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さて、去る 昨年の1月16日(火)の「年賀状のこと・続報3」のブログの上段に、
「(前略)去る 1月10日(水)の『年賀状のこと・続報2』のブログの上段に、
『(前略)去る1月4日(木)の【年賀状のこと・続報】のブログの上段に、
【(前略)一昨々日 すなわち 1月1日(月)の〖年賀状のこと〗のブログの上段に、
〖(前略)去る 一昨年の11月4日(金)の〔年賀状欠礼の葉書(父親)〕のブログの上段に、
〔(前略)去る3月11日(金)の〘父親の転帰〙のブログに記させて頂きましたように、母親に続いて 父親が 亡くなりました。そこで、年賀状欠礼の葉書の準備を始めて、11月に入りましたので 投函しました。 因みに、父親関係の年賀状欠礼の葉書が多くて、誠に有り難いことに、合計で 211名でありました。(後略)〕と記させて頂きました。
ときに、暮れに 丁度 100枚の年賀状を発送しました。 因 みに、本日 すなわち 1月1日(月)の〔謹んで新年の御祝詞を申し上げます(辰年)〕のブログの上段に 〔皇紀2684年 令和6年 甲辰 歳・元旦〕と記させて頂きましたように、年賀状には 〔令和6年(皇紀2684年)元旦〕と書かせて頂いております。なお、父親の生前には、その〔皇紀2684年〕を入れないで欲しいと言われましたので、父親の年賀状には 印刷致しませんでした。
それで、上記のように 年賀状欠礼の葉書を発送した 翌年であるということもあり、誠に有り難いことに、元旦に 19枚の年賀状が届きました。 因 みに、去る 9年前の10月23日(金)の〔レクイエム〕のブログ の上段 そして 去る 9年前の10月5日(月)の〔硫黄島〕のブログ の下段などに、母校の某・都立高校のことを言及させて頂きました。その某・都立高校で 〔田中 正〕という 1年生のときの同級生によりますと、誠に有り難いことに、
〔(前略)引きこもっていたのに、8月 コロナに(日本語の助詞は 大切でありますが、〘に〙ではなく 動作の対象を示す 格助詞の〘を〙であると思われます)患ってしまいました。強敵でした。(用いられている漢字 そして 送り仮名も含めて、原文通り)(後略)〕とのことでありました。
また、〔秋本 佳久〕という 母校の大学の同期生によりますと、
〔(前略)私の家内は 昨年 2月に くも膜下出血で 入院加療いたしました。今は 麻痺も なく障りなく生活しております。
(中略)
今年で 年賀状じまい をさせて頂き、来年以降は 年始の ご挨拶を控えさせていただければと存じます。(用いられている漢字 そして 送り仮名も含めて、原文通り)(後略)〕とのことでありました。
ならびに、〔本田 光芳〕という 母校の医科大学の元 皮膚科主任教授(男性)
によりますと、誠に有り難いことに、
〔(前略)多病息災(用いられている漢字も含めて、原文通り)(後略)〕とのことでありました。
および、去る 9年前の10月8日(水)の〔親の受診に付き添っていること・1〕のブログ そして 去る 9年前の11月9日(日)の〔親の受診に付き添っていること ・2〕のブログのそれぞれ 共に中段やや上、更に、去る 8年前の2月23日(月)の〔天皇陛下行幸の君恩に浴して〕のブログの中段に記させて頂きました 某・ボランティア(英語:volunteer)のサークル(英語:circle)の関係の〔登阪 義市〕という男性から、誠に有り難いことに 年賀状を頂きました。 因みに、去る 8年前の8月10日(水)の〔ボランティアについて〕のブログのことも伝えたいと思いました。(後略)〗と記させて頂きました。
また、本日になって 届いた 〖佐藤 卓〗という 母校の大学の後輩によりますと、誠に有り難いことに、
