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さて、去る 一昨々年の8月12日(水)の「高天原山の尾根・日本航空123便(令和2年)」のブログの上段に、
「(前略)去る 昨年の8月12日(月)の『高天原山の尾根(鰻の蒲焼・388[カレーうどん・父親の食事])』のブログの上段に、
『(前略)去る 昨年の8月12日(日)の【高天原山の尾根(父親の食事)】のブログの冒頭に、
【(前略)去る 一昨々年の8月14日(金) の〖高天原山の尾根〗のブログの上段に、
〖(前略)去る8月8日(土)の〔ボランティア・地域医療・その4〕のブログ の上段、そして、去る11月17日(月)の〔黒胡麻〕のブログ の中段に、
〔(前略)去る10月7日(火)の〘ボランティア・地域医療〙のブログ で記させて頂きました地域医療研究会で、学部生の頃から、埼玉県神泉村(当時・無医村)(ここのフィールド[英語:field]は約四半世紀続きました)に伺っておりまして、医師になってからは、9年間伺っておりました。(後略)〕と記させて頂きました。
一昨日、すなわち、8月12日は、昭和60年(1985年)の日本航空123便(ジャンボ・ジェット[英語:Jumbo Jet]旅客機[B747])墜落事故発生から30年になりますね。520人が お亡くなりになられました。亡くなられました方々の御冥福を心より お祈り申し上げさせて頂きます。
前述致しましたように、この昭和60年の夏は、学部生として、埼玉県神泉村に伺っておりました。この神泉村を流れています神流川の上流に向かって、すなわち、神流川に沿って平行して走っています国道462号を西に向かいますと、墜落現場である 群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根(通称〔御巣鷹の尾根〕)があります。
毎年、8月12日になりますと、このことを思い出していました。
因みに、神泉村には、城峰神社があります。毎年、神泉村に行きますと、必ずここに参拝していました。社伝によれば、景行天皇の御代、同・天皇の皇子・日本武尊が東征したおり、山頂に矢を納めて 東夷平定を祈願し、大山祇命を祀ったことが開創とされています。そこで、矢納という地名もあります。(後略)〗と記させて頂きました。ならびに、去る 一昨年の8月12日(金)の〖親への買い物・14・前編〗のブログの上段に、
〖(前略)今年で、31年になりました。(後略)〗と記させて頂きました。今年で、33年になりましたね。(後略)】と記させて頂きました。今年で、34年になりましたね。 因 みに、この年の 直ぐ 翌月 すなわち 昭和60年(1985年)9月22日に、御承知のように プラザ合意が発表されました。なお、このプラザ合意とは、取り分け、米国の対日貿易赤字が顕著だった為 実質的に 円高ドル安に誘導する内容だったのであります。序で乍ら、このプラザ合意に反対していた 関西の財界大物4名が、その日本航空123便に搭乗していて 亡くなっています。
ときに、このプラザ合意の結果 日本においては 急速な円高によって 円高不況が起きると懸念されましたが、日本銀行は 公定歩合を引き下げずに 5%のまま 据え置きました。因 みに、1ドル235円前後で推移していた為替レートは、このプラザ合意の翌日から急落します。すなわち、僅か 一年で 1ドル150円前後になりました。その後、日本銀行が 公定歩合の引き下げに動いたのは、翌 昭和61年(1986年)になってからでありました。この為に、昭和60年(1985年)には 非常に金融引き締め的な経済環境になっていたと推測され、その結果 その後 数年間のインフレ率は 低迷しました。このインフレ率の低迷、そして、公定歩合の引き下げ長期化予想を反映して 名目金利が低下したことが、貨幣錯覚を伴って 不動産 や 株式に対する投機を促し、バブル景気を もたらしたと考えられています。なお、この間、不動産 や 株式の資産価値が、投資により 経済成長を超えるペースで高騰し、実際の経済状況から乖離しました。御承知のように、その様子が 中身のなく 膨らんだ泡(英語:bubble)に似ていることから、【バブル景気・バブル経済】と呼ばれています。