夢について・続報850・シンクロニシティ

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 (こちらのブログ記事に 前回 すなわち 昨日 つまり 8月28日(木)の「夢について・続報849・シンクロニシティ」のブログの続きを記させて頂きます。前回のブログから 話が つな がっておりますので、前回のブログ そして かなら去る 昨年の10月12日(土)・夢について・続報530・シンクロニシティ」のブログも 御覧頂きますと おわかり頂け易い と存じ上げます)

 

 さて、去る 一昨々年さきおととしの6月19日(日)の「父の日(令和4年)あの世の父親に」のブログの中段に、

「(前略)去る 一昨々年さきおととしの3月5日(火)の『姉の来訪・27』のブログの上段やや下に、

『(前略)去る 昨年の7月1日(日)の【のこと(さかき[家政婦への贈り物〚梅干し〛・父親の食事]・4)】のブログの中段に、

【(前略)去る6月17日(日)の〖叔母たちの来訪・続報3〗のブログの上段に、

〖(前略)姉によりますと、8万円のギターを買ったそうです。そして、姉は ギターを習っている とのことでした。ちなみに、このギターの弦を切ってしまって 東京の大久保まで 買いにったそうです。(後略)〗と記させて頂きました。ならびに、去る 一昨々年さきおととしの10月23日(金)の〖レクイエム〗のブログ の上段に、

〖(前略)演奏する楽器はチェロ(英語:violoncello)でした。チェロの写真を、下に掲載させて頂きます。(後略)〗と記させて頂きました。そして、姉によりますと、当方に 音楽 すなわち このチェロを習え とのことでした。姉に とりましては、チェロを そのままにしては 勿体もったいない と思ったのかもしれません。もしくは、自分と同じように 楽器を習わせることによって、自分との バランスを取ろうとしたのかもしれません。しかしながら、孔子は、〖親が 他界したら、三年ふくす。〗ことを唱えています。これに対して、弟子である宰我さいがが、〖父母のためにする 三年のというのは その期間が 長過ぎます。もし 君子が みずから 三年も 礼を修めなかったならば、礼は 必ず すたれましょう。 三年も 音楽を修めなかったなら、音楽は 必ず くずれましょう。〗と尋ねました。この問いに対して、孔子は、〖お前が やすければそうしなさい、君子は 喪中もちゅうには 御馳走ごちそうを食べても うまくなく、音楽を聞いても 楽しくなく、家にっても やすらかでない。そこで 政務を らないのである。今 お前の心が やすければ、そうするがよい。〗と回答しました。そして、宰我さいがが、出て行きました。そこで、孔子が、居合いあわせた門人達に〖宰予さいよ宰我さいがのこと)は なんと 不仁ふじんなことよ。子が生まれて三年、ようやく父母のふところを離れるのである。三年のは、世の中の人が 誰もやっている共通のである。宰予さいよも 三年の父母の保育の愛情を受けたはずなのに、忘れてしまったのであろうか。〗と話します。〖親が死んだら、三年間はふくさなければいけない。何故なぜなら、人は 誰でも 生まれてから 三年間、赤ん坊だったときは 自分では 何も出来ず、親に 完全に庇護ひごされて 生きてきたからだ。〗 というわけです。すなわち、ましてや チェロを習っているどころでは ありません。それで、姉に チェロを大事にしてくれる人で このチェロをもらってくれる人がないか 話しました。(後略)】と記させて頂きました。姉によりますと、ギターを習っていたが、ヘルニア(英語:herniation)になりそうな 姿勢になるので、めた とのことでした。それで、代わりに このギターの先生のコンサートに行く と話した とのことでした。(後略)』と記させて頂きました。すなわち、母親のために 三年 ふくしていましたが、ようやけました。すると、今度は、父親のために 三年 ふくすことになります。

