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(半角で 6万文字以内という字数制限に達しましたので、こちらのブログ記事に 前回 すなわち 3月3日(日)の「父親の三回忌・母親の七回忌・続報・中編・6」のブログの続きを記させて頂きます。前回のブログから 話が 繋 がっておりますので、前回のブログも 御覧頂きますと おわかり頂け易い と存じ上げます)
さて、僧侶と義理の兄が、前立腺のことを言及しました。それで、前立腺のことを 英語で “prostate”と言います。因みに、“pro”は 「前」であり、“state”は「立つ」でありますから、前立腺という言葉は 英語の直訳であることを話しました。なお、日本語では、かつては 前立腺のことを「節後腺」と呼んでいました。序で乍ら、「節後腺」という言葉の方が 生理的な内容を含んでいるのであります。因みに、日本語で 「節後腺」と言う方が、言葉としては 優れていると思われます。
そこで、その僧侶によりますと、「僕も、調べてもらったことがあるんですよ。前立腺の癌の何とか という検査があって。」とのことでありました。それで、「P.S.A.(英語:prostate-specific antigen)(日本語:前立腺特異抗原)検査のことですね。」と答えました。すなわち、P.S.A.検査をしているとのことでありました。それで、去る 6年前の3月14日(水)の「父親の内科受診の付き添い・続報」のブログの中段やや下 そして 去る 6年前の3月2日(金)の「父親の内科受診の付き添い」のブログの中段やや上などに記させて頂きましたように、今は亡き 父親も P.S.A.検査を入れてもらっていたことを伝えました。それで、その僧侶によりますと、「まだ 大丈夫だ と言われたんですけどね。」とのことでありました。そして、続けて その僧侶によりますと、「知識が全然。おしっこしたくなるっていうのは、やっぱり 膀胱、前立腺には関係ないの。」とのことでありました。それで、説明しましたら、誠に有り難いことに、その僧侶によりますと、「成程ね。」とのことでありました。
また、去る 2月29日(木)の「武漢ウイルスのワクチンについて(拡散希望)・続報41・前編」のブログ そして 去る2月29日(木)の「武漢ウイルスのワクチンについて(拡散希望)・続報41・後編」のブログなどを記させて頂きました。なお、その義理の兄によりますと、「最近 あれなんですよ、冬の寒いときに ゴルフが好きで ゴルフに 1時間位 離れたとこなんですけど、朝 早く もう おしっこが したくてしたくて たまらない。」とのことでありました。すると、その僧侶によりますと、「そりゃ、おんなじ おんなじ、もう(本人のみ、笑い)」とのことでありました。すると、その義理の兄によりますと、「むかーしは もう 我慢出来なくて、車から 降りることも出来なくて、積んでいた ティッシュ ペーパーを 変な話ですが、おしっこの量というのは。」とのことでありました。すると、その僧侶によりますと、「結構 あるよね。」とのことでありました。すると、その義理の兄によりますと、「結構 それで、最近は あの おしめ 夜に入れておいて どうしようもなく コンビニもなくて 例えば 外に出られないときには おしめに こう しようかな そんなこと 考えなきゃ いけないのかな。結構 だったら ほんと 100、200も ちょっと お金があれば、いきたいよね。だから。」とのことでありました。すると、その僧侶によりますと、「ちょっと、教えてもらいたいんだけど、あれなんだけどね、膀胱の あれ 似たようなところがあってね。」とのことでありました。それで、「判りましたら。因みに、嗅覚以外のあらゆる感覚情報を大脳皮質に送る中継基地である 視床に 体性感覚が フィードバックされて、尿意を感じるのであります。」と答えました。すると、その僧侶によりますと、「例えば、おしっこ おしっこって言うでしょ、こいつ、トイレ着いた トイレ これからというときにね、出ちゃう。(本人のみ、笑い)もう そこ迄 行ったんだけどもね。(本人のみ、笑い)」とのことでありました。すると、その義理の兄によりますと、「もう 漸と ゴルフ場のトイレに着いたと思って 結局 (何を言っているのか、何度 再生しても判りません)しみちゃう、で、私は こう思うようにしているんです。今でも ときどきあるから。トイレに、まだ トイレに着いていないと、着いていないと、電気もないと、いうように思おうとしているんですけれども、ん- 危ないところなんですよね。」とのことでありました。すると、その僧侶によりますと、「同じような経験があるんですね。我慢してるんだよ。そこ迄 、一生懸命 一生懸命 我慢して 我慢してね、あー 着いたなという その前に 出ちゃうんだよ。