このブログ(英語:blog)に御訪問頂き、誠にありがとうございます。
リンクを 貼 らせて頂いております。紫色のブログ・タイトルをクリック(英語:click)(もしくは タップ[英語:tap])して頂きますと、過去のブログ記事に移行します。(^O^)
さて、去る 9年前の12月4日(金)の「 占守島 」のブログの中段やや上に、
「(前略)話を その 占守島 の戦いのことに戻しますが、当初 ソ連軍は この島を 一日で占領する予定でした。ところが、日本軍の抵抗により 六日間 足止めされました。冒頭に 硫黄島 の戦いことを言及させて頂きましたが、この戦いと同様の働きの お 蔭 で 北海道に侵攻されることが 遅 れました。スターリンは、北海道を二分割して 北東部(釧路-留萌を結んだ直線以北)半分を ソ連のものにしようと考えていました。あわよくば、北海道全体以上を考えていたかもしれません。御承知のように、戦後、連合国によって 日本を四分割統治する計画があった訳でありますからね。仮に、千島列島と同様に ソ連軍に上陸されて 実効支配されていましたら、少なくても 北・北海道に 日本民主主義人民共和国が誕生していたかもしれません。実際に、 独 、朝鮮 そして ベトナムでは そうであったのですからね。(後略)」と記させて頂きました。仮に、上記のように 北海道を二分割されていましたら、納豆 や 豆腐の原料となる 北海道産の 大豆は、入手しにくかったかもしれません。
ときに、去る 5年前の9月7日(土)の「鰻の蒲焼・410(野菜スープ・カレーうどん・父親の食事)」のブログの中段やや上などに、
「(前略)去る8月18日(日)の『鰻の蒲焼・393(カレーうどん・父親の食事)』のブログの中段やや上などに、
『(前略)去る 一昨々年の12月2日(金)の【両親の食事・24】のブログの上段に、【(前略)父親は 絹漉し豆腐が好きですので、 絹漉し豆腐を購入して来ます。父親に この 絹漉し豆腐を、と思いました。

絹漉し豆腐
(後略)】と記させて頂きました。ところが、昨日は 父親によりますと、この絹漉し豆腐ではなく 木綿豆腐がいいとのことでした。それで、下の画像の木綿豆腐を購入しました。そして、父親によりますと 誠に有り難いことに、この木綿豆腐は 美味しかったとのことでした。なお、豆腐に因ませて頂きますと、去る 4年前の4月8日(水)の【 南瓜】のブログ の中段やや下に、
【(前略)奈良時代、 遣唐使が中国から豆腐の作り方 を日本に持ち帰ったということが豆腐伝来説として有力とされています。その伝来した際、豆腐と納豆の名称が 逆になって伝わったとのことです。考えてみますと、納豆の製法である〖豆を(納豆菌で) 腐らす〗のは 正しく納豆であり、豆腐の製法である〖豆を(型に) 納める〗のは 正しく豆腐でありますね。(後略)】と記させて頂きました。(後略)』と記させて頂きました。そして、過日は 絹漉し豆腐を購入してきました。それから、今回は、上記の木綿豆腐を買いました。すなわち、絹漉し豆腐 と 木綿豆腐を 交互に購入しています。(後略)」と記させて頂きました。
ならびに、去る 5年前の12月16日(月)の「鰻の蒲焼・496(カレーうどん・父親の食事)」のブログの中段やや上に、
「(前略)去る12月8日(日)の『鰻の蒲焼・489(カレーうどん・父親の食事)』のブログの中段やや上に、
『(前略)去る11月25日(月)の【鰻の蒲焼・478(カレーうどん・父親の食事)】のブログの中段やや上に、
【(前略)去る11月12日(火)の〖鰻の蒲焼・467(カレーうどん・父親の食事)〗のブログの中段やや上に、
〖(前略)去る11月2日(土)の〔父親の訴え(鰻の蒲焼・458[カレーうどん・父親の食事])〕のブログの中段やや上に、
〔(前略)去る10月22日(火)の〘即位礼正殿の儀(鰻の蒲焼・449[カレーうどん・父親の食事])〙のブログの中段やや上に、〘(前略)今回は、上記の木綿豆腐を買いました。(後略)〙と記させて頂きました。今回も、上記の木綿豆腐を買いました。(後略)〕と記させて頂きました。今回も、上記の木綿豆腐を買いました。(後略)〗と記させて頂きました。今回も、上記の木綿豆腐を買いました。(後略)】と記させて頂きました。今回も、上記の木綿豆腐を買いました。(後略)』と記させて頂きました。今回も、上記の木綿豆腐を買いました。(後略)」と記させて頂きました。
および、去る 4年前の2月16日(日)の「鰻の蒲焼・548(カレーうどん・父親の食事)」のブログの中段やや上に、
「(前略)去る2月6日(木)の『鰻の蒲焼・540(カレーうどん・父親の食事)』のブログの中段やや上に、
『(前略)去る1月26日(日)の【鰻の蒲焼・530(カレーうどん・父親の食事)】のブログの中段やや上に、
【(前略)去る1月15日(水)の〖鰻の蒲焼・521(カレーうどん・父親の食事)〗のブログの中段やや上に、
〖(前略)去る1月6日(月)の〔鰻の蒲焼・513(カレーうどん・父親の食事)〕のブログの中段やや上に、
〔(前略)去る 昨年の12月25日(水)の〘鰻の蒲焼・504(カレーうどん・父親の食事)〙のブログの中段やや上に、
〘(前略)今回も、上記の木綿豆腐を買いました。(後略)〙と記させて頂きました。今回も、上記の木綿豆腐を買いました。(後略)〕と記させて頂きました。今回も、上記の木綿豆腐を買いました。(後略)】と記させて頂きました。今回も、上記の木綿豆腐を買いました。(後略)】と記させて頂きました。今回も、上記の木綿豆腐を買いました。(後略)』と記させて頂きました。今回も、上記の木綿豆腐を買いました。(後略)」と記させて頂きました。
また、去る 4年前の5月2日(土)の「鰻の蒲焼・613(カレーうどん・父親の食事)」のブログの中段やや上に、
「(前略)去る4月19日(日)の『鰻の蒲焼・602(カレーうどん・父親の食事)』のブログの中段やや上に、
『(前略)去る4月6日(月)の【鰻の蒲焼・591(カレーうどん・父親の食事)】のブログの中段やや上に、
【(前略)去る3月24日(火)の〖鰻の蒲焼・580(カレーうどん・父親の食事)〗のブログの中段やや上に、
〖(前略)去る3月12日(木)の〔鰻の蒲焼・570(カレーうどん・父親の食事)〕のブログの中段やや上に、
〔(前略)去る2月29日(土)の〘鰻の蒲焼・559(カレーうどん・父親の食事)〙のブログの中段やや上に、〘(前略)今回も、上記の木綿豆腐を買いました。(後略)〙と記させて頂きました。今回も、上記の木綿豆腐を買いました。(後略)〕と記させて頂きました。今回も、上記の木綿豆腐を買いました。(後略)〗と記させて頂きました。今回も、上記の木綿豆腐を買いました。(後略)】と記させて頂きました。今回も、上記の木綿豆腐を買いました。(後略)』と記させて頂きました。今回も、上記の木綿豆腐を買いました。また、上記のように 父親に この 下の画像の 絹漉し豆腐を、と思いました。(後略)」と記させて頂きました。
しかも、去る 4年前の7月28日(火)の「鰻の蒲焼・688(カレーうどん・父親の食事)」のブログの中段やや上に、
「(前略)去る7月15日(水)の『鰻の蒲焼・677(カレーうどん・父親の食事)』のブログの中段やや上に、
『(前略)去る7月1日(水)の【鰻の蒲焼・665(カレーうどん・父親の食事)】のブログの中段やや上に、
【(前略)去る6月17日(水)の〖鰻の蒲焼・653(カレーうどん・父親の食事))〗のブログの中段やや上に、
〖(前略)去る6月1日(月)の〔鰻の蒲焼・639(カレーうどん・父親の食事)〕のブログの中段やや上に、
〔(前略)去る5月17日(日)の〘鰻の蒲焼・626(カレーうどん・父親の食事)〙のブログの中段やや上に、
〘(前略)今回も、上記の 絹漉し豆腐を買いました。

