと、今のトップは 祖父の 創始者である「谷口 雅春」氏の著書である 「古事記と現代の預言」も絶版にしたとのことであります。すなわち、自分の祖父の約400冊の著書ですらも 絶版にするくらいでありますから、まして 他人の著書やテープは絶版にするだろうとの話になりました。ついながら、その「徳久 克己」氏の話でありましたら インターネットで 視聴できますので、娘さんか 義理の息子さんに 見せてもらったらいいと アドバイスをしました。ちなみに、本日 すなわち 5月27日の「菜食のおかず・1682(トマト)」のブログの下段に、

「(前略)去る 6年前の2月12日(水)の『わらいと菜食療法さいしょくりょうほう菜食さいしょくに導かれた過程かてい❤ 小乗しょうじょうから 大乗だいじょうへ・前編』のブログ去る 6年前の2月12日(水)の『わらいと菜食療法さいしょくりょうほう菜食さいしょくに導かれた過程かてい小乗しょうじょうから 大乗だいじょうへ・中編』のブログ そして 去る 6年前の2月12日(水)の『わらいと菜食療法さいしょくりょうほう菜食さいしょくに導かれた過程かてい小乗しょうじょうから大乗だいじょうへ・後編』のブログ、それから、当初の 前述の 去る 12年前の10月9日(木)の『わらいと菜食療法さいしょくりょうほう菜食さいしょくに導かれた過程かてい小乗 しょうじょう から 大乗 だいじょう へ』のブログ そして 去る 10年前の1月12日(火)の『わらいと菜食療法さいしょくりょうほう菜食さいしょくに導かれた過程かてい小乗 しょうじょう から 大乗 だいじょう へ ・続報』のブログ に記させて頂きました過程かていがあり、誠に有り難いことに、母親の理解をて、菜食さいしょくにさせて頂いております。(後略)」記させていただきました。なお、前述いたしましたように、孫娘は 出版関係に勤務しているとのことでありました。それで、約5年前でありますが、誠に有り難いことに、前述いたしました 「わらいと菜食療法さいしょくりょうほう菜食さいしょくに導かれた過程かてい小乗しょうじょうから 大乗だいじょうへ」の本を出版してくれるとのことでありました。

 話を戻しましが、その「谷口 雅春」氏は、信徒から 信徒数が減少しますと言われても、皇国史観を守りました。ところが、今のトップは 天皇陛下のことを 全然 言及しません。ちなみに、去る 4年前の7月2日(土)の「靖國神社崇敬奉賛会・続報3(英霊の『祭神之記』)」のブログを記させていただきました。すなわち、約 39年間 地方講師を拝命していましたが、皇国史観を守る目的で 宗教では 靖國神社崇敬奉賛会を第一に考えることにしたことを話しました。なお、同じ市に住んでいる 安藤さんも 靖國神社崇敬奉賛会に移ったことを話しました。ついながら、去る 11年前の11月14日(土)の「満州のこと」のブログの中段やや上に、

「(前略)去る1月30日(金)の『永代神楽祭(えいたいかぐらさい)』のブログ の上段に、

『(前略)伯父は満州(まんしゅう)(しばら)()た・・・(後略)』と記させて頂きました。伯父に導かれて、満州(まんしゅう)である ここ 瀋陽(シンヨウ)に行くことになったのかもしれません。満州(まんしゅう)に来たことは 使命であると思われましたので、前述のように、『親から日本語を教えられたとのことでした。日本人からでなく、親からであります。満州で 日本人が 中国人から言われている それ相当なことをしているのであれば、そのような民族の言語は、親が子供に教えないと思われました。』と記させて頂きました。(後略)」と記させていただきました。つまり、伯父が 靖國神社に まつ られていて 祥月 しょうつき 命日(御承知のように、一周忌以後の当月の命日のことです)が 1月29日なので、毎年 この 祥月 しょうつき 命日の日には 謹んで に参加していると話しました。すると、その 母親の知人である 近所の人によりますと、自分の兄も 靖國神社に まつ られているとのことでありました。但し、その兄は 赤紙で招集されたのではなくて、自ら 志願したとのことでありました。それで、満州にたとのことでありました。そこで、満州にたのは 伯父と同じであると話しました。それで、日本人にとって 満州は 過酷な場所であるとの話になりました。

 また、前述いたしましたように このかたの「坂井 信博」という義理の息子(娘の婿)が 大宮にある 埼玉栄中学校・高等学校で働いている とのことでしたが、退職して 家で ぶらぶら しているとのことでありました。

