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さて、去る 5年前の12月5日(木)の「お見舞いの手紙・続報・3」のブログの冒頭に、
「(前略)去る10月8日(火)の『お見舞いの手紙・続報・2』のブログの上段に、
『(前略)去る9月17日(火)の【お見舞いの手紙・続報】のブログの上段に、
【(前略)昨日 すなわち 9月16日(月)の〖お見舞いの手紙〗のブログの上段に、
〖(前略)本日 すなわち 9月16日(月)の〔一周忌のお悔やみの手紙(鰻の蒲焼・418[カレーうどん・父親の食事])〕のブログの冒頭に、
〔(前略)姉から、姉の義理の兄の一周忌のことを聞かされました。それで、読者の方々におかれましては 御承知のことであらせられますように 父親の在宅介護のことで 自宅に張り付いていなければなりませんので 参列出来ず、代わりに お悔やみの手紙を書いて 御仏前に お供えしてもらうべく 御香典を 現金書留に同封して 送りました。すなわち、このお悔やみの手紙の内容ですが、一般的な手紙にある〘頭語(書き出し)〙や〘時候の挨拶〙は不要です。お悔やみの言葉から書き始めます。そして、法要に伺えない お詫び と 理由を、出来るだけ簡潔に 短い言葉で書きます。それから、故人の お人柄 や 思い出などを書きます。次に、故人の冥福を祈る言葉を述べ、お供え や お花を 御仏前に お供え頂きたい との旨を書き添えます。ならびに、〘御自愛下さい〙、〘お身体を お大事になさって下さい〙 そして 〘御身体 お厭い下さい〙などの御遺族を気遣う言葉を書きます。および、結びの言葉 つまり 仏式の一周忌法要の場合は 結びの言葉は〘合掌〙となります。また、後付けとして 最後に、手紙を書いた日付、左下に自分の名前を記し そして 宛名を書きます。因みに、金2萬円を同封しました。なお、2は 偶数で 割り切れる数字であることから、故人 と 御遺族との縁が切れることに繋がるとされてきました。この為に、香典で 偶数の金額を包むことは、あまりよくないこととされてきました。ところが、最近では 香典に 2萬円を包むことは 特に問題ないとのことであります。序で乍ら、縦書きで 金額を書く場合は 大字と呼ばれる漢数字の旧字体を使って書くようにするとのことであります。(後略)〕と記させて頂きました。
また、このブログの中段やや下に、
〔(前略)父親によりますと、親戚に 電話をしたら、具合が悪くて 肺のKrebs( 独語)(ネガティブ[英語:negative]で御座いますし、お読み下さっている 方々に影響を お与えすることの無いように、日本語で 綴ることを控えさせて頂きましたが、以前 それではわからない と指摘を頂きましたので、日本語も併記させて頂きます。小さく記させて頂きます。がん[ 敢えて、平仮名で記させて頂きました]のことです。以下、Krebsと示させて頂きます。英語では cancerといい、独語と同様に、蟹[英語では、crabも 蟹の意味です]という意味も 御座います。この組織が 蟹の形態に似ているというところから、命名されたとのことです。よって、イメージ療法が 御座いますが、免疫担当細胞が この蟹の形態をした組織を食べる様子をイメージしたら、よいのではないか、と思われます)で 東京医科歯科大学に入院していると聞いた とのことでした。(後略)〕と記させて頂きました。それで、父親によりますと、昨日に続き 連日になりますが、お見舞いの手紙を書いて欲しい とのことでした。そこで、父親の介護のことがある中で 朝迄 掛かって、この手紙を書きました。 因みに、今回は 父親から、金3萬円を包むように言われました。なお、金3萬円であれば、上記のように 偶数では ないので、全く 問題ない と思われました。それで、上記と同様に 現金書留に同封して 速達で送りました。

上記のように 送付した お見舞い
(後略)〗と記させて頂きました。そして、本日の午後7時8分に、この親戚の お方の長女から 電話が入りました。 因みに、携帯電話に登録していない電話番号でありましたし 日没後でありましたので、誰かと思い 慌てました。なお、この長女の お方は、去る 昨年の5月6日(日)の〖弔問客の来訪・続報6〗のブログを記させて頂きました際に、誠に有り難いことに 見えた お方でした。それで、この長女の お方によりますと、この来訪以降の 昨年の6月から 診療 そして 検査が重なるようになり、上記のように 肺のKrebsで ope.(オペ・英語:operation)(手術のことです。以下、ope.と示させて頂きます)をした とのことでした。そして、高齢ということもあり 抗がん剤治療のような 積極的な治療は施さずに、緩和ケア病棟に入院している とのことでした。そこで、御承知のように 抗がん剤は 正常な細胞も 叩くので、宜しかったですね と回答しました。また、その長女の お方によりますと、両親とは 離れて暮らしている とのことでした。序で乍ら、その親戚の夫婦の方々の婚姻を 祖母が 世話をしているのです。(後略)】と記させて頂きました。
ならびに、去る 9月22日(日)の【義理の兄 と 姉の来訪・32・中編・4】のブログの中段に、
【(前略)姉によりますと、叔母(三女)が 圧迫骨折をして 7時間のope.(オペ・英語:operation)(手術のことです)をした とのことでした。そして、叔母(四女)が見ている とのことでした。因みに、姉によりますと、tuberculosis,T.B.(英語)(上記の理由で、日本語で 綴ることを控えさせて頂きましたが、日本語も併記させて頂きます。小さく記させて頂きます。結核のことで 御座います。なお、ツベルクリンは御承知のことであらせられますね。ですから、推測して頂ける英語であると存じ上げます)菌が関係しているとのことでした。(後略)】と記させて頂きました。
それで、この叔母(三女)にも、上記のように お見舞いの手紙を書かなければならないと思われました。但し、この叔母(三女)は 未亡人であり、一人住まいをしています。従って、Hp.(hospital[ホスピタル]の略です。日本語では、病院のことです。以下、Hp.と示させて頂きます)に入院していますから 自宅には 誰も居ません。その為、現金書留を用いて お見舞いを送っても、誰も 受け取る人が居ません。そこで、近くに住んでいる 叔母(四女)夫婦に 速達の現金書留で送ることにしました。因みに、今回は 父親との話で、金5萬円を包むことになりました。なお、金5萬円であれば、上記のように 偶数では ないので、全く 問題ない と思われました。

上記のように 送付した お見舞い
(後略)』と記させて頂きました。
ときに、昨日 すなわち 12月4日(水)の『石の上にも 三年』のブログの中段やや上に、
『(前略)本日の午前中 すなわち 午前9時8分に、姉から メールが入りました。(後略)』と記させて頂きました。このメールによりますと、上記の叔母(三女)の世話をしていた 叔母(四女)が、うつ病で 入院したとのことでした。それで、上記の叔母(四女)夫婦に お見舞いとして 速達の現金書留で送ることにしました。因みに、今回も 父親との話で、金5萬円を包むことになりました。

上記のように 送付した お見舞い
(後略)」と記させて頂きました。
ときに、去る 4年前の5月8日(金)の「叔母からの突然の電話連絡・続報2」のブログの下段に、
「(前略)去る4月26日(日)の『叔母からの突然の電話連絡・続報』のブログの下段に、
『(前略)去る3月22日(日)の【叔母からの突然の電話連絡】のブログの下段に、
【(前略)去る2月29日(土)の〖姉からの突然の電話連絡〗のブログの下段に、
〖(前略)一昨日 すなわち 2月27日(木)の〔母親の三回忌の挨拶〕のブログの中段やや上に、
〔(前略)不思議な因縁ですが、研修医として 最初の受け持ちが R.A.の患者さんでした。そのことを 今回 三回忌を迎えるにあたり 上梓させて頂きました。(このことは、去る1月24日(金)の〘製本・委託〙のブログ そして 去る2月12日(水)の〘笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤ 小乗から 大乗へ・前編〙のブログなどに記させて頂きました)(後略)〕と記させて頂きました。
そして、今朝 すなわち 午前8時46分に、姉から 突然の電話連絡が ありました。それで、上記の叔母(三女)が 王子のHp.に転院したとのことでした。それで、姉によりますと、この叔母(3女)が 父親に電話して欲しいと言っているとのことでした。また、叔母(四女)は、まだ 入院しているとのことでした。そして、姉によりますと、この叔母(四女)の長女が よく やっているとのことでした。そこで、この長女にも、言葉を添えて その 上梓させて頂きました 本を進呈しました。
そこで、父親に 叔母(三女)が 電話して欲しいと言っていると伝えました。すると、朝のうちは 電話することは出来ないと訴えていましたが、朝食後、父親は、叔母(三女)に 電話をしました。但し、叔母(三女)は 入院して 退行していますので、ネガティブなことばかり 言われたとのことでした。しかも、姉によりますと、自分は 何本も 上記の叔母(三女)に電話しているとのことでしたが、前述致しましたように 転院したばかりですので、如何なものかと思われました。(後略)〗と記させて頂きました。そして、本日の午後5時23分に この叔母(三女)から 電話が着信しましたが、僅か 9秒で切れてしまいました。なお、大部屋に入院していますので、こちらから 電話連絡することは 適いません。(後略)】と記させて頂きました。去る 一昨年の3月6日(火)の【母親の転帰】のブログに記させて頂きましたように、母親が 亡くなりました。
それから、本日の午後3時47分に、この叔母(三女)から 電話が入りました。上記のことが ありますので、直ぐに 通話ボタンを押しました。因みに、音楽の音量を下げましたので、12秒 掛かりました。なお、この叔母(三女)が、去る4月19日(日)の【日本国憲法・第24条について・続報2(日本民族の結婚の伝統)(姪の出産)】のブログに記させて頂きました 姪の出産のことを言及しました。そして、この叔母(三女)によりますと、多磨霊園のあった お墓を 上記の母親が眠っている小平霊園の共同墓地に移したとのことでした。序で乍ら、この叔母(三女)によりますと、体調は よくないとのことでした。そして、叔母(四女)も よくないとのことでした。(後略)』と記させて頂きました。そして、本日の午後1時に、叔母からの 突然の電話連絡が ありました。それで、留守番電話に メッセ-ジが残されていました。(後略)」と記させて頂きました。
ところで、去る 4年前の6月24日(水)の「叔母からの突然の電話連絡・続報6」のブログの下段に、
「(前略)去る6月1日(月)の『叔母からの突然の電話連絡・続報5』のブログ
の下段に、
『(前略)去る5月28日(木)の【叔母からの突然の電話連絡・続報4】のブログの下段に、
【(前略)去る5月9日(土)の〖叔母からの突然の電話連絡・続報3〗のブログの下段に、
〖(前略)このメッセ-ジによりますと また 電話するとのことでありましたが、電話が 掛かってこなかったので、午前8時50分頃 こちらから電話しました。まず、固定電話に電話しましたら、〇番を押してくれとの案内が入りまして 留守番電話に繋がるようでした。因みに、去る 一昨年の8月16日(木)の〘固定電話のナンバー・ディスプレイ機能(父親の食事)〙のブログに記させて頂きましたように、当家の固定電話には、ナンバー・ディスプレイ機能が付けられています。そこで、このナンバー・ディスプレイ機能で、昨日 掛かってきた 携帯電話の電話番号を調べました。それで、携帯電話に電話しました。
すると、この叔母によりますと、シンガポール や 九州で生活していた 子供たちは 帰って来たとのことでした。また、上記の 入院していた 叔母(三女)は 老人ホームに移るとのことでした。
ならびに、去る2月21日(金)の〘新型コロナ・ウイルス〙のブログに、新型コロナ・ウイルスのことを記させて頂きました。なお、この叔母によりますと、この新型コロナ・ウイルスのことが なければ、上記のように 叔母(三女)の共同墓地もある 小平霊園に お墓参りに行こうと思っていた とのことでした。(後略)〗と記させて頂きました。
また、去る5月24日(日)の〖肉親の来訪・6・後編〗のブログの上段に、
〖(前略)去る5月9日(土)の〘叔母からの突然の電話連絡・続報3〙のブログの下段に、
〘(前略)上記の 入院していた 叔母(三女)は 老人ホームに移るとのことでした。(後略)〙と記させて頂きました。姉によりますと、叔母(三女)は 既に サニー・ライフ板橋(老人ホーム)に移った とのことでした。 因みに、父親によりますと、叔母(三女)は 天涯孤独とのことでした。(後略)〗と記させて頂きました。そして、本日の午後4時22分に、この叔母(三女)から 電話が入りました。上記のことが ありますので、直ぐに 通話ボタンを押しました。因みに、音楽の音量を下げる時間が入りましたが、今回は 10秒で 電話に出ることが出来ました。なお、叔母(三女)によりますと、老人ホームに入居して 落ち着いたとの旨でした。そして、体調が しっかりしていないとのことでした。それで、父親に 午後9時迄 なら 電話して欲しいとのことでした。そこで、この叔母(三女)に 父親に代わるかどうかを訊いて、2世帯住宅の隣に居る 父親のところに行って 電話を取り次ぎました。(後略)】と記させて頂きました。そして、昨日の午後5時11分に、上記の 叔母からの 突然の電話連絡が ありました。それで、留守番電話に メッセ-ジが残されていました。そこで、父親に聞かせて、直ぐに 速達で 返信しました。(後略)』と記させて頂きました。
および、去る6月21日(日)の『父の日・夏至・部分日食』のブログ
の中段やや上に、
『(前略)本日は 父の日でもありますね。 因みに、父親の在宅介護に携わっておりますので、毎日が 父の日であるような心構えでおります。それから、来る 6月24日(水)は 父親の誕生日でもあるのです。(後略)』と記させて頂きました。すなわち、本日は 父親の誕生日ですので、本日の午前11時16分に その叔母(三女)から 電話が入りました。それで、父親に取り次ぎました。因みに、突然の電話連絡でしたので、手に持っている器に入っている液体を零してしまいました。なお、その少し前に 父親の携帯電話に この叔母(三女)から 着信が ありましたが、父親によりますと 出られなかったとのことでした。そこで、この叔母(三女)に 電話を 掛けようとしていたところでした。(後略)」と記させて頂きました。
次に、去る 4年前の8月11日(火)の「従兄弟からの突然の電話連絡」のブログの中段やや下に、
「(前略)去る8月7日(金)の『本の進呈・続報10』のブログの下段に、
『(前略)同様に 上記の某・ドラッグ・ストアの配達員にも、この製本を進呈しました。なお、下の画像のように 本の見返しに 一筆入れました。

上記と同様に 一筆入れて 進呈した 成書

上記と同様に 一筆入れて 進呈した 成書
なお、去る4月23日(木)の【上梓(笑いと菜食療法)】のブログの上段やや下に、
【(前略)30年以上前のことですが、この地域医療研究会のO.G.(保健師)が、自分の書いたものは 自分の子供のようと話していました。 因 みに、受精卵が 大事に育てられて 胎児が出産されます。なお、上記のように 今回 上梓に至った成書につきましても、同様に 受精卵のような 小さな種から 大事に育てられて 一冊の本になったという思いであり 感慨無量であります。

笑い と 菜食療法
(後略)】と記させて頂きました。(後略)』と記させて頂きました。
ならびに、去る2月24日(土)の『三回忌・前編』のブログなどに、母親の三回忌のことを記させて頂きました。それで、この三回忌に 出席してくれた方々には 僧侶も含めて、下の挨拶文を添えて 上記の成書を進呈しました。
すなわち、挨拶文は、
『 冠省。
三回忌にあたり、菜食に理解を得た 母親に 感謝の気持ちを捧げさせて頂きたい と思い 【笑い と 菜食療法】を 上梓しました。ちなみに、感謝の印と致しまして 御笑納頂けましたら 誠に有り難く、御批判頂けましたら 幸甚に存じ上げます。なお、以前より 父親の介護として来ている 訪問看護師の方 や 家政婦さん そして 姉など 複数の方々から、誠に有り難いことに 本にしたらいいと勧められておりました。序で乍ら、三十年間 菜食のことに御理解を頂いた方々 そして 家族に、心より感謝・御禮申し上げます。怱々。
令和二年二月二十四日(月)
喪主 ○○ ○○(代筆:○○拝)」以上です。
および、出席することが 適わなかった 親戚には、同様に 下の挨拶文を添えて 上記の成書を進呈すべく 郵送しました。
すなわち、挨拶文は、
『 謹啓
春寒の候、益々、御健勝に渉らせられておられる御事と拝察致され、心より お喜び申し上げます。
さて、三回忌は、長女(姉のこと)の意向により 家族で とのことになりまして 去る二月二十四日に執り行われました。生前の御厚誼を深謝し、謹んで 御通知申し上げます。なお、本日 すなわち 2月27日(木)の【母親の三回忌の挨拶】のブログに、三回忌の挨拶を記させて頂きました。ちなみに、ブログのU.R.L.は、http://ameblo.jp/musubi-hikari/であります。
ときに、三回忌を迎え 菜食に理解を得た 母親に 感謝の気持ちを捧げさせて頂きたい と思い 【笑いと菜食療法】を 上梓しました。御批判頂けましたら、幸甚に存じ上げます。ちなみに、以前より 父親の介護として来ている 訪問看護師の方 や 家政婦さん そして 姉など複数の方々から、誠に有り難いことに 本にしたらいいと勧められておりました。なお、三十年間 菜食のことに御理解を頂いた方々 そして 家族に、心より感謝・御禮申し上げます。
ところで、お便りを頂きますことは誠に有り難く、嬉しいことで御座いますが、お便りをなされますことは お手数を お掛けすることになりますし、御多用であらせられると存じ上げますので、この便りに関します お便りのことは、どうぞ 呉々も お気になされませぬように。御負担で無ければ、お便り(を頂きますこと)は、誠に有り難く存じ上げますが、また、お会いさせて頂きましたときに、直接 お話しさせて頂けましたら、誠に有り難く存じ上げますので、どうぞ お気になされませぬように。
末尾となりましたが、余寒の砌、皆々様、呉々も御自愛下さいまして、御身体 お厭い下さいまして 御多幸を心より お祈り申し上げまして、取り急ぎ 連絡申し上げます。唯々感謝。謹白。
令和二年二月二十七日(木)大安
喪主 ○○ ○○(代筆:○○拝)』以上です。
ならびに、去る3月6日(金)の『父親の食事(カレーうどん)、洗濯 そして 入浴・154』のブログの中段やや上に、
『(前略)去る 5年前の1月18日(日)の【金時人参】のブログの中段に、
【(前略)去る 11月26日(水)の〖蕗〗のブログに、〖宮沢賢治氏の〔雨ニモマケズ〕に、〔一日ニ玄米四合・・・〕と書かれてありますが、一日に 玄米二合半を炊いています。〗と記させて頂きました。因 みに、去る1月1日(木)の〖謹んで新年の御祝詞を申し上げます。(^O^)〗のブログの中段やや上で、
〖平成9年に、都立の某・養護学校に依頼されて、母校の大学の主任教授の同意があり、修学旅行(三泊四日)に付き添い医師として同行したことがあります。この修学旅行の行程に、岩手県の〔わんこそば〕がありました。そこで、事前に、校長、養護教諭(保健室の医師)(この医師の子息が母校で教えていた学部生であり、この母親[医師]の代わりに、ということで委託されました)、そして、養護学校の教員の方々に伝えて、生徒達の中で 蕎麦アレルギーの方がいないか調べてもらいました。去る11月4日(火)の〔アレルギーの代替医療(食事療法)〕のブログ で、〔平成6年から平成20年迄、日本アレルギー学会員でありました・・・〕と記させて頂きましたが、蕎麦アレルギーは重篤になるという報告が御座います。因みに、アレルギーの原因は蛋白質です。
〔わんこそば〕に付き添って、100杯位食べる生徒がいましたが、誠に有り難いことに、何事も無く済みました。
蕎麦は好物でありましたが、このときから、昨日のブログ で記させて頂きました お餅のように、願を掛けて、蕎麦を頂きますことを控えさせて頂いております。
そのため、去る12月15日(月)の〔さつま芋〕のブログ の冒頭で、〔母親に誘われて、蕎麦屋に入りました。〕と記させて頂きましたが、ざるうどんを注文致しました。〗と お伝え申し上げました。この修学旅行の行程に、宮沢賢治イーハトーブ館が御座いました。(後略)】と記させて頂きました。このときに、上記の 小岩井農場が、修学旅行の行程に入っていました。(後略)』と記させて頂きました。
および、去る7月30日(木)の『鰻の蒲焼・690(蕎麦・カレーうどん・父親の食事)』のブログの上段に、
『(前略)去る 4年前の12月31日(木)の【大晦日(火星か金星か)】のブログの上段に、
【(前略)去る1月1日(木)の〖謹んで新年の御祝詞を申し上げます。(^O^)〗のブログ の中段やや上に、
〖(前略) 蕎麦は好物でありましたが、このとき(平成9年の初夏)から、昨日のブログ で記させて頂きました お 餅のように、願を掛けて、蕎麦を頂きますことを 控えさせて頂いております。(後略)〗と記させて頂きました。このことにつきまして、前述の 去る(昨年の)1月1日(木)の〖謹んで新年の御祝詞を申し上げます。(^O^)〗のブログ のコメント1で、誠に有り難いことに、
〖(前略)おモチ や お 蕎麦も、植物性食品であるにも拘わらず、祈りを込めて召し上がらないとは、本当に頭が下がりますm(._.)m!(後略)〗と伺いました。(後略)】と記させて頂きました。すなわち、家政婦にも話すことですが、上記のように、当方は 23年以上 大晦日の年越し蕎麦も含めて 蕎麦を頂いておりません。(後略)』と記させて頂きました。
次に、本日の午後9時15分に 『夜分に・・・』とのことで、前述致しましたように 挨拶文を添えて 上記の成書を進呈すべく 令和二年二月二十七日(木)の消印で郵送した 親戚(従兄弟)から 初めての 電話が入りました。 因みに、母親が 亡くなったときには こちらから 電話しましたので、電話で話すのは 二年五ヶ月ぶりであります。なお、この従兄弟によりますと、母堂は dementia(英語)(ネガティブ[英語:negative]で 御座いますし、お読み下さっている 方々に影響を お与えすることの無いように、日本語で 綴ることを控えさせて頂きましたが、以前 それでは わからない と指摘を頂きましたので、日本語も併記させて頂きます。小さく記させて頂きます。認知症のことで 御座います。以下、英語で dementiaと示させて頂きます)とのことでありました。また、今年の初めに 転勤になったとのことであり、特別支援学校の校長になったとのことでありました。それで、上記のように 平成9年に 都立の某・養護学校に依頼されて 修学旅行(三泊四日)に付き添い医師として同行したことを話しました。序で乍ら、特別支援学校は、平成19年(2007年)迄 は 『聾学校』、『盲学校』 そして 『養護学校』と区分されていました。(後略)」と記させて頂きました。
さて、去る 4年前の10月18日(日)の「叔母からの突然の電話連絡・続報7」のブログの下段やや上に、
「(前略)去る6月24日(水)の『叔母からの突然の電話連絡・続報6』のブログの下段やや上に、
『(前略)去る6月1日(月)の【叔母からの突然の電話連絡・続報5】のブログ
の下段に、
【(前略)去る5月28日(木)の〖叔母からの突然の電話連絡・続報4〗のブログの下段に、
〖(前略)去る5月9日(土)の〔叔母からの突然の電話連絡・続報3〕のブログの下段に、
〔(前略)このメッセ-ジによりますと また 電話するとのことでありましたが、電話が 掛かってこなかったので、午前8時50分頃 こちらから電話しました。まず、固定電話に電話しましたら、〇番を押してくれとの案内が入りまして 留守番電話に繋がるようでした。因みに、去る 一昨年の8月16日(木)の〘固定電話のナンバー・ディスプレイ機能(父親の食事)〙のブログに記させて頂きましたように、当家の固定電話には、ナンバー・ディスプレイ機能が付けられています。そこで、このナンバー・ディスプレイ機能で、昨日 掛かってきた 携帯電話の電話番号を調べました。それで、携帯電話に電話しました。
すると、この叔母によりますと、シンガポール や 九州で生活していた 子供たちは 帰って来たとのことでした。また、上記の 入院していた 叔母(三女)は 老人ホームに移るとのことでした。
ならびに、去る2月21日(金)の〘新型コロナ・ウイルス〙のブログに、新型コロナ・ウイルスのことを記させて頂きました。なお、この叔母によりますと、この新型コロナ・ウイルスのことが なければ、上記のように 叔母(三女)の共同墓地もある 小平霊園に お墓参りに行こうと思っていた とのことでした。(後略)〕と記させて頂きました。
また、去る5月24日(日)の〔肉親の来訪・6・後編〕のブログの上段に、
〔(前略)去る5月9日(土)の〘叔母からの突然の電話連絡・続報3〙のブログの下段に、
〘(前略)上記の 入院していた 叔母(三女)は 老人ホームに移るとのことでした。(後略)〙と記させて頂きました。姉によりますと、叔母(三女)は 既に サニー・ライフ板橋(老人ホーム)に移った とのことでした。 因みに、父親によりますと、叔母(三女)は 天涯孤独とのことでした。(後略)〕と記させて頂きました。そして、本日の午後4時22分に、この叔母(三女)から 電話が入りました。上記のことが ありますので、直ぐに 通話ボタンを押しました。因みに、音楽の音量を下げる時間が入りましたが、今回は 10秒で 電話に出ることが出来ました。なお、叔母(三女)によりますと、老人ホームに入居して 落ち着いたとの旨でした。そして、体調が しっかりしていないとのことでした。それで、父親に 午後9時迄 なら 電話して欲しいとのことでした。そこで、この叔母(三女)に 父親に代わるかどうかを訊いて、2世帯住宅の隣に居る 父親のところに行って 電話を取り次ぎました。(後略)〗と記させて頂きました。そして、昨日の午後5時11分に、上記の 叔母からの 突然の電話連絡が ありました。それで、留守番電話に メッセ-ジが残されていました。そこで、父親に聞かせて、直ぐに 速達で 返信しました。(後略)】と記させて頂きました。
および、去る6月21日(日)の【父の日・夏至・部分日食】のブログ
の中段やや上に、
【(前略)本日は 父の日でもありますね。 因みに、父親の在宅介護に携わっておりますので、毎日が 父の日であるような心構えでおります。それから、来る 6月24日(水)は 父親の誕生日でもあるのです。(後略)】と記させて頂きました。すなわち、本日は 父親の誕生日ですので、本日の午前11時16分に その叔母(三女)から 電話が入りました。それで、父親に取り次ぎました。因みに、突然の電話連絡でしたので、手に持っている器に入っている液体を零してしまいました。なお、その少し前に 父親の携帯電話に この叔母(三女)から 着信が ありましたが、父親によりますと 出られなかったとのことでした。そこで、この叔母(三女)に 電話を 掛けようとしていたところでした。(後略)』と記させて頂きました。本日、父親が、この叔母(三女)に 電話したいと言い出しました。それで、電話を取り次ぎました。以下、父親 と その叔母(三女)との電話の内容であります。すなわち、その叔母(三女)によりますと、自宅を引き払ったとのことでした。そこで、上記のように サニー・ライフ板橋(老人ホーム)に 居るとのことでした。そして、歩けるが、車椅子とのことでした。それから、テレビを見ることは出来るとのことでした。なお、父親のよりますと、会いに行きたいとのことでした。因みに、声を聞くことが出来て嬉しいとのことでした。しかも、父親によりますと、母親 と 叔母(三女)と 三人で 奥日光に行ったとのことでした。そのうえ、父親によりますと、母親が居なくて 寂しいとのことでした。序で乍ら、その叔母(三女)によりますと、電話は 午後9時なら いいとのことでした。
ならびに、その後、父親は、岐阜県立大垣商業高等学校の同級生(男性)に電話しました。
および、その後も 三重県の親戚に電話しました。すると、父親によりますと、一言 話して 切れてしまったとのことでした。そして、こちらから電話しても、留守番電話になりました。それから、暫くして 漸く通じました。なお、その三重県の親戚によりますと、檀那が 82歳で亡くなったとのことでした。また、この三重県の親戚によりますと、隣に兄弟の嫁が住んでいたのですが、名古屋の息子と同居することになったとのことでした。それで、一人になって 寂しいとのことでした。 因みに、その息子の息子は 京都大学に入学したとのことでした。(後略)」と記させて頂きました。
ならびに、去る 一昨々年の1月11日(月)の「親戚からの突然の電話連絡・続報12」のブログの下段に、
「(前略)去る 昨年の12月23日(水)の『親戚からの突然の電話連絡・続報11』のブログの下段に、
『(前略)去る12月6日(日)の【甥からの突然の電話連絡・続報10】のブログの下段に、
【(前略)去る12月4日(金)の〖叔母からの突然の電話連絡・続報9〗のブログの下段に、
〖(前略)去る11月14日(土)の〔叔母からの突然の電話連絡・続報8〕のブログの下段に、
〔(前略)本日 すなわち 11月14日(土)の〘マッサージ(父親)・137・中編・1〙のブログなどに記させて頂きましたように、マッサージ師の方の対応をしました。その最中 すなわち 本日の午後1時38分頃に、上記の叔母(三女)から 電話が入りました。それで、2回以上 父親に 折返し 電話するかどうかを訊きましたが、後にするとのことでした。そこで、翌日の 午前10時45分頃、折返し 電話しました。(後略)〕と記させて頂きました。本日の午前9時36分頃に、上記の叔母(三女)から 電話が入りました。それで、直ぐに すなわち 11秒で 通話ボタンを押しました。ところが、相手の応答がありませんでした。そして、30数秒で 電話が切れてしまいました。(後略)〗と記させて頂きました。本日の午前11時50分頃に、甥から 固定電話に 突然の電話が入りました。それで、留守番電話に メッセ-ジが残されていました。そこで、特定記録扱いの 速達郵便で、手紙を書いて 郵送しました。(後略)】と記させて頂きました。昨日の 遅い時間帯 すなわち 午後9時41分頃に、親戚から 固定電話に 突然の電話が入りました。それで、留守番電話に メッセ-ジが残されていました。すなわち、【叔父さんは・・・】との 父親の近況を知りたい様子の内容でした。そこで、今朝、父親に電話するかどうかを訊きました。ところが、本日 すなわち 12月23日(水)の【父親のこと・続報29】のブログの下段に、
【(前略)本日の午前中も 父親によりますと、〖身體が えらい。〗とのことでした。それで、本日の午前9時5分頃に 父親の検温をしましたら、誠に有り難いことに 父親の体温は 36.8℃でありました。因みに、平熱ですが、大事にしてもらっています。(後略)】と記させて頂きましたように、父親によりますと、後にして とのことでした。それから、父親は、食事をしました。そして、父親に電話するかどうかを 3回目に訊きましたときに、渋々 電話するとのことでした。従って、本日の午前10時27分に、電話しました。すると、この親戚によりますと、娘が インドネシアに移住しているとのことでした。しかも、コロナ禍のことがあり 東京へは行けないとのことでした。序で乍ら、誠に有り難いことに、日本 と インドネシアの関係は いいですね。
なお、先方から そろそろとのことでありましたので、当方から 【どうぞ よい年の瀬を お過ごし下さり、良い お年を お迎えになられて下さい。】と伝えました。(後略)』と記させて頂きました。
また、父親が、上記の叔母(三女)に 電話したいとのことでした。ところが、その後 父親によりますと、電話しないとのことでした。(後略)」と記させて頂きました。
および、去る 一昨々年の4月4日(日)の「親戚からの突然の電話連絡・続報18」のブログの下段に、
「(前略)去る 一昨年の3月31日(水)の『親戚からの突然の電話連絡・続報17』のブログの下段に、
『(前略)去る 3月27日(土)の【親戚からの突然の電話連絡・続報16】のブログの下段に、
【(前略)昨日 すなわち 3月26日(金)の〖親戚からの突然の電話連絡・続報15〗のブログの下段に、
〖(前略)去る1月24日(日)の〔親戚からの突然の電話連絡・続報14〕のブログの下段に、
〔(前略)去る1月19日(火)の〘親戚からの突然の電話連絡・続報13〙のブログの下段に、
〘(前略)本日も、父親によりますと、上記の叔母(三女)に 電話したいとのことでした。ところが、その後 今回も 父親によりますと、電話しないとのことでした。(後略)〙と記させて頂きました。そして、本日 父親に、上記の叔母(三女)に 電話したいかどうかを訊きました。すると、父親によりますと、電話をするとのことでした。それで、父親によりますと 入れ歯を嵌めないと 話すことが出来ないと言うので、父親に 外したばかりの入れ歯を嵌めさせました。それから、電話を取り次ぎました。ところが、〘電源が入っていないか、電波の届かない所に居ます〙とのアナウンスが流れて、その叔母(三女)への電話が通じませんでした。(後略)〕と記させて頂きました。そして、父親に、上記の叔母(三女)に 電話したいかどうかを しばしば 訊きました。すると、父親によりますと、電話をするとのことでした。それで、いざ 電話をしようとしますと、父親によりますと 疲れたとのことであり、上記と同様に 電話しないとのことでした。(後略)〗と記させて頂きました。それから、本日になって 父親によりますと、上記の叔母(三女)に 電話をするとのことでした。しかも、父親によりますと 入れ歯を嵌めないと 話すことが出来ないと言うので、父親に 外したばかりの入れ歯を嵌めさせました。それで、その叔母(三女)に 電話しましたら、〖お掛けになった 電話番号は 現在 使われておりません。〗とのことでした。すなわち、その叔母(三女)は、電話契約を終了したようであります。それで、父親には、その叔母(三女)から 電話が入る迄 待つしかないと伝えました。もしくは、他に電話するか と話しました。すると、誠に有り難いことに 父親は、納得してくれました。(後略)】と記させて頂きました。今度は 父親によりますと、姉に電話するとのことでした。(後略)』と記させて頂きました。そして、一昨日 すなわち 3月26日(金)の『父親の食事(カレーうどん)、洗濯 そして 入浴・207』のブログに記させて頂きましたように 入浴した後 父親は、当方が 父親の衣類を洗濯している間に 姉に電話しました。それで、明日 すなわち 4月5日(月)の『鰻の蒲焼・902(カレーうどん・父親の食事)』のブログの中段やや下に、
『(前略)昨日 すなわち 4月4日(日)の【鰻の蒲焼・901(カレーうどん・父親の食事)】のブログの中段やや下に、
【(前略)去る4月2日(金)の〖父親の食事(カレーうどん)、洗濯 そして 入浴・208〗のブログの上段やや下に、
〖(前略)父親によりますと 前日 姉に電話したが、〔恐ろしい。あいつは 鬼だ!〕とのことでした。そして、父親の本意では ありませんが、デイ・サービスに行くように言われたとのことでした。因みに、去る 昨年の4月8日(水)の〔鰻の蒲焼・593(カレーうどん・父親の食事)〕のブログの中段やや下に、
〔(前略)去る 昨年の7月2日(火)の〘榊(カレーうどん・父親の食事)・15〙のブログの下段にやや上に、
〘(前略)父親によりますと、姉に譲渡した土地を 売らなければよかった とのことでした。(後略)〙と記させて頂きました。そして、昨日も、父親によりますと、姉に 土地を譲渡しなければよかったとのことでした。(後略)〕と記させて頂きました。昨日も、父親によりますと、姉に 土地を譲渡しなければよかったとのことでした。それで、父親によりますと、姉のことで 〔死にたい!生きていたくない!〕とのことでした。但し、人は この世の修行が終わらなければ、あの世に移行することは 適わないとされています。なお、今迄 父親は、姉に電話をする度に もう懲りたと話していました。それでも、繰り返し 姉に電話をしました。因みに、去る 6年前の5月23日(土)の〔親の言葉〕のブログの上段に、
〔(前略)去る5月18日(月)の〘一大事とは〙のブログに記させて頂きました吉田松陰によりますと、江戸在獄中の、安政6年10月20日(旧暦)付(刑死の約1週間前)、父、叔父、そして、兄等に宛てた書状の中で、〘親思う心に勝る親心 けふの訪れ何と聞くらむ〙という句が詠まれています。子が親を思う心よりも、子を思いやる親の気持ちのほうが遥かに深いということを伝えています。この吉田松陰の言葉も有名なので、以前、父親から、よく聞かされました。(後略)〕と記させて頂きました。すなわち、父親は、姉のことを思っているのであります。そして、父親によりますと、本当に 懲りたとのことでありました。
序で乍ら、家政婦によりますと、姉も 父に 恐ろしいと思わせるようなことを言わないで、電話を切ればいいのに とのことでした。(後略)〗と記させて頂きました。昨日も 父親によりますと、上記のように 〖生きていたくない!〗とのことでした。(後略)】と記させて頂きました。昨日も 父親によりますと、【あの世に行きたい。】とのことでした。(後略)』と記させて頂きます。父親によりますと、義理の兄は 週に 1日 すなわち 月曜日に 相談役として 出社するのみとのことでした。
それから、本日は 甥(長男)に電話をしたいとのことであり、午後0時45分頃 休日でありますので 甥(長男)に電話を 取り次ぎました。(後略)」と記させて頂きます。
また、去る 一昨々年の6月16日(水)の「親戚からの突然の電話連絡・続報23」のブログの下段に、
「(前略)昨日 すなわち 6月15日(火)の『親戚からの突然の電話連絡・続報23』のブログの下段に、
『(前略)去る6月11日(金)の【親戚からの突然の電話連絡・続報22】のブログの下段に、
【(前略)昨日 すなわち 6月10日(木)の〖親戚からの突然の電話連絡・続報21〗のブログの下段に、
〖(前略)去る6月5日(土)の〔親戚からの突然の電話連絡・続報20〕のブログの下段に、
〔(前略)昨日 すなわち 6月4日(金)の〘親戚からの突然の電話連絡・続報19〙のブログの下段に、
〘(前略)家政婦によりますと、本日は 父親が 叔母(四女)に電話をしたいと言っているとのことでありました。ところが、父親 本人によりますと、誠に有り難いことに、電話をしなくていいとのことでありました。(後略)〙と記させて頂きました。本日になって、父親が、叔母(四女)に電話をしたいと言いました。それで、本日の午前10時10分頃に、電話を取り次ぎました。すると、この叔母(四女)によりますと、息子の一周忌は 済ませたとのことでした。因みに、武漢ウイルスのことがあるので、身内で 行ったとのことでした。なお、父親によりますと 新しく お墓を建立したと聞いたとの旨でしたが、従来の お墓に 私たち両親よりも 早く入ったとのことでした。序で乍ら、昨年の この子息の命日のことを この子息の嫁から 父親と当方への2通の便りで 伺いまして、直ぐに 香典を 現金書留で送りました。ところが、その叔母(四女)によりますと、聞いていないとのことでした。これには、家政婦が驚いていました。
それから、叔母(三女)の携帯電話番号が変わったとのことでした。それで、その携帯電話番号を伝えられました。
しかも、その叔母(四女)によりますと、来る6月20日(日)に その叔母(三女)の墓参に行くとのことでした。因みに、姉 と 叔母も行くとのことでした。それで、その霊園は 近くなので 〘自宅に お立ち寄り下さい。〙と話しましたが、その叔母(四女)によりますと、この日は 所用があるので とのことでした。
そのうえ、その叔母(四女)によりますと、父親は寂しいとのことでありました。すなわち、去る 一昨々年の3月6日(火)の〘母親の転帰〙のブログに記させて頂きましたように、母親が 亡くなっていますからね。
ところで、父親によりますと、更に 叔母(三女)にも電話するとのことでした。それで、本日の午前10時50分頃に、また 電話を取り次ぎました。因みに、叔母(三女)は寝ていたようでした。なお、父親によりますと、上記のように 叔母(三女)は 東武線練馬下車のサニー・ライフ板橋(老人ホーム)に入所しているとのことでした。また、叔母(三女)は 白内障とのことでした。そして、電話をするのであれば、午前9時~午後6時とのことでした。(後略)〕と記させて頂きました。
次に、去る 4年前の10月20日(金)の〔アンテナに関して(両親の食事)〕のブログの中段やや上に、
〔(前略)去る 一昨年の3月30日(月)の〘脳の神経細胞の新生〙のブログ の上段やや下に、
〘(前略)Wernicke脳症の後遺症として、Korsakoff症候群(コルサコフしょうこうぐん)(コルサコフはロシアの精神科医の名前)があります。老人性認知症が基礎疾患としてあって、Korsakoff症候群を引き起こす ともされています。Korsakoff症候群は、記銘力障害、失見当識(英語:disorientation)、そして、作話を三徴(三つの徴候)とする疾患です。(後略)〙と記させて頂きました。このように 記銘力障害を引き起こす Korsakoff症候群の基礎疾患として、アルコール(お酒)による 振戦せん妄があるのです。だから、お酒 呑むことは、記憶力(記銘力)に影響を及ぼすのです。忘れたいことがあるときには お酒 呑むと言われますので、御理解頂けることであると存じます。上記の排泄介助の方にも この話を致しまして、誠に有り難いことに 納得して頂けました。序で乍ら、他に Korsakoff症候群の基礎疾患としては、一酸化炭素(化学式:CO)中毒があります。それらの三つの基礎疾患を覚える為に〘酒浸り(振戦せん妄)の ジジイ(老人性認知症)のガス中毒(CO中毒)〙という語呂合わせがあります。(後略)〕と記させて頂きました。本日 父親によりますと、叔母(四女)に電話をしたいとのことでありました。ところが、この叔母(四女)は、父親に 電話をしてくれるな と言っているのであります。因みに、上記のように 父親には 記銘力障害が あるので、その叔母(四女)から 電話をしてくれるな と言われていることを覚えていないのであります。(後略)〗と記させて頂きました。本日になって 父親によりますと、昨夜 叔母(四女)に電話をしてしまったとのことでした。それで、電話をしてしまったので、謝りの電話をしてくれとのことでした。ところが、上記のように、その叔母(四女)は、父親に 電話をしてくれるな と言っています。これに対して 父親は 何で その叔母(四女)は 電話をしてくれるなと言うのだと繰り返し言います。因みに、家政婦によりますと、叔母(四女)にも 生活があるからでしょうとのことでした。そこで、叔母(三女)に電話することになりました。しかし乍ら、その叔母(三女)が 電話に出たのに 切れてしまいました。そして、その後 何回か 電話しましたが、話し中の電話音でした。それから、暫くして 漸く通じました。ところが、また 父親が 話をしている途中で 電話が 切れてしまいました。(後略)】と記させて頂きました。本日 すなわち 6月15日(火)の【訪問看護(父親)・77・前編】のブログ そして 本日 すなわち 6月15日(火)の【訪問看護(父親)・77・後編】のブログなどに記させて頂きましたように、訪問看護師の方に付き添いました。そして、この訪問看護師の方が帰って 直ぐ すなわち 後片付けも ままならない内に、父親によりますと、その叔母(三女)に電話をしたいとのことでした。それで、本日の午後0時15分頃、その叔母(三女)に電話を取り次ぎました。ところが、呼び出しても、出ませんでした。(後略)』と記させて頂きました。明後日 すなわち 6月18日(金)の『父親の食事(カレーうどん)、洗濯 そして 入浴・220』のブログの中段やや下に、
『(前略)父親によりますと、寒気がするとのことでした。それで、直前の午後2時20分にも、父親の検温をしましたら、父親の一回目の体温は 37.2℃(実測値)であり、二回目のそれは 37.1℃でありました。これらの結果を その介護福祉士の方に伝えて、着替え と 清拭をすることになりました。(後略)』と記させて頂きます。すなわち、介護福祉士の方に付き添いました。そして、この介護福祉士の方が 帰って 直ぐ すなわち 後片付けも ままならない内に、父親によりますと、上記のように 微熱があるにもかかわらず、その叔母(三女)に電話をしたいとのことでした。それで、本日の午後4時50分頃、その叔母(三女)に電話を取り次ぎました。ところが、呼び出しても、出ませんでした。因みに、今朝 その叔母(三女)に電話するかどうかを尋ねましたときには、電話しないとのことでした。(後略)」と記させて頂きました。
しかも、去る 一昨々年の12月4日(土)の「親戚からの突然の電話連絡・続報27」のブログの下段に、
「(前略)去る8月9日(月)の『親戚からの突然の電話連絡・続報26』のブログの下段に、
『(前略)去る7月21日(水)の【親戚からの突然の電話連絡・続報25】のブログの下段に、
【(前略)去る6月24日(木)の〖親戚からの突然の電話連絡・続報24〗のブログの下段に、
〖(前略)今朝 すなわち 午前9時54分に、姉から 突然の電話連絡が ありました。因みに、姉に、昨日 すなわち 6月23日(水)の〘武漢ウイルスのワクチンについて(拡散希望)・続報2〙のブログに記させて頂きました 内容を伝えました。すなわち、本日の午後2時に、〘新型コロナワクチン接種中止〙の嘆願書 提出後の記者会見があります。なお、去る3月19日 そして 去る6月15日にも、武漢ウイルスのワクチンのことにつきましては、姉に伝えています。しかし乍ら、姉によりますと、檀那と共に 一回目のワクチンは済まし 来る7月1日に 二回目のワクチンの予約を入れているとのことでした。それで、もう 決めているから、上記の記者会見は 見ないとのことでした。そして、おかしいとのことでした。すなわち、姉も、メディアに洗脳されていますね。序で乍ら、家政婦には、身内に分かってもらうのは 最後になるとされていることを伝えました。
さて、父親によりますと、姉と話していて 電話を切られたとのことでした。
ときに、上記のように、本日 すなわち 6月24日(木)は 父親の誕生日であります。因みに、誠に有り難いことに、父親は 満93歳になりました。なお、家政婦との話で 一週間 誕生祝いをしようとの内容になりました。(後略)〗と記させて頂きました。そして、本日は、姉の誕生日であります。それで、家政婦が メールならば 大丈夫だろう と言うので、本日の午前中に、〖お誕生日 誠におめでとうございます。心より 御祝福申します。〗との旨の メールを送信しました。すると、午後2時58分に、誠に有り難いことに、姉から 以下の返信がありました。すなわち、
〖メールありがとう
もう69才になりました。
気難しい父を見てもらって感謝しています。
○○君も 身体に気をつけて楽しみを見つけてください。
パフが具合悪くなって犬友達に ピアノを習っています。
ビートルズのイエスタデイを 楽譜を見ないで弾けるようになり 毎日弾いてます♪
又チェロを始めたら良いのでは ないですか?〗以上です。
それで、明後日 すなわち 7月23日(金)の〖父親の食事(カレーうどん)、洗濯 そして 入浴・225〗のブログに記させて頂きます 介護福祉士の方に、このとき 付き添っていました。しかし乍ら、同時に 返信も行いました。
そして、以前から 伝えていますように、父親のことは 修行と思っていることを記しました。因みに、上記のような〖気難しい父〗という 親に対する ネガティブな感情は 浄心するか もしくは 親と向き合うしかないと 家政婦に話しました。なお、去る 4年前の12月2日(土)の〖姉の来訪・13〗のブログの中段に、
〖(前略)親子関係が 全ての人間関係の基本になる と回答しました。すなわち、全ての人間関係が、親子関係の影響を受けることになるのです。(後略)〗と記させて頂きました。すなわち、親子関係が あらゆる人間関係に反映する訳でありますからね。
ならびに、去る 一昨々年の3月27日(火)の〖鰻の蒲焼・88(チェロの弦・父親の食事)〗のブログの中段に、
〖(前略)去る 一昨々年の10月23日(金)の〔レクイエム〕のブログ の上段に、
〔(前略)演奏する楽器はチェロ(英語:violoncello)でした。チェロの写真を、下に掲載させて頂きます。画像をクリック(click)(もしくはタップ)して頂きますと、拡大致します。