15日前 すなわち 去る5月2日(土)に、父親に出した 国産の 絹漉し豆腐
(後略)〙と記させて頂きました。上記のように 父親に この 下の画像の 絹漉し豆腐を、と思いました。(後略)〕と記させて頂きました。上記のように 父親に この 下の画像の 絹漉し豆腐を、と思いました。(後略)〗と記させて頂きました。上記のように 父親に この 下の画像の 絹漉し豆腐を、と思いました。(後略)】と記させて頂きました。上記のように 父親に この 下の画像の 絹漉し豆腐を、と思いました。(後略)』と記させて頂きました。上記のように 父親に この 下の画像の 絹漉し豆腐を、と思いました。(後略)」と記させて頂きました。
そのうえ、去る 4年前の10月14日(木)の「鰻の蒲焼・755(カレーうどん・父親の食事)」のブログの中段やや上に、
「(前略)去る10月1日(木)の『鰻の蒲焼・744(カレーうどん・父親の食事)』のブログの中段やや下に、
『(前略)去る9月19日(土)の【鰻の蒲焼・733(カレーうどん・父親の食事)】のブログの中段やや下に、
【(前略)去る9月7日(日)の〖鰻の蒲焼・722(カレーうどん・父親の食事)〗のブログの中段やや下に、
〖(前略)去る8月24日(月)の〔鰻の蒲焼・711(カレーうどん・父親の食事)〕のブログの中段やや下に、
〔(前略)去る8月11日(火)の〘鰻の蒲焼・688(カレーうどん・父親の食事)〙のブログの中段やや下に、〘(前略)上記のように 父親に この 下の画像の 絹漉し豆腐を、と思いました。(後略)〙と記させて頂きました。上記のように 父親に この 下の画像の 絹漉し豆腐を、と思いました。(後略)〕と記させて頂きました。上記のように 父親に この 下の画像の 絹漉し豆腐を、と思いました。(後略)〗と記させて頂きました。上記のように 父親に この 下の画像の 絹漉し豆腐を、と思いました。(後略)】と記させて頂きました。上記のように 父親に この 下の画像の 絹漉し豆腐を、と思いました。(後略)』と記させて頂きました。上記のように 父親に この 下の画像の 絹漉し豆腐を、と思いました。(後略)」と記させて頂きました。
更 に、去る 一昨々年の1月5日(火)の「鰻の蒲焼・814(カレーうどん・父親の食事)」のブログの中段に、
「(前略)去る12月22日(火)の『鰻の蒲焼・814(カレーうどん・父親の食事)』のブログの中段に、
『(前略)去る12月8日(火)の【鰻の蒲焼・802(カレーうどん・父親の食事)】のブログの中段に、【(前略)去る11月24日(火)の〖鰻の蒲焼・790(カレーうどん・父親の食事)〗のブログの中段に、【(前略)去る11月10日(火)の〖鰻の蒲焼・778(カレーうどん・父親の食事)〗のブログの中段に、〔(前略)去る10月27日(木)の〘鰻の蒲焼・766(カレーうどん・父親の食事)〙のブログの中段に、〘(前略)上記のように 父親に この 下の画像の 絹漉し豆腐を、と思いました。(後略)〙と記させて頂きました。上記のように 父親に この 下の画像の 絹漉し豆腐を、と思いました。(後略)〕と記させて頂きました。上記のように 父親に この 下の画像の 絹漉し豆腐を、と思いました。(後略)〗と記させて頂きました。上記のように 父親に この 下の画像の 絹漉し豆腐を、と思いました。(後略)】と記させて頂きました。上記のように 父親に この 下の画像の 絹漉し豆腐を、と思いました。(後略)』と記させて頂きました。上記のように 父親に この 下の画像の 絹漉し豆腐を、と思いました。(後略)」と記させて頂きました。
しかして、去る 一昨々年の3月23日(火)の「鰻の蒲焼・891(カレーうどん・父親の食事)」のブログの中段やや下に、
「(前略)去る3月10日(水)の『鰻の蒲焼・880(カレーうどん・父親の食事)』のブログの中段やや下に、
『(前略)去る2月25日(木)の【鰻の蒲焼・869(カレーうどん・父親の食事)】のブログの中段やや下に、
【(前略)去る2月13日(火)の〖鰻の蒲焼・858(カレーうどん・父親の食事)〗のブログの中段やや下に、
〖(前略)去る1月31日(火)の〔潜在意識(鰻の蒲焼・847[カレーうどん・父親の食事])〕のブログの中段やや下に、
〔(前略)去る1月18日(火)の〘鰻の蒲焼・836(カレーうどん・父親の食事)〙のブログの中段やや下に、〘(前略)上記のように 父親に この 下の画像の 絹漉し豆腐を、と思いました。(後略)〙と記させて頂きました。上記のように 父親に この 下の画像の 絹漉し豆腐を、と思いました。(後略)〕と記させて頂きました。上記のように 父親に この 下の画像の 絹漉し豆腐を、と思いました。(後略)〗と記させて頂きました。上記のように 父親に この 下の画像の 絹漉し豆腐を、と思いました。(後略)】と記させて頂きました。上記のように 父親に この 下の画像の 絹漉し豆腐を、と思いました。(後略)』と記させて頂きました。上記のように 父親に この 下の画像の 絹漉し豆腐を、と思いました。(後略)」と記させて頂きました。
のみならず、去る 一昨々年の6月8日(火)の「鰻の蒲焼・957(カレーうどん・父親の食事)」のブログの中段やや下に、
「(前略)去る5月26日(水)の『鰻の蒲焼・946(カレーうどん・父親の食事)』のブログの中段やや下に、
『(前略)去る5月13日(木)の【鰻の蒲焼・935(カレーうどん・父親の食事)】のブログの中段やや下に、
【(前略)去る5月1日(土)の〖鰻の蒲焼・924(カレーうどん・父親の食事)〗のブログの中段やや下に、
〖(前略)去る4月18日(日)の〔鰻の蒲焼・913(カレーうどん・父親の食事)〕のブログの中段やや下に、
〔(前略)去る 4月5日(月)の〘鰻の蒲焼・902(カレーうどん・父親の食事)〙のブログの中段やや下に、
〘(前略)上記のように 父親に この 下の画像の 絹漉し豆腐を、と思いました。(後略)〙と記させて頂きました。上記のように 父親に この 下の画像の 絹漉し豆腐を、と思いました。(後略)〕と記させて頂きました。上記のように 父親に この 下の画像の 絹漉し豆腐を、と思いました。(後略)〗と記させて頂きました。上記のように 父親に この 下の画像の 絹漉し豆腐を、と思いました。(後略)】と記させて頂きました。上記のように 父親に この 下の画像の 絹漉し豆腐を、と思いました。(後略)』と記させて頂きました。上記のように 父親に この 下の画像の 絹漉し豆腐を、と思いました。(後略)」と記させて頂きました。
