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さて、一昨日 すなわち 5月13日(金)の「収骨(分骨)(父親)続報」のブログの上段に、
「(前略)去る4月7日(木)の『収骨(分骨)(父親)』のブログの上段に、
『(前略)去る 4年前の5月8日(火)の【収骨(分骨)(母親)】のブログの上段に、
【(前略)去る4月19日(木)の〖納骨(七七日・満中陰法要)〗のブログの冒頭に、
〖(前略)去る3月6日(火)の〔母親の転帰〕のブログに記させて頂きましたように、母親が 亡くなりました。そして、去る3月8日(木)の〔鰻の蒲焼・73(お通夜・父親の食事)〕のブログ そして 去る3月9日(金)の〔鰻の蒲焼・74(告別式・父親の食事)〕のブログに記させて頂きましたように、お通夜 と 告別式がありました。それから、七七日 すなわち 四十九日の納骨がありました。(後略)〗と記させて頂きました。そして、某・本願寺の須弥壇に 収骨(分骨)しました。 因 みに、御布施は 金20万円とのことでした。また、読経志として 金5千円とのことでした。なお、収骨(分骨)に関しましては、去る 一昨年の4月25日(月)の〖祖母の三十三回忌〗のブログの上段に、
〖(前略)昨日は 祖母の祥月命日(御承知のように、また、去る 一昨年の12月4日(木)の〔神社参拝〕のブログに記させて頂きましたように、一周忌以後の当月の命日のことです)でありまして、しかも、三十三回忌の日でありました。それで、浅草の某・本願寺にも 祖母の分骨(収骨)を致しておりますので、伺う予定でした。約一ヶ月前から 調整していました。ところが、準備をして 出掛ける 間際になって、母親によりますと 父親が 苦しい、具合が悪い、吐きそうとのことであり、行かないで欲しい と言っているとのことでした。父親の母親の三十三回忌の日です。それで、急遽 父親に付き添うことになりました。事前に 浅草の某・本願寺には 通知しなくてもいいシステム(英語:system)でしたので 連絡はしておらず、前述のように 当日 伺う予定でした。それで、浅草の某・本願寺から 三十三回忌の案内は来ていましたので、母親が書いた手紙を添えて お 布施を郵送致しました。また、去る10月23日(金)の〔レクイエム〕のブログ の中段やや上に記させて頂きました誓願寺にも、お布施を送りました。因みに、去る9月6日(日)の〔無畏施〕のブログ の上段 そして 去る 昨年の1月29日(木)の〔ボランティア・地域医療・その3〕のブログ に、この〔布施〕のことを記させて頂きました。(後略)〗と記させて頂きました。すなわち、祖母も、この同じ 某・本願寺で 収骨(分骨)しているのです。

合計 金205,000円の披露状(本日 すなわち 5月8日の日付が入っています)

本堂(「立入禁止」と書かれてありましたが、「撮影禁止」とは パンフレットにも書かれてありませんでしたので、撮影致しました)

本堂

本堂正面
なお、上記の納骨のときに 印刷した案内を配りましたら、二人の叔母(3女 と 4女)が来てくれました。バスを用いたそうです。序で乍ら、昨日 すなわち 5月7日(月)の〖リハビリテーション(父親)・5〗のブログの上段に、
〖(前略)先週は 祭日とのことで お休み とのことでありましたので、二週間が経過し、また 同じ 理学療法士の方が見えました。このとき 丁度 叔母(3女)から電話が入り、重なってしまいました。(後略)〗と記させて頂きました。この電話で 叔母(3女)によりますと、老眼鏡が壊れてしまった とのことでした。それで、母親の老眼鏡を火葬で出していなければ 持って来て欲しい とのことでした。それで、捜して 下の画像の 三つの老眼鏡を持って行って 手渡しました。 因 みに、この老眼鏡は、母親に求められて 一緒に買いに行った 思い出深い老眼鏡です。なお、一般的な老眼鏡を購入しましたので、叔母(3女)にも合うと思われました。

叔母(3女)に 手渡した 三つの老眼鏡
また、去る3月25日(日)の〖叔母たちの来訪・続報2〗のブログの中段やや下に、
〖(前略)この叔母(4女)から 〔(母親が亡くなって、)寂しい?〕と訊かれました。それで、去る3月20日(火)の〔鰻の蒲焼・83(父親の食事)〕のブログの中段に、
〔(前略)去る3月6日(火)の〘母親の転帰〙のブログに記させて頂きましたように、母親が 亡くなりました。そして、母親が 亡くなってから 毎日、母親と 会話 すなわち 話しかけています。つまり、〘漸く 暖かくなって来たね。〙とか、〘今日は、何を食べたい。〙とか です。(後略)〕と記させて頂きました。このように 〔母親と 会話 すなわち 話しかけています。〕 と回答しようと思いました。(後略)〗と記させて頂きました。このように 〖母親と 会話 すなわち 話しかけています。〗と話しましたら、誠に有り難いことに 叔母(3女)も そうしている とのことでした。
それから、牛久阿弥陀大仏・永代経(胎内仏)に 母親の法名追加の手続きをして、来る5月10日(木)の午後10時から 牛久阿弥陀大仏胎内三階で 読経がなされる と伝えました。すると、叔母(4女)も 母親と一緒に行ったことがある とのことでした。
ならびに、その電話で 叔母(3女)によりますと、仙台の親戚から 何も送って来ないのは どうかしている とのことでした。および、叔母(4女)によりますと、仙台に行って来た とのことでした。そして、義理の姉は 老人ホームに居て dementia(英語)(ネガティブ[英語:negative]で 御座いますし、お読み下さっている 方々に影響を お与えすることの無いように、日本語で 綴ることを控えさせて頂きましたが、以前 それでは わからない と指摘を頂きましたので、日本語も併記させて頂きます。小さく記させて頂きます。認知症のことで 御座います。以下、英語で dementiaと示させて頂きます)とのことでした。因 みに、話し掛 けても 反応がないそうです。
なお、仙台の親戚から、東京に所用の序でに 当家に来る と言って 電話連絡がありました。ところが、この叔母(4女)によりますと、仙台の親戚は 忙しいので 来なくてもいい と話した とのことでした。それで、〖済みません。〗とのことでした。
また、一昨日 すなわち 5月6日(日)の〖弔問客の来訪・続報6〗のブログに記させて頂きました おばさんから、昨日 電話が入りました。それで、このおばさんも バスで行ける所なので、見える とのことでした。但し、翌日の午前中に 診療が入っているので、終わったら 直ぐに帰る つまり 失礼する とのことでした。因 みに、自分の父親は 京都の某・本願寺に 収骨(分骨)した とのことでした。なお、このおばさんによりますと、姉の子供が 3歳だったときに 見ている とのことでした。序で乍ら、このおばさんによりますと、誠に有り難いことに 母親は 側に居る とのことでした。それで、去る3月14日(水)の〖告別式での挨拶〗のブログの中段に、
〖(前略)ターミナル・ケアに携わったこともありましたが、ほぼ唯一と思える 救いは、生命は行き通しである ということを信じておりまして、彼岸 すなわち あの世に 母親は 生れていることと思います。(後略)〗と記させて頂きました。すなわち、母親は 彼岸に生れていますね と回答しました。

