このブログ(英語:blog)に御訪問頂き、誠にありがとうございます。
リンクを 貼 らせて頂いております。紫色のブログ・タイトルをクリック(英語:click)(もしくはタップ[英語:tap])して頂きますと、過去のブログ記事に移行します。(^O^)
さて、本日の朝 いつものように 父親のところに行きましたら、父親が 顔を ぶつけたとのことでした。すなわち、夜間、トイレで 転んだとのことでした。因みに、去る2月9日(水)の「父親の薬(神経科)・54・前編」のブログ と 去る2月9日(水)の「父親の薬(神経科)・54・後編」のブログなど そして 去る 2月9日(水)の「父親の薬(神経科)・54・中編・2」のブログの中段やや上に、
「(前略)サイレース錠(上記のように 当方が 高校生のとき以前から 父親が服用している、syndrome malin( 仏語)(ネガティブ[英語:negative]で御座 いますし、お読み下さっている 方々 に影響を お与えすることの無いように、日本語で 綴 ることを控えさせて頂きましたが、以前 それではわからない と指摘を頂きましたので、日本語も併記させて頂きます。小さく記させて頂きます。悪性症候群のことで 御座います。英語では、neuroleptic malignant syndrome[N.M.S.]と言います。以下、syndrome malinと記させて頂きます)を起こす ベンゾジアゼピン系睡眠導入薬)(後略)」と記させて頂きましたように、父親は、サイレース錠を 長年 服用させられていました。なお、このサイレース錠の副作用は 上記の syndrome malin以外にも、強力な催眠作用がある一方で、筋弛緩作用もあり 日中のふらつき や 転倒の原因にもなるとされています。序で乍ら、欧米ではベンゾジアゼピン系の薬は必要な場合に限って短期間だけ用いるものという認識が広まっていますが、日本では 複数のベンゾジアゼピン睡眠薬が長期に渡って漫然と処方されているケースも見られるとのことであります。
因みに、父親の意識はあり、父親によりますと、「大丈夫。大丈夫。」とのことでした。このことは、いつものように 午前8時半に出勤してきた 家政婦にも伝えました。しかも、家政婦も、この「大丈夫。大丈夫。」という言葉を聞いていますので、誠に有り難いことに、後日 そのことを回顧して 当方に話してくれました。
なお、直ぐ バイタルを測りました。すなわち、本日の午前7時50分頃に 父親の血圧を測りました。すると、父親の最高血圧(収縮期血圧)は いつものように 116mmHg(水銀柱ミリメートル)、最低血圧(拡張期血圧)は 69mmHg、脈拍(心拍数)が 54回/分 そして 父親の体温は 36.4℃(実測測定値)でした。因みに、去る 一昨々年の5月15日(水)の「パルス・オキシメーターの購入(在宅介護)」のブログの下段に、
「(前略)早速 このパルス・オキシメーターで、父親の 酸素(O2)の飽和度(英語:saturation)を測定してみました。すると、本日の午前8時20分頃の 父親の その酸素(O2)の飽和度は、誠に有り難いことに 95%でした。(後略)」と 記させて頂きました。すなわち、本日の午前7時50分頃の 父親の 酸素(O2)の飽和度は、誠に有り難いことに 91%(左第二指) そして 脈拍(心拍数)が 55回/分でした。そして、誠に有り難いことに、両手は動きました。それから、大事にしてもらっています。序で乍ら、舐めると痛がると思いましたので、父親の顔に 癒しの息を 掛け続けました。但し、痛くない程度に 舐めました。 因みに、これ迄 も 度々 父親の方から 額に キスをして と言われましたので、そう致しました。
それから、去る 昨年の8月20日(金)の「父親の食事(カレーうどん)、洗濯 そして 入浴・229」のブログの中段に、
「(前略)去る 昨年の5月8日(金)の『父親の食事(カレーうどん)、洗濯 そして 入浴・163』のブログの中段やや下に、
『(前略)去る 6年前の11月23日(日)の【アロマ・テラピー】のブログ の中段やや上に、