加うるに、去る 一昨々年の8月24日(火)の「鰻の蒲焼・1023(カレーうどん・父親の食事)」のブログの中段やや下に、
「(前略)去る8月11日(水)の『鰻の蒲焼・1012(カレーうどん・父親の食事)』のブログの中段やや下に、
『(前略)去る7月29日(木)の【鰻の蒲焼・1001(カレーうどん・父親の食事)】のブログの中段やや下に、
【(前略)去る 7月17日(土)の〖鰻の蒲焼・990(カレーうどん・父親の食事)〗のブログの中段やや下に、
〖(前略)去る7月4日(日)の〔鰻の蒲焼・979(カレーうどん・父親の食事)〕のブログの中段やや下に、
〔(前略)去る6月21日(月)の〘鰻の蒲焼・968(カレーうどん・父親の食事)〙のブログの中段やや下に、〘(前略)上記のように 父親に この 下の画像の 絹漉し豆腐を、と思いました。(後略)〙と記させて頂きました。上記のように 父親に この 下の画像の 絹漉し豆腐を、と思いました。(後略)〕と記させて頂きました。上記のように 父親に この 下の画像の 絹漉し豆腐を、と思いました。(後略)〗と記させて頂きました。上記のように 父親に この 下の画像の 絹漉し豆腐を、と思いました。(後略)】と記させて頂きました。上記のように 父親に この 下の画像の 絹漉し豆腐を、と思いました。(後略)』と記させて頂きました。上記のように 父親に この 下の画像の 絹漉し豆腐を、と思いました。(後略)」と記させて頂きました。
おまけに、去る 一昨々年の11月1日(月)の「鰻の蒲焼・1082(カレーうどん・父親の食事)」のブログの中段やや下に、
「(前略)去る10月20日(水)の『鰻の蒲焼・1072(カレーうどん・父親の食事)』のブログの中段やや下に、
『(前略)去る10月10日(日)の【鰻の蒲焼・1063(カレーうどん・父親の食事)】のブログの中段やや下に、
【(前略)去る9月29日(水)の〖鰻の蒲焼・1054(カレーうどん・父親の食事)〗のブログの中段やや下に、
〖(前略)去る9月18日(土)の〔鰻の蒲焼・1044(カレーうどん・父親の食事)〕のブログの中段やや下に、
〔(前略)去る9月6日(月)の〘鰻の蒲焼・1034(カレーうどん・父親の食事)〙のブログの中段やや下に、
〘(前略)上記のように 父親に この 下の画像の 絹漉し豆腐を、と思いました。(後略)〙と記させて頂きました。上記のように 父親に この 下の画像の 絹漉し豆腐を、と思いました。(後略)〕と記させて頂きました。上記のように 父親に この 下の画像の 絹漉し豆腐を、と思いました。(後略)〗と記させて頂きました。上記のように 父親に この 下の画像の 絹漉し豆腐を、と思いました。(後略)】と記させて頂きました。上記のように 父親に この 下の画像の 絹漉し豆腐を、と思いました。(後略)』と記させて頂きました。上記のように 父親に この 下の画像の 絹漉し豆腐を、と思いました。(後略)」と記させて頂きました。
ならびに、去る 一昨年の1月13日(木)の「鰻の蒲焼・1144(カレーうどん・父親の食事)」のブログの中段やや下に、
「(前略)去る1月1日(土)の『鰻の蒲焼・1134(カレーうどん・父親の食事)』のブログの中段やや下に、
『(前略)去る 昨年の12月19日(日)の【鰻の蒲焼・1123(カレーうどん・父親の食事)】のブログの中段やや下に、
【(前略)去る12月6日(月)の〖鰻の蒲焼・1112(カレーうどん・父親の食事)〗のブログの中段やや下に、
〖(前略)去る11月24日(水)の〔鰻の蒲焼・1102(カレーうどん・父親の食事)〕のブログの中段やや下に、
〔(前略)去る11月13日(土)の〘鰻の蒲焼・1092(カレーうどん・父親の食事)〙のブログの中段やや下に、
〘(前略)上記のように 父親に この 下の画像の 絹漉し豆腐を、と思いました。(後略)〙と記させて頂きました。上記のように 父親に この 下の画像の 絹漉し豆腐を、と思いました。(後略)〕と記させて頂きました。上記のように 父親に この 下の画像の 絹漉し豆腐を、と思いました。(後略)〗と記させて頂きました。上記のように 父親に この 下の画像の 絹漉し豆腐を、と思いました。(後略)】と記させて頂きました。上記のように 父親に この 下の画像の 絹漉し豆腐を、と思いました。(後略)』と記させて頂きました。上記のように 父親に この 下の画像の 絹漉し豆腐を、と思いました。(後略)」と記させて頂きました。
および、去る 一昨年の3月22日(火)の「菜食のおかず・10(豆腐)」のブログの中段やや下に、
「(前略)去る3月13日(日)の『鰻の蒲焼・1194(カレーうどん・父親の食事)』のブログの中段やや下に、
『(前略)去る3月1日(火)の【鰻の蒲焼・1184(カレーうどん・父親の食事)】のブログの中段やや下に、
【(前略)去る2月17日(木)の〖鰻の蒲焼・1174(カレーうどん・父親の食事)〗のブログの中段やや下に、
〖(前略)去る2月6日(日)の〔鰻の蒲焼・1164(カレーうどん・父親の食事)〕のブログの中段やや下に、
〔(前略)去る1月25日(火)の〘鰻の蒲焼・1154(カレーうどん・父親の食事)〙のブログの中段やや下に、
〘(前略)上記のように 父親に この 下の画像の 絹漉し豆腐を、と思いました。(後略)〙と記させて頂きました。上記のように 父親に この 下の画像の 絹漉し豆腐を、と思いました。(後略)〕と記させて頂きました。上記のように 父親に この 下の画像の 絹漉し豆腐を、と思いました。(後略)〗と記させて頂きました。上記のように 父親に この 下の画像の 絹漉し豆腐を、と思いました。(後略)】と記させて頂きました。上記のように 父親に この 下の画像の 絹漉し豆腐を、と思いました。(後略)』と記させて頂きました。上記のように 父親に この 下の画像の 絹漉し豆腐を、と思いました。