某・本願寺からの案内
ときに、上記のように 法要開始時間が 午後3時になっていますので、上記のおばさん そして 二人の叔母(3女 と 4女)には、この時間を伝えていました。
そして、電話でも、御遺骨(分骨)を収骨する関係で 上記のように 40分前迄 に 御遺骨を持って来て欲しい とのことでした。それで、1時間前に到着しました。すなわち、当方 と 同行したヘルパー(日本語:家政婦)のみが 御遺骨を届ければいいと思っていました。ところが、法要の前に 須弥壇に 収骨する行事がある とのことでした。勿論 、まだ 上記のおばさん そして 二人の叔母(3女 と 4女)は 到着していません。それで、取り 敢 えず 母親の御遺骨を 桐箱に移す作業を行いました。 因 みに、去る3月9日(金)の〖鰻の蒲焼・74(告別式・父親の食事)〗のブログの中段やや上に、
〖(前略)誠に有り難いことに、火葬場で 母親の喉仏が出ました。因みに、火葬に際しての喉仏とは、咽喉頭の軟骨(燃えてしまいます)のことではなくて 第二頸椎(軸椎[英語:axis]とも、呼ばれます)のことです。なお、去る 一昨年の1月1日(金)の〔謹んで新年の御祝詞を申し上げます。(智慧と愛)〕のブログの中段やや下、去る 一昨々年の5月18日(月)の〔一大事とは〕のブログ の後半、去る 一昨々年の3月21日(土)の〔介護〕のブログ の上段 そして 去る 4年前の10月18日(土)の〔心身医学会〕のブログ の中段やや上などに、
〔(前略)元・心理療法内科の学会の理事長に依頼されて、某・日本医療心理学院で、早稲田大学やお茶の水女子大学の心理の大学院生に心身医学の講義を行っていました・・・(後略)〕と記させて頂きました。この講義のときに、上記の 第二頸椎(火葬に際しての喉仏)のことにつきまして、図を用いて説明しました。

喉仏が入った 母親の遺骨(分骨に用いるとされている とのことです)
(後略)〗と記させて頂きました。なお、誠に有り難いことに、この母親の喉仏 すなわち 第二頸椎が 入っていることが 確認出来ました。
それから、須弥壇での行事が始まる前に、誠に有り難いことに 上記のおばさん そして 二人の叔母(3女 と 4女)が到着しました。それで、共に 須弥壇に参りました。 因 みに、一昨日すなわち 5月6日(日)の〖弔問客の来訪・続報6〗のブログの上段に、
〖(前略)このおばさんによりますと、膝に 人工関節をした とのことでした。それで、正座は出来ないとのことでありましたので、椅子を用意致しました。(後略)〗と記させて頂きました。それで、今回も 僧侶に 椅子を用意してもらいました。なお、誠に有り難いことに、おばさんに 須弥壇を見ることが出来て よかった といってもらえました。
それから、午後3時から 法要が始まりました。 因 みに、三人の僧侶によって 仏説・阿弥陀経が唱えられました。そして、その後、説法がありました。なお、同行したヘルパー(日本語:家政婦)によりますと、若い僧侶とのことでした。この若い僧侶によりますと、遺骨を 狭い 窮屈な お墓の中に閉じ込めてしまう とのことでした。この説法の後、身体に比べれば 御遺骨は 小さなものなので、言われる迄は そんなこと思わなかった、この場で話されることとしては 疑問との話になりました。そして、納骨が済んだばかりであるのに 誠に無神経との話にもなりました。しかも、天気予報によりますと 雨が降り出すので、お経が終了して 皆 直ぐに 帰りたいのに 話が長い とのことでした。案の定 後述致しますように、帰りは 雨になりました。
また、そのヘルパー(日本語:家政婦)によりますと、お経の方は 読むスピードが速すぎる とのことでした。序で乍ら、このヘルパー(日本語:家政婦)の手当は 一時間で 金2,110円です。今回、本日一日で 六時間半 掛 かりましたので、このヘルパー(日本語:家政婦)に 金13,715円を支払いました。
ところで、上記の披露状(領収書のこと)を頂きましたときに、下の画像の品物を頂きました。 因 みに、上記のおばさん、二人の叔母(3女 と 4女) そして そのヘルパー(日本語:家政婦)に 全て 差上げました。

お菓子

おばさんから 「何。」と訊かれましたので、マッチと回答しました。因 みに、このおばさんによりますと、この品物を トイレに置いて来てしまった とのことで 取りに戻られました。