序で乍ら、昭和61年(1986年)から始まった 日本のバブル景気ですが、その5年後に バブルが弾け、急速に景気が後退したことを バブル崩壊といいます。因 みに、このバブル崩壊の原因は 実体以上に高騰した地価 や 株価を引き下げる為に、日本銀行が 金融引き締め策を行ったこととされていますが、そもそも 上記のプラザ合意が 遠因になっていると思われます。御承知のように、このバブル崩壊の後遺症は とても大きく、また 回復まで 長く掛かったことから、後に【失われた20年】と呼ばれるようになりました。そして、今、失われた 30年になりつつあります。
なお、急激な円高を招いた プラザ合意は、後から見れば 日本経済崩壊の序章でありました。すなわち、このプラザ合意こそが、日本経済史の転換点になりました。このプラザ合意が 【第2の敗戦】と なぞらえる、それ程、日本経済 と 産業界に 大きな影を落とす失政であった とされています。(後略)』と記させて頂きました。本日 すなわち 8月12日は、昭和60年(1985年)の日本航空123便(ジャンボ・ジェット[英語:Jumbo Jet]旅客機[B747])墜落事故発生から35年になりますね。 因 みに、今回も、仕事を始める前に ヘルパー(英語:helper)(日本語:家政婦)の前で、一分間の 黙禱を させて頂きました。なお、生還した 客室乗務員が、『日航123便墜落の新事実 目撃証言から真相に迫る』という本を書いています。それで、家政婦によりますと、この著者は 生命を 狙われないのか とのことでした。(後略)」と記させて頂きました。
また、去る 一昨々年の2月8日(月)の「リハビリテーション(父親)・121・中編・3」のブログの下段やや上に、
「(前略)去る 昨年の8月14日(金)の『父親の食事(カレーうどん)、洗濯 そして 入浴・177』のブログの中段やや下に、
『(前略)一昨年 すなわち 8月12日(水)の【高天原山の尾根・日本航空123便(令和2年)】のブログの下段に、
【(前略)本日 すなわち 8月12日は、昭和60年(1985年)の日本航空123便(ジャンボ・ジェット[英語:Jumbo Jet]旅客機[B747])墜落事故発生から35年になりますね。 因みに、今回も、仕事を始める前に ヘルパー(英語:helper)(日本語:家政婦)の前で、一分間の 黙禱を させて頂きました。(後略)】と記させて頂きました。その介護福祉士の方によりますと、坂本九が亡くなったとのことでした。そして、陰謀があるとのことでした。(後略)』と記させて頂きました。なお、プラザ合意に反対していた 関西の財界大物4名が、その日本航空123便に搭乗していて 亡くなっていることは 言及致しました。更に、国産O.S.として注目されていた『TRON(トロン)』の技術者も亡くなっています。但し、現在では、法律により この日本航空123便の真相を 日本人が 究明することは出来なくなっております。序で乍ら、究明されるとすれば 外国人によることになりますが、利益にならない仕事を行う 外国人が果たして 居るでしょうか。因みに、その理学療法士の方によりますと、闇とのことでした。なお、この、『闇』という言葉に因ませて頂きます。すなわち、去る 5年前の1月2日(土)の『 初詣・お節料理』のブログの中段やや下に、
『(前略)食べ終わってからの一言が、【一寸先は闇】とのことでした。ここで、【闇】という漢字を考えてみました。普通 【闇】と云いますと、【光】の無い状態と思いますよね。【闇】という漢字は、門構えの中に【音】が入っています。【闇】の語源は、【音】が無い状態と考えられるのですね。(後略)』と記させて頂きました。(後略)」と記させて頂きました。
それから、去る 昨年の8月12日(土)の「高天原山の尾根・日本航空123便(令和5年)」のブログの中段やや下に、
「(前略)去る 昨年の8月12日(金)の『高天原山の尾根・日本航空123便(令和4年)』のブログの下段に、
『(前略)去る 昨年の8月12日(木)の【高天原山の尾根・日本航空123便(令和3年)】のブログの下段に、
