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さて、去る2月21日(月)の「鰻の蒲焼・1177(カレーうどん・父親の食事)」のブログの中段やや下に、
「(前略)去る 7年前の11月16日(月)の『七五三に思うこと』のブログ の上段に、
『(前略)更に、去る9月27日(日)の【綺麗で奥ゆかしくて誠に素晴らしい日本語】のブログ の上段に、
【(前略)話を戻しますが、これ迄 已むを得ず使わなければならなかった場合を除きまして、極力自国語である日本語を用いるように努めて参りました。外来語を使用するときには、日本語と区別するために、何語であるのか、その言葉の綴りを添えまして注釈を入れました。日本には如何に外来語が多いか、ということを知って頂く意味も御座います。御承知のように、先の大戦後、日本の底力を恐れた連合国軍最高司令官総司令部(G.H.Q.)による〖日本弱体化政策〗が行われました。自国語である日本語ではなく、英語を用いさせようとすることは、米国にとりまして誠に都合のいいことであります。現・日本国憲法は、米国による この〖日本弱体化政策〗の産物とされています。(後略)】と記させて頂きました。前述致しましたように、戦後 日本人の精神性がやられましたことは、惜しみても尚余りあることと思われます。その原因は、前述の【日本弱体化政策】、すなわち、ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(英語:War Guilt Information Program、略称:W.G.I.P.)であります。この【日本弱体化政策】は、巧妙に行われました。
一例を挙げますと、報道におきましては、同じ 日本のマス・コミ(英語:mass media)を利用して行われました。同胞である日本人による報道を行わせることによって、日本人に信じさせるように仕向けました。終戦を境に 報道内容が全く変わりました。報道内容は、G.H.Q.が書いた文章とされています。しかも、新聞などの報道機関を統制する為に G.H.Q.から発せられた規則であるプレス・コード(英語:Press Code for Japan)がありました。これにより検閲が実行されました。日本人は、G.H.Q.にとりまして 不都合なことを書くことが出来ませんでした。日本人は、書くことに 制約を受けました。言論の自由どころではありませんでした。戦後70年 経った今でも、その後遺症が 残っているようであります。
また、教育におきましては、まず 教科書を書き換えたことであります。さらに、日教組を作ったのは、連合国軍最高司令官総司令部(G.H.Q. ・以下、G.H.Q.と示させて頂きます)とされています。このG.H.Q. と 日教組の 両者の方針は一致しています。因みに、当方も、小学2年生、5年生 そして 6年生のときの担任は、日教組の教師でした。授業で、大東亜戦争で得をしたのは、天皇陛下 と 大企業と話していました。さらに、刷り込み(英語:imprinting)を完成させる為に、このことを 生徒に質問して 答えさせていました。幸いなことに、このことを教えられましたときには、自宅で祖母に話し、天皇陛下は そのような人では無いと言われました。誠に有り難いことで御座います。後から 調べたことですが、この日教組の教師の語ったことは、とんでもない話で御座います。戦後、日本人が餓えないようにと、昭和天皇陛下は、皇室財産目録を持って G.H.Q. のマッカーサー(米語:Douglas MacArthur)に会いに行かれました。また、去る昨年の10月8日(水)の【親の受診に付き添っていること・1】のブログ また 去る11月9日(日)の【親の受診に付き添っていること ・2】のブログ のそれぞれ共に中段やや上、そして、去る2月23日(月)の【天皇陛下行幸の君恩に浴して】のブログ の中段やや下に記させて頂きました某・ボランティアのサークルの先輩に話しましたら、大企業も、大東亜戦争で 被害を受けているとのことでありました。御承知のように、G.H.Q. の占領政策の一つですが、大東亜戦争以前の日本の経済体制の壊滅が目的とされる経済民主化政策が行われました。
および、去る10月5日(日)の【ボランティア・高尾山登山】のブログ と 去る1月21日(水)の【ボランティア・高尾山登山・その2】のブログで、
【(前略)18年間、月二回、日曜日に、・・・ボランティアを、このトップの方々二人に委託されて、行って参りました。そのボランティアで、過日、子供達と父兄を連れて・・・(後略)】と お伝え申し上げましたボランティアのスタッフ(英語:staff)(元・教師)によりますと、日教組は、小学3年生 そして 4年生位の多感な年齢を狙って、日教組の教師を当てて来るとのことでした。幸いなことに、当方は、この時期は 日教組の教師ではありませんでしたので、マインド・コントロール(英語:mind control)されずに済みました。但し、前述致しましたように、その前後の年齢のときには 日教組の教師でしたので、紙一重でした。近年では 質の低い教師がいて、これらの教師は 教えられる必要があると言われます。この日教組の教師は、同じく質の低い教師と結婚もせずに 恋愛を楽しんでいました。男子同級生と二人で、この恋愛現場を目撃しました。そのとき、この日教組の教師によりますと 『まずい所を見られた』とのことでした。そして、後日 学校で この男子同級生と二人で この日教組の教師に 直面化(精神分析[心理学]の用語です。簡単に言えば、指摘することです)致しましたら、開き直られました。この日教組の教師は、社会生活の基本を教えませんでした。自分の行いがそうですから、行儀 や 躾を教えるどころではありません。当時では 珍しく、教室に 全く緊張感が無く、だらけていました。母親によりますと、教育は 学校の先生に任せていた とのことでありますので、このような日教組の教師に当たったら たいへんであります。別に、この日教組の教師 一人を責めている訳では御座いません。責任は 日教組という組織 や 前述のG.H.Q. にあります。
G.H.Q.は、日本人の誇り、滅私奉公 そして 武士道といった 日本人の美徳を除きました。また、日本人に 自虐心を植え付け、愛国心を奪いました。(後略)』と記させて頂きました。すなわち、上記のように 日教組の教師が 昭和天皇陛下を貶める授業を行なったときに、幸いなことに 自宅で祖母に話し、天皇陛下は そのような人では無いと言われました。このことを 繰り返し 上記の家政婦には 話しておりまして、お孫さんに対して 同様に 教えてあげることが出来ますねと伝えました。つまり、これも、家族内の使命でありますね。(後略)」と記させて頂きました。
ときに、上記の 日教組の教師の交際相手は、同じ小学校の音楽教師でした。 因 みに、この音楽教師により、小学校の音楽の授業で シューベルト(独語:Franz Peter Schubert)作曲の 「お父さん、お父さん、魔王が来るよ」と語られる フレーズの歌曲(独語:Lied)「魔王」が流されました。序で乍ら、この「魔王」は、ゲーテ(独語:Johann Wolfgang von Goethe)の詩に 曲が付けられた歌曲であります。なお、結局 その子供は 亡くなるのでありますが、小学生には 心が揺さぶられる曲でありました。それで、自宅で 母親に話しましたら、誠に有り難いことに、母親によりますと シューベルトは そのような曲を作らないとのことでありました。 因 みに、後になって考えてみると、母親の言ったことは 事実ではありません。しかし乍ら、上記の祖母の言葉と同様に、その母親の言葉で 当方は救われましたので、教育的であったと思われます。なお、当方が 最初に 母親から買ってもらった クラシック音楽のレコード盤(直径7インチ [17cm]・回転数は 33 1/3回転)が、シューベルト作曲の 「軍隊行進曲」でありました。序で乍ら、このレコード盤を 何度も聴いていました。それで、自分なりの シューベルトに対する 想いがありました。従いまして、小学生の間だけでも、そのシューベルトに対する 想いが崩れることが なくて よかったと思われました。しかも、母親によりますと、誠に有り難いことに、当方が 赤ちゃんのときに 母親は シューベルトの子守歌を歌ってくれたとのことでありました。そこで、クラシック音楽の作曲家のでは、シューベルトが 一番 自分に近い と思わせて頂いております。

