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(半角で 6万文字以内という字数制限に達しましたので、こちらのブログ記事に 前回 すなわち 3月3日(日)の「父親の三回忌・母親の七回忌・続報・中編・5」のブログの続きを記させて頂きます。前回のブログから 話が 繋 がっておりますので、前回のブログも 御覧頂きますと おわかり頂け易い と存じ上げます)
次 に、引き出物は、上に記させて頂きましたように 三家族分を用意して、前述の 減塩の南高梅の梅干し(1箱 すなわち 500g×2個入りを 2箱)を 説明を添えて 手渡しました。

引き出物として、僧侶、家政婦 と 姉夫婦の方々などに それぞれ 手渡した、減塩の南高梅の梅干し(1箱 すなわち 500g×2個入りを 3箱)

引き出物として、僧侶、家政婦 と 姉夫婦の方々などに それぞれ 手渡した、減塩の南高梅の梅干し(1箱 すなわち 500g×2個入りを 3箱)

引き出物として、僧侶、家政婦 と 姉夫婦の方々などに それぞれ 手渡した、減塩の南高梅の梅干し(1箱 すなわち 500g×2個入りを 3箱)

引き出物として、僧侶、家政婦 と 姉夫婦の方々などに それぞれ 手渡した、減塩の南高梅の梅干し(1箱 すなわち 500g×2個入りを 3箱)

引き出物として 熨斗紙を掛けて、僧侶、家政婦 と 姉夫婦の方々などに それぞれ 手渡した、減塩の南高梅の梅干し(1箱 すなわち 500g×2個入りを 3箱)

引き出物として 熨斗紙を掛けて、僧侶、家政婦 と 姉夫婦の方々などに それぞれ 手渡した、減塩の南高梅の梅干し(1箱 すなわち 500g×2個入りを 3箱)

引き出物として 熨斗紙を掛けて、僧侶、家政婦 と 姉夫婦の方々などに それぞれ 手渡した、減塩の南高梅の梅干し(1箱 すなわち 500g×2個入りを 3箱)

持ち帰り易いように 風呂敷で 包装した 減塩の南高梅の梅干し(1箱 すなわち 500g×2個入りを 3箱)

持ち帰り易いように 風呂敷で 包装した 減塩の南高梅の梅干し(1箱 すなわち 500g×2個入りを 3箱)

持ち帰り易いように 風呂敷で 包装した 減塩の南高梅の梅干し(1箱 すなわち 500g×2個入りを 3箱)

持ち帰り易いように 風呂敷で 包装して 手提げ袋に入れた 減塩の南高梅の梅干し(1箱 すなわち 500g×2個入りを 3箱)

持ち帰り易いように 風呂敷で 包装して 手提げ袋に入れた 減塩の南高梅の梅干し(1箱 すなわち 500g×2個入りを 3箱)

持ち帰り易いように 風呂敷で 包装して 手提げ袋に入れた 減塩の南高梅の梅干し(1箱 すなわち 500g×2個入りを 3箱)

用意した 三家族分の引き出物
および、りんごの100%ジュースを 1箱 ずつ あげました。因みに、誠に有り難いことに、僧侶によりますと、このりんご
の100%ジュースは 美味しい とのことでありました。

用意した 三家族分の引き出物(りんごの100%ジュースを 1箱)

用意した 三家族分の引き出物(りんごの100%ジュースを 1箱)
更に、当家の庭で穫れた 柚子の実などの果実も あげました。因みに、昨年は、「(前略)姉によりますと、今年は 柚子の実が 実らなかったので、誠に有り難いことに、助かるとの旨でありました。(後略)」と前述致しました。ところが、姉によりますと、今年は 柚子の実が 実ったとの旨でありました。

当家の庭で 朝摘みをした 柚子の実

当家の庭で 朝摘みをした 柚子の実

当家の庭で 朝摘みをした 柚子の実

当家の庭で 朝摘みをした 柚子の実

当家の庭で 朝摘みをした 柚子の実

感謝の印として 袋に詰めて あげた、当家の庭で 朝摘みをした 柚子の実

感謝の印として 袋に詰めて あげた、当家の庭で 朝摘みをした 柚子の実

感謝の印として 袋に詰めて あげた、当家の庭で 朝摘みをした 柚子の実
しかも、下の画像の 銅線(鉄製の針金よりも 柔らかいので 加工が し易く 耐食性も高いことを伝えました) であります。