チェロ
(後略)〕と記させて頂きました。ならびに、去る 一昨々年の11月30日(月)の〔クラシック・コンサート〕のブログ の上段に、
〔(前略)去る10月23日(金)の〘レクイエム〙のブログ の上段に、母校の某・都立高校で 室内楽部に入部していた と記させて頂きました。大学でも、誘われて 〘アンサンブル・スーベニール〙という室内楽部に所属していました。なお、スーベニール(英語:souvenir)とは、記念品の意味です。(後略)〕と記させて頂きました。(後略)〗と記させて頂きました。すなわち、以前も 伝えたように、このチェロを 大事にして 弾 いてくれる人が居ればいいのに、と思わせて頂いていることを記しました。
および、本日 すなわち 7月21日(水)の〖東京オリンピック(令和3年)〗のブログに記させて頂きましたように、今回の東京オリンピックの表彰式衣装のこと、介護スタッフ や 家政婦など 身近な 人々にも話しています。そして、周囲と連携するように努めて、日本の伝統的な着物があるのでありますから この伝統に相応しい衣装にするように ブログで 運動していることを伝えました。しかし乍ら、時間切れでありました。なお、御承知のように、日本の伝統を喪失させる動きが 至る所で見られるので、ブログを駆使して 日々 運動を展開していることを伝えました。(後略)】と記させて頂きました。本日 父親によりますと、その叔母(四女)から 電話が 掛かってこない とのことでした。また、その叔母(三女)に電話しても 出ないとのことでした。(後略)』と記させて頂きました。本日 朝、父方の親戚 すなわち 父方の従兄妹から 3回 留守番電話が入りました。それで、父親に伝えましたら、寝てないから 今は 電話を掛けることが 出来ない とのことでした。ところが、午前11時半頃になって、父親によりますと、電話をする とのことでした。それで、電話を取り次ぎました。すると、先方の 父方の従兄妹が、小豆の『善哉』のことを言及していました。また、結婚のことも言及していました。しかも、女性は 嫌いとのことでした。(後略)」と記させて頂きました。
そのうえ、去る 一昨年の4月6日(水)の「親戚からの突然の電話連絡・続報32・後編」のブログの中段に、
「(前略)去る4月2日(土)の『親戚からの突然の電話連絡・続報31・後編』のブログの下段に、
『(前略)去る3月3日(木)の【親戚からの突然の電話連絡・続報30・後編】のブログの下段に、
【(前略)去る 1月11日(火)の〖親戚からの突然の電話連絡・続報29・後編〗のブログの下段に、
〖(前略)去る1月6日(木)の〔親戚からの突然の電話連絡・続報28・後編〕のブログの下段に、
〔(前略)本日になり、急に 父親が電話したいとのことでした。それで、電話をしないと気が済まないとのことでした。そして、家政婦によりますと、父親から言われて 料理が進まないとのことでした。
そこで、親戚に 電話を取り次ぎました。すなわち、その親戚によりますと、約50年前に 来たときには お見合いの前日に泊めてもらったとのことでした。因みに、相手は 警察官だったとのことでした。その夫も 今年で 27回忌とのことでした。なお、田舎 すなわち 岐阜に戻ってきたのが 場所柄 よくなかったとのことでした。
それから、以前、当家で 鰻の蒲焼を御馳走になった とのことでした。
しかして、インドネシアに滞在していた娘が 帰ってきた とのことでした。それで、新宿のマンションを 3年間 仏人に貸していたが、居住権のことがあり そのマンションには戻れないとのことでした。そこで、娘は 会社の 江戸川区のアパートを借りて 住んでいるとのことでした。そして、娘の子供は 4歳と8歳とのことでした。序で乍ら、インターナショナルの学校に通っていて 日本に合わないとのことでした。父親は 耳が遠くなったとのことでした。しかも、約半世紀前の 姉の結婚式には 来たとのことでした。そのうえ、2年前のことですが、本家の嫁が 90歳で亡くなったとのことでした。すなわち、機関銃のように 次から 次へと聞かされました。因みに、家政婦によりますと、元気な人とのことでした。(後略)〕と記させて頂きました。
そして、本日、叔母(四女)から 手紙が届きました。すなわち、
〔度々の手紙、申し訳・・・叔母(三女)宛の年賀状ですが、住所は 合っていますが、名前は 現在 旧性(旧姓でありますね)ですので、届かなかったかと思い・・・又、電話は、今、持っていませんので、何かございましたら 私の所まで連絡は 今は 車椅子では有りますが、元気に過して(〘過ごして〙であり、〘ご〙が抜けていますね)・・・〕以上であります。
それで、取り急ぎ、特定記録郵便で 返信しました。(後略)〗と記させて頂きました。本日の午後3時55分 そして 午後7時10分に、姉から 留守番電話が入りました。因みに、その伝言を聞きましたら、午後3時頃に 当方の知らないうちに、どうやら 父親が 姉に電話したようでした。それで、その後、父親から 姉に 電話しました。(後略)】と記させて頂きました。
ところで、去る3月11日(金)の【父親の転帰】のブログに記させて頂きましたように、父親が 亡くなりました。それで、通知をしましたら、親戚 3件から 電話が入りました。それで、昨日の午前中、折り返し 電話連絡しました。(後略)』と記させて頂きました。そして、本日の午前9時8分に、異例なことに 父親の携帯電話に 姉から 連絡が入りました。それで、義理の兄に 代わるとのことでした。すなわち、昨日 すなわち 4月5日(火)の『税理士・続報5』のブログに記させて頂きました 税理士のことでした。因みに、義理の兄によりますと、その税理士は 相続に慣れていないのではないか とのことでした。すなわち、5年に 1回位しか 依頼がないのではないか とのことでした。なお、今回のことで 義理の兄が 相続のことで 見落としたので、相続に慣れていないということは 自分のことを投影(英語:project)(心理学用語)しているように思われました。
序で乍ら、義理の兄によりますと、上記の 相続に慣れていないということにつきまして、医者であっても、 を 内科医は 分かっていないようなものとのことでありました。因みに、喩えとしては、言わんとするところは分かるような気が致します。ところが、内科医でも 外科のことは ある程度 わかります。すなわち、外科適用になるかどうかにつきましては、内科医の方が 冷静かもしれません。何故ならば、外科医は 外科適用に したがるからであります。なお、去る 6年前の9月23日(金)の『母親の入院』のブログの上段に、
『(前略)母親が 玄関のところで 転んで 尻餅をついたことを記させて頂きました。
(中略)
去る3月10日(木)の【親の受診に付き添っていること・31(市内の某・公立Hp.の循環器内科)】のブログに記させて頂きました同・公立Hp.(hospital[ホスピタル]の略です。以下、Hp.と記させて頂きます)の診察券はありますので 母親が ここを希望しましたが、祭日であり 整形外科の担当医がいないとのことでした。それで、 他の私立のHp.になりました。当方 と 姉が、救急車に同乗しました。(後略)』と記させて頂きました。すなわち、救急車で 搬送されて、近医の私立のHp.の整形外科に入院になりました。
また、去る 6年前の9月25日(日)の『母親の入院・続報2』のブログの中段やや下に、
『(前略)誠に有り難いことに、読者の お方から、去る 一昨年の11月25日(火)の【第六感(スピリチュアリティ[spirituality])】のブログ のことを言及して頂きました。このブログに記されているような内容を伝えさせて頂きます。母親によりますと、2千回 誦行していたら このHp.(hospital[ホスピタル]の略です。以下、Hp.と示させて頂きます)で亡くなった大勢の 方々が 夢の中で ぞろぞろと出て来た とのことでした。この地域に 約50年住んでいますが、以前 このHp.の評判は好ましくありませんでした。なお、 一昨々日 すなわち 9月23日(金)の【母親の入院】のブログの上段やや下に、
【(前略)去る3月10日(木)の〖親の受診に付き添っていること・31(市内の某・公立Hp.の循環器内科)〗のブログに記させて頂きました同・公立Hp.(hospital[ホスピタル]の略です。以下、Hp.と記させて頂きます)の診察券はありますので 母親が ここを希望しましたが、祭日であり 整形外科の担当医がいないとのことでした。それで、 他の私立のHp.になりました。(後略)】と記させて頂きました。すなわち、救急車で このHp.に搬送されましたので、選択することが出来ず 仕方がなかったのです。(後略)』と記させて頂きました。そして、上記のように 『このHp.で亡くなった大勢の 方々が 夢の中で ぞろぞろと出て来た とのことでした。』ということを聴き、整形外科の治療が済んだら 早めに退院させようと思っておりました。それで、10日間で 退院になりました。序で乍ら、母親入院中、担当の整形外科医が 肝臓専門の内科医が居なかった為に、肝臓外科の医師に紹介していました。因みに、外科に紹介になると、外科適用になったかもしれません。そこで、上記のように 早めに退院させてもらって よかったと思われました。なお、 6年前の6月17日(金)の『親の受診に付き添っていること・36(膠原内科医)・前編』のブログに記させて頂きましたように、母親の肝臓のことは この膠原内科医で診てもらっていましたから 不要でした。
なお、義理の兄が、日本心療内科学会登録医である 当方に 医学の喩えを用いたことは まずかったかもしれませんね。
ならびに、義理の兄によりますと、事務員から 丸1日 経過しても 税理士に連絡が付かないということは おかしいとのことでした。それで、現代は 電話という手段があるのですからねと回答しました。そこで、義理の兄によりますと、自分の経験では 連絡が付かないということは 信用出来ないとのことでした。そして、市役所に紹介してもらって 税理士を変えたらどうかとのことでした。序で乍ら、去る 4月1日(金)の『家政婦さんの入院』のブログに記させて頂きましたように、約4年8ヶ月 勤務してくれた 家政婦さんが入院しました。話の流れで このことを伝えなければなりませんでした。すると、姉によりますと、疲れたのよ とのことでした。
また、姉によりますと、築地の がんセンターに 人間ドックを受けに行くとのことでした。それで、義理の兄と重なって 一緒に行くから 電話を切るとのことでした。それで、電話が切れました。
そこで、午前11時26分に、再度 電話しなければなりませんでした。すると、誠に有り難いことに、姪が出ました。ところが、息子が うるさくなったので 電話をしていられないとのことでした。
なお、後になって 姉によりますと、人間ドックでは 異常なしとのことでした。そして、姉によりますと、話は ゆっくりが いいとのことでした。また、姉によりますと、ワクチンを 3回 受けたとのことでした。だから、ワクチンのことは いいとのことでした。悪いと言われても 困るとのことでした。せかせかしちゃう とのことでした。(後略)」と記させて頂きました。
次に、去る 一昨年の5月28日(土)の「親戚からの突然の電話連絡・続報37・後編」のブログの下段に、
「(前略)去る5月12日(木)の『親戚からの突然の電話連絡・続報36・後編』のブログの下段に、
『(前略)去る5月2日(月)の【親戚からの突然の電話連絡・続報35・後編】のブログの下段に、
【(前略)去る4月27日(水)の〖親戚からの突然の電話連絡・続報34・後編〗のブログの下段に、
〖(前略)去る4月20日(水)の〔親戚からの突然の電話連絡・続報33・後編〕のブログの下段に、
〔(前略)本日の午前9時39分に、姉の携帯電話から 義理の兄が 電話を掛けてきました。因みに、昨日 すなわち 4月19日(火)の〘死亡届提出後の主な手続き・続報6〙のブログの下段に、
〘(前略)インターネットで検索しますと、評価証明書を用いて 固定資産税を決めると書かれてありますが、その財務課の職員によりますと、そうではないとのことでした。(後略)〙と記させて頂きました。なお、昨日 某・市役所の税務課で 評価証明書を取得したと伝えましたら、義理の兄も、評価証明書を用いて 固定資産税を決めるものと思っていることが分かりました。
それで、義理の兄によりますと、迷っているとのことでした。
それから、話を最後迄 聴くようにとのことでした。但し、精神分析では 明確化(英語:clarification)(精神分析の用語です)し乍ら 話を進めていきますので、そう致しました。すると、義理の兄によりますと、話を最後迄 黙って聴かなければ駄目とのことでした。そこで、直接 お会いするのではなくて 電話なのですから、当然 明確化は必要と伝えました。(後略)〕と記させて頂きました。
ならびに、一昨々日 すなわち 4月24日(日)の〔父親の納骨(七七日・満中陰法要)(シンクロニシティ)〕のブログに、父親の納骨(七七日・満中陰法要)のことを記させて頂きました。そして、本日の午前9時59分に、姉の携帯電話から 連絡が入りました。それで、義理の兄が出ました。因みに、上記の明確化につきまして、その父親の納骨(七七日・満中陰法要)のときに、詳細な資料と手紙を手渡しました。それで、今回、その明確化につきまして 説明しましたが、義理の兄によりますと、〔悪いけど、興味ない。〕とのことでした。それから、〔患者ではない。〕とのことでした。なお、上記のように いきなり 電話が入り、話を最後迄 黙って聴かなければ駄目と言われたので、明確化が必要と言ったのでありまして 仕方のないことであります。それから、義理の兄によりますと、〔強迫観念〕とのことでした。序で乍ら、家政婦にも話しましたことであります。すなわち、内科の主任教授も そうでしたが、〔強迫観念〕の定義が 充分に分からない人が この言葉を使うと とんでもないことになります。
および、義理の兄によりますと、誠に失禮なことに 当方に黙るようにとのことで 〔しー。しー。〕とのことでした。(後略)〗と記させて頂きました。
また、義理の兄によりますと、姉にも 当家の流れがあるとの旨でした。但し、姉は 20歳のときに 結婚して、宗教上でも 姉の両親は 義理の兄の両親ということになっています。
しかも、義理の兄によりますと、相続登記のことは 初めてで わからないとのことでした。そのうえ、整理が出来ていないとのことでした。
更に、義理の兄が、重加算税のことを言及していました。
のみならず、本日の午後4時59分に、姉から電話が入りました。それで、義理の兄に代わりました。それで、来る 5月6日(金)に来るとのことでした。(後略)】と記させて頂きました。
おまけに、本日 郵便局に出発した 午後0時10分に、義理の兄から 電話が入りました。それで、二 つの用事があるとのことでした。すなわち、一つめは、固定資産税のことでした。長年(義理の兄が言うには 30年とのことですが、父親が 姉夫婦の住宅の固定資産税は もらうように言い続けてきましたので、そのようなことはありません) 渡してきたのと同様に、昨年、父親に 固定資産税 8万円を渡したとのことでした。但し、父親は寝たきりであり、当方が 常に 在宅介護で 父親に付き添っていますので、渡していることはありません。仮に 渡したとしたら、当然 当方の知るところになります。これは、明らかな 嘘ですね。
また、固定資産税の通知書を郵送で 送って欲しいとのことでした。
それから、二 つめは、司法書士に渡っている 改製原戸籍謄本、除籍謄本 そして 住民票(除票)などを 還付するように 電話で伝えて欲しいとのことでした。因みに、義理の兄は 司法書士の費用(当家の費用は ¥83,600円でした。そして、義理の兄の家は 約¥6万円)を浮かす目的で、一緒に 登記を行いませんでした。それで、自分で 登記を行う為に、上記の書類が必要なのであります。但し、以前 義理の兄によりますと、電話することは たいへんなこと と言っていたのでありますがね。なお、義理の兄によりますと、悪用されたら 困るとか 余分な考え方を されてしまうと困るから とのことでした。そして、悪いけど とのことでした。
しかも、約45年前に 義理の兄が 母親に渡した セーターを大事にしていますと話しましたら、義理の兄によりますと、関心ないとのことでした。
そのうえ、去る5月6日(金)の【肉親の来訪・14・後編】のブログの中段下に、
【(前略) 去る3月11日(金)の〖父親の転帰〗のブログに記させて頂きましたように、父親が 母親に続いて 亡くなりました。なお、姉夫婦によりますと、今年は、もう 来ないとのことでした。すなわち、初盆 と 収骨(分骨)には 行かないとのことでありました。それで、生前 父親は 何度も〖自分が死んだら 泣いてくれるか、誰が 来てくれるか。〗と話していましたので、三回 説得しました。 因みに、この説得したことは、家政婦も 知っています。なお、因果律が分かっていれば、親の初盆 と 収骨(分骨)に 出席しないということは、自分のときに 子供たちが 同じことをするということであります。そこで、因果律に基づいて 生活を していればいいのにね と 家政婦に話しました。そして、何で このような簡単なことが分からないのだろうね、不思議なのだけれどね と話しました。序で乍ら、家政婦によりますと、因果応報とのことでした。しかし乍ら、上記のように 三回 説得しても 義理の兄によりますと、ハッキリと、今年 姉夫婦は 当家に訪れることは ないとのことでした。 因みに、その家政婦との話で、父親も 母親も、あの世で 悲しんでいるだろう との内容になりました。(後略)】と記させて頂きました。それで、上記のように 三回 説得しました。そして、今回も 先方から電話連絡がありましたので、もう1度 説得しました。ところが、やはり 勘弁してとのことでした。
そして、午後0時32分にも、電話が入りました。それで、強力に 自分から話させてもらいたいとのことでした。なお、義理の兄によりますと、上記の固定資産税に関しましては、自分の勘違いだったとのことでした。すなわち、4年前 母親が亡くなって 姉が 登記をする際に、某・市役所 収納課の銀行口座引き落としの申し込み書類を手渡して 担当者(男性)の氏名を伝えて この人に話して下さいと説明しました。そして、姉は 自分の家の固定資産税の銀行口座引き落としをしたのでした。そのことを姉夫婦は忘れていたようであります。それで、今回 固定資産税の銀行口座引き落としは 5月31日に なされている筈であるから、銀行通帳の その箇所を確認して下さい と伝えました。そこで、義理の兄は、自分の銀行口座で 銀行口座引き落としが出来ていることを知ったのであります。序で乍ら、この騒ぎで 1回目の通話時間が 約30分であり、しかも、2回目の電話も、多用なときに 取らなければならなくなりました。(後略)』と記させて頂きました。
それから、上記の固定資産税の通知書のことは 序でのときで いいとのことでしたので、本日 姉夫婦の郵便受けに投函しました。 因みに、以前 姉からは、郵便は控えるように と言われていました。(後略)」と記させて頂きました。
しかして、去る 一昨年の6月12日(日)の「親戚からの突然の電話連絡・続報39・後編」のブログの下段に、
「(前略)去る6月7日(火)の『親戚からの突然の電話連絡・続報38・後編』のブログの下段に、
『(前略)本日、姉から 以下のような内容の葉書が来ていることに気が付きました。すなわち、去る5月31日の消印になっていますが、本日 受けました。 因みに、庭に落ちていました。
すなわち、
【前略
五月の分骨 苦労・・・
七月の新盆は 二人とも 欠席で 行きませんので よろしく願い・・・これからは 我家まで来るのは 大変なので 書類は 郵送で けっこう・・・】以上であります。それで、取り急ぎ、速達扱いである レターパック・ライトで 返信しました。なお、この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 朝になりました。(後略)』と記させて頂きました。
ならびに、誠に有り難いことに、本日の午後1時43分に、従兄妹から 新盆(初盆)のことで 電話連絡がありました。 因みに、誠に有り難いことに、父親に世話になった とのことでした。なお、生前 父親は、法事で 約100万円を渡しています。しかも、当方も 行きましたが、夫婦で 何度も 法事に伺っております。(後略)」と記させて頂きました。
ならびに、去る 一昨年の8月13日(土)の「親戚からの突然の電話連絡・続報42・後編」のブログの上段に、
「(前略)去る7月23日(土)の『親戚からの突然の電話連絡・続報41・後編』のブログの下段に、
『(前略)一昨々日 すなわち 7月20日(水)の【親戚からの突然の電話連絡・続報40・後編】のブログの下段に、
【(前略)去る7月10日(日)の〖盂蘭盆会(父親の初盆)・前編〗のブログ、去る 7月10日(日)の〖盂蘭盆会(父親の初盆[新盆])・中編・1〗のブログ、去る 7月10日(日)の〖盂蘭盆会(父親の初盆[新盆])・中編・2〗のブログ そして 去る7月10日(日)の〖盂蘭盆会(父親の初盆[新盆])・後編〗のブログ そして 去る7月11日(月)の〖父親の 初盆(新盆)での 挨拶〗のブログなどに記させて頂きましたように、誠に有り難いことに 父親の初盆が 滞りなく 終了致しましたので、姉夫婦を含めて 近隣の親戚 6家族 と 僧侶に 報告を 速達の現金書留 と 特定記録郵便で 郵送しました。 因みに、前述の 去る7月10日(日)の〖盂蘭盆会(父親の初盆[新盆])・後編〗のブログの下段に、
〖(前略)その後 7歳 年上の従兄弟によりますと、奥方が 駅の階段のところで 転んで 怪我をしたとのことでした。 因みに、足がもつれたとのことでした。それで、その従兄弟によりますと、奥方のところに見舞いに行くとのことでした。それで、現金書留で お見舞いを送りました。
また、その従兄弟によりますと、傘を持ってきてしまったが、暑くなったとのことでした。