上記の「軍隊行進曲」が収録されている レコード盤(直径7インチ [17cm]・回転数は 33 1/3回転)

ピアニスト

レコード盤(直径7インチ [17cm]・回転数は 33 1/3回転。因 みに、上記のように 33と書かれてありますのは 回転数のことであります)
因 みに、シューベルトの友人である シュパウンによりますと、ゲーテの詩「魔王」を 大声で 読んでいた シューベルトが 急に 座って 凄まじい速度で 楽譜を書き始めたとのことであります。すなわち、後になって、シューベルトが 歌曲「魔王」を作曲したのは、カタルシス(英語:catharsis)効果(浄化法とも呼ばれ、観念洗浄、そして、観念泄瀉が期待出来ます)であったと思われるのであります。序で乍ら、去る 7年前の10月31日(土)の「父親の満足」のブログ そして 去る 一昨年の11月17日(火)の「訪問看護(父親)・63・中編・1」のブログの上段に、
「(前略)去る2月15日(日)の『落書きの効用』のブログ の上段やや下に、
『(前略)子供にとって、落書きをすることは、カタルシス(英語:catharsis)効果(浄化法とも呼ばれ、観念洗浄、そして、観念泄瀉が期待出来ます)もあるのに、と思われます。また、子供の心を観察することも期待出来ると思われます。(後略)』と記させて頂きました。更に申しますと、音楽を聴くことよりは、演奏することの方が、このカタルシス効果が大きいとされています。(後略)」と記させて頂きました。
なお、共産主義教育は、家庭から 子供を引き離して 行なわれます。これが、戦略なのであります。 因 みに、共産主義教育にとりましては、上記のように 祖母 や 母親から 教えられては 困るのであります。
ところで、その小学校の音楽の授業時間に 異例なことに、その音楽教師から 童謡・唱歌の「故郷」を 当方 一人で 立って 歌うように言われました。後にも 先にも、このような唐突な例はありません。すなわち、その音楽教師から 3年間 習わされましたが、他の生徒で このように指名を受けた者は居ませんでした。なお、小学校6年生のときで 声変りが始まっていたこともあり、うまく歌えませんでした。しかも、その音楽教師からは、姿勢のことで 皆の前で 2回も注意されました。序で乍ら、何で このような目に合うのか そのときは 分かりませんでしたが、後になって 分かりました。すなわち、上記のように 恋愛現場を目撃したことが 発端になっているのであります。因 みに、この話を 家政婦に致しましたら、童謡・唱歌の「故郷」は 「いい曲なのにね。」とのことでした。なお、当方も、確かに いい曲であると思われますが、この曲を聞きますと 当時のことが思い出されました。序で乍ら、日本の曲として その家政婦に聞いてもらおうと思い カセット テープを流しましたら、その童謡・唱歌の「故郷」が現われました。それで、上記のように、その童謡・唱歌の「故郷」に纏わる話しを その家政婦に致しました。なお、去る 4年前の3月6日(火)の「母親の転帰」のブログに記させて頂きましたように、母親が 亡くなりました。また、去る3月11日(金)の「父親の転帰」のブログに記させて頂きましたように、父親が 続いて 亡くなりました。因 みに、それらの日本の曲は 生前の両親の前でも 流していましたが、もっと 聞いてもらえれば よかったと思われました。序で乍ら、上記の童謡・唱歌の「故郷」は、今は 亡き 母親の好きな曲でした。
(義務教育の方々に 美しい日本語を 正しい読み方で 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名を付けております)
本日も、最後 迄 お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)