感謝の印として あげた、銅線(鉄製の針金よりも 柔らかいので 加工が し易く 耐食性も高いことを伝えました)
なお、僧侶が、まず 午前9時35分頃に 黒塗りの高級車で 到着しました。それで、トイレに行くとのことでありました。そして、午前9時45分頃に 義理の兄が到着しました。それから、姉は、家政婦によりますと トイレに行っているとのことであり、その後に 来ました。 因みに、誠に有り難いことに、天気は 雲 一つないような 晴天でありました。それで、誠に有り難いことに、そのことを 姉と共有致しました。
そのうえ、「(前略)その僧侶によりますと、『この本(当家が 以前に購入した誓願寺の家宝の本のこと)を お借りしてもいいいですか。』とのことでありました。それで、『勿論 です。』と伝えました。すると、その僧侶によりますと、『僕、この本 ないとのことでありました。家内や息子やらに 見せてあげたい。どっかにあったと思うけれど。僕も、写っているんだよ。たぶん これが そうだよ。これが そう 私だよ。』とのことであり、また その僧侶は笑い出しました。
(中略)
その僧侶によりますと、『この本をお借りして、送ります。』とのことでありましたので、『来年の三回忌のときに 序でで いいです。』と伝えました。すると、その僧侶によりますと、『済みません。どっかにあったと思うのだが』とのことでありました。それで、『大事なもの(お布施のこと)を お持ち下さい。』と話しました。すると、その僧侶によりますと、『お布施は、直接 お渡しして頂けたらと思います。私が こうではなくて。』とのことでありました。それで、『失礼しました。』と伝えて 綺麗な『袱紗』の上に載せて 手渡しました。(後略)」と前述致しました。 因みに、昨年の父親の一周忌のときに、家政婦には、「あの本は 戻ってこないね、あげたと思わないとね。」と伝えていました。そして、案の定、その僧侶によりますと、「(その本を)忘れた。」とのことでありました。なお、お茶を出すと同時に、前述致しました 御布施を 手渡しました。
しかして、去る 一昨々年の1月1日(金)の「父親の食事(カレーうどん)、洗濯 そして 入浴・197」のブログの中段やや上に、
「(前略)家政婦が、紅白歌合戦のことを言及していました。それで、少なくても 医師になってから すなわち 30年以上は 紅白歌合戦を見ていないと答えました。 因みに、別の家政婦も 今は 亡き母親も、近年の紅白歌合戦は 見ても 分からないとのことでした。(後略)」と記させて頂きました。なお、小学生の頃は、冬に 炬燵に入って 蜜柑を食べ乍ら、紅白歌合戦を見ることが 夢であったことを 家政婦に伝えました。ところが、それは、遠い夢でありました。それで、両親が購入した 思いと 共に、その僧侶に その夢を適えて頂きたく、そのカジュアル 炬燵を進呈しました。すると、その僧侶によりますと、誠に有り難いことに、自分の部屋で 使ってくれる とのことでありました。因みに、姉によりますと、炬燵は 一台 あるから 要らないとのことでありました。

