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さて、去る 4年前の3月6日(火)の「母親の転帰」のブログに記させて頂きましたように、母親が 亡くなりました。また、去る3月11日(金)の「父親の転帰」のブログに記させて頂きましたように、父親が 続いて 亡くなりました。
ときに、去る 一昨年の1月26日(日)の「鰻の蒲焼・530(カレーうどん・父親の食事)」のブログの中段やや下に、
「(前略)両親が 写真を見て、新婚旅行で 熱海に行ったことを話し始めました。(後略)」と 記させて頂きました。
ならびに、去る 昨年の9月2日(木)の「鰻の蒲焼・1031(野菜スープ・父親の食事)」のブログの中段やや下に、
「(前略)父親が 若い頃に 宿泊した 熱海の大野屋のことを言及しました。(後略)」と 記させて頂きました。
および、去る 昨年の7月15日(木)の「鰻の蒲焼・989(カレーうどん・父親の食事)」のブログの中段やや下に、
「(前略)父親が 同じ熱海の大野屋に行った話をし始めました。すなわち、約57年前のことであります。なお、この頃は 東京からの贅沢な旅行と云えば、熱海だったのであります。但し、熱海は海に近いので、温泉に塩分が含まれていて、しょっぱいです。(後略)」と 記させて頂きました。すなわち、約58年前のことであります。因 みに、当方は 4歳位でありました。なお、父親や姉たちは、当方の足の届かない深さのプールで泳いでいました。序で乍ら、当方は プールに入れないので、遣ることがありません。それで、プール サイドに 滑り台がありましたので、あれで 滑りたいと伝えました。ところが、滑り台がある所に なかなか 一緒に行ってくれません。そして、父親が 漸と 1回だけ 行ってくれました。しかし乍ら、父親は 「寒い。寒い。」と言って 直ぐに プールに戻ってしまいました。そのときは、子供心に がっかりしました。なお、家政婦さんによりますと、誠に有り難いことに、滑り台は 何回も 遣りたいとのことでした。それで、誠に有り難いことに、1回だけというのは 可哀想とのことでした。序で乍ら、その滑り台は 4歳位の子供 一人では 利用することが 適わないのであります。因 みに、下の写真でも 確認出来ますように、その滑り台は 梯子を使わなければならない訳でありますからね。なお、誠に有り難いことに、その家政婦さんは 納得してくれました。
なお、去る 3月17日(木)の「父親の告別式(家族葬)」のブログに、父親の告別式のことを記させて頂きました。因 みに、このときの葬儀屋と 上の旅館(当時)の名称が 同じなのであります。すなわち、誠に有り難いことに、子供のときと 最近のことと 関わっている団体の名称が 一緒なのであります。

誠に有り難いことに、滑り台の上で 生前の父親と一緒に
また、熱海に因 ませて頂きますと、家族で 東京駅から 熱海行きの電車に乗ろうとしたときであります。なお、国鉄時代でありましたから、サービスは期待出来ません。それで、東京駅に停車していた電車が ブザーも鳴らずに ドアが閉まってしまいました。そのとき まず 姉が 電車に乗り その後 当方が乗りました。ところが、両親や祖母たち 家族は 乗っていませんでした。そして、閉まった ドア越しに 母親が見えましたが、とても心配そうな顔でした。当方は泣いてしまいました。しかし乍ら、幸い 姉が乗っていましたので、誠に有り難いことに、次の駅で降りて 最終的に両親たちと合流することが出来ました。
序で乍ら、家族旅行と言いますと、場所は 熱海でした。 因 みに、上記のように 両親の新婚旅行が熱海だったから ということが、後になって 分かりました。
(義務教育の方々に 美しい日本語を 正しい読み方で 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名を付けております)
本日も、最後 迄 お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)