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さて、去る 8年前の12月23日(土)の「天皇誕生日(冬至・両親の食事)」のブログの上段に、
「(前略)去る 昨年の12月23日(金)の『天皇誕生日(両親の食事)』のブログの上段に、
『(前略)去る12月24日(木)の【天皇誕生日】のブログの冒頭に、
【(前略)去る 昨年の 本日と同じ12月24日(水)の〖パプリカ〗のブログ の冒頭に、
〖(前略)昨日は 天皇誕生日でしたね。(後略)〗と記させて頂きました。なお、昨日は、去る(昨年の)11月23日(月)の〖新嘗祭〗のブログ、去る(昨年の)5月5日(火)の〖アムステルダム・4( 蘭)〗のブログ そして 去る(昨年の)11月3日(火)の〖 柚子(文化の日)〗のブログ のそれぞれ冒頭に記しましたように、祭日(天皇誕生日)でありましたので、 国旗掲揚を行いました。しかも、去る(昨年の)12月11日(金)の〖クリスマス・イルミネーション〗のブログ の上段に、
〖(前略)去る(昨年の)11月11日(水)の〔今上天皇陛下の お言葉〕のブログ の上段に、
〔(前略)去る( 一昨年の)10月5日(日)の〘ボランティア・高尾山登山〙のブログ と 去る(昨年の)1月21日(水)の〘ボランティア・高尾山登山・その2〙のブログで、
〘(前略)18年間、月二回、日曜日に、・・・ボランティアを、このトップの 方々二人に委託されて、 行って参りました。そのボランティアで、過日、子供達と父兄を連れて・・・(後略)〙と お伝え申し上げました ボランティアで、毎年、天皇誕生日に 皇居参賀に行きました。天皇陛下の お言葉がありまして、毎回 筆記致しておりました。(後略)〕と記させて頂きました。よって、この平成18年12月23日(祝)の午前中は、皇居参賀に行きました。(後略)〗と記させて頂きました。(後略)】と記させて頂きました。本日の祭日は、やはり、手作りの 小さな日章旗で代用致し 国旗掲揚を行いました。(後略)』と記させて頂きました。(後略)」と記させて頂きました。
ならびに、去る 8年前の2月12日(日)の「建国記念の日(両親の食事)」のブログの上段に、
「(前略)昨日の建国記念の日は、その手作りの 小さな日章旗ではなく 新しい日章旗を購入致し、国旗掲揚を行いました。因みに、アクリル繊維が 国旗に多く使われるようになった由来は、昭和39年(1964年)の東京オリンピックまで遡ると伺っております。53年前に採用されたアクリル繊維は、今でも国旗に必要不可欠な素材として役立っている とのことです。なお、今回、このアクリル生地の日章旗(日本製)を注文致しました。(後略)」と記させて頂きました。
および、去る2月23日(金)の「天皇誕生日(天長節)(令和6年)」のブログの中段やや上に、
「(前略)去る 昨年の2月23日(木)の『天皇誕生日(天長節)(令和5年)』のブログの中段に、
『(前略)去る 昨年の2月23日(水)の【天皇誕生日(令和4年)】のブログの下段に、
【(前略)去る 昨年の2月23日(火)の〖天皇誕生日(令和3年)〗のブログの下段に、
〖(前略)去る 昨年の2月23日(日)の〔天皇誕生日〕のブログの下段に、
〔(前略)去る 一昨年の12月23日(日)の〘天皇誕生日(鰻の蒲焼・209[父親の食事])〙のブログの上段に、
〘(前略)本日は 上記のように 祭日でありますので、国旗掲揚を行いました。序で乍ら、平成 すなわち 今上天皇陛下 最後の天皇誕生日ということになりますね。御承知のことであらせられますように 昨日 今上天皇陛下の記者会見がありましたが、ヘルパー(英語:helper)(日本語:家政婦)によりますと、寂しそう とのことでした。(後略)〙と記させて頂きました。そして、本日は 令和になって 初めての 記念すべき天皇誕生日であります。そこで、上記のように 祝日でありますので、国旗掲揚を行いました。(後略)〕と記させて頂きました。そして、本日も 記念すべき天皇誕生日であります。そこで、上記のように 祝日でありますので、国旗掲揚を行いました。(後略)〗と記させて頂きました。それから、本日も 記念すべき天皇誕生日であります。そこで、上記のように 祝日でありますので、国旗掲揚を行いました。因みに、上記の 皇居参賀についてでありますが、宮内庁によりますと、武漢ウイルスのせいで 天皇誕生日一般参賀は取りやめ とのことでした。(後略)】と記させて頂きました。