【(前略)本日 すなわち 8月12日は、昭和60年(1985年)の日本航空123便(ジャンボ・ジェット[英語:Jumbo Jet]旅客機[B747])墜落事故発生から36年になりますね。 因 みに、今回も、仕事を始める前に ヘルパー(英語:helper)(日本語:家政婦)の前で、一分間の 黙禱を させて頂きました。
なお、去る8月8日(日)の〖ボランティア・地域医療・その7(令和3年)〗のブログの最後に、
〖(前略)今年も、8月の第2週になりました。 因 みに、前述致しましたように、夏の今頃、すなわち、季節が今頃になりますと、毎年、上記のことを思い出します。(後略)〗と記させて頂きました。すなわち、上記のように 地域医療研究会で、学部生の頃から、埼玉県神泉村(当時・無医村)(ここのフィールド[英語:field]は約四半世紀続きました)に伺っておりまして、医師になってからは、9年間伺っていたことを記させて頂きました。序で乍ら、毎年 8月12日を迎えますと、このことも 併せて 思い出します。(後略)】と記させて頂きました。
ならびに、上記のプラザ合意は、大東亜戦争敗戦に次ぐ 第二の無条件降伏とされています。
および、本日 すなわち 8月12日は、昭和60年(1985年)の日本航空123便(ジャンボ・ジェット[英語:Jumbo Jet]旅客機[B747])墜落事故発生から37年になりますね。 因 みに、今回も、仕事を始める前に、一分間の 黙禱を させて頂きました。
なお、去る 8月7日(日)の【ボランティア・地域医療・その9(令和4年)】のブログの最後に、
【(前略)今年も、今日から 8月の第2週になりました。 因みに、前述致しましたように、夏の今頃、すなわち、季節が今頃になりますと、毎年、上記のことを思い出します。(後略)】と記させて頂きました。序で乍ら、上記のように、毎年 8月12日を迎えますと、このことも 併せて 思い出します。(後略)』と記させて頂きました。
また、本日 すなわち 8月12日は、昭和60年(1985年)の日本航空123便(ジャンボ・ジェット[英語:Jumbo Jet]旅客機[B747])墜落事故発生から38年になりますね。 因 みに、今回も、作業を始める前に、一分間の 黙禱を させて頂きました。
なお、去る 8月7日(月)の『ボランティア・地域医療・その10(令和5年)』のブログの最後に、
『(前略)今年も、休日が明け 今日から 本格的に 8月の第2週になりました。 因 みに、前述致しましたように、夏の今頃、すなわち、季節が今頃になりますと、毎年、上記のことを思い出します。(後略)』と記させて頂きました。(後略)」と記させて頂きました。
それから、「(前略)上記のプラザ合意は、大東亜戦争敗戦に次ぐ 第二の無条件降伏とされています。(後略)」と前述致しました。
しかして、去る 昨年の10月13日(金)の「国際情勢の考察・続報(中東情勢)」のブログの中段やや上に、
「(前略)約半世紀前の昭和48年(1973年)10月に、エジプト・シリアを初めとする アラブ諸国が 今回と同様に イスラエルを攻撃しました。つまり、第四次中東戦争(ヨム・キプール戦争)であります。序で乍ら、エジプト・シリアを初めとする アラブ諸国に攻撃させたのは、国際金融資本家たち(左翼系ユダヤ人 そして その影響を受けた資本家たち・共産主義者)が支配する ヘンリー・キッシンジャー(ユダヤ人)国務長官であるとされています。 因みに、御承知の お方は 少なくなったかもしれませんが、このときに 日本では スーパー マーケットから トイレット ペーパーが なくなりました。なお、このヘンリー・キッシンジャー国務長官が攻撃させたと言うことは、元 ウクライナ大使が話していました。(後略)」と記させて頂きました。因 みに、1950年代中頃から 昭和48年(1973年)頃迄 の 高度経済成長のときには、上記の第四次中東戦争により 終わってしまいました。なお、このときも 上記のプラザ合意のときも 何れも、誠に遺憾なことに、国際金融資本家たち(左翼系ユダヤ人 そして その影響を受けた資本家たち・共産主義者)により 日本の成長は 止まってしまいました。序で乍ら、姉夫婦は、結婚して 千里ニュータウンに住んでいました。因 みに、調べましたら、昭和48年(1973年)10月31日に その千里ニュータウンの某・スーパー マーケットに、トイレット ペーパーを求める 大行列が出来ました。すなわち、トイレットペーパー騒動であります。つまり、背景には、原油価格の引き上げ や 供給量の削減が決まり、あらゆる物の値段が上がるのではないか という世の中の不安がありました。所謂、オイル ショックであります。