僧侶に あげた 某・有名製造会社の カジュアル 炬燵 の外観
のみならず、昨年の父親の一周忌のときに、その僧侶と姉は 椅子を用意してもらいたいとのことでありましたので、今年は 用意しました。すると、義理の兄も 自分にも 椅子を用意してもらいたい とのことでありました。それで、「椅子を 三つ用意すれば よかったですね。」と話して 用意しました。すると、その僧侶によりますと、「僧侶なのに、椅子を用いて。」とのことでありました。因みに、姉によりますと、当方は 若いから 正座しているとのことでありました。それで、正座に関しましては 訓練しているからと答えました。
それから、「生前 父親は 訪問看護師の前でも 全国高等学校野球選手権大会の歌であり 甲子園で流れる『栄冠は君に輝く』を 急に流して欲しいと言い、慌てて流したことがありました。また、母親からは、『自分が死んだら、エーデルワイスを流して欲しい。』とのことでありました。それで、本日は、その『栄冠は君に輝く』 そして 『エーデルワイス』を流させて頂いております。」と伝えました。
その僧侶によりますと、誠に有り難いことに 両親と併せて 祖母の法要も してくれる との旨でありました。姉の三男も、祖母と同じく 約40年前に亡くなったことを話しました。すると、その僧侶によりますと、「子供さんが亡くなったのは 何月?」とのことでありました。それで、姉によりますと、「6月20日」とのことでありました。
その僧侶によりますと、誠に有り難いことに、「40年 経っても 昨日のことのように思い出されるよね。先に逝かれると辛いね。」とのことでありました。それで、姉によりますと、「お祖母ちゃんは 88歳迄 生きたから、『おめでとうじゃないけれど。よく頑張った。』と言えるけれど、俊君(姉の三男)の場合は 二歳なので。」とのことでありました。すると、その僧侶によりますと、「可愛い盛りだ。」とのことでありました。その僧侶によりますと、「能登半島の地震や津波でね。」とのことでありました。すると、姉によりますと、千葉の地震が気になるとのことでありました。 因みに、千葉には 甥(姉の長男)が住んでいるので、そのこともあるかと思われました。
それで、その僧侶によりますと、「今朝もニュースを見ていたら、奥さんと子供さん 二人 亡くされた主人が言っていました。1月1日から 全然 変わっていません、今でも出て来るんではないか。家族、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんと奥さんと 違う お祖父ちゃんは 間違えた 奥さんと子供 三人 四人 一遍に亡くされた。僕は 3月の11日(父親の祥月命日と同じ)が震災の石巻やら あちらの方に 7回 行って お参りさせてもらいました。その中に お父さんと、お母さんと、奥さんと、子供 三人 六人 一遍に亡くされた。その人が 両親に 地震が来たときに その前の暮れに 新しい船を入れ替えたばっかりだったんですって。そして、二週間で 津波が来るかもしれないって言って その主人は 船を沖に出した。帰ってきたら、お父さんと、お母さんと、奥さんと、子供 三人 そして 子供 三人が見付からない。それで、一番 最後に見付かったのが 四ヶ月位 後になって その間 遺体が 運ばれて来た 遺体の安置場が 一杯 あって、自転車で そのたんびに 見に行ったんですって。三ヶ月位 掛けて 漸と 最後の子供が 見付かって。」とのことでありました。すると、姉によりますと、「元気で亡くなるというのは 諦めがつかないですよね。家の場合は もう病気で 手術もして、ある意味 しょうがない、後遺症が出るのではないか そういう意味で 徐々にですが 諦めがついたけど、元気で ぱっと 逝かれてしまったら、一生・・・」とのことでありました。すると、その僧侶によりますと、「何が何だか分からなくなるよね。実際 また 近い内に 大きな、地震が来ようが 北朝鮮から ミサイルが飛んでこようが 、地震が来る地震が来る、富士山が爆発する 何だかんだと盛んに言われている、シェルターを作らなければいけないと 東京都で言ってますけどね、それは 作るのはいいけれど、どうやって 逝くか 分からないんだよ これ 人間というのはね、みんな 地震に苦しんでいる訳でもないし、みんな ミサイルという訳でもないし、渡されてしまったら あれだけど、それでも そのときは受けていかないと しょうがない、これ、自分では どうすることも出来ないもんね、何時、何処で、どうなっても、お念仏申す者は必ず お浄土だよって 何ともないようなことだけど それがあるから 何時 そのときが来ても 大丈夫ということを教えられるんですね これ お念仏で なまんだぶ なまんだぶ って お念仏をしてもらったら、阿弥陀様が お浄土に連れて行って下さるから そう心配することないよ、だから、死ぬときは 実際に 私たちの力では どうにもならない、お医者さんの力で 頼って あれだけど お願いしますと言うけど 最後は 駄目なんだよね。あの お医者さんが藪医者だったからって 後になって いくら言っても、どうにもならないしね。