ときに、去る1月2日(月)の【皇居 新年一般参賀】のブログの中段やや上に、
【(前略)本日 すなわち 1月2日も、毎年のように 宮殿東庭における 皇居 新年一般参賀に参加しておりました。 因みに、一人で 参加した年も ありました。ところが、今年は 宮内庁のホーム ページによりますと、〖新型コロナウイルス感染症の感染状況等を踏まえ、令和5年1月2日に行う 新年一般参賀は、宮殿東庭における参賀 と 宮内庁庁舎前の特設記帳所における記帳により行う予定です。新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止の観点から、宮殿東庭における参賀を希望される場合は、事前の申込みが必要となります。下記の要領により申込みをしてください。申込み多数の場合には、抽選を行います。なお、11月18日(金)をもって締め切らせていただきました。〗とのことでありました。すなわち、この宮内庁のホーム ページを見たのは 去る 11月20日頃でありましたが、誠に遺憾なことに、既に 締め切られておりました。序で乍ら、自宅で 天皇陛下を 動画で見ました。すると、参政党の代表によりますと、〖日本国の象徴で あられる、壇上の陛下の 御尊顔まで、その半分が マスクに覆われたお姿。世界に新年の祝賀を発信する ウィーンのニューイヤー コンサート生中継では、観客たちすら 誰も着用していない光景。新年を迎えそろそろ日本国の国民として考えたく〗とのことでありました。(後略)】と記させて頂きました。
そして、今年は、宮内庁のホーム ページによりますと、天皇誕生日(天長節)一般参賀は 行なわれるとのことであります。 因みに、同 ホーム ページによりますと、【宮殿東庭における参賀の事前申込みは、1月6日(金)をもって締め切らせていただいた(送り仮名などの表記も 含めまして、原文通り)】とのことであり、誠に遺憾なことに、同 ホーム ページを見たときには 既に 締め切られておりました。なお、午前の参賀である宮殿東庭における参賀については、各回の集合時間が定められています。序で乍ら、集合時間等については、事前に申し込み、抽選の結果、当選された参賀者に送付されるとのことであります。 因みに、参加は 事前応募で当選した 約4800人に限られる とのことであります。なお、誠に有り難いことに、天皇誕生日(天長節)一般参賀の模様は、テレビで 試聴させて頂きました。(後略)』と記させて頂きました。
ところで、去る 1月2日(火)の『皇居 新年一般参賀の中止(令和6年)』のブログの中段やや上に、
『(前略)宮内庁は、その【令和6年能登半島地震】の発生を受けて、本日 すなわち 1月2日に 皇居で予定されていた 新年一般参賀を取りやめると発表しました。
ところで、去る 4年前の7月31日(金)の【父親の食事(カレーうどん)、洗濯 そして 入浴・175】のブログの中段やや下に、
【(前略)去る 5年前の2月14日(土)の〖絵本の影響〗のブログ の上段に、
〖(前略)絵本といえば、去る 昨年の10月5日(日)の〔ボランティア・高尾山登山〕のブログ と 去る1月21日(水)の〔ボランティア・高尾山登山・その2〕のブログで、
〔(前略)18年間、月二回、日曜日に、・・・ボランティアを、このトップの 方々 二人に委託されて、 行って参りました。そのボランティアで、過日、子供達・・・〕と お伝え申し上げました子供達に、絵本の読み聞かせが 御座いました。