更に、去る 4月25日(木)の「家政婦さんの入院・続報118・後編」のブログの中段やや上に、
「(前略)上記の『日航123便墜落の新事実 目撃証言から真相に迫る』という本を書いた 客室乗務員が、現場に残っていた 遺物の化学分析を行なったのであります。すると、ベンゼン環が検出されました。すなわち、ジェット燃料には ベンゼン環は存在しないのであります。 因みに、ベンゼン環はガソリンに含まれています。なお、飛行機は、引火点が低温度である ガソリンは使わないのであります。つまり、現場には ガソリンとタールを混ぜた 異臭が漂っていたとのことであります。要するに、火炎放射器の燃料には、ガソリンに ゲル化剤を加えて 膠状にしたものが使用されます。取りも直さず、証拠を隠滅する為に、自衛隊の特殊部隊が 火炎放射器で 現場を焼き払ったのであるとされております。序で乍ら、以上の事件の真相を 墓場迄 持って行った人物が、中曽根康弘 元 総理である とされております。 因みに、以上の話を伝えましたら、誠に有り難いことに、その家政婦さんは、頷いて 納得して 同意してくれました。(後略)」と記させて頂きました。すなわち、中曽根康弘 元 総理は、真相を 墓場迄 持って行くと言っております。
しかも、肝腎のボイス レコーダー そして フライト レコーダー(事故調査委員会の公文書資料)の関しましは、開示訴訟が行なわれました。ところが、誠に遺憾なことに、去る 今年 すなわち 令和6年5月の開示請求裁判で 最高裁判所が 上告棄却 および 上告受理申立の不受理を決定し、遺族側の請求を棄却し 終結しました。 因みに、肝腎のボイス レコーダー そして フライト レコーダーは、日本航空に返却されているのであります。なお、森永 卓郎氏によりますと、国が持っていると、情報公開に引っ掛かるからとのことでありました。序で乍ら、西田昌司議員は、自身の調査結果を 丁寧に説明して 日本航空が ボイス レコーダーの生データを保有していないことがわかった とのことでありました。
そのうえ、日本航空123便墜落が 圧力隔壁説であるならば、欠陥製品として 本来 それ以降 購入しない筈であります。しかし乍ら、ボーイング社の 昭和60年(1985年)の対日 売り上げが過去最高になっているのであります。 因みに、何故か 日本航空も買っていますし、自衛隊も購入しています。しかも、A.N.A.(全日本空輸)へは 日本政府が購入を働き掛けているのであります。日本航空123便墜落が 圧力隔壁説であるならば、刑事責任が追及されなければならないのであります。ところが、誰 一人 ボーイング社の担当は 刑事責任が追及されていないのであります。
それから、去る8月5日(月)の「ボランティア・地域医療・その11(令和6年)」のブログの下段に、
「(前略)今年も、休日が明け 今日から 本格的に 8月の第2週になりました。 因 みに、前述致しましたように、夏の今頃、すなわち、季節が今頃になりますと、毎年、上記のことを思い出します。(後略)」と記させて頂きました。
しかして、本日 すなわち 8月12日は、昭和60年(1985年)の日本航空123便(ジャンボ・ジェット[英語:Jumbo Jet]旅客機[B747])墜落事故発生から 39年になりますね。 因 みに、上記のように 今回も、作業を始める前に、一分間の 黙禱を させて頂きました。
(義務教育の方々に 美しい日本語を 正しい読み方で 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名を付けております)
本日も、最後 迄 お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)