14日前 すなわち 去る 3月8日(火)に、父親に出した 絹漉し豆腐
(後略)」と記させて頂きました。
また、去る 一昨年の5月14日(土)の「菜食のおかず・51(豆腐)・洗濯物」のブログの中段やや下に、
「(前略)去る5月4日(水)の『菜食のおかず・45(豆腐)』のブログの中段やや下に、
『(前略)去る4月26日(火)の【菜食のおかず・38(豆腐)(使用済み切手[古切手]を 寄付する 箱)】のブログの中段やや下に、
【(前略)去る4月9日(土)の〖菜食のおかず・28(豆腐)〗のブログの中段やや下に、
〖(前略)去る3月31日(木)の〔菜食のおかず・19(豆腐)〕のブログの中段やや下に、
〔(前略)上記のように 父親に その 上の画像の 絹漉し豆腐を、と思いましたが、去る3月11日(金)の〘父親の転帰〙のブログに記させて頂きましたように、父親は 亡くなりました。(後略)〕と記させて頂きました。そして、上記の 国産(北海道大豆使用)の 豆腐であります。(後略)〗と記させて頂きました。それから、上記の 国産(北海道大豆使用)の 豆腐であります。(後略)】と記させて頂きました。そして、上記の 国産(北海道大豆使用)の 豆腐であります。(後略)』と記させて頂きました。それから、上記の 国産(北海道大豆使用)の 豆腐であります。(後略)」と記させて頂きました。
しかも、去る 一昨年の8月18日(木)の「菜食のおかず・137(豆腐)」のブログの中段やや下に、
「(前略)去る8月5日(金)の『菜食のおかず・124(豆腐)』のブログの中段やや下に、
『(前略)去る7月13日(水)の【菜食のおかず・105(豆腐)】のブログの中段やや下に、
【(前略)去る6月25日(土)の〖菜食のおかず・92(豆腐)〗のブログの中段やや下に、
〖(前略)去る6月8日(水)の〔菜食のおかず・75(豆腐)・洗濯物〕のブログの中段やや下に、
〔(前略)去る5月26日(木)の〘菜食のおかず・62(豆腐)・洗濯物〙のブログの中段やや下に、〘(前略)そして、上記の 国産(北海道大豆使用)の 豆腐であります。(後略)〙と記させて頂きました。それから、上記の 国産(北海道大豆使用)の 豆腐であります。(後略)〕と記させて頂きました。それから、上記の 国産(北海道大豆使用)の 豆腐であります。(後略)〗と記させて頂きました。そして、上記の 国産(北海道大豆使用)の 豆腐であります。(後略)】と記させて頂きました。そして、上記の 国産(北海道大豆使用)の 豆腐であります。(後略)』と記させて頂きました。それから、上記の 国産(北海道大豆使用)の 豆腐であります。