こっちの病院にでも行けば よかったという思いも ふっと出て来るけれども、それを思っても しょうがないしね これ、だから、父も 母も亡くなりましたが、兄も亡くなりましたけど、それぞれでね そのままを受けていく以外に しょうがない、しょうがないと言うと あれだけど、あの お念仏に教えられる一つにね 観無量寿経(仏説 観無量寿経のこと)という お経があるんだね、諦観と言って・・・」とのことでありました。すると、姉によりますと、生前の父親の意向で 父親の為に流していた 「栄冠は君に輝く」の音楽を 小さくするように とのことでありました。 因みに、姉は、幼少の頃 父親が音を小さくするように と言われたことが嫌だったと しばしば話していました。ところが、その姉が、度々 音を小さくするようにと言うようになりました。すなわち、親から言われて 嫌だったことを 今度は 自分が言うようになるという例でありますね。すると、その僧侶によりますと、「大丈夫、大丈夫、全然 大丈夫、あれがあるから 元気に話が出来る。」とのことでありました。そして、続いて 「諦観って 言って、言弁に帝国大学の『帝』ですね、訓読みで『諦める』という字があるね、『観』は 『観光の観る』という字、『諦観』という言葉がある、その言葉は どういうことかと言うと、諦めるのではなくて、諦めて ものごとを みていくのではなくして、あきらかに みるという あきらかにみる目を お念仏によって 教えられるんだよと書いてあるんだね。」とのことでありました。
なお、その僧侶が、仏説 観無量寿経を言及しました。因みに、「諦める」とは 「あきらかにみる」とのことであるという話であります。それで、生前 父親も、「諦める」とは 「あきらかにみる」とのことであると話していたことを伝えました。すると、姉も、父親からの手紙で そう書いてあったことを話していました。それで、その僧侶によりますと、「○○さん(父親のこと)も聞いておられたからだよ。お祖母ちゃんも そうだと思う。だから、一つ 一つの出来事が あるがままに 自分のこととして 受け止めていく 目と心を教えられるということである お前が悪いから こうなったんだ 何のせいで こんなことになっちゃったんだ というのは あきらかに 物事を受け止めていくことが出来ない人の見方ではないかと思われます。そういう気持ちが 出て来るんだよ、出て来るんだよ、人を責めても どうにもならないことだよ、そりゃ 地震が来るときは 地震が来るし、火事に遭いたくないけれど、気を付けても、どこでどういうことに 人生が ぶつかっていくか分からない、ぶつかったときに これは しまったっというのではなくして、ああ これが 人生だな これが ぶつかっていかなければ、ぶつかっていかにゃならんことだったなって その そういう ものの受け止め方を教えられるっていうことは とっても 素晴らしいことであると思う、それこそ お釈迦様が 『人生は苦なり。』というところから その お悟りを開かれたと伺っておりますが、『人生は苦なり。』って いやいや 人生は 楽しいことだって 一杯 ありますしね、楽しい人生を生きていくように努力していくのが 大事だよって そういう生き方も あると思うんだよ、しかし、いろんなことに ぶつかったときにね こんな筈じゃなかったということが 必ずあるんだよね、こんな筈じゃなかったって、それこそ そういうときは 誰が悪い 何が悪い、おまえが ちゃんとしていなかったから こんなことになったんだって みんな そうやって 思い 悩むんだけど、それは『人生は苦なり。』って教えられた者にとってみれば ははー これが人生かってね、どんなことであっても、それこそ苦しいことや 辛いことにぶつかったときにこそね ははー そういう者を必ず 救いとるぞという 阿弥陀様が おられたということが お念仏に会う者の大きな喜びっていうかね、何があっても それは 死にたくはないんだけれども、別れたくはないんだけれども お念仏があるじゃないって こう受け止める こう 涙も 一杯 出て来るけれども、涙が 一杯 出て来る そこからね よかったね 皆様のお慈悲の お蔭だったねって、こう 思い その いや その思いが 転ぜられていくのが、阿弥陀様の働き 『なまんだぶ』 それが 『南無阿弥陀仏』だけ そういう気持ちを教えられていくんだね これ 『南無妙法蓮華経』では そういう訳には いかない、怒られちゃうけれどね、こうやって 一生懸命 お願いするところが多いのよ 新興宗教だとかね まあ あまり言うと あれだけど 日蓮宗なんか どっちかっていうと こうやって お願いをするんだよね(日蓮宗は、自力だから)お願いをするんだけど そりゃ お願いをするのもいいんだけどね そういう気持ちになるのも みんな 私たちの煩悩の さがっておるから こういうことがなくなりたい 病気になったら 病気を治して欲しい 子供のことを思ったら 子供の病気が思ったら どんなにいいかって お願いをする気持ちが出て来る そりゃ 誰しもが持つことでもある だけど こう 神様 仏様に 一生懸命 お願いしたら そういう苦しみが無くなるっていうことでは ないんだよっていうことを この お釈迦様の人生は かたりというところから始まっているんじゃないかと思いますけどね。