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さて、去る 4年前の11月7日(土)の「ボランティアのこと」のブログ の上段に、
「(前略)道元禅師が執筆された正法眼蔵に、『修証一如』が書かれてあります。人生は修行と思っておりますので、この某・ボランティアも続けているのであります。(後略)」と 記させて頂きました。
ならびに、去る 昨年の3月8日(木)の「鰻の蒲焼・73(お通夜・父親の食事)」のブログの中段やや上に、
「(前略)僧侶から 説法がありました。この説法によりますと、『天国と言うのではなくて、浄土と言うように』とのことでした。基督教では 天国と言いますが、基督教の方も参列しているのに と思われました。姉も、この僧侶は・・・ とのことでした。最先端の 物理学でも パラレル・ワールドが 議論されていますが、浄土の外にも パラレル・ワールドがあり それが 天国であっても いいこと と思われました。(後略)」と 記させて頂きました。
および、去る2月24日(日)の「母親の一周忌」のブログの上段やや下に、
「(前略)この僧侶によりますと、挫折する為に 修行するのであり、修行は 無駄とのことでした。(後略)」と 記させて頂きました。この僧侶 と 上記の僧侶は、同一人物です。すなわち、この僧侶によりますと、釈尊(お釈迦様の尊称)は 修行に 挫折したから との旨 でした。但し、釈尊の修行と申しますと、例えば 断食に関しますと 1日に 大豆 1粒、次 に 1日に 小豆 1粒、更 に 1日に 米 1粒と減らしていく とされています。これでは、常人では 挫折する外は ありません。この僧侶は 釈尊の修行を言及しましたが、これは 修行と申しますよりは バラモン教の苦行なのであります。それで、釈尊は「苦行は、悟りの因にあらず(出典は、巴語の『ニダーナカター』)」 すなわち 「苦行は、必ずしも『悟り』の為に必要ではない」と お悟りになられたのであります。つまり、釈尊は 敢 えて 苦行を続けなかった とも言えるので御座 います。更 に 大事なことを お悟りになられたのであります。但し、「釈尊は 6年間 苦行なされたから この境地に到達されたとも言えるので御座 います。」と話しましたら、誠に有り難いことに、家政婦は 頷いてくれました。そして、上記のように 「修証一如」を話しましたら、誠に有り難いことに、この家政婦によりますと 救いになった とのことでした。 因 みに、「修行」の言葉の定義も、しっかり把握しなければならないと思われました。
なお、このブログ記事の冒頭に引用しました 道元禅師が執筆された正法眼蔵には、三つの四字熟語の「只管打坐」、上記の「修証一如」 そして 「心身脱落」の教えがあります。この最後の「心身脱落」に関しまして、道元禅師の話があります。すなわち、天童山(中国・浙江省寧波市にある山の名前)に居た 道元禅師は、ある朝 大勢の僧侶と共に 座禅をしていました。そのとき、一人の雲水が 居眠りをしてしまいます。如浄禅師は 彼を叱って こう言いました。つまり、「参禅は 須らく 心身脱落なるべし。」と。この如浄禅師は、「脱落、脱落」と そのように「脱落」という言葉を繰り返していました。ところが、道元禅師は、その言葉を聞いた瞬間に、文字通りに「心身脱落」してしまったのです。ちっぽけな「自我」に対する執着がなくなり、「没我」あるいは「無我」の境地に到達したのです。すなわち、如浄禅師である師の意図とは違う 大きな意味で悟った つまり 大悟したのでは ないかとされているのです。
ときに、聖徳太子が 摂政であり 推古天皇の御世に、「仏教興隆の詔」が発せられます。すなわち、「仏教公伝」のことであります。 因 みに、日本人には、「創り変える」力が あります。家政婦に話すときに よく用いる話なのでありますが、印度から入って来た カレー・ライスを 日本人は、創り変えます。そして、凄いことに、印度人をも 美味しいと言わしめる カレー・ライスを つくってしまいます。つまり、法然上人、親鸞聖人 そして 道元禅師などによる 鎌倉仏教は、日本人によって 創り変えられた日本型仏教とされているのです。なお、法然上人は30年、親鸞聖人は 20年 そして 道元禅師は 2年で 比叡山を下ったとされています。
ところで、「仏教公伝」以前に、中国から 儒教も伝わります。このとき、日本人の凄いところは 中国語を「白文」で読むのではなく、「読み下し文」で 日本風に読んだ ということであります。このようなことが出来る民族は、世界中で 我々 大和民族しか 存在しません。これによりまして、日本は、誠に有り難いことに 中国文化圏に組み込まれずに済んだのであります。誠に 素晴らしい 日本人の先人たちに 感謝したい気持ちであります。そして、江戸時代に 起こった「古学」は、日本人によって 創り変えられた日本型儒教とされているのです。
序で乍ら、約450年前に、カトリック教会宣教師である ザビエル(西語: Francisco de Xavier)が、日本に 初めて 基督教を伝えました。この基督教も、日本人は 創り変えています。
次 に、「国学」の存在は 最も 忘れられません。 因 みに、「国学」は 老荘思想的 と言う人も居ます。なお、機会がありまして 宜敷ければ、「国学」のことを 力を入れて 記させて頂きます。
(義務教育の方々に 美しい日本語を 正しい読み方で 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名を付けております)
本日も、最後 迄 お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)