その従兄弟に送った お見舞い
(後略)〗と記させて頂きました。すなわち、上記の 速達の現金書留とは、その従兄弟の奥方の お見舞いの為に 送った郵便であります。
すると、上記のように 報告を送った 姉から 返信がありました。
すなわち、
〖(前略)八月 一ヶ月ほど 北海道のニセコに 檀那さんと行く予定(後略)〗とのことでした。それで、取り急ぎ、速達扱いである レターパック・プラスで 返信しました。なお、この作業が 朝迄 掛かり 更に お昼になりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 翌日の お昼になりました。
なお、姉夫婦は、自分の相続分の不動産の登記は 自分でする とのことでした。それで、姉が相続する不動産の登記の為に必要な書類、すなわち、遺言公正証書、改製原戸籍、固定資産評価証明書、戸籍謄本の除籍 そして 住民票の除票などは 送ってありました。(後略)】と記させて頂きました。
そして、去る7月6日(水)の【菜食のおかず・98(人参の煮物)】のブログの上段に、
【(前略)午後7時2分に その郵便配達員が来ましたので、食事中であり 慌てました。それで、印鑑が必要であろうと思い 急遽 印鑑と朱肉を捜して用意しました。ところが、その郵便配達員によりますと、単に 速達ということでありましたので 印鑑は不要でした。(後略)】と記させて頂きました。すなわち、姉からの返信の速達でした。
すなわち、
【前略】田無の法務局へ行って 手続きをすると 時間がかかるので 九月か十月頃に 行くので とりあえず 書類は かえします。又 いる時に 電話するので よろしく!!
先日 二人で 四回目のワクチンを受(〖打〗の誤りですね)ち 副反応もなく 元気です。
コロナの患者も 増えて ワクチン接種していない人は 重症化するそうなので 気をつけて下さい。
手紙の返事は
九月中旬から 十月頃に連絡します。】以上であります。
因みに、手紙の形式のことであります。すなわち、【前略】で始まりましたら、最後は 【早々】 もしくは 当方は 【怱々】ですが、これらの言葉で 結びます。ところが、姉は、前回も そうでしたが、【早々】 もしくは 【怱々】で結びません。
なお、寝ないで 作成させて頂き 翌日の お昼になり 折角 姉の相続分の不動産の登記に必要な 書類を送りましたのに、上記のように 返してきました。しかも、相続中であるにもかかわらず 上記のように 八月 一ヶ月ほど 北海道のニセコに 行くとのことでした。それで、九月か 十月頃に 法務局に行くので、また 九月中旬から 十月頃に電話連絡をするとのことでした。これでは、多用なのに、3倍以上の労力が 掛かることになります。何とか してもらいたいものであります。
ならびに、本日 すなわち 7月23日(土)の【P.C.R.検査の絡繰り】のブログの下段やや上に、
【(前略)そのP.C.R.検査の考案者(発明者)で ノーベル化学賞受賞者である キャリー・マリス博士でさえも 一昨々年 亡くなりましたが、この検査は 武漢ウイルスの検査に使ってはならない との言葉を残しているのであります。つまり、P.C.R.検査を 武漢ウイルスのスクリーニング(日本語:ふるい分けのこと)に使ってはいけないと訴え続けて 一昨々年 亡くなりました。 因みに、国際金融資本家たち(左翼系ユダヤ人 そして その影響を受けた資本家たち)は、初めから そのP.C.R.検査は 偽陽性が多いということを分かって 敢えて 用いてきたのであります。なお、上記のように 全国で あらゆる団体で 強制的に P.C.R.検査を させられます。すると、分母が大きくなって しかも 偽陽性が多いですから、大勢のP.C.R.検査偽陽性者が生じます。 因みに、決して P.C.R.検査偽陽性者は 武漢ウイルス感染者ではないのですが、国際金融資本家たち(左翼系ユダヤ人 そして その影響を受けた資本家たち)が支配している テレビ や 新聞では これを 武漢ウイルス感染者として報道します。そして、人類に 武漢ウイルスのワクチンを求めるように 仕向けたのであります。(後略)】と記させて頂きました。すなわち、上記の 姉の言葉である 【コロナの患者も 増えて・・・】とのことに関しましては、前述致しました如くであります。
および、国際金融資本家たち(左翼系ユダヤ人 そして その影響を受けた資本家たち)が、テレビ や 新聞を支配して、人類に 武漢ウイルスのワクチンを求めるように 仕向けたのであります。従いまして、上記の 姉の言葉である 【ワクチン接種していない人は 重症化するそうなので 気をつけて・・・】も、国際金融資本家たち(左翼系ユダヤ人 そして その影響を受けた資本家たち)が、情報操作をして 拡散している為であります。
また、当家でも 親が購入した【医者に殺されない 47の心得】の著者である 近藤誠医師によりますと、【厚労省や専門家たちは、副作用を副反応と呼ぶように努力していると聞きます。】とのことでありました。すなわち、印象操作でありますね。 因みに、上記の 姉の言葉の中に 【副反応】がありましたので、言及させて頂きました。(後略)』と記させて頂きました。
また、本日の午前11時46分に、上記のように 現金書留で お見舞いを送った 従兄弟の奥方から 手紙が来ました。 因みに、八十円切手を 四枚 すなわち 合計 三百二十円分の切手が 貼 られていました。なお、25g以下の定形郵便物ですと 速達料金 二百六十円 と 八十四円が 掛かりますが、上記のように 三百二十円では 二十四円 足りません。しかし乍ら、速達扱いでありました。つまり、郵便料金が足りないときには 普通郵便になると ホームページで伺っておりましたが、土曜日であるにもかかわらず 届きましたので、速達扱いでした。もしくは、特定記録郵便が 百六十円ですが、この分は 貼 られてあります。但し、特定記録郵便も 土曜日は配達しませんので、この場合でも ありません。(後略)」と記させて頂きました。
次 に、去る 4年前の11月19日(木)の「鰻の蒲焼・786(野菜スープ・カレーうどん・父親の食事)」のブログの中段やや下に、
「(前略)一昨日 すなわち 11月17日(火)の『鰻の蒲焼・784(カレーうどん・父親の食事)』のブログの中段やや下に、
『(前略)一昨々日 すなわち 11月14日(土)の【鰻の蒲焼・781(カレーうどん・父親の食事)】のブログの中段やや上に、
【(前略)一昨日 すなわち 11月12日(木)の〖消火器のリサイクル・続報〗のブログの中段やや下に、
〖(前略)本日 すなわち 11月13日(金)の〔父親の食事(カレーうどん)、洗濯 そして 入浴・190〕のブログの下段やや上に、
〔(前略)一昨日 すなわち 11月11日(水)の〘鰻の蒲焼・779(カレーうどん・父親の食事)〙のブログの下段やや上に、
〘(前略)昨日も、その宅配食の配達員 そして その宅配便の配達員 すなわち 二人に それぞれ 上記のように いつもの りんごの100%ジュース と 飲み物(乳酸菌飲料)を あげました。(後略)〙と記させて頂きました。昨日も、その宅配食の配達員 そして その宅配便の配達員 すなわち 二人に それぞれ 上記のように いつもの りんご
の100%ジュース と 飲み物(乳酸菌飲料)を あげました。(後略)〕と記させて頂きました。今回も 同様に、運搬作業員 二人に それぞれ 上記のように いつもの りんご
の100%ジュース と 飲み物(乳酸菌飲料)を あげました。