まあ、そういう でもね、いらっしゃい、いらっしゃい、今から 苦しいことやら 悩みがあったら いらっしゃい、それをなくしてあげますっていうところが多いからね、ちょっと うー ちょっと うー どうして ああいうとこ ああいう時代 何時の時代でもあったんだよ それね 時代でもあった それ以前からも ずっと あったんでしょうけれどもね だけど あっちの方が楽なんだよ 楽というか そういう意味では 浄土真宗は この してもらおうということがないから、『諦観』ということを お父さんから聞いた お祖母ちゃんから聞いた そういう風に聞いて行かないと分からない 自分の世界だけしか 浄土真宗は 楽っていうか 何もせんでいいよ という訳ではないんだよね やっぱりね。お念仏を しっかり聞かしてもらうということ、それは とても 大事なこと。」とのことでありました。
加うるに、去る 10年前の12月9日(火)の「阿闍世太子」のブログの上段に、
「(前略)浄土三部経の中の仏説 観無量寿経に記されている お話で御座います。(^O^)
韋提希夫人は(後略)」と記させて頂きました。すなわち、仏説 観無量寿経に 韋提希夫人 や 阿闍世太子のことが書かれてあることを話しました。因みに、
「(前略)仏説 阿弥陀経以外の浄土三部経は 仏説 無量寿経(仏説 大無量寿経) そして 仏説 観無量寿経であります。なお、釈尊は、師匠である 阿弥陀如来の弟子である とされております。序で乍ら、阿弥陀如来(宝蔵菩薩)の18願を お経に なされているのが 仏説 無量寿経(仏説 大無量寿経)であり、19願を お経に なされているのが 仏説 観無量寿経であり、20願を お経に なされているのが 仏説 阿弥陀経であるとされております。(後略)」と前述致しました。すなわち、去る2月8日(木)の「家政婦さんの入院・続報106・後編」のブログの中段やや上に、
「(前略)その家政婦さんに、仏教の全体像を伝えました。つまり、聖浄廃立 そして 真偽廃立などのことであります。要するに、法然上人は 30年 そして 親鸞聖人は 20年で 比叡山を下ったとされていると前述致しましたが、これが、聖浄廃立であります。取りも直さず、阿弥陀如来の世界に入られたとされております。そして、十方衆生 すなわち 全ての人々を誘導する 阿弥陀如来の仕組まれた道程を、親鸞聖人は 三願転入と言われているのであります。 因みに、三願転入とは、『大きく 十九願から 二十願へ、二十願から 十八願へと移り入ること』であります。なお、阿弥陀如来の19願を お経に なされているのが 仏説 観無量寿経であり、方便として 『善の勧め』が説かれております。それから、阿弥陀如来の20願を お経に なされているのが 仏説 阿弥陀経であり、方便として 『念仏の勧め』が説かれております。そうして、阿弥陀如来の18願を お経に なされているのが 仏説 無量寿経(仏説 大無量寿経)であり、『他力の信心』が説かれているのであります。すなわち、これが、真偽廃立であります。(後略)」と記させて頂きました。つまり、第19願、第20願、そして、第18願への三願転入(十方衆生の獲信の道程)を意識して 言及させて頂きました。それで、第18願の「他力」が素晴らしいと話しました。すると、その僧侶によりますと、「第18願が書かれた 仏説 無量寿経(仏説 大無量寿経)を 父親は 言及していたとの旨でありました。そして、そもそも 仏説 無量寿経(仏説 大無量寿経)の中でも 48願というのが書かれてありますけれど 親鸞聖人は 第18願が本願、本願というのは そこ 第18願のことを言うのです、48願の18番目の願、そこが・・・」とのことでありました。そのとき、家政婦が お茶のお代わりを入れようとしました。すると、その僧侶によりますと、「もう大丈夫(要らない)。時間が過ぎましたので、お参りさせて頂きます。御免。御免。(午前10時の定刻を13分過ぎました)」とのことでありました。それで、お参りが終わりました後の為に、「お茶を どうぞ。」と勧めました。すると、その僧侶によりますと、「これ後で 回して下さい。(用意していた 焼香のこと)」とのことでありました。 因みに、数珠は お参りして下さる人の為に 置物として 置かせて頂いていることを伝えました。すると、その僧侶によりますと、「田中角栄さんのところの家が焼けて・・・」とのことでありました。それで、姉によりますと、「目白のね。」とのことでありました。すると、その僧侶によりますと、「目白の。お仏壇の その線香からって まず 線香から火が点くっていうことは まーずないと言ってもいい位なんだけれどもね、その 何か 周りに燃えやすいものがあったかね、倒れて 他宗(浄土真宗では、お線香を寝かせます)で ほら お線香 立てるでしょ だから これが点いたまま こういうところに 紙があって そこからということは 考えられるけど 普通 浄土真宗の場合は、あの・・・」とのことでありました。すると、姉によりますと、「浄土真宗は、横に あれしますよね。」とのことでありました。すると、その僧侶によりますと、「蝋燭の火の方が むしろね。まあ よくわからないけれどね。蝋燭の火は 特に 乾燥しているから 気を付けなきゃね。ハイ。それでは、お勤めさせて頂きます。御一同、合掌。なまんだぶ。なまんだぶ。なまんだぶ。なまんだぶ。礼拝。お直り下さい。」