(本人のみ、笑い)情けないたら。ありゃ」とのことでありました。すると、その義理の兄によりますと、「折角、(何を言っているのか、何度 再生しても判りません)」とのことでありました。その義理の兄によりますと、ゴルフ場で トイレに行く前に 漏らしちゃうとのことでありました。因みに、僧侶も 同様とのことでありました。それで、その義理の兄によりますと、まだ トイレに 辿りついていないと思い トイレに行くのだそうであります。それでも、漏らしてしまうことがあるとのことであります。序で乍ら、切迫性尿失禁の多くは、膀胱と脳の間の伝達が うまくいかずに、膀胱が 勝手に収縮してしまう 過活動膀胱が原因であるとされております。なお、神経因性膀胱ではないことを伝えました。
因みに、前述致しました 93歳の父親でさえも、失禁してしまうことは ほとんどありませんでした。それが、まだ 73歳の義理の兄が トイレに 辿りつく前に 失禁してしまうということは尋常ではありません。序で乍ら、義理の兄は、数回以上 武漢ウイルスのワクチンを接種しております。実は この武漢ウイルスのワクチンが原因なのであります。なお、この武漢ウイルスのワクチンは 当然のこと乍ら、脳にも損傷を与えます。
ならびに、その僧侶によりますと、楽しいことがある とのことでありました。
ときに、その僧侶は 午前11時50分頃に 自ら 帰るとのことでありましたので、皆で 見送りました。因みに、別れ際に 八王子の お寺の方に来てもらいたいとのことでありました。
それから、去る 6年前の8月3日(金)の「父親の食事、洗濯 そして 入浴・71」のブログの中段やや下に、
「(前略)51年前の8月初旬 つまり 今頃の季節に、上記のように 東京都新宿区から 東京都下に 引っ越しました。(後略)」と記させて頂きました。因みに、姉によりますと、20年以上前に 父母から 長女の為に ピアノを買ってもらったとのことでありました。ところが、今は 誰も そのピアノを使っていないので、姉 自らが ピアノを習って 弾 いているとのことでありました。なお、その「ますだ」というピアノの講師が 上記のように 東京都新宿区に住んでいたときの近所の人であった とのことでありました。それで、東京都新宿区に住んでいたときの お店の写真があったら そのピアノの講師に見せたいので、貰いたいとのことでありました。そこで、その東京都新宿区に住んでいたときの写真をあげました。序で乍ら、後日 家政婦も 下の写真が欲しいというので、姉に あげたときに 撮影しておいた 画像を プリントして あげました。因みに、そのときに 家政婦によりますと、何時頃ですか とのことでありました。それで、当方が 恐らく 2歳位のときで 昭和37年頃であることを伝えました。

姉に あげた 貴重な写真
また、姉によりますと、母親は ピアノが欲しかったとのことでありました。因みに、東京都新宿区に住んでいたときに 母親は、積み立てで ピアノを購入しようとしました。それで、毎月 ¥500円とか ときに ¥1,000円を積み立てていました。なお、定期的に 集金に来る 男性が居ました。ところが、高度経済成長の インフレーションの時代であり ピアノの価格が 2倍 そして 3倍となり、結局 購入することは出来ませんでした。序で乍ら、母親は、姉の為に ピアノを買いたかったのである と思われます。因みに、姉が言うように 当家には、ピアノを置くべく 床を強化した場所があります。但し、結局 当家に ピアノは入りませんでした。しかし乍ら、晩年 母親は、キーボード ピアノを 2台 購入して、練習していました。
ならびに、去る 6年前の7月1日(日)の「喪のこと(榊[家政婦への贈り物〚梅干し〛・父親の食事]・4)」のブログの中段に、
「(前略)去る6月17日(日)の『叔母たちの来訪・続報3』のブログの上段に、
『(前略)姉によりますと、8万円のギターを買ったそうです。そして、姉は ギターを習っている とのことでした。因みに、このギターの弦を切ってしまって 東京の大久保迄 買いに行ったそうです。(後略)』と記させて頂きました。ならびに、去る 一昨々年の10月23日(金)の『レクイエム』のブログ の上段に、『(前略)演奏する楽器はチェロ(英語:violoncello)でした。チェロの写真を、下に掲載させて頂きます。(後略)』と記させて頂きました。そして、姉によりますと、当方に 音楽 すなわち このチェロを習え とのことでした。姉に とりましては、チェロを そのままにしては 勿体ない と思ったのかもしれません。もしくは、自分と同じように 楽器を習わせることによって、自分との バランスを取ろうとしたのかもしれません。しかし乍ら、孔子は、『親が 他界したら、三年喪に服す。』ことを唱えています。