上記と同様に マッチ

差上げた 品物
さて、二人の叔母(3女 と 4女)から 上記のおばさんについて 訊かれました。 因 みに、二人の叔母(3女 と 4女)は、このおばさんのことを知らなかったようです。それで、紹介しました。そして、このおばさんによりますと、自分が券を渡して、以前 二人の叔母(3女 と 4女)と共に 日生劇場に行った とのことでした。
ときに、法要が終って 帰宅して 自宅に到着したのが、午後5時半でした。交通手段と致しましては、自転車、2社の電車 そして 地下鉄を用いました。因 みに、帰りには 冷たい雨が降り出していました。帰りの 途中で 歩いているときに、そのヘルパー(日本語:家政婦)によりますと、あのタワー 何でしたっけ とのことでした。それで、東京スカイ・ツリーと回答しました。序で乍ら、東京スカイ・ツリーのことは、去る 4年前の10月5日(日)の〖ボランティア・高尾山登山 〗のブログの中段 そして 去る 4年前の11月1日(土)の〖東ベルリン(旧・東 独)〗のブログの上段などに記させて頂きました。この去る 4年前の10月5日(日)の〖ボランティア・高尾山登山 〗のブログの中段に記させて頂きましたときには、まだ 東京スカイ・ツリーは 建設途中でした。このときは、両親と やはり 同じ 某・本願寺に参拝した後でした。すなわち、毎年 正月に、両親と この某・本願寺に参拝しておりました。
なお、そのヘルパー(日本語:家政婦)によりますと、思っていたよりも 時間が 掛 かった とのことでした。序で乍ら、このヘルパー(日本語:家政婦)によりますと、cold(英語)(ネガティブ[英語:negative]で 御座いますし、お読み下さっている 方々に影響を お与えすることの無いように、日本語で 綴ることを控えさせて頂きましたが、以前、それではわからない、と指摘を頂きましたので、日本語も併記させて頂きます。小さく記させて頂きます。感冒[俗に、風邪]のことで 御座います。以下、英語で coldと示させて頂きます)ぎみとのことでした。それで、もっと早く言ってくれれば 休んでもらったのに と回答しました。ならびに、このヘルパー(日本語:家政婦)によりますと、cold を引き易い とのことでした。および、弱い総合感冒薬を 服用んだ とのことでした。このヘルパー(日本語:家政婦)によりますと、いつも 直ぐ 服用んでしまう とのことでした。 因 みに、去る 一昨年の10月8日(土)の〖両親の食事・2〗のブログの中段やや下に、
〖(前略)更に 昨夜は、午後10時に 様子を見に行きました。すると、母親が 寒気がして 風邪気味とのことでありました。そこで、市販の 葛根湯 と 去る 一昨年の10月12日(日)の〔 薔薇の花〕のブログ の中段やや下、去る 一昨年の11月23日(日)の〔アロマ・テラピー〕のブログ の上段やや下 そして 去る9月8日(木)の〔北海道旅行・5(原生花園)〕のブログの上段に記させて頂きました ローズ・ヒップ(英語:rose hip)のビタミンCを 服用んでもらって 大事にしてもらっています。なお、 葛根湯につきまして ワン・ポイントのみ お伝え申しあげますと、 葛根とは、 葛の根です。また、御承知のように、漢方薬は 食前に お湯で 服用むことになっています。それで、漢方薬の名称の最後には 〔湯〕と付けられています。(後略)〗と記させて頂きました。すなわち、coldをひきますと、日本では なかなか そういう訳にはいきませんが、北欧の人たちは 仕事を早退して ビタミンCを 服用んで 休む とされています。それで、そのヘルパー(日本語:家政婦)にも、早めに帰って ビタミンCを 服用んで 休んでもらえば よかった と話しました。すると、酷いときには そうさせてもらう とのことでした。
なお、二人の叔母(3女 と 4女)には お土産は 呉々も 気にしないでもらいたいと 今朝 連絡しました。ところが、荷物になるけど とのことで 誠に結構な品物を持って来ました。そこで、〖結構な品物を 誠に有り難う御座いました。〗と伝えました。それで、下の画像の お土産の 鰻丼を 父親が食べないと言うので、このヘルパー(日本語:家政婦)の coldの為 に 差上げました。 更 に、このヘルパー(日本語:家政婦)に、手当(給料)の他に 感謝の印と致しまして 下の画像の 全ての お土産をあげました。序で乍ら、本日 すなわち 5月8日(火)の〖父親からの連絡・18・後編〗のブログの最後に、
〖(前略)本日の午後3時46分 そして 日没後 すなわち 午後8時9分にも、父親から 電話連絡が入りました。因みに、本日の2回目の電話のときには、その直前迄 父親によりますと お腹は空いていない とのことでありました。ところが、お腹が空いた とのことでした。(後略)〗と記させて頂きました。上記のように そのときは 父親は お土産の 鰻丼を食べない と言ったのですが、この直ぐ後の 午後8時9分のときには、〖お腹が空いた。鰻丼を食べたかった。〗 とのことでした。

そのヘルパー(日本語:家政婦)にあげた 鰻丼

そのヘルパー(日本語:家政婦)にあげた 黒胡麻

そのヘルパー(日本語:家政婦)にあげた 白胡麻

そのヘルパー(日本語:家政婦)にあげた 落花生

そのヘルパー(日本語:家政婦)にあげた ロースト・ピーカン・ナッツ(まだ 食べたことがないので、食べたい とのことでした)

