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さて、昨日は、七五三でしたね。母親によりますと、七五三の日は 晴れるとのことでしたが、昨日の午前中 東日本では、雨の地域が多かったですね。七五三を迎えられた方々に おとりになられましては、小春日和であれば よかったのですがね。去る9月9日(水)の「菊の節句」のブログ の上段に、
「(前略)本日は、菊の節句(重陽)で御座いますね。因みに、節句のことにつきまして、去る3月3日(火)の『桃の節句』のブログ の冒頭に、
『(前略)本日は五節句の一つである上巳(じょうし・じょうみ)、すなわち、桃の節句ですね。
ときに、去る12月26日(金)の【ぶなしめじ】のブログ の中段やや上に、【(前略)戦後、御先祖様が築いて来た、日本の伝統、文化、誇り、そして、精神性も、生態系同様に外来のものに圧倒されています。これは、惜しみても尚余りあることと思われます。(後略)】と記させて頂きました。桃の節句のような、美しい日本の伝統文化は大切にしたいもので御座いますね。(後略)』と記させて頂きました。(後略)」と記させて頂きました。冒頭の七五三のような 日本の年中行事も、大切にしたいものですね。
さらに、去る9月27日(日)の「綺麗で奥ゆかしくて誠に素晴らしい日本語」のブログ の上段に、
「(前略)生態系に因ませて頂きますと、御承知のように、『史上最強の侵略的外来種』と言われる『アルゼンチンアリ(亜爾然丁蟻)』が日本列島で勢力を拡大しつつあるとされています。また、去る1月21日(水)の『ボランティア・高尾山登山・その2』のブログ の上段に、スズメバチ対策について記させて頂きました。最近では、原産は中国で、遺伝子は韓国という、腹の赤い凶暴で超攻撃的で厄介な『ツマアカスズメバチ』が九州に上陸したと報道されていました。
および、小学生の頃、授業で、『みかんこみばえ(蜜柑小実蠅)』と云う蠅がいて、これが日本に上陸すると、国産の蜜柑は全滅すると習いました。それ以降、この蠅の名称が頭の片隅に常駐していました。この『みかんこみばえ』につきましては、日本では、奄美大島以南の南西諸島、そして、小笠原諸島に かつて分布していましたが、雄を誘引する化学物質メチル・オイゲノール(英語:methyl eugenol)による雄除去法、そして、放射線によって不妊化した雄虫を野外に放す不妊虫放飼法によって根絶させることに成功したとされています。
話を戻しますが、これ迄 已むを得ず使わなければならなかった場合を除きまして、極力自国語である日本語を用いるように努めて参りました。外来語を使用するときには、日本語と区別するために、何語であるのか、その言葉の綴りを添えまして注釈を入れました。日本には如何に外来語が多いか、ということを知って頂く意味も御座います。御承知のように、先の大戦後、日本の底力を恐れた連合国軍最高司令官総司令部(G.H.Q.)による『日本弱体化政策』が行われました。自国語である日本語ではなく、英語を用いさせようとすることは、米国にとりまして誠に都合のいいことであります。現・日本国憲法は、米国による この『日本弱体化政策』の産物とされています。(後略)」と記させて頂きました。前述致しましたように、戦後 日本人の精神性がやられましたことは、惜しみても尚余りあることと思われます。その原因は、前述の「日本弱体化政策」、すなわち、ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(英語:War Guilt Information Program、略称:W.G.I.P.)であります。この「日本弱体化政策」は、巧妙に行われました。
