無常観(もののあわれ)創り変える力

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 さて、去る 一昨々年さきおととしの12月24日(火)の「つくり変えるちから(大和民族)」のブログを記させて頂きました。

 また、去る 一昨年おととしの6月7日(日)の「国学」のブログ そして 去る 4年前の7月19日(木)の「もののあわれ(配達員・うなぎ蒲焼かばやき・157[父親の食事])」のブログのそれぞれ上段に、

「(前略)某・国立大学教授(男性)によりますと、明治時代の文学は 一言ひとこと喪失そうしつ』を表現していると定義することが出来る とのことでした。一方いっぽう、某・私立大学教授(男性)によりますと、日本には 西洋にない 素晴らしい文学がある とのことでした。つまり、西洋の文学が とても 行き着くことが出来ない、聖人の領域の文学が 日本には ある とのむねでした。すなわち、日本の明治時代の自然主義文学 や 自然主義文学の定義者である ゾラ(フランス語: Émile François Zola)の文学ではなくて、吉田 兼好の随筆『徒然草』、鴨 長明の『方丈記』 そして 俳人・松尾 芭蕉の紀行 および 俳諧 『おくのほそ道』とのことであります。 ちなみに、この『徒然草』、『方丈記』 そして 軍記物語『平家物語』など、仏教的無常観を抜きにして 日本の中世文学を語ることは出来ない とされています。この『無常観』は、中世以来 長い間 つちかってきた 日本人の美意識の特徴の一つひとつと言って よいであろう とのことです。さらに、日本人は 春夏秋冬 すなわち 季節の移り変わり つまり 無常を 『もののあわれ』としています。誠に、日本人のすごいところの一つひとつであると思われます。なお、これらのことは、10数年以上前、去る 4年前の12月17日(水)の『万年筆』のブログの冒頭で言及致しました友人に話しました。(後略)」と記させて頂きました。すなわち、ネガティブ(英語:negative)とも される 仏教的無常観を 日本人は、四季の移り変わりとして つまり「もののあわれ」として、あたかも ポジティブ(英語:positive)に しかも プラス(英語:plus)思考で解釈されたかのように つくり変えているのであります。 ちな みに、上記のように これが、誠に 日本人のすごいところの一つひとつであると思われます。なお、この話は 去る 4月7日(木)の「保険外交員の訪問・続報3(前編)」のブログ や 去る4月7日(木)の「保険外交員の訪問・続報3(後編)」のブログなどに記させて頂きました保険外交員たち、去る 6月16日(木)の「信用金庫の営業・続報14・前編」のブログ や 去る6月16日(木)の「信用金庫の営業・続報14・後編」のブログなどに記させて頂きました 営業のかた そして 医療介護スタッフ と 介護スタッフ すなわち ケア マネージャーのかた、マッサージ師のかた、理学療法士のかた、訪問看護師のかた、介護福祉士のかた それから 家政婦たちに伝えましたら、誠に有り難いことに うなずいて 納得してくれました。

 

 (義務教育の方々かたがたに 美しい日本語を 正しい読みかたで 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名ふりがなを付けております)

 本日も、最後 まで  お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)

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