ナッツ

煮物
ところで、前述致しましたように これらの 全ての お土産をあげた ヘルパー(日本語:家政婦)によりますと、上記のおばさんと同様に 膝が悪い とのことでした。(後略)】と記させて頂きました。
さて、去る3月11日(金)の【父親の転帰】のブログに記させて頂きましたように、父親が 母親に続いて 亡くなりました。それで、去る4月2日(土)の午前中に、電話で 某・本願寺に 父親の収骨(分骨)の申し込みをしました。すなわち、御布施は 金10万円とのことでした。 因 みに、約4年前の母親のときには、御布施は 金20万円とのことでした。それで、そのことを言いましたら、約4年前のときは 2名でしたか と尋ねられました。それで、母親のみ 1名ですと回答しました。なお、武漢ウイルスによる 自粛のせいで その某・本願寺への参拝が減り、割引になったのかもしれませんね。
すると、誠に有り難いことに、4月5日(火)(奇しくも、母親の誕生日であり、立ち日であります)に、某・本願寺から 須弥壇収骨申込書が届きました。それで、翌日 すなわち 4月6日(水)に その申込書を記入して 速達で 返送しました。(後略)』と記させて頂きました。
ときに、去る3月17日(木)の『父親の告別式(家族葬)』のブログに、父親の告別式(家族葬)のことを記させて頂きました。
また、去る 4月24日(日)の『父親の納骨(七七日・満中陰法要)(シンクロニシティ)』のブログの中段に、
『(前略)浄土真宗本願寺派(西本願寺)、真宗大谷派(東本願寺) そして 浄土真宗東本願寺派(単立)などの違いを説明しました。(後略)』と記させて頂きました。
ならびに、当家は、真宗大谷派(東本願寺)であります。なお、その関係と両親の意向で、上記のように、その浅草の某・本願寺に 祖母 と母親 の分骨(収骨)を致しております。それで、今回、父親も 同じ その某・本願寺で 分骨(収骨)をさせて頂こうと思いました。 因 みに、祖母の祥月命日は 約38年前 すなわち 昭和59年4月24日であります。その際、祖母は 浄土真宗の お寺の世話人をしておりまして、その関係で 真宗大谷派(東本願寺)を含めまして 4人の僧侶が見えました。その後、両親が考えまして、1ヶ所の菩提寺に絞りました。なお、真宗大谷派(東本願寺)の僧侶(都立新宿高校定時制の教師)が亡くなりましたこともあり、浄土真宗本願寺派(西本願寺)の住職の お寺であります。ところが、本日の午前11時27分に、その浅草の某・本願寺から 異例なことに 電話が入りました。すなわち、菩提寺は何処ですか との問い合わせでありました。それで、告別式も 納骨(七七日・満中陰法要も、その浄土真宗本願寺派(西本願寺)の住職に行なってもらった と回答しました。すると、上記のように これ迄 の 祖母 と母親 の分骨(収骨)のときには 何も言われなかったのですが、菩提寺に許可を取って 折り返し電話をしてもらいたいとのことでした。時代が変わり、厳しくなったとのことでした。序で乍ら、祖母は 『お東(東本願寺のこと)』と『お西(西本願寺のこと)』は同じと話していましたが、その辺りには 相当 気を使いました。その浄土真宗本願寺派(西本願寺)の住職からも 分骨(収骨)は 何処で行なっているのか 尋ねられますので、その浅草の某・本願寺で行なっていると 以前 回答しました。すなわち、先方から 尋ねられたときにのみ、答えているのであります。つまり、非常に 気遣いしているのであります。
すると、その浅草の某・本願寺の女性担当者によりますと、僧侶に相談するとのことでした。すなわち、お寺同士の縄張りのことがあり、後で 揉めるから とのことでした。 因 みに、前回の電話連絡のときに、先方から 納骨(七七日・満中陰法要)のことを言及されて、何処で行なっているのか 尋ねられたことを思い出しました。つまり、これも お寺同士の縄張りのことであるのだと思われました。要するに、日本の宗教が 商業主義になっていることの事例であると思われました。すなわち、故人の供養とは 別のことが働いているのでありますね。
また、遠方から 来る人が居て 途中で退席するのは 失禮であるとのことであり、10分程度の法話を割愛してもらうことは出来るのかどうかということであります。なお、この問いに関しましては、沈んだ声で 『法要に 法話が含まれている。』とのことであり、出来ないとのことでした。

父親の お骨(この お骨を抱きましたら、自然に 涙が零れました)
(後略)」と記させて頂きました。
そして、当日になりました。因 みに、最寄りの駅から 午前10時58分の電車に乗って、その電車に乗ってくる筈である 家政婦と合流する予定でした。なお、事前に、家政婦とは しっかり打ち合わせをして メモにも書いて 手渡していました。ところが、その家政婦は、その 乗ってくる筈である 電車に 乗車していませんでした。それで、次の駅で降りて、電話しました。すると、その家政婦によりますと、まだ 家に居るとのことでした。そして、時間を間違えたとのことでした。そこで、当初の打ち合わせでは、予定の電車に乗れなかったら 先に行くと話していましたが、まさか そうなるとは思いませんでした。それで、兎に角 某・本願寺での受付がありますので、先に行くことにしました。但し、電車に乗っていても、 D.M.(拉語/独語/英語:diabetes mellitus)(ネガティブ[英語:negative]で 御座いますし、お読み下さっている 方々に影響を お与えすることの無いように、日本語で 綴ることを控えさせて頂きましたが、以前、それではわからない、と指摘を頂きましたので、日本語も併記させて頂きます。小さく記させて頂きます。糖尿病のことで御座います。以下、外国語[略語]で D.M.と示させて頂きます)の治療中の家政婦が 無事に来ることが出来るかどうかを考えますと 気が気ではありませんでした。それで、乗り換え そして 到着後に、その家政婦に 合計で 8回 電話をして 誘導しました。例えば、電車の進行方向後ろの出口から降りるようにとか、オレンジ色の地下鉄 銀座線に乗るように とか、浅草方面行きの電車に乗るように とかを伝えました。そして、地下鉄 銀座線に乗ったら、降車駅では 電車の進行方向 一番前の出口で下車するようにとか、その都度 状況に応じて 指示しました。それから、下車したら、徒歩 2~3分であると伝えました。そうして、誠に有り難いことに、最終的には 何とか 浅草の某・本願寺の門の前迄 出て、午後0時45分頃に 合流することが出来ました。序で乍ら、最寄り駅迄 迎えに行こうかとも思いましたが、入れ違いになっては 却って まずいと思い、某・本願寺の門の前で 待つことにしました。それで、その家政婦には、改札 窓口の職員に尋ねるように伝えました。すると、その家政婦によりますと、最初の角の ふぐ料理店を 左に曲がるように言われたとのことでした。因 みに、時間的には ギリギリでした。なお、当方は 携帯電話を用いるときには、乗り換えのときに行なっていましたし、本山でも 外に出て 電話連絡するなど 気を遣っていました。しかも、家政婦によりますと、電車内で 携帯電話を マナー モードにしてもらいたいとの 一般客向けの表示が出ていたとのことでした。序で乍ら、マナー モードにするのは 当然のことですね。 因 みに、携帯電話がない時代でしたら、今回のように 合流することは 極めて難しかったであろうと思われますね。なお、電車に乗る為 に スイカを用いましたが、改札で しっかり タッチしているにもかかわらず 下車するときに 入線記録がないと表示されました。それで、窓口の男性係員に その旨を伝えて 漸く 下車することが出来ました。