 さて、今年の夏至は 明後日あさってですね。(後略)」と記させて頂きました。それで、父親のために 三年 ふくしていましたが、ようやく 今年の春にけました。

 ならびに、本日の夢のことであります。すなわち、今は亡き 上記の父親が、誠に有り難いことに 登場します。ちなみに、誠に有り難いことに、父親と一緒に 父親の運転する車で 府中に行きます。それで、基督キリスト教の ネガティブで こわい展示があるのであります。そこで、誠に遺憾なことに、父親とはぐれてしまいます。それで、仕方しかたがないので、一人ひとりで タクシー(英語:taxi)を利用して 帰宅します。なお、去る 9年前の1月25日(月)の「アレルギーについての考察」のブログ去る 10年前の12月18日(金)の「不思議な出会い」のブログ のそれぞれ上段 そして 去る 10年前の8月15日(土)の「終戦の日」のブログ の中段やや上に、

「(前略)去る5月25日(月)の『L.E.D.電球(エレクトロニクス)』のブログ の上段に、 『(前略)去る(昨年の)10月29日(水)の【身体の効率】のブログ の冒頭に、【(前略)エコロジー(英語:ecology)(元来は生物学の用語で生態学と訳されますが、今日ではもっと広い意味で、環境保護運動をも ()します)的であります。(後略)】と記させて頂きましたように、エコロジー的な観点は大切ですね。(後略)』と記させて頂きました。それゆえ、普段、環境のことを考えて タクシー(英語:taxi)は利用致しません。ですから、 一人(ひとり)で タクシーを用いるということは絶対に考えません。(後略)」と記させて頂きました。そして、本日の夢のことであります。すなわち、上記のように 一人(ひとり)で タクシーを利用するということは絶対にないのでありますが、何故(なぜ)か 夢のなかでは、一人(ひとり)で タクシーに乗るのでありますね。

 および、上記のように 帰宅して 駐車場を見ますと、父親の運転する車がないのであります。それで、父親は、まだ 帰って来ていないことに気が付くのであります。そこで、携帯電話に連絡しようかと思います。しかしながら、父親が 携帯電話を持っているかどうか 分からないのであります。すると、誠に有り難いことに、父親が 車で 帰ってきました。それで、「私は、もう 駄目だめ。」と言うのであります。

 また、もうひとつの夢のことであります。すなわち、去る 11年前の10月8日(水)の「親の受診に付き添っていること・1(循環器内科医[女医])」のブログ そして 去る 11年前の11月9日(日)の「親の受診に付き添っていること・2(循環器内科医[女医])」のブログのそれぞれ ともに中段やや上、さらに、去る 10年前の2月23日(月)の「天皇陛下行幸の君恩によくして」のブログの中段などに記させて頂きました 某・ボランティア(英語:volunteer)のサークル(英語:circle)の関係の  前述致しました 「安江 理」という男子が登場します。

 さらに、母校の大学の同期生である 前述致しました 「小泉 信人」 そして 「小野瀬 裕之」という男子が登場します。すなわち、で バスに乗っています。それで、上記の「安江 理」という男子に話すことがあるのでありますが、彼のせきふた うしろなので、誠に遺憾なことに 話すことがかないません。そこで、小用でトイレに行きたくなり 休憩停留所での停車時に 運転手と女性ガイドに伝えるのでありますが、バスは出発しなければならないと言われ 誠に遺憾なことに 却下されるのであります。(ちな)みに、長距離バスであるにもかかわらず、車内にトイレがないのであります。それで、つぎの休憩停留所まで 我慢しなければならないのでありました。なお、上記の「小泉 信人」という男子が、3枚の色紙を持ってきます。ついながら、その1枚の色紙に、母校の大学の同期生である 「大屋 敦子」という女子が 亡くなったことが書かれてあるのであります。(ちな)みに、夢では、大学 と 某・ボランティアのサークルで それぞれ 違う環境の人物に 同時に会うことがあるのでありますね。なお、実際には、起こらないことでありますね。

 

 (義務教育の方々かたがたに 美しい日本語を 正しい読みかたで 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名ふりがなを付けております)

 本日も、最後 まで  お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)

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