年賀状欠礼の葉書(令和6年)続報9

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 さて、去る 昨年の12月6日(水)の「年賀状欠礼の葉書はがき(令和5年)続報4」のブログの上段に、

「(前略)昨日 すなわち 12月5日(火)の『年賀状欠礼の葉書はがき(令和5年)続報3』のブログの上段に、

『(前略)去る11月27日(月)の【年賀状欠礼の葉書はがき(令和5年)続報2】のブログの上段に、

【(前略)一昨々日さきおととい すなわち 11月24日(金)の〖年賀状欠礼の葉書はがき(令和5年)続報〗のブログの上段に、

〖(前略)去る11月9日(木)の〔年賀状欠礼の葉書はがき(令和5年)〕のブログの上段に、

〔(前略)去る 昨年の11月4日(金)の〘年賀状欠礼の葉書はがき(父親)〙のブログを記させて頂きました。

 ときに、本日、下の画像のように、男性から 年賀状欠礼の葉書はがきが届きました。

 

 

届いた 年賀状欠礼の葉書はがき

 

 

 

 それで、その日のうち すなわち 本日、縦書きの葉書はがきで 返信致しました。

 すなわち、

〘拝復。喪中見舞い 申し上げます。

 御姉上様(享年七十四歳)(○○ ○○○様)を おになされましたよし、御家族の皆々様の おちからおとし、さぞや と拝察致され、さぞ、日々ひび おさびしく お過ごしの御事と存じ上げます。心より、おやみ申し上げます。早速、参上して 御焼香申し上げたく存じ上げますが、それもかなわず、新しい年は よいことの数々が御座ございますように、心より お祈り申し上げます。心より 御冥福を お祈り申し上げます。

(中略)

 末尾となりましたが、向寒の砌、皆々様、呉々も御自愛のほど、心より お祈り申し上げます。唯々感謝。謹白。〙以上であります。(後略)〕と記させて頂きました。

 ならびに、本日、下の画像のように、男性後輩から 年賀状欠礼の葉書はがきが届きました。

 

 

届いた 年賀状欠礼の葉書はがき

 

 

 

 それで、その日のうち すなわち 本日、縦書きの葉書はがきで 返信致しました。

 すなわち、

〔本年九月に 御尊父様(行年八十六歳)(○○ ○○様)を おになされましたよし、御家族の皆々様の おちからおとし、さぞや と拝察致され、さぞ、日々ひび おさびしく お過ごしの御事と存じ上げます。心より、おやみ申し上げます。早速、参上して 御焼香申し上げたく存じ上げますが、それもかなわず、新しい年は よいことの数々が御座ございますように、心より お祈り申し上げます。心より 御冥福を お祈り申し上げます。

(中略)

 末尾となりましたが、向寒の砌、皆々様、呉々も御自愛のほど、心より お祈り申し上げます。唯々感謝。謹白。〕以上であります。(後略)〗と記させて頂きました。

 および、去る 8年前の10月23日(金)の〖レクイエム〗のブログ の上段 そして 去る 8年前の10月5日(月)の〖硫黄島いおうとう〗のブログ の下段などに、母校の某・都立高校のことを言及させて頂きました。ちなみに、去る 9年前の10月8日(水)の〖親の受診に付き添っていること・1〗のブログ そして 去る 9年前の11月9日(日)の〖親の受診に付き添っていること ・2〗のブログのそれぞれ ともに中段やや上、さらに、去る 8年前の2月23日(月)の〖天皇陛下行幸の君恩によくして〗のブログの中段に記させて頂きました 某・ボランティア(英語:volunteer)のサークル(英語:circle)の関係もあり、上記の母校の某・都立高校の同窓でもある 先輩男性から、本日 下の画像のように、年賀状欠礼の葉書はがきが届きました。

 

 

本日、届いた 年賀状欠礼の葉書はがき

 

 

 

 それで、その日のうち すなわち 本日、縦書きの葉書はがきで 返信致しました。

 すなわち、

〖(前略)(前略)喪中 お見舞い 申し上げます。

 さて、去る四月二十九日に 御母堂様(行年九十六歳)(○○ ○○様)を おになされましたよし、御家族の皆々様の おちからおとし、さぞや と拝察致され、さぞ、日々ひび おさびしく お過ごしの御事と存じ上げます。心より、おやみ申し上げます。早速、参上して 御焼香申し上げたく存じ上げますが、それもかなわず、新しい年は よいことの数々が御座ございますように、心より お祈り申し上げます。心より 御冥福を お祈り申し上げます。

