ソフィア(東欧)

 このブログ(英語:blog)に御訪問頂き、誠にありがとうございます。

 リンクを らせて頂いております。紫色のブログ・タイトルをクリック(英語:click)(もしくは タップ[英語:tap])して頂きますと、過去のブログ記事に移行します。(^O^)

 

 6日前、すなわち、去る11月22日(土)の「ユーゴスラビア(東欧)」のブログで、「機会がありまして、宜敷よろしければ、ソフィア(ブルガリア語:София)(ブルガリア)のことを記させて頂きます。」と お伝え申し上げまして、誠に有り難いことに、「いいね」を頂きましたので、今回、その続きを記させて頂きます。(^O^)

 現代ギリシア語では、ソフィア(Sophia)は智慧・叡智を意味しますね。

 ベオグラード(セルビア語:Београд / Beograd)から、ユーゴスラビア(当時の国名)(御承知のように、現在では、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の6つの構成共和国はそれぞれ独立し、スロヴェニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、そして、マケドニアになっています)ないを通って、ブルガリアにこうと、ブルガリアの滞在ビザ(英語:visa)(他の東欧の国々と同様に、ブルガリア大使館にって、発給されました。)を取得していました。去る10月28日(火)の「スイス(海外のこと)」のブログで掲載しました滞在ビザ(英語:visa)を下に再掲致します。 下の再掲の左下の印が、この日の入国印です。

 

再掲・ブルガリアの滞在ビザ(英語:visa)と出入国印

 

 

 昭和62年(1987年)(菜食を始める前のことです)8月14日【金】(本日と同じ金曜日です)の朝、お伝え申し上げましたように、日本人 三人さんにんで、夜行列車で、ブルガリアの首都であるソフィア(ブルガリア語:София)駅に着きました。「1人の日本人は上智大学の外国語学部の学部生・・・」と お伝え申し上げましたが、御承知のように、上智大学は”Sophia University”といいますので、同じ”Sophia”であり、面白おもしろい一致を感じました。下にブルガリアの現在の地図を掲載致します。


ブルガリアの地図

 

 

 当時、ソフィア駅前に、レーニン(ロシア語:Ле́нин)(ロシアの革命家、政治家)像がありましたが、その場所に、今では聖ソフィア像が立っているとのことです。

 スラヴ語派の南スラヴ語群に属するブルガリア語ですので、キリル文字(ロシア語: Кириллица)を見けるようになりました。同じ東欧でも、チェコ語、スロヴァキア語、スロヴェニア語、そして、クロアチア語等はラテン文字が用いられています。

 隣のルーマニアには、東欧での進路の関係でくこと(かないませんでしたが、歴史的には、1989年12月に、ルーマニア革命(ルーマニア語: Revoluţia română)により、ルーマニア社会主義共和国のニコラエ・チャウシェスク政権が崩壊し、現在のルーマニア共和国が樹立されましたね。去る10月30日(木)の「東・西ベルリン(東・西ドイツ)」のブログで、「ベルリンの壁・崩壊」のことを お伝え申し上げましたように、この1989年という年は、東欧革命において、東欧州(おうしゅう(ヨーロッパ)各国の共産党政府が相次いで打倒されました。友人達には話すことですが、この1989年という年は、欧州(おうしゅう)(ヨーロッパ)だけでなく、中国でも民主化運動が起こりました。御承知のように、六四天安門事件(1989年6月4日)です。但し、こちらは中国人民解放軍が武力弾圧し、鎮圧(ちんあつ)されました。

 地域は違っても、同時期に、同様に民主化運動が起こるなんて、去る10月25日(土) の「右脳記憶とインスピレーション(英語:inspiration)」のブログで、記しました「世界意識」が働いているので御座ございましょうかね。

 さて、去る11月1日(土) の「東ベルリン(旧・東ドイツ)」のブログで、「exchange(両替)のブラック・マーケット(英語:Black Market:直訳は、闇取引)」について記しましたように、特に、当時のブルガリアでは気を付けなければなりませんでした。