〖(前略)小生も 60才をこえ あちこち がたがきております。○○○○○の楽な所へ うつろうかと考えています。(用いられている漢字 そして 送り仮名も含めて、原文通り)(後略)〗とのことでありました。 因みに、上記の ○○○○○が、家政婦にも見せましたが 読めないのであります。なお、母校の医科大学の代謝・栄養学分野(旧 生化学第一)の大学院教授が、同じ氏名なのであります。
しかも、上記の 母校の某・都立高校 そして 母校の大学の先輩でもある 〖髙野照夫〗という 母校の医科大学の元 第一内科学教室主任教授(男性)によりますと、誠に有り難いことに、
〖(前略)後輩の御活躍を嬉しく思います。(用いられている漢字 そして 送り仮名も含めて、原文通り)(後略)〗とのことでありました。(後略)】と記させて頂きました。
そのうえ、本日になって 届いた 【榎本靖】という従兄弟によりますと、誠に有り難いことに、
【(前略)新年早々 大変な災害が起こってしまいました。(用いられている漢字 そして 送り仮名も含めて、原文通り)(後略)】とのことでありました。
しかして、もう一人の従兄弟によりますと、誠に有り難いことに、
【(前略)おかげ様で 母も 元気にしております。(用いられている漢字 そして 送り仮名も含めて、原文通り)(後略)】とのことでありました。
それから、去る 9年前の10月8日(水)の【親の受診に付き添っていること・1】のブログ そして 去る 9年前の11月9日(日)の【親の受診に付き添っていること ・2】のブログのそれぞれ 共に中段やや上、更に、去る 8年前の2月23日(月)の【天皇陛下行幸の君恩に浴して】のブログの中段に記させて頂きました 某・ボランティア(英語:volunteer)のサークル(英語:circle)の関係の【小林葉子】という 女子から、誠に有り難いことに、
【(前略)先生の本を送って頂き(一昨年のことであります)、感謝しております。筆不精の私で 大変 申し訳ありません。先生に いつも感謝しております。(用いられている漢字 そして 送り仮名も含めて、原文通り)(後略)】とのことでありました。
のみならず、去る 9年前の10月8日(水)の【親の受診に付き添っていること・1】のブログ そして 去る 9年前の11月9日(日)の【親の受診に付き添っていること ・2】のブログのそれぞれ 共に中段やや上、更に、去る 8年前の2月23日(月)の【天皇陛下行幸の君恩に浴して】のブログの中段に記させて頂きました 某・ボランティア(英語:volunteer)のサークル(英語:circle)の関係の【中島拓次】という男子から その【中島 泰子】という母親の年賀状で、誠に有り難いことに 頂きました。
しかして、ダスキン ライフ ケア小平ステーション(家政婦紹介所)からは、誠に有り難いことに、
【(前略)いつも いろいろな情報など ありがとうございます。(用いられている漢字 そして 送り仮名も含めて、原文通り)(後略)】とのことでありました。
更に、両親のときの家政婦の長女 すなわち 【笹辺祥一、圭子 そして 夕貴】から、誠に有り難いことに 頂きました。
加うるに、本日になって 手紙で 届いた 【佐竹克子】という親戚によりますと、誠に有り難いことに、
【(前略)つつしみて 新年のお慶びを申し上げます。早々に お年賀を頂戴いたしまして 誠に有り難く 感謝申し上げます。
私も 今年二月で 九十才になります。私も 貴方と始めて(〖初めて〗と思われます)お会いした事 覚えていますが、へんな事を云ったのではないかと後悔しています。遠い所 東京から お越しいただき 平凡な大阪のおばちゃんです。失礼いたしました。戦死なさった 伯父様の お話し(送り仮名は、〖お話〗ですね)は 主人 や 母から お聞きしておりました。主人 保とは とても 仲かよく(送り仮名は、通常は 〖仲よく〗ですね) 今も 有名ですが、西村コーヒー店へ おつとめで お休みの時は 靑木(〖靑〗は〖青〗の旧字でありますね)の家で プラモデルを作ったり(通常は、〖~たり〗は 繰り返して 使われますね) 楽しんでいた事等 さいさん(祖母の妹)にしたら 甥になるので、とても可愛がっていたと思います。残念な事に 戦死なさって 貴方の お名前をつけられたと思います。私も 主人が 亡くなりました折には お姉様の朝子様が 西宮に おられまして お葬式に 来ていただきました その ご縁がございまして お姉様の出産のお手伝いをしたのを 覚えています。余り役に 立たなかったと思います。