【(前略)研修医の頃に、皮膚科も 3ヶ月研修(学部生のときの臨床実習では1週間)致しました(後略)】と記させて頂きました。また、去る 4年前の8月10日(水)の【ボランティアについて】のブログ などに記させて頂きましたように、救護係のボランティアを行ったときのことであります。すなわち、程度にもよりますが、皮膚に現われたものは 消えていくから あまり そのことに 引っ掛からないようにとの旨を話しました。すると、誠に有り難いことに、その言葉に たいへん 感心してくれました。(後略)』と記させて頂きました。その介護福祉士の方(常勤)によりますと、父親の左肩、足 そして 背中が 少し 赤くなっているとのことでした。それで、この介護福祉士の方(常勤)の前で、皮膚に現われたものは 消えていくから あまり そのことに 引っ掛からないようにとの旨を話しました。そして、内に籠もるよりも、外に出た方がいい と伝えました。(後略)」と記させて頂きました。今回も、家政婦に 内に籠もるよりも、外に出た方がいい と伝えました。
そして、本日の午前中の 父親の食事の準備をして、食べ終わる迄 付き添いました。それから、当方と家政婦の居る前で 父親によりますと、髭を剃って欲しいとのことでした。因みに、後になって 考えてみると、父親は 彼岸に移行することを このとき 既に察していたのかもしれません。
そうして、本日の午前中の 父親の食事の準備をして、食べ終わる迄 付き添いました。そして、午後4時頃にも、父親の様子を みに行きました。それから、取り 敢えず 尿瓶に尿を取ってもらうようにしました。また、便器を用意しました。しかも、午後4時半頃にも、父親の様子を みに行きました。そのうえ、午後5時頃にも、父親の様子を みに行きました。すると、ウンチをしていましたので、処置しました。のみならず、午後5時半頃にも、父親の様子を みに行きました。すると、父親によりますと、台所に 女の人が立っているとのことでした。そして、父親によりますと、姉ではないかとのことでした。しかし乍ら、台所には 誰も居ません。更に、午後5時40分頃にも、父親の様子を みに行きました。すると、父親によりますと、やはり 台所で 女の人が 二人 おしっこをしているとのことでした。おまけに、午後5時55分頃にも、父親の様子を みに行きました。それで、家政婦が来ました。そして、午後6時10分迄 父親は話しをしていたのですが、家政婦の前で 急に黙ってしまいました。それで、「親父さん」と大声で叫びました。ところが、意識が戻りませんでした。そこで、早速 バイタルを測定しましたら、脈拍が 約120回/分でした。そして、訪問看護(午後6時31分に電話しましたら 所長が出て、1時間以上、行けないとのことでした。それから、誠に有り難いことに、救急車が 到着する直前の 午後6時51分に その所長から 様子伺いの 電話が入りました。 因みに、この2本の電話履歴のことは 後程 警察から尋ねられまして 伝えました)と 主治医(奥方が出て、主治医は 外出中とのことであり、この奥方が指示を出しました)に電話しましたら、救急車を呼ぶようにとのことでした。それで、救急車を呼びました。 因みに、午後6時30分の脈拍が 約120回/分でした。それから、救急隊が来て 救命措置を行いましたが、アレスト(英語:arest)(日本語:心停止)とのことでした。母親のときと同様に、父親を 抱き抱えました。なお、救急隊員から ワクチンを打っているかどうか 尋ねられましたが、父親を外出させることが出来なかったということもあり 打っていないと回答しました。ワクチンを打って こうなったら、後悔していたでありましょう。序で乍ら、そのように ワクチンを打っているかどうか 尋ねた 救急隊員は 現場を経験していますから、高齢者が ワクチンを打つことにより 急変することを知っている様子でした。しかし乍ら、当方は 当事者でありますので、そのことは 救急隊員に確かめませんでした。
なお、去る 一昨々年の8月26日(月)の「リハビリテーション(父親)・63・中編・1」のブログの上段に、
「(前略)去る 昨年の2月16日(金)の『母親の入院』のブログの中段やや上に、
『(前略)この主治医から 説明に際しまして、母親のリビング・ウィルを示しました。 因みに、家族で話し合って、数年以上前に このリビング・ウィルを作っておきました。そして、必要なときには 直ぐに持って来れるように 準備しておりました。入院になりましたときに 必要であると思われたからであります。(後略)』と記させて頂きました。および、去る 一昨年の10月16日(月)の『鰻の蒲焼・11(両親の食事)』のブログの中段やや下に、
『(前略)両親は、在宅 すなわち 家に居たいという意思を持っております。このことは、両親の リビング・ウィル(英語: living will)(生前の意思という意味の英語の音訳)として 文書にされています。(後略)』と記させて頂きました。
