告別式(母親)での挨拶

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 さて、去る3月9日(金)の「うなぎ蒲焼かばやき・74(告別式・父親の食事)」のブログに記させて頂きましたように、母親が亡くなって 告別式がありました。この 去る3月7日(水)の 告別式での挨拶をするように言われましたので、その内容を 下に記させて頂きます。 ちな みに、告別式 当日の直前の打ち合わせで 女性司会者から 何かを見て話しますか と尋ねられましたが、見ないで話すほうがいいとされていますので と回答し そう致しました。

 

 「御多用であらせられるにもかかわらず、母親の告別式に 御参列頂きまして 誠に有り難う御座 ござ います。

 ときに、約1年半前の9月21日(水)に 母親は 尻餅しりもちをつきまして 胸椎の12番目を圧迫骨折しまして 緊急入院し、それから 整理しまして 両親の介護に携わって参りました。

 それ以前から 母親の 医療機関への受診の付き添いは 百数回以上に及び、母親に関するノートは 個々の診療医について そして 介護関係についてのノートなどとは別に 母親のみのもので 百七十数冊を超えました。誠に有り難いことに、勉強させて頂きました。

 

 母親は かに、いくら、ウニ、トロの お刺身、うなぎ そして 海苔巻のりまきが好物であり、これらのいずれかを 毎日のように 沢山たくさん 食べてくれました。ならびに、最近になって すりおろしりんごりんごも食べてくれて 快食 そして 快便であり ヘルパー(英語:helper)(日本語:介護福祉士)による排泄介助も 1日に2回に増やすところでした。なお、お風呂、東洋医学のマッサージ そして 西洋医学のリハビリテーションも 週に1回ずつ、訪問看護も 母親が 充分に話せるように 時間を タップリ取って 1時間で 2週間に 1回来ていました。

 

 簡単に 経過を報告させて頂きますと、去る2月16日(金) 朝、母親のもとに行きましたら、いつものように 寝ていました。但し、大きないびきをかいていました。ちな みに、父親によりましても 元々もともと 母親は いびきをかきますが、尋常ではありませんでした。それで、ぐに バイタル・サインをはかりましたら 心拍数が 136もありました。なお、毎朝 血圧等のバイタル・チェックをしていましたが、心拍数が 100を超える頻脈になることはありませんでした。それで、大声で 『おふくろさん』と何度も呼びまして 起こそうとしましても、起きませんでした。また、心臓、肝臓、腎臓 そして 脳の血管に懸念がありましたので、2週間に1回来ていて その3日前にも 受診したばかりである在宅診療医に ぐに 電話連絡しました。すると、救急車を呼ぶから 某・公立のHp.(hospital[ホスピタル]の略です。日本語では、病院のことです。以下、Hp.と示させて頂きます)でてもらうように とのことであり、救命救急センターに搬送されました。

 

 トロの お刺身を食べて 脳の血管を予防していた とはいえ 大きないびきをかいていましたので、この脳の血管のことが 一番 懸念されました。

 ところが、誠に有り難いことに、入院 拾数日間の経過をみて 脳の血管は 問題がない すなわち 大丈夫であることが 分かりました。

 入院翌日 お見舞いにったときに まず 最初に両手両足が動くことを確認して 安堵致しました。そして、立ち上がり リハビリテーションを行い 退院支援専任職員が関わるほど 回復しました。

 しかしながら、先週の土曜日(3月3日【土】のこと)に お見舞いにったとき 自宅から持ってった聴診器を当てましたところ、心音が弱くなっていました。そして、翌・日曜日、体温が低下している とのことでした。それから、一昨々日さきおととい すなわち 3月5日(月)の未明 連絡がありましたので 駆け付けましたところ、午前5時20分 母親は 担当者が驚くほど 早く 死の転帰を迎えられました。ちな みに、死亡診断書によりますと、特に疾患名は付けられず 『衰弱』とのことでした。

 なお、誠に有り難いことに、ターミナル・ケア(英語:terminal care)(日本語:終末期介護)で 一番 苦しむとされる 呼吸で苦しむ様子は なかったようで 御座 ござ います。やすらかに 穏やかに とても素晴らしい御尊顔で 御浄土に旅立たれました。ちな みに、ターミナル・ケアに携わったこともありましたが、ほぼ唯一と思える 救いは、生命は行き通しである ということを信じておりまして、彼岸 すなわち あの世に 母親は 生れていることと思います。

 

 最後になりますが、母親は、人の2倍から 3倍の密度で生きる人でした。そのうえ、いつも 沢山たくさん の荷物を持っている人でした。その重荷を この約1年半の間で 一つひとつずつ 降ろして 楽になってくれて よかった と思われました。

 本当に御苦労様でした。此岸しがん すなわち この世に せいけましたのも、親の おかげ御座 ござ います。しかも、教育を受けさせてもらいました。なお、心ばかりの御恩返しで御座 ござ いますが、生前 母親が 自分が亡くなったときには 流して欲しいと話していた エーデルワイスのC.D.を 急遽きゅうきょ 昨日買って来まして、昨日の お通夜から 流させて頂いております。

 

 晩年、母親は、お母さん と言っていました。お祖父ちゃん、お祖母ちゃん そして 生れて 成長するはずであった 母親の子供たちのもとっているのですね。この子供たちに お母さんを お返しするときが来たのだと思っております。それで、一昨日おととい、墓前で 『お母さんを宜しくね。』と伝えました。御冥福を 心より お祈り申し上げます。本日は、誠に有り難う御座 ござ いました。」

 

以上で御座 ござ います。

 

 

エーデルワイスのC.D.

 

 

 

 (義務教育の方々かたがたに 美しい日本語を 正しい読みかたで 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名ふりがなを付けております)

 本日も、最後 まで  お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)

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