おばあさんは 貴方の お母様の ご姉妹が いらして、おばあさんは とても お幸せだったと聞いています。
今は コロナの為、三輪恭子さんは 息子さんの近くの老人ホームにおられ 紋子さんも 名古屋の勝年さんの所にいらっしゃいます。
貴方は ボランティアをされ 心より尊敬致します。私も 高齢者となり 何も お役にたちませんが、感謝し(戦争は 絶対にしてはいけない)事を モットーにしています。情けない事に インターネットとか 器かい物(機械物のことであると思われます)が出来ないのです。
お姉様が お近くにいらっしゃいますので、お幸せですね。又 ございましたら 何時でも お電話下さい。お待ちしてますよ。どうぞ お元気で お過ごし下さい。
御両親が 守もって(送り仮名は、通常は 〖守って〗ですね) 下さいます。
関西の方へ こられましたら、是非 お声 (〖掛〗が入ると思われます)け下さいませ。
お待ちいたしております。
追伸
父上様の告別式にも 出席しないで、おくやみ状もさし上げず 失礼な事ばかり 御無礼 お許し下さいませ。用いられている漢字 そして 送り仮名も含めて、原文通り)(後略)】とのことでありました。(後略)』と記させて頂きました。
おまけに、元旦に 当方から 年賀状が届いているにもかかわらず、本日になって 届いた、去る 9年前の10月8日(水)の『親の受診に付き添っていること・1』のブログ そして 去る 9年前の11月9日(日)の『親の受診に付き添っていること ・2』のブログのそれぞれ 共に中段やや上、更に、去る 8年前の2月23日(月)の『天皇陛下行幸の君恩に浴して』のブログの中段に記させて頂きました 某・ボランティア(英語:volunteer)のサークル(英語:circle)の関係の『熊本 司』という男性によりますと、誠に有り難いことに、
『(前略)喪中にて 年賀状、失礼いたしました。
心のこもった 年賀状、本当に ありがとうございました。
今年も、どうぞ よろしく お願い申し上げます。礼拝。(後略)』とのことでありました。
それで、取り急ぎ その日の内に 以下のように、喪中の家に賀状を出した お詫びの言葉を 葉書に書きました。
すなわち、
『拝復。御服喪中とは存じ上げませず、賀状を差し上げまして たいへん失禮致しました。本日 すなわち 一月十六日(火)に お葉書を 拝見致しました。御家族の皆々様の お力 おとし さぞや と拝察致され、さぞ、日々 おさびしく お過ごしの御事と存じ上げます。心より お悔やみ申し上げます。早速 参上して 御焼香申し上げたく存じ上げますが、それも適わず、謹んで 御冥福を心より お祈り申し上げます。
(中略)
なお、新しい年は よいことの数々が御座いますように、心より お祈り申し上げます。
厳寒の砌、皆々様 呉々も御自愛の程 心より お祈り申し上げます。敬具。』以上であります。(後略)」と記させて頂きました。
また、去る 1月1日(水)の「年賀状のこと・続報8(令和7年用)」のブログの中段やや上に、
「(前略)去る12月4日(水)の『年賀状のこと・続報7(令和7年用)』のブログの中段に、
『(前略)去る11月29日(金)の【年賀状のこと・続報6(令和7年用)】のブログの下段に、
【(前略)去る11月26日(火)の〖年賀状のこと・続報5(令和7年用)〗のブログの下段に、
〖(前略)去る2月7日(水)の〔年賀状のこと・続報4〕のブログの下段に、