国産(北海道大豆使用)の 豆腐

国産の 木綿豆腐
(後略)」と記させて頂きました。
そのうえ、去る 一昨年の11月20日(日)の「菜食のおかず・230(豆腐)」のブログの下段に、
「(前略)去る11月3日(木)の『菜食のおかず・213(豆腐)』のブログの下段に、
『(前略)去る10月17日(月)の【菜食のおかず・197(豆腐)】のブログの下段に、
【(前略)去る10月1日(土)の〖菜食のおかず・181(豆腐)〗のブログの下段に、
〖(前略)去る9月13日(火)の〔菜食のおかず・163(豆腐)〕のブログの下段に、
〔(前略)去る8月31日(水)の〘菜食のおかず・150(豆腐)〙のブログの下段に、
〘(前略)そして、上記の 国産(北海道大豆使用)の 豆腐であります。

国産の 木綿豆腐
(後略)〙と記させて頂きました。それから、上記の 国産(北海道大豆使用)の 豆腐であります。(後略)〕と記させて頂きました。そして、上記の 国産(北海道大豆使用)の 豆腐であります。(後略)〗と記させて頂きました。それから、上記の 国産(北海道大豆使用)の 豆腐であります。(後略)】と記させて頂きました。それから、上記の 国産(北海道大豆使用)の 豆腐であります。(後略)』と記させて頂きました。それから、上記の 国産(北海道大豆使用)の 豆腐であります。(後略)」と記させて頂きました。
更 に、去る 昨年の2月28日(火)の「菜食のおかず・330(豆腐)」のブログの中段やや下に、
「(前略)去る2月13日(月)の『菜食のおかず・315(豆腐)』のブログの中段やや下に、
『(前略)去る 1月27日(金)の【菜食のおかず・298(豆腐)】のブログの中段やや下に、
【(前略)去る1月10日(火)の〖菜食のおかず・281(豆腐)〗のブログの中段やや下に、
〖(前略)去る 昨年の12月24日(土)の〔菜食のおかず・264(豆腐)〕のブログの中段やや下に、〔(前略)去る12月7日(水)の〘菜食のおかず・247(豆腐)〙のブログの中段やや下に、〘(前略)それから、上記の 国産(北海道大豆使用)の 豆腐であります。(後略)〙と記させて頂きました。そして、上記の 国産(北海道大豆使用)の 豆腐であります。(後略)〕と記させて頂きました。それから、上記の 国産(北海道大豆使用)の 豆腐であります。(後略)〗と記させて頂きました。それから、上記の 国産(北海道大豆使用)の 豆腐であります。(後略)】と記させて頂きました。それから、上記の 国産(北海道大豆使用)の 豆腐であります。(後略)』と記させて頂きました。そして、上記の 国産(北海道大豆使用)の 豆腐であります。(後略)」と記させて頂きました。
しかして、去る 昨年の6月15日(木)の「菜食のおかず・447(豆腐)・前編」のブログの下段に、
「(前略)去る5月26日(金)の『菜食のおかず・424(豆腐)・前編』のブログの下段に、
『(前略)去る5月5日(金)の【菜食のおかず・399(豆腐)・前編】のブログの下段に、
【(前略)去る4月21日(金)の〖菜食のおかず・382(豆腐)・前編〗のブログの下段に、
〖(前略)去る4月4日(火)の〔菜食のおかず・365(豆腐)・前編〕のブログの下段に、
〔(前略)去る3月17日(金)の〘菜食のおかず・347(豆腐)・前編〙のブログの下段に、〘(前略)それから、上記の 国産(北海道大豆使用)の 豆腐であります。(後略)〙と記させて頂きました。そして、上記の 国産(北海道大豆使用)の 豆腐であります。(後略)〕と記させて頂きました。それから、上記の 国産(北海道大豆使用)の 豆腐であります。(後略)〗と記させて頂きました。そして、上記の 国産(北海道大豆使用)の 豆腐であります。(後略)】と記させて頂きました。それから、上記の 国産(北海道大豆使用)の 豆腐であります。(後略)』と記させて頂きました。そして、上記の 国産(北海道大豆使用)の 豆腐であります。(後略)」と記させて頂きました。
のみならず、去る 昨年の10月19日(木)の「菜食のおかず・578(豆腐)・前編」のブログの下段に、
「(前略)去る9月28日(木)の『菜食のおかず・556(豆腐)・前編』のブログの下段に、
『(前略)去る9月6日(水)の【菜食のおかず・533(豆腐)・前編】のブログの下段に、
【(前略)去る8月17日(木)の〖菜食のおかず・513(豆腐)・前編〗のブログの下段に、
〖(前略)去る7月27日(木)の〔菜食のおかず・491(豆腐)・前編〕のブログの下段に、
〔(前略)去る7月6日(木)の〘菜食のおかず・470(豆腐)・前編〙のブログの下段に、〘(前略)それから、上記の 国産(北海道大豆使用)の 豆腐であります。(後略)〙と記させて頂きました。そして、上記の 国産(北海道大豆使用)の 豆腐であります。(後略)〕と記させて頂きました。それから、上記の 国産(北海道大豆使用)の 豆腐であります。(後略)〗と記させて頂きました。それから、上記の 国産(北海道大豆使用)の 豆腐であります。(後略)】と記させて頂きました。そして、上記の 国産(北海道大豆使用)の 豆腐であります。(後略)』と記させて頂きました。それから、上記の 国産(北海道大豆使用)の 豆腐であります。因みに、去る 昨年の3月11日(金)の『父親の転帰』のブログに記させて頂きましたように、父親が 母親に続いて 亡くなりました。なお、本来 当方は 木綿豆腐を食べていましたが、母親が亡くなってからは お供えをする目的もあり 父親の大好きな 絹漉し豆腐を買っていることを 父親の食生活を知っている 家政婦に伝えました。

お供えをした 父親の大好きな 絹漉し豆腐

お供えをした 父親の大好きな 絹漉し豆腐(上の製品と同じでありますが、『発泡剤不使用』の表示が消えました。すなわち、発泡剤を使用するようになった ということでありますね)
(後略)」と記させて頂きました。
加うるに、去る2月21日(水)の「菜食のおかず・716(豆腐)・前編」のブログの下段に、
「(前略)去る 1月31日(水)の『菜食のおかず・693(豆腐)・前編』のブログの下段に、
『(前略)去る1月10日(水)の【菜食のおかず・670(豆腐)・前編】のブログの下段に、
【(前略)去る 昨年の12月20日(水)の〖菜食のおかず・647(豆腐)・前編〗のブログの下段に、
〖(前略)去る11月30日(木)の〔菜食のおかず・624(豆腐)・前編〕のブログの下段に、
〔(前略)去る11月9日(木)の〘菜食のおかず・601(豆腐)・前編〙のブログの下段に、
〘(前略)そして、上記の 国産(北海道大豆使用)の 豆腐であります。(後略)〙と記させて頂きました。それから、上記の 国産(北海道大豆使用)の 豆腐であります。(後略)〕と記させて頂きました。そして、上記の 国産(北海道大豆使用)の 豆腐であります。(後略)〗と記させて頂きました。それから、上記の 国産(北海道大豆使用)の 豆腐であります。

お供えをした 父親の大好きな 絹漉し豆腐
(後略)】と記させて頂きました。そして、上記の 国産(北海道大豆使用)の 豆腐であります。

お供えをした 父親の大好きな 絹漉し豆腐
(後略)』と記させて頂きました。それから、上記の 国産(北海道大豆使用)の 豆腐であります。(後略)」と記させて頂きました。
おまけに、去る6月26日(水)の「菜食のおかず・864(豆腐)・前編」のブログの下段に、
「(前略)去る 6月5日(水)の『菜食のおかず・838(豆腐)・前編』のブログの下段に、
『(前略)去る5月15日(水)の【菜食のおかず・812(豆腐)・前編】のブログの下段に、
【(前略)去る4月24日(水)の〖菜食のおかず・786(豆腐)・前編〗のブログの下段に、
〖(前略)去る4月3日(水)の〔菜食のおかず・762(豆腐)・前編〕のブログの下段に、
〔(前略)去る3月13日(水)の〘菜食のおかず・693(豆腐)・前編〙のブログの下段に、
〘(前略)上記の 国産(北海道大豆使用)の 豆腐であります。

