ユーゴスラビア(東欧)

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 丁度ちょうど 一週間前、すなわち、去る11月15日(土)の「ブダペスト(東欧)」のブログで、「機会がありまして、宜敷よろしければ、ユーゴスラビア(当時の国名)(御承知のように、現在では、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国のむっつの構成共和国はそれぞれ独立し、スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、そして、マケドニアになっています)のことを記させて頂きます。」と お伝え申し上げまして、誠に有り難いことに、「いいね」を頂きましたので、今回、その続きを記させて頂きます。ちなみに、当時は 東欧という区分でありましたが、令和7年 現在では 御承知のように、南東欧州おうしゅうという区分でありますね。。(^O^)

 昭和62年(1987年)(菜食を始める前のことです)8月13日【木】の朝、夜行列車で、ユーゴスラビアの首都(現在はセルビアの首都) であるベオグラード駅(現在、ベオグラード中央駅という名称)に到着致しました。

 プラット ホームが 数面あって、屋根が無く、土を持った簡単な造りのように思われました。

 お伝え申し上げましたように、ブダペストでは、日本人に 一人ひとりも会いませんでしたが、ここで、二人ふたりの日本人に会いました。目的の国際列車は一日いちにち2本 運行していますが、これらの日本人によりますと、一人ひとりは今日・一回、そして、もう一人ひとりは今日と昨日・二回の国際列車に乗りそこなったと言うので御座ございます。駅に て、目的の列車に乗りそこなうなんて、とても信じがたいことでした。しかしながら、一人ひとりでは無く、二人ふたりの日本人が話している内容です。しかも、目的地 きとは別の列車に乗ってしまい、また、この駅に戻って来たこともあったとのことでした。その訳が段々だんだん わかって来ました。

 ベオグラード駅は首都の駅であるにもかかわらず、電光掲示板が無く、単に列車の情報が書かれた ボード(英語:board)が掲示されているのみでした。

 ベオグラード駅の鉄道線路は確か10数番線(英語:track)まで ありましたが、国際列車が どの番線(英語:track)に入るのかわからないので御座ございます。しかも、目的の列車が どの番線(英語:track)に入るのか、事前に掲示されているボード(英語:board)の情報とは違う番線(英語:track)に列車が入ってくるので御座ございます。現地の言語であるセルビア語も よくわかりません。首都なのに、英語の インフォメーションのアナウンスがありませんでした。一人ひとりの日本人は 上智大学の外国語学部の学生でした。

 同駅には、地方きの列車も入って来て、国際列車と ほとんど 同じタイプの車輌ですから、外見だけでは 見分けがつきません。しかも、プラットホームには、何台もの車輌が 停車しています。さらに、到着予定時刻に列車が着くとは限りません。

 三人さんにんの日本人で考えられましたことは、おそらく国際列車が どの番線(英語:track)に入るのか、しっかりと 決められているわけでは無く、到着したその時間にいている番線(英語:track)に入線してくるようとのことで御座ございました。しかも、前述したように、電光掲示板では無いので、入線する番線(英語:track)の情報が発車時刻になってもわからないので御座ございます。

 三人さんにんの日本人で対策を考えましたことは、手分けをして、到着時刻の前から、それぞれ別々のプラットホームで待機していて、入ってくる全ての列車を対象に、その列車に掲げてあるボード(英語:board)を確認するという方法で御座ございました。果たしてこの方法で正しく国際列車に乗ることが出来るでありましょうか。

  国際列車に乗車するのは、この日の夕方で御座ございましたから、その時間に、また合流することにして、ひとまず、それぞれ分かれました。うまく国際列車に乗車出来ましたかどうかは、最後に記させて頂きます。

 さて、一人ひとりで、ベオグラード市内を歩き、取りえず、ドナウ川(ラテン語:Danubius)にってみました。サヴァ川(セルビア語:Сава)とドナウ川の合流点です。その写真を下に添付致します。

 

サヴァ川とドナウ川の合流点

 

サヴァ川とドナウ川の合流点

 

夕方のドナウ川

 

 