〔(前略)元旦に 当方から 年賀状が届いているにもかかわらず、本日になって 〘内田 一宝〙という 母校の大学の後輩から 新住所として 〘高円寺名店ビル〙から 〘寒い日が続きますので ご自愛ください(用いられている感字 そして 送り仮名も含めて、原文通り)〙という〘寒中見舞い〙が届きました。因みに、御承知のように 〘寒中見舞い〙を出すのは、松の内(~1月7日 ※関西など 一部地方では~1月15日)が明けてから 立春の前日(今年 すなわち 令和6年[2024年]は 2月3日)迄 と されております。なお、立春は とうに過ぎておりますね。序で乍ら、その〘寒中見舞い〙に対する 返信の便りを投函する為だけに、ポストのあるところ迄 行かなければなりませんでした。
なお、返信の内容の一部であります。すなわち、
新住所が 高円寺と お伺い致し、南口下車の日蓮宗の小さな寺院である〘蓮光寺〙のことを思い出しました。 因みに、インドの独立といえば 日本では マハトマ・ガンディーの名前が知られていますが、インド国内では マハトマ・ガンディーと同格、出身地のベンガル地方では 一番に名前があげられるのが〘チャンドラ・ボース〙であります。なお、その〘蓮光寺〙に、チャンドラ・ボースの遺骨が納められています。銅像もあります。序で乍ら、以前から 一度 訪れてみたいと思っていたのであります。 因みに、今回 誠に有り難いことに お葉書を頂きまして、そのことを思い出させて頂きました。
以上であります。(後略)〕と記させて頂きました。
ところで、今年も 年賀状を送る季節になりました。因みに、誠に遺憾なことに、御承知のように 年賀状が ¥63円から ¥85円に 値上げされましたね。なお、Wordを用いて、年賀状の裏面のデザインを行ないました。ところが、Wordのアンカーが 葉書面の中途半端な中段の位置に固定されていて 移動出来ないのであります。その為 誠に遺憾なことに、テキスト ボックスの位置を移動することが出来なくなっているのであります。序で乍ら、アンカーは レイアウトオプションで〖行内〗を選択すると消すことが出来ますが、削除することは出来ません。それで、昨年の年賀状では、諦まして テキスト ボックスの位置を移動しないで 印刷を致しました。そこで、今年は 時間を掛けて 入念に調べましたら、誠に有り難いことに、〔レイアウト〕パネルの〔折り返しの種類と配置〕を〔行内〕以外に設定すれば いいことに気が付きました。(後略)〗と記させて頂きました。
次に、去る 11月21日(木)の〖家政婦さんの入院・続報115〗のブログの中段やや下に、
〖(前略)その家政婦さんに 買物を委託しましたら、誠に遺憾なことに、お釣りと領収書を なくしました。それで、ゆっくり 捜してみて下さいと伝えました。(後略)〗と記させて頂きました。
ならびに、今年も 年賀状を購入しなければならないと思われました。それで、家政婦さんに委託しようかとも思われましたが、上記のように 郵便局関係のことでは、度々 領収書 や お釣りを紛失したと言ってくるのであります。そこで、インターネットで購入しようかと思いましたが、郵便局のサイトに ログインをしなければなりません。すなわち、当然、パスワードも設定しなければなりません。因みに、年に一回の年賀状の購入の為に メールアドレスとパスワードを設定するのは 如何なものであるかと思われました。それで、例年 行なっていますように、年賀状郵送用の葉書を入手して 購入しようと思いました。なお、1ヶ月位前に 郵便局に会ったときに 今年も 年賀状を購入させてもらうと話しましたが、その年賀状郵送用の葉書を郵便受けに入れてはくれませんでした。それで、下の画像のように 郵便受けに 貼り紙をすることにしました。つまり、去る11月26日(火)に 貼り紙を しましたが、11月27日(水)に 配達はありませんでした。そして、翌日の 11月28日(木)に 配達がありましたが、気が付かなかったか その郵便局員が その年賀状郵送用の葉書を持っていなかったかで、誠に遺憾なことに 郵便受けに入っていませんでした。それで、その 更に 翌日の本日 すなわち 11月29日(金)に、誠に有り難いことに、その年賀状郵送用の葉書が 郵便受けに入っていました。序で乍ら、年賀状を購入するにも 一苦労であると思われました。