お供えをした 父親の大好きな 絹漉し豆腐

お供えをした 父親の大好きな 絹漉し豆腐
(後略)〙と記させて頂きました。そして、上記の 国産(北海道大豆使用)の 豆腐であります。

お供えをした 父親の大好きな 絹漉し豆腐
(後略)〕と記させて頂きました。
それから、上記の 国産(北海道大豆使用)の 豆腐であります。因みに、若い頃は 歯応えのある 木綿豆腐が好みでありましたが、今では 父親と同様に 絹漉し豆腐ばかりであります。(後略)〗と記させて頂きました。そして、上記の 国産(北海道大豆使用)の 豆腐であります。(後略)】と記させて頂きました。それから、上記の 国産(北海道大豆使用)の 豆腐であります。(後略)』と記させて頂きました。そして、上記の 国産(北海道大豆使用)の 豆腐であります。(後略)」と記させて頂きました。
ならびに、去る8月28日(水)の「菜食のおかず・942(豆腐)・後編」のブログの上段に、
「(前略)去る8月7日(水)の『菜食のおかず・916(豆腐)・後編』のブログの上段に、
『(前略)去る7月17日(水)の【菜食のおかず・890(豆腐)・後編・洗濯物】のブログの上段に、
【(前略)上記の 国産(北海道大豆使用)の 豆腐であります。(後略)】と記させて頂きました。それから、上記の 国産(北海道大豆使用)の 豆腐であります。(後略)』と記させて頂きました。そして、上記の 国産(北海道大豆使用)の 豆腐であります。(後略)」と記させて頂きました。それから、上記の 国産(北海道大豆使用)の 豆腐であります。

