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さて、去る 昨年の8月31日(水)の「シンガポール(復路)」のブログの上段に、
「(前略)去る 8年前の11月19日(水)の『バチカン(ローマ)』のブログの上段に、
『(前略)去る10月28日(火)の【スイス(海外のこと)】のブログで お伝え申し上げましたように、学部生の頃(昭和61年[1986年]の夏・菜食を始める前のことです)、エコノミー(英語:economy)(経済的)に、シンガポール航空を用いて、往路、東京(成田・8月19日【火】午後6時30分発)から ロンドン(英国)(翌々日・8月21日【木】午前6時55分定刻通り着・日本との時差は サマータイムで、8時間)迄 、途中、シンガポールで、ほぼ 丸一日のトランジット (英語:transit)(一時寄港)があり、シンガポール8月20日【水】現地時間・午前0時着・同日午後8時25分発、南回りで、トータルで、44時間25分でした。
シンガポールでは、今は無いオベロイ・インペリアルホテル(利用しませんでしたが、ホテル内のレストランが日本人に好まれているとのことでした。)という中堅のホテルに宿泊しました。このホテルの写真を下に掲載します。

中堅のホテル
(後略)』と記させて頂きました。
なお、去る 6年前の7月10日(日)の『【ありがとうございます】という言葉』のブログ そして 去る 7年前の8月15日(土)の『終戦の日』のブログ のそれぞれ上段などに、
『(前略)去る (7年前の)1月24日(土)の【アテネ(ギリシャ)へ】のブログ の中段に、
【(前略)日本を 発つときに、隣の座席の日本人男性の 方に、長時間の飛行の間 隣同志になるので、挨拶致しました。すると、この挨拶をたいへん喜んで頂き、海外に出たら、外交官のつもりで外国人に接するべきであるとのことを伺いました。
そこで、日本の先人の 方々が苦労して築いて来た、海外の 方々との友好関係を大切にさせて頂きますように、外国人に接するように 心掛けました。旅の間、この思いは常にありましたが、ここ 土では、上記の歴史がありますので、特に 御座いました。(後略)】と記させて頂きました。沖縄に向かうときの機内でも、上記のように、隣の座席の方に挨拶しました。(後略)』と記させて頂きました。その『日本を 発つときに、隣の座席の日本人男性の 方に、長時間の飛行の間 隣同志になるので、挨拶致しました。』というのは、上記の 成田を発った 直後のことであります。
ときに、上記は 往路のことでありますが、復路のことであります。
(中略)
そして、誠に有り難いことに、何とか 出発時刻直前に チャンギ空港に到着しました。因みに、同・9月10日(水)に、成田に到着しました。なお、シンガポールは たいへん 素晴らしい所でした。そして、そのホテルのサービスは たいへん よかったです。序で乍ら、一人旅ですので、何にでも 感謝出来る気持ちになっていました。
次に、機会がありまして、 宜敷ければ、海外旅行の続きを記させて頂きます。(後略)」と お伝え申し上げました。
そして、本日 すなわち 7月13日(木)の「シンガポール(復路)続報」のブログの上段やや下に、
「(前略)誠に有り難いことに、『いいね』を頂きましたので、今回、その続きを記させて頂きます。
(中略)
なお、昭和61年(1986年)当時 1$(シンガポール ドル)は、調べましたら ¥77.4466円位でありました。序で乍ら、本日の1$(シンガポール ドル)は、¥104.05円位でありました。
(中略)
さて、機会がありまして、 宜敷ければ、海外旅行の続きを記させて頂きます。(後略)」と お伝え申し上げまして、誠に有り難いことに、「いいね」を頂きましたので、今回、その続きを記させて頂きます。
さて、大東亜戦争のとき、英国の誇る 東洋のジブラルタルと云われる 難攻不落の大要塞 シンガポールに、「マレーの虎」の異名で知られる 勇将 山下 奉文中将が 指揮官として 率いる 日本陸軍は 「マレー突撃作戦」を敢行しました。因みに、シンガポールは、印度洋への出入り口である マラッカ海峡を 抑える要所でありました。なお、海からの攻撃は 日本軍の損害が大きくて 不利になる、そこで、比較的 防御力の低い背後から シンガポールを攻撃する作戦を取ったのであります。但し、この作戦には 三つの難しい問題がありました。すなわち、一つ目は、進撃途中に 250以上の橋があることであります。つまり、敵に破壊されたら それだけ 進撃が 遅れるということであります。そして、二 つめは、敵の兵力は 約8万人、それに対して 日本軍は 約2万人に過ぎないということであります。それから、三つ目は、3月10日の 陸軍記念日迄に 陥落させることという 人為的な問題もありました。ところが、誠に有り難いことに、日本軍は、シンガポールの攻略に成功するのであります。