感謝の印として 上記のように 直接 青森から取り寄せた りんごの100%ジュース そして 乳酸菌飲料など

感謝の印として 持ち帰り易いように 袋に詰めて 作業員に 手渡した お土産
(後略)〗と記させて頂きました。昨日も、その某・新聞の集金人(通常 26日集金ですが、今回は 昨日 すなわち 13日、すなわち、18日も 集金が 遅 れました。それで、済みません とのことでした)、その宅配食の配達員 そして その宅配便の配達員 すなわち 三人に それぞれ 上記のように いつもの りんごの100%ジュース と 飲み物(乳酸菌飲料)を あげました。(後略)】と記させて頂きました。昨日も、その宅配食の配達員 そして その宅配便の配達員 すなわち 二人に それぞれ 上記のように いつもの りんご
の100%ジュース と 飲み物(乳酸菌飲料)を あげました。(後略)』と記させて頂きました。昨日も、その宅配食の配達員 そして その宅配便の配達員 すなわち 二人に それぞれ 上記のように いつもの りんご
の100%ジュース と 飲み物(乳酸菌飲料)を あげました。(後略)」と記させて頂きました。
ならびに、去る 一昨年の7月17日(日)の「菜食のおかず・109(ブロッコリー・南瓜)」のブログの上段に、
「(前略)一昨日 すなわち 7月15日(金)の『菜食のおかず・107(味噌汁)』のブログの上段に、
『(前略)一昨々日 すなわち 7月12日(火)の【菜食のおかず・104(人参の煮物)】のブログの上段に、
【(前略) 本日も、その宅配便の配達員 そして 郵便配達員 すなわち 二人に それぞれ 上記のように いつもの りんごの100%ジュースを あげました。 因 みに、小銭で支払いましたら、誠に有り難いことに その郵便配達員によりますと、〖助かる。〗とのことでした。なお、その郵便配達員が立ち去ってから 再度 チャイムが鳴りました。それで、出てみますと、その郵便配達員でした。すなわち、領収書を渡すのを忘れたとのことでした。(後略)】と記させて頂きました。本日も、その宅配便の配達員 そして ガスの検針員 すなわち 二人に それぞれ 上記のように いつもの りんご
の100%ジュースを あげました。 因 みに、ガスの検針員によりますと、来年以降に スマート メーターに取り替えられるので、自分の仕事が なくなるとのことでした。
なお、去る6月10日(金)の【信用金庫の営業・続報13・前編】のブログの下段に、
【(前略)本日 すなわち 6月10日(金)の〖死亡届提出後の主な手続き・続報13〗のブログの下段に、
〖(前略)そのアルバイトは慣れていない様子であり、収入印紙は どうしていますか と尋ねられました。そして、コンビニエンス ストアは 業務が多くて たいへんとの話になりました。そこで、上記の規制緩和の話をしました。すなわち、政府が 国民に お金を出さないので、代わりに 規制緩和をして 日本国民同士で争わせていると伝えました。つまり、上記の 電力 や ガスなどの自由競争が そうであります。(後略)〗と記させて頂きました。その後任の営業の方が コンビニエンス ストアのATMの話をしましたので、上記の規制緩和の話をしました。因みに、その後任の営業の方によりますと、老人は コンビニエンス ストアを用いない設定にするのがいいとのことでした。なお、コンビニエンス ストアのATMを利用すると、手数料が 掛かるとのことでした。
しかも、去る 5年前の7月17日(月)の〖新聞の勧誘・続報(両親の食事)〗のブログの中段に、
〖(前略)ヘルパー(日本語:家政婦)に因ませて頂きます。すなわち、檀那に対する不平を言っていました。頑固で 変わっている とのことでした。ふるさと納税 そして ローンの繰り上げ返済など 得なことを嫌うそうです。但し、宝くじは買うとのことでした。このヘルパー(日本語:家政婦)によりますと、以前 檀那は 紙で計算していて おかしいとのことでした。それで、計算して 考えているのではないですか と回答しました。因みに、この檀那とは 未対面であります。極力、檀那のことを支持するように話しました。結局、夫婦で お互いの配偶者を貶めるということは、自分を 貶めることであるということで御座いますね。そこに気付いてもらえれば と 心より祈る気持ちでおりました。(後略)〗と記させて頂きました。すなわち、当初 ふるさと納税は エスカレートするので、総務相の職員は反対したのであります。つまり、当時の総務省自治税務局長が、〖自治体間で返礼品競争が起きるはず。制限をつけるべき〗と進言したのであります。ところが、事務次官候補とまで言われた その人物が、総務省を追われることとなりました。要するに、総務相だった 菅 義偉総理(当時)の逆鱗に触れたのであります。それで、ふるさと納税の問題を指摘した官僚が左遷されたのであります。すなわち、政府は 地方公共団体に お金を 援助するのではなく、ふるさと納税を導入して 勝手に 利益を得るように 競争させているのであります。つまり、企業間では、上記の規制緩和と同様であります。
そのうえ、その後任の営業の方によりますと、誠に有り難いことに 知らないことばかりとのことでした。それで、戦後 私たちは 教えてもらえないからと回答しました。すると、その後任の営業の方によりますと、誠に有り難いことに 初めて知りましたとのことでした。そして、誠に有り難いことに、勉強になりましたとのことでした。(後略)】と記させて頂きました。
また、去る 昨年の6月6日(日)の【ガス設備保守点検・続報3(令和3年)】のブログの中段やや下に、
【(前略)単に 点検であるにもかかわらず、規制緩和による 電気・ガス自由化の為、電気 加入を勧められました。誘いの常套手段として 電気を加入すれば、この1万円弱の TES保守点検の費用に見合うとのことでした。 因みに、このような勧誘は 如何なものでありますかね。なお、勘弁してもらいたいものであります。
そのうえ、auなどに ガスを変えた為に、サービスが 他の日本ガスでは対応出来ずに 当方に 依頼が来て、利用者が 1日 風呂に入れない事例があったとの旨でした。なお、国(政府)が 国民に お金を出さないで、その代わりに 規制緩和をしています。それで、国民は 勝手に儲けろということであります。そこで、国民が 混乱しています。このような話になりました。そして、電気に加入させて 儲かるのは ガス会社であり、担当作業員は 営業をさせられてと 労いの言葉を伝えました。(後略)】と記させて頂きました。
すなわち、上記の ガスの検針員から、電力も 当社で との話になりました。それで、上記の規制緩和の話をしました。すなわち、政府は、勝手に 利益を得るように 日本国民を競争させているのであります。つまり、日本国民は 勝手に儲けろということであります。 因 みに、ガスに関しては 浮気をしないとの話をしました。なお、御承知のように、規制緩和は 医療にも及んでいます。すなわち、去る 7年前の3月16日(月)の【納豆】のブログの冒頭に、
【(前略)母校の、某・理事長に勧められた内科学教室に入局・・・(後略)】と記させて頂きました。
また、去る 一昨々年の10月14日(火)の【気功】のブログの中段やや下に、
【(前略)研修医のときに、三ヶ月間、東洋医学外来で研修しました。研修後も、東洋医学外来室長(助教授[当時の名称])から電話があり、外来に陪席(ゲシュライバー)するように、とのことで、複数回以上陪席(ゲシュライバー)したことがあります。同・室長が退官する迄 、陪席(ゲシュライバー)しました。(後略)】と記させて頂きました。それで、その内科学教室の研修中のことであります。その東洋医学外来室長によりますと、診療後に 【自分の番だ。】とのことでした。すなわち、その東洋医学外来室長は、自分に ガスターを処方していました。つまり、この東洋医学外来室長は、心身医学的に 胃を患っていたのでした。 因 みに、このときは、ガスターは 処方箋が発行されなければ 入手することが出来ませんでした。ところが、近年では、薬局で購入することが出来ます。これも、上記の ガスの検針員に話しましたが、規制緩和であります。なお、この規制緩和の話は、家政婦にも伝えました。すると、誠に有り難いことに、この家政婦も そのガスの検針員も、納得してくれました。(後略)』と記させて頂きました。本日も、その宅配便の配達員 そして 郵便配達員 すなわち 二人に それぞれ 上記のように いつもの りんごの100%ジュースを あげました。 因みに、去る5月23日(月)の『菜食のおかず・59(味噌汁)』のブログの上段に、
『(前略)去る5月8日(日)の【菜食のおかず・47(買い物)・洗濯物】のブログの上段に、
【(前略) 前回の宅配便の配達員と同じ人でした。そして、今回も、〖済みません。〗を連発していました。なお、対応するのが たいへんであり、疲れます。(後略)】と記させて頂きました。この宅配便の配達員 と 上記の宅配便の配達員は、同一人物であります。なお、同様に 【済みません。】を連発するので、上記のように 以前も お伝えしましたが、疲れる人なのであります。(後略)』と記させて頂きました。この宅配便の配達員 と 上記の宅配便の配達員は、同一人物であります。なお、同様に 『済みません。』を連発するので、上記のように 以前も お伝えしましたが、疲れる人なのであります。しかも、この宅配便の配達員は、玄関の門を開けっぱなしにして帰るのであります。(後略)」と記させて頂きました。
そうして、去る 昨年の1月17日(火)の「親戚からの突然の電話連絡・続報46・後編」のブログの上段に、
「(前略)去る1月14日(土)の『親戚からの突然の電話連絡・続報45・後編』のブログの上段に、
『(前略)去る 昨年の10月23日(日)の【親戚からの突然の電話連絡・続報44・後編】のブログの下段に、
【(前略) 去る10月8日(土)の〖親戚からの突然の電話連絡・続報43・後編〗のブログの下段に、
〖(前略) 前述の 去る8月13日(土)の〔親戚からの突然の電話連絡・続報42・後編〕のブログの下段に、
〔(前略)今回も、その郵便配達員に 上記のように いつもの りんごの100%ジュースを あげました。
話を戻しますが、その 従兄弟の奥方から 届いた 手紙のことであります。 因みに、その便りを紹介します。
すなわち、
〘(前略)先日は 御父上様の新盆共用に急遽 失礼し 申し訳ありませんでした。
また、過分な御見舞いを送って下さり 御礼もせず 申し訳・・・
私共の御礼の気持ちを送りたいと思い、友人の梨園に送付依頼しており・・・、今年は花咲く頃の天候不順で収護(正しくは、収穫ですね)も 遅 れたそうで やっと送れるようになったよう・・・
わずか・・・季節の物を 召し上がって・・・幸いで・・・御礼が 遅 くなり 申し訳・・・
まだまだ暑い日が続きそうで・・・どうぞ 体 自愛・・・(後略)〙以上であります。それで、取り急ぎ、速達扱いである レターパック・ライトで 返信しました。なお、この作業が 朝迄 掛かり 更に お昼になりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 翌日の お昼になりました。序で乍ら、当家では 何時 お届けになるか 便りで 先方に示していますが、その便りには 進物が 何時 届くか書かれてありませんでした。これでは、家に ずっと居なければならなくなりましたので 却って困りました。(後略)〕と記させて頂きました。
しかも、去る 7月10日(日)の〔盂蘭盆会(父親の初盆[新盆])・前編〕のブログ、去る 7月10日(日)の〔盂蘭盆会(父親の初盆[新盆])・中編・1〕のブログ、去る 7月10日(日)の〔盂蘭盆会(父親の初盆[新盆])・中編・2〕のブログ、去る7月10日(日)の〔盂蘭盆会(父親の初盆[新盆])・後編〕のブログ そして 去る7月11日(月)の〔父親の 初盆(新盆)での 挨拶〕のブログなどに、父親の初盆(新盆)のことを記させて頂きました。この初盆(新盆)のときにも 文書で、そして、その後の七月十四日(木)の消印の 速達の手紙でも 僧侶に 父親の一周忌の日程を伝えました。ところが、本日の午後1時9分に、外出しようとした処、その僧侶の奥方から その一周忌の日程のことで 電話が入りました。因みに、その奥方によりますと、2ヶ所に記入してしまい 5月3日かと思ったとのことでした。なお、父親の祥月命日が 3月11日でありますから、間違いであることは 明らかに 分かる筈であると思われました。それで、正しい日程を伝えました。序で乍ら、その奥方によりますと、寒くなったとのことでした。それで、秋雨前線が通過して 昨日迄 は 一気に 11月の気温であり その通りでしたが、本日は 秋の気温に戻りましたね と答えました。しかも、その奥方によりますと、誠に有り難いことに 父親に お世話になったとのことでした。因みに、取り急ぎ、速達扱いで 確認の便りも 送りました。なお、この作業が 朝迄 掛かりました。(後略)〗と記させて頂きました。
そのうえ、本日の午前10時5分に いきなり 母親の信仰していた 宗教団体の〖老田ユカリ〗という 女性事務員から 電話連絡が入りました。因みに、電話連絡は 〖042-574-4732〗でした。なお、その女性事務員によりますと、手紙が苦手とのことでした。それで、電話連絡にしたのですね。序で乍ら、第三者によりますと、手紙が苦手で よく 事務員が務まるとのことでした。因みに、その女性事務員によりますと、年度は 4月で変わるとのことでした。ところが、その宗教団体の本部は 年度は 1月で変わると言っているのであります。なお、多額の会費は 寄付することを伝えました。序で乍ら、有り難いことに お互いに 〖お元気で。〗ということになりました。因みに、その女性事務員の檀那は その宗教団体の壮年部長であり、約20年前に そのストレッサー(英語:stressor)(去る 8年前の10月29日(水)の〖身体の効率〗のブログで、この意味を詳細に記させて頂きました) と 過労の為に subarachnoid hemorrhage(英語:略語で、S.A.H.)(ネガティブ[英語:negative]で 御座いますし、お読み下さっている 方々に影響を お与えすることの無いように、日本語で 綴ることを控えさせて頂きましたが、以前 それではわからない と指摘を頂きましたので、日本語も併記させて頂きます。小さく記させて頂きます。くも膜下出血のことで御座います。以下、S.A.H.と示させて頂きます) で 亡くなりました。それで、その宗教団体は、お詫びの目的で その妻を 上記のように 女性事務員にしたのであります。なお、その女性事務員の檀那の霊牌を書かせて頂いたこともありますので、そのことを その女性事務員には 文書と 今回の電話でも 伝えました。(後略)】と記させて頂きました。
さて、上記のように 昨年 父親が亡くなりましたので、生前の父親の意向で 一周忌を開催させて頂くことになります。それで、昨日 速達の特定記録郵便で 主に近隣の親戚 8名に、丁重に 一周忌の御案内を送りました。 因みに、お越し頂けますときにのみ、電話を頂きますようにと 通知致しました。ところが、異例なことに 本日の午前10時59分に、勢川治枝叔母さんから電話がありました。それで、その日は ちょっと 教会(基督教なのであります)で 駄目なのでとのことでありました。なお、約2ヶ月先迄 予定が決まっているということになりますね。 因みに、それで、先々週から ちょっと お墓参りしてきたとのことでありました。なお、昨年の初夏 すなわち 令和四年五月十九日(木)の消印の返信でも 今回の速達でも、【お墓に 御参拝頂くときには 御一報頂けましたら 誠に有り難く存じ上げます。すなわち、事前に お墓の清掃を させて頂きますためであります。】と伝えました。ところが、連絡を頂くことは 叶いませんでした。序で乍ら、当家が 管理している お墓でありますからね。そして、その叔母さんによりますと、誠に有り難いことに、【お花も 教会と一緒に 簡単なのを してきた。(本人のお言葉通り)】とのことでありました。 因みに、その叔母さんによりますと、誠に有り難いことに、お墓は 綺麗だったとのことでありました。なお、その叔母さんによりますと、【教会の序でで、申し訳ない。】とのことでありました。序で乍ら、その叔母さんによりますと、【また お目に 掛かりたい。お会いしましょう。】とのことでありました。それで、【おはようございます。母親のお元気な お声をお聴きして、態々 御丁寧な お電話を頂いて、恐縮しています。いい年でありますことを お祈り申し上げます。】と伝えました。そして、【手紙でも お伝え申し上げましたように、父親の一周忌は、母親の祥月命日でもあります。】と話しました。 因みに、昨日 すなわち 13日の金曜日の消印で、速達の特定記録郵便で投函しました。なお、家政婦に話したことでありますが、基督教徒でなければ、13日の金曜日は関係ないと伝えました。但し、その叔母さんは 基督教徒でありますので、13日の金曜日に 反応したのかもしれません。(後略)』と記させて頂きました。
ときに、本日の午前9時49分に、異例なことに 姉から 電話が入りました。
すなわち、姉によりますと、レターパックは 高いので、葉書で出してくれとのことでありました。 因みに、金銭的なことで 考えている訳ではありません。なお、姉によりますと、私も、葉書を出したとのことでありました。長々 と とのことでありました。そして、姉によりますと、田中祥子叔母さんが 昨日の夜(電話は、『お越し頂けますときには、そのときにのみ、午前中に 御連絡を頂けましたら、誠に有り難く存じ上げます。』と伝えております) 当方に電話したけれど 通じなかったとのことで 叔母さんから連絡があった とのことでありました。 因みに、2本以上の電話番号を伝えていますが、どちらの電話にも 連絡が入っておりません。それで、叔母さんから 連絡は入っていませんので、電話番号を間違えたのだろうとの話になりました。もしくは、午前中ではなく 夜とのことでありましたので、実際には 掛けていないのかもしれないとの話になりました。なお、上記のように 父親の一周忌に お越し頂けますときにのみ、電話を頂きますようにと 通知致しました。ところが、今回も、出席出来ないのに 電話が入ったとのことでありました。すなわち、姉によりますと、叔母さんは ちょっと行かれないとのことでありました。叔母さんによりますと、朝 早い(僧侶の都合により、午前10時の時間になりました)ので とのことであったとのことであります。それから、姉夫婦は 欠席とのことでありましたが、今回 誠に有り難いことに、来るとのことでありました。それで、誠に有り難いことに、父親も 喜ぶと思うと伝えました。そして、これ迄 の苦労を思うと 『涙が 零れる。』と話しました。
ならびに、僧侶は 父親の意向であり、生前の父親の意向で 開催させて頂きます 一周忌であることを伝えてありました。すると、今回 姉によりますと、その僧侶は好きなタイプではないとのことでした。それで、幼少の頃は 自宅近くの誓願寺に 行った話をしました。 因みに、以前 姉が習字を習いに 行っていた話をしました。すると、姉によりますと、その僧侶の兄に習っていたとのことでありました。なお、姉によりますと、照恩寺には 俊君(亡くなった 姉の三男)のことで来てもらっているとのことでありました。序で乍ら、昨日 すなわち 1月16日(月)の『武漢ウイルスのワクチンについて(拡散希望)・続報21・前編』のブログ そして 昨日 すなわち 1月16日(月)の『武漢ウイルスのワクチンについて(拡散希望)・続報21・後編』のブログを記させて頂きました。 因みに、姉によりますと、嫌なのは、長い手紙は 目が痛くなっちゃうとのことでありました。なお、姉によりますと 五回も 武漢ウイルスのワクチンを打っているとのことでありますので、その影響があると思われます。序で乍ら、父親のように 同じ文章が 何回も 入っていてとのことでありました。 因みに、父親と同様に 凄く 相手に対して しつこいというイメージが とのことでありました。それは、私だけじゃなくて 他の人に対しても いい加減にして そんなに長くは要らないからという風に捉えられるから とのことでありました。気を付けて 自分でも直していかなければとのことでありました。人との付き合いでとのことでありました。なお、以前から 姉には 一言が足りないばかりに 信頼関係を失いことがあると 卒後 母校の高校の先輩に言われたことがあることを伝えてありました。すると、姉によりますと、臨機応変にとのことでありました。あんまり しつこくすると 相手に嫌われるとのことでありました。その辺は自分で直していかないととのことでありました。寒いのでとのことでありました。序で乍ら、去る 1月13日(金)の『税理士・続報36・中編・7』のブログの中段やや上に、
『(前略)その事務員の方によりますと、今回の税理士への報酬計算とのことでありました。序で乍ら、その事務員の方によりますと、税理士も自由報酬という形になっているとのことでありました。因みに、税務書類作成報酬で 税務代理報酬額(税理士報酬規程)の50%も 掛かるとのことでありました。なお、消費税込みで この金額とのことでありました。序で乍ら、その事務員の方によりますと、一円ずれているとのことでありました。因みに、当家の支払いは、誠に有り難いことに ¥981,288円とのことでありました。但し、これ以外に 姉夫婦の支払いもあります。なお、加算報酬として 当家と姉夫婦の両方から受け取るので、遺産の総額基準額×10%とのことでありました。すなわち、10%もの増額であります。(後略)』と記させて頂きました。なお、姉によりますと、税理士事務所の事務員は 木曜日に来るとのことでありました。それで、上記のように、総額で ¥1,280,
813円であることを伝えました。
なお、去る 昨年の12月20日(火)の『武漢ウイルスのワクチンについて(拡散希望)・続報20・後編』のブログの上段から下段に、
『(前略)直ぐに 同意する旨の連絡をしました。 因みに、上記のように 匿名か 否かを訊かれましたが、実名で公表するように伝えました。なお、覚悟致しております。(中略)
週刊新潮の今週号に、武漢ウイルスのワクチンの【〖不都合なデータ〗徹底検証】という記事が掲載されました。それで、早速、購入しました。因みに、これ迄 2年以上に亘り、運動してきました。とても 長かったです。なお、医学専門誌ではありませんが、一般誌に 掲載されたということは、誠に有り難いことに 完全に流れが変わりました。すなわち、誠に有り難いことに、オセロ ゲームの白黒の円盤状の駒の裏表が 一気に 引っ繰り返りましたね。(後略)』と記させて頂きました。
また、前述の 昨日 すなわち 1月16日(月)の『武漢ウイルスのワクチンについて(拡散希望)・続報21・後編』のブログの下段に、
『(前略)厚労省は 6回目の 武漢ウイルスのワクチンのことを言及しなくなったと言われております。(中略)
また、誠に有り難いことに、上記の【〖不都合なデータ〗徹底検証】の第四弾(一月十九日増大号)も 発売されました。
さて、【直ぐに 同意する旨の連絡をしました。 因みに、上記のように 匿名か 否かを訊かれましたが、実名で公表するように伝えました。なお、覚悟致しております。(後略)】と前述致しました。序で乍ら、約1年7ヶ月前 すなわち 令和3年6月19日(土)に、上記の嘆願書の存在を知り その日の内に同意して 取り急ぎ 送信させて頂きました。 因みに、令和2年12月31日現在における全国の届出『医師』は 339,623 人であります。なお、その医師の中で 利害を超えたと思われる 勇気のある 約二百人が 実名で公表しました。誠に有り難いことに、上記のように 当方も 実名で公表しました。(後略)』と記させて頂きました。
ならびに、去る 一昨年の7月31日(土)の『マッサージ(父親)・174・中編・3』のブログの中段やや下に、
『(前略)国際金融資本家(左翼系ユダヤ人 そして その影響を受けた資本家たち) は、離間の計を用いて 社会を分断して、内部紛争を引き起こします。すなわち、分断統治法であります。つまり、お互いに争わせている間は、国際金融資本家(左翼系ユダヤ人 そして その影響を受けた資本家たち)は 攻撃されないのであります。要するに、争わせて、自分たちに矛先が向かうのを避けることが出来るのであります。因みに、今回の武漢ウイルスに関しましては、ワクチン推進派・ワクチン反対派と 社会を分断させています。なお、利益を得ているのは、国際金融資本家(左翼系ユダヤ人 そして その影響を受けた資本家たち)であります。序で乍ら、国際金融資本家(左翼系ユダヤ人 そして その影響を受けた資本家たち)は、その国の 少数民族に 表面的に味方することにより、内部紛争を引き起こしたりもしてきました。因みに、米国では 黒人 そして 日本では アイヌ民族が利用されてきました。なお、御承知のように、今回の 東京オリンピックも、その 利用される舞台でした。(後略)』と 記させて頂きました。
なお、去る 昨年の12月16日(金)のときに 姉の方から 武漢ウイルスのワクチンのことを言及されましたので、上記の『【不都合なデータ】徹底検証』のことを伝えました。それで、コピーを 参考として送りました。ところが、今回 上記の武漢ウイルスのワクチンのことにつきましては、姉によりますと 私には私の考え方があるとのことでありました。そして、打ったことに関して どうこう言わないで欲しいとのことでありました。それは、平行線とのことでありました。そして、相手の立場を考えて 言わないということが 人と人との関係では うまく行く訳とのことでありました。序で乍ら、姉によりますと、自分の意見を押し付けるということが 父親のことで うんざりしているとのことでありました。すなわち、父親は保守的なのであります。そして、姉は、檀那から言われることに 影響を受けているのであります。因みに、姉によりますと、姉夫婦で 武漢ウイルスのワクチンを 五回も打っている とのことでありました。それを どうこう言われるのは 凄く 嫌なのとのことでありました。コロナに関しては言わないでとのことでありました。自分たちは いいと思って遣っているとのことでありました。姉によりますと、週刊誌は あまり信じないとのことでした。なお、確かに これ迄 週刊誌は 購買数を増やす目的で 発行されてきましたので、信じないのは当たり前のことであります。但し、今回は、その週刊誌の編集者が参考にした 医学者が 京都大学と名古屋大学のそれぞれ名誉教授なのであります。
そして、姉によりますと、お互いに言わないとのことでありました。勿論、そのつもりでおりましたが、今回は 姉の方から 武漢ウイルスのワクチンのことを言及したので、それに対して 答えた形なのであります。それから、姉によりますと、敷居を跨ぎたくないとのことでありました。正直 言って そういう話になるととのことでありました。一切 コロナの話は しないとのことでありました。それが守られないようであれば・・・とのことでありました。行ったときに コロナの話をされると、頭が痛くなるとのことでありました。因みに、上記のように 姉によりますと 五回も 武漢ウイルスのワクチンを打っているとのことでありますので、その副作用があると思われます。なお、上記のように、姉の方から 武漢ウイルスのワクチンのことを言及されましたので、上記の『【不都合なデータ】徹底検証』のことを伝えました。序で乍ら、姉によりますと 一切 聞きたくないとのことでありました。それを言うのであれば、他の人に言ってとのことでありました。すなわち、気の合う他の友だちなり 何なり そういう人たちと話してとのことでありました。一切 そういう話は 聞きたくないとのことでありました。因みに、上記のように、勿論、こちらからは そのつもりでいることを伝えました。なお、上記のように、再度、姉の方から 武漢ウイルスのワクチンのことを言及されましたので、上記の『【不都合なデータ】徹底検証』のことを伝えたことを話しました。序で乍ら、姉の方が くどくなっていますね。そして、お終いとのことでありました。因みに、通話時間が、15分8秒以上にも なりました。なお、上記のように、ワクチン推進派・ワクチン反対派と 社会を分断されているのでありますね。
そして、後日 葉書が届きました。
すなわち、
『前略
三月五日の一周忌は ○○(檀那のこと)さんと 二人で出席します。大恩寺さんは お父さんの好きな人で 来てもらって良いですが 一番いやな事は 長いしつこい手紙とコロナの事です。くれぐれも返信はいりません!!酒井さんにヨロシク。』とのことでありました。
それで、上記のように 葉書だけではなく 電話が入りましたので、返信しました。因みに、チャイムを鳴らされる 速達は 嫌とのことなので、前回と同様に 速達扱いである レターパック・ライトで 返信しました。なお、この作業が 朝迄 掛かり 更に 夕方になりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 翌日の 夕方になりました。(後略)」と 記させて頂きました。
ところで、去る 昨年の3月21日(火)の「親戚からの突然の電話連絡・続報51・後編」のブログの中段やや下に、
「(前略)一昨々日 すなわち 3月18日(土)の『親戚からの突然の電話連絡・続報50・後編』のブログの中段やや下に、
『(前略)去る3月3日(金)の【親戚からの突然の電話連絡・続報49・後編】のブログの下段に、
【(前略)去る2月19日(日)の〖親戚からの突然の電話連絡・続報48・後編〗のブログの下段に、
〖(前略)去る2月12日(日)の〔親戚からの突然の電話連絡・続報47・後編〕のブログの下段に、
〔(前略)上記のように 昨年 父親が亡くなりましたので、生前の父親の意向で 一周忌を開催させて頂くことになります。それで、去る1月13日(金)に 速達の特定記録郵便で 主に近隣の親戚 8名に、丁重に 一周忌の御案内を送りました。 因みに、お越し頂けますときにのみ、電話を頂きますようにと 通知致しました。すると、誠に有り難いことに、本日の午後1時52分に、榎本靖 従兄弟から 電話連絡が入りました。なお、誠に有り難いことに、前回は 当方の誕生日である 昨年の6月12日(日)に、父親の初盆(新盆)のことで 電話連絡が入りました。そして、丁度 半年ぶりの 本日 すなわち 2月12日(日)であります。すなわち、同じ日曜日であります。序で乍ら、誠に有り難いことに、その 従兄弟が、当方が 送った 手紙のことを言及しました。 因みに、その 従兄弟によりますと、一周忌の日に 出張が入ってしまうかもしれない とのことでありました。まだ ハッキリしないとのことでありました。なお、たぶん 北海道に行くとのことでありました。そして、スケジュールがハッキリしたら 連絡するとのことでありました。それから、その 従兄弟によりますと、お世話になっちゃったので とのことでありました。しかも、〘済みません。〙とのことでありました。誠に有り難いことに、初盆(新盆)の為に来て頂き、父親も 喜んでいると伝えました。そして、これ迄 の苦労を思うと 〘涙が 零れる。〙と話しました。序で乍ら、電話は、〘お越し頂けますときには、そのときにのみ、午前中に 御連絡を頂けましたら、誠に有り難く存じ上げます。〙と伝えております。
そこで、取り急ぎ、速達扱いで 返信しました。なお、この作業が 朝迄 掛かり 更に 夕方になりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 翌日の 夕方になりました。 因みに、近くの ポスト迄 行くのに 雨風が強く、傘が 捲り上がってしまいました。(後略)〕と 記させて頂きました。
次に、本日の午前11時20分に、榎本靖 従兄弟から 電話連絡が入りました。 因みに、前回 そして 前々回と同様に 日曜日に 電話が入るのではないかと思い、昨日の内に 買い物を済ませておきました。なお、その従兄弟によりますと、やはり 出張で 北海道に行く とのことであり 一周忌には 来れないとのことであり 済まないとのことでありました。それで、北海道は寒いですので、呉々も 気を付けて下さいと伝えました。(後略)〗と 記させて頂きました。
さて、本日、上記の榎本靖 従兄弟から、現金書留で ¥一万円の香奠が入っていました。 因みに、この現金書留には 当家の電話番号が書かれてありませんでした。なお、上記のように、その 従兄弟から 電話が掛かってきましたので、電話番号は知っている筈であります。序で乍ら、書かれた住所に不備があった場合には、郵便配達員が 電話をすることで 回避されることになっている筈であります。従って、当方が送る場合には、相手の電話番号が分からないと 届くかどうか 不安になります。 因みに、そのことを 家政婦に話しましたら、誠に有り難いことに、頷いて 納得してくれました。
それで、相手の手紙の内容であります。
すなわち、
〖ごぶさたしております。
3月5日の御法要の お知らせ ありがとうございました。
誠に申し訳ありませんが、御法要に伺うことができません。
気持ちを送らせて頂きますので、御線香など 供えて頂けましたらと思います。
よろしくお願い致します。(字体 そして 送り仮名も 含めまして、原文通り)〗以上であります。 因みに、上記の家政婦が 何で と言っていましたが、当家の名字の漢字が違いました。なお、その家政婦との話しで、父親の一周忌に見えると 期待を持たせるように 電話が入りましたが 結局 期限に遅 れて 掛かってきた 電話連絡で 来れないとのことでありますので、送ってきたのではないかとの話になりました。それで、直ぐに お返しを送りました。(後略)】と 記させて頂きました。
ならびに、去る 3月5日(日)の【父親の一周忌・前編】のブログ そして 去る 3月5日(日)の【父親の一周忌・中編・4】のブログなどに記させて頂きましたように、3月5日(日)は 父親の一周忌でありました。それで、香奠のことは 気にしないように 話していましたが、誠に有り難いことに、姉夫婦から 香奠を頂きました。それで、直ぐ その日の内に お返しを 某・デパートから 贈るように申し込みましたが、結局 お届けが 約2週間が経過して 今日の午前11時10分になりました。 因みに、今日 届くことは、事前に 姉に通知しておりました。それで、誠に有り難いことに、本日の午前11時12分に 姉から電話が入りました。なお、去る 4年前の9月27日(金)の【信用金庫の営業・続報6・前編】のブログの中段やや上に、
【(前略)去る 一昨年の5月14日(日)の〖私服警官の近所廻り(両親の食事)〗のブログの上段に、
〖(前略)一昨々日の午後、私服の婦人警官が 自宅に来ました。1ヶ月程前も、私服の男性警官が 自宅に来ました。この近所を廻っているとのことでした。父親と当方が対応しました。両者共 訪問の目的は、オレオレ詐欺が多いので 気を付けて下さいとのことでした。 因みに、10数年前に 当方を名乗って、両親に対して オレオレ詐欺の電話が入ったことがあります。両親と同居していますので、誠に有り難いことに 事無きを得ました。
話を戻しますが、留守番電話にすると、セールス対策にもなっていい とのことでした。(後略)〗と記させて頂きました。すなわち、この訪問された警官から、年寄の居る家庭では 自宅の固定電話を 留守番電話にするように 指導されました。(後略)】と 記させて頂きました。それで、以前も 伝えてありましたが、固定電話は 留守番電話にしていることを 再度 伝えました。すると、姉によりますと、詐欺電話が多いとのことでした。そこで、毎日のように 詐欺電話が入るという話になりました。
それから、去る 昨年の1月28日(金)の【父親の食事(カレーうどん)、洗濯 そして 入浴・252(柚子湯)】のブログの中段やや下に、
【(前略)父親から お風呂の日は 何曜日であるか 尋ねられました。それで、水曜日と答えました。 因みに、親戚で 水曜日に水泳をするという者が見えます。それで、水の関係する お風呂も 水曜日だねと回答しました。(後略)】と 記させて頂きました。なお、姉によりますと、公立昭和Hp.(hospital[ホスピタル]の略です。日本語では、病院のことです。以下、Hp.と示させて頂きます)の近くのホリデイスポーツクラブ 小平に 水泳に通っているとのことでありました。そこで、上記のように、【親戚で 水曜日に水泳をするという者が見える。】ということを伝えました。
また、姉によりますと、檀那は ゴルフに行くとのことでありました。しかも、玉川上水沿いにあった 【かわい(母親 と その娘で 経営している 店でありましたが、その娘が ピアノを習っているとのことでありましたので、ピアノの製造会社名から名付けられたと思われます)】という喫茶店は 昨年 閉店したとのことでありました。序で乍ら、以前 すなわち 約10年前、今は亡き母親、姉 そして 姪(姉の長女)と四人で 行ったことがあります。この喫茶店がお好みであったということは 誠に有り難いことに 感性が一致していたと思われ、そのことを 姉に話しました。因みに、姪が その喫茶店で クッキーを購入していました。なお、この喫茶店は 週末 2日間のみの営業でありました。それで、姉によりますと、【かわい】という喫茶店の近くに住んでいる【坂井さん】という お年寄(女性)が、自宅を処分して 群馬県の老人ホームに入所するとのことでありました。なお、姉によりますと、(上記の水泳のようなことを)何か 遣ったら とのことでありました。そこで、【歩くこと】と答えました。すると、姉によりますと、誠に有り難いことに、玉川上水でも 行ったら、とのことでありました。それで、近くの玉川上水には、去る 6年前の4月1日(土)の【玉川上水(両親の食事)】のブログに記させて頂きました 約6年前 すなわち 平成29年の4月1日(土)のとき以来 行っていないねと答えました。すると、誠に有り難いことに、驚いてくれました。
および、姉によりますと、【上岡さん】という人とは、お茶で 一緒になるとのことでありました。因みに、この【上岡さん】という人は 【舐められたら・・・】と言う方であります。
更に、姉によりますと、【秋田さん】とは 会っていないとのことでありました。
しかも、姉の方から 【中村久子さん】という人は 昨年 小川町の一軒家を処分して 上水本町のマンションに引っ越したという話になりました。なお、この方には 昨年の11月上旬に 年賀欠礼状を送りましたら、返信の葉書が届きました。それで、去る11月16日(水)の【本の進呈・続報100・後編(シンクロニシティ)】のブログの中段やや下に記させて頂きましたように、一筆入れて 成書を進呈しました。
そのうえ、姉によりますと、母親が信仰していた宗教が 姉弟で 分かれて 弱くなったとのことでありました。因みに、宗教で 分断したということでありますね。それで、毛利家の3本の矢の話をしました。
おまけに、姉によりますと、義理の兄は 【希望を叶える365章】の本を読んでいるとのことでありました。
のみならず、去る 昨年の4月27日(水)の【家政婦さんの入院・続報6】のブログの中段やや下に、
【(前略)公立昭和病院の科長クラスでは 電話連絡するのは 難しいように思われました。それで、(主治医に)速達で 手紙を送ることにしました。(後略)】と 記させて頂きました。なお、姉から 家政婦の D.M.(拉語/独語/英語:diabetes mellitus)(ネガティブ[英語:negative]で 御座いますし、お読み下さっている 方々に影響を お与えすることの無いように、日本語で 綴ることを控えさせて頂きましたが、以前 それではわからない と指摘を頂きましたので、日本語も併記させて頂きます。小さく記させて頂きます。糖尿病のことで御座います。以下、D.M.と示させて頂きます)ことを尋ねられました。それで、上記のように 主治医に手紙を書いて インシュリン治療を減薬してもらうように伝え、誠に有り難いことに、実際に 減薬されていることを伝えました。 因みに、姉から 家政婦には 訊くことが出来ないとのことでありましたので、回答しました。すなわち、その家政婦には 子供が 居ません。そして、姉から 檀那のことを尋ねられました。そこで、家政婦が 稼ぎ頭になっているのであろうと答えました。
加うるに、去る 昨年の4月19日(火)の【靖國神社崇敬奉賛会】のブログの上段に、
【(前略)去る3月11日(金)の〖父親の転帰〗のブログに記させて頂きましたように、父親が 母親に続いて 亡くなりました。それで、これ迄は 靖國神社崇敬奉賛会年会費を 父親の名前で振り込んでおりましたが、当方が 引き継ぐことになりました。そこで、これを機に 父親の正会員ではなくて ¥50,000 円を支払って 終身正会員になろうと思います。それで、本日の午前9時の開始を待って、電話しました。そして、申し込みました。(後略)】と記させて頂きました。すなわち、上記のように、父親から 靖國神社崇敬奉賛会を引き継いだことを 姉に伝えました。
なお、姉によりますと、自分のことを 遣ったらとのことでありました。それで、国のこと 愛国のことを遣ると答えました。 因みに、約16分の通話時間でありました。それで、取り急ぎ、速達扱いである レターパック・ライトで 返信しました。また、姉との話しで 叔母(三女)さんに 便りを送ったらいい との内容になりました。序で乍ら、この叔母(三女)さんのことは、生前の母親に 宜敷く頼む と言われております。なお、これらの二通の便りの作業が 朝迄 掛かり 更に お昼になりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 翌日の お昼になりました。(後略)』と記させて頂きました。
ならびに、本日の午前9時31分に、姉から電話が入りました。すなわち、この前 思ったけれど 何処かの 家の お店の汚いし 掃除したらとのことでありました。および、長い手紙は 目も痛いしとのことでありました。他の人に送って 私は もういいから とのことでありました。これ以上 送られたら、頭が痛くなっちゃうとのことでありました。呉々も 長い手紙は 送らないでとのことでありました。長いのは とのことでありました。また、姉によりますと、この前 豊司檀那と お墓参りに 行ったとのことでありました。草を取った方が いいのと、お地蔵さんを ちょっと 束子で 擦ってあげて 汚いから とのことでありました。それから、内は ちょっと 留守にするし居ないからとのことでありましたので、手短な 置手紙を用意しました。また、姉によりますと、ああゆうのは使わないからとのことでありました。勿論、戻すつもりないとのことでありました。しかも、姉によりますと、ちょっと 言わしてもらうと、長い手紙書くのなら、時間があるのなら お医者さんのこととのことでありました。 因みに、必要であるから 手紙を書かなければならないのでありまして、時間的には ギリギリなのでありますがね。なお、去る 昨年の1月23日(日)の『鰻の蒲焼・1152(煮物・カレーうどん・父親の食事)』のブログの中段やや上に、
『(前略)去る 一昨年の12月16日(水)の【鰻の蒲焼・809(味噌汁・カレーうどん・父親の食事)】のブログの中段に、
【(前略)当方は、日本を医す 上医になります。(後略)】と記させて頂きました。すなわち、当方の志は 日本の国を医すこと であります。(後略)』と記させて頂きました。すなわち、誠に有り難いことに、日々 愛国のことに邁進致しております。序で乍ら、4分以上の通話時間でありました。