また、全員に 正信偈の読本を配りました。それで、読経(正信偈)が始まりました。そこで、一緒に 唱和しました。
おまけに、その僧侶によりますと、「一言、御法話をさせて頂きます。○○さん、お父さんとお母さんの三回忌と七回忌、また、お祖母ちゃんの祥月命日、お写真が ここにある、お元気でおられたことが、それぞれに 思い偲ばれることであります。また、こうして お勤めをさせて頂きますときに、私の父や 母や 庄野さんの あるいは あの頃 松井さんという お方がおられて、みんな お浄土の人となり、それぞれの方々のことが(「を」の方が適当であると思われます)思い、まあ 私の兄も ここで お邪魔しまして、兄も 何年も この30年 40年の間に 沢山の方が 先に逝かれてしまって、私たちが これから後 何年 何十年 生きられるかが 問題ではありません。○○さん(父親のこと)は 93歳、93歳 まま 昔 目標は 80歳にしていたんですけれど、77 今年 なりますけれど、80歳は ちょっと 早いな ということで、今頃 目標を 85にしていたんですが、85も 考えてみると えらい 後 8年 9年ということになると ちょっと これも短いなと まあ 90位 迄 目標は まあ 何か 新聞なんか読んでみますと、人生 100年の時代に入った ということを よく書いたり 書かれたりしておりますけれど、200年迄 は ちょっとね、と 元気だったらという言葉が付くんですね、元気だったら 100でも いいんだけどね 自分で 歩いたり 食べたり 飲んだり 話をしたりすることが出来れば、・・・でもいい、我々の勝手でありましてね、これ なかなか しかし 願い通り 思い通りには いかない まあ 100歳 あるいは 100歳を過ぎた人が 日本では 今 7万人か 8万人 おられるそうであります。恐らく その90何%の人たちは 子供たち や 孫が たいへんだ たいへんだって 言っている人の方が多いんじゃないかと思われます。自分の親であっても なかなか たいへんだ ことだ のようでありますね。まあ○○さん(当方のこと) ○○さん(父の名字)○○さん(父の名前)を晩年 ほんと たいへんだったということで まあ これは判りませんけれども、なかなか 年を取った人を みるということは 親であっても なかなか たいへんなことのようであります。しかし、どうして 自分が こうなったか 例えば 寝たっきりになって 早く お迎えが来ないかなっていう言葉を よく聞きますけれども むしろ そういう言葉を聞くことの方が多いのであります、お年を召した方から するとね。だけど、自分で死ぬ訳にいかない、自分で 自分の生命を絶つ人も居ない訳では ないけれども、なかなか なかなかね 90になって 100になって 自分で 自分の生命を絶つということは なかなか 出来ないことではないでしょうかね。あるいは もう 楽に死なせてくれっていう人が多いけれども、それこそ 楽に 注射を打って さよならということになったら、打った人が 今度は 殺人犯になるっていうことでありますから、なかなか なかなか この生命ということは 私たちの思い通り 願い通りにいかない生命だよ ということを お釈迦さんは 言っておられるのでありますね。これ。人 それぞれの生命、死ぬときは 死ぬ 若いときに逝く人もあれば、年を取って 逝く人もあれば、事故で逝く人もあれば、病気で逝く人もある、火に焼かれていく人もある、死の縁というのは 無量だよ どう遣って まさか あの人が ああ遣って 無量の 死の縁 無量だよ、どう遣って 逝くか 判らん 人それぞれ そのときそのときを 悔しいしいけれど 情けないけれど 腹が立つときもあるけれど、そのとき そのときを受けていかなければならないんだよ、いよいよというときに 何があるかが問題でありますね。先程 申しましたけれども、いよいよかというときが必ず来ると どういう風に思うは知りませんけれどもね、人間は どう遣って 死んでいくか 判らん、こう遣って まあ 私も母が亡くなって みましたけれども、何を考えているんだろうか、判らん。」とのことでありました。それで、姉が、「お父さん、何歳で 亡くなったのですか。」とのことでありました。すると、回答が 食い違ったのでありますが、その僧侶によりますと、「お祖母ちゃんは、89でした。」とのことでありました。すると、姉が、「凄い。」とのことでありました。そこで、その僧侶によりますと、「判らん、側に居てもね。だぁ 兄のときも そうでした。