話を戻しますが、今回は、往路のことであります。因みに、日本との時差は、1時間であります。なお、往路 そして 復路 共に、上記のように シンガポールで ほぼ 丸一日のトランジットがあり、ホテルに宿泊しなければなりません。それは、シンガポール政府が、シンガポール航空利用者に 国内観光として 外貨を落としてもらいたいからであります。
すなわち、
前述致しましたのように 約37年前 すなわち 昭和61年(1986年)8月19日【火】に チャンギ空港に到着して、空港からの バスで 上記のオベロイ・インペリアルホテルに向かいました。因みに、約1時間 かりました。なお、そのバスには、シンガポール観光目的の日本人ツアー客が 乗っていました。それで、現地の担当者に 追加料金を支払いましたら、現地オプショナル ツアー(英語:optional tour)に参加出来るとのことでありました。それで、そのツアーに参加することにしました。
ときに、上記のホテルに到着して、8月20日【水】の午後5時48分、ラウンジに入って のんびりしています。ホッと 息を抜くことが出来ました。素敵な音が聞こえてきました。本日は ハードな1日でありました。
そして、翌日は 午前5時に目覚めました。風呂に入って 身の回りの整理をして 時計を見ると、既に 午前7時を回っていました。 因 みに、シンガポールでは、サマー タイム(夏時間)を実施していません。しかし乍ら、日の出は 遅くて 午前7時前でありました。午前7時30分より マー ライオン(英語:Merlion)(上半身がライオン、下半身は魚の像)を見ようと思い、クイーン エリザベス ウォーク(英語:Queen Elizabeth Walk)に向かいます。なお、“mermaid”は 古くは “meremaid” または “mermayde”と綴りました。この内 “mere”は 海・湖・池を表す 古英語であります。序で乍ら、羅 語の mareに起源をもち、marine(日本語:海[洋]の)などと同源の語であります。そして、“maid”は やはり 古語で 娘・少女・未婚の処女を表します。従って、“mere-maid”で「海(または 湖沼の)乙女」という意味になります。因 みに、“Merlion”の“Mer”も “mermaid”の“mer”も、同じでありますね。すなわち、上記のように、海・湖・池を表すのであります。なお、英単語などは、接頭辞 + 語根 + 接尾辞 で構成されます。従って、語根毎に 纏めると、理解し易いです。序で乍ら、日本語も同様でありますね。なお、クイーン エリザベス ウォークは、シンガポールの市街中心部にある遊歩道であります。序で乍ら、エスプラネード公園の海岸沿いに約200メートルに渡って続いています。 因 みに、1953年に、エリザベス2世の戴冠式を記念して名付けられました。なお、高層ビル や マリーナ湾など眺めがいいとされています。

スリ・マリアマン寺院(ヒンドゥー教の寺院)

(上記のように、昭和61年[1986年]8月20日【水】の日付が記されています)

市街地

市街地(横断歩道。 因 みに、信号に 特徴がありますね)

高層ビル

現在では、旧・最高裁判所 と 旧・市庁舎(今日では、美術館[英語:National Gallery Singapore ]になっています)



ところが、道を間違えて Merlion公園側の橋に行ってしまいます。引き返そうと考えていた処で 雨が降り出します。暫し 茫然とします。暫くして 後戻りして バス停で バスの発車時刻を調べようとしますが、全然 分かりませんでした。それで、エンプレス広場から タクシーで帰ります。 因 みに、タクシー代は 2$(シンガポール ドル) 追加を取られて、4.30$(シンガポール ドル)でありました。そして、誠に有り難いことに、無事に 午前8時20分に ホテルに到着します。それから、暫し ドラッグ ストア(英語:drug store)にて 見分します。なお、本日 すなわち 7月13日(木)の「シンガポール(復路)続報」のブログの中段やや上に、
「(前略)下の画像の ピューター(錫製品のこと)を購入しました。因みに、シンガポールでは、ピューターが お土産になるのであります。