郵便受けに行なった 貼り紙

年賀状郵送用の葉書

年賀状郵送用の葉書
(後略)】と記させて頂きました。
および、去る 11月14日(木)の【家政婦さんの入院・続報114】のブログの中段に、
【(前略)生前の母親に言われたことがあると 家政婦さんに話しました。すると、何ですか と尋ねられましたので、答えました。すなわち、母親の介護をして 母親が 介護用ベッドで 寝ているときに、両親が注文していた 牛乳屋が来ました。それで、玄関で 対応しました。すなわち、両親からは 牛乳を止めるように言われていたので、そのことを伝えました。そして、必要であれば 同じ製造会社の牛乳を スーパー・マーケットで買わせてもらうと話しました。すると、その牛乳屋が帰った後で、誠に異例なことに、母親から 声高に言われました。要するに、その牛乳屋は 自分のところで買ってもらいたいのだとのことでありました。つまり、このことを その家政婦さんに話しましたら、母親は商人でありますからねとのことでありました。因みに、去る 9年前の11月5日(木)の〖法人マイ・ナンバー〗のブログの上段に、両親は 約8年前(現在からですと、17年前)に 商売を廃業した と記させて頂きました。(後略)】と記させて頂きました。すなわち、前述致しましたように インターネットで購入するよりも、直接 郵便配達員から 購入した方が、上記の理由で 喜ばれると思われました。その為、最終的に判断して 郵便配達員から 直接 買うことに致しました。そして、上記のように申し込んだ 年賀状が、誠に有り難いことに 本日になって 届きました。因みに、本日 すなわち 12月4日(水)の【通信販売による注文・続報49】のブログの下段に、
【(前略)今回も、その宅配便の配達員 そして 郵便配達員 すなわち 二人に それぞれ 上記のように 説明を しっかりして いつもの 上記のりんごの100%ジュースと 同じ会社の 自然の甘さの 人参が含まれた りんご
の100%ジュースを 説明して あげました。因 みに、午前10時38分に、名札も付けておらず、名乗らなく、しかも、領収書にも書かれていない 男性郵便配達員から 電話連絡が入りました。それで、まず 〖おはようございます。御苦労様です。ありがとうございます。〗と伝えました。すると、〖もう あの 家の前に居まして。〗とのことでありました。それで、〖もう 見えていますか。〗と答えました。すると、〖着いています。〗とのことでありました。そこで、〖直ぐに行きます。〗と答えました。なお、年賀状を 115枚で ¥9,775円を支払いました。そして、毎年 年賀状郵送用の葉書を送付して 購入していることを伝えました。すると、〖来年も お願いします。〗とのことでありましたので、喪がなければ と答えました。それで、〖少し 早いですが、どうぞ よい年の瀬を お過ごし下さり、良い お年を お迎えになられて下さい。〗と伝えました。そして、その郵便配達員が 帰る迄 留まり、〖いつも 配達して下さり、誠にありがとうございます。〗と伝えました。

誠に有り難いことに、上記のように 苦労して 漸く 届いた 年賀状 110枚

誠に有り難いことに、上記のように 苦労して 漸く 届いた 葉書 5枚
(後略)】と記させて頂きました。なお、上記のように 担当者である【朝倉華子】という郵便配達員は 今日は 休みとのことでありました。序で乍ら、女性であるとは思いませんでした。因 みに、今は亡き 父親の名前にも 【朝】の漢字がありました。誠に有り難いことであります。また、母校の近くに 【朝倉彫塑館】という美術館がありました。更に、【朝倉】という内科書がありました。(後略)』と記させて頂きました。
また、去る 7年前の3月6日(火)の『母親の転帰』のブログに記させて頂きましたように、母親が 亡くなりました。 また、去る 一昨々年の3月11日(金)の『父親の転帰』のブログに記させて頂きましたように、父親が 続いて 亡くなりました。そして、両親が亡くなった 年の11月には 早めに 年賀欠礼状を送っております。であるにもかかわらず、誠に有り難いことに、本日 両親宛てに 下の画像の 年賀状が届きました。それで、丁重に 返信致しました。

誠に有り難いことに、本日 両親宛てに 届いた 年賀状
しかも、去る 10年前の10月23日(金)の『レクイエム』のブログ の上段 そして 去る 10年前の10月5日(月)の『硫黄島』のブログ の下段などに、母校の某・都立高校のことを言及させて頂きました。因みに、去る 11年前の10月8日(水)の『親の受診に付き添っていること・1』のブログ そして 去る 11年前の11月9日(日)の『親の受診に付き添っていること ・2』のブログのそれぞれ 共に中段やや上、更に、去る 10年前の2月23日(月)の『天皇陛下行幸の君恩に浴して』のブログの中段に記させて頂きました 某・ボランティア(英語:volunteer)のサークル(英語:circle)の関係もあり、上記の母校の某・都立高校の同窓でもある 先輩男性から、誠に有り難いことに、本日 下の画像のように 年賀状が届きました。

誠に有り難いことに、本日 届いた 年賀状
そのうえ、去る 10年前の10月23日(金)の『レクイエム』のブログ の上段 そして 去る 10年前の10月5日(月)の『硫黄島』のブログ の下段などに、母校の某・都立高校のことを言及させて頂きました。因みに、その某・都立高校の1年生のときの同級生から、誠に有り難いことに、本日 下の画像のように 年賀状が届きました。

