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さて、普通の常識では、「悪いと知らずに犯した罪は、悪いことだと知っていて犯した罪よりも軽い」と思われるものです。ところが、以下のような問答があります。
師:「知って犯す罪と、知らずに犯す罪と、どちらが重いだろうか。」
弟子:「当然 知って犯す罪業の方が重いかと…。」
師:「一組の焼けた火箸が有ったとする。知って握ると、知らずに握ると、どちらが重い火傷を負うか。」
弟子:「知らずに握る方が、重い火傷を負います。」
師:「すなわち、知って犯す罪よりも、知らずに犯す罪は重いのである。」
ときに、昨日 すなわち 4月8日(月)の「釈尊の御生誕日(鰻の蒲焼・289[スパゲッティ・父親の食事])」のブログ、去る 昨年の4月8日(日)の「釈尊の御生誕日(鰻の蒲焼・95[父親の食事])」のブログ、去る 一昨年の4月8日(土)の「釈尊の御生誕日・仏花(両親の食事)」のブログ、去る 一昨々年の4月8日(金)の「釈尊の御生誕日(「日本万国博覧会」)」のブログ そして 去る 4年前の4月8日(水)の「 南瓜」のブログの冒頭に、「本日は 釈尊(お釈迦様の尊称)の御生誕日ですね。(後略)」と記させて頂きました。なお、上記の問答の出典であります。
すなわち、阿難尊者があるとき、釈尊(お釈迦様の尊称)に 「知って犯す罪と、知らないで犯す罪とどちらが恐ろしいのでしょうか」と、質問したことが 「ミリンダ王所問経」の中に出ております。
そのとき 釈尊は、「それは知らないで犯した罪の方が 重くて恐ろしい」と、キッパリと答えられています。阿難尊者が その理由を尋ねると、「おまえは 焼け火箸を 焼け火箸だ と知って握る人と、焼け火箸だと知らないで握る人と、どちらが重い恐ろしい火傷をすると思うか」と反問されました。阿難尊者は 即座に、「それはもちろん、焼け火箸と知らないで握った方が、より酷い火傷を致します」と答えると、釈尊は、「その通りである。人は自分のしていることが罪悪だと知らないために、いつもその罪を重ねることになるから、一層 罪が重く 恐ろしいのだ」とお諭しになっています。つまり、それは 正しく 「無知」の為せる「罪」のことであったのです。
ところで、ここで、考察してみますと、知って犯すということは 本当には 分かっていなかったとも考えられます。何故ならば、本当に 分かっていれば 犯さないと思われるからです。すなわち、本当には 熱いと 分かっていない 火箸を握れば、やはり 重い火傷を負うと考えられるのです。 因 みに、このことは、去る 5年前の10月8日(水)の「親の受診に付き添っていること・1」のブログ また 去る 5年前の11月9日(日)の「親の受診に付き添っていること ・2」のブログ のそれぞれ共に中段やや上 そして 去る 4年前の2月23日(月)の「天皇陛下行幸の君恩に 浴して」のブログの中段やや下に記させて頂きました 某・ボランティア(英語:volunteer)のサークル(英語:circle)の勉強会で、20数年前 発表したことであります。また、本日 ヘルパー(英語:helper)(日本語:家政婦)に話しましたら、誠に有り難いことに 納得してくれました。
(義務教育の方々に 美しい日本語を 正しい読み方で 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名を付けております)
本日も、最後 迄 お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)