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さて、去る 3月17日(木)の「父親の告別式(家族葬)」のブログに記させて頂きましたように、父親が亡くなって 告別式がありました。そして、昨日 すなわち 7月10日(日)の「盂蘭盆会(父親の初盆)・前編」のブログなどに記させて頂きましたように、父親の初盆(新盆)がありました。この 昨日 すなわち 7月10日(日)の 初盆(新盆)での挨拶を 喪主として するようにとのことでありましたので、その内容を 下に記させて頂きます。
「本日は、御多用であらせられるにもかかわらず、父親の初盆(新盆)に お越し頂き 御焼香を賜り、誠に有り難う御座います。
さて、約5年10ヶ月前の9月21日(水)に 母親は 尻餅をつきまして 胸椎の12番目を圧迫骨折しまして 緊急入院しました。そして、両親の『家に、居たい。』という希望により 整理しまして、両親の在宅介護に専念して 携わって参りました。それから、約4年前の同じ3月、母親は お浄土に 旅立ちました。そうして、父親は、母親の一部 介護サービスを引継ぎました。すなわち、東洋医学のマッサージ、西洋医学のリハビリテーション そして ヘルパー(日本語:介護福祉士)による お風呂も 週に1回ずつ、訪問看護も 父親が 充分に話せるように 時間を タップリ取って 1時間で 2週間に 1回来ていました。それから、主治医には、家政婦さんと共に 付き添いで 通いました。
父親の記銘力保持の為もあり、高いですが お薬と思って 好物の国産の鰻の蒲焼を 毎日 朝食に食べてもらっていました。
当方から『よかったね。御飯 食べられて。』 そして 父親から『美味しかった。』が 毎朝の言葉の遣り取りでした。
母親の場合は、好物の鮪のトロの お刺身を食べてくれました。
誠に有り難いことに、これらの食材が それぞれ 父母の脳の血管を予防する働きになっていました。
お蔭様で 両親共 脳の血管の目詰まりは ありませんでした。
また、誠に有り難いことに、すりおろしりんご や 野菜スープも摂取ってくれて 快食 そして 快便でありました。
今回、母親が 意識を失ったときと 同じでした。
すなわち、しっかり食べてくれていましたが、前の日は 食欲が 落ちました。しかも、『美味しかった。』と言ってくれなくなりました。つまり、食べてくれてはいましたが、父親は 美味しく食べられなくなりました。
なお、『よかったね。御飯 食べられて。』は、日々 食べることが出来ることに 感謝の気持ちを捧げた言葉であります。
簡単に 経過を報告させて頂きますと、去る3月11日(母親のときと同じ金曜日) 午後6時10分迄 父親は、話していました。そして、家政婦さんと 協力して 父親に 夕食を食べてもらおうと思っていて 父親の意識が なくなりました。大声で 何度も『親父さん』と言っても、戻って来てはくれませんでした。それで、バイタル・サインを測りましたら 心拍数が 120回/分もありました。勿論、聴診器も 父親の胸に あてました。しかも、父親の橈骨動脈の脈拍も 調べました。因みに、去る 4年前の3月14日(水)の『告別式[家族葬]での挨拶』のブログに記させて頂きましたように、母親のときと同じでした。なお、毎朝 血圧等のバイタル・チェックをしていましたが、心拍数が 100回/分を超える頻脈になることはありませんでした。
そこで、主治医 そして 訪問看護師に電話をして、救急車を呼ぶことになりました。そして、救急車が 到着し、その場で 心肺蘇生(英語:cardiopulmonary resuscitation;C.P.R.)がなされたのですが、アレスト(英語:cardiac arrest)(日本語:心停止)とのことでした。因みに、仮に 脳死であったとしても、(そうではないですが、)普通は 心臓は 動いていることがあります。だから、心臓移植が出来る訳でありますからね。なお、死への転帰が速過ぎました。
約38年前の祖母と同じであり、誠に有り難いことに、父親は 眠るような 大往生であったと 複数の方々に 言ってもらえました。
結果は、老衰とのことでありました。
あらゆる 想定を超えて 死の転帰を迎えられました。
医学では どうしようもありません。
神仏に お任せするしかないですね。
ときに、2年前 母親の三回忌(去る 4年前の2月24日(土)の『三回忌・前編』のブログ そして 去る2月24日(月)の『三回忌・後編』のブログなどに、母親の三回忌のことを記させて頂きました)のときに、菜食に理解を示してくれた 両親に 感謝の気持ちを籠めて 『笑い と 菜食療法(去る 昨年の2月12日(水)の【笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤ 小乗から 大乗へ・前編】のブログ、去る 昨年の2月12日(水)の【笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤小乗から 大乗へ・中編】のブログ そして 去る 昨年の2月12日(水)の【笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤小乗から大乗へ・後編】のブログ、それから、当初の 前述の 去る 7年前の10月9日(木)の【笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤ 小乗 から 大乗 へ】のブログ そして 去る 5年前の1月12日(火)の【笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤ 小乗 から 大乗 へ ・続報】のブログに記させて頂きました)』を上梓しました。この本は、両親との合作ともいうべき作品であります。釈尊(お釈迦様の尊称)によりますと、この娑婆世界(仏教用語)は 苦であるとのことであります。
此岸 すなわち この世の修行を終えて、本当に 御苦労様でした。この世に 生を享けましたのも 両親の お蔭 であります。しかも、教育も 受けさせてくれました。
父親は、入院したことがありませんでした。
父親は 医者に なりたかったのですが、色弱であり 当時は 医者に なることは 出来なかったと聞かされています。
それで、生前 父親によりますと、自分が死んだら 白衣を着せて欲しいとのことでありました。それで、父親の希望で 白衣を着てもらっています。
ところで、母親を亡くして この4年間、父親は、退行して 毎日のように 『ママ。帰って来ないのか。死んじゃったのか。』 そして 『何で ママ 先に 逝っちゃったの 。』と訴えました。因みに、毎回ですので、聞いているしかありませんでした。なお、有力な 某・心理療法によりますと、『傾聴』があります。
お祖父ちゃん、お祖母ちゃん、おふくろさん、芳男 伯父さん そして 生れてきて 成長する筈であった もしくは 生れてきたけれど 亡くなった 子供たちの元に往っているのですね。因みに、先に 往生した 家族には 『父のことを宜敷くお願いします。』と 当家に 二 つある 仏壇 そして お墓を通しまして 伝えました。なお、己 未だ度らざる前に、両親には この世の修行を終えて お浄土に度って頂けましたこと 誠に有り難く存じ上げます。御冥福を 心より お祈り申し上げます。本日は、誠に有り難う御座いました。」
(義務教育の方々に 美しい日本語を 正しい読み方で 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名を付けております)
本日も、最後 迄 お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)