上記のように 直接 手短な 置手紙を届けました

上記のように 直接 手短な 置手紙を届けました
(後略)」と記させて頂きました。
および、去る 昨年の7月22日(土)の「親戚からの突然の電話連絡・続報52・中編・3」のブログの下段に、
「(前略)上記のように、生前の母親に 叔母(三女)のことを 宜敷く頼む と言われております。
そして、本日の午前9時18分に、作業中であったにもかかわらず 姉から電話が入りました。すなわち、約4年前に、『姉によりますと、叔母(三女)が 圧迫骨折をして 7時間のope.(オペ・英語:operation)(手術のことです。以下、ope.と示させて頂きます)をした とのことでした。』と 前述致しました。因みに、姉によりますと、叔母(四女)に電話したとのことでありました。それで、今回 叔母(四女)によりますと、有料老人ホームに入居している 叔母(三女)が fracture(英語)(ネガティブ[英語:negative]で御座いますし、お読み下さっている 方々に影響を お与えすることの無いように、日本語で 綴ることを控えさせて頂きましたが、以前 それではわからない と指摘を頂きましたので、日本語も併記させて頂きます。小さく記させて頂きます。骨折のことで 御座います。以下、英語で fracture と示させて頂きます)をして ope.をしたとのことでありました。すなわち、上記のように 約4年前と同じと言うことでありましょうか。そして、その後 心臓の調子が弱ってきて この8月で 90歳だし、叔母(四女)にとりますと 何時逝っても と言っているとのことでありました。なお、有料老人ホームも 新しい所になったとのことでありました。つまり、叔母(四女)の家の近くの サニー・ライフが 新しく出来て、古い方ではなくてとのことでありました。要するに、住所が違うのでありますね。それから、叔母(四女)が言うには、万が一 亡くなっても、お葬式はしないとのことでありました。だから、来なくていいからとのことでありました。叔母(三女) すなわち 本人も それでいいと言っているらしいとのことでありました。すなわち、叔母(四女)、檀那 そして その長女(紀代子さん)の三人で送ると言っていたとのことでありました。お見舞いに行きたいと思って 電話したら、今は ちょっと コロナとか そういうので 面会も出来ないとのことでした。そして、姉によりますと、来週から 小淵沢の方に 1ヶ月位行くとのことでありました。それで、叔母(四女)が、万が一 亡くなっても、態々 来なくていいと言ってくれたとのことでありました。そうして、今年の夏 ちょっと あれかなとのことでありました。それから、体力が落ちているとのことでありました。
また、去る 昨年の3月17日(木)の『父親の告別式(家族葬)』のブログの中段やや下に、
『(前略)周囲が 降圧剤の話になりました。 因みに、医者が 恐れるのは 血圧が低いことであると伝えました。すると、姉は、びっくりした様子でした。なお、父親は 夜型であり 血圧が低かったので、気を付けていたことを 話しました。但し、父親は 年齢と共に 血圧が上がり 最高血圧(収縮期血圧)は 約120mmHg(水銀柱ミリメートル)になっていましたので、毎日のように バイタルを測り、経過を観察していました。(後略)』と記させて頂きました。すなわち、医者は 血圧が高いと 降圧剤を処方するのでありますが、医者が 本当に 恐れるのは 血圧が低いことであると伝えました。すると、姉によりますと、血圧が高いと お祖父ちゃんは cerebral apoplexy(英語)(ネガティブ[negative]で 御座いますし、お読み下さっている 方々に影響を お与えすることの無いように、日本語で 綴ることを控えさせて頂きましたが、以前 それではわからない と指摘を頂きましたので、日本語も併記させて頂きます。小さく記させて頂きます。脳卒中のことで 御座います)で あっという間に逝っちゃったとのことでありました。
そこで、去る 8年前の3月14日(土)の『食塩を控えて、 尚且つ 美味しく食べる 工夫(食事療法)』のブログを記させて頂きました。
また、去る 6年前の3月15日(水)の『親の受診に付き添っていること・45(市内の某・公立Hp.の循環器内科)』のブログ、去る 7年前の3月10日(木)の『親の受診に付き添っていること・31(市内の某・公立Hp.の循環器内科)』のブログ、そして、去る 8年前の3月18日(水)の『親の受診に付き添っていること・10(市内の某・公立Hp.の循環器内科)』のブログのそれぞれ中段やや上に、
『(前略)近くの薬局の管理者との話しで、普段、急ぐような、血圧の上がることをしなければ、薬剤による最高血圧(収縮期血圧)のコントロールは130mmHg代でも充分とのことで 御座いました。(後略)』と記させて頂きました。すなわち、これ迄 家政婦たちも含めて 周囲の人たちに話してきたことであります。つまり、冬 トイレで 力んだり、急いで 電車に乗ろうと 駆け出したりして、200mmHgを超えることがなければ、最高血圧(収縮期血圧)は 多少高めでも いいとされていると伝えました。そして、血圧は 生命力であることを伝えました。要するに、血圧が高いということは 生命力が強いということであることを話しました。それから、姉によりますと、やっぱり 怖いとのことでありました。知らない内に 高くなっちゃっているから とのことでありました。それで、上記のことは、去る 昨年の2月9日(水)の『父親の薬(神経科)・54・前編』のブログ そして 去る 昨年の2月9日(水)の『父親の薬(神経科)・54・後編』のブログなどに記させて頂きました 心療内科医・神経科医の奥方も言っていたと伝えました。
そうして、姉によりますと、動いた方が いいとのことでありました。
更に、上記のように、父親は 夜型でありました。すなわち、父親は 明け方 迄 遣ってた人であり、朝寝していました。そして、朝は 代わりに 母親が 遣っていました。但し、父親が 明け方 迄 遣ってくれた お蔭で 店が維持出来たことを伝えました。すると、姉によりますと、父親は 長生き出来たので 血圧は 低い方が いいのではないの とのことでありました。それで、お祖母ちゃんと一緒で 父親は 大事に大事にしていたからと話しました。因みに、血圧が低いということは 生命力を擦り減らしているということなのであります。
加うるに、本日 すなわち 7月22日(土)の『菜食のおかず・486(味噌汁)』のブログの中段やや上に、
『(前略)去る 5年前の3月6日(火)の【母親の転帰】のブログに記させて頂きましたように、母親が 亡くなりました。 また、去る 昨年の3月11日(金)の【父親の転帰】のブログに記させて頂きましたように、父親が 続いて 亡くなりました。因みに、飲み物を頂いたり 食事をしたりするときには、両親と 共に 頂いている気持ちでおります。なお、 勿論、毎日のように 御仏壇に お供えを致して お線香を あげております。序で乍ら、父親も 母親も、神様であります。従いまして、両親を想うことは、神様を想うことであると思われます。
ならびに、去る 昨年の9月22日(木)の【菜食のおかず・172(大和芋)・洗濯物】のブログの中段やや上に、
【(前略)去る 一昨々年の2月24日(日)の〖母親の一周忌の挨拶〗のブログ そして 去る 一昨年の2月27日(木)の〖母親の三回忌の挨拶〗のブログの上段に、
〖(前略)〘今日は、何が食べたい?〙、〘少し暖かくなったね。〙と、誠に有り難いことに、毎日 会話しました。(後略)〗と 記させて頂きました。なお、僧侶を招いて 供養することも 必要であるか と存じますが、人に両親の話をすることが 供養であるとされています。更に、お供えをすることも 大事ですが、一番 大切な供養は、日々 両親に 上記のように、〖少し暖かくなったね。〗と話し掛けることであると思われます。(後略)】と 記させて頂きました。
および、去る 3月5日(日)の【父親の 一周忌での 挨拶】のブログ、去る 昨年の7月11日(月)の【父親の 初盆(新盆)での 挨拶】のブログ そして 去る 昨年の3月20日(日)の【父親の告別式[家族葬]での 挨拶】のブログのそれぞれ上段に、
【(前略)当方から〖よかったね。御飯 食べられて。〗 そして 父親から〖美味しかった。〗が 毎朝の言葉の遣り取りでした。
母親との言葉の遣り取りは、〖暖かくなったね。今日は、何が食べたい?〗などでありました。すなわち、 去る 一昨々年の2月27日(木)の〖母親の三回忌の挨拶〗のブログの上段に記させて頂きましたように、毎日 会話しました。
(中略)
なお、〖よかったね。御飯 食べられて。〗は、日々 食べることが出来ることに 感謝の気持ちを捧げた言葉であります。(後略)】と 記させて頂きました。(後略)』と 記させて頂きました。
しかも、去る 7年前の9月18日(日)の『北海道旅行・6( 層雲峡)』のブログの上段に、
『(前略)去る1月5日(火)の【母親の新年会】のブログ の上段に、
【(前略)去る11月5日(木)の〖法人マイ・ナンバー〗のブログ の上段に、両親は約8年前に商売を廃業したと記させて頂きました。この商売をしていたときの 住み込みの従業員(後略)】と記させて頂きました。この親戚の長男が、上記のような住み込みの従業員として 来てくれていました。(後略)』と記させて頂きました。姉によりますと、この親戚の長男が住んでいる 北海道に行くといいとのことでありました。そして、姉によりますと、上記のように 昨年 旭川に行って いいとのことでありました。それから、姉によりますと、今は ラベンダーが綺麗とのことでありました。 因みに、以前 姪を含めた 姉家族は、ラベンダーで有名な 北海道富良野に スキーに行っています。なお、姉によりますと、去年 旭川から 電車に乗って 富良野に行ったけど、凄い いい所だったとのことでありました。序で乍ら、姉によりますと、その親戚の長男のところに行かせてもらったらとのことでありました。しかも、気を遣わなくていいから との旨でありましたが、そういう訳には 参りませんよね。
そのうえ、姉によりますと、来週から 猛暑になるとのことでありました。それで、梅雨明けすると思うと伝えました。 因みに、姉によりますと、北海道とか 涼しい所に行って ゆっくりしてきたら とのことでありました。なお、飛行機に乗って(『飛行機に乗る為に』であると思われます)、羽田迄 行かなければならないのが たいへんとのことでありました。それで、上記のように、両親の供養があることを伝えました。しかも、日々 行なっている 当家の庭の植物への水 撒きのこともあります。そこで、今は亡き 父親と同様に、冷房の中で 暑さを凌ぐ と伝えました。
それから、去る6月14日(水)の『自分の身体』のブログのことを伝えました。また、その親戚の長男は 風俗の話になって、話題に ついていけないからと伝えました。そして、姉によりますと、10年前 その親戚の長男を 丸の内に連れて行ってあげた とのことでありました。すなわち、兜町や東京タワーに行っているのであります。そうして、姉によりますと、その親戚の長男も、心臓の調子が悪いと言っていた とのことでありました。序で乍ら、その約10年前 その親戚の長男は 宿泊所に風俗の女性を呼んでいたので、大丈夫なのだろうかとの話になりました。すなわち、心臓だと 腹上死にならなくて よかったとの話になりました。 因みに、姉によりますと、元気、それ位 楽しんでいるんだから とのことでありました。なお、海外旅行も 行っているようとのことでありました。序で乍ら、姉によりますと、独身で話が合うとのことでありました。
しかして、去る7月6日(木)の『夢について・続報76・シンクロニシティ・後編』のブログの下段に、
『(前略)前述の 去る 8年前の8月8日(土)の【ボランティア・地域医療・その4】のブログの上段に、
【(前略)去る11月17日(月)の〖黒胡麻〗のブログ の中段に、
〖(前略)去る10月7日(火)の〘ボランティア・地域医療〙のブログ で記させて頂きました地域医療研究会で、学部生の頃から、埼玉県神泉村(当時・無医村)(ここのフィールド[英語:field]は約四半世紀続きました)に伺っておりまして、医師になってからは、9年間伺っておりました。夏の健康診断は3日間ありますので、4泊5日になることがあり、その間の食事となる玄米を酢でしめて持って行きます。夏でありますが、冷蔵庫に入れられませんので、あと梅干しで補います。古来、中国では、梅は薬用として用いられ、三毒(食物の毒、身体の毒、そして、水の毒)を消すとされています。因みに、大乗仏典・維摩経によりますと、三毒とは貪・瞋・癡とされています。
この無医村のフィールド(英語:field)へは、ディーゼル・エンジン(英語:diesel engine)であるJ.R.八高線、バス、そして、村営バスを乗り継いで行くのですが、村営バスの運行が 一日 2本であり、バスから村営バスに乗り換えるときに、約1時間40分の待ち時間がありました。(後略)〗と記させて頂きました。すなわち、一日 2本である 村営バスの運行が、化学反応に喩えると 律速段階であると 学生たちには説明しました。(後略)】と記させて頂きました。つまり、上記の埼玉県神泉村(当時・無医村)のフィールドで、診療を行なっていました。(後略)』と記させて頂きました。
なお、姉によりますと、海外旅行に 行ったら とのことでありました。それで、上記のように 宿泊分の玄米を持って行かなければならないと伝えました。そして、去る 一昨々年の2月12日(水)の『笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤小乗から 大乗へ・中編』のブログの上段に、原則として 外食しません。すると、姉によりますと、海外には vegan(英語)レストランがあるとのことでありました。それで、上記のように まず 外食をしないことと、まだまだ veganレストランは少なく、しかも、一人で レストランに入ることになると話しました。すると、姉によりますと、その親戚の長男のところは お米を作っているから 玄米を食べさせてもらえるとのことでありました。但し、学部生のときに 行ったときに、電車で 18時間以上も 掛かっているのであります。そして、行くのであれば、生命懸けで行かなければならないと話しました。すると、姉によりますと、松尾芭蕉のように 生命懸けで行ってみたら とのことでありました。それで、愛国の為に 生命懸けならば いいですが と伝えました。しかも、松尾芭蕉には、旅をする 動機があった訳であります。ところが、姉に勧められているのみでありまして、動機がないのであります。すなわち、単に 姉が 旅行を勧めるのは 上記のように 自分が 小淵沢の方に 1ヶ月位行くからであり、共犯者にしたいのでありますね。そこで、愛国の為に死ぬのであればいいがと話しました。すると、誠に有り難いことに、漸く 諦めてくれたようでありました。そして、『あなたのいい様に』とのことでありました。暑くなるから 涼しいところにと思ったとのことでありました。それで、父親と同様に エアコンの中で 凌ぐと伝えました。姉によりますと、これから 暑くなるとのことでありました。それで、『お身體 お大事にして下さい。』と伝えました。すると、姉によりますと、暑いところを逃れて、小淵沢の白州という サントリー工場がある 近くに泊ることになっているとのことでありました。それで、自家用車で行くので、足を延ばせば ビーナス ラインもあると伝えました。すると、姉によりますと、『そうそう』とのことでありました。涼しいところに行くとのことでありました。 因みに、学部生の頃 倶楽部で 先輩と 夜行の普通列車で 小淵沢の馬場に行かされたことがあります。
ならびに、『涼しい』に因ませて頂きますと、去る 5年前の8月3日(金)の『父親の食事、洗濯 そして 入浴・71』のブログの中段に、
『(前略)51年前の8月初旬 つまり 今頃の季節に、上記のように 東京都新宿区から 東京都下に 引っ越しました。このとき、朝 起きて 母親 と 姉と話したことですが、東京都新宿区に比べて 涼しかったです。それで、この話を 上記の介護福祉士の方に話しましたら、東京でも 三鷹を超えて 西側に来ますと、都心に比べて 涼しいと感じられるのだそうです。(後略)』と記させて頂きました。すなわち、この話をしました。
および、姉によりますと、私自身も いいときに生まれたなと思うとのことでありました。それで、例年でありましたら、梅雨明けしている頃と話しました。
また、去る 昨年の8月20日(土)の『赤とんぼ』のブログの上段に、
『(前略)53年前 すなわち 昭和44年の今頃、家族 三人 つまり 母親、姉 そして 当方で 蓼科・霧ヶ峰に行きました。因みに、中央本線で 長野県 茅野の駅で降りましたら、霧の中でした。そして、バスで 宿泊先の旅館のようなホテルに向かいました。それから、バス停で降りると、美智子皇太子妃(当時)が 車で通るというので 皆が待っていました。それで、当方たちも 約40分待って 美智子皇太子妃(当時)を見送りました。そうして、そのホテル迄 数分以上 歩きました。なお、その途中に 楽焼が行なわれていましたので、三人で 行いました。序で乍ら、赤の染料を使うと 別料金が掛かるというので、母親と当方は使いませんでした。ところが、姉は、赤の染料を使いました。因みに、最近 姉に これらの旅行の思い出を伝えても、覚えていませんでした。
なお、去る 7年前の11月5日(木)の【法人マイ・ナンバー】のブログの上段に、両親は 約8年前(現在からですと、15年前)に 商売を廃業した と記させて頂きました。ところが、当時 当家は 金物業をしていて、毎月 8月20日頃に 請求書の発送がありました。その為に、8月下旬にならないと、母親は 時間が取れませんでした。序で乍ら、父親は 数年間 続いた 8月下旬の 家族旅行には行きませんでした。すなわち、父親は、自宅で 祖母と待っていました。
ところで、上記の赤とんぼが、沢山 飛んでいました。それで、子供ですから 珍しくて 持ってきた虫取り容器に 採取した 赤とんぼを入れました。因みに、クルクルと 赤とんぼの目を回しても、簡単に取ることが出来ました。なお、虫取り容器が一杯になりました。母親は 何も言いませんでしたので、それを そのまま 自宅に持ち帰りました。すると、皆 死んでしまいました。可哀想なことをしたと思われました。因みに、現地で 逃がしてやればよかったと思われました。そこで、赤とんぼのお墓を作りました。序で乍ら、去る 4年前の3月6日(火)の【母親の転帰】のブログに記させて頂きましたように、母親が 亡くなりました。生前の母親に このことを伝えましたら、逃がしてやるように言えばよかったとのことでした。しかし乍ら、後の祭でした。なお、自宅の前で 赤とんぼが 交尾をしていました。因みに、沢山 孵化してもらうように 心より祈りました。(後略)』と記させて頂きました。すなわち、上記のように、昭和44年の8月下旬に 二泊三日で、母親 と 姉と 三人で 蓼科・霧ヶ峰に行きました。 因みに、今回も 姉に 上記の 楽焼のことを話しましたが、覚えていませんでした。また、姉によりますと、母親は 美智子皇太子妃(当時)のことが好きだったので、感激して 喜んだでしょうとのことでありました。ファンだからとのことでありました。誠に有り難いことに、姉によりますと、品があったでしょうねとのことでありました。しかも、姉によりますと、霧ヶ峰は夕焼けが綺麗だったとのことでありました。そのうえ、グライダーが飛んでいたと話しましたら、誠に有り難いことに 覚えてくれていました。おまけに、霧ヶ峰は 馬の糞が 道に 一杯 ありました。思い出が共有出来て 誠に有り難いと伝えました。そして、当方は、あの思い出で 生きていくから と話しました。なお、生前の母親にも、二人で 一緒に お経を唱えた後 仏壇の前で、母親との思い出で 生きていくから と伝えたことがありました。
それから、去る 6月29日(木)の『武漢ウイルスのワクチンについて(拡散希望)・続報28・前編』のブログ そして 去る 6月29日(木)の『武漢ウイルスのワクチンについて(拡散希望)・続報28・後編』のブログなどを記させて頂きました。
そして、姉によりますと、これからでも 伊に行きたいとのことでありました。因みに、伊は 女性に人気がありますね。すると、姉によりますと、早く コロナがすっかりという訳には いかないでしょうけど とのことでありました。それで、世界的には 武漢ウイルスは 終わっていると答えました。日本だけ と伝えました。すなわち、マスコミが 煽り立てているからと回答しました。つまり、国際金融資本家たち(左翼系ユダヤ人 そして その影響を受けた資本家たち・共産主義者)が、マスコミを支配しているのであります。
すると、姉によりますと、誠に有り難いことに マスクをする必要がないのかしら とのことでありました。因みに、去る 昨年の5月25日(水)の『菜食のおかず・61(ひじきの煮物)』のブログの上段に、
『(前略)マスクを していると、鼻水を処理しなくて そのまま 出していればいいと言う人が居ました。但し、不衛生ですね。(後略)』と記させて頂きました。
それで、厚労省が 漸く 『令和5年3月13日以降、マスクの着用は、個人の主体的な選択を尊重し、個人の判断が基本』としました。それで、Hp.(hospital[ホスピタル]の略です。日本語では、病院のことです。以下、Hp.と示させて頂きます)の中には マスクをすることを求める 施設も ありますが、マスクは、全く 必要ないと されています。しかも、マスクをすると 酸素の取り込みに 支障をきたすことがあると伝えました。すなわち、酸素を取り込みにくくなるということでありますね。つまり、低酸素になる怖れがあるということでありますね。そのうえ、マスクを 頻繁に交換していても 口の周りとか 不衛生になることがあると話しました。すると、誠に有り難いことに、姉によりますと、マスクを止めるとのことでありました。それで、『お身體 お大事にして下さい。』と伝えました。なお、上記のように 武漢ウイルスのワクチンのことも これ迄 再三 伝えてきましたが、漸く マスクのことは 分かってくれました。
更に、姉によりますと、上記の叔母(三女)のことは 今のところは ちょっと 連絡待ちとのことでありました。そして、叔母(四女)が ひょっとしたらと言っていたから とのことでありました。それで、季節の変わり目は 気を付けないとねと答えました。すると、姉によりますと、ope.(手術のことです)した後に 上記のように やっぱり体力が落ちちゃうから、食欲が もう あまりないみたいで、心臓のこともあるし とのことでありました。因みに、そもそも 年齢的に高齢であります。なお、姉によりますと、一人で よく 頑張ってきたとのことでありました。それで、本当に よく 頑張ってこられたと答えました。そこで、姉によりますと、上記のように お見舞いに行きたいと思ったのだけれど そんなんで とのことでありました。そして、ちょっと まあ 行かれないからとのことでありました。
それから、姉の誕生日である 今頃は、幼少の頃は 夏休みで いい思い出があります。序で乍ら、誠に有り難いことに、姉によりましても、いい時期に生まれた とのことでありました。因みに、このことは、誠に有り難いことに、両親に関係することであり、あの世の両親に報告しました。
なお、誠に有り難いことに 身體 気を付けてとのことでありましたので、『お身體 お大事にして下さい。』と伝えました。序で乍ら、約22分もの通話時間でありました。因みに、この電話に対応する為に、食料品の買い物に行く時間が 大幅に 遅れてしまいました。
次に、叔母(三女)の お見舞いのことで、叔母(四女)に 丁重に手紙を添えて 速達の現金書留で お見舞い金を送りました。

お見舞い
しかも、上記のように 姉から聞かされたので、北海道の親戚の長男を含めて 更に 2名の親戚に 速達の手紙を書かなければならなくなりました。それで、合計で 3名の親戚に、速達の現金書留、速達の特定記録郵便 もしくは レターパック(速達扱いです)の 便りを発送致しました。因みに、兄弟姉妹の対応は 修行であります。(後略)」と記させて頂きました。
次 に、去る 4年前の11月19日(木)の「鰻の蒲焼・786(野菜スープ・カレーうどん・父親の食事)」のブログの中段やや下に、
「(前略)一昨日 すなわち 11月17日(火)の『鰻の蒲焼・784(カレーうどん・父親の食事)』のブログの中段やや下に、
『(前略)一昨々日 すなわち 11月14日(土)の【鰻の蒲焼・781(カレーうどん・父親の食事)】のブログの中段やや上に、
【(前略)一昨日 すなわち 11月12日(木)の〖消火器のリサイクル・続報〗のブログの中段やや下に、
〖(前略)本日 すなわち 11月13日(金)の〔父親の食事(カレーうどん)、洗濯 そして 入浴・190〕のブログの下段やや上に、
〔(前略)一昨日 すなわち 11月11日(水)の〘鰻の蒲焼・779(カレーうどん・父親の食事)〙のブログの下段やや上に、
〘(前略)昨日も、その宅配食の配達員 そして その宅配便の配達員 すなわち 二人に それぞれ 上記のように いつもの りんごの100%ジュース と 飲み物(乳酸菌飲料)を あげました。(後略)〙と記させて頂きました。昨日も、その宅配食の配達員 そして その宅配便の配達員 すなわち 二人に それぞれ 上記のように いつもの りんご
の100%ジュース と 飲み物(乳酸菌飲料)を あげました。(後略)〕と記させて頂きました。今回も 同様に、運搬作業員 二人に それぞれ 上記のように いつもの りんご
の100%ジュース と 飲み物(乳酸菌飲料)を あげました。

感謝の印として 上記のように 直接 青森から取り寄せた りんごの100%ジュース そして 乳酸菌飲料など

感謝の印として 持ち帰り易いように 袋に詰めて 作業員に 手渡した お土産
(後略)〗と記させて頂きました。昨日も、その某・新聞の集金人(通常 26日集金ですが、今回は 昨日 すなわち 13日、すなわち、18日も 集金が 遅 れました。それで、済みません とのことでした)、その宅配食の配達員 そして その宅配便の配達員 すなわち 三人に それぞれ 上記のように いつもの りんごの100%ジュース と 飲み物(乳酸菌飲料)を あげました。(後略)】と記させて頂きました。昨日も、その宅配食の配達員 そして その宅配便の配達員 すなわち 二人に それぞれ 上記のように いつもの りんご
の100%ジュース と 飲み物(乳酸菌飲料)を あげました。(後略)』と記させて頂きました。昨日も、その宅配食の配達員 そして その宅配便の配達員 すなわち 二人に それぞれ 上記のように いつもの りんご
の100%ジュース と 飲み物(乳酸菌飲料)を あげました。(後略)」と記させて頂きました。
ならびに、去る 昨年の6月18日(日)の「菜食のおかず・452(ひじきの煮物)」のブログの中段やや上に、
「(前略)去る6月13日(火)の『菜食のおかず・445(小松菜)』のブログの中段やや上に、
『(前略)去る6月7日(水)の【菜食のおかず・438(小松菜)】のブログの中段やや上に、
【(前略)去る6月3日(土)の〖菜食のおかず・434(ピーマン と 茄子)〗のブログの中段やや上に、
〖(前略)去る5月31日(水)の〔菜食のおかず・430(小松菜)〕のブログの中段やや上に、
〔(前略)過日も、その宅配便の配達員 そして 郵便配達員 すなわち 二人に それぞれ 上記のように 説明を しっかりして いつもの りんごの100%ジュースを あげました。 因 みに、宅配便は、〘相馬真一〙という配達員でありました。それで、久しぶりとのことであり、記録を調べましたら、その〘相馬真一〙という配達員は、昨年 すなわち 令和4年11月17日以来でありました。そこで、これ迄 は 当家の割り当ては 小平営業所(小川中央)でありましたが、割り当てが 移動になり これからは 小平南営業所(茜屋橋)の担当になるとのことでありました。なお、〘染谷岳史〙 そして 〘鈴木博〙という配達員も、そのまま 小平営業所(小川中央)に居るとのことでありました。序で乍ら、その〘相馬真一〙という配達員は、小平営業所(小川中央)から 小平南営業所(茜屋橋)に異動になったとのことでありました。 因 みに、その宅配便の配達員は、前述致しましたように 〘済みません。〙を連発する人なので、以前も 何度も お伝えしましたが、疲れる人なのであります。