絵本の内容は、まず、〔古事記〕(日本の神話)、すなわち、〕、そして、〔大国主命〗等の お話です。因みに、〔古事記〕のことは、去る1月2日(金)の〔古事記の物語に基づいた医療〕のブログ 、そして、去る 昨年の11月4日(火)の〔アレルギーの代替医療(食事療法)〕のブログ の後半でも記させて頂きました。(後略)〗と記させて頂きました。因みに、去る5月21日(木)の〖日本国憲法・第24条について・続報3(日本民族の結婚の伝統)〗のブログなどに、〖日本民族の結婚の伝統〗につきまして記させて頂きました。なお、七福神の恵比寿天は 日本の神様との話になりました。それで、この〖日本民族の結婚の伝統〗の話をして 〖国生み〗のことを語った後で、その恵比寿天は 上記の 伊邪那岐命と伊邪那美命の子供の一人と伝えました。(後略)】と記させて頂きました。すなわち、 伊邪那岐命と伊邪那美命による 【国生み】によって、大八島 すなわち 日本の八つの島 つまり 日本列島が生まれたのであります。
次に、後になって、能登半島地震で起きた 地面の隆起が、能登半島周辺では およそ 6000年の間で最も 大きな規模だった 可能性があることが現地調査で分かることになります。 因みに、過去6000年間の3回と比べても、4メートルという隆起は 最も 大きいものであった可能性があるとのことであります。なお、上記のように、伊邪那岐命と伊邪那美命による 【国生み】によって、大八島 すなわち 日本列島が生まれたのであります。つまり、日本列島も、日本の神々に関係しているのであります。従いまして、前述致しました隆起は、日本の神々の 何らかのメッセージであると思われます。なお、パラダイムは変化したのでありますが。今年 いよいよ その激動が 私たちの目に見える形で現れてくるのであろうと推察されます。すなわち、何かの兆候か 啓示なのであります。
なお、日本の政治が 民主党政権になって 危機的なときにも、平成23年(2011年)3月11日(金)に、東日本〇〇〇(お読み下さいます方々に影響を お与えすることの無いように、御賢明であらせられます お読み下さいます方々は 直ぐに おわかりになられる と存じ上げますので、敢えて〇〇〇と綴らせて頂きました)が起こりましたね。(後略)』と記させて頂きました。
さて、去る 昨年の4月29日(土)の『昭和の日(令和5年)』のブログの中段やや上に、
『(前略)本日は、【昭和の日】であり 祭日(敢えて、上記と同様に、今回も 祝日でなく 祭日と記させて頂きました)でありますので、 国旗掲揚を行いました。(後略)』と記させて頂きました。
ならびに、本日は 上記のように 祭日(敢えて、上記と同様に、今回も 祝日でなく 祭日と記させて頂きました)でありますので、国旗掲揚を行いました。因みに、天皇陛下の お姿を拝しますと、誠に有り難くて 自然に 涙が零れます。なお、誠に有り難いことに、天皇誕生日(天長節)一般参賀の模様は、テレビで 試聴させて頂きました。序で乍ら、上記のような 抽選をすることなく 祝賀を お受けになられるのは、即位後 初めてとのことであります。因みに、天皇陛下が お出ましになられる直前迄 は、参拝者たちは 傘を さしていました。ところが、天皇陛下が お出ましになられると、ほとんどの人たちが 傘を 畳みました。そして、皆と 一緒になって、「天皇陛下 万歳」と 唱えている気持になりました。そこで、また 誠に有り難くて 自然に 涙が零れました。因みに、この情景は、正しく 君民一体の日本の国體の お姿であると感じられました。

行なわれた 国旗掲揚
(後略)」と記させて頂きました。
および、本日は 上記のように 祭日(敢えて、上記と同様に、今回も 祝日でなく 祭日と記させて頂きました)でありますので、国旗掲揚を行いました。因みに、天皇陛下の お姿を拝しますと、誠に有り難くて 自然に 涙が零れます。なお、誠に有り難いことに、天皇誕生日(天長節)一般参賀の模様は、テレビで 試聴させて頂きました。序で乍ら、本日の午前10時半頃 当家の前の歩道を 二人の親子連れ(母親[足が不自由な お方でありました]と その娘らしき女性)が歩いてきました。そして、誠に有り難いことに、上記のように 外に向かって 国旗掲揚されている 大きな日章旗を見て、暫くの間 立ち止まりました。
(義務教育の方々に 美しい日本語を 正しい読み方で 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名を付けております)
本日も、最後 迄 お読み頂き、誠にありがとうございました。唯々感謝。(^-^)