これに対して、弟子である宰我が、『父母のためにする 三年の喪というのは その期間が 長過ぎます。もし 君子が 自ら 三年も 礼を修めなかったならば、礼は 必ず 廃れましょう。 三年も 音楽を修めなかったなら、音楽は 必ず 崩れましょう。』と尋ねました。この問いに対して、孔子は、『お前が 安ければそうしなさい、君子は 喪中には 御馳走を食べても 旨くなく、音楽を聞いても 楽しくなく、家に在っても 安らかでない。そこで 政務を 執らないのである。今 お前の心が 安ければ、そうするがよい。』と回答しました。そして、宰我が、出て行きました。そこで、孔子が、居合わせた門人達に『宰予(宰我のこと)は 何と 不仁なことよ。子が生まれて三年、漸く父母の懐を離れるのである。三年の喪は、世の中の人が 誰もやっている共通の喪である。宰予も 三年の父母の保育の愛情を受けた筈なのに、忘れてしまったのであろうか。』と話します。『親が死んだら、3年間は喪に服さなければいけない。何故なら、人は 誰でも 生まれてから 3年間、赤ん坊だったときは 自分では 何も出来ず、親に 完全に庇護されて 生きてきたからだ。』 という訳です。すなわち、ましてや チェロを習っているどころでは ありません。それで、姉に チェロを大事にしてくれる人で このチェロを貰ってくれる人が居ないか 話しました。(後略)」と記させて頂きました。すなわち、父親が亡くなって 3年目に入ります。
しかも、姉によりますと、長男の写真を捨てないでとのことでありました。それで、沢山 あるけれど 捨てていないと答えました。
そのうえ、医者に受診しても どのような治療をされるか分かるので、受診しないと話しました。すると、姉によりますと、誠に有り難いことに、安上がりね とのことでありました。因みに、これ迄 に 医学には 母親の宗教と同様に 膨大な投資をしてきております。なお、保険診療であれば、姉が言う程 価格的には 高くなることはないかと思いました。
しかして、事後報告でありましたが、姉によりますと、3名で 叔母(三女)の有料老人ホームに お見舞いに行ったとのことでありました。それで、姉によりますと、かなり 弱っているので、もう そろそろとのことでありました。因みに、叔母(三女)は 卒寿(90歳)なのであります。なお、叔母(三女)は 独り住まいでありました。序で乍ら、姉によりますと、叔母(三女)は 住んでいた 池袋に帰りたいと言っているとのことでありました。
ならびに、姉によりますと、誠に有り難いことに、父親 と 母親が 在宅介護を受けることが出来たのは 当方の お蔭とのことでありました。それで、父親 と 母親が 「家に居たい。」と言ったからであることを伝えました。
および、姉によりますと、受診していた 整形外科の待ち時間が 3時間も掛かるので、花小金井の整形外科に転院したとの旨でありました。
71歳の姉によりますと 階段が 急とのことでありましたが、母親は、85歳迄 この階段を使用しておりました。
更に、義理の兄が 足の指が一本ずつ 入る 靴下を履いていましたので、「いい靴下ですね。」と伝えました。誠に有り難いことに 姉によりますと、準備が たいへんだったでしょ との旨でありました。それで、「ある目的を達成するために方々を走り回る者」を意味する「馳走」の丁寧語・尊敬語が語源である 「御馳走の如く 走り回りました。」と答えました。因みに、家政婦には 昨年の父親の一周忌を終えたときから 準備が始まったことを伝えました。
しかして、姉によりますと、自分の子供たちが 喧嘩になるとのことでありました。
のみならず、姉が、家政婦に 自分が受診している 整形外科を紹介しました。因みに、その整形外科医の経歴を調べましたら、親戚が血液内科の教授をしている 某・医科大学出身であり、母校の医科大学附属病院高度救命救急センターで 研修を行なっていました。なお、その母校の高度救命救急センターは、草分け的な存在であります。序で乍ら、母校の高度救命救急センターは、ネクタイをしていなかったら 別のセンターへ、ネクタイをしていら 母校のセンターに と 救急車側が決めているのであります。すなわち、母校の高度救命救急センターは 厚生労働省から 援助を受けているのであります。
それで、後日 姉には 手紙で、「整形外科医で 救命救急センター出身でありますと、少し 荒っぽくなるかもしれませんね。但し、姉様が 相性がいいとお思いになられておられるのでありましたら、いいのかもしれません。」と伝えました。つまり、飽くまでも、姉の主体性を尊重するような内容の手紙を送りました。因みに、このことは、家政婦にも、口頭で 時間を掛けて 説明しました。
そして、姉夫婦は 午後0時40分頃に帰りました。