誠に有り難いことに、届いた 玄米
(後略)〕と記させて頂きました。
および、通信販売の業者によっては、配送する時間帯を指定することが出来ない場合があります。しかも、その業者によりますと、不在であれば 再配達を通知すればいいとのことでありました。 因 みに、極力 再配達にならないように、苦心しているのでありますがね。しかも、宅配便 業者の方でも、再配達で 苦労しているとのことであります。なお、再配達を勧める 通信販売の業者は、極力 利用しないように と思われました。(後略)〗と記させて頂きました。
また、過日も、その宅配便の配達員 そして 郵便配達員 すなわち 二人に それぞれ 上記のように 説明を しっかりして いつもの りんごの100%ジュースを あげました。 因 みに、宅配便は、〖ぬまの〗という配達員でありました。それで、いい方に 担当してもらって と伝えました。(後略)】と記させて頂きました。過日も、その宅配便の配達員 そして 郵便配達員 すなわち 二人に それぞれ 上記のように 説明を しっかりして いつもの りんご
の100%ジュースを あげました。(後略)』と記させて頂きました。
しかも、去る3月24日(金)の『菜食のおかず・354(人参の煮物)』のブログの上段に、
『(前略)去る3月20日(月)の【菜食のおかず・350(味噌汁)】のブログの上段に、
【(前略)本日も、その宅配便の配達員 そして 郵便配達員 すなわち 二人に それぞれ 上記のように 説明を しっかりして いつもの りんごの100%ジュースを あげました。 因みに、同じ宅配会社の その配達員に 〖他の 二人にも伝えたが、留守のときは 玄関前に置いて構わない。〗との旨を伝えました。すると、その宅配便の配達員によりますと、〖助かる。助かる。〗とのことでありました。(後略)】と記させて頂きました。 因みに、上記のように 前回 その宅配便の配達員が 【助かる。助かる。】と言った理由がわかりました。すなわち、ニュースを見ましたら、扱う荷物の およそ2割から3割が 再配達とのことでありました。つまり、デリバリーサービスの取締役によりますと、【デメリットだけしかないですね。再配達は。ドライバーさんの労働時間も増しますし、経費も ガソリン代も含めて。1度で配送が完了しても、3度同じお客さんの所に行っても報酬は全く変わらないです。】とのことでありました。なお、当家では、まず 再配達になっていません。序で乍ら、本日も、その宅配便の配達員 そして 郵便配達員 すなわち 二人に それぞれ 上記のように 説明を しっかりして いつもの りんご
の100%ジュースを あげました。すると、その郵便配達員によりますと、誠に有り難いことに、【助かる。】とのことでありました。(後略)』と記させて頂きました。
そのうえ、過日も、その宅配便の配達員 そして 郵便配達員 すなわち 二人に それぞれ 上記のように 説明を しっかりして いつもの りんごの100%ジュースを あげました。すると、誠に有り難いことに、その宅配便の配達員によりますと、嬉しいとのことでありました。因みに、その宅配便の配達員が 初めての人でありましたので、上記のように 『他の 二人にも伝えたが、留守のときは 玄関前に置いて構わない。』との旨を伝えました。すると、その宅配便の配達員によりますと、今回も 『助かる。』とのことでありました。そして、誠に有り難いことに、他の担当者にも 伝えておくとのことでありました。すなわち、立川に配達担当店があり、そこから 来ているのであります。なお、その宅配便の配達員によりますと、再配達だと 夜間の配達になるからとのことでありました。序で乍ら、当初 再配達は 夜間にしか行わないということを言っているのかと思われましたが、そうではなくて 再配達を依頼する顧客は 昼間 在宅していないので 夜間に 頼むのであることが分かりました。因みに、その宅配便の配達員によりますと、そうなると 地獄 と ハッキリ 言いました。なお、ここ迄 言われますと お互いの為になりますので、この方法は お勧めであります。(後略)」と記させて頂きました。
しかして、去る1月13日(土)の「親戚からの突然の電話連絡・続報55・後編」のブログの中段やや下に、
「(前略)去る 昨年の8月3日(木)の『親戚からの突然の電話連絡・続報54・後編』のブログの下段に、
『(前略)去る8月1日(火)の【親戚からの突然の電話連絡・続報53・後編】のブログの下段に、
【(前略)お便りのことは お気になされませぬようにと 丁重に伝えたにもかかわらず、本日の午前10時21分に、上記の お見舞いを送った 叔母(四女)から 簡易書留で 返事が届きました。因みに、宛名のところで 当方の名前の漢字が間違って記載されていました。なお、郵便配達員が配達に来まして 上記のように 説明を しっかりして いつもの りんごの100%ジュースを あげました。序で乍ら、〖生前の両親も 申しておりましたが、お返しは 呉々も お気になされませぬように。何卒 宜敷く お願い申し上げます。〗と しっかり 伝えたにもかかわらず、その返事の封書の中に 半分返しの商品券が入っていました。それで、家政婦に あげました。
すなわち、
〖毎日の猛暑の中、お変わりなく お過ごしの事、と存じます。私達は 何とか 過ごしております。
先日は、姉に お見舞いを頂きまして ありがとうございました。ご心配を おかけ致しました。
6月26日 サニー・ライフ板橋(西台)から サニー・ライフ板橋 成増へ引っ越しの予定でしたが、前日 大腿骨を骨折しまして、大山の医療センターへ運ばれました。手術は 年齢の事も 有りますし、心臓が弱っていて 負担も大きいので どうするか迷ったのですが、姉の希望でも有り 行いました。一時は 心配しましたが、どうにか 手術をして 三週間後に 退院致しました。サニー・ライフ板橋 成増へ 入居しました。
ここは 家から 8分程で行けて 4階建ての新築で 良い所です。
三週間 立(〔経〕でありますね)ちますが、車椅子にも すわれる様になり 元気にしております。
先日、治枝さんが 面会に来てくれました。絹枝姉さん、智惠子姉さん達が生きていた頃が良かったわね!と思い出話をしました。
尚、姉も 90歳になります。いつ どうなるか 分かりません。万が一の時には、お香典等のご心配は しないで下さい。私達 少人数で 見送りたいと思っております。姉も それを望んでいますので・・・まだまだ 暑い日は続きます。呉々も お体 ご自愛頂き お過ごし下さいませ。姉からも 呉々も 宜しくとの事でございます。かしこ〗以上であります。
そこで、その返信の作業が 加わることになってしまいました。これらの作業が 朝迄 掛かり 更に お昼になりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 翌日の 夕方になりました。
さて、一昨日 すなわち 7月31日(月)の〖母親から父親への家書〗のブログの上段に、
〖(前略)去る 一昨々年の6月28日(日)の〔母からの手紙〕のブログの中段に、
〔(前略)去る 一昨年の3月6日(火)の〘母親の転帰〙のブログに記させて頂きましたように、母親は 亡くなりました。なお、唐代の代表的詩人である杜甫の代表作〘春望〙の一節に、〘家書万金に抵たる〙と あります。正しく 上記の手紙は この詩に相応しいと思われました。すなわち、〘万金に抵たる〙と感じられました。(後略)〕と記させて頂きました。
ときに、去る 5年前の3月6日(火)の〔母親の転帰〕のブログに記させて頂きましたように、母親が 亡くなりました。 また、去る 昨年の3月11日(金)の〔父親の転帰〕のブログに記させて頂きましたように、父親が 続いて 亡くなりました。
ところで、整理をしていましたら、約32年前に 母親が書いたと思われる ノートが出てきました。(後略)〗と記させて頂きました。
すなわち、上記の 叔母(三女) そして 叔母(四女)宛てのノートであります。
つまり、
〖小沢 お姉さん
発生川 お兄さん
徳原毬子さん
田中祥子さん
ありがとうございます。
ふしぎな 縁で 兄姉妹として 今日迄 皆 元気で まいりました。考えてみると けんかした事 一度もありませんでした。皆 やさしい人達ばかりなのですね。
私が いつも 集まる日を かってに きめてしまいますのに いつも その日に合(〔会〕でありますね)ふ事にして 本当に ありがとうございました。皆が 今日迄 元気で過(ご)す事が出来ますのは 両親が健康で この世に 生んで下さった お蔭です。
楽しい事 いろいろありました。話しているだけでも 時間がたつのがわかりませんでした。本当にありがとうございました。皆様 御家族の皆々様の御健康をお祈りいたします。(原文通り。但し、お読み頂き易いように 漢字にして 送り仮名を振った部分もあります)〗以上であります。
次に、父親のノートであります。
すなわち、
〖毬チャンへ、祥子チャンへ
今迄 長い間 大変 お世話になりました。
私の死後も よろしく お願いします。
毬チャンと その昔 ママと 3人で 奥日光へ行って 岩ツバメを見た事を かすかに おぼえてゐます。
今一度 あの頃に 戻りたいですね!!
どうか 体に気を付けて 長生きして下さいね!!
祥子チャンにも くれぐれもよろしく。
帰りには ママさんと 3人で 軽井沢駅より 帰りましたよネ!!
そのときの写真 大切に持ってゐます。(原文通り。但し、お読み頂き易いように 漢字にして 送り仮名を振った部分もあります)〗以上であります。
さて、これらの両親のノートの遺言を 文字に起こして、上記の 叔母(四女)宛ての もう一通の手紙(速達)に 加えました。しかも、その遺言のコピーも同封しました。因みに、そのコピーをする為に 何枚も コピー用紙を使ってしまいました。なお、両親の遺言を伝えることは とても 大きいことであると思われました。(後略)】と記させて頂きました。
ときに、お便りのことは お気になされませぬようにと 丁重に伝えたにもかかわらず、本日 上記の お見舞いを送った 叔母(三女)からも 葉書が届きました。
すなわち、
【○○○君 お久しぶりです。
お姉さん、お義兄さんも 残念で たまりません。
今でも 心に 深く残って たえています。
私も 又 右足を骨折し 今は サニー・ライフ板橋成増に来て 良好に向かっていますので、ご安心下さい。
○○○君も おそらく 良い年が 沢山 くると思いますので、がんばって下さいネ。
又 いつか お会いできます様 神さまに祈りつつ、さよなら(原文通り。但し、お読み頂き易いように 漢字にして 送り仮名を振った部分も あります)】以上であります。因みに、父親によりますと、若い頃 その叔母(三女)は 天地真理のようだったとのことでありました。
そこで、その返信の作業が 加わることになってしまいました。これらの作業が 朝迄 掛かり 更に お昼になりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 翌日の 夕方になりました。なお、上記の両親のノートの遺言を 文字に起こして、その 叔母(三女)宛ての手紙(速達)にも 加えました。しかも、その遺言のコピーも同封しました。因みに、そのコピーをする為に 何枚も コピー用紙を使ってしまいました。序で乍ら、前述致しましたことと同様に、叔母(三女) そして 叔母(四女)宛ての 両親の遺言を伝えることは とても 大きいことであると思われました。(後略)』と記させて頂きました。
ところで、一昨々日 すなわち 1月10日(水)の『本の進呈・続報119・後編(シンクロニシティ)』のブログの下段に、
『(前略)本日 1月10日(水)の【年賀状のこと・続報2】のブログに記させて頂きましたように、本日になって 元旦に届いた 年賀状の返信が、親戚から 手紙で 届きました。それで、その便りに対する 返信の作業が、加わることになってしまいました。 因みに、これらの作業が 朝迄 掛かり 更に お昼になりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 翌日の 夕方になりました。なお、下の画像のように 本の見返しに 一筆入れました。(後略)』と記させて頂きました。すなわち、昨日 上記の返信が 先方に届きましたら、本日の午後2時17分になって 電話が入りました。すなわち、
速達で送ったことを 誠に有り難いことに、言ってくれました。
それから、檀那は亡くなって 自分は嫁とのことでありました。それで、贈った成書を見てくれて、誠に有り難いことに、『食は大事』とのことでありました。そこで、もっと早く 食事のことが分かっていれば とのことでありました。それで、第一に 必ず お伝えしなければならないことでありますが、御健康な お方には それに 相応しい食事が あることを伝えました。そして、菜食なので、食事の付き合いは 適わないことを話しました。それから。笑いは、万人に いいことを伝えました。すると、誠に有り難いことに、立派とのことでありました。そこで、まだまだですと伝えました。そして、その親戚によりますと、電車賃を出してもらったとのことでありました。
ならびに、名古屋の『まり』という親戚が divorce(英語)(ネガティブ[英語:negative]で 御座いますし、お読み下さっている 方々に影響を お与えすることの無いように、日本語で 綴ることを控えさせて頂きましたが、以前 それではわからない と指摘を頂きましたので、日本語も併記させて頂きます。小さく記させて頂きます。離婚のことで御座います。以下、英語で divorceと示させて頂きます)をしたとのことでありました。それで、心配とのことでありました。そこで、年賀状を送っても 返信がないのかと思われました。 因みに、その親戚によりますと、その『まり』という親戚の 父親(故人)は 立派な人なのに とのことでありました。なお、上記のように 叔母(三女)も 『毬子』という名前で、『まり』が付きます。序で乍ら、生前 両親は 歌手 天地真理のように 『まり』と付く名前の女性は 不幸になる との旨を話していました。
および、その親戚によりますと、自分は 手紙が下手とのことでありました。
なお、誠に有り難いことに、ボランティアを行なっていることが 素晴らしいと話してくれました。
また、自分は dementia(英語)(ネガティブ[英語:negative]で 御座いますし、お読み下さっている 方々に影響を お与えすることの無いように、日本語で 綴ることを控えさせて頂きましたが、以前 それでは わからない と指摘を頂きましたので、日本語も併記させて頂きます。小さく記させて頂きます。認知症のことで 御座います。以下、英語で dementiaと示させて頂きます)とのことでありました。すなわち、自分のことを 『痴呆』と言っていました。
しかも、息子が 二人が居て 独身とのことでありました。
そのうえ、インターネットは 行なわないとのことでありました。
しかして、八人姉妹の 末の親戚のことを言及されたので、『清水』という親戚のことですねと伝えました。そして、父親の従兄弟に当たる 檀那が 数年前に 亡くなったので、父親の名前で 香奠を送ったことを話しました。但し、今は お嫁さんなので、年賀状の交換に至っていないことを話しました。
のみならず、三重県の親戚のことを言及されたので、年賀状を送っているが、返信がないことを伝えました。
更に、今年 90歳になると伺い、誠に有り難いことに、卒寿 誠におめでとうございますと伝えました。
加うるに、年齢を尋ねられましたので 答えましたら、誠に有り難いことに、若いねとのことでありました。
また、去る 8年前の4月4日(月)の『不思議な一致(「清明」の日)』のブログの上段に、
『(前略)話を 【清き 明き心(清明心)】に戻しますと、この言葉は 二心がないこととして 中世では 【正直】、そして、近世では 【誠】に移って 行ったとされています。(後略)』と記させて頂きました。すなわち、その親戚によりますと、自分は 正直とのことでありました。それで、上記のように、正直は 『清き 明き心(清明心)』 そして 『誠』のことであることを伝えました。
それから、誠に有り難いことに 親孝行と言ってくれましたので、その親戚も含めた 家系が 親孝行であることを伝えました。
しかも、約40年前 すなわち 昭和59年(1984年)の春に、上記の三重県伊勢の親戚の家に 一人で 法事に行きました。 因みに、その帰りに、今回 電話をくれた 親戚と 近鉄線の特急で 名古屋迄 二人で 乗車しました。なお、その親戚も、一人で 法事に参加したのでありますね。序で乍ら、このことを 今年 差し上げた 年賀状に書きました。すると、誠に有り難いことに、その親戚も、そのことを 覚えてくれていた とのことでありました。
そのうえ、その親戚が、『裕司(茂)』という親戚のことを言及しました。それで、父親と 岐阜県立大垣商業高等学校(県内の商業高等学校としては最も古いです)で 同期生であったことを伝えました。
おまけに、その親戚によりますと、義理の兄の大学は 一橋大学だったね とのことでありました。
ならびに、その親戚によりますと、自分の家は 貧乏とのことでありました。
および、姉が出産したときには 手伝いに行った とのことでありました。
しかも、上記のように 本日の午後2時17分に 携帯電話から 当家の固定電話に 掛かってきましたが、通話時間は 約25分間でありました。ところが、午後4時55分頃迄 回線が繋 がっておりました。 因みに、その午後4時55分頃に分かったことであります。なお、通話定額に加入していなければ、相当 多額な電話料金になると思われます。それで、通話定額に 加入してくれていれば いいがと思われました。(後略)」と記させて頂きました。
そのうえ、去る5月8日(水)の「親戚からの突然の電話連絡・続報60・後編」のブログの上段に、
「(前略)去る4月5日(金)の『親戚からの突然の電話連絡・続報59・後編』のブログの上段に、
『(前略)去る3月26日(火)の【親戚からの突然の電話連絡・続報58・後編】のブログの上段に、
【(前略)昨日 すなわち 3月25日(月)の〖親戚からの突然の電話連絡・続報57・後編〗のブログの上段に、
〖(前略)去る3月13日(水)の〔親戚からの突然の電話連絡・続報56・後編〕のブログの中段やや上に、
〔(前略)本日の午後1時4分に 携帯電話から 当方の携帯電話に、姉から 着信がありました。因みに、このときは、偶々 2階に 居ました。すると、同じく 午後1時4分に 携帯電話から 当家の固定電話に 掛かってきました。それで、留守番電話に 録音されていました。なお、去る 3月3日(日)の〘父親の三回忌・母親の七回忌・続報・前編〙のブログ そして 去る 3月3日(日)の〘父親の三回忌・母親の七回忌・続報・後編〙のブログなどに記させて頂きましたように、香奠返しを行ない 本日の午前中に 届くことになっていて そのことは 手紙で 姉に 通知していました。ところが、荷物お問い合わせシステムを見ましたら、御不在で 持戻になっていました。
そこで、留守番電話の内容であります。すなわち、
〘もしもし、○○です。今日 わざわざ お返しの品物 ありがとうございました。それから、このあいだ、手紙 沢山 書いてありましたが、写真 どうも ありがとう。これから 手紙 2枚でいいので。それだけ、それじゃ、ありがとうございました。〙以上であります。(後略)〕と記させて頂きました。
更に、本日の午前9時15分に 携帯電話から 当方の携帯電話に、姉から 着信がありました。因みに、このときは、偶々 台所に 居ました。すると、同じく 午前9時16分に 誠に異例なことに 姉の携帯電話から 当家の固定電話に 掛かってきました。それで、留守番電話に設定されていましたが、出ました。すなわち、姉によりますと、介護保険の要介護(要支援)認定の申請をするといいとのことでありました。 因みに、姉は 仕事をしていませんが、ヘルパー(英語:helper)(日本語:介護福祉士)の資格を持っているのであります。なお、前述致しましたように 両親の介護のときには 当方が同居しているということで 介護福祉士に食事を作ってもらえませんでしたが、当方が 一人なので、介護福祉士に食事を作ってもらえるのであります。但し、両親の介護をして思いましたが、いろいろな介護福祉士が居るのであります。
ところが、通常 介護認定の申請を行うことが出来るのは 65歳からでありますので、未だ でありますね。序で乍ら、65歳以前に 介護認定の申請を行うとすると、医療機関に受診して 診断書が必要になりますね。 因みに、介護保険料は 掛け捨てるつもりであることを伝えました。
それから、 去る 2月9日(水)の〔父親の内科受診の付き添い・続報15・前編〕のブログ そして 去る2月9日(水)の〔父親の内科受診の付き添い・続報15・後編〕のブログなどに記させて頂きましたように、父親の お気に入りの内科に受診する為に 付き添いをしていました。また、 去る 7年前の9月30日(土)の〔親の受診に付き添っていること・51(循環器内科医[女医])・前編〕のブログ、去る 7年前の9月30日(土)の〔親の受診に付き添っていること・51(循環器内科医[女医])・中編〕のブログ そして 去る 7年前の9月30日(土)の〔親の受診に付き添っていること・51(循環器内科医[女医])・後編〕のブログなどに記させて頂きましたように、母親の お気に入りの循環器内科に受診する為に 付き添いをしていました。すなわち、共に 両親の お気に入りの内科に受診する為に 付き添いをしていました。 因みに、去る3月16日(土)の〔薬についての考察(己れの欲せざる所、人に施すこと勿かれ)〕のブログの中段やや下に、
〔(前略)上記の循環器内科医(女医)のように、免疫異常がある 母親に インフルエンザの予防接種を強行するのは 金儲けと言われても 仕方がありませんね。 因みに、上記のように、庸医(藪医者のこと)は 薬を処方する為に 薬の効果を 喋々します。なお、薬の副作用のことは 勉強していても、薬を処方していると 麻痺してきます。そして、その薬を処方したことを 正当化するようになります。(後略)〕と記させて頂きました。
しかして、去る 昨年の10月20日(金)の〔菜食のおかず・579(買い物)・前編〕のブログの中段やや上に、
〔(前略)去る10月10日(火)の〘武漢ウイルスのワクチンについて(拡散希望)・続報31・前編〙のブログ そして 去る10月10日(火)の〘武漢ウイルスのワクチンについて(拡散希望)・続報33・後編〙のブログなどを記させて頂きました。因みに、その女性店員が、武漢ウイルスのことを言及しました。それで、家族のように思っているから 言及すると 前置きをして、以下のことを話しました。すなわち、世界では、武漢ウイルスは 終わっていることを伝えました。つまり、騒いでいるのは 日本位であることを話しました。要するに、国際金融資本家たち(左翼系ユダヤ人 そして その影響を受けた資本家たち・共産主義者)に支配されている 主流メディア(英語:mainstream media)が 煽って 流していることを伝えました。なお、そもそも 新聞やテレビは 製薬会社が お得意様であり、逆らえないことを話しました。取りも直さず、裏があることを伝えました。
すると、その女性店員によりますと、医者から ワクチンが足りないと言われているとのことでありました。やはり 受診していたのでありますね。そこで、開業医でしょう と言いましたら、案の定 そうでありました。それで、以前 税理士事務に話して 誠に有り難いことに 頷いて 納得して 同意してくれましたが、小児科は 予防接種(ワクチン)が 大きな収入源なのであります。要するに、開業医は 経営する為に 収入源が必要でありますから、ワクチンを肯定するのであります。それで、ロバート・F・ケネディJr.氏が、97%以上の医者は お金で ワクチンを肯定しているとのことでありました。そして、アフリカでは、ワクチンを廃棄していることを伝えました。序で乍ら、当の米国でも、武漢ウイルスは 終わっていることを話しました。因みに、会計が済んで 話が 尻切れ とんぼに なりそうでありましたので、上記のように 武漢ウイルスのワクチンに関する ブログを 3年 書いていることを話しました。(後略)〕と記させて頂きました。すなわち、予防接種(ワクチン)は、保険が適用されないのであります。因みに、開業医にとりまして 経営する為に 収入源が必要でありますが、小児科にとりましては 特に 予防接種(ワクチン)が 大きな収入源なのであります。なお、誠に遺憾なことに、武漢ウイルスのワクチンのことに関しましては、日本政府が 行なっているのであります。序で乍ら、その武漢ウイルスのワクチンのことに関しましては、〔欲しがりません。勝つ迄 は!〕と伝えました。
のみならず、去る 3月3日(日)の〔父親の三回忌・母親の七回忌・続報・後編〕のブログの中段やや上に、
〔(前略)医者に受診しても どのような治療をされるか判るので、受診しないと話しました。すると、姉によりますと、誠に有り難いことに、安上がりね とのことでありました。因みに、これ迄に 医学には 母親の宗教と同様に 膨大な投資をしてきております。なお、保険診療であれば、姉が言う程 価格的には 高くなることはないかと思いました。(後略)〕と記させて頂きました。なお、去る 昨年の6月14日(水)の〔自分の身體〕のブログに、不整脈のことを記させて頂きました。 因みに、必要に迫られて、動悸がしたという祖母は 「救心」を服用していましたし、父親も 最期は 心臓のことでありましたし、母親も 心臓ペースメーカーが導入されていましたので、心臓は 家族歴であることを話しました。序で乍ら、上記のように、医者に受診すると どのような治療をされるのか 判るので、受診するつもりはない と話しました。しかも、両親のときは 事前の本人たちからの希望で 救急車を呼んだが、自分のときには、救急車は 呼ばないと伝えました。
加うるに、去る 3月3日(日)の〔父親の三回忌・母親の七回忌・続報・後編〕のブログの中段やや上に、
〔(前略)姉によりますと、受診していた 整形外科の待ち時間が 3時間も掛かるので、花小金井の整形外科に転院したとの旨でありました。(後略)〕と記させて頂きました。それで、上記の 去る3月8日(金)に着くように送った手紙で、花小金井の整形外科の院長の経歴を調べたことを伝えました。すなわち、〔親戚が血液内科の教授をしている愛知医科大学卒業であり、母校の3ヶ所の大学附属Hp.(hospital[ホスピタル]の略です。日本語では、病院のことです。以下、Hp.と示させて頂きます)高度救命救急センターに所属していました。因みに、救命救急医学では 日医は 草分け的存在であり、東の日医 そして 西の阪大と 救命救急医学では言われております。なお、日医の救命救急センターは 母校の看板ではありますが、整形外科医で 救命救急センター出身でありますと、少し 荒っぽくなるかもしれませんね。但し、相性がいいとお思いになられておられるのでありましたら、いいのかもしれません。〕と伝えました。すると、姉によりますと、話し易いとのことでありました。それで、愛知医科大学出身でありますと、親は 相当な金持ちであることを伝えました。
ならびに、去る 昨年の8月25日(金)の〔土地境界線について・続報6・後編〕のブログの中段やや下に、
〔(前略)インターネットで調べて 土地家屋調査士への報酬は ¥50万円位で いいのかどうかを訊きました。すると、その土地家屋調査士によりますと、¥50万円から ¥60万円とのことでありましたが、そのときの相場があるようでありました。 因みに、その土地家屋調査士によりますと、便乗して 土地境界線確認を行なおうとする 利用者は 価格を聞いて ビックリするとのことでありました。なお、お金の掛かることなので タイミングが合わないととのことでありました。無暗に測量しても お金だけ 取られてとのことでありました。売却しようとか 兄弟間で分けようとか 何か目的がないと 経費でも落ちないとのことでありました。(後略)〕と記させて頂きました。
および、姉によりますと、物件を売却したらどうかとのことでありました。それで、税金以外に 上記のように、土地家屋調査士に ¥50万円から ¥60万円以上の報酬を払わなければならないことを伝えました。すると、姉によりますと、そのだ不動産に相談したら どうかとのことでありました。それで、不動産屋に相談するのは 売却するときであると伝えました。
すると、姉によりますと、物件を賃貸したらどうかとのことでありました。それで、賃貸は 行なったことがないことを伝えました。しかも、居住権があり 一旦 貸すと 相手のものになってしまう ということを 父親が話していたことを伝えました。すると、誠に有り難いことに、姉が、例外を話してくれました。但し、このようなことは、電話で話すべきことではなく、直接 話すべきことであることを伝えました。
また、 去る2月20日(火)の〔迷惑な訪問・続報6〕のブログに記させて頂きましたように、飛び込みのブラック企業である 不動産関係者が多いと話しました。すると、誠に有り難いことに、姉も同意してくれました。
しかも、姉によりますと、姪(姉の長女)の檀那は 福岡と東京都目黒を往復しているとのことでありました。 因みに、東京都目黒の住居は、賃貸で 引き払った訳ではなく まだ 檀那が使用している とのことでありました。なお、姪が住むのは 理想的であることを話しました。
そのうえ、青梅街道のファーマーズ・マーケットである〔ムーちゃん広場〕は利用していないとのことでありました。 因みに、昨日 すなわち 3月24日(日)の〔お墓参り・16(前編)〕のブログ そして 昨日 すなわち 3月24日(日)の〔お墓参り・16(後編)〕のブログに、お墓参りをしたことを記させて頂きました。そして、その帰りに、そのファーマーズ・マーケットを下見したことを話しました。なお、野菜は スーパー マーケットよりも 安いことを伝えました。すると、姉によりますと 〔(扱っているのは、)野菜だけでしょ。〕とのことでありましたが、肉を置いてあったことを伝えました。但し、5% 割引になる為には、J.A.のカードを作らなければならないと話しました。なお、仮に 姉が利用しているようであったら どうであるか伝えてもらおうと思って 言及したことを話しました。序で乍ら、信仰的な意味も含めまして、食べることは 大事でありますからね。すると、姉によりますと、自分が利用しているのは いなげや と 生協とのことでありました。 因みに、姉によりますと、遠くても 運動がてら 利用したらいいとのことでありました。
更に、去る 一昨年の7月23日(土)の〔親戚からの突然の電話連絡・続報41・後編〕のブログの下段に、
〔(前略)当家でも 親が購入した〘医者に殺されない 47の心得〙の著者である 近藤誠医師によりますと、〘厚労省や専門家たちは、副作用を副反応と呼ぶように努力していると聞きます。〙とのことでありました。すなわち、印象操作でありますね。 因みに、上記の 姉の言葉の中に 〘副反応〙がありましたので、言及させて頂きました。(後略)〕と記させて頂きました。
そうして、去る 9年前の9月3日(木)の〔プラシーボ効果〕のブログの上段に、
〔(前略)プラシーボ効果(英語:placebo effect)も期待出来ると思って、購入しています。御承知のように、プラシーボ(プラセボ)(英語:placebo)は、羅語で、“I shall please”(私は喜ばせるでしょう。)を意味し、患者さん、または、被験者を満足させるか、実験でコントロール(英語:control・仏語:contrôle)(対照)として使用される薬理学的活性を有しない物質であります。プラシーボ使用時に見られる効果を、プラシーボ効果と云います。種々の症状に対して、平均30%の有効率が認められ、有害反応が出現することもあるとされます。この望まない有害作用が現われることを、ノーシーボ(ノセボ)効果(英語:nocebo effect)と云います。観察される プラシーボ効果は、症状の自然変動の上に心理的効果などの諸々の影響が 加わった効果であり、単なる心理的効果だけではないとされています。プラシーボの日本語訳としての〘偽薬〙は誤訳であり(偽は〘いつわる〙の意味)、中国語訳の〘安慰薬〙が語源により忠実であると言われています。(後略)〕と 記させて頂きました。なお、誠に有り難いことに、姉によりますと、この4年間は いいとのことでありました。 因みに、前述致しましたように、姉には 1回目の武漢ウイルスのワクチンの接種以前から 10数回以上に亘り 注意を喚起致しております。しかし乍ら、数回以上 武漢ウイルスのワクチンを接種致しております。序で乍ら、上記の プラシーボ効果であると思われます。但し、これ迄 も 記させて頂きましたように、既に 姉の膝には、武漢ウイルスのワクチンの副作用(上記の如く、〔副反応〕ではなく 敢えて 〔副反応〕と記させて頂きました)が認められます。なお、誠に遺憾なことに、武漢ウイルスのワクチンの本格的な後遺症が現われるのは これからであります。
しかして、去る3月21日(木)の〔家政婦さんの入院・続報113・後編〕のブログの上段に、
〔(前略)前述致しましたように、その家政婦さんは、武漢ウイルスのワクチンを打っておりません。それで、武漢ウイルスのワクチンの件は 問題ないのであるけれども、上記の インシュリン治療 そして 降圧剤投与のことを心配していることを伝えました。
それから、その家政婦さんによりますと、インシュリン治療が 面倒になったとのことでありました。それで、治療を止めるのは どうか とのことでありました。なお、3週間位の短期間ではなく、約2年も インシュリン治療が行われております。そこで、前述致しましたように 膵臓が インシュリンを産生する能力を怠けていますので、いきなり 止めると 膵臓が インシュリンを産生せずに 高血糖になってしまうと警告しました。すなわち、やはり 膵臓に感謝し乍ら 根気よく 減薬する以外にはない と話しました。但し、インシュリン治療が 面倒になった という切っ掛けは大事にした方がいいと伝えました。さもないと、このまま 惰性で進んでしまう と話しました。因みに、前述致しましたように 内科医は 減薬迄は とても 言及してくれないと話しました。それで、自分で これ迄のように 血糖値を測定し乍ら、減薬するしかないだろうと伝えました。なお、前述致しましたように、その家政婦さんには、一番の名医は 医者ではなく あなた自身であることを伝えました。つまり、自分にとっての一番の名医は その自分そのものであることを話しました。序で乍ら、上記のように、インシュリン治療のような 杖に頼り過ぎると、既に 備わっている〘自然治癒力〙の発現を妨げることになると伝えました。しかも、その〘自然治癒力〙が発動するのを 邪魔することもあると話しました。要するに、折角 〘自然治癒力〙が発動してきたのに、余計な治療をすることによって 妨げられてしまうということであります。取りも直さず、本来 治療というものは 行なうのであれば、〘自然治癒力〙を手助けするのが好ましいと伝えました。なお、余計な 人為的なことをしてしまうことは避けなければなりません。(後略)〕と記させて頂きました。すなわち、その家政婦さんは、インシュリン依存になっております。
のみならず、前述の 昨日 すなわち 3月24日(日)の〔お墓参り・16(後編)〕のブログの下段に、
〔(前略)往路で 回り道をして、姉の家に 置き手紙を届けました。因みに、2階に 洗濯物が干されていて、自家用車がありませんでした。なお、外出しているように思われました。(後略)〕と記させて頂きました。因みに、洗濯物が干されていたので 外出が 正解であるかどうかは 半々でありましたが、案の定、外出していました。それで、手紙のみ 置いてきたことを伝えました。なお、上記のように 3月13日(水)に 留守番電話に 録音されていたこともあり、置き手紙を届けたことを伝えました。
加うるに、最後は 姉によりますと 用事があって 行くところがあるからとのことで、電話を切りました。因みに、18分になりました。なお、その後 直ぐに このブログに着手致しましたが、約12時間も掛かり、午後9時になりました。なお、本日は 鎮守神社に参拝する予定でありましたが、延期することになりました。
序で乍ら、以前 誠に失禮な歯科医が 居まして、姉の口の中は ごみ箱とのことでありました。(後略)〗と記させて頂きました。
ならびに、上記のように 時間が 掛かりましたので、結局 寝たのは 午前4時頃でありました。それで、本日 午前8時28分の 昨日と同じ 姉からの電話で 目覚めました。因みに、電話が 掛かってくる予感がしましたので、昨日から 本日に限り 枕元に 携帯電話を置いていました。すなわち、姉によりますと、昨日 ○○ちゃん(叔母[四女]のこと)から 電話で、昨日 ○○さん(叔母[三女]のこと)が亡くなったとのことでありました。それで、まず 【誠に御愁傷様でございます。】と答えました。因みに、昨年の七月二十八日(金)に お見舞いを お送りさせて頂きましたときに、叔母(四女)からの返信で 〖(前略)姉(叔母[三女]のこと)も 90歳になります。いつ どうなるか 分かりません。万が一の時には、お香典等のご心配は しないで下さい。私達 少人数で 見送りたいと思っております。姉も それを望んでいますので・・・。(後略)〗と伺ったことを前述致しました。
なお、姉によりますと、それで 葬式は 私も行かないで 一応 お香奠を送ると言ったら いいと言われたので 私も送らないで 私は ○○ちゃん(叔母[四女]のこと)と LINEで 遣り取りしているから LINEで まあ ちょっと ね あのー まあ で だから ○○君(当方のこと)は あの まあ お手紙 2枚位でいいから あまり 長いとね 長いとね ちょっとね 読むのも たいへんだから とのことでありました。それで、一昨日 すなわち 3月24日(日)に 〖(前略)姉の家に 置き手紙を届けました(後略)〗と前述致しましたが、このときは 手紙 2枚でありましたので、そのとき(今回)のようにね と伝えました。すると、そうそう そうそうそう あの位の 2枚位で 丁度いいから 手紙だけ送ってあげてとのことでありました。すなわち、手紙のみ送るようにということでありますね。因みに、去る 昨年の7月29日(土)の〖菜食のおかず・493(味噌汁)・花火〗のブログの中段やや上に、
〖(前略)去る 昨年の3月13日(日)の〔肉親の来訪・12・後編〕のブログの中段やや下に、
〔(前略)姉の結婚前に、千葉県の鴨川 や 伊豆の熱川に 家族旅行した話になりました。(後略)〕と記させて頂きました。 因みに、約52年前 すなわち 昭和46年(1971年)の夏に、上記のように 伊豆の熱川に行きました。なお、街中から 温泉が出ていて、夏に訪れるのは 暑過ぎる所であると思われました。しかも、海岸で泳げないので、海水プールに行きました。但し、当方は 小学5年生であり その海水プールは 足の届かない深さでありましたので、浮き輪を使いました。序で乍ら、祖母(母親の母親)、母親、叔母(三女) そして 姉が 一緒でありました。 因みに、当時、テレビ ドラマである 細腕繁盛記が試聴されていました。それで、母親は テレビ ドラマで見た所に 行く傾向がありますので、このときも 同様でありました。なお、二泊三日でありましたが、途中の夜に 伊東で花火大会がありました。それで、祖母(母親の母親)、母親 そして 姉と共に、熱川から 電車に乗って 伊東に行きました。序で乍ら、この電車の中で、〔私は貝になりたい〕 そして 〔ママは 殺されたの〕という漫画を見ました。
それから、去る7月22日(土)の〔親戚からの突然の電話連絡・続報52・後編〕のブログの中段やや下に、
〔(前略)姉によりますと、(叔母[三女]は、)一人で よく 頑張ってきたとのことでありました。それで、本当に よく 頑張ってこられたと答えました。(後略)〕と記させて頂きました。 因みに、叔母(三女)は 上記の伊東の花火大会に行かずに、宿泊場所で 留守番をしているとのことでありました。それで、電動マッサージ機に座っていました。なお、叔母(三女)は 未亡人になってからは 一人のことが多かったですが、元々 一人の方を好む人であったのかもしれませんね。恐らく、ずっと 集団生活でありますと、疲れてしまうのでありましょうね。それで、一人で 休憩したかったのかもしれません。序で乍ら、祖母(母親の母親)、母親 そして 姉と一緒に 伊東の花火大会に行きましたが、事故がありました。すなわち、ビルの屋上で 花火を見たのでありますが、老人が そのビルの階段から 落ちたとのことでありました。それで、搬送されていました。
なお、この伊豆の熱川に来るときに、途中 すなわち 伊東から 私鉄の伊豆急行に乗りました。ところが、この伊豆急行の車内が 渋滞で しかも 極めて 暑いのであります。それで、隣の車両は 冷房が効いていて 涼しいのであります。そこで、隣の車両に移動しましたら、後から気が付いたのでありますが、グリーン車だったのであります。それで、車掌が来て 倍以上の料金を支払わされました。しかも、グリーン車であっても、座れずに 立っていなければなりませんでした。序で乍ら、以上は、花火に関連した 話であります。(後略)〗と記させて頂きました。それで、上記のように 千葉県の鴨川 や 伊豆の熱川に、叔母(三女) や 姉たちと 一緒に 旅行したことを言及しました。 因みに、鴨川も 熱川も、共に 〖○川〗でありますね。なお、鴨川のときには、往きに 各駅停車の電車でありましたので、所要時間が 3時間以上も掛かりました。序で乍ら、錦糸町駅で 特急列車が停車したので、後から考えますと その特急列車に乗れば よかったですね。それで、車内で 特急料金を支払えばよかったです。ところが、当時は国鉄でありましたが、誠に遺憾なことに、その特急列車の乗車口で 駅員に制止させられました。
しかも、到着してからのことであります。すなわち、小学校6年生の当方にとりまして、栄螺などの海鮮料理は 食べられませんでした。それで、代わりに、叔母(三女)に食べてもらいました。そして、当方には、追加料金で 値段の高い 目玉焼きを作ってもらいました。なお、復路で 新宿駅で 叔母(三女)と別れるときに、誠に有り難いことに、叔母(三女)が 当方の胸ポケットに ¥5千円を入れてくれました。但し、その後、何度かの 叔母(三女)への お見舞いで それ以上を返しております。
すると、姉によりますと、そうそうそう 行ったしね、行ったね、だから、○○さん(叔母[三女]のこと)ね 優しかったからね 淋しくなっちゃう、淋しくなっちゃうとのことでありました。そして、続けて でも まあ ねえ あの 一人だし あの 早く ね あの 早く もう あの世に逝きたいと言っていたから、とのことでありました。 因みに、前述致しましたように、母親も 晩年 こんな身體になってしまったから 早く あの世に逝きたいと話していました。それから、続けて 姉によりますと、そうそうそう だから、お父さん や お母さん や 家のパフ(犬のこと)のことを可愛がってくれたから、犬とか 猫が好きだからさ とのことでありました。なお、父親も 犬が好きでありましたので、可愛がっていました。序で乍ら、叔母(三女)は 猫を飼っていました。それで、続けて 姉によりますと、猫を飼っていたからね、だからね、まあ 天国で とのことでありました。そこで、〖天国でね。〗と答えました。因みに、以前 姉によりますと、90歳(卒寿ですね)とのことでありましたので、〖卒業だ!卒寿だから、(人生、)卒業ということだね。人生ね。〗との話になりました。それで、続けて 姉によりますと、でも こないだね 1ヶ月前に会ったときには 凄い 綺麗だった 凄い 綺麗だった やっぱり もうね とのことでありました。そこで、以下に記させて頂きますように、元々 上野の精養軒に 千人単位の応募者の中から入った人だから、父親によりますと、目白のときに 人が振り返る位の人だったからと答えました。すると、姉によりますと、そうそうそう うん それは 若いときだけど でも 90歳になってもね 凄い 綺麗だったとのことでありました。それで、父親も 顔が 凄く 綺麗だった、白くてね 姉さんが 褒めてくれたけどね、ありがとう、と答えました。すると、姉によりますと、うん だからね まあ 漸くね ほら あっちこっち 痛いって言ってたんだけど、あたしが 行ったときには やっぱり 寝返り打てなくて 腰が 痛いとかね とのことでありました。そこで、年を取ると 皆 痛いって言うよねと答えました。すると、姉によりますと、痛いってね やっぱり そういう 痛みから解放されてね よかったんじゃないかなっ と思って だから まあね 淋しくなっちゃうとのことでありました。それで、連絡をくれて ありがとう と答えました。すると、姉によりますと、そんなんで あのまあ あの お香奠は 私も送らないからとのことでありました。そこで、ありがとう と答えました。すると、姉によりますと、そんなんで あの連絡だけね ○○ちゃん(叔母[四女]のこと)から 昨日ね 電話で あの ○○君(当方のこと)にも 連絡して下さいと言われたんでとのことでありました。それで、そうでしたか どうも ありがとう と答えました。すると、姉によりますと、身體 気を付けてね、はい、とのことでありました。そこで、どうも ありがとう と答えました。因みに、約4分になりました。なお、その後 直ぐに このブログに着手致しましたが、約15時間以上も掛かり、午後11時半過ぎになりました。序で乍ら、こちらに 一方的に 労力の掛かる 手紙は 短くするように言うのに、事後処理がたいへんな 姉からの電話は 長いのであります。
および、去る3月21日(木)の〖家政婦さんの入院・続報113・後編〗のブログの下段に、
〖(前略)兄弟姉妹の中で 一番 いい子が その家系の業を背負うことを話しました。因みに、母親の兄弟姉妹では 叔母(三女)であります。なお、叔母(三女)は、当時 上野の精養軒に 千人単位の応募者の中から 数名に選ばれたと聞かされております。すなわち、父親によりますと、人が振り返る位 綺麗であったのであります。また、姉夫婦の子供たちの中では 姪(長女)であります。(後略)〗と記させて頂きました。すなわち、兄弟姉妹で 一番 いい方であらせられました。すると、姉によりますと、そうそうそうとのことでありました。因みに、上記のように 数日前 すなわち 去る3月21日(木)に、家政婦さんに 叔母(三女)の話をしているのであります。なお、虫の知らせであったのかもしれませんね。命日は、昨日 すなわち 三月二十五日と伺いまして、父親の祥月命日が 三月十一日、そして、母親のそれが 三月五日でありますので、奇しくも 両親と同じ 三月でありますね。心より 御冥福を お祈り申し上げます。
序で乍ら、姉に言われたように、叔母(四女)に 速達の特定記録で 手紙を送りました。 因みに、この作業が 朝迄 掛かり 更に お昼になりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 翌々日の 夕方になりました。(後略)】と記させて頂きました。
また、昨日 すなわち 4月4日(木)の【家政婦さんの入院・続報115・後編】のブログの中段やや上に、
【(前略)その家政婦さんによりますと、その叔母(三女)さんの埋葬は どうなったのか とのことでありました。それで、その手紙を発送して 一週間以上になるが、叔母(四女)さんからは 何も言って来ないことを伝えました。つまり、当家と同じ霊園に埋葬されるのでありますが、姉からも 何も言って来なくて 知らされないことを話しました。要するに、上記のように 一週間以上が経過していますので、既に 埋葬は済んでしまっているだろう(後日、去る3月30日[土]に行なわれたことが判りました)と答えました。(後略)】と記させて頂きました。前述致しましたように、叔母(四女)に 速達の特定記録で 手紙を送りました。すると、本日 すなわち 一週間以上が経過して、叔母(四女)から 葉書が届きました。すなわち、
【お手紙、ありがとうございます。
この度、○○○ ○○(様)、三月二十五日(九十歳七ヶ月)に永眠致しました。生前中は 大変 お世話になりまして 有りがとうございます。
大山医療センター(診療を依頼されて 近くに行きましたときに、大山医療センターは 拝見致しました。 因みに、敷地が広く 大きな建物でありますね)より 退院して、老人ホームに 三年九ヶ月で(よく分からない 助詞であります) 過ごしまして 去年、大腿骨の骨折手術で 大変な事もありましたが、最後(最期でありますね)は おだやかに 老衰で亡くなりました。尚、印鑑証明を頂くかもしれません。宜しくお願い致します。三月三十日 無事 葬儀を済ませ、報告させて頂きます。(用いられている漢字 そして 送り仮名も含めて、原文通り)】とのことでありました。
なお、叔母(四女)に 速達の特定記録で 返信の手紙を送りました。 因みに、この作業を行わなければならないので、買い物に出掛けようとした処でありましたが、急遽 取り止めました。そして、その作業が 朝迄 掛かり 更に お昼になりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 翌日の 夕方になりました。(後略)』と記させて頂きました。
しかも、本日の午前9時23分に 携帯電話から 当方の携帯電話に、姉から 唐突に 着信がありました。 因みに、昨日 すなわち 5月7日(火)の『遺言書』のブログの下段に、
『(前略)それ以来 1ヶ月以上、叔母(四女)さんからは 何も言って来ませんでした。 因みに、来る 5月13日頃には 納骨(七七日・満中陰法要)がある筈であります。そこで、本日 唐突に、霞が関の東京家庭裁判所から 封筒が届きました。なお、遺言書の検認とのことでありました。序で乍ら、誠に有り難いことに、両親は、公証役場で 遺言書を作成しておりました。しかし乍ら、亡くなった 叔母(三女)さんは、上記のように 公証役場で 遺言書を作成していなかったのでありますね。
ときに、東京家庭裁判所は、厚生労働省の隣にあります。 因みに、去る 一昨々年の3月23日(火)の【養子斡旋(母体保護法[旧・優生保護法])】のブログに、厚生労働省を訪れたことを記させて頂きました。なお、それから 33年が 経過しようとしていますが、それ以来でありますね。(後略)』と記させて頂きました。すなわち この件のことでしょうと話しましたら、案の定、姉によりますと そうだとのことでありました。つまり、前述致しましたように、公証役場で 遺言書を作成していなかったのでありましょうね と話しました。因みに、上記のように 1ヶ月以上前に 叔母(四女)さんに 出席する用意があると伝えていた 納骨(七七日・満中陰法要)の件につきましては、悪いけど誘わなかったとのことでありました。なお、御承知のように、当方が菜食であり 店に入らないからとのことでありました。序で乍ら、店に入らないで帰る人も 居ますし、店に入るか入らないかは 関係ないように思われるのでありますがね。それで、事後報告で 叔母(四女)さん、その檀那さん、その長女の紀代子ちゃん そして 勢川治枝の叔母さんが、出席した とのことでありました。そして、姉によりますと、男性の従兄弟は 遠いので 来なかったとのことでありました。因みに、亡くなった 叔母(三女)さんの名前は 彫っていないとのことでありました。なお、彫りたい人は 彫るけど、叔母(四女)さんは 別に いいんじゃないかと言っていた とのことでありました。序で乍ら、氏名は 彫った方がいいのでありますがね。(後から 調べましたら、納骨時に ¥8千円を支払えば、氏名を 彫ることが出来たのであります)因みに、亡くなった 叔母(三女)さんは 二 つ ある内の どちらの共同墓地に埋葬されているのかどうかを訊きましたら、新しい方とのことでありました。なお、『姉さんも、御息災のようで よかった。』と伝えました。序で乍ら、姉によりますと、叔母(四女)さんに電話したら財産の相続のことで 住民票が必要と言われたとのことでありました。それで、当方は、上記のように 印鑑証明が必要と言われたことを伝えました。因みに、姉によりますと、叔母(三女)さんの檀那は、ダンス・ホールで知り合った 徳原という韓国人とのことでありました。それで、姉によりますと、叔母(四女)さんが 向こうの方に連絡したりとかあるみたいだから(本来、『~たり』は繰り返して使いますが、姉の言葉の通りであります)とのことでありました。なお、大山駅前で 焼き鳥屋を開いている その檀那の子供が居ることを話しました。すると、姉によりますと、その子供は、前の奥さんの子供だから 関係ないらしいとのことでありました。ところが、姉によりますと、その檀那には 隠し子が居るらしいので、手間取っているとのことでありました。序で乍ら、今は亡き 母親によりますと、ヤクザであった 遊び人とのことでありました。因みに、叔母(三女)さんの遺産は 全部 叔母(四女)さんの方に行くのでありましょうと話しましたら、誠に有り難いことに、姉によりますと、その通りとのことでありました。なお、姉によりますと、自分たちは 何もしていないけれど とのことでありました。序で乍ら、母親の田舎の栃木の家の人が 亡くなったときに、母親は 遺産の相続はいいと言ったのであるけれども、叔母(三女)さんは 貰おうと頑張ったことを 母親から聞かされていました。それで、母親は、牛久大仏で 母方の永代供養の仏像を 100万円のそれがなかったので、30万円のそれを購入したことを伝えました。因みに、姉によりますと、どうせ そういう お金って 使っちゃうから、前述致しました 母親みたいに とのことでありました。なお、その お金を稼いだ人の苦労を思えば そうそうは 使えないと思われました。
そして、その叔母(三女)さんの遺産には 関わらなくていいと思っていたことを話しましたら、姉によりますと、私たちは 貰う資格がないとのことでありました。序で乍ら、戦後の民法の問題であるかと思われました。因みに、姉によりますと、上記のように 東京家庭裁判所から便りが来たときに、裁判員制度で出なければならないのかと思ったとのことでありました。そちらの方が心配だったとのことでありました。なお、姉によりますと、裁判所とは 縁がないから とのことでありました。姉によりますと、ドキッとしちゃうとのことでありました。序で乍ら、東京家庭裁判所は霞が関にあるのでありますが、姉によりますと、自分の檀那が 月曜日と火曜日に 仕事で 行っている 職場が 虎ノ門とのことでありました。なお、その虎ノ門に因ませて頂きます。すなわち、去る 4年前の8月22日(土)の『鰻の蒲焼・709(煮物・カレーうどん・父親の食事)』のブログの中段やや上に、
『(前略)去る 5年前の10月23日(金)の【レクイエム】のブログ の上段 そして 去る 5年前の10月5日(月)の【硫黄島】のブログの下段などに、母校の某・都立高校のことを言及させて頂きました。因みに、小学校 そして 中学校が 一緒であり 共に この某・都立高校を受験しましたが、彼は 合格することが 適わず 中央大学附属高等学校に入学した生徒が 居ます。この某・都立高校受験日の帰りに 共に 二人で 映画【大地震】を見た仲であります。未だに、暑中見舞い そして 年賀状の交換をしています。
但し、彼は その後 中央大学法学部に進学して、現在 虎ノ門の弁護士事務所に所属する弁護士です。序で乍ら、小学校6年生のとき、学級で 教師の提案で 模擬裁判を行うことになり、彼と共に 弁護士役になったことがあります。なお、彼の父親は、当時 中央大学法学部・教授でした。(後略)』と記させて頂きました 民事 弁護士(彼の妹が、当方と 上記の某・都立高校が同窓であり、慶応大学医学部出身)が、虎ノ門の弁護士事務所に所属する弁護士であることを伝えました。すると、姉によりますと、自分も同級生で 清水君という弁護士が 居るとのことでありました。そこで、それでしたら 同級生の弁護士のことは 聞かないことにして下さいと伝えました。そして、年賀状の交換はしているが、弁護士には 縁がないことを伝えました。すると、姉によりますと、縁がない方がいいとのことでありました。それで、前述致しました 宮沢賢治の『雨ニモマケズ』の一節に、『ソショウガアレバツマラナイカラヤメロトイヒ』とあることを伝えました。すなわち、『訴訟があれば 止めろといい』ということでありますね。因みに、姉によりますと、神谷町には この間 行ったとのことでありました。縁がなかったけれど、ちょっと遊びに行くには とのことでありました。但し、日比谷線だから 遠いねと話しましたら、誠に有り難いことに、姉によりますと、なかなか 行きにくいとのことでありました。但し、姉によりますと、家の檀那は 上記のように 月曜日と火曜日に行っている とのことでありました。それで、『本当に 御苦労様です。たいへんですね。』と答えました。すると、姉によりますと、『しっかり お給料を貰ってきてくれる。』とのことでありました。なお、姉によりますと、手紙は短いので 2枚位で お願いしますとのことでありました。序で乍ら、老眼で 目がしょぼしょぼしてしまうとのことでありました。因みに、誠に有り難いことに、郵送で 全て 出来るとのことでありました。また、連絡が来ると思うとのことでありました。なお、税務調査の話になりました。但し、税務署 と 東京家庭裁判所とは 関係ないと話しました。序で乍ら、『身體に気を付けて。』という話になりました。因みに、通話時間は 約15分間でありました。(後略)」と記させて頂きました。
ならびに、去る5月18日(土)の「親戚からの突然の電話連絡・続報62・中編・5」のブログの下段に、
「(前略)去る 5月10日(金)の「親戚からの突然の電話連絡・続報61・後編」のブログの下段に、
『(前略)本日 すなわち 5月10日(金)の『神社参拝・続報17』のブログの下段に、
【(前略)上記のように、その神社の近くに 姉の家があります。すなわち、姉は、この神社の鳥居内に住んでいるのであります。 因 みに、一昨日 すなわち 5月8日(水)の〖親戚からの突然の電話連絡・続報60・後編〗のブログの下段に、
〖(前略)(姉からの)通話時間は 約15分間でありました。(後略)〗と記させて頂きました。それで、この電話に対する 置き手紙を その神社の参拝後 直接 姉の家の郵便受けに届けました。(後略)】と記させて頂きました。
および、本日 すなわち 5月10日(金)の【お墓参り・17(後編)】のブログの下段に、
【(前略)この電話に対する 置き手紙を 往路で 回り道をして 直接 姉の家の郵便受けに届けました。(後略)】と記させて頂きました。すなわち、前述致しました 姉からの突然の電話連絡に対する 置き手紙を 直接 姉の家の郵便受けに届けました。
また、姉と同居している 義理の兄は、長年 ゴルフをしていて、シングルに近いとのことであります。 因みに、以前 義理の兄は、最初に コーチに つかなかったことを悔やんでいました。(後略)』と記させて頂きました。
更に、本日の午前10時20分に 携帯電話から 当方の携帯電話に、姉から 着信がありました。因みに、上記の 一昨日の 東京家庭裁判所の件であると思われました。なお、姉によりますと 今 大丈夫かな とのことでありましたので、第一優先であることを伝えました。序で乍ら、案の定 姉によりますと 昨日 ○○ちゃん(叔母[四女]のこと)から メールで、あの 叔母(三女)さんの遺言のことは 全て ○○ちゃん(叔母[四女]のこと)に あの 一任しますということで、○○ちゃん(叔母[四女]のこと)が 遺産は 全て 貰うとのことでありました。それで、当初から 相続放棄しようと思っていたことを伝えました。因みに、公証役場で 遺言書を作成していなかったので、東京家庭裁判所が関わってきたのであります。なお、上記の檀那の韓国人の隠し子の件でありますが、姉によりますと それは 取り消しておいて 間違いとのことでありました。序で乍ら、前述致しました 大山駅前で 焼き鳥屋を開いている その檀那の子供は、前妻の子供であり divorce(英語)(ネガティブ[英語:negative]で 御座いますし、お読み下さっている 方々に影響を お与えすることの無いように、日本語で 綴ることを控えさせて頂きましたが、以前 それではわからない と指摘を頂きましたので、日本語も併記させて頂きます。小さく記させて頂きます。離婚のことで御座います。以下、英語で divorceと示させて頂きます)しているので関係がないとの話になりました。
しかも、印鑑証明は取らなくていいです とのことでありました。すなわち、東京家庭裁判所で 遺言書が認められれば、遺産分割協議書は必要なくなるので、印鑑証明も必要なくなるのであります。因みに、遺言書がなければ、遺産分割協議書が必要になってくるのであります。なお、姉によりますと、 全て ○○ちゃん(叔母[四女]のこと)に お任せとのことでありました。そして、隠し子が 居たら、叔母(三女)さんは 裏切られたことになったとの話になりました。
そのうえ、去る5月16日(木)『家政婦さんの入院・続報121・後編』のブログの中段やや上に、
『(前略)今は亡き父親の墓誌を 彫るときには、¥55,000円も 掛かりました。なお、筆による お位牌の筆耕料ですら ¥6,600円が 掛かりました。従って、納骨時に ¥8千円を支払えば 氏名を 彫ることが出来たのでありましたら、彫った方がよかったとの話になりました。(後略)』と記させて頂きました。すなわち、上記のように、当方には 連絡が来ていませんので 、その納骨(七七日・満中陰法要)の場に 居ませんでした。だから、その納骨時に 叔母(三女)さんの名前を 彫らなかったことに関しましては、どうすることも 出来なかった のであります。但し、東京都の管理でありますし、後から 手続きをするのは たいへんであると思われました。しかも、叔母(四女)さんに伝えましたら、心外と思われるから、言えないと話しました。因みに、姉によりますと、お任せで 形式的であるから、どっちでもいいとのことでありました。なお、姉によりますと、自分からも 言えないとのことでありました。序で乍ら、姉によりますと、○○ちゃん(叔母[四女]のこと)に 手紙を出さないようにとのことでありましたので、そのつもりですと答えました。
加うるに、去る 7年前の11月24日(金)の『散歩・2(両親の食事)』のブログの上段やや下に、
『(前略)去る 6月5日(月)の【新しいヘルパー・3(両親の食事)】のブログの中段に、
【(前略)昨日 すなわち 6月4日(日)の〖新しいヘルパー・2(両親の食事)〗のブログの中段に、
〖(前略)去る 一昨年の6月6日(土)の〔霊峰・富士 ・3〕のブログの上段に、
〔(前略)梅雨に入る前は、トレッキング(英語:trekking)(山歩きのこと)には いい季節ですね。学部一回生の頃、独語の講師が、今頃は 山が 綺麗と話していました。
大学生の頃、友人に誘われて 行った湘南(因みに、友人が去る11月の湘南国際フルマラソンに出場しました)の葉山の海の家の主が、〘こんな海でも、この季節(今頃のこと)は、海が綺麗。〙と話していました。
梅雨前の今頃は、山も海も 綺麗なので御座いますね。因みに、去る5月3日(日)の〘アムステルダム・3(蘭)〙のブログの中段やや下に、
〘(前略)自然(英語:nature)に触れることはいいですね。山や海のような自然と交流するためには、向こうから やって来てくれるという訳ではありませんから、こちらから行動して、訪れる必要があります。(後略)〙と記させて頂きました。(後略)〕と記させて頂きました。この季節も、梅雨入り前の 今頃のことですね。姉には 上記ことを伝えました。(後略)〗と記させて頂きました。当方は 両親の介護があり 上記のように 山や海のような自然と交流することが適いませんので、代わりに どうぞ 行って来て下さい と伝えました。(後略)】と記させて頂きました。空気が澄んでいるのは 今頃かもしれませんが、山も海も 綺麗とされているのは 梅雨前の頃なのですね、と回答しました。(後略)』と記させて頂きました。すなわち、今回も 姉によりますと、旅行したら とのことでありましたが、上記と同様に 代わりに どうぞ 行って来て下さい と伝えました。
ならびに、去る 昨年の7月7日(金)の『七夕(令和5年)』のブログの中段やや上に、本日は、7月7日(木)・ 七夕の節句で御座いますね。 因みに、御承知のように、東北三大祭とは、【青森ねぶた祭(〖弘前ねぷた祭〗もあります)(青森県)】、【秋田竿燈祭(秋田県)】 そして 【仙台七夕祭(宮城県)】を指しますね。なお、仙台には、親戚が住んでいます。その関係で、母親の姉妹たちと一緒に 5歳位のときに、上記の【仙台七夕祭】に行ったことがあります。序で乍ら、生前 母親は、【仙台七夕祭(宮城県)】以外の 東北三大祭に行きたいと話していました。また、生前 父親は、今の状態で 若いときの夫婦の状態に戻りたいと話していました。(後略)』と記させて頂きました。
なお、姉によりますと、仙台に旅行したとのことでありました。それで、仙台には 親戚があり、上記のように、約59年前に 親戚 すなわち 母親の姉妹たち や 姉と一緒に 『仙台七夕祭』に行ったことを話しました。すると、大昔で ほとんど覚えていないとのことでありました。また、仙台に旅行したとのことでありましたので、その先の奥州藤原氏の平泉を言及しました。すると、平泉には 行かなかったが、新緑が綺麗で いい所とのことでありました。それで、東日本〇〇〇(お読み下さいます方々に影響を お与えすることの無いように、御賢明であらせられます お読み下さいます方々は 直ぐに おわかりになられる と存じ上げますので、敢えて〇〇〇と綴らせて頂きました)から 復興して、親戚もあるしねと伝えました。すると、姉によりますと、仙台の親戚とは 旅行に行った(姉の表現の通り)記憶がないとのことでありました。 因みに、去る 昨年の8月22日(火)の『那須』のブログの中段やや上に、
『(前略)母親が、母方の親戚を招待したことも ありました。序で乍ら、このときには 10名以上になりました。(後略)』と記させて頂きました。すなわち、このときに、仙台の親戚が来たことを伝えました。なお、上記のように、母方が、親戚を招待したのであります。 因みに、姉妹で 鮨屋に入って 海胆 や いくらを注文すると、母方が全額 支払ったことを 後から 聞かされました。但し、後から 母親によりますと、海胆が 一貫 ¥400円(40年位前の話であります)もした とのことでありまして、支払うときに ビックリしたとのことでありました。序で乍ら、その海胆に因ませて頂きます。つまり、5歳位のときに、誠に有り難いことに、母親と姉と 海水浴に行きました。それで、岩場に 海胆が 居ました。そこで、その場に 居た 地元の 女の子によりますと、海水で洗って食べると 美味 しいよ とのことでありました。但し、上記のように 5歳位のときでありましたし、海胆は食べたことがなかったので、そのままにして 帰りました
および、母親は 太っ腹であると話しました。 因みに、母親は偉いと思う 徳があるとの話になりました。すなわち、宗教を行なっていましたからね。なお、母親は 男であったら 凄い事業家になったと思う伝えました。序で乍ら、姉によりますと、父親も亡くなってみたら 有り難いと思うとのことでありました。それで、母親が結婚するときに、『この人は 四つ ビルを建てる人だ。』と思ったとのことでありました。そこで、誠に有り難いことに、実際に 父親は 四つの建物を建てていると伝えました。それで、誠に有り難いことに、両親 共に 凄いとと思うとの話になりました。同感であるという話になりました。両親の お蔭であるという話になりました。 因みに、去る 9年前の10月20日(火)の『父性と母性』のブログを記させて頂きました。なお、補足の原理で 母性的な父親 と 父性的な母親でありましたので、これが 逆転していたら 更に 凄かったであろうと思われました。
そして、身體に気を付けて という話になりました。
また、去る 9年前の1月21日(水)の『ボランティア・高尾山登山・その2』のブログの中段やや上に、
『(前略)去る10月28日(火)の【スイス(海外のこと)・後編】のブログの中段やや上に、
【学部一回生のとき、同期生(男性)に勧められて、体育会系ではワンダー・フォーゲル(独語:Wandervogel)(渡り鳥の意味です)部に入部致しました。】と お伝え申し上げました。
このワンダー・フォーゲル部の入部理由は、同級生(男性)に誘われたということと併せて、同じパーティー(英語:party)で、同じ釜の飯を食べ、競技では無いので、体育会系では御座いますが、競争が無いからで御座います。因みに、一学年下のワンダー・フォーゲル部男子後輩は、当初、茶道部に入るつもりで、ワンダー・フォーゲル部と茶道部を兼部している女子先輩から、新入部員勧誘のときに、ワンダー・フォーゲル部に回されて入部させられたとのことで御座いました。(後略)』と記させて頂きました。
更に、姉が 学生の頃 雲取山を登った話になりました。 因みに、上記のように、山でも 梅雨の前の 今頃が 一番いいとされると話しました。なお、姉によりますと、雲取山は あまり いい思い出がないけどね とのことでありました。序で乍ら、違う山のことだったと思われますが、両足を 沢山 蚋(関東ではブヨ、関西ではブトとも呼ばれるとのことであります)に咬まれて 子供心に あんなになっちゃうのだ たいへんなんだ と思ったことを伝えました。そして、上記のように、ワンダー・フォーゲル部に入部して 山って そういう所なのであると 判ったと話しました。
それから、誠に有り難いことに、姉によりますと、いいときに 何処か 出掛けて下さいとのことでありました。それで、日々 食べることが出来て お風呂に入ることが出来れば 充分であると思っていると伝えました。因みに、昨日も 午前5時 迄 作業をしていたことを伝えました。なお、父親も その時間迄 仕事をしていたことがあったことを伝えました。
しかして、姉によりますと、上記の檀那の韓国人の隠し子の件につきましては、言い間違えたとのことでありました。因みに、名誉の為に申しますと、叔母(三女)さんが 浮気をされていたということになりますからね。なお、祖父が 浮気をしていたのを 偶々 母親が 路上で見付けて 家族 皆に伝えたのであります。序で乍ら、祖父が 浮気をしていたので、家で 父性を発揮出来なかったのでありますね。すなわち、仮に 祖父が 父性を発揮していれば、ダンス・ホールで 韓国人のヤクザに かどわかされることはなかったのではないかと伝えました。つまり、大事な 一番 綺麗な娘を 韓国人に 付け込まれることは なかったのでありますね。因みに、去る 5月9日(木)の『家政婦さんの入院・続報120・中編・34』のブログの中段やや下に、
『(前略)若い頃 この叔母(三女)さんは、田舎ではなくて 目白駅付近で 人々が振り返る程 綺麗であったと 両親から言われていたことを話しました。(後略)』と記させて頂きました。また、『(前略)元々 上野の精養軒に 千人単位の応募者の中から入った人だから、父親によりますと、目白のときに 人が振り返る位の人だったからと答えました。(後略)』と前述致しました。
なお、姉によりますと、叔母(三女)さんは 凄い 綺麗だったとのことでありました。因みに、上記は 若い頃のことであるけれども、施設に 叔母さんと 行って 亡くなる 1ヶ月前でも わあ 90歳でも 綺麗だなと思ったとのことでありました。序で乍ら、『(前略)兄弟姉妹の中で 一番 いい子が その家系の業を背負うことを話しました。(後略)』と前述致しました。すなわち、兄弟姉妹で 一番 いい人が その家系の業を背負うのであると言われることを話しました。つまり、一番 いい子が 家族を代表して 背負い込むと言われることを伝えました。すると、姉によりますと、最期は 綺麗な叔母さんで 亡くなったとのことでありました。なお、『(前略)父親によりますと、若い頃 その叔母(三女)は 天地真理のようだったとのことでありました。(後略)』と前述致しました。因みに、姉によりますと、ちっちゃくて 覚えているけれども、若かったときには ○○さん(叔母[三女]のこと)綺麗だなっと思ったとのことでありました。それで、上記のように、父親は、天地真理(名前の『まり』が同じなので)と言っていたことを話しました。ここの間 3月の初め(亡くなる直前)に 叔母さんと お見舞いに行ったときに、もうそのとき 身體は 痛い、痛いと言っていたけれど、顔は綺麗だし、やっぱり 最期迄 綺麗だと思ったとのことでありました。しかも、姉によりますと、入れ歯ではないというのが 羨ましいとのことでありました。それで、 凄いね と伝えました。序で乍ら、去る 4月3日(水)の『菜食のおかず・762(豆腐)・後編』のブログの上段やや下に、
『(前略)約50数年前 すなわち 当方が、小学生のときのことであります。今は亡き 母親 と その叔母(三女)たちを含める 親戚で、原宿の 鮨屋に入りました。それで、その叔母(三女)が お鮨のシャリを食べずに ネタだけ 食べていました。つまり、上記のように、御飯は ダイエット食なのであります。要するに、子供心に 勿体ないと思われたことがありました。(後略)』と記させて頂きました。すなわち、美容 すなわち 摂取カロリーに気を付けていたと 思ったことを話しました。すると、姉によりますと、年を取っても 結構 いろいろな食べ物について気を付けていたとのことでありました。それで、健康食品とかを 扱っていたことを話しました。すると、姉によりますと、だから 凄く 肌が綺麗でとのことでありました。それで、父親も、肌が綺麗であったことを伝えました。そして、生年月日や血液型を見ますと、父親と叔母(三女)さんは 相性が よかったことを伝えました。だから、叔母(三女)さんが 携帯電話を解約する迄 は、よく 連絡を取っていたことを話しました。すると、姉によりますと、そうね でも 痛い、痛いと言っていたから、結局 足とか 腰とか 動かせなくてとのことでありました。だから、早く お迎えが来て欲しいなと思っていたとのことでありました。
のみならず、母親は そのようなことはないけれども、普通の人でありましたら 父親は 焼き餅を焼かれる位 叔母(三女)さんに電話をしていたことを話しました。但し、誠に有り難いことに、父親は それ以外の別の女性と 浮気をするということは ありませんでした。すると、姉によりますと、伊勢の叔母さん(父親の従兄弟)とは 連絡を取っていたとのことでありました。因みに、その伊勢の叔母さんは、老人ホームに入居していることを伝えました。すると、姉によりますと、そうそうそうとのことでありました。なお、伊勢の家には 誰も 住んでいないことを伝えました。すなわち、2軒 家が並んでいて、いい所であったのであるけれども、今は 誰も 住んでいないことを話しました。序で乍ら、一方は 三重県津市で 息子の家の近くの老人ホームに入居していて、他方は 名古屋に住んでいることを伝えました。伊勢の2軒の家に 誰も 住んでいないのは 勿体ないと話しました。すると、姉によりますと、いつも 両親からの話だけで 行ったことがないとのことでありました。但し、姉は 祖母が 脱腸で 倒れたときに、岐阜の方の父方の父方の親戚には 行っております。つまり、今 話しているのは、父方の母方の親戚のことであります。
それで、伊勢の 親戚には 父親と 共に 四十二年前の昭和五十七年三月 そして 当方 一人で 四十年前の昭和五十九年三月に 2回 法事で 行ったことを伝えました。但し、去る 1月10日(水)の『年賀状のこと・続報2』のブログの中段やや上に、『佐竹克子』という芦屋の親戚には、『あなた 一人で 来て 可哀想ね。』と言われたことを伝えました。それで、行かない方が いいと伝えました。要するに、行くと たいへんであると話しました。取りも直さず、先方は 法事ということで 人を集めるのであるけれども、上記の芦屋の叔母さんに そう言われたことを伝えました。だから、行くと たいへんであることを伝えました。従って、行かないで 済むのであれば、行かないに越したことはないことを伝えました。すると、姉によりますと、立派な家なんでしょとのことでありました。それで、2軒並んでいて 立派だねと答えました。しかも、伊勢神宮に近い所であるから、いい場所であることを伝えました。すると、姉によりますと、そこが 空き家なんだ 勿体ないね とのことでありました。それで、空き家か売ったかは 分からないけれど、住む人が 居ないことを伝えました。勿体ないね 確かにね と話しました。
加うるに、上記の 伊勢の叔母さん(父親の従兄弟)の孫は N.H.K.を退職したことを伝えました。因みに、最後は 津の放送局であったことを伝えました。なお、姉の孫と同様に 二人 子供が 居ることを伝えました。すると、姉によりますと、たいへんだからねとのことでありました。それで、N.H.K.を辞めて よかったと思っていることを話しました。すると、誠に有り難いことに、姉も同意してくれました。そして、姉によりますと、1度だけ 上記の 伊勢の叔母さん(父親の従兄弟)から 電話が入ったとのことでありました。それで、ハッキリ おっしゃる人であるという話になりました。そこで、姉によりますと、しっかりしていてねとのことでありました。なお、この家系は 女性が強いのであります。それで、姉によりますと、養老院に入っているけど と電話があったとのことでありました。序で乍ら、父親が亡くなって 父親の携帯電話が不通になったので、姉のところに 電話をしたのである と思われました。
そこで、当家と 電話をしたのは 老人ホームに入る前のことであると話しました。それで、姉によりますと、ちょっと 暫く 話していたのであるけれども、凄い ハッキリしていた、頭 しっかりしていたとのことでありました。取りも直さず、恐いもの 知らずで あったのであります。そこで、老人ホームに長く 入ってしまうと どうだろうねと話しました。すなわち、まだ 入居したばかりであるので、皆と 住んでいたときのことが まだ 残っているから 今のところは いいでしょうけれども と話しました。つまり、老人ホームに ずっと入っていると、やっぱり 段々ね と話しました。すると、姉によりますと、ボケちゃうとのことでありました。要するに、職員との対応が たいへんであることを伝えました。すると、誠に有り難いことに、姉も同意してくれました。そして、姉によりますと、そんなんで まあ その伊勢の叔母さん(父親の従兄弟)とも話していたとのことでありました。それで、よかったですねと話しましたら、姉によりますと よかったとのことでありました。そこで、当方にも 唐突に 電話が掛かってきて、普段 話をしていないにもかかわらず、『何で 結婚しないの。』と言われたことを話しました。それで、御承知のように 菜食であるからと答えたことを伝えました。そして、去る 5月10日(金)の『本の進呈・続報124・前編(シンクロニシティ)』のブログ そして 去る 5月10日(金)の『本の進呈・続報124・後編(シンクロニシティ)』のブログに記させて頂きましたように、その伊勢の叔母さん(父親の従兄弟)とその息子の氏名を 一筆入れて 成書を進呈したことを伝えました。取りも直さず、ハッキリしている 叔母さん(父親の従兄弟)であることを伝えました。そして、生前の父親によりますと、その伊勢の叔母さん(父親の従兄弟)は 綺麗であったとのことでありました。すると、姉によりますと 笑い乍ら、なかなか 聞き辛いことを ハッキリ言う人とのことでありました。それで、ハッキリ言う方だよと答えました。『御無沙汰しているのに、いきなり 電話が掛かってきて その話だからね。普段 会っている人だったら、判るけどね。』と伝えました。但し、言ってもらえたから、菜食であることを伝えることが出来たから よかったのですけれどもねと話しました。
おまけに、今日は 天気が良くて よかったと話しました。そして、叔母(三女)さんの御冥福を 心より お祈り申し上げますと伝えました。それから、『(前略)一番 いい子が 家族を代表して 背負い込むと言われることを伝えました。(後略)』と前述致しました。すなわち、これは、周囲の勉強なのであります。つまり、他の家族の人たちは、見せられているのであります。
また、『(前略)(納骨時に ¥8千円を支払えば 氏名を 彫ることが出来た件につきましては、)叔母(四女)さんに伝えましたら、心外と思われるから、言えないと話しました。(後略)』と前述致しました。すなわち、叔母(四女)さんにしてみれば、うまく 行っていると思っているのに、水を差すようなことをしてもね と話しました。すると、誠に有り難いことに、姉によりますと、『そうね。』とのことでありました。つまり、老人ホームのことから ずっと多用だったから 求心してもらった方が いいと思っていることを伝えました。要するに、今も 一杯 一杯で 本当に 来られているから 言うような タイミングではないね と伝えました。すると、姉によりますと、疲れているようとのことでありました。それで、少し休んで頂いて 休心して頂いた方がいいねと話しました。すると、姉によりますと、そっとしておいて下さいとのことでありました。因みに、上記の「タイミング」という外来語についてであります。すなわち、去る 9年前の9月27日(日)の『綺麗で奥ゆかしくて誠に素晴らしい日本語』のブログの上段に、
『(前略)一昨日 、全国放送の天気予報で、某・気象予報士が 【明日は、雨の降るタイミング(英語:timing)があります。】と話していました。この文脈でタイミングと云う言葉を聞きまして 違和感を覚えましたので、すかさず 英和辞書を引きました。タイミング(timing)とは、【タイム:time】+【ing】の組み合わせの単語です。時間的調節、そして、時間測定の意味です。また、御承知のように、外来語が日本に入りますと、意味が変わることがありますので、国語辞典も引きました。すると、【丁度よい時を見計らうこと】、また、別の国語辞典では、【ある物事をするのに 最も適した時機・瞬間】、または、【物事を行うのに丁度よい折のこと】と書かれてありました。雨が降るのを丁度よいと思っているのでありましたら 状況と致しましては、まだ 正しい使い方ですが、御承知のように、今は 水不足の時期では御座いません。外来語を用いるときには 気を付けなければならない、という教訓を 改めて 抱かせて頂きました。(後略)』と記させて頂きました。つまり、上記の場合は その『物事を行うのに丁度よい折のこと』という文脈で 『タイミング』という言葉を使っていますので、この言葉の使い方と致しましては 適当であると考えられます。
ならびに、誠に有り難いことに、これで 終了となりました。因みに、通話時間は 約22分間でありました。(後略)」と記させて頂きました。
および、去る7月23日(火)の「親戚からの突然の電話連絡・続報65・後編」のブログの中段やや下に、
「(前略)去る6月4日(火)の『親戚からの突然の電話連絡・続報64・後編』のブログの下段やや上に、
『(前略)去る5月29日(水)の【親戚からの突然の電話連絡・続報63・後編】のブログの下段に、
【(前略)本日 すなわち 5月29日(水)の〖通信販売による注文・続報15〗のブログの下段に、
〖(前略)今回も、その宅配便の配達員 そして 郵便配達員 すなわち 二人に それぞれ 上記のように 説明を しっかりして いつもの 上記のりんごの100%ジュースと 同じ会社の 自然の甘さの 人参が含まれた りんご
の100%ジュースを あげました。 因みに、午前10時32分 と 同 10時33分に、その郵便配達員が、当家のチャイムを 2回 鳴らしました。(後略)〗と記させて頂きました。すなわち、誠に異例なことに、本日の午前10時33分に、上記の叔母(四女)さんからの書留郵便が届きました。
つまり、
〖(前略)この度は 姉の事で ご心配を おかけ致しました。
五月十六日 家庭裁判所へ行ってきました。
姉の遺言書を開封して 審査されました。
結果、皆さんには 印鑑証明書等、取って頂く事なく、無事に済みました。
これで 兄姉四人 皆、いなくなり 淋しくなりました。
同封のものは ご心配を おかけ致しました ほんの お礼の気持ちです。どうぞ お受け取り下さいませ。
先日、治枝さんと 小平霊園へ お墓(〘参〙であると思われます)りに行きました。
○○家のお墓にも おまいりさせていただきました。 ○○
これからも、宜しく お願い申し上げます。
令六年五月二十八日〗以上であります。