また、去る 昨年の3月6日(火)の『母親の転帰』のブログに記させて頂きましたように、母親が 亡くなりました。
なお、その理学療法士の方に このリビング・ウィルのことにつきまして 話しましたら、知らないとのことでした。そこで、上記のように 亡くなった 母親のリビング・ウィルを参考に見せて、資料を あげて しかも 説明しました。(後略)」と記させて頂きました。すなわち、今回も 母親のときと同様に 真っ先に 救急隊員に父親のリビング・ウィルを示しました。すると、その救急隊員によりますと、記録係に見せてくれとのことでした。それで、後から来た 記録係に そのリビング・ウィルを手渡しました。 そうして、主治医(主治医は 外出から戻ってきていましたが、来てはくれませんでした)は 24時間以内に 診察していないとのことであり、死亡診断書は書けないとのことでした。そこで、自宅から離れた 久米川病院に搬送になりました。そして、待合室で待つことになりました。その待合室で待っている間 すなわち 午後7時49分、午後7時52分、午後7時55分 そして 午後8時0分に、スマートフォンから 姉に電話しましたが、繋がりませんでした。 因みに、後日 確認致しましたら、「キャンセルした通話」との表示が出ていました。それで、午後8時1分に フィーチャーフォンから 姉に電話しましたら、誠に有り難いことに 繋がりました。なお、姉によりますと、夫婦で 京都の旅行から帰って来たところであり お風呂に入っていたとのことでありました。
また、午後7時43分に 明日 来る予定である マッサージ師に電話しましたが、繋がりませんでした。それで、もう1度 すなわち 午後8時23分に電話しましたら、誠に有り難いことに 繋がりまして、明日の訪問マッサージのキャンセルをすることが出来ました。
それから、御臨終を告げられて 父親 本人に 面会するか尋ねられました。それで、「これ迄 充分に接してきましたから。」と回答しましたが、やはり 直ぐに 思い直して 面会させて頂きますと伝えました。すなわち、亡くなってから 直ぐのときに 故人の耳元で話すことは 本人に伝わると信じているからであります。そして、繰り返し「ありがとう。」と父親の右脳に入るように 左耳に伝えました。すると、次から 次へと 涙が零れて 止まりませんでした。すなわち、皆の前で 号泣してしまいました。因みに、近親者が亡くなってから 直ぐに行うこととして、故人の耳元で話すことを伝えている本もあります。
なお、去る1月2日(日)の「肉親の来訪・11・中編・4」のブログの下段やや上に、
「(前略)姉によりますと、在宅で 看取ると 警察が来ることになる とのことでした。すなわち、24時間以内に 医師が受診していないと、死亡診断書を書いてもらえないからです。(後略)」と記させて頂きました。すなわち、急な転帰でありましたので 祖母のときも そうだったのですが、警察(担当係長[警部補])が来ました。そして、いろいろ尋ねられました。なお、家政婦とは 別々に 訊かれました。これが、警察の遣り方でありますね。また、強盗に入られていないか 自宅に伺うとのことであり、見えました。(日付が変わって 翌日 すなわち 3月12日の午前0時7分に、地元の警察署から 電話が入りました。それで、行政解剖になったとのことでした。 因みに、事前に 「解剖に関する 遺族の承諾書」を書くように 言われました。それで、「父親の脳(頭部)は開けてもらいたくないのですが、そうはいかないですよね。」と伝えましたが、やはり 開けるとのことでした。

「解剖に関する 遺族の承諾書」(本日 すなわち 3月11日の日付が入っています)
そこで、その行政解剖は、行政解剖某・大学医学部の法医学教室でなされるとのことでした。父親の遺体を引き取りに行く 時間帯が決まるのが、その日 すなわち 3月12日の午前7時とのことでした。そして、当初 大学キャンバスに行くように 指示されました。ところが、実際には 某・大学医学部附属病院でありました。それで、午前11時頃とのことでした。すなわち、この時間 そして この場所に 警察、葬儀屋 そして 遺族が 集まる訳であります。そして、結果は、老衰でした。 因みに、上記のように 脳[頭部]は開けられたとのことでありました。しかも、腹部も開けられたとのことでした。それで、痛みを感じる ボディーであるとされる エーテル体のことを考えました。なお、3月11日の御臨終から 約40時間が経過していました。序で乍ら、家政婦には、そのエーテル体のことを 資料を添えて 説明しました。