 ここで、前述の日本人3人で、ソフィア駅前にますと、現地のブルガリア人が見えて、自宅に案内するとのことで御座ございました。日本人の年輩のほう一人ひとり(40歳~50歳くらい )が おなかの調子がまずいと言い続けていましたこともあり、どこかで休むことも必要であるかと思われました。

 結局、他の日本人二人ふたりの意見で、自宅に伺うことになりました。その写真を下に掲載致します。

 

現地のかたと共に

 

 

 昼間から、ビールなので驚きました。日本人の年輩のほう一人ひとりは前述のように、おなかの調子のことを言っていましたのに、よく飲食していました。おなかの容態をきましたら、もういいのだそうで御座ございました。これは心療内科的な症状ですね。

 ときに、現地のかたの自宅をあとにして、まず、アレクサンドル・ネフスキー大聖堂(ブルガリア語: Храм-паметник Свети Александър Невски)にきました。ブルガリア正教会の大聖堂です。1877年の露土戦争で戦死したロシア兵を慰霊するために、実際は1904年から1912年に建設されたとのことでありました。その外観を下に掲載致します。

 

アレクサンドル・ネフスキー大聖堂

 

 

 同・大聖堂中に入りました。すると、サロメ(Salome )(ヘロディアの娘)はイエス・キリストに洗礼を授けた洗礼者ヨハネの首を求めた人物として、キリスト教世界では古くから名が知られているとのことですが、それにまつわる壁画がありました。写真撮影は可とのことでありました。下に掲載致します。

 

洗礼者ヨハネ

 

 


 また、patient(ネガティブ[negative]で御座ござますし、お読み下さっている方々かたがたに影響を お与えすることの無いように、日本語でつづることをひかえさせて頂きましたが、以前 それではわからない と指摘を頂きましたので、日本語も併記させて頂きます。小さく記させて頂きます。 病人 のことで御座ございます)を癒すイエス・キリストのような絵画がありましたので、下に掲載致します。

 

イエス・キリスト

 

 

 


 それから、ブルガリア国立外国アート・ギャラリーにってみました。すると、「異教の王国の仏像」として、下の写真の仏像が展示されていました。

 

仏像

 

 

 そして、このギャラリーで驚いたことに、葛飾 北斎の「富嶽三十六景」の風景画・浮世絵がありました。明治維新のときに、日本人は お人よしで御座ございますから、浮世絵の中でも一番いいとされる浮世絵を欧州(おうしゅう(ヨーロッパ)に渡しているとのことで御座ございます。第二次世界大戦後も、いい日本文化財が、世界に渡っています。日本国内では、誠に有り難いことに、これらの文化財を買い戻す某・コレクションが御座ございます。

 ところで、去る11月23日(日)の「アロマ・テラピー」のブログで、アロマ・テラピーのことを記させて頂きました。ブルガリアの中部の地域に、「薔薇ばらの渓谷(ブルガリア語:Розова долина / Rozova dolina)」と呼ばれる全長約150kmにも及ぶ一帯があり、薔薇ばらの生産地としてよく知られています。ブルガリアは、トルコともに、香水に使われるローズ・オイルの世界最大規模の生産地の一つとのことで御座ございます。ちなみに、去る10月12日(日)の「薔薇ばらの花」のブログで、薔薇ばらの花の写真を掲載させて頂きました。

 以上のように、ソフィアには 一日いちにち て、また、日本人3人で、夜行列車で、トルコのイスタンブル(イスタンブル[トルコ語: İstanbul 【isˈtanbul】])(日本では一般に「イスタンブール」と呼ばれることが多いですね)に向かいました。(ちな)みに、ブルガリアの出国係官が車内に来て、パス ポート と ハンガリーの滞在ビザ(英語:visa)を見せました。それで、出国印が押されました。また、トルコに入りますと 入国係官が車内に来て、やはり パス ポートを見せました。そうして、入国印が押されました。なお、トルコでは、滞在ビザ(英語:visa)は必要ありませんでした。(つい)(なが)ら、機会がありまして、宜敷よろしければ、続きを記させて頂きます。唯々感謝。(^-^)

 

 (義務教育の方々かたがたに 美しい日本語を 正しい読みかたで 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名ふりがなを付けております)

 本日も、最後 まで  お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)

You cannot copy content of this page

タイトルとURLをコピーしました