(中略)

 末尾となりましたが、向寒の砌、皆々様、呉々も御自愛のほど、心より お祈り申し上げます。唯々感謝。謹白。〗以上であります。

 なお、その返信を ポストに投函するために、自転車を使いました。ちなみに、ポスト前で 年配女性が 郵便物を投函しようとしていたので、〖どうぞ。〗と声をけて ゆずりました。(後略)】と記させて頂きました。

 また、去る 9年前の10月8日(水)の【親の受診に付き添っていること・1】のブログ そして 去る 9年前の11月9日(日)の【親の受診に付き添っていること ・2】のブログのそれぞれ ともに中段やや上、さらに、去る 8年前の2月23日(月)の【天皇陛下行幸の君恩によくして】のブログの中段に記させて頂きました 某・ボランティア(英語:volunteer)のサークル(英語:circle)の関係の 男性後輩から、本日、下の画像のように、年賀状欠礼の葉書はがきが届きました。

 

 

本日、届いた 年賀状欠礼の葉書はがき

 

 

 

 そこで、その日のうち すなわち 本日 縦書きの葉書はがきで 返信を作成して、翌日 投函致しました。

 すなわち、

【(前略)喪中 お見舞い 申し上げます。

 さて、去る十一月十四日に 御尊父様(行年九十歳)(○○ ○○○様)を おになされましたよし、御家族の皆々様の おちからおとし、さぞや と拝察致され、さぞ、日々ひび おさびしく お過ごしの御事と存じ上げます。心より、おやみ申し上げます。早速、参上して 御焼香申し上げたく存じ上げますが、それもかなわず、新しい年は よいことの数々が御座ございますように、心より お祈り申し上げます。心より 御冥福を お祈り申し上げます。

(中略)

 末尾となりましたが、向寒の砌、皆々様、呉々も御自愛のほど、心より お祈り申し上げます。唯々感謝。謹白。】以上であります。

 なお、その返信を ポストに投函するために、自転車を使いました。ちなみに、その際、おとなりの息女に会い 挨拶しました。(後略)』と記させて頂きました。

 しかも、去る 9年前の10月8日(水)の『親の受診に付き添っていること・1』のブログ そして 去る 9年前の11月9日(日)の『親の受診に付き添っていること ・2』のブログのそれぞれ ともに中段やや上、さらに、去る 8年前の2月23日(月)の『天皇陛下行幸の君恩によくして』のブログの中段に記させて頂きました 某・ボランティア(英語:volunteer)のサークル(英語:circle)の関係の男性から、本日、下の画像のように、年賀状欠礼の葉書はがきが届きました。

 

 

本日、届いた 年賀状欠礼の葉書はがき

 

 

 

 それで、本日 すなわち 12月6日(水)の『本の進呈・続報118・後編(シンクロニシティ)』のブログの下段に、

『(前略)その葉書はがきにつきまして 喪中 お見舞いの返信の作業が 加わることになってしまいました。これらの作業が 朝まで かり さらに お昼になりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 翌日の 夕方になりました。 ちなみに、下の画像のように 本の見返みかえしに 一筆いっぴつ入れました。

 

 

上記と同様に 一筆いっぴつ入れて 進呈すべく 用意した 成書

 

 

上記と同様に 一筆いっぴつ入れて 進呈すべく 用意した 成書

 

 

 

(後略)』と記させて頂きました。すなわち、以下は、添付した書状の骨格であります。

 つまり、

『(前略)喪中 お見舞い 申し上げます。

 さて、ご令妹様を おになされましたよし、御家族の皆々様の おちからおとし、さぞや と拝察致され、さぞ、日々ひび おさびしく お過ごしの御事と存じ上げます。心より、おやみ申し上げます。早速、参上して 御焼香申し上げたく存じ上げますが、それもかなわず、新しい年は よいことの数々が御座ございますように、心より お祈り申し上げます。心より 御冥福を お祈り申し上げます。

(中略)

 末尾となりましたが、向寒の砌、皆々様、呉々も御自愛のほど、心より お祈り申し上げます。唯々感謝。謹白。』以上であります。ちなみに、翌日、レターパック・プラス(速達扱い)を用いて 投函致しました。(後略)」と記させて頂きました。