一輪挿し(ピューター)
なお、錫は 分子が粗い為、不純物を吸収する性質があります。 その為、水が浄化され、腐りにくく、花が長持ちするとされています。

ビア コップ(ピューター)

ビア コップ(ピューター)
(後略)」と 記させて頂きました。すなわち、上記のように 復路で シンガポールに立ち寄ることになり 購入するのでありますが、往路のときに 一輪挿し(ピューター) と ビア コップ(ピューター)が 良さそうと思われました。
ところで、午前8時45分に 現地オプショナル ツアーの担当者(男性)からの電話が鳴りました。それで、荷物を出せとのことでありました。そして、午前9時に ホテルの外に出て、空港行きのバスと 乗り間違えそうになりました。 因 みに、守られていると思われました。なお、言葉が通じないのを痛感しました。序で乍ら、午前9時10分に 現地オプショナル ツアーのバスが来ました。 因 みに、今後も 落ち着いた行動を と思いました。
次 に、初めに 錫工場を見学しました。因 みに、3階が 製造所でありました。なお、翡翠製品 そして 蘭の金メッキ製品がありました。素晴らしいと思いました。序で乍ら、免税店よりも 安いとのことでありました。それで、母親に 瑪瑙 製品の お土産を買いました。また、数個以上が セットになっている 蘭の金メッキ製品を購入しました。因 みに、蘭の金メッキ製品は、日本円で ¥1万円位でありました。なお、御承知のように 現地オプショナル ツアー担当者 と 製造所は リベートで繋がっています。それで、そのツアー コースに その製造所が 組み込まれているのでありますね。
ならびに、マウント フェーバー(英語:Mount Faber)に行きますが、曇っていたのが 残念でありました。因 みに、マウント フェーバーとは、シンガポール本島の南側に位置する小高い丘のことであります。

マウント フェーバーから 見た景色

マウント フェーバーから 見た景色

マレーシア側のロープ ウェイ(このロープ ウェイは、ロープに T字の吊り下げ用フックが 固定されておらず 引っ掛けられているだけ とのことなのであります。それで、この何年か前に そのロープ ウェイが落ちたとのことでありました。なお、風が吹いたら 落ちるでありましょう)
および、マウント フェーバーは、スリが多いとのことであります。 因 みに、物売りがあり、1,000$(シンガポール ドル)のリングを売っていました。また、蛇 2匹を巻いた 男が居ました。そして、左胸に 現地オプショナル ツアーの赤いマークを貼 っているにもかかわらず、気が付かない内に いきなり背後から その蛇を 首に巻かれました。それで、その男によりますと、蛇笛 付きで 10$(シンガポール ドル)とのことでありました。すなわち、押し売りであります。そこで、2$(シンガポール ドル)を支払って 納得させました。勿論、蛇笛は受け取っておりません。なお、押し売りなのでありますから、本来は 支払う必要はないのでありますね。序で乍ら、急なことなので、このような対応になってしまいました。因 みに、家政婦にも話しましたが、蛇は 嫌いなのでありますけれどもね。

気が付かない内に いきなり背後から その蛇を 首に巻かれました

10$(シンガポール ドル)と言われた 蛇笛

(上記のように、昭和61年[1986年]8月20日【水】の日付が記されています)

現地オプショナル ツアーの赤いマーク

現地オプショナル ツアーの担当者(女性)と共に

(上記のように、昭和61年[1986年]8月20日【水】の日付が記されています)

(上記のように、昭和61年[1986年]8月20日【水】の日付が記されています)



シンガポール国立大学(英語: National University of Singapore、略称:N.U.S.)