兄のときは 肺癌で やっぱり 最期の方は モルヒネを打ってもらって、そしたら 打ってもらっているときには うぇ いろいろ 何か こう あれ 出てきたみたいですけれども、でも やっぱり それから 何日かして 亡くなって、うー、人間は 死ぬときは 何を どう 思って逝くのか 判らん、私は そのとき 確信をしましたけれどもね、へ、外から見ても判らんということ、ということは 自分が受けていかなければならないということですね、どういう風にして 死んでいくか 判らん、○○さん(当方のこと)は 医学を学んだから 人間が死ぬときには こう遣って逝くんですよって 判るかもしれないけど、しかし、私の友人が やっぱり 医者で 外科の医者なんですけれども、うー、彼と話をしたときにですね、あのー、これは ほんとか 嘘か ほんとかどうか 判りませんけれど、あのー、大きな手術をするときにね、あのー、全身麻酔をする、全身麻酔、痛 いも 痒いも 何にも 判らんのや、何が出て来ようが、何も 判らん、僕も よく聞きますけれどもね、判らん、最期の最期は 何にも 判らないで 逝くんじゃないかと、彼は言うんです。痛 いも 痒いも 何にも、淋しいも 苦しいも 何にもない、とね、だからね、いよいよというときは、何にも 判らんとなると、それは いいじゃないと、安心して 逝けるじゃないですかって、そんな話をしたことがありましたけどね。まあ、判りませんけどね。だけど、意識があるときは、うっすらでも 意識があるときは、いよいよかなって 自分で、こんなこと言うと怒られるけれど、昔 僕ね 学生のときに、交通事故に遭ったことがあってね、助手席に乗っていて 横から パーンと、どっかをこう打って、どこか こっちの方だったと思うが、そのときにね、痛 いも 痒いも 何にも 判らんね、あれ、ビューンと ぶつかって 意識を失ったんだね、どっか打って 気が付いたときは、引っ繰り返っていて 眼鏡が外れていて、それで、てって見たら、血が付いていて、血を見たら こんな感じで、だけど ぴゃーと 一瞬 ぶつかったときは もう 何にも判らんね、痛 いも 痒いも 何にも判らん、こんなこと言ったら 怒られちゃうけれど、交通事故でね 即死というの あるでしょ あれ ほれ もう すら 一瞬、あ・・・・・・(何を言っているのか、何度 再生しても判りません)逝っちゃてるんじゃないかと思って、あれ、残された人は たまらんけれどもね、逝く人も まさか と思って あれだけれども、どう遣って逝くか 判らんし、死ぬときは どんな思いで 逝くのか 意識がない 癌なんかの場合 一番 意識が最期の方迄 あるんだよ(肝臓がんは 最期 昏睡状態になるとされています)、身體が もう 細く 痩せ 細って 骨と皮になってしまう、2番目の兄がそうでしたけどね、骨と皮でしたよ、体重がね 38kg(本人のみ、笑い)それでも意識がある。」とのことでありました。それで、姉が、「結構 若かったのですか。」とのことでありました。すると、その僧侶によりますと、「2番目の兄は、68、で、一番上の兄は 誓願寺の住職だね、は、80でした。兎に角、うー、意識があって いよいよというときが、問題、家族の人が周りに居てもね・・・(何を言っているのか、何度 再生しても判りません)ちっともね、ヤダ・・・(何を言っているのか、何度 再生しても判りません)、身體が悪いときにね だいじょぶ だいじょぶと言われても、だいじょぶじゃないんだよ(本人のみ、笑い)、笑っちゃいけないけどね、ほんとに 具合 悪いときには 誰にも会いたくないんじゃないかと思うし、まあ それは 判らんけれども、それは 笑顔で迎えるでしょうけれど、ありがとうってね、私のときは、どうなるか 判らんけれど、だけど、意識があるとき それは 痛 いも 苦しいも そりゃ感じるときでしょうけれど、病気のときには そういうことが考えられている、そういうときに いよいよかというときにね、やっぱり お念仏がある人 と ない人では 違いがあるか 判らんね、いよいよというときに こりゃ いよいよかというときに きっと ま、お念仏も出て下さらんかもしらんけどね、お念仏の御縁があればね お念仏があったな 「なまんだぶ。なまんだぶ。」と お浄土に連れて行って下さる 阿弥陀様と 一緒だった て思えるんじゃないかなと これも 判らんけどね、判らんけどね、でも、そうはいたいんじゃないか(何を言っているのか、何度 再生しても判りません)ただね、「なまんだぶ。なまんだぶ。」とね、何じゃら ホイ と思うような言葉だけれど、阿弥陀様の呼び声、働き そのものが 阿弥陀様が ちゃんと ついているから大丈夫って その強い心をね、お念仏に教えられるのでしょうね。苦しいけど、これは 自分が受けていかにゃならん苦しみで、苦しみの後は お浄土に お浄土で 先に逝かれた 先に逝かれた 方々に また 会える 「倶会一処」という言葉がありますけれどもね、誰が会いたいと思うか 自分勝手なものでね、子供さんに 先に逝かれた方は 恐らく 子供のことを思うかもしれないけれどもね、それじゃ お父さん お母さんは、(何を言っているのか、何度 再生しても判りません)」とのことでありました。すると、姉が、「みんな 並んでいるんだそうです。」とのことでありました。すると、その僧侶によりますと、「みんな ちゃんと 並んでいる。」とのことでありました。すると、姉が、「犬が、3年前に 犬を抱っこして 家 父が好きだったんですよ、犬が、だから、犬を抱っこして 待っててくれた。」とのことでありました。