 そのうえ、一昨々日さきおととい すなわち 11月30日(土)の「年賀状欠礼の葉書(令和6年)続報8」のブログの下段に、

「(前略)昨日 すなわち 11月29日(金)の『年賀状欠礼の葉書(令和6年)続報7』のブログの下段に、

『(前略)去る11月11日(月)の【年賀状欠礼の葉書はがき(令和6年)続報6】のブログの下段に、

【(前略)去る 昨年の12月26日(火)の〖年賀状欠礼の葉書はがき(令和5年)続報5〗のブログの下段に、

〖(前略)前述致しました、去る 9年前の10月8日(水)の〘親の受診に付き添っていること・1〙のブログ そして 去る 9年前の11月9日(日)の〘親の受診に付き添っていること ・2〙のブログのそれぞれ ともに中段やや上、さらに、去る 8年前の2月23日(月)の〘天皇陛下行幸の君恩によくして〙のブログの中段に記させて頂きました 某・ボランティア(英語:volunteer)のサークル(英語:circle)の関係の〘井上雅夫〙という男性から、再度 葉書はがきが届きました。ちなみに、粘着気質なのであります。

 すなわち、

〘(前略)拝復。歳も 押しつまり 何かと 気忙しい 毎日ですね。お元気に 御活躍のことと存じます。先日は 大変 貴重な お手紙とともに 貴重な 御研究論文はじめ 沢山の 素晴らしい資料を お送り下さり 心より 感謝 御禮申し上げます。三年前の令和二年には 小生のために 神癒祈願まで して頂き 本当に有難く 今も 感謝の気持で 一杯です。一度 一度 お会いし いろいろと お話を伺うことが あれば と願っております。もし よろしければ お電話でも お気軽に して頂ければ 大変 幸甚です。敬具。〙以上であります。

 なお、その葉書はがきにつきまして 返信の作業が 加わることになってしまいました。これらの作業が 朝まで かり さらに お昼になりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 三日後の 夕方になりました。しかも、めずらしく cold(英語)(ネガティブ[英語:negative]で 御座ございますし、お読み下さっている 方々かたがたに影響を お与えすることの無いように、日本語で つづることを控えさせて頂きましたが、以前、それではわからない、と指摘を頂きましたので、日本語も併記させて頂きます。小さく記させて頂きます。感冒[俗に、風邪]のことで 御座ございます)をひいていましたし、特定記録の速達で 投函しなければならなかったので 郵便局に行かなければならず、時間がかってしまいました。ちなみに、誠に有り難いことに、家政婦によりますと、返信に すごい労力をけるので、疲れてしまうだろう とのむねでありました。(後略)〗と記させて頂きました。

 それから、去る 11月6日(水)の〖本の進呈・続報128〗のブログの下段に、

〖(前略)お返事(自分が返信する 便りにつきまして、〘お〙という 丁寧語は、本来 付けないと お考えになるかもしれません。すなわち、〘お〙〘ご〙は、相手の行為を高めることで敬意を表す〘尊敬表現〙として使うべきと考えている おかたは、自分の行為に対して〘ご返事〙と言うのは間違いだと感じるかもしれません。しかしながら、自分の行為に対しても 〘ご返事〙を使えるとのことであります。この場合の〘ご〙は、自分を へりくだって使われる 謙譲語になるのです。なお、〘お〙も謙譲語として使えますので〘お返事〙も 大丈夫であるとのことであります)(後略)〗と記させて頂きました。

 しかして、本日、叔母(四女)から 叔母(三女)の逝去による 年賀状欠礼の葉書はがきが届きました。ちなみに、三月十五日に亡くなったことになっていますが、実際には 三月二十五日であります。しかも、〖妹〗ではなく 〖姉〗であります。なお、〖来年からの年賀状は ご辞退(上記のように、この場合の〘ご〙も、自分を へりくだって使われる 謙譲語になるのでありますね)・・・〗とのことでありました。

 

本日、届いた 年賀状欠礼の葉書はがき

 

 

 なお、その葉書はがきにつきまして 返信の作業が 加わることになってしまいました。これらの作業が 朝まで かり さらに お昼になりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 三日後の 夕方になりました。ちなに、特定記録の速達で 投函しなければならなかったので 郵便局に行かなければならず、時間がかってしまいました。(後略)】と記させて頂きました。

