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さて、去る 12年前の10月11日(土)の「海外のこと」のブログの上段やや下に、
「(前略)学部生の頃(昭和62年の夏・菜食を始める前のことです)、エコノミー(economy)に、パキスタン航空を用いて、往路、東京(成田・午前10時発)からロンドン(英国)(翌日の午後0時45分着・日本との時差はサマータイムで、8時間)迄、南回りで、約35時間 掛けて参りました。経由地は、成田、北京、イスラマバード、アブダビ、イスタンブール、パリ、そして、ロンドンであり、各駅停車の電車のようでした。
成田からイスラマバード迄は、ボーイング707という当時の日本では使用していなかった 旧式の機体でありました。同乗していた日本人によると、パイロットは空軍上がり(ダブル・チェック致しますと、確かに、クルー[英語:crew][乗務員]は ほとんど軍人だそうで、ほとんど男性とのことでした)、ということであり、オーバーな表現ですが、計器よりも 腕前で操縦している、とのことでした。北京からイスラマバード迄は 途中に ヒマラヤ山脈から続く カラコルム山脈があり、気流の関係でありましょうが、相当揺れ、乗客が騒いでいました。
日本で購入した 三色ボールペン(日本円で 三百円位)で、日記を書いていましたら、隣りの座席に座っていたパキスタン人の方が この三色ボールペンを見て、珍しいようで、欲しいと ねだって来ました。このとき、日本では日常品である物でも、パキスタンでは貴重な物とされる、ということに改めて気が付きました。因みに、特殊な人なのかもしれませんが、パキスタン人は そのようなことを言うのか と思われました。なお、このパキスタン人の方は、二人で、北京から乗って来ました。その機内での写真を添付させて頂きます。

パキスタン航空・ボーイング707の機内
昭和62年7月24日【金】、午後8時20分、パキスタンの首都であるイスラマバードに到着致しました。ここでは、トランジット (英語:transit)(一時寄港)であり、本来なら空港内待機ですが、ストップ・オーバー(英語:stop・over)(乗継地点に24時間以上滞在すること)迄は いかないものの、四時間の入国を認めてくれまして、イスラマバードの中心地迄行きました。機内に同乗した、初めて知り合う日本人5人で、空港から、タクシーで、約20分、距離にして約25km、乗り、かなり遠く思われました。タクシー代は、往復で、100ルピー(日本円で、二千円位)(現在のレートでは、1Rs[パキスタン・ルピー]=約1円です。)とのことでした。到着して、日が暮れていましたが、思っていたよりは開けているマーケット(Jinnah super market)がありました。小さいモンキー・バナナを試食している人がいました。購入したジュースは冷えていました。シシカバブーに相当するような焼き鳥が金串で焼かれていました。現地人のためのマーケットですね。そして、小高い山(Damman-e-Koh)の頂上に展望レストランがありました。この頂上から、昼間でしたら、イスラマバードの市内が一望できるはずですが、夜間ですので、赤と緑のネオンが見えました。色はなかなか華やかですが、夜景の規模からすると、イスラマバードにしては、これ位といったところか、と思われました。金曜日でしたので、イスラムでは休日で、アジア的に、家族連れが多かったです。英語教育は盛んで、印度語圏では一番とのことでした。因みに、印度とパキスタンでは、英語が公用語です。夜でもやはり暑いです。蒸し暑さは 今一ですが、現地の方々の白い衣装でも、かなり暑そうでした。御承知のように、イスラム社会で、女性の写真を撮影ることは、厳禁とのことで御座いました。なお、誠に遺憾なことに、上記の イスタンブールでは 結果として、男子3名で 夜間 短距離を タクシーの無賃乗車を してしまいました。序で乍ら、当方は よく 分かりませんでした。因みに、気が付いたときには そうなっていました。
その際、行動を共にした同志社大学・アラビア語学科の男子学生の方によりますと、海外は規則が緩やかで、一番融通が利かないのが日本とのことで御座いました。確かに、規則は厳しいでしょうが、日本の入国が厳しいことは理のあることと思われます。
マーケット前で撮影した写真を添付させて頂きます。前述致しましたように、日本人5人で行き、4人の日本人が写っていまして、1人が撮影しました。

マーケット(Jinnah super market)前
(中略)
シンガポール航空にしても、マレーシア航空にしても、大韓航空(すべて今まで利用した航空会社です)にしても、基本的に、その国を経由する場合には、その国で、飛行機を乗り換えるようになっています。パキスタン航空のこの場合は、往路は、成田・イスラマバードが前述致しましたボーイング707、そして、イスラマバード・ロンドンがボーイング747(御承知のように、ジャンボの呼称)、また、復路は、パリ・カラチがボーイング747、そして、カラチ・成田が別の機種になっています。
パキスタンの都市であるカラチに着いたときに、乗り継ぐべき カラチから 東京の便の予約が、代理店の手違いで、その前日の便になっていて、当然、前日 発っていますので乗れませんから、このとき初めて、国際線の一般空席待ちをしました。