一例を挙げますと、報道におきましては、同じ 日本のマス・コミ(英語:mass media)を利用して行われました。同胞である日本人による報道を行わせることによって、日本人に信じさせるように仕向けました。終戦を境に 報道内容が全く変わりました。報道内容は、G.H.Q.が書いた文章とされています。しかも、新聞などの報道機関を統制する為に G.H.Q.から発せられた規則であるプレス・コード(英語:Press Code for Japan)がありました。これにより検閲が実行されました。日本人は、G.H.Q.にとりまして 不都合なことを書くことが出来ませんでした。日本人は、書くことに 制約を受けました。言論の自由どころではありませんでした。戦後70年 経った今でも、その後遺症が 残っているようであります。
また、教育におきましては、まず 教科書を書き換えたことであります。さらに、日教組を作ったのは、連合国軍最高司令官総司令部(G.H.Q. ・以下、G.H.Q.と示させて頂きます)とされています。このG.H.Q. と 日教組の 両者の方針は一致しています。因みに、当方も、小学2年生、5年生 そして 6年生のときの担任は、日教組の教師でした。授業で、大東亜戦争で得をしたのは、天皇陛下 と 大企業と話していました。さらに、刷り込み(英語:imprinting)を完成させる為に、このことを 生徒に質問して 答えさせていました。幸いなことに、このことを教えられましたときには、自宅で祖母に話し、天皇陛下は そのような人では無いと言われました。誠に有り難いことで御座います。後から 調べたことですが、この日教組の教師の語ったことは、とんでもない話で御座います。戦後、日本人が餓えないようにと、昭和天皇陛下は、皇室財産目録を持って G.H.Q. のマッカーサー(米語:Douglas MacArthur)に会いに行かれました。また、去る 昨年の10月8日(水)の「親の受診に付き添っていること・1」のブログ また 去る 昨年の11月9日(日)の「親の受診に付き添っていること ・2」のブログのそれぞれ共に中段やや上、そして、去る2月23日(月)の「天皇陛下行幸の君恩に浴して」のブログ の中段やや下に記させて頂きました某・ボランティアのサークルの先輩に話しましたら、大企業も、大東亜戦争で 被害を受けているとのことでありました。御承知のように、G.H.Q. の占領政策の1つですが、大東亜戦争以前の日本の経済体制の壊滅が目的とされる経済民主化政策が行われました。
および、去る10月5日(日)の「ボランティア・高尾山登山」 と去る1月21日(水)の「ボランティア・高尾山登山・その2」のブログ で、
「(前略)18年間、月二回、日曜日に、・・・ボランティアを、このトップの方々二人に委託されて、行って参りました。そのボランティアで、過日、子供達と父兄を連れて・・・(後略)」とぉ伝え申し上げましたボランティアのスタッフ(英語:staff)によりますと、日教組は、小学3年生 そして 4年生位の多感な年齢を狙って、日教組の教師を当てて来るとのことでした。幸いなことに、当方は、この時期は 日教組の教師ではありませんでしたので、マインドコントロール(英語:mind control)されずに済みました。但し、前述致しましたように、その前後の年齢のときには 日教組の教師でしたので、紙一重でした。近年では 質の低い教師がいて、これらの教師は 教えられる必要があると言われます。この日教組の教師は、同じく質の低い教師と結婚もせずに 恋愛を楽しんでいました。男子同級生と二人で、この恋愛現場を目撃しました。そのとき、この日教組の教師によりますと 「まずい所を見られた」とのことでした。そして、後日 学校で この男子同級生と二人で この日教組の教師に 直面化(精神分析[心理学]の用語です。簡単に言えば、指摘することです)致しましたら、開き直られました。この日教組の教師は、社会生活の基本を教えませんでした。自分の行いがそうですから、行儀 や 躾を教えるどころではありません。当時では珍しく、教室に 全く緊張感が無く、だらけていました。母親によりますと、教育は 学校の先生に任せていた とのことでありますので、このような日教組の教師に当たったら たいへんであります。別に、この日教組の教師 一人を責めている訳では御座いません。責任は 日教組という組織 や 前述のG.H.Q. にあります。