すると、その僧侶によりますと、「まあ 兎に角、うんだね、(何を言っているのか、何度 再生しても判りません)これも 判らん、自分の勝手なもんでね、そりゃ 会いたい人に会えばいいと思うんだけれども、だけど、阿弥陀様には 会えるんだよね、阿弥陀様と 一緒にならせて頂く ここに やっぱり 喜びが やっぱり 安心が出て来るんだよね、それこそ、夫婦であっても、親子で会ってもね、この娑婆世界は お互い 仲良く 仲良くしければいけないと判っては いるんだけれども なかなか これはね、親子であっても 夫婦であっても、お互い ほんとに 理解し合う 思い合う心って なかなか なかなか これは 家の場合かもしれませんけれど(本人のみ、笑い)、夫婦喧嘩したことがないっていう人に会ったことがありますけれど、ちょっと 私は信じられない。(本人と姉のみ、笑い)親子でも 喧嘩したことがないって、ひゃーって思うけれどもね、なかなかね 親子であっても 夫婦であっても、何って言うんでしょうかね、うー、先に逝った 例えば お祖父ちゃんが 待っているから、ハイ 安心して 逝けますっていうことではないような気がする、本当の安心はね、本当の安心は、阿弥陀様 と 仏様と ならせて頂くことが 約束されている ということが 本当の安心、私には(何を言っているのか、何度 再生しても判りません)娑婆世界が そのまま お浄土の世界にいったら(何を言っているのか、何度 再生しても判りません)になっちゃうよ(本人のみ、笑い)、自分勝手なことばかりいう 思ってちゃ 仏様の世界じゃないよね、これは、あの人には 絶対 会いたくないっていう人が居るんだよ 必ず ふふ(本人のみ、笑い)それは まあ あれですけれど、いよいよというときにね、お念仏があったなって教えられていくということはね、さっきから申しますけれどね、何時、何処で、どうなっても 大丈夫 そりゃ 地震が来ようがね 癌になろうがね 事故で 逝こうがね そー 人それぞれの縁だから 判らんのよ これ どう遣って 逝くか やあそりゃ (何を言っているのか、何度 再生しても判りません)僕なんかも そりゃ 判らんよ こりゃ そういう 縁があれば それを受けていかなければならないし、但し、その親鸞聖人の言葉にも ありますけれど、「さるべき業縁の もよおせば 如何なる振る舞いをも 縁に触れれば 何をしでかすか判らない。」のが 私たちだということ、今 そんなこと 絶対 そんなことする筈がない 思ってはいても 縁に触れれば 何を しでかすか判らない どう遣って 逝くか 判らん ということでしょうね これ そりゃ まあ あの 親鸞聖人の言葉 ほんとに 凄いなって そういう言葉 一つ一つをね 受け止めさせて頂くんだけれど はーはーっと 親鸞聖人が 凄いなって お浄土の世界を 阿弥陀様の世界を教えて下さった 親鸞聖人(何を言っているのか、何度 再生しても判りません)そりゃ 父母でも そうだし お祖母ちゃん や お祖父ちゃん お父さん お母さんが お念仏 大事だよって ○○さん(当家のこと)の お祖母ちゃんでも いつも お寺に お参りして(何を言っているのか、何度 再生しても判りません)おられた あの声を 私も 小さい乍ら 聞いておりますので、はっ また ○○さん(当家のこと)の お父さんは 誓願寺が出来るときは ほんとに あのー (何を言っているのか、何度 再生しても判りません)の一人で 一杯 お力添えを頂いて 深い御縁のある ○○家(当家のこと)であり 不思議な縁で また 私が ハワイから 帰ってきて まあ 日野やら 八王子に お寺が出来て こうして お勤めを させて頂くこと ほんとに 不思議な御縁であります。兎に角、どうぞ 宜敷く ありがとうございました。長々と いろいろ 話をしてしまって。」とのことでありました。(20分40秒でありました)すると、姉によりますと、「召し上がって下さい。」とのことでありました。すると、その僧侶によりますと、「美味 しそうな 苺が目の前にあるから、頂いていきましょう。」とのことでありました。すると、家政婦によりますと、「喪主様から、お話があります。」とのことでありました。すると、その僧侶によりますと、「ハイ、ハイ、ハイ。」とのことでありました。姉によりますと、「話が長い」とのことでありました。すると、男性の声で「ちょっと、急ぎましょう。」とのことでありました。
さて、「喪主からの挨拶」は、明後日 すなわち 3月5日(火)の「父親の三回忌・母親の七回忌での 挨拶」のブログに記させて頂きます。
ときに、その僧侶によりますと、「目標は いくつ位に していますか。」とのことでありました。すると、義理の兄によりますと、「私も あの 御住職と一緒で 80と ずっと 前は 思っていたんですけれども、その 最近になって ちょっと 80では 近いなと 85にしようかと思っている。」とのことでありました。すると、その僧侶によりますと、「受けていかなきゃ、しょうがない。」とのことでありました。
(再度 半角で 6万文字以内という字数制限に達しましたので、次 のブログ記事に この続きを記させて頂きます。なお、義務教育の方々に 美しい日本語を 正しい読み方で 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名を付けております)
本日も、最後 迄 お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)