このブログ(英語:blog)に御訪問頂き、誠にありがとうございます
リンクを 貼 らせて頂いております。紫色のブログ・タイトルをクリック(英語:click)(もしくは タップ[英語:tap])して頂きますと、過去のブログ記事に移行します。(^O^)
(こちらのブログ記事に 前回 すなわち 昨日 つまり 4月4日(金)の「夢について・続報703・シンクロニシティ」のブログの続きを記させて頂きます。前回のブログから 話が 繋 がっておりますので、前回のブログ そして 必ず 去る 昨年の10月12日(土)・夢について・続報530・シンクロニシティ」のブログも 御覧頂きますと おわかり頂け易い と存じ上げます)
さて、本日の夢のことであります。すなわち、去る 昨年の10月12日(土)・夢について・続報530・シンクロニシティ」のブログの上段 そして 中段に、
「(前略)母校の高校と大学の両方の後輩である、今は亡き 篠田欣也君も、登場します。(後略)」と記させて頂きました。ならびに、去る 昨年の12月31日(火)の「本の進呈・続報129」のブログの中段 そして 去る 一昨々年の2月5日(土)の「本の進呈・続報65・後編(シンクロニシティ)」のブログの下段などに、
「(前略)もう1通は、母校の同期生の医師の奥方からの返信であります。すなわち、
『暦の上に春は立ちながら、厳しい寒さが続いております。
このたびは ご丁重な お手紙と ご本を お送りいただき ありがとうございます。
平成28年3月、夫は 肝硬変で 永眠致しました。ご連絡が遅れ 申し訳ございませんでした。急なことで 葬儀は 身内にて執り行いました。
先生のご本は 夫の名前が書いてありますので、いただいて大切に読ませていただきます。
夫が生前に 賜りました ご厚情に深く 感謝いたします。(後略)(送り仮名も 含めまして、原文通り)』以上であります。
なお、いつものように 返信を 郵送しました。因みに、この作業が 朝迄 掛かりました。すなわち、過日も、寝ないで 作成させて頂き 朝になりました。そして、その遺族(妻)に断って、同窓会に伝えました。(高校と大学の両方の同窓会に伝えなければと思われました。因みに、勤務開始は 午前9時であると思われ この時間になるのを待って 電話しましたら、伝言で 午後1時からとのことでした。それで、この時間になるのを待って 電話しました。すると、事務局長の野口あき子さんという人が出ました。それで、高校の方は 小山君という人から 平成29年に 連絡があった とのことでした。なお、平成29年発行の 同窓会・名簿には、物故者として 書かれてありませんでした。それから、大学の方は、誠に有り難いことに 初めて知らされたとのことでした)(後略)」と記させて頂きました。すなわち、書状を添えて 成書を進呈しましたら、誠に有り難いことに、上記のように 返信があり、その返信にも いつものように 返信を 郵送したのであります。因みに、前述致しましたように、母校の高校の後輩であり 大学でも 同窓である 去る 平成28年3月に 肝硬変で 永眠した 今は亡き 篠田欣也君が、誠に有り難いことに、登場します。すなわち、当方が住んでいる 町の同じ2丁目で いつも スーパー マーケットに通う為に使う道で 自転車に乗っていました。すると、誠に有り難いことに、前方に 同じく 自転車に乗っている 上記の篠田欣也君を見付けます。それで、彼の後ろから 何度も 声を掛けます。ところが、誠に遺憾なことに、なかなか 気が付いてくれません。なお、彼が左折して 路地に入りましたので、同じく その後を追います。そして、漸く 彼に追いつきます。そこで、彼と話します。つまり、彼によりますと、以前 彼に伝えた 菜食の店に行き 食事をしたとのことでありました。序で乍ら、南瓜を食べたとのことでありました。すると、何と その 彼と話した場所は 彼の自宅でありました。因みに、彼の父親の職業は 会社員でありますので、庶民的な 入り口の家でありました。それで、何と 彼の両親が 現われました。そこで、名刺を差し上げて 自己紹介をしました。それで、その場は 失禮して 引き上げましたが、彼の家の中に入り込んでいました。なお、最後の場面は 夢ならではの展開であると思われました。
(義務教育の方々に 美しい日本語を 正しい読み方で 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名を付けております)
本日も、最後 迄 お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)