接ぎ木のたとえ

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 さて、昨日 すなわち 8月10日(月)の「()ぎ木(昨日のおかず)」のブログ で、()ぎ木のことを記させて頂きました。()ぎ木とは、2個以上の植物体を、人為的に作った切断面で接着して、1つの個体とすることであります。このとき、上部にする植物体を穂木(ほぎ)、下部にする植物体を台木と言います。心理療法でも、この()ぎ木のたとえがあります。

 すなわち、()ぎ木をして、()ぎ木の癒合(ゆごう)がうまくいったのかどうか、一度()いだ穂木を(ほぎ)取って、()ぎ木の切り口を何度も確認したら()ぎ木はうまくいかないでありましょう。

 また、同様のたとえとして、()いた種のたとえがあります。すなわち、種を()いて、種の芽が()えたのかどうか、一度()いた種を掘り返して何度も確認したら、芽がつかず、うまくいかないでありましょう。

 以上の2つのたとえがあります。

 ときに、御承知のように、「果報(かほう)は寝て待て」という故事(こじ)があります。この教えは、仏教の教義と人生の知恵を合体して出来たようで御座(ござ)います。一般的に、「因果応報(いんがおうほう)」ということは、柔らかく説明させて頂きますと、人はよい(おこな)いをすればよい(むく)いがあり、そうでない(おこな)いをすればそうでない(むく)いがあるということです。更に、「果報(かほう)」を正確に言いますと、「果」の(ほう)は、善いことを(おこな)ったときによい結果が出るというように、因果が正しく(めぐ)って来ることですが、「報」の(ほう)は行為の結果がその原因(どお)りにならないような(むく)いのことであるとされています。(いず)れの結果が出るにしろ、「寝て待つより方法がないのだ‥‥」と開きなおった姿勢を教えている内容です。

 24年前、すなわち、十二支(じゅうにし)で二周して、今年と同じ(ひつじ)年のことです。医師国家試験直前に、教室で、男子学生が、この「果報(かほう)は寝て待て」と話していました。すると、それを聞いた女子学生が、それじゃダメだよと言っていました。良い結果を得るためには寝て待っていたのではダメで、勉強し、働き、動き回っていないと成果が上がらないというのが、普通の意識(常識)です。

 一方(いっぽう)、日本人は働き好きで勤勉という世界的な評価を受けており、ときには働き過ぎることが、批判されています。また、去る 昨年の11月23日(日)の「アロマ・テラピー」のブログ の冒頭、そして、去る 昨年の10月18日(土)の「心身医学会」のブログ で記させて頂きましたように、約23年前に、編者から依頼されて、「心身医学を学ぶ人のために」の一部、すなわち、用語解説を執筆させて頂きました。この用語解説の203頁に、ワーカ・ホリック(英語:workaholic)のことが書かれてあります。ワーク(英語:work)とアルコホリック(英語:alcoholic)の合成語です。簡潔に お伝え申し上げますと、仕事をすることが人生そのものになってしまった働き過ぎの人、および、その状態をいいます。仕事中毒、そして、仕事依存であります。自分が働き過ぎているという自覚が無いか、(とぼ)しいとのことです。去る 昨年の10月8日(水)の「親の受診に付き添っていること・1」のブログ 、そして、去る 昨年の11月9日(日)の「親の受診に付き添っていること ・2」のブログ のそれぞれ共に中段やや上、そのうえ、去る2月23日(月)の「天皇陛下行幸(ぎょうこう)の君恩に(よく)して」のブログ の中段に記させて頂きました某・ボランティアのサークル関係の方々(かたがた)の中で、常に人生を走り続けているように(はた)から見える先輩がいました。

この書の表紙を、再度、下に掲載致します。ちなみに、この書を相当数、すなわち、数10冊以上、自費で購入し、寄贈させて頂きました。心理療法内科の学会のときに、このことを編者に話しましたら、誠に有り難いことに、感謝して頂きました。なお、前述の、去る 昨年の10月18日(土)の「心身医学会」のブログ の上段に、

「(前略)元・心理療法内科の学会の理事長に依頼されて、某・日本医療心理学院で、早稲田大学やお茶の水女子大学の心理の大学院生に心身医学の講義を行っていました(後略)」と記させて頂きました。ここの臨床心理士によりますと、この書を出版社から直接買えばよかったのにとのことで御座ございました。

 

再掲・心身医学を学ぶ人のために

 

 

 但し、人間が(なま)け者であるより、働き者である(ほう)がよいことは当然のことであって、外国の人が批判したからといって、働き者であることを否定したり恥ずかしがったりする必要はない と思われます。しかも、ワーカ・ホリックという言葉も、昭和46年(1771年)に米国の某・作家によって出版された著書の中で初めて使われました。

 上記の故事(こじ)の本来の意味は、「寝て待て」といっても、(なま)けていれば良いという意ではなく、人事を()くした後は気長に良い知らせを待つしかないということで御座(ござ)います。御承知のように、「人事を()くして天命を待つ」という故事(こじ)もあります。

 前述の2つのたとえのように確認しないでは気が済まないときには、これらの2つの故事(こじ)を思い出してみては如何(いかが)か、と思われましたので言及させて頂きました。

 

 (義務教育の方々かたがたに 美しい日本語を 正しい読みかたで 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名ふりがなを付けております)

 本日も、最後 まで  お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)

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