某・本願寺からの案内(書かれてありますように、父親の遺影 そして 4冊の過去帳を持って行って 預けました)

某・本願寺からの案内
ところで、当方は、午前11時50分頃に、到着しました。そして、受付で、御布施を手渡しました。因 みに、前回 すなわち 4年前の母親のときには 上記のように 金20万5千円でしたが、今回は やはり 下の画像のように 金10万円でした。

須弥壇収骨(分骨)の披露状(領収書ではなく、披露状という名称を用いています。そして、本日 すなわち 5月15日[日]の日付が記されています)
ときに、午後0時40分過ぎになって、当家の控室が 用意されました。因 みに、それ迄 は、一般の参拝者の居る場所で 待機していました。なお、受付(女性)によりますと、札が引っ繰り返ったら、控室として 用いることが出来るとのことでした。序で乍ら、家政婦は D.M.で 退院したばかりですし、大量のインシュリン治療中でありますので、誠に有り難いことに、上記のように 10分程度の法話を割愛してもらいました。そして、この件につきましては、家政婦も納得しました。なお、この家政婦のD.M.に因 みまして、誠に有り難いことに 寺務所の担当者によりますと 須弥壇の段差は 大丈夫ですかとのことでした。それで、4年前に 当方も この段差は経験しているし、その家政婦も体験していると回答しました。そこで、家政婦は 電車で来るので 平気であるが、長時間 緊張を強いられるのが まずいと答えました。そして、普通の人ならば、何で もないことなのでありますがね と話しました。序で乍ら、普通の人ならば 何で もない法話でも、患者さんには ストレッサー(英語:stressor)(去る 8年前の10月29日(水)の「身体の効率」のブログで、この意味を詳細に記させて頂きました)に感じてしまうと回答しました。