お供えをした 父親の大好きな 絹漉し豆腐

お供えをした 父親の大好きな 絹漉し豆腐

お供えをした 父親の大好きな 絹漉し豆腐
ところで、去る 8年前の9月26日(月)の「母親の入院・続報3(資源回収)」ブログの上段やや下などに、
「(前略)去る 一昨年 の9月23日(金)の『資源回収・続報16(母親の血圧)』のブログの中段に、『家族の洗濯物のことも致しました。』と記させて頂きました。 因 みに、毎日 洗濯致しております。なお、昨日は、母親の洗濯物も致しました。(後略)」と記させて頂きました。毎日 家族の洗濯物を洗濯して 干 しています。
また、前述の 去る 8年前の9月23日(金)の「資源回収・続報16(母親の血圧)」のブログなどに記させて頂きましたように、平日 毎日のごみの回収(可燃物資源、不燃物資源、可燃物ごみ そして 不燃物ごみなど)がありますので、これらに対応しなければなりません。 因 みに、去る 8年前の3月2日(水)の「焼き麩・資源の回収」のブログの上段に、
「(前略)資源を出して それらの資源を回収してくれることが成立する、この ちょっとしたことが 喜びに繋がっています。幸福とは 幸せを感じるその人の気持ち次第であるのである ということが、この資源の回収から 今更乍ら 思われます。(後略)」と記させて頂きました。
ならびに、去る 6年前の2月16日(金)の「両親の食事、洗濯 そして 入浴・48」のブログの中段などに、
「(前略)去る 一昨年の11月24日(木)の『両親の食事( 新嘗祭)』のブログの中段やや下に、
『(前略)去る11月10日(木)の【両親の食事 そして 入浴・2】のブログの中段やや下に、
【(前略)過日から、両親の寝室にて 加湿器の運転を開始致しました。(後略)】と記させて頂きました。それで、去る3月16日(水)の【電気ポットの掃除・資源の回収】のブログの上段で 言及致しました クエン酸(英語:citric acid)を用いて、加湿器の お手入れをしました。(後略)』と記させて頂きました。今シーズンも 毎日、両親の寝室の加湿器の水を補給しております。(後略)」と記させて頂きました。そして、今シーズンも、加湿器を出して来まして 運転しました。
および、お風呂、トイレ そして 部屋などの掃除、庭の植物への水 撒 き や 外壁塗装など 自宅の維持管理のことがあります。
さて、ヘルパー(日本語:家政婦)によりますと、誠に有り難いことに、 一人 で 二人 の親をみることは たいへん とのことでありました。しかも、これからも 長丁場だから とのことでしたが、去る 6年前の3月6日(火)の「母親の転帰」のブログに記させて頂きましたように、母親が 亡くなりました。 また、去る 一昨年の3月11日(金)の「父親の転帰」のブログに記させて頂きましたように、父親が 続いて 亡くなりました。因 みに、飲み物を頂いたり 食事をしたりするときには、両親と 共に 頂いている気持ちでおります。なお、 勿論 、毎日のように 御仏壇に お供えを致して お線香を あげております。序で乍ら、父親も 母親も、神様であります。従いまして、両親を想うことは、神様を想うことであると思われます。
ならびに、去る 一昨年の9月22日(木)の「菜食のおかず・172(大和芋)・洗濯物」のブログの中段やや上に、
「(前略)去る 一昨々年の2月24日(日)の『母親の一周忌の挨拶』のブログ そして 去る 一昨年の2月27日(木)の『母親の三回忌の挨拶』のブログの上段に、
『(前略)【今日は、何が食べたい?】、【少し暖かくなったね。】と、誠に有り難いことに、毎日 会話しました。(後略)』と 記させて頂きました。なお、僧侶を招いて 供養することも 必要であるか と存じますが、人に両親の話をすることが 供養であるとされています。更に、お供えをすることも 大事ですが、一番 大切な供養は、日々 両親に 上記のように、『少し暖かくなったね。』と話し掛けることであると思われます。(後略)」と 記させて頂きました。
および、去る 昨年の3月5日(日)の「父親の 一周忌での 挨拶」のブログ、去る 一昨年の7月11日(月)の「父親の 初盆(新盆)での 挨拶」のブログ そして 去る 一昨年の3月20日(日)の「父親の告別式[家族葬]での 挨拶」のブログのそれぞれ上段に、
「(前略)当方から『よかったね。御飯 食べられて。』 そして 父親から『美味しかった。』が 毎朝の言葉の遣り取りでした。
母親との言葉の遣り取りは、『暖かくなったね。今日は、何が食べたい?』などでありました。すなわち、 去る 一昨々年の2月27日(木)の『母親の三回忌の挨拶』のブログの上段に記させて頂きましたように、毎日 会話しました。
(中略)
なお、『よかったね。御飯 食べられて。』は、日々 食べることが出来ることに 感謝の気持ちを捧げた言葉であります。(後略)」と 記させて頂きました。
また、誠に有り難いことに、親父さん、おふくろさん そして 御先祖様の 生命が 当方の中に 生きているのであると思われました。
しかも、本日は、兄(茂雄)の月命日であります。因みに、誠に有り難いことであります。
ときに、ヘルパー(日本語:家政婦)に因ませて頂きます。すなわち、去る 一昨年の4月1日(金)の「家政婦さんの入院」のブログに記させて頂きましたように、約4年8ヶ月 勤務してくれた 家政婦さんが入院しました。そして、誠に有り難いことに、去る 一昨年の4月18日(月)に 退院しました。
次 に、昨日、一日の食事(菜食)を 感謝の気持ちを 籠 めさせて頂いて 記させて頂きます。なお、去る 8年前の10月6日(木)の「3年目の感謝」のブログの下段などに、
「(前略)昨日も、おかずどころではありませんでした。そして、昨日も やはり 90分 睡眠でした。(後略)」と 記させて頂きました。昨日も、いつものことですが、結局 蒲団に入ることが 適いませんでした。序で乍ら、去る 8年前の9月30日(金)の「母親の入院・続報7」のブログの下段やや上に、
「(前略)レム睡眠(英語: rapid eye movement sleep, REM sleep) と ノンレム睡眠の1周期が 約90分とされています。但し、個人差があり、この1周期が 80分の人もいれば 110分の人もいるようです。ヘルパー(日本語:家政婦)によりますと、自分は 60分とのことでした。因 みに、去る12月21日(月)の『催眠に効果的な言葉』のブログ の上段に、
『(前略)一般的に、顕在意識が5%位 また 潜在意識が95%位と 云 われますが、個人差があります。顕在意識が2~3%位の場合もあります。(後略)』と記させて頂きました。こちらも、同様に 個人差があります。(後略)」と 記させて頂きました。
話を戻しますが、取り 敢 えず 納豆であります。 因 みに、前述の 去る 8年前の9月30日(金)の「母親の入院・続報7」のブログの上段に、
「(前略)去る 一昨年 の10月9日(木)の『笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤ 小乗 から 大乗 へ』のブログ の下段やや上に、
『(前略)医科学の大事典に、【穀物に大豆食品をとれば、蛋白質の量 及び 質 共に、完全ではないが、大きな欠陥は無いようになる。なお、植物性食品では、カルシウム(Ca)、鉄(Fe)、ビタミンB1(チアミン) 及び B2(リボフラビン)の少ないものが多く、また、ビタミンB12(シアノコバラミン)は 全く含まれていない。従って、菜食では、いろいろ多種の食品を 摂取 ることが大切で、・・・食事の量が多くなるので、子供や老人には適当でない】との旨 が書かれてあります。(後略)』と記させて頂きました。上記のように、最低限 穀物に大豆食品と思われました。(後略)」と記させて頂きました。なお、納豆の食べ 方 ですが、たれも付けずに 納豆の味を そのまま頂きます。因 みに、去る 10年前の10月5日(日)の「ボランティア・高尾山登山 」のブログ そして 去る 9年前の1月21日(水)の「ボランティア・高尾山登山・その2」のブログのそれぞれ上段などに、
「(前略)18年間、月二回 日曜日に、・・・ボランティアを、このトップの方々二人に委託されて、行って参りました。そのボランティアで、過日 子供達と父兄を連れて、スタッフと共に、東京都八王子市にある 高尾山に登りました。(^O^)(後略)」と お伝え申し上げました。当時 そのボランティアのスタッフから 食べ方を 訊かれましたので、上記のように 納豆を そのまま味わう と回答致しましたら 「ええ!」とのことでありました。序で乍ら、納豆パワーですね。
なお、納豆1パック(約50g)には、約8μgのセレンが含まれています。因 みに、セレンは、必須微量ミネラルです。序で乍ら、主に 肝臓 や 腎臓に含まれ、甲状腺ホルモンの活性化に必須であり、抗酸化作用で 組織細胞の酸化を防ぐ働きをするとされています。因 みに、過剰摂取した場合 中毒を起こす とされていますが、納豆 一日 2パック位であるならば 問題ないとされています。
ところで、去る 5年前の6月13日(木)の「鰻の蒲焼・339(カレーうどん・父親の食事)」のブログの中段やや下などに、
「(前略)一昨日 すなわち 6月11日(火)の『理容店 ・続報 21(カレーうどん・父親の食事)』のブログの下段に、
『(前略)去る 一昨々年の7月17日(日)の【歯科受診・続報6(父親への贈り物)】のブログなどに、部分入れ歯をすることを勧められた と記させて頂きました。この 33ヶ月以上、この部分入れ歯を 嵌 める時間の余裕もありませんでした。すると、家政婦によりますと、入れ歯が合わなくなる とのことでした。なお、父親の入れ歯は、毎日 洗われています。(後略)』と記させて頂きました。そして、一昨日 すなわち 6月11日(火)の『歯科受診・続報8(抜歯)』のブログの下段やや上に、
『(前略)局所麻酔で 抜歯となりました。なお、この左下大臼歯のこと、長年 本当に 御苦労様でした。因みに、この左下大臼歯を抜歯した為に、下の画像の部分入れ歯は 使うことが出来なくなりました。序で乍ら、上記のように 何回も 通って この部分入れ歯が作られましたが、ほとんど使用することが適いませんでした。(後略)』と記させて頂きました。なお、この部分入れ歯は、去る 一昨々年の7月17日(日)の『歯科受診・続報6(父親への贈り物)』のブログに記させて頂きましたように 一昨々年の7月16日(土)に作られたものです。上記のように ほとんど使用することが適いませんでした 部分入れ歯ですが、今回の抜歯により 全く使うことが出来なくなりました。(後略)」と記させて頂きました。