G.H.Q.は、日本人の誇り、滅私奉公 そして 武士道といった 日本人の美徳を除きました。また、日本人に 自虐心を植え付け、愛国心を奪いました。因みに、新渡戸 稲造(日本の教育者・思想家)は、「武士道」の著者です。先日、姪が、母親に 内村 鑑三のことを言及していました。去る11月8日(日)の「白衣」のブログ に、
「(前略)大学受験のときに、共通一次試験(当時の名称・現在では、センター試験ですね)の社会科では、二教科選択の内の一教科に 倫理・社会を選びました。(後略)」と記させて頂きました。このとき 初めて、内村 鑑三のことを知り、その後 度々 勉強し 伝えていました。そこで、その 母親と姪たちがいる場で、2つの“J”(”Japan[日本]” と “Jesus[イエス・キリスト]”のこと)を話した人ですね と回答しました。そのうえ、調べましたら、札幌農学校の第2期生の主席が 内村 鑑三であり、次席が 新渡戸 稲造だったとのことでした。御承知のように、新渡戸 稲造は、前回の五千円札の肖像になっていますね。なお、去る10月23日(金)の「レクイエム」のブログ の上段、去る2月14日(土)の「絵本の影響」のブログ の中段やや上、そして、去る12月13日(土)の「土・1」のブログ の上段やや下に記させて頂きましたように、以前、親戚のクリスチャン(英語:Christian)の方に確認致しましたら、キリスト(ギリシャ語)(メシア[ヘブライ語]・ヘブライ語では、キリストに対応する言葉としてメシアと呼ばれる、という意味です)という称号が尊称となっているとのことで同意されましたので、イエス・キリストと記させて頂きました。
G.H.Q.は、悪意があり乍ら 民主主義という善意を押し付けたとされています。御承知のように、これは、イラク そして アフガニスタンでは うまくいきませんでした。イラク そして アフガニスタンには、元から民主主義が無かったからとされています。他方、日本 そして 独では、うまくいったようです。これは、元々 独には 民主主義があったから と言われています。勿論、日本でも、天皇陛下を中心とした 民主主義がありました。去る7月16日(木)の「仏革命記念日」のブログ の上段に、
「(前略)御承知のように、仁徳天皇陛下は即位されて 四年目、高台に登って見渡されました。すると、家々から炊事の煙が立ち上がっておらず国民は貧しい生活をしているのだと気付かれました。万民の貧苦に心を痛められ、三年間の年貢や労働課役を許しました。 代々、日本の御皇室は、徳をもって治めて来られました。誠に有り難いことで御座います。
西洋の国王達の為政形態は民を支配することであったのに対して、日本の御皇室と国民の関係はこれとは全く異なっているので御座います。御承知のことであらせられますように、西洋人にはわからないことで御座いましょう。(後略)」と記させて頂きました。ならびに、去る2月24日(火)の「歌会始の詠進歌」のブログ の冒頭に、 「(前略)(前述の)去る2月23日(月)の『天皇陛下行幸の君恩に浴して』のブログの中段で、昭和50年・歌会始 お題『祭り』の、昭和天皇陛下の御製、『我が庭の宮居に祭る神々に世の平らぎを祈る朝々』を、畏れ乍ら引用させて頂きました。(後略)」と記させて頂きました。および、同じく 去る2月23日(月)の「天皇陛下行幸の君恩に浴して」のブログの中段で、
「(前略)天皇陛下には、誠に僭越乍ら、『日本国民の為に、毎朝、四方拝をして下さって、誠に有り難う御座います。』と申し上げました。誠に有り難いことに、男性友人からは、天皇陛下に喜んで頂けただろうと言って貰えました。(後略)」と記させて頂きました。すなわち、日本では、天皇陛下は 国民のことを思い、国民は 天皇陛下のことを思っているのであります。天皇家は、万世一系です。今上天皇陛下で、125代です。前述の 西洋の国王達のように 民を支配する為政形態では、世界史の中でも このような奇跡は、ありえないことであります。基本的に、日本人には 皆 二人の両親がいます。数学で、2を10乗致しますと、1024になります。つまり、10代の御先祖を遡りますと、その代だけで 1024人の御先祖様が見えることになります。