当家の第一控室

上の画像の当家の第一控室の左に掲げてある札(この札が 他家から当家に引っ繰り返りました)(収骨[分骨]の法要は、上記のように 13時30分[午後1時30分]からであります)
なお、去る5月12日(木)の「親戚からの突然の電話連絡・続報36・後編」のブログの中段やや下に、
「(前略)去る5月6日(金)の『肉親の来訪・14・後編』のブログの中段下に、
『(前略)去る3月11日(金)の【父親の転帰】のブログに記させて頂きましたように、父親が 母親に続いて 亡くなりました。なお、姉夫婦によりますと、今年は、もう 来ないとのことでした。すなわち、初盆 と 収骨(分骨)には 行かないとのことでありました。それで、生前 父親は 何度も【自分が死んだら 泣いてくれるか、誰が 来てくれるか。】と話していましたので、三回 説得しました。 因みに、この説得したことは、家政婦も 知っています。なお、因果律が分かっていれば、親の初盆 と 収骨(分骨)に 出席しないということは、自分のときに 子供たちが 同じことをするということであります。そこで、因果律に基づいて 生活を していればいいのにね と 家政婦に話しました。そして、何で このような簡単なことが分からないのだろうね、不思議なのだけれどね と話しました。序で乍ら、家政婦によりますと、因果応報とのことでした。しかし乍ら、上記のように 三回 説得しても 義理の兄によりますと、ハッキリと、今年 姉夫婦は 当家に訪れることは ないとのことでした。 因みに、その家政婦との話で、父親も 母親も、あの世で 悲しんでいるだろう との内容になりました。(後略)』と記させて頂きました。それで、上記のように 三回 説得しました。そして、今回も 先方から電話連絡がありましたので、もう1度 説得しました。ところが、やはり 勘弁してとのことでした。(後略)」と記させて頂きました。すなわち、姉夫婦には 上記のように 参加を拒否されてから 四回も 説得しましたが、結局 収骨(分骨)に 来ませんでした。
そのうえ、去る 一昨年の2月12日(水)の「笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤小乗から 大乗へ・中編」のブログの中段やや上に、
「(前略)原則として 外食しません。例外として 完全穀物菜食(ヴィーガン・ヴェジタリアン)の店に行くことはありました。当然 禁酒・禁煙で、飲み物は、刺激が強いカフェイン(通常 ヴィーガン・ヴェジタリアンは カフェイン飲料を摂取らない、と本に書かれてありました。親友は カフェイン飲料を摂取るのは 午後三時迄と言っています)の含まれた飲料ではなくて 水 か 白湯です。(後略)」と記させて頂きました。
それから、上記のように ギリギリ 午後0時45分頃に、家政婦が到着しました。そして、この家政婦は、その当家の第一控室で お茶を飲みました。因 みに、当方は、上記のように お茶のような カフェイン飲料は摂取りません。
そして、去る 昨年の7月3日(土)の「マッサージ(父親)・170・中編・3」のブログの中段やや下に、
「(前略)昨日 すなわち 6月25日(金)の『武漢ウイルスのワクチンについて(拡散希望)・続報4』のブログなどに記させて頂きました 内容を伝えました。すると、誠に有難いことに、帰宅したら 直ぐ見るとのことでした。
しかも、物理法則に 作用反作用の法則があるように、お薬にも 正作用と副作用が あることを伝えました。そして、通常は お薬の正作用が出るように 使うのですが、副作用が強ければ お薬ではなく 毒になってしまいます。それで、上記の 昨日 すなわち 6月25日(金)の『武漢ウイルスのワクチンについて(拡散希望)・続報4』のブログに記されている代表世話人によりますと、このワクチンは 有害無益とのことでありました。(後略)」と 記させて頂きました。
ならびに、去る 昨年の9月23日(木)の「ケア・マネージャー(父親)の来訪・51・前編」のブログの中段に、
「(前略)『外科医は メスを使い、内科医は 薬を使い、心療内科医は 言葉を使う』と言われます。(後略)」と 記させて頂きました。
および、去る 一昨年の2月12日(水)の「笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤ 小乗から 大乗へ・前編」のブログの中段やや上に、
「(前略)元・日本医科大学精神神経科助教授(当時の名称。現代では 准教授ですね)によりますと、待合室に居る患者さんのことが分かったと その助教授の書に記されていました。
東洋医学に望診がありますが、最近では、誠に有り難いことに、client(英語)(日本語:来談者)が入って来ると わかるようになりました。元・看護婦(当時の名称。現代では 看護師ですね)でも、現役のときは、患者さんが部屋に入って来ただけで わかったとのことです。(後略)」と 記させて頂きました。
また、去る2月13日(日)の「武漢ウイルスのワクチンについて(拡散希望)・続報17・前編」のブログ そして 去る2月13日(日)の「武漢ウイルスのワクチンについて(拡散希望)・続報17・後編」のブログなどを記させて頂きました。
しかも、去る 一昨年の6月20日(土)の「マッサージ(父親)・116・中編・2」のブログの中段やや上に、
「(前略)米国では 国際金融資本家たち(左翼系ユダヤ人 そして その影響を受けた資本家たち)が 世界恐慌の再来を願って、国民に自粛をさせて 企業を倒産させることを目論んでいるとされています。序で乍ら、御承知のように、ファウチ米国・国立アレルギー・感染症研究所所長などが、トランプに逆らって 都市閉鎖を解除しては いけないと言っていますね。(後略)」と記させて頂きました。そして、このファウチは、米国では 規制が強くて 生物兵器としての 武漢ウイルスの開発が出来ないので、中国の 武漢研究所に 依頼して、しかも、資金援助をしているのであります。因 みに、そのことは、そのファウチのメールから発覚しています。なお、このことを 米国上院議員のランド・ポール(眼科医)が 追及しています。
そのうえ、ロベルト・コッホ(独語:Heinrich Hermann Robert Koch)(独の細菌学者)が提唱した、感染症の病原体を特定するための三原則 すなわち (1)特定の伝染病になった病体から特定の細菌を必ず発見する,(2)その細菌を分離する,そして(3)分離された細菌を純粋に培養したもので原病が再現できること,の3点で,この三つの原則が満たされれば,病原菌として証明されたとしました。因みに、某・徳島大学名誉教授によりますと、中国が 武漢から 発したとのことで 報告して、世界保健機関(W.H.O.)は 病原体として 認定しているとの旨でした。しかし乍ら、日本の法律では 武漢ウイルスが 病原体であると書かれていないとのことでした。そして、遺伝子のレベルでも 武漢ウイルスが 存在するのかということに対して 誰も 証明していないとのことでした。
のみならず、去る 昨年の6月1日(火)の「訪問看護(父親)・76・中編・2」のブログの中段に、
「(前略)前回 すなわち 4月21日(火)に この訪問看護師の方(非常勤)が来たときに、去る5月3日(月)の『武漢ウイルスのワクチンについて(拡散希望)』のブログの内容を話しました。それから、この訪問看護師の方(非常勤)によりますと、1回目の武漢ウイルスのワクチンを接種したとのことでした。そして、この訪問看護師の方(非常勤)によりますと、誠に有り難いことに、繰り返し 心配してもらってとのことでした。 因みに、この訪問看護師の方(非常勤)によりますと、私たちが 治験者になっているとのことでした。
のみならず、この訪問看護師の方(非常勤)によりますと、世界のことが分からないで 生活しているとのことでした。(後略)」と記させて頂きました。すなわち、医療スタッフたちには、武漢ウイルスのワクチンは 治験段階であることを 既に伝えてありました。おまけに、上記のように その訪問看護師の方(非常勤)は 世界のことが分からないと言うので、国際金融資本家たち(左翼系ユダヤ人 そして その影響を受けた資本家たち)が目指す 新世界秩序(英語:New World Order、略称:N.W.O.)のことを それ以後 繰り返し 伝えました。
更に、去る2月1日(火)の「訪問看護(父親)・92・中編・4」のブログの下段やや上に、
「(前略)昨日 すなわち 1月31日(月)の『リハビリテーション(父親)・168・中編・7』のブログの下段に、
『(前略)去る1月26日(水)の【武漢ウイルスのワクチンについて(拡散希望)・続報16】のブログの最後に、