国産の 納豆

国産の 納豆 3パック
同居していた両親は、と以前 訊 かれましたので、お伝え申し上げましたが、両親は何でも食べました。
去る 4年前の2月12日(水)の「笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤ 小乗から 大乗へ・前編」のブログ、去る 4年前の2月12日(水)の「笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤小乗から 大乗へ・中編」のブログ そして 去る 4年前の2月12日(水)の「笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤小乗から大乗へ・後編」のブログ、それから、当初の 前述の 去る 10年前の10月9日(木)の「笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤ 小乗 から 大乗 へ」のブログ そして 去る 8年前の1月12日(火)の「笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤ 小乗 から 大乗 へ ・続報」のブログ に記させて頂きました過程があり、誠に有り難いことに、母親の理解を得て、菜食にさせて頂いております。因みに、去る 6年前の1月8日(月)の「鰻の蒲焼・40(両親の食事)」のブログの下段に、
「(前略)毎年 年賀状の交換をしていて、今年 来ました 東京大学医学部卒業の 90歳近い心療内科医からの年賀状によりますと、誠に有り難いことに 『【菜食療法】が ついにモノになりましたね。大したことです。』とのことでありました。(後略)」と記させて頂きました。なお、去る 4年前の2月24日(土)の「三回忌・前編」のブログなどに、母親の三回忌のことを記させて頂きました。母親の この三回忌を迎え、菜食に理解を得た 母親に 感謝の気持ちを捧げさせて頂きたい と思い 「笑いと菜食療法」を 製本させて頂きました。すると、誠に有り難いことに 家政婦によりますと、今は亡き母親が 喜んでいるとのことでした。そして、これが 何よりも のことでありますが、前述の 去る 4年前の2月12日(水)の「笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤小乗から大乗へ・後編」のブログの下段に、
「(前略)この『菜食療法』は、両親との合作とも 申すべき 治療法であります。(後略)」と記させて頂きました。すなわち、その「笑いと菜食療法」は、両親を含めた 三人の合作 ということなのであります。因みに、誠に有り難いことに、父親の為 に 一筆入れて 進呈した その「笑いと菜食療法」の成書を 父親は 肌身から 離そうとしませんでした。すなわち、誠に有り難いことに、大事にしてくれました。
玄米御飯で 御座 います。玄米も、 庶民 的に スーパー・マーケットで購入して来て参りましたが、最近では 通販を利用するようになりました。なお、去る 7年前の10月22日(日)の「鰻の蒲焼・12(両親の食事)」のブログの下段に、
「(前略)昨日、この通販で 玄米が届きました。ところが、袋に穴が開いていて 米粒がばらまかれました。それで、一粒ずつ拾いました。 因みに、去る 一昨年の11月20日(金)の『 仏花(菊の花)』のブログ の中段に、
『(前略)昨日 すなわち 11月19日(木)の【父親の水】のブログ に、
【(前略)某・宗教では、食堂に落ちている米粒を拾う修行があるとのことです。お米は、誠に有り難いですね。(中略)昨日のブログの最後に、半角で4万文字以内という字数制限を超えましたので、文章を削らせて頂きました。(後略)】と記させて頂きましたので、補足させて頂きます。すなわち、去る2月14日(土)の【絵本の影響】のブログの中段やや下に、
【(前略)幼少の頃 に受ける、絵本の影響は大きいと思います。例えば、一粒のお米も拝んで食べようと思うのも絵本の影響です。(後略)】と記させて頂きました。(後略)』と記させて頂きました。(後略)」と記させて頂きました。
なお、去る 9年前の11月20日(金)の「 仏花 (菊の花)」のブログ の下段に、「古事記」と「日本書紀」を引用させて頂いて、日本人の主食である お米は 誠に有り難い という話を記させて頂きました。

玄米御飯
玄米の食べ 方 につきましては、去る 10年前の11月17日(月)の「黒 胡麻 」のブログで記させて頂きました。また、玄米の 炊 き 方 につきましては、去る 10年前の11月26日(水)の「蕗 」のブログに記させて頂きました。なお、玄米を 炊 く 為 の前処理につきましては、去る 8年前の11月27日(日)の「両親の食事(玄米の前処理)」のブログの下段に記させて頂きました。序で乍ら、去る 5年前の6月15日(土)の「鰻の蒲焼・340(天ぷら・カレーうどん・父親の食事)」のブログの下段に、
「(前略)家政婦に この 玄米を 炊 く 為 の前処理につきまして 話しましたら、知らなかった とのことでした。(後略)」と記させて頂きました。
しかも、去る 9年前の12月31日(木)の「 大晦日 (火星か金星か)」のブログの下段に、
「(前略) 御飯を食べましたら 当然のこと 乍 ら 以前から 茶碗 その他の食器を洗っております。(中略)高校生の 頃 に触れた 趙州 和尚の『御飯を食べたら茶碗を洗え』の言葉を思い出しました。この『 趙州洗鉢 』の公案は、『 無門関 』(中国宋代に 無門慧開 によって編集された公案集)の第七則にある話です。(後略)」と記させて頂きました。なお、学部生のときに 安い学食を用いると 食器を洗うどころか 食器を下げることすらも嫌とのことで、一般の食堂を利用している お坊ちゃんのような同期生がいました。このときは、当方は 自炊することもありました。それで、食器を どうしているのか と 訊 かれました。そこで、食事を し乍 ら 食事中でも 片づけられる食器は 片づけ乍 ら 食事をしている と回答しましたら、納得してくれました。今では、食後に 纏 めて食器を洗っていますが、このときは 食器洗いの練習として 前述のように 行 っていました。
そのうえ、別の同期生から この お坊ちゃんのような同期生は、放浪癖 があると言われていました。おまけに、放浪癖 があると言っていた この別の同期生は、自分のことを 投影(英語:project)(心理学用語)しているのだということが 後 になって 分かりました。某・出版会社を退職して 入学して来ている 学士(四年生の大学を卒業していること)の方 でした。入学時に 30歳代の半 ばでした。この某・出版会社で 放浪癖 があると言われていたので、同期生にも そう言ったのかもしれません。 因 みに、この放浪癖 は、去る 一昨年の1月4日(火)の「男性看護師・続報42」のブログの中段やや上などに記させて頂きました A.D.H.D.(英語: attention deficit hyperactivity disorder)(ネガティブ[英語:negative]で御座 いますし、お読み下さっている 方々 に影響を お与えすることの無いように、日本語で 綴 ることを控えさせて頂きましたが、以前 それではわからない と指摘を頂きましたので、日本語も併記させて頂きます。小さく記させて頂きます。注意欠陥・多動性障害 のことで 御座 います)と関係していたのかもしれません。
(義務教育の方々に 美しい日本語を 正しい読み方で 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名を付けております)
本日も、最後 迄 お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)