日本万国博覧会(EXPO’70)・続報

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 さて、去る 7年前の4月8日(金)の「釈尊の御生誕日(「日本万国博覧会」)」のブログの中段やや上に、

「(前略)去る10月2日(金)の『金木犀きんもくせいの花(心の眼を開いて)』のブログ の上段に、

『(前略)大阪の博覧会と えば、昭和45年(1970年)の夏休みに、母親、そして、姉夫婦(当時は結婚前)と共に【日本万国博覧会】に行きました。機会がありまして、 宜敷よろしければ、この『日本万国博覧会』のことを記させて頂きます。(後略)』と書かせて頂きまして この前回は ワン・ポイント(英語:one point)のみ記させて頂きました。それで、誠に有り難いことに 『いいね』を頂きましたので、今回は その続きを記させて頂きます。

(中略)

 その『日本万国博覧会』の入場料も 大人800円であり、当時のサラリーマン(英語:salaryman)から見て 高額であった とされています。

(中略)

 この『日本万国博覧会』では 近年の博覧会で採用されているような整理券はなく、ソ連館に入場するには 約3時間 かったとのことでありました。母親と 『太陽の塔』に入場しましたが、このときは 待ち時間が 約1時間でした。 ちなみに、この『太陽の塔』は、お祭り広場を おおう 大きな屋根の中から頭を突き上げるような格好でつくられました。この大屋根は、南北291m、東西108m、高さ30mであり、重さ約5千トン強でありました。これを 6本の柱で支えたとのことであります。当初、この大屋根を 地上で組み立て始めたときには、これを どのように リフト・アップ(英語:lift up)するのか わからなかったそうであります。そして、作業が進むうちに 米国が石油開発のために開発した ジャッキ(英語:jack)を見付けたとのことでありました。今から考えますと、 随分ずいぶん 大雑把おおざっぱなやり かたであったと お思いになられることであらせられると存じます。なお、このジャッキの能力は、一台で 450トンをリフト・アップします。2台を直列にして 900トンの能力としたそうです。これを6台(5千400トン)用いて 5千トン強の大屋根を上げたとのことであります。

その『日本万国博覧会』に入場したときに 絵葉書を購入致しましたので、その中から 抜萃ばっすいして 下に掲載致します。

 

 

『日本万国博覧会』の絵葉書

 

 

『日本万国博覧会』会場案内図

 

 

エキスポ・タワーから見た『日本万国博覧会』会場(右側に、お祭り広場を おおう 大きな屋根の中から頭を突き上げるような格好でつくられた『太陽の塔』があり、光を発しています)

 

 

釈尊の御生誕日

光を発っしている『太陽の塔』

 

 

 

 および、日本人が設計したガス パビリオンの写真を 下に添付致します。 ちなみに、この建物は 『笑い』を象徴した ユーモラス(英語:humorous)なものであり、大きな口を開けて 笑っています。

 

 

ガス パビリオン

 

 

 

 当時、大阪の この『日本万国博覧会』会場に通います ために 大阪では宿が取れないとのことであり、京都の 東本願寺付近の旅館に泊まり そこから 約1時間 くらい けて 会場 まで往復しました。 ちなみに、義理の兄が、帰り(復路)の新幹線の切符を 胸ポケットに入れていました。ところが、その切符が なくなってしまいました。それで、母親が、その切符代を負担しました。なお、母親によりますと、胸ポケットに入れていて 落としそうに思っていたとのことでありました。

 では、また 機会がありまして  宜敷よろしければ、この『日本万国博覧会』の続きを記させて頂きます。(後略)」と お伝え申し上げまして、誠に有り難いことに、「いいね」を頂きましたので、今回、その「日本万国博覧会」の続きを記させて頂きます。

 まず 絵葉書の続きであります。

 

 

「日本万国博覧会」会場

 

 

「日本万国博覧会」スタンプ

 

 

日本館

 

 

アメリカ合衆国館館

 

 

ソ連館(上記のように、入場するには 約3時間 かったとのことでありました)

 

 

フランス館 そして エキスポ タワー

 

 

イタリア

 

 

古川パビリオン そして オランダ

 

 

カナダ

 

 

豪州オーストラリア

 

 

ビルマ館 そして 古川パビリオン

 

 

香港館

 

 

スイス館

 

 

ブルガリア館

 

 

国連館

 

 

東芝IHI館 そして 三井グループ館 

 

 

自動車工業館 そして 住友館

 

 

住友童話館

 

 

リコー館

 

 

エキスポランドより シンボルゾーン

 

 

 

 ときに、姉 と 義理の兄が 結婚した 年 すなわち 昭和四十八年の夏に 大阪の自宅に 伺ったときには、大阪万国博覧会場の近くの豊中市千里でしたので、不思議な一致に驚きました。 ちな みに、上記の エキスポランドは 営業していました。

 

 ところで、去る9月14日(木)の「お墓参り・15(後編)」のブログの下段に、

「(前略)帰りに 回り道をして、姉の家に 置き手紙を届けました。(後略)」と記させて頂きました。なお、御承知のことであらせられますように また 大阪万国博覧会が開かれるようでありますが、いろいろあるようでありますね。 ちな みに、こちらの入場料は 大人七五〇〇円とのことでありますから、前回の大阪万国博覧会のそれの約一〇倍でありますね。ついながら、このことは、上記のように、姉 と 義理の兄に 置き手紙で伝えました。

 

 (義務教育の方々かたがたに 美しい日本語を 正しい読みかたで 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名ふりがなを付けております)

 本日も、最後 まで  お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)

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