遺言書
それで、叔母(四女)に 現金書留で 御香奠を添えて 返信の手紙を送りました。 因みに、去る 昨年の11月30日(木)の〖母親のこと・24〗のブログの上段に、
〖(前略)当方が幼少の頃、誠に有り難いことに、母親が 話してくれたことであります。
すなわち、
〘虎は 皮を残すが、人は 名を残す。〙であります。つまり、〘虎は死して 皮を留め、人は 死して 名を残す。〙ということでありますね。(後略)〗と記させて頂きました。つまり、伝えることで 大事なことは、上記のように 納骨時に ¥8千円を支払えば 氏名を 彫ることが出来るということであります。要するに、名を残してあげる ということであります。なお、その返信の作業が 朝迄 掛かり 更に お昼になりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 翌日の 夕方になりました。(後略)】と記させて頂きました。
また、上記のように 現金書留で 金参萬円の御香奠を添えて 返信の手紙を送った 叔母(四女)から、再度 返信がありました。
すなわち、
【(前略)早速の丁寧な お手紙とご香典(この漢字でありました。 因みに、原文通りであります)、ありがとうございます。
お言葉に甘えて お返しは 失礼致します。
先日の小平の お墓参りは、義兄と姉の名前を刻む為 お願いしてきました。
これで 一段落しましたので、今月末にでも、朝ちゃん、治枝さん、紀代子、私と 四人で 日光の温泉に 行ってこようと思っています。
生前、毬子姉さんが ○○君、元気で してるかしら! と気にしていましたよ。特に 智惠子姉さんが 居なくなってから 一度 葉書を出したと思います。どうぞ お元気でね!! かしこ】以上であります。(後略)』と記させて頂きました。(後略)」と記させて頂きました。
それから、甘えに関しましては、去る 4年前の3月21日(土)の「マッサージ(父親)・103・中編・1(甘え)」のブログの下段に、
「(前略)去る 昨年の11月23日(土)の『マッサージ(父親)・86・中編・1(甘え)』のブログの中段やや上に、
『(前略)去る11月16日(土)の【マッサージ(父親)・85・中編・1(甘え)】のブログの中段やや上に、
【(前略)一昨日 すなわち 11月14日(木)の〖マッサージ(父親)・84・中編・1(甘え)〗のブログの中段やや上に、
〖(前略)去る9月14日(土)の〔マッサージ(父親)・76・中編・1(甘え)〕のブログの中段やや上に、
〔(前略)このマッサージ師によりますと、今回も、〘甘えさせてもらう。〙とのことでした。(後略)〕と記させて頂きました。そして、このマッサージ師によりますと、今回も、〔甘えさせてもらう。〕とのことでした。(後略)〗と記させて頂きました。それから、このマッサージ師によりますと、今回も、〖甘えさせてもらう。〗とのことでした。(後略)】と記させて頂きました。そして、このマッサージ師によりますと、今回も、【甘えさせてもらう。】とのことでした。(後略)』と記させて頂きました。そして、このマッサージ師によりますと、今回も、『甘えさせてもらう。』とのことでした。(後略)」と記させて頂きました。
更に、前述の 去る7月23日(火)の「親戚からの突然の電話連絡・続報65・後編」のブログの下段やや上に、
「(前略)去る 4年前の6月8日(月)の『リハビリテーション(父親)・90・中編・2(甘え)』のブログの上段に、
『(前略)去る5月2日(土)の【マッサージ(父親)・109・中編・1(甘え)】のブログの中段やや下に、
【(前略)このマッサージ師によりますと、今回も、〖甘えさせてもらう。〗とのことでした。(後略)】と記させて頂きました。その新しい理学療法士の方によりますと、【甘えさせて】とのことでした。(後略)』と記させて頂きました。
なお、去る6月4日(火)の『親戚からの突然の電話連絡・続報64・後編』のブログの下段に、
『(前略)その返信の作業が 朝迄 掛かり 更に お昼になりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 翌々日の 夕方になりました。(後略)』と記させて頂きました。
また、去る3月14日(木)の『家政婦さんの入院・続報112・中編・26』のブログの中段やや下に、
『(前略)去る 昨年の5月11日(木)の【ガス設備保守点検・続報26(令和5年)・シンクロニシティ・後編】のブログの下段に、
【(前略)速達料金以外に 特定記録も付けようと思いました。何故ならば、近年 すなわち 一昨年の10月2日から 普通郵便では お届け日時の繰り下げとのことであり 二日 掛かります。更に、特定記録郵便も含めまして 郵便は 土曜日も配達しなくなりました。つまり、土曜日配達の休止とのことであります。しかも、普通便でありますと 平日で 市内でも 三日 掛かることがあるのであります。なお、普通郵便でありますと、週明けの15日(月)の お届けになるのではないか と思われました。(後略)】と記させて頂きました。
および、その家政婦さんによりますと、速達にしなくていいのではないか とのことでありました。それで、上記のように 普通郵便では お届け日時の繰り下げとのことであり 二日 掛かります。更に、特定記録郵便も含めまして 郵便は 土曜日も配達しなくなりました。つまり、土曜日配達の休止とのことであります。しかも、普通便でありますと 平日で 市内でも 三日 掛かることがあるのであります。そのうえ、何故か 月曜日に 郵便物が入らずに、火曜日に 纏めて 郵便物が入ることがあるのであります。のみならず、北海道から 九州迄の郵便物が含まれているのであります。因みに、それらのことを話しました。すると、誠に有り難いことに、その家政婦さんは、頷いて 納得して 同意してくれました。(後略)』と記させて頂きました。
更に、去る 7月18日(木)の『家政婦さんの入院・続報130・中篇・40』のブログの中段やや下に、
『(前略)姉には 速達を送ることが出来ません。 因みに、郵便局員に 自宅のチャイムを鳴らされたくないのだそうであります。それで、特定記録郵便を用いています。なお、今回は 葉書を 特定記録郵便で送りました。すると、その家政婦さんによりますと、【葉書に 特定記録郵便?】とのことでありました。(後略)』と記させて頂きました。すなわち、姉の誕生日なので、上記の理由で 葉書を 特定記録郵便で送りました。すると、本日 返信が届きました。すなわち、
『前略。お手紙(実際には 葉書であります) ありがとう。72歳になり 毎日 ジャズピアノをひいて 楽しんでいます。
日光は 熊など ゼンゼン 心配なくて、皆で 温泉につかり 天気もよかったです。
○○(家政婦のこと)さんにも よろしく お伝え下さい。
毎日 暑いので 体に気をつけて!!
※ハガキの字を もっと大きく して下さい』以上であります。なお、姉からは 手紙の場合 2枚以内と言われております。因みに、葉書の方が 開封して頂く手間が 掛からなくて いいか と思われたのでありますが、一枚でありましたので 少し 字が小さくなってしまいました。