姉が 持ち帰った 仏花(菊の花)(一番 お花が多いのは この花束であることを伝えましたら、姉は これを持ち帰りました。因みに、持ち帰ることに際して 水を含ませる為に 脱脂綿を用意すると伝えましたら、姉によりますと いいとのことであり 上の画像の 仏花を そのまま 買い物袋の中に入れました。なお、誠に遺憾なことに、これでは 折角の仏花に 暫く 水を与えないことになります)
次に、僧侶が帰った後で 家政婦によりますと、その僧侶が 勿体ないと言っていたとのことでありました。因みに、今回も そう 言っていたとの話になりました。
また、去る 10年前の12月9日(火)の「阿闍世太子」のブログの上段に、
「(前略)浄土三部経の中の仏説 観無量寿経に記されている お話で御座います。(^O^)
韋提希夫人は(後略)」と記させて頂きました。因みに、前述致しましたように、僧侶が 仏説 観無量寿経を言及しました。なお、上記のように 姉夫婦が 帰った後で、家政婦に 僧侶が言及した 仏説 観無量寿経に書かれてある 阿闍世太子の話をしました。序で乍ら、10数分 掛かりました。因みに、僧侶が話していた 「諦める」とは 「あきらかにみる」のことであるという 教えは、釈尊が 韋提希夫人に説いた内容なのであります。
ならびに、修行という言葉を使うのは、道元禅師の「修証一如」(努力(修)することと その結果(証)が一体になっている姿を表す言葉)のことを念頭に置いて話していると伝えました。
および、僧侶が交通事故に遭ったときに 意識が亡くなったとのことでありました。仮に そのまま亡くなってしまったとしたら 自分が死んだということが分からないので 迷ってしまう、そうならないように 引導を渡さなければならないことを伝えました。
神道における 天国である 高天原 と 浄土教の お浄土とは 同様と考えて いいように思われます。
また、その僧侶の実家である 豊島区南長崎のお寺の近くには、昭和を代表する 漫画家たちが 若手時代に暮らした 木造2階建てのアパートである「トキワ荘」があったことを話しました。
ところで、本日の給料と致しまして 家政婦に 7時間分+(プラス)時間外手当 すなわち 金13,870円を手渡しました。また、上記の 引き出物 や おもてなしも添えました。ならびに、下の画像の 仏花 そして お菓子も あげました。
なお、父親の三回忌・母親の七回忌の為に 遣るべきことを 後回しにしたことを、その家政婦に 伝えました。

家政婦に あげた お花(仏花)

家政婦に あげた 品物(お煎餅)
さて、去る 5年前の10月23日(水)の「家政婦への贈り物・93・後編」のブログの中段やや下に、
「(前略)去る 昨年の3月6日(火)の『母親の転帰』のブログに記させて頂きましたように、母親が 亡くなりました。今回は、家政婦から求められましたので 感謝の印と致しまして 言葉を添えて、家政婦に 下の画像の 母親の遺品の お洒落な 花柄の ハンド・バッグ
(中略)などを あげました。
(中略)

家政婦に あげた 母親の遺品の お洒落な 花柄の ハンド・バッグ
(後略)」と記させて頂きました。
また、去る 一昨々年の4月11日(日)の「家政婦への贈り物・160・後編」のブログの中段やや下に、
「(前略)本日は、感謝の印と致しまして 言葉を添えて、家政婦に 下の画像の 母親の遺品の 某・ブランド品である 手提げバッグ
(中略)などを あげました。
(中略)

家政婦に あげた 某・ブランド品である 手提げバッグ(家政婦によりますと、値段の高い 母親の形見を頂いて 嬉しいとのことでした)
(後略)」と記させて頂きました。
ときに、異例なことに 午後4時15分に 家政婦から 電話が入りました。因みに、上記のように 家政婦から求められましたので 感謝の印と致しまして 言葉を添えて 家政婦に あげた 母親の遺品の お洒落な 刺繍の 花柄の ハンド・バッグを忘れたとのことでありました。なお、ス-パーマーケットのところで 財布がないことに気が付いたとの旨でありました。それで、貰った 給料 や 財布が入っているとのことでありました。序で乍ら、もう一つ 母親の 貰った 黒い バッグを忘れたとのことでありました。そこで、確認しましたら、確かに 忘れていました。しかも、既に 当家の前に来ていました。それで、電話は切りました。
ところで、後日、親戚 9家族には 父親の三回忌、母親の七回忌 そして 祖母の祥月命日の法要の報告書を送りました。
(半角で 6万文字以内という字数制限を超えましたので、文章を削らせて頂きました。なお、義務教育の方々に 美しい日本語を 正しい読み方で 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名を付けております)
本日も、最後 迄 お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)