 しかして、前述の 去る 11月6日(水)の【本の進呈・続報128】のブログの下段に、

【(前略)前回 すなわち 約1ヶ月前に 手紙を書いて 成書を進呈した 上記の 従兄弟いとこである義浩君から 約1ヶ月が経過して 返信の手紙が届きました。

 つまり、

〖落ち葉が舞い散る季節となりました。

 さて、先日の母の葬儀に際しましては、丁寧なお悔やみを頂きありがとうございました。おかげさまで、つつがなく葬儀を終えることができました。

 母は認知症を発症してからグループホームで生活しておりました。施設に恵まれ、職員の方々には大変よくしていただき、笑顔の多い毎日を送っておりました。 ここ数年はだいぶ認知機能が低下し、眠っていることが多くありましたが、病気にも罹らず元気でした。

 しかし、今年9月の末から発熱とともに水分や食事が摂れなくなり、 10月7日(月)の明け方に、グループホームで眠るように息を引き取りました。98歳でした。グループホームには長いもので13年間お世話になりました。

 母は若いころに大病をしたそうで、亡き父もいつも母の健康を心配しておりましたが、老後は病気に罹ることもなく、天寿を全うすることができました。

 今回の葬儀は家族のみで行いましたが、いつか東京を訪れた時にはお目にかかりたいと存じます。

 ところで、立派な本をいただき恐縮しております。今は何かと慌ただしくしておりますが、時間ができたらじっくり読ませていただきたいと思います。

 これから厳しい冬に向かいます。どうぞ健康にご留意ください。

(中略)

 令和6年11月3日(後略)〗以上であります。ちなみに、彼は 一人っ子ひとりっこであります。なお、去る 昨年の11月3日(金)の〖ボランティアで カウンセリング・続報10〗のブログの中段やや上に記させて頂きました 一人っ子ひとりっこのクライエント(男子)にも、以前 伝えたことであります。すなわち、一人っ子ひとりっこは 人間関係が オールマイティになる可能性があるということであります。それで、そのことを 手紙を書きました。ついながら、その便りの作業が、加わることになってしまいました。ちなみに、この作業が 朝まで かり さらに お昼になりました。ようするに、今回も、寝ないで 作成させて頂き 翌々日の 夕方になりました。(後略)】と記させて頂きました。

 しかして、その従兄弟いとこから 昨日 年賀状欠礼の葉書はがきが 届きました。それで、その便りの作業が、加わることになってしまいました。ちなみに、この作業が 朝まで かり さらに お昼になりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 翌々日の 夕方になりました。なお、心より 御冥福を お祈り申し上げます。

 

昨日、届いた 年賀状欠礼の葉書はがき

 

 

 (後略)』と記させて頂きました。

 のみならず、前述の 去る 11月6日(水)の『本の進呈・続報128』のブログの中段やや下に記させて頂きました 母校の医学部の もと 皮膚科教授のことであります。

 すなわち、

『(前略)この新年も 便りの交換を行なっている 母校・日本医科大学の もと 皮膚科教授によりますと、誠に()(がた)いことに、【批判どころではありません(原文通り)】とのことでありました。(後略)』と記させて頂きました。ちなみに、昨日、下の画像のように、その母校の医学部の『本田光芳』もと 皮膚科教授の奥方から 年賀状欠礼の葉書はがきが届きました。そこで、その便りの作業が、加わることになってしまいました。なお、この作業が 朝まで かり さらに お昼になりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 翌々日の 夕方になりました。ついながら、学部生のときに クラス委員を拝命していた関係で その皮膚科教授室に 伺ったことがありました。そのときに、誠に有り難いことに 笑いながら イスタンブールに 格安の航空券で行きました と言及されました。しかも、誠に有り難いことに、母校の皮膚科の授業も 受けさせて頂きました。ちなみに、医学予備校の講義料を 百万円 踏み倒されたと聞かされました。なお、いろいろと 思い浮かんできました。心より 御冥福を お祈り申し上げます。

 

昨日、届いた 年賀状欠礼の葉書はがき 

 

 

 (後略)」と記させて頂きました。

 くわうるに、母校の医学部の B.S.T.(英語:bedside teachingベッドサイド・ティーチング)(日本語:臨床実習)(現在 母校では B.S.L.[bedside learningベッドサイド・ラーニング]とい、学部生との話しによると、教えるというよりは 習うという意味が強くなったとのむね御座ございます)のときは、男子 四人よにんのグループ(5班)でありました。ちなみに、そのうち一人ひとりの「小倉宏道」という男子のことであります。すなわち、本日、下の画像のように、その男子から 年賀状欠礼の葉書はがきが届きました。そこで、その返信を送る作業が、加わることになってしまいました。なお、この作業が 朝まで かり さらに お昼になりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 翌々日の 夕方になりました。ついながら、彼は、第一内科に入局致しました。それで、研修医のときに 保健師の教師から、彼は 入院棟にても くらいと聞かされていました。ちなみに、家政婦さんによりますと、告別式に行けば よかったのにとのむねでありました。但し、亡くなったのは 下の画像のように 去る4月16日でありますし、知らされていなかったので 仕方しかたがないのであります。それで、家族葬であったのかもしれないと答えました。ならびに、去る 9年前の3月16日(月)の「納豆」のブログの冒頭に、

