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さて、谷口雅春という 某・新興宗教団体の創始者が、「希望の泉」というテープの中で 「どどよしお」という薬剤師が 子供ができないのは 何かが 足りないのであると思っていたとの旨を 驚くべきことに 実名を挙げて述べていました。そして、「女が欲しいのは 女が足りないからである。」、また、「煙草を吸いたいと思うのは、煙草が足りないからである。」と思っていたとのことなのであります。ところが、その創始者は、「女が欲しいのは、女を得済みである。」、また、「煙草を吸いたいと思うのは、煙草を吸い済みである。」ということであり、「女を得たことがないならば、女を欲しいと思わない。」、また、「煙草を吸ったことがないならば、煙草を吸いたいと思わない。」とのことなのであります。すなわち、足りないのではなくて、「女を得済みである。」、また、「煙草を吸い済みである。」ということであり、満足しているとのことでありました。 因みに、同じ功利主義の ベンサムの考え方を修正して 快楽に 質的な区別を認めた ジョン・スチュアート・ミル(英語:John Stuart Mill)(英国の哲学者)によりますと、「満足した豚であるより 不満足な人間である方がよい。満足した愚者であるより 不満足なソクラテスである方がよい。」とのことであります。
ときに、その創始者は パスカル(仏語:Blaise Pascal)(仏の哲学者、自然哲学者、物理学者、思想家、数学者、キリスト教神学者、デカルト主義者、発明家、実業家)の有名な言葉である 「考える葦」につきまして、人間は 「葦」のような 弱いものではないと主張しています。但し、人間の「考える」という点が 大事なのであります。 因みに、その某・新興宗教団体の「信徒行事要目」の中には 「五、常に人と事と物との光明面を見て 暗黒面を見るべからず。」と書かれてあります。すなわち、光明面を見るのでありましたら、人間の「考える」という点を見るべきでありますね。なお、パスカルは、上記のように パスカルの法則と名前が残されているように 有名な物理学者でありました。
ところで、去る 10月16日(木)の「家政婦さんの入院・続報197」のブログの上段やや下に、
「(前略)石川啄木は 26歳のときに 初の歌集『一握の砂」で 「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる」の短歌を発表します。 因みに、この歌の背景には、石川啄木が 貧困 や 将来への不安を抱え、故郷を離れて 東京で生活していた時期の心情が読み取れるとされております。なお、蟹と一体になっているのでありますね。しかも、この26歳のときに tuberculosis,T.B.(英語)(上記の理由で、日本語で 綴ることを控えさせて頂きましたが、日本語も併記させて頂きます。小さく記させて頂きます。 結核のことで 御座います。なお、ツベルクリンは御承知のことであらせられますね。ですから、推測して頂ける英語であると存じ上げます)で亡くなります。序で乍ら、『たわむれに、母を背負いてそのあまり、軽きに泣きて、三歩あゆまず」や『はたらけど はたらけど 猶(なお)わが生活(くらし)楽にならざり ぢっと手を見る』との短歌があります。 因みに、これらの3首の短歌を 家政婦さんに紹介しました。すると、その家政婦さんによりますと、小学校の教科書にも出てきたとのことでありました。なお、歌謡曲でも 失恋の歌詞の方が 多くの人たちに 共感を得るとの話になりました。(後略)」と記させていただきました。すなわち、上記の「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる」という短歌につきまして 上記の創始者は 「泣きぬれて蟹とたはむる」とは と批判しています。それで、その下の講師も 同様のことを話します。但し、この短歌は、石川啄木が 亡くなる 直前に 残した歌であります。つまり、石川啄木は 蟹と 一体になっているのでありますね。なお、心身医学の某・医療系の学生サークルにつきまして、去る 昨年の7月18日(木)の「全人的医療」のブログ、去る 昨年の7月3日(水)の「心身医学の某・医療系の学生サークルのO.B.(男性)の訪問」のブログ、去る 一昨年の8月29日(火)の「小学校高学年の話・続報5」のブログを記させていただきました。そして、去る 一昨年の4月28日(金)の「心身医学の某・医療系の学生サークル」のブログの上段に、
「(前略)去る 9年前の11月25日(火)の『第六感(スピリチュアリティ[spirituality])』のブログで、『数年前(平成19年12月)、心身医学の某・医療系の学生サークルに委託されて、分科会を開催致しましたとき・・・』と記させて頂きましたように、このときを初めと致しまして、数回 分科会を開かせて頂きました。すなわち、『全人的医療を考える会』であります。(後略)」と記させていただきました。つまり、誠に有り難いことに、去る平成19年の 今頃の暮れの時期に 上記のように その心身医学の某・医療系の学生サークルに委託されて 分科会を開きましたときの会場が、明治41年に 上記の石川啄木が 9ヶ月に亘り 投宿したことで 知られる太栄館 (現在は 閉店)でありました。
(義務教育の方々に 美しい日本語を 正しい読み方で 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名を付けております。因みに、美しい日本語の平仮名を大事にしたい という思いもあります)
本日も、最後 迄 お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)