 ユーゴスラビアの通貨は、ディナール(セルビア語:
динар/dinar)でした。この通貨は決して安定していたわけではなく、年15 – 25%のインフレーションとのことで、1980年代、インフレ率の上昇は (さら)に加速しました。やたらに 桁数(けたすう)の多い紙幣でした。この3年後、すなわち、1990年に デノミネーション(英語:denomination)(日本語において、この場合は通貨の単位を切り下げること)が行なわれました。
 去る10月30日(木)の「東・西ベルリン(東・西ドイツ)」のブログ で、メキシコのシウダー・フアレス(Ciudad Juárez)という都市にったことを記しました。メキシコの通貨はメキシコ・ペソ(Mexican peso)ですが、当時、1米国ドル($)で、1084メキシコ・ペソ(Mexican peso)の両替でした。1メキシコ・ペソの硬貨は日本円の1円のそれよりも 大きいのです。御承知のように、日本円の1円硬貨を造る(ため)には 約2円の費用が()かる と言われています。1メキシコ・ペソの硬貨の(ほう)が、その硬貨で買える物よりも、何倍も価値があるように思われました。

 当時、メキシコは銀の生産高が世界一位です。 (さら)に 高額のメキシコ・ペソの硬貨には 多少の銀が含まれているとのことなので、尚更(なおさら)であるか、と思われました。(ちな)みに、日本でも、旧100円硬貨には 銀が含まれていました。旧100円硬貨を鋳潰(いつぶ)して銀を抽出することは 違法行為になりますが、現在の価値で 約300円分の銀が含まれているとのことで御座(ござ)います。

 (いず)れに致しましても、経済の不安定とされる国では、結果として、紙幣に記載されている額の桁数(けたすう)が多いですね。御承知のように、第二次世界大戦直後のDM(ドイツマルク)もそうでしたね。

 ときに、前述の日本人の年輩のほう一人ひとりが、盛んに、ドゥブロヴニク(クロアチア語: Dubrovnik)にって来て、いいと言っていました。もっと長くたかったとのことでした。参りませんでしたが、ヌーディスト・ビーチがあるから、とのことでした。

 帰国後、調べましたら、1979年に世界遺産に登録されたドゥブロヴニクの旧市街(赤い屋根が特徴的)は、「アドリア海の真珠(ギリシャのミコノス島は『エーゲ海に真珠』と言われていますね。)」とも うたわれる美しい町並みを誇っているとのことでした。現在はクロアチアの都市であり、アドリア海に面しています。

 ちなみに、ドブロヴニク(スロベニア語: Dobrovnik)は、スロベニア北東部の市であり、このドゥブロヴニク (クロアチア語: Dubrovnik) とは無関係で、近くもありません。

 

ドブロヴニク(スロベニア語: Dobrovnik)

 

ドブロヴニク(スロベニア語: Dobrovnik)

 

 

 ところで、前述致しましたように、この日の夕方、国際列車の到着時刻前に、ベオグラード駅で、日本人 三人さんにんで合流しました。結果は、同・列車の停車時間が わずかであるにもかかわらず、何とか 三人さんにんで手分けをして、国際列車を見付けることが出来ました。国際列車がどの番線(Track)に入るのか、事前に掲示されているボード(Board)の情報とは違う番線(Track)に列車が入線して来ていました。慣れている現地の住民でしたら、利用出来るので御座ございましょう。これでは、日本人 一人ひとりでは、乗りそこだろうと思われました。日本人 三人さんにんいたので、なんとかなりました。国際列車に乗るために、これ程迄ほどまでに苦労するとは・・・去る11月15日(土) の「ブダペスト(東欧)」のブログで記させて頂きました驚きとは別のニュアンス(nuance)(この場合、言葉の微妙な意味の違いのこと。)の驚きで御座ございました。

 以上のように、ベオグラードには 一日いちにち て、日本人三人さんにんで、夜行列車で、ブルガリアの首都であるソフィア(ブルガリア語:София)に向かいました。(ちな)みに、ユーゴスラビアの出国係官が車内に来て、パス ポート を見せました。それで、出国印が押されました。なお、お伝え申し上げましたように、ユーゴスラビアでは、滞在ビザ(英語:visa)は 必要ありませんでした。また、ブルガリアに入りますと 入国係官が車内に来て、やはり パス ポート と ブルガリアの滞在ビザ(英語:visa)を見せました。そうして、入国印が押されました。(つい)(なが)ら、機会がありまして、宜敷よろしければ、続きを記させて頂きます。唯々感謝。(^-^)

 

 (義務教育の方々かたがたに 美しい日本語を 正しい読みかたで 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名ふりがなを付けております)

 本日も、最後 まで  お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)

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