誠に有り難いことに、姉からの返信(誠に有り難いことに、家政婦さんによりますと、字数が少ないとのことでありました)
序で乍ら、その返信の作業が 朝迄 掛かり 更に お昼になりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 翌日の 夕方になりました。
しかも、幼少の頃、姉と 一緒に 隣の家のステレオを使わせてもらったことがありました。因みに、当家にも 小型のプレーヤーは ありました。なお、姉は 歌謡曲、そして、当方は 漫画のソノシートを持って行きました。ところが、姉が 恐らく 200Vの電灯線に 繋いだのであると思われ、そのステレオの背後から 煙が立ち昇りました。それで、姉は 知らせに行く為に 出て行きました。そこで、当方は、その場に残されました。序で乍ら、その隣の家には、100V と 200Vの電灯線が あったのであると思われました。因みに、以前 この話を 姉夫婦の前で 伝えましたら、義理の兄から 揶揄われました。
そのうえ、約38年前のことでありますが、仏のパリのエルメス本店で購入してきた スカーフを 姉に あげたことがありました。なお、誠に有り難いことに、以上のことを思い出させて頂きました。(後略)」と記させて頂きました。
それから、本日の午前11時30分に、携帯電話から 当方の携帯電話に、唐突に 姉から 着信がありました。因みに、通話時間が 18分 以上になりました。なお、まず 「(上記のように 去る 7月下旬に 手紙を お送りして以来、) 御無沙汰しています。おはようございます。」と伝えました。すると、「お久しぶりで、今 大丈夫、電話。」とのことでありました。それで、姉さんが 第一優先であることを伝えました。すると、姉によりますと、昨日 ちょっと 祥子ちゃん(叔母さん[四女]のこと)から メールで あの 義浩君のお母さんが亡くなったとのことでありました。それで、まず 御愁傷様でと答えました。そこで、姉によりますと 「連絡は?」とのことでありましたので、連絡は まだ ないことを伝えました。すると、「ないね。」とのことでありました。それで、祥子叔母さんが 割と 東京の方は 仕切っているから そこに 電話したのだろうねと答えました。それで、「祥子ちゃんは お葬式で 行くと言うので」とのことでありました。因みに、「(前略)誠に異例なことに、本日の午前10時33分に、上記の叔母(四女)さんからの書留郵便が届きました。
つまり、
『(前略)この度は 姉の事で ご心配を おかけ致しました。
五月十六日 家庭裁判所へ行ってきました。
姉の遺言書を開封して 審査されました。(後略)』(後略)」と 前述致しました。すなわち、このように 親戚に迷惑を掛けたこともあり、行くのでありましょう。
そこで、約18年前 すなわち 平成18年11月15日の 浩 伯父さんが亡くなったときは 行きましたかと話しましたら、行っていないとのことでありました。それで、あのときは 両親に言われて 行ったことを伝えました。因みに、去る5月22日(水)の「新緑(披露宴・告別式)」のブログの中段やや下に、
「(前略)去る 3月3日(日)の『父親の三回忌・母親の七回忌・続報・中編・6』のブログの中段やや上に、
『(前略)『生前 父親は 訪問看護師の前でも 全国高等学校野球選手権大会の歌であり 甲子園で流れる〖栄冠は君に輝く〗を 急に流して欲しいと言い、慌てて流したことがありました。また、母親からは、〖自分が死んだら、エーデルワイスを流して欲しい。〗とのことでありました。それで、本日は、その〖栄冠は君に輝く〗 そして 〖エーデルワイス〗を流させて頂いております。】と伝えました。(後略)』と記させて頂きました。
次に、平成18年(2006年)11月15日に 伯父が亡くなったときにも、仙台に行きました。 因みに、このときも 上記の披露宴のときと同様に、前日 ビジネス ホテルで 一泊致しました。なお、上記のように 母親から 『自分が死んだら、エーデルワイスを流して欲しい。』と言われたのは、この伯父の告別式のときでありました。序で乍ら、伯父が亡くなったのも、母親が亡くなったのも、戌年でありました。すなわち、母親が亡くなったのは、干支で 一回り 後ということになります。因みに、伯父と母親とは 5人の兄弟姉妹の兄 そして 妹であり、直ぐ 続いた兄弟姉妹でありました。(後略)」と記させて頂きました。
それで、上記のように、その伯父の告別式のときに 母親から 「自分が死んだら、エーデルワイスを流して欲しい。」と言われて、母親のときに 流させて頂いたことを話しました。そして、祥子叔母さんが来ていたことを伝えました。
しかして、姉によりますと、「義浩君と そんな お付き合いがないし、最近では ちょっと 年賀状の遣り取りもしていなかったので。」とのことでありました。それで、年賀状の遣り取りは 行なっていることを伝えました。すると、姉によりますと、「浩 伯父さんに よく さくらんぼを贈ってもらったり。」とのことでありました。そこで、半世紀前 すなわち 昭和四十八年五月下旬の 椿山荘での 姉の結婚式のときに、その浩 伯父さんに 声を掛けてもらって 初めて その伯父さんのことが 意識に入ったことを伝えました。すると、姉によりますと、そうだね、私は 小さい頃 伯父さんに動物園に連れて行ってもらったりしたみたいでとのことでありました。(本来、「~たり」は繰り返して使いますが、姉の言葉の通りであります)因みに、「(前略)仙台には 親戚があり、上記のように、約59年前に 親戚 すなわち 母親の姉妹たち や 姉と一緒に 『仙台七夕祭』に行ったことを話しました。(後略)」と 前述致しました。すなわち、「仙台七夕祭」に 一緒に 行ったことを話しました。なお、去る 昨年の8月22日(火)の「那須」のブログの中段やや上に、
「(前略)このニュースを拝見して、思い出したことがあります。すなわち、誠に有り難いことに 中学生の頃、母親 や 母親の 二人 の友達の家族と一緒に、那須ロイヤルセンターに行きました。 因 みに、上記の理由で、8月下旬であります。
(中略)
しかも、母方の親戚を招待したことも ありました。序で乍ら、このときには 10名以上になりました。(後略)」と記させて頂きました。すなわち、姉が 結婚して 関西に行った 直ぐ 後 位に、母親が 親戚を 上記のように 那須ロイヤルセンターに招待して そのときに 当時 小学生であった 義浩君 と その お母さんが来たことを伝えました。すると、姉によりますと、もう 60歳ですってね 停年で 校長で とのことでありました。それで、養護学校のね と答えました。なお、養護学校に因 みましては、去る 9年前の1月1日(木)の「謹んで新年の御祝詞を申し上げます。(^O^)」のブログ の中段やや上で、
「(前略)平成9年に、都立の某・養護学校に依頼されて、母校の大学の主任教授の同意があり、修学旅行(三泊四日)に付き添い医師として同行したことがあります。(後略)」と記させて頂きました。それで、義浩君とは 2歳違いであり 62歳であり、生きていれば 亡くなった 弟の正雄君位の年齢であることを伝えました。すると、姉によりますと、もう 年賀状の遣り取りは行なっていないとのことでありました。そこで、前述致しましたように、年賀状の遣り取りは 行なっていることを伝えました。それで、私は 一応 伯父さんも 伯母さんも 結婚式のときに 私に ちょっと ハンドバックをプレゼントしてくれたので、とのことでありました。そこで、結婚式場であった 椿山荘は 山縣有朋の本邸宅と庭園だったのであることを伝えました。それで、いい所であったことを伝えました。そこで、姉によりますと、一応 義浩君の住所を聞いたので、私は 1万円ね、香奠で。」とのことでありました。それで、「住所は分かりますので、大丈夫ですよ。」と答えました。そこで、姉によりますと、「祥子ちゃんから 昨日 メールを貰ったときに 住所も教えて貰って、私は 1万円 送ったのだけど。」とのことでありました。それで、「両親のときには 向こうから 香奠を送ってもらっていないけれど、どうしたらいいかな。送ってもいいかな。大丈夫かな。」と答えました。すなわち、父親のときも 母親のときも 香奠を送って来ていないことを伝えました。すると、「それだったら、送らなくていいわよ。」とのことでありました。「どうだろう。分からない」と回答しました。すると、「お返しを貰うの 嫌でしょう。」とのことでありました。それで、「お返しを貰っても 使えないから、全て 家政婦に あげている。」と伝えました。それで、「お返しは いいですと言うと 相手も気分を悪くしてしまう。」とのことでありました。但し、そのようなことは 伝えておりません。そこで、姉によりますと、「だから、いっそのこと あなた 送らなくていい。」とのことでありました。それで、「向こうが 送って来ていないから、どうしたらいいかと思っただけで。」と答えました。すると、「送って来ていないのであったら、送らなくていい。」とのことでありました。そこで、「送ってきたのは お菓子位」と伝えました。すると、姉によりますと、「私は それに ちっちゃい頃 伯父さんとか 伯母さんに 貰ったから。」とのことでありました。だから、「気持ちとして 送ったんだけど。」とのことでありました。すると、「家の方に送って来ていないのであれば」とのことでありました。それで、「(同じく、)お菓子位を贈ったらいいかな。どうだろうね。向こうは 仙台の お菓子を送ってきたからね。それは、家政婦さんにあげたのだけれど。これは 母親のときね、父親のときは 全く 送られなかった。」と答えました。「だったら、いいわよ、送らなくて。」とのことでありました。そこで、「まあ お菓子を送ってきたので、お菓子位を贈ったらいいかなと思っている。」と回答しました。すると、「でも ほら お父さんのときには 送って来ていないのでしょう。」とのことでありました。それで、「こうだね、父親のときは 全く 送ってきていないね。こちらも 香奠の心配は されないでと伝えたからね。それもあるんだろうけどね。」と答えました。すると、「だから、いいわよ、お父さんのときに送って来たら あれだけど、お父さんのときに送って来てないんだったら。」とのことでありました。そこで、「こちらも 御香奠の御心配はなさらなくて と言ったからだろうね、たぶんね。」と回答しました。すると、「私が 代わりに ちょっと送っておいたから。そして、私は、お返しは しっかり 貰う方だから。(笑い)」とのことでありました。それで、「当家は 貰っても 家政婦さんに あげてしまうのだけれどもね。皆ね。」と答えました。すると、「勿体ない。」とのことでありました。そこで、「祥子叔母さんのときも、貰った商品券は 家政婦さんに あげてしまった。持っていても 使えないから。」と伝えました。すると、姉によりますと、「商品券なんかだったら 使えるじゃない。」とのことでありました。それで、「スーパー マーケットなら 行くけれど、商品券を使う デパートに行かないから。」と答えました。すると、姉によりますと、「偶には、デパートに行きなさいよ。」とのことでありました。そこで、「デパートに 行っても 買う物がないから。」と回答しました。すると、姉によりますと、「だって、着る物とか。さー。」とのことでありました。そこで、「着る物は 近くの何処か 安い所で 間に合わせているから。(父親も そういう人でありました)」と答えました。すると、「あの、デパート、偶に 行くと 楽しいわよ。あの、美味 しいもの 一杯あって。」とのことでありました。因みに、幼少の頃は 母親が デパートが好きだったので、よく 近くの池袋の西武デパートに行きました。
それで、「一人で 行ってもね、食べる物も 菜食だから ないでしょ。だからね。」と回答しました。すると、姉によりますと、「せめて 玄米 担いで帰ってきて。」とのことでありました。そこで、玄米は 通信販売で 購入しているのであります。
しかも、「この家は 一人で 空けるのが たいへんでね。やっぱりね。」と伝えました。すると、「え~。鍵を掛ければ、大丈夫よ。誰も。」とのことでありました。それで、「郵便物は 毎日 見なければならないし、誰かが 居なれば 留守番してくれていれば、急な 誰か来客に対応出来るのであるが、来客に対応出来ないから、結局ね。」と答えました。すると、「○○さん(家政婦さんのこと)は、毎週 金曜日に来てくれているの。」とのことでありました。そこで、一日だけ 木曜日に来ていることを伝えました。すると、「やっぱり いろいろ作ってくれると 助かるわよね。」とのことでありました。それで、「父親の遺品の片付けや整理をしなければならないので、それがあるから。」と回答しました。すると、「あと まあ 作ってもらって、大丈夫、あの ほら(その家政婦さんの)糖尿病のこと、一時 入院したけれど 身體の方は」とのことでありました。それで、一応 公立昭和Hp.(hospital[ホスピタル]の略です。日本語では、病院のことです。以下、Hp.と示させて頂きます)に 二ヶ月に 一回 受診していることを伝えました。すると、御無沙汰しちゃっているから 宜敷くとのことでありました。それで、ありがとうございます。姉さんも 身體を大事にして下さいと伝えました。誠に有り難いことに、「お蔭様で 家は 二人共 どうにか 元気で。」とのことでありました。そこで、「あ~、よかったですね。本当にね。ありがとうございます。本当にね。」と答えました。すると、姉によりますと、「一昨日、茅ヶ崎のお兄さんの七回忌」とのことでありました。それで、「お姉さん(その お兄さんの奥方)は、昭子様でしたね。」と回答しました。すると、「うん、そうそう。」とのことでありました。そこで、「ありがとうございます。」と答えました。すると、「一人で 元気でね。」とのことでありました。それで、「そのお兄さんの告別式のときには 香奠は送らせてもらった。それで、姉さん経由で お返しを貰った。」と回答しました。すると、姉によりますと、「名古屋の お姉さんは やっぱり 膝が痛いからと言って 来られなくて。」とのことでありました。因みに、去る 4年前の2月12日(水)の「笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤ 小乗から 大乗へ・前編」のブログの上段に、
「(前略)R.A.(英語:rheumatoid arthritis)(文章記載当時の名称は 慢性関節リウマチですが、平成18年4月から 関節リウマチと呼称が変更されました。以下、R.A.と示させて頂きます)を患っている方々の一助になれば幸いと存じまして 、去る 6年前の10月9日(木)の『笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤ 小乗から 大乗へ』のブログ そして 去る 4年前の1月12日(火)の『笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤ 小乗から 大乗へ ・続報』のブログを記させて頂きました。なお、自らも 約30年間 菜食を実践致し、安全性を 試しました。(後略)」と記させて頂きました。すなわち、上記の 名古屋の お姉さんは、その「笑いと菜食療法」の適応であるのではないかと思われました。
話を戻しますが、「名古屋の お姉さんも 居るじゃない、豊司さん(檀那のこと)の。」とのことでありました。そこで、そのお兄さんの告別式のときのことではなくて、一昨日の七回忌のこと とのことでありました。それで、父親の七回忌は 四年後であることを伝えました。因みに、去る 3月3日(日)の「父親の三回忌・母親の七回忌・続報・前編」のブログ、去る 3月3日(日)の「父親の三回忌・母親の七回忌・続報・後編」のブログ そして 去る 3月5日(火)の「父親の三回忌・母親の七回忌での 挨拶」のブログなどに記させて頂きましたように、去る3月3日(日)は 父親の三回忌・母親の七回忌でありました。
すると、姉によりますと、「今年 ね、二人も遣ったから、ちょっと あれよね、ホッとして。」とのことでありました。それで、姉が 自分の檀那の兄弟のことを持ち出すものでありますから、混同してしまいました。そこで、「二人?あの、お兄さんとお姉さんのこと」と話しました。すると、姉によりますと、「両親、あの、お父さんとお母さん、一応、ほら、遣ってくれたじゃない。」とのことでありました。それで、「今年の3月3日(日)のことね。父親の三回忌・母親の七回忌のことね。」と答えました。そして、「ありがたいね。」と伝えました。「だから、まあ、少し お休みして、また、宜敷く。」とのことでありました。そこで、「宜敷く お願いします。」と答えました。
ならびに、「仙台は お菓子を貰ったから、お菓子位を贈ったらいいかな。母親のときには お菓子を送ってきたからね。」とのことでありました。でも、姉によりますと、「お父さんのときは 送ってこなかったでしょ。」とのことでありました。それで、「父親のときは こちらが 『香奠のことは 心配しなくていいですよ。』と伝えたからね。」と答えました。すると、「いいんじゃないの。」とのことでありました。そこで、「何か言ってきたらにしようかな。言ってきたら、通知が来たら。」と答えました。そして、「一昨日の三月の父親のときに、真っ先に 速達の葉書で通知したのですよ。それで、香奠のことは心配しないでね と書いたのです」と話しました。そこで、姉によりますと、「向こうが 何か 母が亡くなってって 連絡があったら そのときにさ ちょっと お菓子を送ってあげたら。」とのことでありました。そして「(連絡が)なければ いいんじゃないの。」とのことでありました。そこで、「告別式はいいんですかね。姉さんも行かないのですよね。」と話しました。すると、「行かない。行かない。あんな、とんでもない、あんな、仙台迄 とのことでありました。」とのことでありました。それで、「遠かった。一人で 行って、前の日に 泊らなければならなかったから、一泊してね。そう、やっぱり 日帰りという訳には いかないのだよね。やっぱりね。」と答えました。すると、「祥子ちゃんは いろいろ ほら お世話になっているから 行くって言っていたけど、私は ちょっと 香奠だけ送るからって メールをしておいた。だから、いいんじゃない、あなたは。」とのことでありました。それで、「ありがとう。デパートも行けない位だからね。あのとき(約18年前の伯父さんの告別式のときのこと)は行ったけどね。もう 18年前ですよ、伯父さんのときの。 」と答えました。すると、何を勘違いしたのか、姉によりますと、「そんな 出不精になっちゃうと、足腰 弱っちゃうわよ。」とのことでありました。なお、姉は 前述致しましたように 愛知医科大学を卒業して 当方の母校の日医救命救急センターで研修をして 花小金井で開業している 整形外科に受診していますので、そこの医師に言われていることを話しているのでありましょう。そこで、家で 階段は 上り下りしている と答えました。因みに、去る 昨年の3月30日(木)の「玉川上水・9」のブログなどに、玉川上水のことを記させて頂きました。
すると、姉によりますと、「せめて 玉川上水を歩いたら。」とのことでありました。それで、「買い物に行っているから。買い出しは 全て 行なっているから。」と答えました。すると、「買い物も 成るべく 歩いて行ったりとか。(本来、「~たり」は繰り返して使いますが、姉の言葉の通りであります)」とのことでありました。なお、家政婦さんも同意してくれましたが、買う物が多いので、自転車の荷台を使わないと運べないのであります。
それで、話を変えて、「御存じですか。浩 伯父さんの名前のこと。靖子 お祖母ちゃんの初恋の人の名前が 浩 なので、自分の息子(長男)に その名前を付けたのです。」と伝えました。すると、姉によりますと、誠に有り難いことに、「え~。それは 初めて聞いた。」とのことでありました。そこで、「そうなのですよ。」と答えました。 因みに、靖子 お祖母ちゃんは、浩 伯父さんのことを 愛しておられたと思われます。
それで、「また 名前の字も同じでね、 浩 の漢字は 浩の宮様の字と同じであり、 浩 の漢字を 義浩君の名前に あげたのです。」と伝えました。すると、姉によりますと、「そうなの。私さ。義浩君の『浩』の字が どんなのか 分からないので。」とのことでありました。そこで、「『浩の宮様』の『浩』だから、『氵(さんずい)』に 『告』だからね。」と伝えました。すると、姉によりますと、「あ、そ~。」とのことでありました。それで、「お父さんが 浩 だから、その漢字を貰ったのですね。」と答えました。すると、姉によりますと、「あ~。」とのことでありました。そこで、「それ、大事だよ。間違う訳には いかないからね。やっぱりね。」と答えました。すると、「間違うとまずいと思って、平仮名で書いた。」とのことでありました。それで、「平仮名で いいと思うけどね。因みに、義浩の『義』は 当方の名前の漢字と同じです。」と伝えました。すると、姉によりますと、「そうそう。それは きっと 同じだろうと思ったのだけれど。まあ バランスを考えて 平仮名で」とのことでありました。そこで、「平仮名がいいよね。日本だから 無難でね。日本人だから 平仮名がいいよね。」と答えました。すると、姉によりますと、「そんなんでね。うん。まあ でも 元気そうで 今年 暑かったね。」とのことでありました。それで、花屋が 昨年の夏よりも 暑かったと言っていたことを伝えました。やはり、季節の変わり目は、今回の 伯母さんのような 転帰があるのであると思われました。但し、伯母さんは 昭和2年生まれでありますから、今年で 満97歳でありますね。それで、姉によりますと、「家で 何をしているのか。」とのことでありました。そこで、いろいろ ブログを書いていることを伝えました。すると、姉によりますと、「お店の荷物とか 結構 あるでしょ。」とのことでありました。それで、「お店の荷物は 手の施しようが なくてね。本当にね。」と答えました。すると、姉によりますと、「捨ててしまったら。」とのことでありました。そこで、「捨てるにしても、なかなか 重たい物ばかりなのでね、商品もあるしね。」と答えました。そして、「商品でも ビスとか ネジとか 沢山 あるのですよ。こういうの 本当に どうしたらいいのかと思って。本当にね。」と回答しました。

上記の 重量のある ビス そしてネジ

上記の 重量のある ビス そしてネジ
すると、姉によりますと、「欲しい人にとっては、あれだもんね、そういうのは、何かね。」とのことでありました。それで、「必要な人は あるのだろうけれどね。金物だから 腐らないのだけれど。」と答えました。すると、「ネットが ほら あなた 得意だから。」とのことでありました。そこで、以前 メルカリを教えてもらったのだけれど、なかなか 商売は難しいね、ネットでもね、やっぱり。」と答えました。そして、「甥(次男)は 結構 遣っているのですよね。ああいうのは まだまだ。」と伝えました。すると、姉によりますと、「インターネットで 買い物 出来るんでしょ。」とのことでありました。それで、「買い物は するけれども、売るとなると やっぱり 敷居が高いと思っている。」と回答しました。すると、姉によりますと、「でも ほら そしたら あれになるじゃない、アルバイト(英語:part
(義務教育の方々に 美しい日本語を 正しい読み方で 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名を付けております)
本日も、最後 迄 お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)