【(前略)驚くべき ニュースが入ってきました。すなわち、5歳~11歳の子供に迄 武漢ウイルスのワクチンの特例承認へ とのことであります。つまり、厚労省は 一線を越えました。これは、何とか阻止しなければなりません。(後略)】と記させて頂きました。そして、国際金融資本家(左翼系ユダヤ人 そして その影響を受けた資本家たち) が 暗躍して、ビジネスとしている話を しました。因みに、武漢ウイルスのワクチンが おかしいと思い出した 日本人が 増えたとの話になりました。なお、その理学療法士の方によりますと、第3回接種を行っている人は少ないとのことでした。但し、武漢ウイルスのワクチンが おかしいと思っていても、世界の構造 と これは ビジネスであると分かっている 日本人は 1~2%とされていて 少ないと回答しました。(後略)』と記させて頂きました。そして、その訪問看護師の方(常勤)にも、この話をしました。(後略)」と記させて頂きました。すなわち、日本人で 気が付いている人は、上記のように 現状は 1~2%であります。従って、米国のように トランプに投票した 約40%にならなければ、日本は 変わりません。その為 には、自分に縁のある 国民 一人一人に 語らなければなりません。兎に角、国際金融資本家たち(左翼系ユダヤ人 そして その影響を受けた資本家たち)に支配されている 新聞やテレビといった マス メディアによって、国民は洗脳されているからであります。但し、そのマス メディアは、国民 一人一人に 語ることは出来ません。なお、目覚めた 1~2%の日本人が出来ることは、上記のように 自分に縁のある 日本人 一人一人に話すことであります。
おまけに、去る 一昨年の10月17日(土)の「マッサージ(父親)・133・中編・2」のブログの中段やや下に、
「(前略)菅総理の所に 様々な利権 や お金が集まるようになっています。(後略)」と記させて頂きました。すなわち、お金が欲しい政治家には、国際金融資本家たち(左翼系ユダヤ人 そして その影響を受けた資本家たち)は お金を渡して 代理人にします。
それから、安倍晋三 元 総理 や トランプ 元 米国大統領のように お金がある 政治家には、国際金融資本家たち(左翼系ユダヤ人 そして その影響を受けた資本家たち)が支配している マス メディアを使って 貶めるのであります。 因 みに、そのときに、国民が 洗脳させないことが 大事なことであります。
ならびに、去る 一昨年の3月3日(火)の「英語という言語(日本人の危機)・前編」のブログの中段やや下に、
「(前略)中国共産党は、政治家たちにも 赤い金を ばらまき、しかも、ハニー・トラップを 行っています。公明党は 素より、自民党でも 幹事長を初め 議員の4分の3が 中国派と言われています。(後略)」と記させて頂きました。すなわち、ハニー・トラップも用います。
そうして、予定時間よりも遅く すなわち 午後1時過ぎに 若い僧侶が来ました。それで、当方の名刺を手渡しました。 因 みに、その若い僧侶は、自分は 名刺を持っていないとのことでした。それから、その若い僧侶が 当方の名刺を見て、実は 心療内科に受診しようと思っていると 驚くべきことを語り始めました。すなわち、自律神経失調症とのことでした。序で乍ら、家政婦によりましても、異例なこととの旨でした。 因 みに、去る 8年前の10月18日(土)の「心身医学会」のブログ に記させて頂きました 日本心身医学会の創始者(九州大学名誉教授)によりますと、現代医学と宗教と二 つの立場を うまく統合したような医学が生まれなければ、「病める人」の本当の救いにはならないのではないかと考え始めたとのことでした。すなわち、日本の心身医学は ここから出発しているのではないかと伝えました。
それで、以下のことを伝えました。すなわち、現代は 社会が おかしいので、真面目な人程 その影響を受けてしまうことを伝えました。つまり、ちゃらんぽらんで いい加減な人は、却って 平気なのであります。 因 みに、去る 昨年の8月8日(日)の「ボランティア・地域医療・その7(令和3年)」のブログに記させて頂きました 地域医療研究会の 母校の医学部の後輩で、実家が お寺であり 僧侶の修行もしている学部生が居ました。その学部生が、お寺の研修の際 木魚を叩くときに、先輩の僧侶の頭と思って 叩くとのことでした。そうして、発散しているのですね。
それで、その若い僧侶にとりましては、上司の僧侶が ストレッサー(英語:stressor)(去る 8年前の10月29日(水)の「身体の効率」のブログで、この意味を詳細に記させて頂きました)になっているようでした。従って、上記の学部生のように 図々しければ、その若い僧侶のようには ならないのですね。但し、どちらが いいかどうかは、別問題であります。
なお、心療内科は 内科と精神科の医師が混在し、診断・治療法に ばらつきがあるなど 内実は 玉石混交であるとされています。それで、当方の所属する 日本心療内科学会は 登録医制度を作るなど 心療内科医の質の確保に乗り出した経緯が あります。序で乍ら、当方は、右上のプロフィールに記させて頂きましたように、平成16年から 学会の登録医を継続しています。 因 みに、心療内科は人気があるので、開業医は、精神科医が 患者を集める目的で 心療内科を標榜することが多くなっていることを伝えました。そして、勿論 例外はあるが、精神科医は ほとんど 身体的な研修をしてきていないと伝えました。すなわち、去る 7年前の3月16日(月)の「納豆(昨日のおかず)」のブログの冒頭に、
「(前略)母校の、某・理事長に勧められた内科学教室に入局・・・(後略)」と記させて頂きました。それで、この内科学教室の研修中のことであります。すなわち、内科医は 注射の技術は 先輩も言うように 高いが、精神科医は 患者さんに 注射をするにも 数人の医師が集まって 行なっていました。そこで、当方が 注射を行ないますと言っても、許可してくれませんでした。
そうして、精神科医は 話を聞いて 薬を処方することが仕事であると話しました。そこで、上記のように、薬には 必ず 副作用があることを伝えました。そして、51%が薬であり 49%が毒であっても、薬と言われると話しました。しかも、上記の 望診を行なうと、その若い僧侶は 過度な薬物療法を行なわない方が いいように思われました。それで、その若い僧侶に そのことを伝えました。
すると、その若い僧侶が、また 驚くべきことを話し始めました。すなわち、武漢ウイルスのワクチンを打って 調子が悪くなったとのことでした。それで、この約2年半の騒動は 何であったのか と思うかもしれないが、上記のように 日本の法律では 武漢ウイルスが 病原体であると書かれていないとのことを伝えました。そして、遺伝子のレベルでも 武漢ウイルスが 存在するのか ということに対して 誰も 証明していない ということを話しました。すなわち、国際金融資本家たち(左翼系ユダヤ人 そして その影響を受けた資本家たち)に支配されている 新聞やテレビなどのマス メディアが 伝えているだけなのであります。
それで、その若い僧侶が、厚生労働省のことを言及致しました。そこで、上記のハニー・トラップ や お金によって 政治家は、国際金融資本家たち(左翼系ユダヤ人 そして その影響を受けた資本家たち)の代理人になっております。しかも、政府も グルであります。そのうえ、厚生労働省などの官庁も、国際金融資本家たち(左翼系ユダヤ人 そして その影響を受けた資本家たち)に乗っ取られています。それらのことを 話しましたら、誠に有り難いことに、納得してくれました。
そして、当方に出来ることは、上記のように、自分に縁のある 日本人 一人一人に話すことであると伝えました。
しかも、前述の 去る2月13日(日)の「武漢ウイルスのワクチンについて(拡散希望)・続報17・前編」のブログ そして 去る2月13日(日)の「武漢ウイルスのワクチンについて(拡散希望)・続報17・後編」のブログなどに記させて頂きましたように、国内で およそ 四十万人の医師の中から 約二百人以上の医師が立ち上がりました。 因 みに、当方も、署名して 加わっております。そのことを伝えました。そして、アメーバ ブログの当方の I.D.を伝えました。それから、子供たちには、絶対に 武漢ウイルスのワクチンを打たしては いけないと伝えました。
次に、去る 4月24日(日)の「父親の納骨(七七日・満中陰法要)(シンクロニシティ)」のブログに、父親の納骨(七七日・満中陰法要)のことを記させて頂きました。そして、その若い僧侶が、下の画像の分骨証明書を 持ち帰るように言いました。ところが、この分骨証明書は 某・火葬場で発行されたものであり、上記の納骨(七七日・満中陰法要)のときにも、某・霊園管理事務所に 死体火葬許可証を提出して 回収されました。それで、そのことを言いましたら、その若い僧侶によりますと、収骨(分骨)は 初めてのことだから とのことでした。それで、箸は、一組しか用意されていませんでした。それで、お骨を 当方と家政婦 一人一人 別々に 一組の箸を 交互に用いて、桐箱に移すことになりました。
そして、その後、須弥壇収骨(分骨)が行われました。 因 みに、須弥壇とは、須弥山を かたどった壇の意味であります。なお、その若い僧侶によりますと、案内された 須弥壇は 本堂の裏側とのことでした。それで、焼香しました。