また、ワニ革の工場を見学します。 因 みに、これも、上記のように、現地オプショナル ツアー担当者 と 製造所との リベートでの繋がりでありますね。なお、ワニ革も、背中よりも 腹の革が高価であるとのことでありました。牛皮とは 比べ物にならない程 柔らかいとのことであります。 因 みに、父親に 日本円で ¥11,000円のワニ革のベルトを お土産に 購入しました。序で乍ら、生の状態を「皮」、鞣しを終えた状態のものを「革」と云う とのことであります。

ワニ革

ワニ革の工場
しかも、タイガーバーム公園(英語:Tiger Balm Garden)に行きました。因 みに、雨が 酷くて 苦労しました。なお、面白い像が 沢山 ありました。

タイガーバーム公園

タイガーバーム公園

タイガーバーム公園

タイガーバーム公園

タイガーバーム公園

タイガーバーム公園

タイガーバーム公園

タイガーバーム公園

タイガーバーム公園

タイガーバーム公園
そのうえ、上記のタイガーバーム公園の近くの露店で、椰子の実を売っていました。それで、その汁を飲むのであります。因みに、ストローを挿して 飲みました。

現地オプショナル ツアーの参加者(同様に、赤いマークを貼 っています)

ストローを挿して 飲んだ 椰子の実の汁
しかして、昼食は、長崎屋のレストランであり、外は 港でありました。因みに、初めは、春巻、餃子、 次に、焼売、飲茶、最後に、焼蕎麦、炒飯、スープでありました。

昼食の様子









上記のように 現在では、旧・最高裁判所 と 旧・市庁舎(今日では、美術館[英語:National Gallery Singapore ]になっています)


上記のように 現在では、旧・最高裁判所 と 旧・市庁舎(今日では、美術館[英語:National Gallery Singapore ]になっています)








のみならず、植物園は、結婚式が見物 でありました。 因 みに、なかなか素晴らしい 新婚さん(俳優)が モデルになっていました。なお、二人 が モデルでありました。

新婚さん(俳優)が モデル
しかして、シンガポール迄 の 往路の機内で、スチュワーデス(当時の名称・現在のcabin attendant[和製英語]、略称:C.A.)から、誠に有り難いことに、2ヶ所の植物園のことを聞かされました。すなわち、“Botanic Garden”植物園 そして “Mandai Orchid Farm”マンダイ蘭園(調べますと、“Mandai Orchid Garden”になっていました)とのことでありました。なお、そのC.A.から、シンガポールの お勧め料理は chili crab と聞かされました。つまり、「蟹を チリ ソースで炒めた料理」のことでありますね。序で乍ら、そのC.A.から、マンダリン ホテルの38階を勧められました。それで、調べましたら、38階 と 39階があり、最上階とのことでありました。なお、上記の crabに因ませて頂きます。すなわち、Krebs( 独語)(ネガティブ[英語:negative]で御座いますし、お読み下さっている 方々に影響を お与えすることの無いように、日本語で 綴ることを控えさせて頂きましたが、以前 それではわからない と指摘を頂きましたので、日本語も併記させて頂きます。小さく記させて頂きます。がん[ 敢えて、平仮名で記させて頂きました]のことです。以下、Krebsと示させて頂きます。英語では cancerといい、独語と同様に、蟹[英語では、crabも 蟹の意味です]という意味も 御座います。この組織が 蟹の形態に似ているというところから、命名されたとのことです。よって、イメージ療法が 御座いますが、免疫担当細胞が この蟹の形態をした組織を食べる様子をイメージしたら、よいのではないか、と思われます)のことであります。




現地オプショナル ツアーの担当者(女性)を囲んで 参加者と共に








次 に、当時、上記の写真を 姉夫婦に見せました。すると、義理の兄によりますと、女性の写真は とても いいとのことでありました。
さて、上記の 現地オプショナル ツアーの参加者に、撮影した写真を 渡さなければ と思われました。それで、後日 新宿で待ち合わせをしました。そして、撮影した写真を持って行き 選んでもらいました。そこで、郵送しなければなりませんでしたが、誠に申し分けないことに 届けられませんでした。本当に 御免なさい。
ときに、機会がありまして、 宜敷ければ、海外旅行の続きを記させて頂きます。
(義務教育の方々に 美しい日本語を 正しい読み方で 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名を付けております)
本日も、最後 迄 お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)