  くわうるに、去る 一昨々日さきおとといの1月9日(月)の「小学校中学年の担任のこと」のブログの下段に、

「(前略)その担任の苗字は、『かなえ(【かなえ】の異体字)』でありました。ちな みに、小学校の卒業アルバムには、何故なぜか 教師の苗字のみであり 名前は記載されていませんでした。なお、上記から さら に 約39年が 経過していますので、きておられますかどうか 分かりませんね。ついながら、その小学校の卒業写真を見ましたら、その担任は笑っていました。(後略)」と記させていただきました。ようするに、その小学校3・4年生の 担任の「かなえ」という教師が、4月の1学期の始業式のときに、その「坂井 信博」という生徒が入ってきてくれて 本当に嬉しいと話していたことを伝えました。すると、その 母親の知人である 近所の人によりますと、よく覚えているね とのことでありました。それで、その「坂井 信博」という義理の息子は 自宅の近くで 放課後 皆を集めて 野球をしたことを話しました。

 さらに、去る 一昨々年さきおととしの6月12日(月)の「誕生日(令和5年)」のブログの上段に、

「(前略)本日は、誠に有り難いことに 当方の誕生日であります。ちな みに、小学校4年生 すなわち 10歳になったときの誕生日のことであります。なお、教室には 坂井 信博ボスがて そのボスを中心にして、放課後に 男子たちは そのボスの自宅の近くのき地で 草野球をしました。ついながら、ユニフォームがあったわけではありませんが、当方の背番号は 25番でありました。ちな みに、プロ野球のジャイアンツの背番号 25番(当時)は、相羽 欣厚外野手でありました。

 その教室の男子たち 約10数名を 誕生日に招待しました。なお、男子 2名 すなわち 新井俊也君 と 古田康平君を 招待することが出来なかったことは 誠に申し分けなかったと思われました。

 すると、誠に有り難いことに、母親が スパゲッティを作ってくれました。但し、あとで 母親によりますと、全員に お代わりをされると りなくなるので、お代わりして下さいとは 言い出せなかったとのことでありました。ついながら、この内容は 家政婦に話しました。

 ところで、そのボスからは、誠に有り難いことに、上記のように 緑色のバットを頂きました。ちな みに、当時、青バットの大下弘、赤バットの川上哲治として 終戦直後の日本球界を代表する存在であったとの伝説が残っていました。なお、御承知のように、その後、色バットの使用が全面的に禁止になった時期もありました。ついながら、誕生日の翌日が 草野球の練習日でありました。ちな みに、ふた つのチームに分かれて 草野球を行なうのであります。なお、誠に有り難いことに、前日 もらった 緑色のバットを使いました。すると、誠に不思議なことに、初めて ホーム ランを打つことが出来ました。しかも、つぎの打席では、二塁打でありました。ついながら、実力以上のちからを発揮出来ることがあるのでありますね。

 つぎに、そのボスから、学級委員を勧められました。しかしながら、当時は 学級委員のかたが分からず、誠に遺憾なことに 受けることが かないませんでした。(後略)」と記させて頂きました。取りも直さず、当家にきて 母親が 作った スパゲッティを食べてくれたことを伝えました。ちな みに、去る 8年前の3月6日(火)の「母親の転帰」のブログに記させて頂きましたように、母親は 8年前に 亡くなりました。それで、七回忌を終えたことを報告しました。

 しかも、その 「枝久保 まさ子」という 母親の知人である 近所の人によりますと、その「枝久保 静江」という娘は 「中村 久子」という老年女性の第3木曜日の誌友会に参加しているとのことでありました。ちな みに、5~6人で 行なっているとのことでありました。なお、府中の東京第二教化部から 講師が来るとのことでありました。ついながら、その老年女性は 道路拡張で 引っ越しして 老人ホームではなく マンションに住んでいるとのことでありました。

 そのうえ、その母親の知人である 近所の人によりますと、歯科医に行くとのことでありました。それで、合掌して 見送りました。

  それから、思いついて 自転車で 追いかけて、いつものように 説明を しっかりして いつもの 下の画像のりんごりんごの100%ジュースを 資料を添えて 説明して あげました。すると、誠に有り難いことに、その 母親の知人である 近所の人によりますと、追っかけてきてくれたのね とのことでありました。それで、生前の母親も 好んで 飲んでいたことを話しました。

 

 

感謝の印として 上記のように 直接 青森から取り寄せた りんごりんごの100%ジュースを それぞれ 三人さんにん

 

感謝の印として 持ち帰り易いように 袋に詰めて その母親の知人である 近所の人に 手渡した お土産みやげ それぞれ 三人さんにん

 

 

 しかして、母親の知人である 近所の人と 別れて ぐに このブログの作成に取りからせていただきまして、10時間以上を必要としました。

 

 (義務教育の方々かたがたに 美しい日本語を 正しい読みかたで 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名ふりがなを付けております。ちなみに、美しい日本語の平仮名(ひらがな)を大事にしたい という思いもあります)

 本日も、最後 まで  お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)

You cannot copy content of this page

タイトルとURLをコピーしました