序で乍ら、家政婦と義理の兄によりますと、あっけないとのことでした。すなわち、読者の お方々に おかれましては 充分に 御承知のことであらせられると存じ上げますが、この お二人には そう思えるのかもしれません。また、義理の兄によりますと、車は 9年目とのことでした。しかも、義理の兄によりますと、ユダヤ人は いいとのことでした。そのうえ、家政婦は 救急車 や タクシーは 気持ちが悪くなるとのことでしたが、タクシーで帰ると言って タクシーで帰りました。勿論、タクシー代を手渡しました。なお、時間が掛かり、家政婦には 金19,290円という 余分な 手当てを あげなければなりませんでした。
ならびに、去る 昨年の3月27日(土)の「鰻の蒲焼・894(カレーうどん・父親の食事)」のブログの中段やや下に、
「(前略)去る 2月21日(日)の『鰻の蒲焼・865(味噌汁・カレーうどん・父親の食事)』のブログの中段やや下に、
『(前略)去る 昨年の12月5日(土)の【鰻の蒲焼・799(煮物・カレーうどん・父親の食事)】のブログの上段やや下などに、
【(前略)去る9月2日(水)の〖鰻の蒲焼・730(野菜スープ・カレーうどん・父親の食事)〗のブログの中段に、
〖(前略)去る 一昨年の3月20日(火)の〔鰻の蒲焼・83(父親の食事)〕のブログの中段に、
〔(前略)昨日も 父親によりますと、〘何で ママ 先に 逝っちゃったの 。〙とのことでした。(後略)〕と記させて頂きました。昨日も、父親によりますと、〔ママ 先に 逝っちゃった。〕とのことでした。 因みに、このことにつきまして、去る2月24日(土)の〔三回忌・前編〕のブログに記させて頂きました 僧侶によりますと、強い口調で 父親に 〔諦めなければならない〕とのことでした。この言葉に対して 家政婦によりますと、他のこともあるから ぞんざいになったとのことでした。それで、以下のことを話しました。すなわち、医療でも 同じことですが、医療者からすれば 大勢の中の一人であったとしても、患者さんからすれば 唯一人の医療者なのであります。つまり、僧侶からすれば 大勢の中の一人であったとしても、檀家からすれば 唯一人の僧侶なのであります。なお、大勢の対象者を扱うときには、このことを 常に考慮しなければならないとされています。(後略)〗と記させて頂きました。昨日も 父親によりますと、〖何で ママ 先に 逝っちゃったの 。〗とのことでした。(後略)】と記させて頂きました。昨日も 父親によりますと、【何で ママ 先に 逝っちゃったの 。】とのことでした。(後略)』と記させて頂きました。昨日も 父親によりますと、『何で ママ 先に 逝っちゃったの 。』とのことでした。(後略)」と記させて頂きました。
そのうえ、去る 昨年の12月1日(水)の「鰻の蒲焼・1108(野菜スープ・父親の食事)」のブログの中段に、
「(前略)去る 7月25日(日)の『鰻の蒲焼997(味噌汁・カレーうどん・父親の食事)』のブログの中段やや下に、
『(前略)去る4月13日(火)の【鰻の蒲焼・909(味噌汁・カレーうどん・父親の食事)】のブログの中段やや下に、
【(前略)去る4月7日(水)の〖鰻の蒲焼・904(蕎麦・カレーうどん・父親の食事)〗のブログの中段やや下に、
〖(前略)一昨日 すなわち 4月5日(月)の〔鰻の蒲焼・902(カレーうどん・父親の食事)〕のブログの中段やや下に、
〔(前略)昨日も 父親によりますと、〘何で ママ 先に 逝っちゃったの 。〙とのことでした。 因みに、当家は 浄土真宗の檀家なので 称号 すなわち 南無阿弥陀仏を唱えるとの話になりました。(後略)〕と記させて頂きました。昨日も 父親によりますと、〔何で ママ 先に 逝っちゃったの 。〕とのことでした。そして、今回も、称号 すなわち 南無阿弥陀仏を唱えるとの話を致しました。(後略)〗と記させて頂きました。昨日も 父親によりますと、〖何で ママ 先に 逝っちゃったの 。〗とのことでした。(後略)】と記させて頂きました。昨日も 父親によりますと、【ママ 居なくなった。】とのことでした。(後略)』と記させて頂きました。昨日も 父親によりますと、『何で ママ 先に 逝っちゃったの 。』とのことでした。 因みに、家政婦には、人の生き死には 神仏の計らいと話しました。(後略)」と記させて頂きました。