誠に有り難いことに、本日 届いた 年賀状
それから、去る 昨年の12月12日(木)の『保険外交員・続報29』のブログに記させて頂きました 保険の外交員の中年女性の方から、誠に有り難いことに、本日 下の画像のように 年賀状が届きました。

誠に有り難いことに、本日 届いた 年賀状
そうして、『お近くへ お越しの際は 是非 お立ち寄りください』との年賀状であります。

『お近くへ お越しの際は 是非 お立ち寄りください』との年賀状
そして、今回 すなわち 令和7年で、『年賀状を最後に との希望』の年賀状であります。

今回 すなわち 令和7年で、『年賀状を最後に との希望』の年賀状

今回 すなわち 令和7年で、『年賀状を最後に との希望』の年賀状

今回 すなわち 令和7年で、『年賀状を最後に との希望』の年賀状
(後略)」と記させて頂きました。
しかして、去る 1月10日(金) の「年賀状のこと・続報13(令和7年用)」のブログの中段やや下に、
「(前略)昨日 すなわち 1月9日(木)の『年賀状のこと・続報12(令和7年用)』のブログの中段やや下に、
『(前略)一昨日 すなわち 1月7日(火)の【年賀状のこと・続報11(令和7年用)】のブログの中段やや下に、
【(前略)昨日 すなわち 1月6日(月)の〖年賀状のこと・続報10(令和7年用)〗のブログの下段に、
〖(前略)一昨々日 すなわち 1月3日(金)の〔年賀状のこと・続報9(令和7年用)〕のブログの下段に、
〔(前略)家政婦さんには、年賀状は 日本の文化であると伝えています。
のみならず、去る 一昨々年の7月24日(日)の〘弔問客の来訪・続報7・前編〙のブログの上段に記させて頂きました 3人の家族(当時、すなわち、7年前 つまり 平成30年5月6日[日])のことであります。すなわち、令和3年から 年賀状の返事を受けていないのであります。それで、昨年も 年賀状を送っていますが、返信がありませんでした。それで、今回 下の画像のように 戻ってきましたので、1年以上前に 住所が変わったということになります。すなわち、令和5年に 何か あったのでありますね。因みに、当方と致しましては 出来る限りのことを行なって参りましたので、この件につきましては どうにもならないと思われました。

誠に遺憾なことに、本日 戻ってきた 年賀状

誠に遺憾なことに、本日 戻ってきた 年賀状
加うるに、毎回 当家の名字の漢字を間違えて 送って来るのであります。因みに、〘小生は 少し 体に がたが来て・・・(原文通り)〙とのことでありました。

誠に有り難いことに、本日 届いた 年賀状
おまけに、今回 すなわち 令和7年で、〘年賀状を最後に との希望〙の年賀状であります。

今回 すなわち 令和7年で、〘年賀状を最後に との希望〙の年賀状
(後略)〕と記させて頂きました。
ならびに、上記の 1月3日に届いた 年賀状と同様に、元旦に お届けした 先方から、年賀状の返信がありました。因みに、本日は、その年賀状の送り主の父親の月命日(祥月命日[御承知のように、また、去る 8年前の4月25日(月)の〔祖母の三十三回忌〕のブログ そして 去る 10年前の12月4日(木)の〔神社参拝〕のブログのそれぞれ上段に記させて頂きましたように、一周忌以後の当月の命日のことです]を 除き 1年に 11回ある日のこと)なのであります。誠に有り難いことであります。

元旦に お届けした 先方から、年賀状の返信がありました
(後略)〗と記させて頂きました。
および、上記の 1月6日 そして 1月3日に届いた 年賀状と同様に、元旦に お届けした 先方から、年賀状の返信がありました。

また、今回 すなわち 令和7年で、〖年賀状を最後に との希望〗の年賀状であります。

今回 すなわち 令和7年で、〖年賀状を最後に との希望〗の年賀状

今回 すなわち 令和7年で、〖年賀状を最後に との希望〗の年賀状
(後略)】と記させて頂きました。
更に、上記の 1月7日、1月6日 そして 1月3日に届いた 年賀状と同様に、元旦に お届けした 先方から、年賀状の返信がありました。因みに、5年前 すなわち 令和2年1月21日に、この男性からの 年賀状の返信で 【天の中心は 星】とのことでありました。なお、誠に有り難いことに、このブログの【天之御中主神】のことを 古代の人たちは【北極星】と認識していた という説があります。