「(前略)母校の、某・理事長に勧められた内科学教室に入局・・・(後略)」と記させて頂きました。すなわち、医者になってからは 当然のことでありますが、年賀状欠礼の葉書はがきに対しましては、返信を差し上げております。ついながら、研修医の頃に 医局の先輩(既婚女医)から 年賀状欠礼の葉書はがきが届きまして、上記のように返信致しました。すると、誠に有り難いことに、その先輩から 返信をくれたのは あなただけであると言われました。ちなみに、上記の B.S.T.のときに 第一内科を ローテイト(英語:rotate)した際に、その先輩の 妹(女医)と 一緒になりました。なお、去る 8年前の3月5日(土)の「歯科受診・後編」のブログの上段に、

「(前略)去る 一昨年おととしの10月9日(木)の『笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤ 小乗しょうじょうから 大乗だいじょうへ』のブログの上段に記させて頂きました B.S.T.(bedside teaching)(臨床実習)(現在 母校では B.S.L.[bedside learning]と い、学部生との話しによると、教えるというよりは 習うという意味が強くなったとの むねで 御座ございます)のときのことで 御座ございます。すなわち、抜歯した 歯茎はぐきを 爪楊枝つまようじで いじくっていて、そこから 口腔内常在菌である緑色連鎖球菌(英語:Streptococcus viridans) や 黄色ブドウ球菌(英語:Staphylococcus aureus)が侵入した 高齢の女性がいました。心内膜が傷ついていた場合 ここに付着した細菌が感染巣を形成して、infective endocarditis(英語)(ネガティブ[negative]で 御座ございますし、お読み下さっている 方々かたがたに影響を お与えすることの無いように、日本語で つづることを控えさせて頂きましたが、以前 それではわからない と指摘を頂きましたので、日本語も併記させて頂きます。小さく記させて頂きます。感染性心内膜炎のことで 御座ございます。以下、英語で infective endocarditisと示させて頂きます)を発症するので 御座ございます。前述の Streptococcus viridans も Staphylococcus aureusも グラム陽性球菌でありまして、オーベン( ドイツ語:oben・英語の aboveに相当します)(上級医師のこと・俗称・以下、オーベンと示させて頂きます)が 抗生物質であるペニシリン(英語:penicillin)を用いていました。そして、外科に紹介していました。同期生も驚いていましたが、 B.S.T.では異例なことに 最期の数日間 付きっ切りであり ほとんど 泊りになりました。B.S.T.で受け持つことになった(但し、B.S.T.は 学部生の臨床実習でありますので、主治医は オーベンです)患者さんが ステルベン( ドイツ語:sterben)(お亡くなりになることです)することは、この頃 もう 一人ひとり ほかの 母校の附属Hp.(hospital[ホスピタル]の略です。以下、Hp.と示させて頂きます)で見えたそうです。オーベンには止められましたが、この患者さんの告別式に参りました。この患者さんの自宅で行われました。場所は 東京都台東区吉原でした。事前に オーベンには 告別式に伺う むねを伝えていました ため かれましたので、参ったことを申しました。先輩の女医からも かれましたので、同様に回答しました。すると、オーベンから 自分の医局には来るな と言われました。このオーベンは、他大学出身でした。 ちなみに、去る 昨年の3月16日(月)の『納豆』のブログの冒頭に、

『(前略)母校の、某・理事長に勧められた内科学教室に入局・・・(後略)』と記させて頂きました。すなわち、母校の 別の内科学教室に入局しました。なお、約27年が ちましたが、この患者さんのことは 継続して 供養させて頂いております。(後略)」と記させて頂きました。すなわち、その先輩の女医というのが、前述致しました 先輩の 妹(女医)であります。

 

本日、届いた 年賀状欠礼の葉書はがき 

 

 

 (義務教育の方々かたがたに 美しい日本語を 正しい読みかたで 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名ふりがなを付けております)

 本日も、最後 まで  お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)

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