および、去る2月19日(土)の「鰻の蒲焼・1175(カレーうどん・父親の食事)」のブログの中段やや下に、
「(前略)去る 2月10日(木)の『鰻の蒲焼・1168(煮物・カレーうどん・父親の食事)』のブログの中段やや下に、
『(前略)昨日、お寺から 祥月命日の法要の案内が来ました。すると、昨日も 父親によりますと、【何で ママ 先に 逝っちゃったの 。】とのことでした。すなわち、その案内を見た 父親が、母親のことを思い出してしまったから なのでありました。(後略)』と記させて頂きました。一昨日も、 父親によりますと、『何で ママ 先に 逝っちゃったの 。』とのことでした。(後略)」と記させて頂きました。それで、姉夫婦と家政婦には、父親は、母親のところに行けたねと話しました。
なお、家政婦との話で、父親は 亡くなる 一週間前から 毎日 聞いていた ラジオを聞かなくなったとの内容になりました。
しかも、本日 すなわち 3月11日(金)の「父親の食事(カレーうどん)、洗濯 そして 入浴・258(柚子湯)」のブログに記させて頂きましたように、誠に有り難いことに 一昨日 父親は、今期は 最後の柚子湯に 入浴しました。つまり、自宅の庭の柚子の木に実った柚子の実は 最後であったのであります。 因みに、その家政婦と 以上の話しもしました。
そのうえ、父親は この亡くなる日 すなわち 本日の朝御飯の 鰻の蒲焼 と カレーうどんなどを 食事介護により食べていました。
更に、父親は、3月下旬からのプロ野球開幕を楽しみにしている程、普通の生活でした。その為、父親が応援している某・球団のスポンサーである 某・新聞も購読していました。
しかして、誠に有り難いことに、生前 父親は、当方が居なかったら どうにもならなかったと しばしば 話してくれました。
加うるに、子育ては 動物でもするが、介護を出来るのは 人間のみと言われております。
のみならず、昨日 すなわち 3月10日(木)の「ケア・マネージャー(父親)の来訪・57・前編」のブログなどに記させて頂きました ケア・マネージャーによりますと、この日に 父親に挨拶しなかったことを 後日 すなわち、3月12日(土)の午後7時40分に 電話が入り、言っていました。また、このとき 3月15日(火)に電話をするとのことでしたが、結局 1日 待ちましたが、電話は ありませんでした。そして、かなり 時間が経過して 3月24日(木)の午後5時59分に、電話が入りました。 因みに、上記の 3月15日(火)に電話をすると言った件につきましては、そのケア・マネージャーによりますと、当初 当家に電話したとのことでありました。しかし乍ら、当方が 仮に電話の履歴があれば 折り返し電話をしましたと話しましたら、そのケア・マネージャーによりますと、別の家に電話してしまったとのことでした。なお、支払いを しっかりしなければならないと 話しました。
そして、去る 2月13日(日)の「武漢ウイルスのワクチンについて(拡散希望)・続報17・前編」のブログ そして 去る 2月13日(日)の「武漢ウイルスのワクチンについて(拡散希望)・続報17・後編」のブログなどを記させて頂きました。また、去る3月1日(火)の「ロシア と ウクライナ」のブログを記させて頂きました。これらの話を そのケア・マネージャーに 伝えてきました。それで、今回 最後に当たり このケア・マネージャーには、「少しでも これらの話を取り入れて下さるのであるならば、何れ 何処かで 再び 会うことが出来るでしょう。」と伝えました。

父親の顔(家政婦によりますと、父親が 顔を トイレのドアで ぶつけたとのことでした)

父親の左手の甲(家政婦によりますと、トイレで ぶつけたとのことでした)

父親の腰(一晩で 出来た 床ずれ[褥瘡]。因みに、一昨日の午後2時45分に 介護福祉士が お風呂に入れたときには 認められませんでした。なお、家政婦には 話しましたが、一晩で 5年位 経過してしまったかのようでした)

用意した 尿瓶

用意した 便器
(義務教育の方々に 美しい日本語を 正しい読み方で 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名を付けております)
本日も、最後 迄 お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)