125代も遡りましたら、天文学的数字になります。すなわち、全ての国民が、必ず天皇家とも関わっています。全ての国民が、天皇陛下と繋がっている訳であります。これが、日本の民主主義であります。仮に、G.H.Q.が 天皇陛下の生命の保証をしなければ、G.H.Q.の占領政策は 失敗したでありましょう。よって、G.H.Q.が 西洋の民主主義を 日本に押し付けたことは、大きなぉ世話であります。G.H.Q.が介入(心理学用語)することは、混乱の元となります。私共 現在の日本人の使命は、この混乱した日本国を再建致し、子孫に引き継ぐことであります。因みに、介入につきましては、去る6月9日(火)の「きのこ 」のブログ の中段やや上に、
「(前略)心理療法では、如何に介入するかということについて時間を掛けて勉強致しますし、現場に際して検討致します。(後略)」と記させて頂きました。
ところで、去る11月11日(水)の「今上天皇陛下の お言葉」のブログ の下段に、
「(前略)去る10月5日(月)の『硫黄島』のブログ の下段に、
『(前略)去る8月15日(土)の【終戦の日】のブログ の中段に、
【(前略)去る8月9日(日)の〖長崎原爆の日〗のブログ の中段に、
〖(前略)日本の重大なこと、および、一大事で、知っていること、そして、知ってしまったことはぉ伝えさせて頂きますことが使命であると思わせて頂いております。それで、語り継がせて頂かなければならないと感じております。(後略)〗と記させて頂きました。御承知のように、本日(8月15日)は 丁度70年目の終戦の日で御座います。(後略)】と記させて頂きました。
最後になりますが、この夏からずっと硫黄島のことを記させて頂こうと思って参りました。硫黄島のことは膨大で、しかも、深刻なことで御座いますので、何から書き始めていいのかわかりませんでした。記し始めてから気が付いたことで御座いますが、自分が書いているとは思えませんでした。より大きな存在に書かされているような気持ちになりました。このことは、此れ迄、すなわち、この一年間、このブログを記させて頂いて参りまして思っていたことで御座いますが、今回は、この書かされているという気持ちが更に強かったです。(中略)ブログを記させて頂き乍ら、感極まって涙が零れることはよくあることであり、今回もそうでした。重ねて何卒宜敷くぉ願い申し上げます。 (後略)』と記させて頂きました。今年は 終戦して 丁度70年目の年であり、日本の重大なこと、および、一大事で、知っていること、そして、知ってしまったことはぉ伝えさせて頂かなければならないと思われますので 記させて頂きました。ところが、記し始めてから気が付いたことで御座いますが、自分が書いているとは思えませんでした。より大きな存在に書かされているような気持ちになりました。今回も、ブログを記させて頂き乍ら、感極まって涙が零れました。(後略)」と記させて頂きました。今回も、同様で御座いました。
次に、冒頭に 菊のことを言及させて頂きました。前述の 去る9月9日(水)の「菊の節句」のブログ の上段に、
「(前略)菊の花は仏花の定番であり、いつも和菊を選びます。(後略)」と記させて頂きました。去る11月4日(水)の「霊峰・富士・5(榊 と 仏花)」のブログ の中段やや上、去る10月23日(金)の「レクイエム」のブログ の中段、去る10月15日(木)の「仏花」のブログ の上段、去る10月1日の「一日にすること」のブログ の冒頭、去る9月16日(水)の「菊の花」のブログ 、そして、去る9月13日(日)の「和菊」のブログ のそれぞれ上段にも、和菊の写真を添付させて頂きました。そして、今回も、自宅の和菊の写真を 下に 大きい画像で掲載させて頂きます。

和菊
(義務教育の方々に 美しい日本語を 正しい読み方で 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名を付けております)
本日も、最後 迄 お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)