分骨証明書

父親の骨壺

父親の収骨(分骨)の為の桐箱

父親の収骨(分骨)の為の桐箱
ときに、以下の品物は 全部 家政婦に あげました。

家政婦に あげた 上記と同じ マッチ

家政婦に あげた 上記と同じ マッチ

家政婦に あげた 品物

家政婦に あげた 品物

家政婦に あげた 供物
ところで、昨日 すなわち 5月14日(土)の「永代経証(父親の法名追加)名義変更・続報」のブログに、当方が、牛久阿弥陀大仏・永代経(胎内仏)の二体の施主になっていることを記させて頂きました。そして、誠に有り難いことに、収骨(分骨)の法要が、午後1時50分頃に 終了しました。 因 みに、お勤めは、午前7時30分 そして 午後3時30分に行なわれるとのことでありました。それから、この本山と同じ 浄土真宗東本願寺派の 上記の牛久阿弥陀大仏の話になりました。それで、調べたところによりますと、牛久阿弥陀大仏は 僧侶を派遣していないとのことでした と伝えました。すると、僧侶から、牛久阿弥陀大仏には 一人の僧侶が派遣されているだけなので、ここから 派遣することは出来ないとのことでした。但し、この本山からは 派遣することが出来るとのことでした。そこで、初盆の為 に 僧侶を派遣するべく この本山の寺務所に電話連絡をしてもらいたいとのことでした。しかし乍ら、既に 初盆の為 の僧侶は決まっております。なお、上記のように、やはり お寺同士の縄張りのことであり、商業主義になっているのでありますね。すなわち、故人の供養とは 別のことが働いているのでありますね。序で乍ら、帰る際に、寺務所の担当者に 挨拶しました。
それから、帰りに 家政婦が 何か 食べていきたいとのことでした。それで、いろいろ探しましたが、家政婦によりますと、その某・喫茶店でいいとのことでした。それで、上記のように 当方は 外食しないので、家政婦のみ 二人分 注文しました。すなわち、家政婦によりますと ホット ドックがいいとのことでしたので、¥490円(税抜)のそれと ¥200円位のアイス コーヒーを注文しました。因 みに、家政婦は D.M.なのに、アイス コーヒーの為 に ミルク と ガム シロップを 2個も入れていました。なお、その家政婦に話したことであります。すなわち、毎年 お正月 すなわち 1月2日には、両親と 一緒に 三人で その浅草の某・本願寺に 参拝に来ていました。そして、帰りに 両親は カレー ライスが好きで 新宿の有名な某・カレー ライスを食べるのですが、御承知のように 当方は 菜食ですので、いつも 両親が食べる姿を見ておりました。また、ときには その浅草の近くのレストランに入ったこともありました。そこでも やはり、両親が食べる姿を見ておりました。但し、このレストランは 今回 その家政婦にどうかと思い 捜しましたが、中華料理店に代わっていました。序で乍ら、ここでも、中国の勢いがあるのですね。
そうして、当方は、コートを着ました。すると、家政婦によりますと、寒いのですかとのことでした。それで、黒ネクタイをしているからと答えました。そこで、その家政婦によりますと、周囲も 黒ネクタイをしていますよとのことでした。それで、電車に乗るからと回答しました。更に、母校の医学部の同期生は、法事が終わると 黒ネクタイを 普通のネクタイに変えていたと話しました。
そして、電車を用いて 帰路につきました。因 みに、家政婦によりますと、地下鉄銀座線の階段は たいへんとのことでした。なお、エレベーターやエスカレーターがないから とのことでした。それで、当方は 座りませんでしたが、家政婦に座らせました。そして、誠に有り難いことに、午後3時50分頃に 最寄り駅に到着しました。序で乍ら、上記のように 家政婦は そのまま 乗ってきた電車を引き続き利用するので、その電車が出発する迄 待って 見送りました。それから、帰宅して、当家に 二基ある仏壇の前で 両親 そして 家族に、父親の収骨(分骨)を行なってきたことを報告しました。
(義務教育の方々に 美しい日本語を 正しい読み方で 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名を付けております)
本日も、最後 迄 お読み頂き、誠にありがとうございました。唯々感謝。(^-^)