元旦に お届けした 先方から、年賀状の返信がありました

元旦に お届けした 先方から、年賀状の返信がありました
(後略)」と記させて頂きました。
しかも、上記のように 一昨々日に 返信の年賀状が届いたにも関わらず、誠に異例なことに 同じ人物から もう一通届きました。そこで、その返信を送る作業が、加わることになってしまいました。なお、この作業が 朝迄 掛かり 更に お昼になりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 翌々日の 夕方になりました。

同じ人物から もう一通届きました
(後略)」と記させて頂きました。
そのうえ、昨日 すなわち 1月28日(火)の「年賀状のこと・続報15(令和7年用)」のブログの下段に、
「(前略)去る1月18日(土)の『年賀状のこと・続報14(令和7年用)』のブログの下段に、
『(前略)本日、元旦に お届けした 先方から、当家の固定電話の留守番電話に 伝言が残されていました。すなわち、名簿に書かれてある 住所は 檀那の名義なので、自分の住所の方に 送ってもらいたいとのことでありました。そこで、その返信を送る作業が、加わることになってしまいました。因みに、この作業が 朝迄 掛かり 更に お昼になりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 翌々日の 夕方になりました。なお、小学校に入ってからは 学研の【*年の科学】という雑誌の付録を使って実験をして 遊んでいたという人であります。ならびに、マンガのブラックジャックも 全てのストーリーを暗記する位 ハマっていたとのことであります。および、中学生の頃、一緒に住んでいた祖母が 自宅で看取られて 亡くなったことです。そして、その頃は 在宅介護サービスなどはなく、【お嫁さん】に當たる 私の母が全面的に介護をしていた とのことであります。すなわち、以上は 共通点なのであります。序で乍ら、当方の母親は、8年以上も 同様に 自分の義理の母親(父方の祖母のこと)の介護を行なっていました。(後略)』と記させて頂きました。
それから、元旦に 年賀状を お届けした 先方から、約1ヶ月が経過して 何と 本日になって 『寒中見舞い』が届きました。因みに、今後は 年賀状を送ることを控えようと思っていた 母校の医学部の後輩でありました。なお、今年の年賀状のことは もう お終いと思って、一式を片付けた処でありました。序で乍ら、誠に失禮なことに、大幅に返信が 遅れたにもかかわらず、下の画像のように 『返信等 お気づかいしないでください』とのことでありました。因みに、この住所の高円寺には 高円寺学園という 区立小中一貫教育校があります。

約1ヶ月が経過して 何と 本日になって 『寒中見舞い』が届きました
(後略)」と記させて頂きました。
しかして、元旦に 年賀状を お届けした 先方から、約1ヶ月が経過して 何と 本日になって 「寒中の候」との 年賀状による 便りが届きました。因みに、数年 便りを送っていましたが、今回 始めて 葉書が届きました。なお、元 日本心身医学学会の理事長、元 九州大学学長 そして 元 九州大学心療内科主任教授であります。序で乍ら、その家政婦さんによりますと、中村学園大学は 気楽であるとのことでありました。
そこで、その返信を送る作業が、加わることになってしまいました。なお、この作業が 朝迄 掛かり 更に お昼になりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 翌々日の 夕方になりました。因みに、速達の特定記録郵便で 返送しました。つまり、金曜日に届けるか 週明けになるかの日数的な問題だけではなくて、週が明けると 読んでもらえるかどうかが不確かであり、週末でありましたら 読んでもらえるという意味が大きいことを その家政婦さんに伝えました。

約1ヶ月が経過して 何と 本日になって 「寒中の候」との 年賀状による 便りが届きました。因みに、年賀状は 「年賀状」として扱われる 松の内(1月7日)までに出すのがマナーとされております。なお、家政婦さんとの話で 年賀状が余ったので くれたのかもしれないとの内容になりました。序で乍ら、前述致しましたように、今年の年賀状のことは もう お終いと思って、一式を片付けた処でありました

約1ヶ月が経過して 何と 本日になって 「寒中の候」との 年賀状による 便りが届きました
(義務教育の方々に 美しい日本語を 正しい読み方で 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名を付けております)
本日も、最後 迄 お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)