欧州(ヨーロッパ)迄の往復航空運賃は17万~18万円でした。代理店には、二ヶ月半以上前から申し込んでおり、予約が入れば、連絡が入ることになっていました。通常は、航空会社がオーバー・ブッキング(英語:overbooking)(当時、マイナーの航空会社は、空席が出来ると採算が合わないとのことで、全座席よりも多めに予約を入れている、すなわち、オーバー・ブッキング[過剰予約]していると伺いました。)していても、3週間前に整理されると某・ガイド・ブックに書かれてありました。ですから、3週間前になれば、結果が出るはずで御座います。にもかかわらず、直前、すなわち、2週間前になっても連絡が御座いませんでした。そこで、当方から連絡致しましたら、担当者から、航空会社にはプッシュ(英語:push)しているとのことでありました。その後も連絡が御座いませんでした。今更、他の代理店に頼むにも、正に 直前で御座いました。そこで、前述の代理店に 毎日、電話連絡致しました。その度に、前述のように、航空会社にはプッシュ(英語:push)しているとの回答のみで御座いました。そして、出発の前日頃になりまして、漸く、航空券のO.K.(予約完了)が入ったとのことで御座いました。そのため、海外旅行の準備もあり、日本を発つ前に、航空券の確認をする余裕がありませんでした。往きのイスラマバードに到着したときに、気が付き、前述の日本人5人の中で、海外旅行慣れしている方が イスラマバードのパキスタン航空に問い合わせてくれる とのことでしたので、お任せ致しましたが、連絡が通じないので、どうにもならないとのことで御座いました。欧州(ヨーロッパ)に居る間中、常にこの復路の航空券のことが頭にありました。マドリード(Madrid)(西[スペイン]の首都ですから、ここにしました。)のパキスタン航空のオフィス(英語:office)を捜して、行きましたが、首都であるにもかかわらず、端末が無く、電話で、本国のパキスタンに連絡するとのことでした。このオフィス(office)では、10月以降にならないと、日本に帰国出来ないとの回答で御座いました。新学期は 9月初めから始まります。このときのマドリード(Madrid)では、全く観光出来ませんでした。以上の教訓から、代理店は信頼出来る、しっかりした所を選ぶべき、と思われました。その後、格安の航空券でも、信頼出来る代理店があることを知りましたが、今日に至りましても、未だ利用出来ず で御座います。
話しを復路のカラチのことに戻します。すなわち、当時、カラチでは、対立するスンニー派やシーア派による暴動が起こっていて、市内のあちらこちらで暴動が起こり、一ヶ所の暴動が鎮圧されると、別の場所の暴動がおこり、この暴動が鎮圧されると、更に 別の場所の暴動が起こるといったイタチごっこのようである とのことで、戒厳令ではありませんでしたが、厳戒態勢でありました。国際線の一般空席待ちが 適わなければ、次の便は 2日後ですから、空港での情報によりますと、48時間、ホテルから出るな とのことでした。
前述致しましたように、印度には行けませんでしたが、先の大戦前は同じ国でした、隣のパキスタンに入国することは出来ました。
カラチの空港前に出ましたとき、民衆に巻き込まれまして、群衆の凄いパワーを受けました。
結局、誠に有り難いことに、国際線の最後の一席(ファースト・クラス)の空席待ちが 適いまして、当時五千円の追加料金で、エコノミー・クラスからファースト・クラスに乗ることが出来ました。
当時、知人(現在は、郷里の愛媛県在住)に、大阪大学 外国語学部 卒業、B.A. (英語:Bachelor of Arts)Urdu, Indo-Pakistan dept.の、パキスタン航空のスチュワーデス(当時の名称・現在のキャビン・アテンダント[和製英語])が居まして、後から聞いたことですが、このとき、偶々 カラチに居たとのことでした。この方によりますと、パキスタン航空には、日本人のスチュワーデス(当時の名称・現在のキャビン・アテンダント)が 十数名 居て、皆で、箱根に行ったとのことですが、化粧が濃いので、集団として、相当 目立ったとのことで御座いました。
パキスタンは、イスラム教国の中でも、戒律を厳しく守る国なので、国内では、禁酒であり、機内でも、お酒のサービスは無く、外国人でも、日本人のクルー(英語:crew)(乗務員)がパキスタン国内に お酒を持ち込みますと、罰せられるとのことで御座いました。因みに、36年位前のことになりますが、その知人とは、車で 日帰りで 奥日光に行ったことがありました。
お酒を飲まないのに、暴動を起こしている、お酒を飲んだら、一体 どうなるのだろうか、と言っている方が居ました。(^-^)
印度とパキスタンのことを言及させて頂きましたが、両者の国々と云えば、御承知のように、印度からパキスタンが分離独立しようとした際に、マハトマ(偉大な魂)・ガンディーは、こうした分離の動きに強く反対しましたね。(後略)」と記させていただきました。
ときに、そのパキスタンが、「戦争開始」を宣言しました。すなわち、パキスタンのハワジャ国防相は、アフガニスタンのイスラム主義組織タリバン暫定政権との軍事衝突を受けて「われわれはアフガニスタンと戦争を始めている」と宣言しました。 因みに、タリバン側の越境攻撃に対し、パキスタン軍は 本日 つまり 2月27日、アフガニスタン各地への大規模な空爆を実施し、両国で合わせて 180人以上が死亡しています。なお、去る 2月20日(金) の「国際情勢の考察・続報22(中東情勢)(速報)」のブログを記させていただきましたが、米国が イランに対して軍事攻撃を行なおうとしていることが 刺激になっているのでありましょうかね。序で乍ら、パキスタンも アフガニスタンも イランも 、イスラム教国でありますね。但し、スンニ派 と シーア派の違いがあります。
ところで、ご承知のように、ミャンマー軍事政権は、令和3年(2021年)2月1日のクーデターで アウンサン・スーチー氏の民主政権を倒し、ミン・アウン・フライン国軍最高司令官が率いる国家統治評議会(S.A.C.)が全権を掌握しました。 因みに、このときも 表面上は 米国大統領選挙に負けた トランプ米国大統領は 決起せず 選挙結果に従いましたが、代わりに 上記のように ミャンマー軍事政権が クーデターを起こしましたね。
(義務教育の方々に 美しい日本語を 正しい読み方で 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名を付けております。因みに、美しい日本語の平仮名を大事にしたい という思いもあります)
本日も、最後 迄 お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)
